月夜見

  “万華鏡(kaleidoscope)~多層界奇譚



        
その四  カプリッツォ



  ――― ボクが見えているの? だったら近づかない方がいい。
       街の占い師に言われなかった?
       無闇に近づくと取り込まれるって。
       永遠に出られぬまま、独りぼっちで永らえなきゃいけなくなるって。
       だから、近づいてはいけないよ?


 ホテルなんてのは、どこも似たような作りであり防犯態勢であり。どんな最新鋭のシステムを配備してあっても、管理するのが人間である以上、必ずどこかに ぼこぉっと盲点はあるもんで。極端な話、管理責任者を抱き込むという手だってあるほどだが、まま、そこまで芸のないことはしない。こちとら、これで飯食ってる“職人”なんだから、入り込むのなんて ちょろいもの。万に一つのミスもないまま、気配を殺してまんまと忍び込んだのは、政府に招待されてる某国の王女が滞在中の、インペリアル・ロイヤル・スィートとかいうご大層な名前で呼ばれてる、このホテル最高グレードのフラットだ。何しろ“国賓”にあたる御令嬢だからか、まだ十代半ばという幼いほどにも若い彼女一人のために、最上階全部を借り切って、尚且つ、真下の階は完全封鎖。屋上の空中庭園とやらも今だけは封鎖して、そこへ一個師団クラスの部隊を詰めさせているという徹底した警備ぶりだが、そんなして人をごちゃごちゃと詰め込みゃあ良いってもんじゃあない。警備用の警報装置が何度も何度もはみ出した警備員を察知しちゃあ鳴るものだから、これでは休みたくとも休めない、いい加減にして下さいと王女様からのクレームが出たくらい。それと、監視にと立つ見張りも無骨で落ち着けないから、せめて目の届かないところに引いてくれと言われたそうで。それではとの妥協から、警報装置の感度を少しだけ、そう、警備の者が交替する頃合いや夜間という時間帯以外は、エレベーターや階段へと通じているフロア以外のお廊下の、感知レベルは落としておきますと譲歩した警備関係者に呼ばれて、セッティングのやり直しをしたのが、俺自身だったんだからな。好き勝手な設定に変えておいての、楽々とした潜入も堂々の成功で。これはやっぱり、あのクリスタルは俺の手元へ転がり込んで来るっていう証し、幸運への兆しみたいなもんだったんだろか。王女様は今夜、この国の大統領に招かれての晩餐会にお出掛け中。よって警備も殊の外に薄く、それでも用心して、誰の姿もないのを確かめて。こっそりと侵入したインペリアル・ロイヤル・スィートの、一番奥まったところにある寝室へと直行する。

  ――― そう、俺は盗賊。もっと平たく言やぁ、泥棒だ。

 昨日今日始めたばっかなんていう、ずぶの駆け出しなんかじゃあないぜ? これでもこの筋の業界じゃあ、結構 名の通った大物怪盗だ。ああ、名前が通ってるなんて、妙な言いようかもな。面が割れてて指名手配がかかっているようじゃあ、信用出来ゃしねぇわな、確かに。そうじゃなくって、どこの誰かは知らないけれど、誰もがみんな知っているってクチの“有名”だ。この手口はきっとあいつの仕業だ、この指紋はあいつのだ。でも、一体何処のどいつなのかは霧の中。尻尾さえ掴めないと、この国の公安関係者たちをやきもきさせているのが俺だって訳。
“王女がいないんだ、さすがに警備も立ってはいないか。”
 そんな俺様が今夜狙うは、国賓としてやって来た王女が持ち主の、いやさ、彼女の国に代々伝わるという奇跡のクリスタル。指輪やティアラ、ネックレスなんていう装飾品ではなくて、握りこぶし大の文鎮みたいなオブジェみたいな代物らしいんだが、それを掠め取ろうってのが今夜の仕事だ。何でも、それを手にした者は途轍もない幸運に恵まれるのだそうで。まあ、そこまで俺には関係ないけどな。依頼されただけの話だ、御利益ごと渡す相手がいる仕事。そんな神憑りなもん、ちょっと気が進まなかったが、何、うまく行くなら御利益があろう、どうしても障害が立ち塞がるようなら、その幸運とやらには縁がなかったんだということだろうから仕方がないって納得してやる…だなんて。そんな諦めがいい納得が出来るんなら自分でやれって言いたくなるよな、そんな気休めを授けてくれた依頼者だったけれどもな。護衛すべき本人様が外出中だからか、詰めてる奴の数もぐんと少ない。秘宝のクリスタルはそのまま彼女の守り神なんだそうで、よって外遊先へも常に持って出ている王女だが、そんな事実は一切公表してはいないので、この国の警備陣営も知らないままに違いなく。
“女の子を泣かせるのは、少々不本意なんだがな。”
 これも依頼だから仕様がない。それに、その問題の“幸運”とやらがあったから、これまで無事だったんだと言われてもいるらしく。そんなものを信じてない俺が言うのも何ではあるが、まだ続く運ならば俺なんぞに盗まれやしなかろう。
“…えっと。何処だ?”
 まさか煌々と明かりを点ける訳にも行かず、非常時の避難誘導用を兼ねているらしいフットライトだけを頼りに、頭に叩き込んでおいた見取り図を思い出しながら足を進めれば。ほのかに女性らしい、だがだがクドくはない、品のいい、甘い香りのする部屋に到着する。さすがは高貴なレディのお部屋だ。用心しつつドアを開き、中へと踏み込む。きれいに片付いている室内は、この国の貧しさを遠来の客に悟らせることはなかろう、落ち着いた豪華さを保たれてあり、ムキになっての馬鹿馬鹿しい装飾がない洗練のされようは、さすがに色々と研究されていることを忍ばせる。ま、そんなこたぁ今更な話だ。お仕事お仕事、と。ドレッサーや作り付けのクロゼットへと視線を放り、ふと、気づいたのがベッドサイドの小さな脇卓。毎晩拝んでから寝ているような習慣でもあるのなら、そういうところに置かないかな。そうと思って足を運べば、

  ――― くすすvv

 はい? 何だ? 今の声。誰か居るのかと身を強ばらせ、素早く周囲を見回すが、人の気配は何処にもない。照明こそないけれど、夜目は利く方だし、フットライトが此処にもあるので真の暗闇ではないからな。それに…今のって。子供の声じゃなかったか?

  ――― 無理だってのにな。

 ああ"? 何が無理だって? ちょいと大人げなかったが、こんな緊張した仕事の最中だってのに腐されて黙ってられるかと………。いや、それって反応の順番が違うような。辺りを見回し、やはり誰もいないのを確かめる。だが、

  ――― 俺がいる限り、此処から何か盗み出すなんて無理無理。
       誰かに見つかるのが落ちだから、今のうちに逃げちゃいな。

 やっぱり、声がする。だが、何てのかな。聞いた端から跡形もなくなるというか、空耳ってのはこういうのを言うのかと思うような。そんな不思議な声でもあって。辺りをキョロキョロと見回し始めると、

  ――― え? 俺の声、聞こえてるの?

 それこそ、意外なことのようなトーンにて。同じ声がそんな風に言い出してそれから。向かいかけてた寝室の奥のベッドの上。フットライトの明かりしかない中に、輪郭だけが何とか見えてたその空間へ、別な光が前触れもなく音もなく、ぽうっと灯って…驚かされた。

 「な…。」

  ――― 声を立てちゃダメ。
       一応は詰めてる隣りのフラットの警備員に聞こえちゃうよ?

 いかにもな天蓋とそこから下がったオーガンジーレースのカーテンの向こう側。誰も居なかった筈の部屋だのに、輪郭のぼやけた明るい人影がそこには居る。いや、人影は普通、自分から光りはしないから、これってもしかして…迷って出て来た何とやらなのかも? 怪訝そうな顔になり、どうしたものかと逡巡していた気配が伝わったのか、

  ――― あなたは、もしかして此処の、土地の人なの?

 子供の声が訊く。ああそうだと短く応じ、それから…意を決して足を進めて。ぼんやりとした光をくるんだベッドのカーテンを静かに割り開けば。

  ――― あの…こんばんわ。

 何だか、間の抜けたご挨拶が聞こえたが。俺の方はそれどころじゃない。もしかしたらば“金縛り”ってのはこういう状態のことを言うのかな。全身がカチンと凍ったみたいに動けなくって、何てのか…何だ? お前。

  ――― 何て言えばいいんだろ。俺が見える人ってそうはいないから。

 幽霊…か? もしかして。向こうが透けてるしよ。

  ――― 別に恨みや未練はないからそういうのじゃないと思う。
       でも、実体が無い存在だから透けてるんだよ?

 話しかけてるのは相手が、そう“相手”が人の姿をちゃんと把握出来はする濃さだったから。年の頃は、そうさな、中学生くらい、かな。黒い髪のめっきりと童顔のまだガキで、でも言葉遣いとかはハキハキしているし、言い回しも堂に入ったもの。座ってるのはベッドの上だったが、体を透かした底の方、ベッドに直に触れてるところには、何だか凝った作りの小箱が見える。その小箱って…。

  ――― ダメだよ、これに触ったら。特にあんたはね。

 何で“特に”なんだ? お前の声が聞こえたり、お前の姿が見えるってこと、何か意味があるのかよ。

  ――― ………………あ。

 この小箱って、色々と書いてあるよな。触れた途端に、ただの模様じゃなくなったぜ?

  ――― ………ダメだって。

 何年か、何十年かに一度、星の巡りに従って精霊が交替する巡り合わせがあるんだってよ。一度逃せば、次までの…百年? そんなにも長いこと待ってたのかよ? いや、その服装は百年じゃ利かねぇんじゃないのか? もしかして。

  ――― 良いんだ。俺は、この石の持ち主たちの国が気に入ってるからさ。

 だからって、ずっと縛りつけられてて自由もないままで。元からそういう生まれだった訳じゃないだろうがよ。

  ――― ………………。

 お前の声が聞こえる奴っての、そうそう居る訳じゃあないんじゃないのか? 何かしらの罰じゃなく、こんな目に遭ってるなんて…どうして。

  ――― ………………。

 ………………。よし、決めた。

  ――― ダメだって。あんた、判ってるのか? 何、いきなり熱くなってんだよ。

 良いんだよ、俺は。突然 居なくなっても別に、誰かを困らせたり悲しませたりはしねぇしな。

  ――― オレだって…今更外に出られても誰もいない。
       俺を知ってる人も、家族も、誰も。

 王女様がいんだろが。このクリスタルは持ち主に幸運を運ぶ。その持ち主ってのには、中に宿りし精霊が見えてるとも書いてある。話をしたり、時には予言をしたり、啓示を授かったりするんだとよ。

  ――― それは…そうなんだけども。

 幸運を招くだなんて、ただの言い伝えかと思っていたが。お前がいるんだ、その話だってホントなんだろ?

  ――― 判らない。
       王女は確かに話しかけては来るけれど、
       俺の声がホントに届いているのかまでは確かめようがないし。
       第一、啓示なんて俺 知らないし。

 何だ、そりゃ。お前“精霊”なんだろが。

  ――― だって俺、あまりに覚えてることが少ないからサ。
       時たま、何か見えるのを、
       こんなことが起きるかもしれないよって独り言みたいに話すだけだもの。
       それに、俺の前にいた奴のことも、
       王女の前には誰の手にあったのかも覚えてない。
       持ち主が変わるとリセットされちゃうのかな?

 じゃあ、出たらそのまま“自由な精霊”になれるのかもな。

  ――― かもって。なんか無責任だぞ、あんた。

 まあ聞け。俺はな、捕まったら死刑は間違いない身の上なんだ。何せ俺は、こないだ…この国の中枢にいる輩たちの手から、とある機密文書を盗んじまったから。

  ――― ………え?

 ひでぇ国なんだ、此処ってのがまた。お姫さんに言っときな、国際援助だ何だ、したって無駄だって。これまでにも沢山の援助を受けてるけれど、肝心の貧しい層の手にそういう援助物資が届いた試しは一度だってない。上の者から順番に掠め取ってって横流しに使われちまうから、最後は入れ物さえ残らない。そこでって訳でもないんだが、そういう輩のやってることがありあり判る“裏帳簿”をな、盗んでやった。どこからの支援はどう分配されたか、それで得た資金はどこの部署に回したか。それこそ、不公平がないようにってことでつけてやがる、妙な理屈の帳簿でな。此処を出て、国際的な機関へ渡しに行きたいんだが、それへは先立つもんとコネが要りようで。それで、この国での最後の大仕事にお前さんを選んだって訳だ。


「だから、言うことを聞きな。その帳簿はさっきお姫さんに預けた。他愛ない絵本の背表紙に、マイクロフィルムにして埋め込んである。国へ戻った彼女から、ちょいと借り出して返してもらうって算段だったが、これはその予定も変更せざるを得ないみたいだ。」


 聞けないとかぶりを振る小さな少年。何でだろうな、お前のこと、どっかで見たことがあるような気がしてならないんだ。この水晶の中に百年以上もいたのなら、擦れ違いさえした筈がないのにな。なあ、傍から見たらば笑えるだろうな、この構図。誰もいないベッドに置いた宝石箱に話しかけてる男がいて、何とか話を聞けって言い諭してるんだからよ。さあ、そろそろ王女様も帰って来る。この箱に書かれてある不思議な記号、どうしてだろうな、俺には読める。それもまた、精霊候補者の証しなんだろな。大丈夫、機会が来たからこその交替に違いない。外に出て、でもお姫さんがお前のこと知らないなんて言い出したなら………。








            ◇



 ゾロの意識が戻ったのは、柔らかな明るさに満ちた一室で、消毒の匂いが鼻に来たところからして、どうやら病院であるらしい。
「どこか痛むところはありませんか?」
 傍らからの声にハッとすると、白衣を着た看護師が立っていて、ベッドに横たえられたこちらをさして心配そうでもない顔で見下ろして来ている。そりゃあそうだろうな。怪我なんて負ってはいない筈。どでかいワゴンに轢かれそうになったけど、そんな窮地からはあの坊主が庇ってくれたし。
“………そうだ、あの坊主。”
 一応の精密検査をしておきましょうと言われて、だが、それには答えず、一緒にいた子供を知らないかと問えば。きりりとした容貌が何とも凛々しいベテラン風の看護師が何をか言い出すその前に、

  「ゾロっ!」

 戸口の方から誰ぞが飛び込んで来ての第一声。それがそのままベッドの傍らへ飛びついて来て、こっちの様子を確かめもせずにしがみつく。
「また…また居なくなっちゃうのかって思ったんだからなっ!」
 生きた心地がしなかったと、今にも泣き出すのではないかという勢いでまくし立てる彼に閉口したか、大事はないようですねと看護師が型通りの言いようをし、とっとと病室から出て行った。確かに、今は何処も痛くはないし、気分が悪いということもない。それを言うならさっきだって。こいつが突き飛ばして庇ってくれたから、さして痛いとこなんて無かった筈なのにな。
「…ゾロ?」
 こっちが何も言い返さないで、しかも妙にじっと相手の顔を凝視しているからだろう。興奮状態が収まったらしいルフィが、自分だけが激発していたこと、今になって恥ずかしいとでも思ったか。その、視線の判りやすい大きな瞳を落ち着きなく動かすのへと、

  「なあ、お前サ。………クリスタルの中にいたことはあるか?」

 我ながら妙なことを聞いたと思った。だが、ついさっきまで、意識のないままで見ていた“情景”はあまりにもリアルなそれだったし、そんな中で“俺”が話していた“相手”は、どういう偶然か、この坊主にそっくりだったし。顔を合わせたばっかの身で、何だか奇妙なことばかりを口にしていた子供だったから、そんな不思議にも思い当たる節があるのじゃないかなんて。まだ少し寝ぼけ半分なままにポロッと零してみたら、

  「アラバスタの王女様は、俺のことすぐに気づいてくれたから。
   ゾロが言ってた“チョコレートのつまみ食い”の話はしないで済んだよ?」

 視察先のお菓子屋さんで、展示されてあった造形菓子のチョコの部分をこっそりつまんじゃったこと。ところがそれって、金粉をたくさん使っていたからって、誰かが“盗んで”いったんじゃないかって後から大騒ぎになっちゃって。それで何だか気後れして言い出せないでいらしたこと。それを言い触らされたくなかったら、なんて。保険代わりにしなって言い置いてったゾロだったけれど、
「アラバスタの王族の、王様や女王様になる人物はね。どの人もって訳ではないけど、精霊が入れ替わるのに立ち会って来たんだって。そいで、もしも出て来た精霊がいたなら、その人を自分の守護として大事になさいって。それが、入れ替わった新しい精霊の一番の望みな筈だからって。」
 ゾロが此処にいるってことは、お役目を終えて出られたって事だよね? 良かった~と。今更ながらに安堵の吐息なんかついちゃってくれちゃってる坊やだったりしたけれど。話がこうまでなめらかに通じてるってコトは、それってホントにあった“事実”だってことになる、のかな?

  “…だから、どういうことな訳だ? これ。”










←BACKTOPNEXT→***


 *多層界奇譚というのは、こういう意味です。
  ちょっとややこしいでしょうか。
  思いつきで書いてくという感覚になっているので、
  尚のこと、不親切な作りかもですね。すいません。