月夜見 “あのね…?”A


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 さすがに、どこも悪くないに等しいのに寝たままではいられないと、翌日からは起き出して甲板に出て来た剣豪殿であり、その傍にはやはり小さな船長の姿があって。とはいえ、これは"特にこういう事態だから"というものではない。ルフィが舳先の羊頭に乗っかって、その傍らにはゾロがその頼もしい体躯を長々と伸ばして横になっている。それがいつもの上甲板の光景だった。ただ、いつもと少しばかり違ったのは、
「?」
「へへ…。」
 いつもなら真っ直ぐに向かってそのまま飛び乗る羊に背中を向けて、船端に凭れ掛かるようにして甲板の上へ座り込んでいるルフィであり、手枕の上、いつものように頭を載せて瞼を下ろすゾロに付き合って、昼寝して過ごそうというつもりらしい。
「おやおや。」
 そんな彼らであるのが何だか微笑ましくて、どう接して良いやらとついつい構えていた皆のぎこちなさも自然と薄らいだ。



 そうして日は過ぎ、五日目、六日目ともなると、これもまた段々と馴れてくるというものか、剣豪が話さないことへの抵抗や気後れのようなものも徐々に薄くなりつつあった。
「妙に静かなのが、ちょっとまだ違和感があるんだけれどね。」
 ゾロがそれだけ騒がしかったという訳では勿論なく、ただ…一緒に付いているルフィが、不器用ながらも気遣って気遣って大人しく振る舞うようになったことから、船の中の空気まで自然とトーンダウンしてしまっているというところか。治療の都合と少しでも空気が良いに越したことはないからという理由から、二人は引き続きキャビンの医務室で寝起きしており、
「…で、だから言ったろ? 俺がやるからって。」
 ルフィがよく話しかけているのは…思い起こせばこれは以前からのこと。ただ、やはり…それへの"言葉"での応じがないのが少しばかり痛々しい光景で、
「………。」
 ふと会話が途切れたりするたびに、答えの代わり、話しかける代わりのように、時々髪や肩、腕などに触れてやって、あやしたり宥めたりしてもいるゾロである様子。
「歯痒いでしょうね、Mr.ブシドー。」
 元からさほど能弁ではなかったが、それでも…小さな船長のじゃれつきには即妙な応酬を返していた彼だったし、それへとやり込められては"ぷくーっ"と膨れながらも、傍目にも判るほど楽しそうなルフィだったのに。上甲板を眺めやれるキッチンの戸口を開け放って、見るともなく彼らの様子に気を配っているビビとナミであり、
「そうよね。いくら"以心伝心"だからって言ったって限度ってものがあるし。」
 ただでさえ"ルフィの一番のお気に入り"だと他のクルーたち全員から認識されている。一番の信頼、一番の把握とツーカー。一番最初の、最も古い仲間だから、そういうものを培うのに必要な時間に格差があってのことだ…という条件上での差もあろうが、それだけではない"何か"もあると思う。相性のような、好みのようなものも良く良く噛み合っているらしく、信頼して手放しかと思えば、心配するポイントというものへのフォローも怠りなくて。そこから自然と"船長のお守り役"という、奇妙な肩書きまでいただいている剣豪殿だったりするのだが、
「同じ"不器用さがもどかしい"んでも、言ってみるだけ言ってみた上でのそれの方が、まだ納得出来るってものだしね。」


        ◇


 これまで試練がある毎
ごとに、約束や誓いを幾つも交わして来もしたが、普段は特に熱く語り合うことなぞなくて。他愛のないことを話題にしては、知っているか、どう思ったかと、軽いやりとりをしていたくらいで。
『判んねぇこと、言ってんじゃねぇよ、ば〜か。』
『ああっ、言ったなぁ!』
 口喧嘩も一杯したし、逆に、何にも言わないまま判り合えもした。説明もない行動をいつだってちゃんと理解してくれたし、フォローだってし合ってた。言葉なんて要らないみたいだと、そうであることを感じるごとにくすぐったくなるくらい嬉しかった。それを思えば、何も変わってはいない。時々わざと知らん顔してあっち向いたり、いつもの"ば〜か"と同じ仕草で、額の真ん中を指先で突いてくれたり、今も全然一緒だよと思いはするのだが。


  ………だけど。


「…けど、やっぱりさ。」
 ぽつんと呟いたルフィであり、
「…?」
 ゾロが見やったそのタイミングに、ぱたたっと乾いた甲板を叩く小さな音がして。
「凄げぇ我儘、言うようだけどサ。俺、ゾロの声、聞きたいな。」
 同んなじものを見つめて、同じことを感じて。相手が何を思ったかが分かってて。でも、それだけじゃない筈。向かい合った時に心まで温かくしてくれたのは、直接の温みだけではなくて。視線や笑みや、やさしい匂いや、それから…深みのある大好きな声での囁きではなかったか。
「………。」
 俯いてた分、頬を伝わず、直接真下の床へと落ちた涙は、ルフィの膝の前の板張りへきれいな丸い染みを作った。自分にはどうすることも出来ない悔しさが、憎い、歯痒い。そんな想いからついつい滲み出したらしい涙であり、
「…っ、ごめんっ。」
 落とした本人が我に返って慌てたが、
「………。」
 見てしまったもう一人は、知らず、衝き動かされていた。伸びて来た腕が、大きな手が、小さな肩を捉らまえて、軽々と胸元の深みへと掻い込んでしまう。
「………ゾロ?」
 胡座をかいた膝へと抱えられ、その懐ろから見上げれば、判っていたと言いたげな…穏やかな翠の眸と、視線同士がきちんとからんだ。
「あ…。」
 そう。判っていた彼だったのだ。他でもない、ルフィがどれだけ寂しがっていたのかを。自分を探していてのことだからと、変に責任を感じて我慢していたのだろうが、本心は辛くて寂しくて。それを…自分自身にさえ気づかせぬように見ない振りをし、そこから逃げるようにお喋りをし、ゾロを笑わせようとし。走って走って息を切らすまで駆け回っていた彼だのに…。それでも涙は追い着いてしまった。そんな彼へ"頑張ったのにな"と囁くようなやさしい眸。
「…ごめん、俺…、一番辛いの、ゾロなのに、こんな…。」
 温かい腕の中に取り込まれると、どんなに強情張っててもいつだって易々と溶かされてしまう。やさしいのに、嬉しいのに。やさしいから、嬉しいから。胸の芯がジンジンして来て、鼻の奥がツンと痛くなって、ますます涙が止まらない。ぽんぽんと、背中をその大きな手でそっと叩いてくれて。判っているから…と何も訊かないゾロであり、
"…ああ、そうか。"
 いつもと一緒じゃんかと、そう思うとちょっとだけ可笑しくって。話せなくなったゾロの気持ちが分かることを、皆から"凄いよなぁ"と感心されたけれど。言わないよう、伝わんないようにしてたことまで、いつもちゃ〜んと分かってたゾロの方がずっと凄いと思った。
"何でもお見通しなんだなぁ。"
 片意地を張ってて損したかなと苦笑して。今はすっかり凭れきり、大好きな温みと匂いに包まれているルフィである。




      ***


  ……………。…フィ。

 何かが耳元にくすぐったかった。
"…ん。"
 虫の羽音? いや、もっと深い音だ。あんな煩い音じゃなくって、静かで気持ちよくてくすぐったい…。ハンモックの軋む音かな。あ、でも、ここんとこは医務室で、ゾロの横に潜り込んで寝てんだったよな…と、あれやこれやをルフィがじわじわ思い出しかかっていたその途端、

 ――― !?

「…? 何だ、今の?」
 最近に聞き覚えがある大きな音に叩き起こされ、ガバッと撥ね起きて丸い船窓へと駆け寄ったルフィへ、
「今度は後甲板の下辺りらしいぞ。懲りない奴だな。」
 そんな声が背後からかかる。口の中でふ〜んと呟きかけた声が止まって、


「………え?」


 今の声は? 振り返ったベッドの中、枕の上へ畳んだ腕に頭を載せてこちらを見ているゾロの視線とかち合って、
「おはよう。」
 くすくすと笑う彼の、間違いなく、あの…耳に馴染みが良くてルフィの大好きな、深みのある声がしたのだ。そうだと理解した途端、うわっと飛びついたルフィであり、
「…声、出んのか? なあ、ゾロ、声っ。」
 飛び込んで来たそのまま急くように訊く彼を、頼もしい胸板の上に軽々と受け止めて掻い込んで。
「まぁな。」
 寝乱れた額髪を手櫛で梳いてやりながら、ゾロはあっさりと応じた。いくら現に事実なことであってもそんな軽々しいことじゃあない筈なのにと、ルフィの側の興奮は収まらないらしく、
「こんな急に…? なあ、いきなり治ったのか?」
 ねだるように聞きたがる。腕の中に取り込んだ彼の、朝っぱらから勢いのいい語調に苦笑が止まらないらしいゾロは、その黒髪を、今度はわしわしと掻き回してやる。
「急にでもねぇよ。チョッパーに昨夜遅くに許可もらったからな。」
「???」

        *

『少しくらい良くなったからって無理して声出しちゃいけない。』
 一番最初の日、チョッパーはルフィが席を外した隙にゾロへキツく言い置いていた。
『ルフィが心配するからって、きっとゾロ、そういうの優先しそうだけど、けどそれでますます治りが遅くなったらルフィがもっと可哀想だろう? だから、もしかして"まだか?"ってねだられることがあるかも知れないけど、俺がもう大丈夫って言うまで声出そうとしちゃダメだぞ?』
 さすがは専門家で、しかも何を優先すべきか、良く心得てもいる。それに。彼だってルフィが大好きで、そのルフィの大切な人であるこの剣豪のこともまた、大好きだったから、そんな苦言をわざわざ告げたのだろう。そして昨夜、ルフィが眠り込んでしまってからこっそりと、夜中の診察にとこの医務室までやって来た彼は、
『よく我慢したな。』
 にっこり笑って、翌朝からいよいよ喋っても良いよという"許可"をくれたのだ。

        *

「???」
 言葉の少ない説明から、依然として詳細にまでは辿り着けていないらしいルフィだった。声で言葉で伝えられなかった間はあれほど何でも分かった彼だったが、専門的な事へはさすがに…頭や感覚が追い着けないものらしくて。だが、むしろ"そんな細かいことはどうでも良い"と言いたげなのがいっそ彼らしい。すぐににこぉっという極上の笑みが戻って来て、
「良かったなぁ、ゾロ。」
 何度も何度もそう言いつつ、どちらかと言えばルフィにこそ"良かったなぁ"の雨を降らせたくなるような喜びようで。抱えたままで身を起こす剣豪殿の胸板に、すっかり凭れ切っている彼であり、この数日の緊張が一気にほどけて…訪れた幸せにこのまま蕩
とろけそうな様相でいる。………とはいえ、
「…あ、でも一番最初は…。」
 言いかけてやめて、ちょっと頬を膨らませる。彼の記念すべき第一声が先程の何げない会話だったというのなら、それって何だかつまらないなと感じたルフィであるらしい。そんな船長殿へ、
「聞いてなかったお前が悪い。」
 さすが、しっかり察しがいったらしく、やはり"くつくつ"と喉の奥を鳴らすように笑うゾロである。
「………え?」


 ――― ちゃんと一番最初はお前の名前だったよ。

 


    ◇◆おまけ◆◇◇

 通り過ぎてから振り返ってみれば、そうそう大したことでもなかった一件だったが、只中にいた間の当事者たちにとっては、終わりや先が見通せなかったせいで、いつまで続く暗闇なのだろうかと心細い我慢比べになっていた訳で。………で、

  ルフィ 「あのな、チョッパーが薬よりこっちのが効くんだって。」
  ゾ ロ 「そうは言われてもなぁ。」
  ルフィ 「そんな顔すんなよ。俺なんか代わってほしいくらいだぞ。」
  ゾ ロ 「…お前なぁ。」
  サンジ 「ほ〜ら、口開けな。たかがこんくらいの蜂蜜、我慢して舐めないとな。」
  ルフィ 「そうだぞ、我慢しろ。」
  ゾ ロ 「………。」

 あはは、おそまつさまでした♪


   〜Fine〜  01.11.19.〜11.21.


  *やっぱり甘い話を書かないと落ち着きませんで、
   ついつい思いついたことの枝葉を広げたらこんなになりました。
   ゾロルのスタンスを考えるに、
   よっぽど『蜜月』シリーズにしようかとも思ったのですが、
   そうなると添い寝の方にまで"禁止令"が発行されるのは明らかで、
   そこまで苛めるのも何だしと思いまして。
  (それにまたまた
   "○日我慢した抱っこ"を書くことになりかねないので…。)
おいおい
   ………相変わらず、妙なことを基準にしている奴でございます。


    〜いつもお世話になっているSAMI様へ、
             どうかお受け取り下さいますように。


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