月夜見

  “万華鏡(kaleidoscope)〜多層界奇譚



        
その一  和音



 行き交う人々が皆、殺気立ってもいなければ脂ぎってもない。疲弊し切っているでもなく、むしろ笑いが絶えない辺りを見るなら、どちらかと言えば長閑な土地な方だろか。避暑に向いていると言えるほど、夏が涼しいということもなく。真昼の陽射しはむしろ強い方かもな土地だのに。一年を通して降水量が少なく、からりとした気候が音の響きを良くするとかで、夏には夏の訪問者が多く。昔々の発祥の頃は、そんな気候と当時の宮中からの求めに応じやすかったという位置関係から、楽器職人や楽士たちが最も多く住んでおり。そこから“音楽の都市”と呼ばれて発達した街だという話も聞く。今ではそんな、宮中なんてな古めかしい言葉も苔生しており、当時と変わっていないものと言ったら…石畳に陰を落として さわさわと揺れる緑の梢くらいかも。時折吹きそよぐ風の悪戯に合わせて、降りそそぐ光の落とすモザイク模様が道や芝草の上で躍る。空気が乾いているという気候、通り過ぎるだけのエトランゼには好評でも、此処に永く住まう人たちにとっては…そうそうあんまり幸いとばかりは言えないからね。町のあちこち、広場には噴水が必ずあって。陽の光を受けてキラキラ、飛沫が舞うのが そりゃあ綺麗で。

  “…綺麗とかには関心ないんだが。”

 寛げるという要素の方は大歓迎。暑いさなか、少しでも涼しくて居心地のいい場所を探した末に。このところの昼休みの大概、そこで腰を落ち着けてるようになった“楡の広場”は。自分が毎日のように居座るようになってから少しすると、妙に人の気配が集まるところになったから。ああ、やっぱり、誰だって涼しいところが良いんだよな。万人が認めるほどの快適さを誰よりも先んじて見抜いた俺の嗅覚も大したもんだが、こうも人の密度が増えちまうと、さわさわがざわざわに転じるのも時間の問題。季節が移って涼しい風が立てば、皆して今度は暖かいところへと移動するだろから。それまでは自分が他所へ移るか? けどな、何かそういうの、面倒だしな。第一、此処を見つけて前の昼寝場から鞍替えしたのはこの春の話だ。前に居た場所がやっぱりにぎわって来たからで、昼寝の邪魔をされたくなくての逃避行。これ以上遠くなると、昼休みの内に事務所まで戻れなくなるかもだしな。ずぼら者の実のない言い訳を、誰に言うでなくぐるぐると、半分寝かけの頭の中で回していたらば。

  「……………お。」

 いつものように何の前触れもなく。どこからか聞こえて来たのは、そりゃあ楽しそうな唄声で。風になびく木葉擦れの音にも邪魔されず邪魔をせず。陽を受けて玻璃の欠片のように煌めく噴水の飛沫の、見栄えの涼しさに決して負けず劣らず、人懐っこい爽やかさ軽快さで人々の注意を惹く存在。ピアノの高音部の神経質な響きが苦手な人も居よう、人の声に近いと言われるビオラの囀
さえずりが、それでも癇に障って嫌いな人も居よう。誰にだって好みはあって、世代や性別、趣味に関心、ちょっとしたライフスタイルの差などでも音楽の嗜好というのは大きく違って来るものだのに。その、やわらかで伸び伸びとした歌声は何を紡いでも誰からも愛された。音や声には誰もが心地良いと感じる音程だか周波数だかいうのがあるそうなので、恐らくはそれを持つ子なのかも。歌詞が判らないのかハミングだったり、デタラメなLの子音の羅列だったりすることもある。アメージング・グレイスや賛美歌はゆったりと心に染み入り、ゴスペル調のソウルやレゲエは、お年寄りにも小さいながらリズムを追ってのステップを踏ませ。聞き覚えはないから、もしかして彼の作った即興かしらと、気持ちよくスウィングして聞いてた曲が、随分と後になって…お世辞にも音程は良とは言えないアイドルが出したばかりの新曲だったという笑い話もあるほどの、不思議な唄声を公園内へと響かせる、そんな不思議な人物がある。昼になるとどこからか結構な勢いで駆けて来て、まずは“暑い暑い”と噴水の縁に座ると泉水を手ですくって顔を洗い、ぶるるんと髪の先についた水気を飛ばしてから。辺りをくるんと視線で撫でる。人を探してという風情ではなくて。見たものか、それから連想したものか。あるいは直前に聴いたものか、若しくは何かが重なって蘇った去年の思い出か。すうと大きく息を吸い、まるで風に押し出されて静かな湖へと、なめらかに泳ぎ出る葦の舟。力まず照れず、勝手気ままの おおらかさで。正しくの自由奔放に唄い始める少年がいる。どこの誰とは知らないし、わざわざそれを訊く者もない。此処がオフィス街の只中だという場所柄、誰もが昼休みが済めば職場へ戻らねばならない身で。関心はあってもどこへ帰るのかと、彼の後を追う者までは出ず。皆の宝物、秘密のまんまでも良いじゃないかと、暗黙の了解、誰も訊こうとはしないで、ただ歌声だけを堪能している。今日は古い映画のテーマで、何度かテレビでもオンエアされてた、CMにも使われてた名曲だ。
“なんてタイトルだったかな。”
 ロードショーで見たほど、自分は年寄りじゃあないけれど、聞けば歌詞が浮かぶ程度には馴染みがあって。でも、彼はそうは行かなかったか、適当なハミングでのご披露となっており、そんなにも年齢が違うのかなと、苦笑が漏れる。
“姿までは見たことないしな。”
 声の幼さ、伸びやかなところ、無邪気な響きから、まだまだ子供の域を出ていないような少年なんだろなという目星こそ指していたが、それ以上の関心はわかない。誰にでも同じこと。自分の身だけで手一杯で、関わった人のこと、何かと覚えてなきゃならない義務感が厭わしく、気がつけば居眠りの振りが身についてた。用のない奴は自分へ関わるなという無言の意思表示。少年が此処に駆けて来てどんな所作を見せるのかの一部始終を知っていたのは、たまたま傍に居合わせた、カフェテリアの店員風の女性たちが彼についてを話していたのを聞いたせい。それを覚えていた自分だったというのは、よくよく思えば…近来には随分と珍しいことだが、そんなこともどうだって良いこと。噴水脇、細い柱で中空の高みに据えられている小じゃれた時計が、1時を告げる鐘を清かに鳴らせば、少年の声も途切れて人々も腰を上げ、職場や店へと戻ってゆく。心地の良いまどろみの中にたゆたっていた意識が、少しずつ覚めていた最中に、

  ――― pi pi pi pi pi pi pi ………。

 チッと舌打ち。判ってるサ、帰りゃいんだろと。受信したと同時に電源を切れば、事務所へ戻った途端にキーキーと怒鳴られることまでもが想起され、それへの忌ま忌ましさで眸が冴える。どうせ暇だってのにな。販路開拓とか言って出掛ける間の留守番、腕っ節の立つ“用心棒”がほしいだけだろがよ。ぶつくさ思いつつベンチから起き上がり、腕を頭上へと伸ばしながら“くぁ〜〜〜〜〜っ”と大欠伸を空へ放てば、

  「うわぁ〜〜〜っ、でっかい口だ。」
  「ああん?」

 伸びをした反動、自然と双眸を閉じていた。何だ?と眸を明けたら…意外なくらいの間近にそいつはいて。こんなでっかい眸ぇ潤ませてて、でもって口許は妙ににまにま笑ってやがる。いかにも子供って匂いのする顔立ちと、でも、腕脚の長さはぎりぎりで中等院生くらい? 犬っころみたいな奴だなってのが第一印象。俺の間近へ、こんなほんわかしたムードで近寄る奴なんて、久しくいなかったしな。
「何だ、お前。」
 問えば、大きな双眸を一時だけ細めて、
「俺はルフィ。」
 にししと、楽しそうに笑って応じた。そしてそのまま、俺の傍ら…ベンチの隣りへ、膝から乗り上がったまんまの態勢でこっちをじっと見てやがる。名乗ったから返せって事だろか。
「あ〜〜〜、俺は…。」
「知ってる。ゾロ。ロロノア=ゾロだ。」
 ……………お? 何でだ? 俺はそんな、こっちから見知ってないガキにフルネームを覚えられるような有名人じゃねぇぞ? 用心棒は言いすぎだが、そんでも事務服だの制服だのも着ちゃあいないから、名札を見ましたってなオチじゃなかろうし。にまにまと楽しそうに笑ったまんまなその坊主は、
「この公園には長く居るみたいだからさ、俺も安心してたのに。人が増えたからって、勝手に河岸
かしを変えたりすんなよな?」
 探すの大変だったんだからな。ちょっぴり恨めしげな上目遣いにて、そう言って。ベンチから身軽にぴょいと飛び降りると、じゃあなと手を振り、くるりと背を向け。止める間もあらばこそ、たかたかたかたか………と、一気に駆け去ってしまったお元気さよ。こっちはティーンエイジャーに比べりゃ立派な年寄りなんだから加減しなと、そんな柄にない罵倒句がついつい飛び出しそうになったほど、そりゃあ鮮やかに置き去られ、

  「………何なんだ。」

 木洩れ陽のモザイクを海の中に見立てれば、さっそうと泳いでゆく小さな背中はぐんぐんと遠ざかるばかり。呆然と見送りながら呟くように投げかけた一言へと応じるように、
『俺はルフィ。』
 そうと答えた彼の声を思い出し、

  「……………………………………あっ!」

 そうだ、さっきまで噴水の傍で唄っていた少年。伸びやかで溌剌とした声は、張りがあってよく響き、かといって喧しくはなく、むしろ心地良い歌声の…。


  「そうだ、あれって“雨に唄えば”シンギング・イン・ザ・レインだ。」


 こらこら、思い出したってのは そっちかい。
(苦笑)









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 *ちょっとした思いつきで書いてみました。
  新しいパラレルっちゃあそうなんですが、
  狙いが微妙な代物なので、この設定のまま…続くのかなぁ?
(こらこら)
  いやホントに、全っ然 筋立てとかいうのは考えてませんでね。
  アメージングな線を何とか頑張ってみますです。