その三 アルペジオ
今日からその傍へ付けられることとなった、頼もしき“ボディガード”さんと共に、さっそく“ご近所への外出”へと洒落込んだ、小さな“仮面のアイドルくん”な坊や。まるで、お待ち兼ねのお散歩にやっと出された仔犬みたいに、見るからにご機嫌だと判るよな、はしゃいだ足取り。屈強な青年の前になり後ろになり、テラコッタの赤レンガが敷かれた道を歩いた。
「“水の街”なんて呼ばれてんのな、此処って。」
「まあな。」
街のどこに居たって眸に入る、涼しげな噴水と清流をたたえる水路。その恩恵でだろう木立ちや茂みといった緑もまた絶えない、そりゃあ瑞々しい街で。思いっ切りの深呼吸をってのがキャッチフレーズ、キャンペーンのシンボルマークは図々しいことに“七色の虹”だったりする徹底ぶりだが、
「何も知らないままに来た観光客だって、一カ月、いや、半月でも滞在すりゃあ、真相にすぐ気がつくもんなんだがな。」
滅多に雨が降らない、ホントは極めて乾いた土地だということ。様々に文明や科学が進んだ今よりもずっと、工夫も技術も遅れていたに違いないのに何でまた。太古の昔、海路からも遠い内陸の、砂漠も同然なほど降水量の極めて少ないこんなところに、ひょっこりと大きな町があったのか。どうやら地下水脈には気づいていたらしい、深く掘り下げられた井戸や水道の遺跡は残っているのだが、それでも。陸路には大した交通手段もなかっただろうに、よって物資の流通も盛んでもなかっただろうに。手近な耕地も持たず、結構大きかったらしい“都市”をどうやって人々は支えて暮らしていられたのか。それを調べるためにという、徹底した遺跡調査のためだけの学術都市…の、此処はその“成れの果て”だということが、都市史では最初の方でそりゃあ誇らしげに書かれてあって。そっちでの用が済んで以降は、何せ辺鄙な地だっただけに、平凡なベッドタウンと化すか、それとも打ち捨てられて寂れるかと思われもしたものが。とある大きなコンツェルンがここいら一帯の土地を買い占め、宿泊出来るリゾート施設を幾つも建てた。各地にあった系列の高級レストランやホテルの、またヒーリング・スポットで開設していたエステの、成功例のノウハウをすべて集約して持ち込んで。そこへの交通には、自前の鉄道会社の線路を引いて直行便を走らせて。見る見る内に華やかな一大アミューズメントタウンに仕立て上げたから、さあ、そうなると周辺地域も暢気に寂れている場合ではなくなり。空気の乾きを見込んでの、このデジタルな時代にも関わらず楽器の“生音”を求めるコアなマニアによる録音スタジオくらいが僅かばかりあっただけだった街が、いきおいガラリと持て囃され出したという顛末は、前の方の章でもお話ししたような。
「遊興の街とか不夜城とか呼ばれてた、歓楽街の代表の“ラスベガス”だって、砂漠のど真ん中にあるのに、やれドでかいプールだの噴水だの、水を惜しみなく使うアトラクションだのがオプションでついてる、そりゃあ大きなホテルが林立してたっていうしな。」
例えば、人気ビーチの間近に建つ一流ホテルには、自前のプライベートビーチがありながら、そこを望みつつ泳げる淡水プールをも持つ…なんてのがザラにあり。浜辺に程近いという立地だってことは真水の確保も結構大変な筈なのに、それをおくびにも出さず、若しくはそれも料金に入ってるんですよということなのか。そうやって…雑踏の喧噪から逃れたいセレブな方々が、金で買った静謐の中、羽伸ばしに集まってくる訳だけど。それと同じ理屈で、とんでもないほどの維持費・管理費がかかっても、それを余裕でこなせる=ゴージャス・リッチな施設なんですよという仄めかしにも通じるのが、このふんだんな水の使いよう。なるほど、ごくごく普通の住宅地としての開拓しか考えてなかったならば、とてもじゃないが利用と供給との採算が合わず、それがために…こうまでの規模や発展は見込めなかったろうし開発もされなかったに違いない。ホテル周辺区域は勿論のこと“観光エリア”になっていたが、てってこ・たかたか、それはお元気に、弾むように歩く坊やの足は、自然といつもゾロが過ごしているところの…この子と出逢ったあの“楡の広場”がある公園へと向かっており。厳密に言うなら“お散歩”で収まる距離ではないかもしれないほどの場所。だっていうのに、そこへと連日のように足を運んでは、話題になるほどあれこれと歌っていた彼だということになり、
“何とかってプロジェクトは結構大きいそれだって言ってたのにな。”
そういうのって、打ち合わせじゃ何だと忙しいもんじゃねぇのかよ。それとも当事者本人は案外と暇なもんなんだろうか?と、今更ながらに怪訝に感じたゾロだったが。それを言うなら、もっと不思議なことが。どうしてまた、その歌声を貴重な商品とされるような、今回の大掛かりな企画の主柱である対象へ、こんな…体力しか取り柄がないような男を護衛にしても構わないとしたサンジェスト氏だったのか。
“まあ、こんだけ腕白ではなぁ。”
ホテルから勝手に抜け出しては、あの“楡の広場”まで。交通機関もさして使わず、お気楽に散歩していた、活発極まりない少年で。
『既にあなたと顔見知りになっていたように、どこなと行っては不用心にも歌いまくって、様々な場所で衆目を集めて回ってるっていう話ですし。』
そんな彼の傍らに常に付いていようと思ったら、成程、確かに繊細さよりもまずは体力が要る。だから、
『はっきり言いますと、護衛というよりも見張りってとこですかね。』
まだまだ顔も名前だって公けには広まっていませんしね、だから、誰ぞから狙われるというような危険なことが襲い掛かるなんて可能性は無いに等しい。それよりも、この子本人が何かしでかして、周囲の方にご迷惑をかけないか問題行動を起こさないかの方が、私にはとてものこと心配で心配で心配で………。
『あっ。ひっでぇな、サンジ。』
ちゃっかりと、そのままゾロのお隣りに座を占めた少年は、そんな言われようへとさすがに腐されたのだと感じたか、率直な反応で口許を尖らせる。
『サンジ?』
何が何やら、状況が一番理解出来ていなかったナミがきょとんとした顔を振り向けた先では、
『ああ。あの、私の通称なんですよ。』
金髪の美丈夫プロデューサーが苦笑をする。サンジェスト=バラティエ。ファーストネームを、さらに縮めて“サンジ”と、血縁以外ではこの坊やだけが自分をそうと呼んでいるのだと説明しつつ、さりげなくながらも“メッ”という目顔での叱責を坊やに向けた彼であり、
『成程、ねぇ。』
極秘プロジェクトとやらのチーフらしきこの青年へ、そうまで親しげに懐いているのなら。この子が自分を知っていたのは、護衛を頼んだという話を聞かされ、その時に素性まで伝えられたからだろうと思われたものの。ゾロがそれを告げたところが、
『それは違いますよ?』
Mr.バラティエは、それこそ“意外だ”と言いたげに、綺麗な青い瞳を大きく見張って見せた。
『確かに、護衛をつけるという運びについての説明はしておきましたが、それがどこの誰になるのかまでは、今日の今日まで私にだって知りようがなかったことですから、彼へと話しようがありません。』
それへはナミも“うんうん”と頷いており、
『対象によってはネ、例えば女性の方がいいって場合だってあろうから、あんたが請け負うのだとまでの詳細は、まだお話ししてなかったわよ?』
――― それでは、どうして?
解けたと思った謎が、再びの“未解決”へと逆戻り。ささいなことにはこだわらない性分なことへは重々と自覚があったし改めるつもりもないほどに豪気なゾロでも、こればっかりは…少々居心地が悪かった。何せ、
「言ったろ? 俺、ゾロんコト知ってるって。」
くすくすと笑う訳知り顔のガキ。どう見てもまだ中等院生くらいの年頃だろうに、これほどまでに屈強精悍で大柄の大人を相手に、まるで同い年の遊び相手同士ででもあるかのように、タメの口利きをし続けており、しかもしかも、
「思い出せとは言わないけれど、
そんなつれない顔ばっかされると、やっぱ落ち込むよな。」
それってつまりは、この天真爛漫な坊やとゾロと、どこかで知り合いだったということですかい? ちょいとお行儀悪くも、後ろ向きになって歩きつつ、そうまでのこと、言って下さる坊やだったけれど、
“確か、探すの大変だったんだから、なんてことも言ってたよな。”
つい先程のお昼休み。楡の広場でお初に顔を合わせた時にも、
『この公園には長く居るみたいだからサ、俺も安心してたのに。
人が増えたからって、勝手に川岸かしを変えたりすんなよな?』
あれは一体どういう意味の言葉であったのか? ずっとずっとこの自分を探していたとでもいうのだろうか。くどいようだが面識はない。年下と唯一 同じ敷地で過ごすことになろう“学校”にも、実を言えばまともに通ったことがない身のゾロなので、今時には珍しいほどの“天涯孤独”にして身寄りも知己も持たない、文字通りの“一匹狼”という身の上であり、
“怖いもの知らずな坊主ってだけの話なのかね。”
もう1つの可能性、自分がどこやらの筋で本人にさえこっそりと人気を博していて、この子はその筋のマニアかファンだとか。
“………それは一番あり得ねぇ話だし。”
あり得ないったらないと、本当にブンブンとばかりに大きくかぶりを振って見せてから。“………何なんだかな。”
どうにも謎めいた言いようばかりを並べてくれるもんだから、しまいには何だか面倒になって来た。どうせこの子は一時的な預かり物。そう、自分は“お仕事”でその傍らについているだけの存在だと、何とか頭を切り替える。その歌声をビッグレーベルの大きなプロジェクトの核にとに見込まれているほどに、感受性が豊かで、無邪気な子供。空が青いね、いい天気だね、そんなどうでもいいことにまで屈託ない意見をいちいちと述べ上げるような相手の言動へ、いちいち好奇心を持ってどうするかと、気を取り直し、
「そうかい、そりゃあ悪かったな。」
適当に相槌を打つと、たちまち“むむう”と膨れる少年で。
「もういいっ!」
「あ、こらっ!」
振り切るみたいに身を翻す。軽やかな足取りで石畳を駆け出した小さな背中、オーバーシャツが風を孕んで、まるで帆船の帆のように膨らみ、しなやかな肢体は新緑の中に風のようになって溶け込んで。見失うのは簡単にも思えた。見失っては仕事にならない。乗り気ではなかったとは言え、ナミには頭が上がらず逆らえない立場だし、それに…こんな小さな男の子、この土地の人間でないなら尚のこと、土地勘だってなかろうから。携帯くらいは持っていようが、それでも…見失った揚げ句に迷子にするのは何だか忍びない気がしたゾロで。
「待てって。」
「やなこったっ!」
あまりに無愛想なゾロの応対に、いくら無邪気な坊やといえど、さすがに愛想が尽きたのだろう。ちらりと薄い肩越しに、こっちを振り返って見せたのも“あかんべ”を寄越すためにだけ。そのまま、進行方向へ見えて来た緑あふれる公園へと駆け込むつもりでいるらしく、
“あの野郎〜〜〜。”
平日とはいえ、この街には保養やバカンスにと訪れている観光客も多いから。こんな時間帯でも外をのんびりと出歩いている人は少なくない。そこへと紛れ込まれては、こっちは今日逢ったばかりの小僧のことなぞ…さして重々観察してはなかったから、見失ったらもう捜し出すなんてできないに違いなくて。
“しょうがねぇか。”
まだデビュー前の彼だから、顔や姿、名前などのプロフィールは露出させてはいないと言ってたし、まあいっかと踏ん切って、
「ルフィっ!」
名指しで呼んで、待てとのアピール。屈託無さげな年若き少年と、それを追っかけるいかつくもむくつけき青年という構図は、下手をすれば…不審者に追われる無辜むこの少年という誤解を呼びかねなかったものの、
「………。」
前を走っていたルフィの背中が、速度を落とした。あれほど…今にも飛び立つんじゃなかろうかと思えたほど軽快に地を蹴っていた足も止まり、人込みの中へと紛れかかってたその寸前、振り返った彼の表情が、
“…何だよ、その顔。”
それはまるで、独りぼっちになってた人込みの中、必死で探していた母親から声をかけてもらえた迷子のような。そりゃあ切迫していた、ぎりぎりの哀しげなところから一縷の光をやっと見つけたと言いたげな、見た者の胸にも痛いほどのそれは切なげな顔をしていた彼だったから。大仰さを軽く叱ってやろうと感じつつ、こちらの歩調は緩めぬままに傍らまでを歩み寄る。
「お前な…。」
大人を振り回すもんじゃないと、柄じゃあなかったが叱咤口調にて、第一声を出しかかったそんなタイミングへ、
「ゾロっ!」
何かが。疾風のような勢いで体の真横から突進して来た気配があって。自分よりも先にそれを察した人々が身をすくませたり怯んだりする気配がさざ波のように押し寄せても来る。何かしらの“惨事”への予兆。ハッとした時には…もう遅いと、他でもない自身で察知していたゾロだ。ほんのさっきまで見るからにホッとしていた筈のルフィが、彼もこちらの状況を目の当たりにして、驚愕に表情をこわばらせ、見るからに悲壮な顔をして見せたが、
「…っ!」
一瞬の迷いもなく、そのまま足元を踏み変えると、こちらへと振り返りながら宙を飛ぶかのような勢いにて飛び込んで来た彼であり、
――― 全ては刹那の暗転劇。
ゾロへと横ざまに突っ込んで来ていたのは、公園内に出店していたファーストフードの調理ワゴンで。駆動車が連結されているタイプではないものの、パレードや公開アトラクションなどが開催される折には沿道から移動させる必要があるのでと、台車用の車輪が足についている。日頃はストッパーをかけてあったものが、どういう弾みか勝手に転がり出し、しかもゆるやかながら坂の上にあったため、加速がついての暴走をしたらしく。食材だけじゃない、飲み物用の冷蔵庫やら加熱用の調理器具やらボンベやらも搭載していて、普通車並みにずっしりと重いワゴンは、リゾート地の穏やかな午後にはいかにも似合いのポップな外装という風貌のままでの物騒な暴走を始めたという訳で。周囲の人々が悲鳴を上げる間さえないまま逃げ惑ってた進行方向へ、間が悪くも踏み出してしまったゾロだったのだが、
「…ってぇ〜〜〜。」
どんっと後ろへ飛ばされたのは、ワゴンにぶつかったためじゃあない。その広々とした懐ろを目がけ、正面から飛び込んで来た少年が、自分の体ごとの重みで突き飛ばしてくれたから。背後にあった木立の足元、柵で囲って芝を植えてた空間へまで、こんな小さな子供の体当たりごときでそりゃあ勢いよく吹っ飛んだ自分が、まずは信じられなかったゾロだったが、とんでもない危難が襲って来たということから体が凍っていたことと、不意を突かれたという条件が重なったせいもあってのこと。そんな感慨があっと言う間に吹っ飛んだのは、だが、そういう理屈がすぐさま頭の中を浚ってくれたからではなく、
「ゾロっ、平気か? どっか痛いか? 怪我は? なあっ、何とか言えよっ!」
口を挟む隙さえ与えぬ勢いで矢継ぎ早に訊きながら、懐ろの中という至近から、必死の形相でこちらを見上げてくる少年の、すがりつくような意勢に圧されたから。さっき振り返った彼が見せた顔と同じく、何でこうまで…こちらの胸が痛いほど締めつけられるような顔を、眸をする彼なんだろうかと、それを思って圧倒されてしまっていたゾロだった。そして、
“………あ。”
さしてどこかを強く打った訳ではなかったはずなのに。ふっと、背筋から何かに引っ張られるような感覚が襲って来て。
「ゾロッ? ゾロッ!」
悲痛な声が遠ざかる。何だ? どうしたんだ、俺。どんどんと体から力が抜けてゆき、意識が頼りなくも薄れてゆくではないか。
“馬鹿な。”
相手側が大人数という喧嘩の修羅場のただ中で、角材で殴られて頭を少々割られても正気を失わず、自分の足で病院へ行けたほどの頑丈さが自慢だったのに。生まれて初めて意識を失うという体験をしたゾロである。
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*まだちょっと、謎めいておりますかしらという感じなのですが、
もうちょこっとばかりお付き合いを…。 |