土曜の宵に… “内緒だよ?”
3
"…どこだっ!"
急に容体が悪くなったルフィに仰天し、まず最初に頭に浮かんだのは"医者"だったゾロだが、彼は普通の人間ではないということも思い出した。一見したところは変わりがなく、怪我だの腹痛だの軽い風邪だのというくらいなら、人と同じ対応で良いらしいのだが、それ以上ともなると…体質や構造、どんな方向から専門家たちに怪しまれるかが分かったものではない。というか、彼らにも解析不可能なのではなかろうかと思えた。犬の側からは寿命のスパンが違い、人の側からは聴覚や嗅覚のゲインが違うし、他にも色々と相違は多かろう。よってどう対処していいやらと困惑させるだけかもしれない。二階の奥の自室のベッドへとりあえず寝かしつけ、取って返すようにゾロが向かったのは一階の書斎だ。彼らの生い立ちや様々な特性やら、彼の父上の語ったものを自分の父がまとめておいたものがあるからと、ルフィから聞いてはいたのだが、今の今まで探しもしなかった。目の前にいる彼自身を受け入れたことで"これから"が始まり、それと同時に、彼の"背景"という代物は"窺っても詮無いこと"と把握されていたからだ。詮索が苦手なゾロらしい対処ではあったが、
"こんなことになるんなら…。"
これまで風邪ひとつ引かなかったからという油断もあったが、それでも。あんな小さい子供なのだ、父親がまだ早かろうと本人へは教えておかなかった事だってあったかもしれないではないか。保護者たる者として、最低限知っておかねばならないことだってあろうにと、これまでの自分の怠慢を呪ってしまう。
"どこだ、どこにあるっ。"
手で書き留めたものならば、ちゃんと製本され、印刷されたタイトルのついた背表紙のものではなかろうと、それでもちょっとした教室ほどもある広い室内に山のようにある蔵書たちを睨み据え、片っ端から見極めてゆく。こんな悠長なことをしている場合ではないのに。ベッドに降ろしたルフィは、たいそう怖がって、こちらのトレーナーを必死で掴んで来たのに。早く見つけないと…と、気ばかり焦ってなかなか見つからない。こんな大っぴらな、誰の目に留まるやもしれない置き方はしていないのか? だが、あとは…と手をついたのは、資料を読むのに使っている大きな机。テーブルタイプの、書斎には少々不向きなそれだが、沢山の資料を広げるには重宝していて、
「………っ!」
椅子を引こうとして…力が余ってガタンと音立てて引き倒す。天板の下にあった引き出しを思い出したのだ。目立たぬ浅い引き出しは、だが、手を掛けるとガツンという手ごたえが返って来る。
「ちっ!」
鍵がかかっているらしいと舌打ちをし、辺りを見回して…天窓を開け閉めするための道具が目に入る。先が鈎型に曲がった長い火掻き棒のような鉄製の代物で、古い作りの窓が案外と重いことからこうまで頑丈なのだろうが、
「………っ!」
それを手に取り…あああ、さすがは剣道元チャンピオン。大きく振りかぶって机に叩きつけようとしたその瞬間。
「…ぞろ。」
背後から。小さな声がした。
「え?」
振り下ろしかかった棒が中途で止まり、戸口に立つ人影にハッとする。開けかけた扉のノブに掴まって、今にも床へと崩れ落ちそうになっているルフィがそこにいたからだ。
「どうしてっ。」
安静にしていなくてはならない本人が、こんなところまで降りて来てどうするかと、棒を放り投げて傍らに駆け寄った。前のめりに倒れかかったところを受け止めたそのまま、腕の中に抱えた小さな体はほのかに熱を帯びていて。
「ルフィ、大丈夫か?」
掴み取った腕や抱えた胴が熱い。今の今、叩き壊そうとしたテーブルの上へ降ろしかかると、いやいやと首を振ってしがみついて来る。かすかに掠れた声を出し、
「傍にいて。ぎゅってしてて。………怖いよう。」
「ルフィ…。」
訳の分からない状態であることへの不安。一人でいるのが嫌で追って来た彼であり、怖くて怖くてしようがないのだろう。自分しか頼るもののない少年なのだと、あらためて思い直し、ゾロはルフィの小さな身体をそっと抱きしめる。耳元に近くなった少年の口元から、短い急くような呼吸が聞こえた。
「ルフィ、ゆっくり息をしな。」
緊張や興奮から息が浅く短くなると、酸素を吸いすぎ、血管が収縮して"過呼吸症候群"という症状が出ることがある。そのまま昏倒したりする危ない症候群であり、おでこ同士をくっつけて、ゾロは深呼吸をして見せる。ゆっくりと息を吐くのを真似させて、
「…そう。そのまま。」
肩を上げるほど吸い込んだ息を、ゆっくりゆっくり吐き出させたその動きの端で、何かが"かたん"という音を立てた。細い肩に羽織っていたチョコレート色のフリースのパーカー。そのポケットからはみ出していた、いつもの赤い首輪がテーブルの上へ落ちた音であり、
"………これは。"
金の標識プレートと一緒に下がっているものに、今初めて気がついた。小さな小さな、それは………鍵だ。アクセサリーぽい小ささだったのでこれまで気に留めなかったのだが、今探しているものと同じだという符合がそれへと手を伸ばさせる。首輪に付けたそのまま、テーブル下の引き出しの鍵穴へと差し込んで……………。
◇
見つかったのは事務用の日誌"デスクメモリー"というやつで、合皮のカバーがついたA4サイズの何の変哲もないノートである。その中に…様々な切り抜きやら走り書きやらとともに、ルフィの父上が少しずつ折々に語ったらしき、彼らの特性や体質などが連ねられてあり、
"他はどうでもいい、病気だ。"
こんな風にいきなり具合が悪くなる症例。それへの記載はないかと、焦りながらページをめくる。見つかったノートと共にルフィを抱えて寝室へ戻り、サイドランプのやわらかな照明を灯した中、瞳を熱に潤ませた少年の、赤く染まった熱い頬に大きな手を添えてやりつつ、几帳面な文字の連なるページを慌ただしく浚ってゆく。父上もまた大病には縁がなかったのか、整理されている内容のその中、なかなか該当する記述は見つからず。
"…熱だ、熱っていうはっきりした症状が出てんだぞ。"
彼らに限った、特異な体質からのものではないのだろうか。風邪とか、若しくは精神的な何かとかいった、人と同じ対処で良い症状なのか? 慌ただしくめくり続けたページが段々と薄くなり………、
――― …発熱、過敏な感応反応があらわれ…
ハッとして手を止める。求めていた単語。
"これか?"
彼らに特有な性質による体調の変化。それは精神的な、感情や想いの高揚から引き起こされるものであり、どんなに違うと思い込もうとしても、押さえ切れないものとして体を揺さぶり、陶酔にも似た幻惑的な状態をその身に招く………と、
「???」
何だかいきなり文学的な、遠回しな描写になっているものだから、そんな場合ではないのだがと、文字を追うゾロの目許がついつい眇められる。この症状は危険なものではないが、現れたこと自体から目を背けてはならない…のだそうで。こうまでの状態になったことは、すなわち、相手を深く求めている証しであり、慎重で用心深い彼らが隠し切れないほどまで興奮状態になるというのは、それほどまでに心許した存在への信頼や愛情がいかに深いかの裏返しであり……………。
"…ちょっと待て。"
ページを戻って、見出しか何かはないかと指で辿れば………。
"………。"
ひたりと。その章の始まりのタイトルに指先が止まって………何秒か。
「ぞろ?」
何だか急に動きが止まったゾロだと気づいて、ルフィが不安そうな声をかける。
「なあ、どうしたの?」
そんな大変な容体なのだろうか。ゾロのこと、こんなに好きって分かったのに、ゾロからも好きって言ってもらえたのに。もう間に合わないのかなあ。何だか悲しくなって来て、くすんてお鼻が鳴ったルフィに、
「…ルフィ。」
ゾロが静かな声をかけて来た。
「なに?」
怖いけど大丈夫だもん。ゾロが傍にいてくれるし。大きな手が、ほら、髪とか撫でてくれる。こっちを向いて、少し屈み込んで、大好きなお顔を寄せてくれる。震える手を伸ばして頬に触れると、その手をそっと掴まえて、手のひらの真ん中にキスしてくれた。やさしいゾロ、大好きなゾロ。だから、どうなっても大丈夫だもん。
「あのな?」
うん、て。頷いて。じっと見つめてくれるゾロの眸を、こちらからも見つめ返す。なんか、また、身体が熱くなって来たかも。さっき一人で此処にいた時は寒いほどだったのにな。
「………。」
ゾロは、ふいっと押し黙り、それから………髪を梳いていた手を顔の方へとずらして来ると、ルフィの柔らかな額髪を手のひらで押し上げて。
――― あ。
現れた丸ぁるいおでこへ、小さくキスを一つ。柔らかな感触に、思わず肩がピクリと震えたけれど、
「………?」
あれ? なんか。お顔がぼ〜ってしてたの、少し収まったみたいな気がする。耳鳴りも消えて、熱かったのが暖かいに変わったみたいな。
「???」
何? 今のなに? キョトンとしているルフィの視野の中、ゾロは…眉を下げた少しばかり困ったような表情になっていて、
「その…な、ルフィ。」
何だか歯切れの悪い切り出し方をする。
「此処に書いてあるのがホントなら、な?」
「うん。」
「お前のその熱とか動悸とか。理由は1つしかないんだそうだ。」
1つ? 少年がとろんとしたお顔のままで目顔で問うのへ、そのただならぬ愛らしさに………苦笑を向けて。
「それって"発情"の状態なんだと。」
――― はい〜ぃ?
4
このところ、何となく様子が妙だったことからして"序曲"状態にあった彼であるらしく。今日の一悶着にて大好きな人からの"愛してる"を授かった安心感が、一気に彼の情緒へ火を点けたらしい。そういう"季節"を何年か、既に体験している大人であればそれなりの制御も可能だし、こうまでの症状が体調に出ることもないのだが、なにぶん初めての"訪れ"だ。
「それって………?」
子供が抱く"好き"ではない、大人の"好き"は、だが微妙にヒトの"好き"とも違っていて。彼らの場合、子供を残すためにと備わり、それがために働く"感応"が、途轍もなく鋭敏になる。相手を"愛しい"と思う気持ちが"欲しい"へと変換され、その想いの激しさから体が異様に燃え立って熱くなるのだそうで。ヒトのように想うだけで済ませられるようになるのは、相当に場数を踏んだ大人になってから。
「じゃあ…あの…。/////」
何となく、意味が分かって来たらしいルフィが真っ赤になって訊いた先、
「一晩我慢すれば、熱も引くそうなんだがな。」
ベッド脇のテーブルに洗面器を据えて、濡らしたタオルで額を拭ってやりながら、先程までのパニック状態が先に収まったゾロが、静かな声にて説明を続けてくれる。
「その、俺が傍にいるのは不味いらしいんだ。」
「…えっ?」
落ち着きかかっていた表情が弾かれて、身を起こそうとまでする少年を、
「ほら。大人しく寝てないか。」
「だって…っ。」
肩や腕を押さえたゾロの、その手の温みがシャツ越しに肌から染み入って、身体をじんわりと熱くする。それに気づいて、
「あ…れ?」
その箇所を見下ろしたルフィであり、
「分かったろ?」
ゾロが苦笑する。
「その、さ。俺のことが…その…好きだからって、目覚めてしまったっていう状態、な訳だからさ。触わることで激しい高熱を落ち着かせたりとか、出来るんだけども、その…そこまでだとそこまでなんだ。」
自分を好いてくれたから、自分との"好き"が絡んでのことだから。少々照れ臭そうに言葉を区切るゾロであり、
「そこまで?」
まだちょっと意味が通じていないらしい坊やの問いに、小さく頷いてやり、
「触られてホッとするけど、同時にドキドキもする。で、じりじりといつまでも熱が引かない。一晩で済まなくて何日か かかるかもしれないらしい。だから…な?」
――― 一人で我慢出来るかな?
そうと訊くと、たちまち…瞳がじわ〜っと潤み出す。
「そんなの やだ。苦しくても良いから、ゾロと一緒に居たいよぅ。」
くんくん・きゅ〜んと。仔犬の時の甘えた鼻声が聞こえて来そうな切ない声で、そんな風に言うものだから、ゾロとしても…困ったなと頭を掻いた。冗談抜きに、切実に困っている。
"…不味いよな、俺。"
実を言えば。何だかこちらまで、気が高ぶりかかっているのだ。ただでさえ"手放したくはない"という自分の気持ちを…出て行こうとした彼だということにただならぬ衝撃を受けたほど、決して小さくはないその想いを、本人へ正直に吐露したばかりの愛しい対象だし。甘い香りや熱い肌。切なそうな声に、潤みを帯びた愛らしい瞳。いつにも増して魅惑の香を濃厚に帯びたルフィから、傍らにいてと懇願されて…それをどうして振り払えようか。
"………。"
父が遺したノートには、最も妥当な手段も当然記されてあり、それが一番の"方法"であるらしいというのは…ゾロにも分からんではないのだが。
"………。"
これが他人の身の上に起きたことならば、どーんと責任取ってやれと後押ししたかもしれないが、我が身に降りかかったこととなると話は別だ。おいおい それにルフィはまだまだ幼い。初めての相手が自分のような体格のいい男では、壊れてしまうのではないかと。…そこまで考えて、我に返ってハッとする。
"だから、えっと、だな。/////"
ゾロさん、相当に混乱しております。(笑)
「なあ、ゾロ。」
「な、なななんだ。」
不意に声をかけられて、ついつい慌てて上ずった返事をしたゾロへ、
「俺、平気だから。」
「何が。」
「だからさ。発情ならどうするのかは知ってるもん。」
「……… /////。」
そういえば。ルフィの"お友達"の殆どは、既に"結婚"の経験がある子たちばかりだったっけ。
「それとも、そこまでの"好き"は、ゾロにはまだなのか?」
「………。」
困惑したままなゾロへ、舌っ足らずな坊やの声で…不埒な一言が続いたのであった。
「俺、まだ子供だから…抱きたくは ならない?」
◇
愛を分かち合った好きな人と、こんなに傍にいて触れもしないというのは、生き物的には不自然なことなのだろうなと。そんな真理のようなものを、こんな小さな坊やから…それはそれは分かりやすい形にて教えられたような気がする。勿論、人の世界ではそうはいかない。モラルや法律や公序良俗。様々な事情だとか、しがらみ、その他にも何やかや。文化的・理性的な方向から遵守されるべきものが幾つもあって、それらが守られていればこそ、社会も整然と、つつがなく成り立っているのだし。
"……………。"
色々な意味から打って変わって"くうくう"と。いつもの愛らしいお顔になって、安らかな寝息を立てている小さな坊や。ほんのり朱に染まった目尻に余情を感じ、
「う…ん。」
小さく洩らす声の甘さが、こちらの胸を締めつける。すがるような熱い眸を向けられて、気がつけば…小さな身体をベッドから浮くほど掻き抱いていた。抱きたくない筈がない。やわらかな肌、幼(いとけ)ない温み。日頃からもそれは愛しいと思い、傷つけてなるものかと大切に見守って来た対象なのだし、この屋敷から出て行くと言い出したあの泣き顔を見て、自分の本心にも気がついたばかり。気の利いた睦言も知らない不器用な男だが、この小さな少年への想いの丈だけは誰にも負けないし譲れないと…それでも出来る限りの気遣いの下に、真っ新さらな身体をその手で開いたゾロである。
"………。"
さすがに…逡巡する中で危惧したように、初めての身には辛いばかりな代物だったろうなと思う。きつく眉を寄せ、こちらの腕や肩に爪を立て、今にも泣き出しそうな顔をして。必死で耐えた様子もありありと、何とも痛々しかった青い抱擁で。それでも"効果"はあったらしく、あれほど苦しそうだった熱もすっかり引いて、今はただぐっすりと眠っている様子だ。
"…ルフィ。"
愛しさが尚増した、それはそれは大切な人。無心なお顔で眠り続ける小さな坊やに、その可憐な唇へ触れるか触れないかという優しいキスを一つ贈って。今はもう、耳鳴りのような微かな音しかしない初夏の雨の気配を枕に、小さな温みをしっかと抱いて、ゆるりと瞼を降ろしたゾロであった。
――― 明日は晴れるぞ、楽しみだな。
〜Fine〜 03.4.13.〜4.23.
*何だかいきなりな、終わり方というか展開になってた
"ぱぴぃルフィ"のお話だったので、
問題のアレに至ったのはこういう経緯があったんですよと、
書き足してみたくなりまして。
こういう際どいものをBD企画に持って来ても良いもんなんでしょうか。
とりあえず、いきなり"クンクン・ぱっくん"と
いただきます、したゾロではなかったのよということで。(笑)
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