月夜見

  “万華鏡(kaleidoscope)〜多層界奇譚 A



        
その二  調律



 この町は“水の街”という異名を持つ総合都市で、どちらかといえば観光が産業の主体となっている街なのだが、そういった施設を支えるための人々が住まう一般居住区が、他の街のように周辺の外延エリアに追いやられてはいない。ちょっぴり古風な石畳の街路。ガス燈を思わせるような、アンティークばりのデザインの街灯に、古レンガや石積み風の建材で外装を統一された家々。おとぎの国の佇まいを思わせるような、この街独特の雰囲気を壊さないことという、建造物の外観に制限がある地区だからというのもあっての成功なのだろうけれど。外来の客人たちを招き、徹底して俗世を忘れて憩いのひとときを過ごしていただくという趣向を持つ、ホテルや遊園地、カジノにクラブ。そういった娯楽施設をたんと抱えた、俗に言う“観光地”と一般生活エリアとがこうまで間近い区域や町は今時には珍しい。何でもここは、歴史のある古代都市が土台になっている場所だとかで、それを発掘研究するためのでっかい学術都市があったらしい。だが、調査が一通り済んで以降はもうほじくり返す必要もなくなると、そこはたちまち、結構な広さのある、整備を済ませた状態の更地に過ぎなくなり、土台をいじらないこと、土壌を汚さないことという条件下に競売にかけられ、そうして生まれたのが現在の街。最初は単なる商業地だったものが、周辺に次々とエンターテイメント性の高いパークエリアが開発され、きっちり整備されていた交通網という地の利のよさと相俟っての人の行き来を間近に見るようになるにつけ、それじゃあウチは、あくまでも“癒し”を狙った施設を整備してみようかと緑の公園やそれを巡る水路なんぞを構えたところが、目先の新鮮さが大当たりして人気を博した。さすがに、カントリー調の古風なエプロンドレスを来たご婦人や、麦ワラ帽子にオーバーオール姿の職人さんや農夫さんが行き来するほどまでの徹底はしてないものの、冷たく無気質な“真四角”の建物の中で、時間に管理され、コンピュータ操作に明け暮れている日常を送る一般の人々にしてみれば、ここの風景は心休まるどこか懐かしい雰囲気に満ちているというところかと。


  ――― そうは言っても、
       住民全部が観光客へのアトラクションキャラだという訳にもいかなくて。


 いつものそれとは少々違った終わり方をした昼休憩。奇妙な小僧に馴れ馴れしくされたことを、あれは一体何だったんだろうなと胸の隅っこにて転がしつつ。いかにも自由業と言わんばかりの砕けた風采をしたゾロが、のったりのったりとした歩調にて のんびりと戻って来たのは、運河沿いの小さなお家。一見すると石畳みの似合う町並みに溶け込んだ、いかにも古風な民家に見える、どこか素朴な外観をしているが。オートが当たり前の今時には奇跡的な“ドアノブ”を回して入った土間の“エントランス”を通過して、もちっと小振りのドアを入れば、
「遅いっ。」
 鋭い一声と共に、分厚い電話帳が飛んで来た。大昔のそれなら紙の綴りものだったらしいから、上手く当たればさしたる怪我もなかっただろうが、今時のそれは軽合金のカバーつきの、シャープなデザインのブックタイプの電子端末だから。当たれば相当痛いし、かといって避けて壊しゃあ通信局に弁済せねばならなくなる。勿論、弁償させられるのは自分だろうからと、風を切って飛んで来たモバイルをはっしと受け止め、
「何だよ、留守番しときゃあ良いんだろ?」
 鍵も持ってんだから、戻ってくんのを待つこたない。とっとと出掛けてろと煩げに手を振る彼へ、電話帳を投げて来た、この事務所の女主人がすっぱりと言い返す。
「違うの。今日の依頼はあんたにって代物なのよ。」
「………あ?」
 何だか妙な段取りを聞いた気がして、眉を寄せつつ短く刈られた髪の乗った頭を掻き掻き、
「冗談はよせよな、ナミ。」
 仮にも雇い主へ、それはそれは大上段からのお言葉を返している。
「俺はここの留守番兼任用心棒ってことで雇われてんだぜ? ここの業務へって雇われた覚えはない。」
 契約した就業内容とは違うじゃねぇかと、そりゃあ偉そうに言い返して来た従業員へ。まだ結構うら若きオーナーさん、今度は叱るでなく怒るでなく。仄かに口許へと笑みさえ浮かべるほどの余裕でもって、
「何、言ってるの。ここの留守番なんて比較になんない収入なのよ?」
 すっぱりと言い返していらっしゃり、
「ボディガードってのは何か資格が要んじゃなかったか?」
「警備会社としての看板を出すのなら要るのかもね。」
 あくまでも引かない構えらしい所長さん。ここは所謂“人材派遣”という会社や事務所ではない。近年流行の“アウトソーシング”を支えるため、その場その場でリクエストにあった人材や工場などを探して来てはマッチングする、言ってみりゃ“ビジネス・コーデュネイト”という形での仲介が本業の事務所の筈で。だからこそ、専門職だろうが一般職だろうが、即座に派遣出来るようなお抱えの社員は“いなくて当たり前”という形態でもあるのだが。

  「アウトソーシング?」

 事業活動の一部を外部の企業に委ねること。例えば、設計企画だけを自社で担当し、製造は他所へ依頼。そうして出来た製品を、自分の会社のブランドとして販売する…というシステムなんかがそう。そうすることで、得意分野にのみ精鋭を集めて集中出来、良品を生み出せるのに経費節約も出来て一石二鳥…というコンセプトならしい。勿論のこと、製品の品質責任も分担した上ではあるから、信頼関係があってこそ成り立つ代物で…って。
「だから。警備担当ではあれ、ウチの社員なんだったらそのくらいは知っててよね。」
 こいつは〜〜〜っと目許を眇めた所長さん。デスク前からすっくと立ち上がると、小さなポーチを手に、そのまま今彼が入って来たばかりなドアへと足を運ぶ。
「ほら、さっさとついて来なさい。」
「服務規程にないってのを笠に、断ったらどうなるんだ?」
 あくまでも粘るらしきお相手へ、ショートカットのオレンジ色の髪を乗っけた頭だけを、肩越しにこっちへ振り向けた所長女史。

  「あんた、あたしにそんな口が利けるの? ゾロ。」

 一気に冷めた眼差しが、そりゃあ鋭く見据えて来て、
「居酒屋の借金に、前に住んでたアパートの家賃。それから、喧嘩で色々とぶっ壊したり、巻き込んで怪我させた人たちへの様々な賠償の支払い。あたしが一括して肩代わりしてやったそのどれか1つでも、きっちりと払い切れているのかしら。」
「〜〜〜〜〜。」
 小さな事務所で、従業員も留守番役のボディガードが一人だけ。だってのにこの事務所、いやさ、この女性。とんでもないほどの顔の広さと、そんな関係筋へ巧みに構築したらしき“信頼”とで、この業界ではトップクラスの業績を誇っており。何と外務省の関係者までが、彼女の人脈を頼ってくるほどというから恐ろしく。
「さ、急がないと。時間厳守はビジネスの基本なんだからね。」
 ほれほれと。細い顎のひとしゃくりで、こんな屈強な男衆を言いなりに出来る頼もしいお姉様。その細い背中へと唯々諾々従いながらも、

  “こんの金の亡者めが〜〜〜っ。”

 大地震やハリケーンが来襲したり、まさかまさかの突然変異で山のような怪獣でも襲撃して来て、借金が吹っ飛ぶほどの事態にでもなったなら。契約も借用書も何のそので、見捨てて逃げちゃるからな…と、今時小学生でも思いつかないような不毛ことを、その分厚い胸の裡(うち)にて堅く誓ってしまう、腕っ節だけ自慢のお兄さんだったのでございます。






            ◇



 管理された街、管理された社会。便利で快適なシステムで固めたはずが、けれども息が詰まるから。人々はこの街のような懐古の街を訪れてはそこに吹く風を、水路に弾むせせらぎの音や、木陰を緑の風が流れる瑞々しい環境を求める。大きく伸びをし、胸一杯に爽やかな空気を吸い込む、深呼吸がしたくなる。最新鋭の何やかやへは規制や審査が厳しいが、こういう、一種“アコースティック”な娯楽への規制は緩いのも、そういう“自然回帰”を推奨すれば“心優しく、余裕がある、文化的先進な”政府や国家であると、今時には称賛されるからだろう。一旦、人知の叡知を極めた素晴らしき科学力や文明で世界を制覇し、自然界さえも凌駕した立場であればこそ。便利になり豊かにもなり、時間が余っているからと、趣味のガーデニングでも始めるかいとばかりに振る舞っているかのようで、

  『無駄と贅沢は紙一重ってのは昔から言いますが、
   ゆとりや余裕から、リラックスなり癒しなりを求め始めた傾向自体は、
   決して悪いことではありませんからね。』

 そんな言いようをした青年プロデューサーが抱えて来たお仕事もまた、しゃかりきになる時代を落ち着かせたからこそ発展した分野の代物だったっけ。この街が推進しているような“スロー・ナチュラルな癒し環境”を看板にした観光系事業と同じくらいの優遇や好感を近年になって受けているのが、実は音楽産業界の歌唱部門。今時には電子音やデジタル技術により、どんな声も楽曲も、そりゃあリアルでクリアに再生が可能になったのに。それでも人は肉声、所謂“生の声”を懐かしむ。カーボンディスクや磁気テープ、アナログな媒体と再生器が廃れないのもそんなせい。演奏者の体温や息遣い。数値では割り出せぬ気配だからと、デジタルから削ぎ落とされた小数点以下のにじみやぼかし。余韻や残響。フレキシブルな存在だからこそ、実は機械よりも優れていた人間の感覚が、機械では拾えないと諦めた“余燼”をこそ大切な味わいだったのだと後から思い知り、あわてて育成や保護を復活させたものの、手法はともかく素材となると、鍛練だけでどうにかなるものでなし。逆に言えば、少しでも人々の心の琴線へ訴えかける力のある歌姫や絶唱いみじきマエストロたちは、奇跡の声を持つ歌手と誉めそやされて伝説の人となることも夢ではない。

  「お噂はかねがね。」

 一応は爽やかなレモンイエローをアクセントに使ったツーピースという、かっちりとしたいで立ちでいたナミだったから、その連れということでゾロのかなりラフななりへもかなり目を瞑っていただいて。二人が揃って通されたのは、この街でも最高級のホテルのロビー。いかに“ボディガード”や“ただの連れ”といった“おまけ”であれ、普段着並みの砕けた格好をしたゾロであるのへ、どうしたものかと困惑し、少々口許を歪めていたナミを、
「どうかお気になさらずに。」
 今回の依頼人であるのだろう、こちらもまだまだお若い青年が、どこにも隙のない濃厚な笑みをもって迎え来て、訪れた二人を窓辺の明るい席へと誘(いざな)ってゆく。さらさらとした絹糸のような直毛の金髪に、質のいい宝石を思わせる、深色のまま透き通った水色の瞳。洗練された所作のいや映える、すらりとした長身痩躯の若き実業家風で、差し出されたパーソナルカードには、世界的に有名な音楽レーベルのマークが刷られており、
「私はサンジェスト。この東地区での営業展開の総括と、この度のプロジェクトの総指揮を任されております。」
 外部の人間への依頼だからだろうか、それとも、相手が凛とした存在感を放つ魅惑的な女性だからか。それは丁寧で手厚い態度と対処をと、心掛けているらしい青年であり、
「ムーブメールでお顔を拝見したよりも、数倍もお美しい方ですね。」
 よくもまあ、本人を目の前にして、そんな歯の浮きそうなことが言えるよなと。連れのゾロが…無言のままながらも、あからさまに“ケッ”とでも言いたげな顔をしたものの、
「そちらが、お話し下さった彼ですね?」
 面倒なもの余計なものはあっさり流せる鷹揚さもお見事に、そんな彼へも揺るぎない視線を差し向ける強腰はおさすがで。
「ええ、はい。」
 音がしそうなほどにっこりと、営業スマイルを浮かべたナミへとソファーを勧めると、美貌の若手プロデューサーは、傍らに置いていた薄いファイルをブロンズグラスのテーブルへとすべらせる。
「何しろ我が社の極秘プロジェクトですので、全てをお話する訳には参りませんが。」
 そうと前置いて彼が開いたファイルには、カラフルな図やグラフ、その筋の専門用語なのだろう、ポップな字体で強調された…素人には見慣れない語句などが散りばめられた、パンフレットや資料が数枚ほど挟まれてあり、
「単刀直入に言えば、来月にもウチのレーベルからデビューさせる予定の子の、身辺警護をしてほしいのですよ。」
 そうと言って、顔を上げたサンジェストとやら。ずっと見やっていたナミではなく、ゾロの方へと移された視線が…意外にも。内心での蔑みやら見下しやらを全く含んではおらず、むしろ…妙に和んだものだったのが、ゾロには少々居心地が悪かった。
“何だ? こいつ。”
 ナミが此処へ来る前にも“ボディガードを依頼された”と話していたから、この青年にも“担当するのはこの自分だ”という話は通っているのだろうけれど。それならそれで、たかが派遣社員か何かだろうよという応対があると思っていたのだが。
“まさかに、妙な嗜好がある野郎じゃなかろうよな。”
 こらこら。(苦笑)寄越された視線はほんの一瞥のようなもの、すぐにもナミへと注視が戻ったので、何となくホッとして息をつく。
「デビューと言ってもCDを出す訳ではなく、電波に乗せてのTVやFMなどへの露出もしません。あくまでもWeb上でだけの宣伝をし、フルコーラスは神出鬼没の“サプライズ・ライブ”でしか披露しません。」
 その新人歌手の歌声を、ライブ会場で生で聞いてもらう。それがこのプロジェクトの中心であり、既に様々な企画とのコラボや協賛を得ていて、あとはライブそのものを開催するのを待つばかりという段階にまで煮詰められている、結構大掛かりなプロジェクト。本社や幹部の方々からどれほどの期待を受けての進行であるのかを易々と知らしめる、意気揚々、自信満々な物腰や口調に、珍しくも押されかかっていたナミではあったが、
「…あの。」
 気になる点があったらしく、ここで口を挟むことにする。
「ということは。そんな大きな企画の主人公さんの護衛、ということになりますよね?」
 しかも“子”という表現をしていたからには、その新人さんは年端もいかない若い人だということで。
「アイドルタレントや繊細なお嬢さんなんかの護衛でしたなら、こんなむくつけき男では支障があるやもしれません。」
 もっと洗練された人材にも心あたりはありますよと、たいがいの相手へは強気な彼女には珍しくも、言われる前からの妥協を示す。何しろ…喧嘩の腕っ節には太鼓判を押すけれど、その分の偏りか、と〜に〜かく大雑把で無神経な男なだけに。こんな大レーベルがバックアップしているような歌声の持ち主を、守るどころか…彼本人の言動でもって神経衰弱状態にしかねなく。
“そうなったら、どれほどの賠償を求められることやら…。”
 彼女には一番判りやすい“リスク”換算。それへの黄色信号が、敏感にも灯ったらしくての発言だったのだけれども。
「ああ、それならそれこそ心配は要りません。」
 サンジェスト氏はやっぱり“にっこり”と笑って見せて、
「ガラス細工のようなお嬢さんではありませんし、むしろ、体力のある方、度胸のある方の方がいいんです。」
 くすすと笑ってそれから、こほんと咳払いをし、
「それはそれは奔放で活動的な男の子でしてね。神経も逞しくって、多少のことには驚きも怖がりもいたしません。むしろ、じっとしていることが苦痛っていう、一昔前のわんぱく小僧そのものみたいな子なんですよ。」
 依頼対象、イコール、大切な企画の主柱でもあろうに、結構な言いようをしとらんかと、ゾロのみならずナミまでもが、怪訝そうに眉を寄せて見せたところへ、

  「あっ! ゾロだっっ!」

 後方から投げつけられたお声には、いくら大雑把な彼であれ、そう早くは忘れないだけの聞き覚えがあって。直接話を進めていた二人から、少しばかりの間を取って腰掛けていたソファーの上。立ち上がるほどではないながらも、部外者に当たろう声の主へぐりんと顔を向けたのと、
「こら、ルフィっ。」
 ナミの前だからというだけに止まらず、ゾロに対してまで。完璧なまでの型通りな、慇懃な態度を通していたはずのサンジェスト氏が、打って変わってのやや強い声を放ち、そして、
「…わっ!」
「やっほうvv」
 ひょ〜いっと、ソファーの背を軽やかに飛び越えて来た小さな存在が、そのままぱふりと、ゾロの胸板へ飛びついている。鳥の羽根みたいに軽い、日向
ひなたの匂いがする少年。まとまりの悪い真っ黒な髪に、こぼれ落ちそうな大きな眸。いかにも成長過渡期の、伸びてる途中という微妙なバランスの四肢をした、今日は二度目のご対面と相成った“広場の少年”が目の前、自分の懐ろにいる。

  「案外と早くに逢えたんだな。」

 待ち切れなくて挨拶しちまったのがフライングになっちったぜ、と。そりゃあ嬉しそうに笑ってる。間違いなく、ついさっきの昼休みに緑地広場で逢った子供だ。屈託のないやんちゃそうな、お元気な子供。自分から寄って来て、自己紹介をし、
『知ってる。ゾロ。ロロノア=ゾロだ。』
 教える前から、こっちの名前を知っていた子供。他人のことは言えないが、彼もまた、こんな格式高いホテルのラウンジに入れてもらえはしなかろうほど、砕けた恰好をしている模様で。だというのに、こんな奥向きまで。追い出しにかからんというロビー係のつけ馬なしにやって来れたということは。

  「この子が今話していたウチの秘蔵っ子です。」

 先程ついつい声を荒げたこと、取り繕うように苦笑を浮かべて、改めてのご紹介をされた男の子。彼が護衛の対象だと聞かされて、ゾロとしては納得がいったことが半分、ますます謎になったことが半分と相成った。









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 *一話目だけ書いてから、随分と放っておいてしまいましたね、すいません。
  どんな展開になるやらですが、
  首を傾げつつも、どうかお付き合いくださいますように。