月夜見 東風一迅 〜月夜に躍る・Y
 

 

          



 ここいらは年がら年中 潮の香りの載った風が吹き寄せる街だが、頬を髪を擽って吹きすぎてゆくそんな風も、この何日かは甘く暖かいそれになった。もう随分と年期の入ったアスファルト敷きの、店の前の小路を手際よく掃きながら、新しい季節の到来を告げる風の匂いなんぞに気がついて、

  "気候が良くなれば、そろそろ春先の旅行シーズンに入るなぁ。"

 またぞろ忙しくなることを、だがだが仄かな苦笑混じりという余裕の下に考えていた豪気なマスターさんが、

  "…おんやぁ?"

 たまたま視線を留めたものへ"あれれ?"と少々怪訝そうなお顔になった。動かしていた箒を止めて、咥え煙草を手に摘まみ、スレンダーな肢体を包む白シャツの腕まくりというさっぱりとした恰好の、その背中をぐいと伸ばして見やった先には、

 「…『くそう、降りて来ないかっ。怪盗めっ!』」
 「『ははは、言われて従う泥棒がいるか』…えと『残念だったな、警察の諸君』」

 何となく奇妙なイントネーションにて、しゃちほこ張った声音での問答をしている連中がいる。片やが、その目許へスカーフにサングラスをセットした"覆面もどき"を巻いた黒ずくめ装束の人物で、ここの通りの入り口辺りにて半身を返して、追っ手に向かって随分と偉そうな啖呵を切っており、それへとスリコギ棒のような棍棒を構えて向かい合うのが、数人の制服姿の"捕り方もどき"たち。
「それでは警部、さらばだ。」
「あ、待てっ!」
 いかにも芝居がかった言いようでの問答は、そんなやり取りで終しまいならしく、

  「よ〜し、カットぉっ!」

 ぱんっと手を叩く音がして、通りの向こう、捕り方役の面々の後ろから見慣れたお顔がこちらへと駆けて来るのが見える。

  「サンジ、サンジっ。お昼食べに来たぞvv」
  「…ああ。用意は出来とるが…。」

 金髪のマスターさんへ はしゃぐようにまとわりついて来たのが、まとまりは悪いがつややかな黒髪を風になぶらせ、丸ぁるいおでこを全開にした、大きな瞳も可愛い彼の弟御。只今、春休みの真っ最中である、ルフィくん17歳。そんな彼が、
「皆、こっちだぞ?」
 さあさ、入れよと招くように背後へ大きく手を振って見せて呼び寄せたのが、先程まで何やら芝居がかったやり取りをご披露していた連中であり、

  「こんにちは。」
  「初めまして。」
  「お世話かけます。」

 ご挨拶はちゃんと出来るお行儀のいい子たちばかりなものの、

  「…な〜にをやっとんじゃ、お前。」

 坊やたちが"準備中"という札を下げた店の扉を入って行ったその後、最後に続こうとしかかった弟さんの後ろ首を捕まえたお兄様であり、
「何って、撮影だよ。」
 お洋服の後ろ襟を捕まえられたルフィは、だが、悪びれもせず、
「新学期早々に新入生勧誘のクラブ発表会があるんだけど、そこで観せるのを撮ってるんだ。」
 にっぱり笑って見せたのだけれど。

  「兄ちゃんの気のせいかな、
   題材が何か…穏やかな代物じゃなかったような気がするんだが。」

 相手の眼前のすぐ間近までわざわざその眇めた視線を下げてくださった、上背のあるお兄様が…何を訊きたいのかは、弟さんにもあっさりと通じたらしく、

  「おうっ! 怪盗"大剣豪"が主役の大活劇だぞ!」

 どーだ、凄いだろ〜vvとばかり、楽しそうに"えっへんvv"と胸を張るルフィに、
「………お前はよぉ。」
 こちらは頭痛がしたらしきお兄様。色々な意味合いや方向から、言いたいことが山のように喉元まで浮かんで来ているらしく、麗しき金髪の陰にて細い眉をぎゅぎゅうと顰めると、
「あのな…。」
 口火を切ろうとしかかったものの、
「話はあとあと。俺もみんなも腹減ってんだ。」
 だから早くご飯にしてよぉと、大きな琥珀色の瞳をうるうると潤ませる坊やには、
「う…。」
 相変わらずに勝てないらしきお兄様であり、やれやれ…と いからせかかった肩を落としつつ、
「わぁ〜った。ともかく、とっとと飯を食いな。」
 確かに話は後だとばかり、疲れたように眸を伏せながらも、吊り上げかかってた弟さんの後ろ襟から手を離す。やたっ!とはしゃいで店の中へ駆け込んでゆくルフィの後へ続きつつ、
"…ったく、春先からこの騒ぎかよ。"
 相も変わらず、兄であるこの自分の意図するところから、どんどん外れたままに突っ走ってるらしきルフィであり。年明け早々にも珍妙な鬼ごっこを繰り広げてくれた弟なだけに、一応の覚悟はしていた筈なのだけれど、
"気の休まる暇もないんだからな。"
 これで学校にまで影響出しやがったら今度こそ意見してやると、最後の溜息をつきながらも、可愛い弟くんとそのお友達への昼食のお給仕にと、気持ちを切り替えるお兄様だったのである。






            ◇



 忘れた頃にやって来る、このシリーズでございますが、皆様…覚えていらっしゃいますでしょうかしら。
ドキドキ とある港町の一角にある小さなグリル喫茶の『バラティエ』を切り盛りしている、金髪碧眼、長身痩躯にして、眉目秀麗、お料理の腕前も抜群という、人気マスターのサンジさんと、黒髪に童顔、それははしっこくてお元気な、弟のルフィくん。幼い頃に両親を亡くしたその時から、この世に二人きりの兄弟なんだからと、いたわり合い支え合って過ごしてきた、それは仲のいい二人なのだが。お兄様がその念願を叶えて独立し、このお店を切り盛りするようになり、経済的にも精神的にも生活に余裕が出来て幾年月か。可愛い坊やがとんでもないことへ傾倒し出したもんだから、お兄様の焦ったこと焦ったこと。

  「『大怪盗"大剣豪"を追え!』だと?」

 明るくて行動力もあることから学校のお友達も多くて、結構"人気者"な弟くんだが、そのお友達を引き連れて…春休みの真っ只中に何をやっとるのかというと、自主製作のビデオ映画を撮影していたらしい。
「うんっvv かっけーだろ?」
 ご本人は胸を張っての大威張りだが、
「…"かっけー"?」
 こらこら、お兄様。
「カッコいいって意味だよ。」
 これだから年寄りはイヤだなあ、誰が年寄りだ…と、似てない兄弟がささやかにこづき合っていた昼下がりの休憩中の店内へ、

  「聞いたわよ〜♪」

 なめらかな甘いお声が乱入し、裏路地の勝手口から入って来たらしき若い女性が、そのままカウンター前のスツールへと腰掛ける。シルキーピンクのカットソーに淡い茶褐色のバックスキンのジャケットとオイルコーティングの利いたミニスカートという、いつもながらに軽快ないで立ちの彼女は、
「ナミさ〜んvv
 お兄様がいつもいつもその水色の眸をハート型にして歓待する魅惑的な美女にして、実はここいらをテリトリーにしている"情報屋"さん。普段は少女のように屈託の無さげな、きっぱりカラッとした物言いをする人だが、これでなかなか…女性ならではな手管も沢山秘めているとか。だのに…そういうものには一切頼らず、その筋の情報収集力や駆け引きの巧みさではベテラン顔負けの記憶力と度胸を繰り出しての絶妙な手腕を発揮出来るというから物凄く、ここ『バラティエ』もまた、実は…そんな彼女の"仕事先"の一つなのである。………で、
「聞いたって、何をです?」
 今日は朝から気温も高いからと、スマートな型のグラスへ手際よくクラッシュアイスをさらい込み、鮮やかに手早くも淹れたての紅茶を注ぎいれたマスターさんが小首を傾げたのへ、
「ルフィが撮ってる映画の話よ。あいつがモデルだって言うじゃないvv
 こんな楽しいトピックスはないと、クスクス笑っているナミさんへ、
「…笑い事じゃあありませんよ。」
 今さっき、それを持ち出していたところなだけに、しかも叱ろうとしていた矢先だっただけに、楽しいじゃないと浮かれているナミさんだということへも、あまりいいお顔が出来ないでいるサンジであり、
「何でだよ。」
 その映画の監督を務めているらしきご当人としては、
「別に正体を仄めかすようなことは一切出してないんだぜ?」
 単なる娯楽活劇じゃんかと、柔らかそうな頬をぷっくりと膨らます。そんな言いようをする弟御へ、
「あのな…。」
 サンジが苦々しげな顔になったのは、
「それは当たり前の基本だろうが。」
 そうじゃなくって、

   「そんな題材の作品なんざ、
    学校行事の中で上映させてもらえる筈がなかろうがって言ってんだよ。」

 ちったぁ頭使って考えろと、新しい紙巻きに火を点けて咥え直したお兄様だったが、
「…? なんでだ?」
 キョトンとして訊き返して来るルフィには、
「………☆」
 兄上が絶句し、ナミさんがぷぷっと吹き出したそのまま小気味のいいお声で笑い出してしまったほど。

  "あの野郎もあの野郎だっ!"

 自分にまつわるこんな騒動、何で気がつかねぇんだよと、今ここに姿のない誰かさんへ、いつにも増しての憤怒をたぎらせるお兄様だったりするのである。








            ◇



 ルフィが仲間たちとの自主製作ビデオとやらの題材に選んだ、怪盗"大剣豪"というのは、どこぞの作家の頭の中で生を受け、小説や映画などで活躍する"架空の存在"ではない。ここ数年の間、この港町を中心に主に山の手のお屋敷町や企業の本社社屋などにて跳梁している実在の怪盗のことだ。傲慢専横な金満家やら大企業の幹部たち、悪徳政治家などなどの、不正で儲けた隠し金やら宝石、証券類などを、厳重な警備や最新式の防犯施設も物ともせず、ほとんど素手空手の単独にて侵入し、隠し金庫を易々と暴いては掻っ攫う、希代の怪盗。何処の誰なのかは依然として皆目分かっていないのだが、どうやら若い男であるらしいということと、無為な殺生は好まないらしく、それでも追っ手に追い詰められたなら、一体どこに隠し持っているやら、特殊スティール製の大太刀を振りかざして右へ左へ敵を薙ぎ倒すところから、ついたあだ名が"大剣豪"。全くもってけしからんと、管轄の警察関係者たちに歯咬みばかりさせている存在であり、
「だからサ、ゾロがそうなんだってことは全く匂わせてない脚本だのに、サンジがぎゃーぎゃー喧しくってさ。」
 兄の心、弟知らずとは正にこのこと。見当違いな方向へ"全く困ったもんだぜ"と、一丁前に肩をすくめて見せるルフィにくつくつと笑って見せて、
「そうだな。そんなことの前にだ、お前がこんなきちんとした台本を書けただなんてことの方へ疑いの目を向けるべきだもんな。」
「あ、ひどーい。」
 途端に"ぷんぷくぷー"と頬を膨らませる坊やが、なのに…ぽそんと腰掛けたのは、そんな暴言を吐いた当人のお隣り、少し古ぼけたソファーの半分こであり、
「でもサ、ホントにちゃんと気を遣ってあんだぜ?」
 ほぼ一幕ものに近い短い作品なので台本も薄い。それをぱらぱらとめくって見せて、
「ゾロが緑の髪をしてるってことも、体格のいい大人の男の人だってことも、全然匂わせてないしサ。左の耳に3つもピアスしてることとか、ベルトに剣を隠してることも、目撃情報がないではないことだけど、そんでも触れないでいるんだのにサ。」
 そうと言って見やった先、彫が深くて男臭いお顔がこちらを見下ろし、苦笑を噛みしめて破顔したのへ、

  "…カッコい〜vv ////////"

 ついつい見とれて丸ぁるい頬がぽうと熱くなる。坊やがその舌っ足らずな声で"ゾロ"と呼んだこの青年。がっつりとした上背のある、それはそれは頼もしい偉丈夫で。屈強精悍という言葉は彼のためにあると言っても決して大仰ではなく、着古されたシャツに包まれた胸板や肩にまといついたるは、機能的に鍛えられ、パワーとともに瞬発力も備わった、それは撓やかな筋肉の束だ。日頃はどうかすると着痩せして見えるほどにすっきりとシェイプされた体つきなのに、いざ"お仕事"が持ち上がれば、さしたる武装を鎧わずとも…荒くれ揃いのでっかい警備員の一団をたった一人で右に左にあっさりと薙ぎ払い、これといった道具もなしの膂力だけで十数mもの高さがある壁を楽々とよじ登ってしまえる体力自慢。
「♪♪♪」
「…こらこら。」
 いくら小柄だとはいえ、一応は高校生の坊やがごそごそともぐり込んでも、余裕ですっぽりとくるみ込んでしまえるくらいに深い懐ろなのは、上背のある彼の胸板が広く、肩も幅があって、その上 腕が長いからで。そこから見上げると向こうからも見下ろしてくれる、野生味あふれる…太々しいまでの苦みの滲んだ笑顔が、これまたとっても魅惑的vv そう。この彼こそが、この界隈に夜の帳(とばり)が落ちる頃を見計らい、颯爽と暗躍している一陣の風、一閃の稲妻、どこかの誰ぞが"大剣豪"と名つけた大怪盗、その御本人様なのであり、そして…そんな彼の"追っかけ"をしていた縁から、ややもすると強引に"弟子入り"を果たしたのが、このルフィ坊やだという訳で。

  "あいつも相変わらず、この坊主にだけは形無しだよな。"

 実は…彼のような"裏稼業"の人間との連絡
つなぎを取る仕事をこっそりと請け負っていた坊やの兄上と致しましては。弟だけは真人間として明るい道を歩き続けてほしかったのにと思う反面、それなりの成り行きがあってのことだという事情もゾロの実力や人柄もようよう知ってればこそ、断固として反対だという強硬な姿勢にて彼らの接触を禁じることも果たせぬらしく。よって続いているこの現状には、頭痛が絶えないというところかと。地回りの恐喝や恫喝、同業者からの悪質な縄張り荒らしなどというちょっかいへは、それは冷然と構えて毅然と対処出来る、文句なしの"クールガイ"なんですけれどもね。(笑) そんな彼を気の毒にと同情した訳ではないのだけれど、
「奴が心配しているのは、こんな題材のもの、公安関係者がけしからんって怒鳴り込むだろから、学校での上映は不可能なんじゃねぇのかってことへなんだろうさ。」
 坊やが考え違いをしているらしい点へ、ちょいと補足の言を加えてやり、
「…あ、そっか。」
 特に窃盗行為を礼讚してはいないけれど、それでも…主役の怪盗は、悪徳な金融業者の手から宝石を奪い返して可哀想なお嬢さんへ返してやるという"正義の味方"っぽい設定だし、警察には捕まらないという結末になっていて。成程、これでは泥棒を英雄に仕立てあげているという解釈だって出来そうだし、公安関係者を無能だと馬鹿にしているのかというクレームだって来かねないかも。
「でもサ、実際の話、今までだってこういうケースばっかに当たって来てんのにな。」
 お堅い新聞社は表現を押さえているものの、これまでに"大剣豪"がその金庫や倉庫を狙った相手はというと、ほとんど全部が何かしら黒に近いグレーの印象を周囲に振り撒いてたような連中や、行き掛けの駄賃とばかりに浚ったものをばらまいた念書の数々から、実は利潤独占目的で企業と癒着していたことが明らかになった腹黒な政治家…というよなケースばかり。だからして、近年には珍しき"義賊"扱いされてもいるくらいであり、
「文句言いたきゃ捕まえてみろってんだ。」
「おいおい…。」
 捕まってたまるかよと、坊やの無責任な発言へ小さく苦笑して見せる。さても何だか暢気な過ごしようをしている彼らであるみたいですが、今回のお話は果たして一体………?



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  *忘れた頃にやって来た“怪盗ゾロ”でございまして。(笑)
   相変わらずにお元気な坊やに振り回されてる大人たちみたいですね。
   ところで、ゾロさんは例の鬼ごっこの末、
   ピアスは無事に取り戻せたのでしょうか…?