月夜見 puppy's tail

  初夏のころ “その後の二人は…”
 

 
          



 春は桜、初夏には若葉も瑞々しく、天然の爽やかなアロマたっぷりの風が何とも心地いい、それは閑静な別荘地のちょいと奥向き。今は随分と夏も深まりかかった7月半ばで、都心に比べれば涼やかなこの地にも、そろそろ都会から祖父母の元へと遊びに来る"避暑・帰省組"がちらほら姿を見せ出す頃合いとなる時期だ。

  「うっと…。」

 真夏の陽射しも目映いが、尚のこと色濃くなった緑もまた涼やかな。そんな木陰をくぐって、よくある折り畳み式の日避け付き椅子型ベビーカートを、ゆっくりゆっくり、そこまで緊張しなくてもと思うほどに、慎重に慎重に押している少年がいる。レモンイエローのデザインシャツに、インナーには純白のTシャツ。すらりと撓やかな脚には濃紺のGパンという軽やかな服装をした彼であり、ちょっと押してみては力を緩め、またまたバーをぐっと握って押してみては、やはりまたまた手から力を抜いて。

  「…あああ、やっぱり何か怖いよう〜。転ばしたらどうしよう〜〜〜。」

 泣きそうな声で言いつつ、肩越しに振り返った背後の空間には、だが。
「あれ?」
 緑の背景が広がるばかりで、思ってた位置に相手の姿がない。その視線をそのまま下へ"つつつ…"と下げると、
「〜〜〜。」
 やっと視野に入ったのが、両腕で腹を押さえてしゃがみ込んでいる人影が約一人分。それを見て…途端にぷく〜と頬を膨らませ、
「こらっ、ゾロっ。笑うことないだろっ。」
 腹立たしげに目許を眇める少年へ、
「…悪い悪い。」
 長い脚を畳み込んでいたがため、立ち上がるとかなりの上背があるその青年は、声も出せないほどという"笑いの発作"を何とか押さえ込んでから、ぷんぷくりんと怒って見せている相手の傍らへと足を運んだ。
「だがなあ。玄関からここまでに何分かかってるんだよ、お前。」
 そう言って振り返ったのは、手入れのいい芝草の広がる前庭へ赤銅色のテラコッタ煉瓦が通路として敷かれたアプローチの先。ほんの数メートルも離れてはいない…重厚な樫の玄関ドアの前に張り出した、庇つきのポーチでは、ちょっぴり困ったようなお顔でお手伝いさんのツタさんがさっきからずっと立っている。
「ほら。ツタさんも心配でお仕事に戻れないってさ。」
「うう〜〜〜。/////
 怒ったと困ったとを足して二で割ったような、何とも言えない"だってサ・だってサ"という"言い訳顔"になっている、黒髪のこの少年は"ルフィ"といい、
「だからさ、いつもみたいに俺が抱っこして…だ。」
 なめらかな動作で足を運んでカートの前へと回り、そのまま屈み込んだ精悍な青年の方はロロノア=ゾロというのだが、
「ダメ〜っ!」
 ルフィが慌てて横合いから肩口をどんと押しても、あら不思議、ぐらりともゆらりとも揺るがないから、たいそう強靭な足腰であることよ。それでも、
「ルフィ〜〜〜。今もし俺が、海
カイのこと抱っこしてたらどうなってたよ。」
「あ…。」
 一応は"後先考えなよ"と、眉根を寄せて見せ、窘
たしなめておくゾロであり、それへとさすがに怯ひるんでか、おどおどと反省して俯いたルフィの隙をつき、
「という訳だから、今日もお父さんと散歩に行こうな。」
「あっ、狡いっ! ゾロっ!」
 こちらは深青のTシャツにシルバーグレーのワークパンツ、足元はスニーカー履きというやはり軽快そうないで立ちの彼が、頼もしい腕へと抱え上げたのは。首は据わっているようながらも、まだ生まれたてだろう小さな小さな赤ん坊だ。初夏の戸外、紫外線も多いこの時期に幼すぎる乳児を連れ歩くのは、ややもすると問題が多いかもしれない…微妙なところだが、都心に比べれば大気もやわらかく瑞々しいし。それにこの赤ちゃんは、それこそ"微妙なところ"で外気にこそ馴染みが深く抵抗力も強い。加えて、たいそう雄々しく手足も長い"お父さん"だから、腕に抱くならまるでそのまま乳児用チャイルドシート並みに安定感がいいし、埃っぽい地べたからは遠く。また歩幅も広いので、ゆったりした歩調でもあっと言う間に距離を稼げる。そんな人が抱えた上で、屋敷の敷地の周囲を一周して帰って来るというだけの"お散歩"だから、まま大丈夫だろうと先日から始めた新しい日課。ところが、

  『ゾロとばっかり狡いっ!』

 可愛い可愛い赤ちゃんと、自分も一緒にお散歩したい。瑞々しい緑の中、あれはツツジだよ、ユキヤナギもきれいだねぇとお話ししながら歩いてみたいと、最初の2、3日こそ我慢していたらしいルフィが、とうとうそんな風に言い出して。それで…急遽、ベビーカートを準備しぃの、肌触りと通気性の良いお出掛け着を着せぇのと。"お母さんとの初めてのお散歩"という段取りを組んだ途端の…この始末。
「うう〜〜〜。/////
 カートのバーを掴んだままにて、拗ねたように目許を眇めていたルフィだったが、ゾロの側の言い分の方が悉(ことごと)く正しくて。自分の言いようは駄々であるというのも…そこはさすがに分かるのだろうが、それもまた口惜しくて堪
たまらず、
「もう良いもんっ。」
 ぷいっとそっぽを向き、そのまま傍らの茂みへ がさっと飛び込んだものだから、

  「「…あ。」」

 ゾロとツタさんがほぼ同時にそんな声を上げたものの…時すでに遅し。一応は広々とした前庭の中であり、塀はないがそれでも周囲を取り巻く木々も計算されて植わっている。だから、外からの視線は遮られているものの、

  ――― あぉん。

 そこから撥ねるように飛び出して来た小さな塊り、つややかでふさふさの毛並みをした小さなシェットランド・シープドッグの姿には、
「………るふぃ〜〜〜。」
 誰かに見られたらどーすんだと、ゾロがついつい渋い顔をして見せた。小型のコリーとよく言われるが、縮尺的にはコリーより顔も丸っこくて愛らしく、同じくらいの大きさのウェリッシュ・コーギーよりも、絹糸のようなしなやかで長い目の毛並みがふさふさしているシェルティくんは、

  《ふ〜んだ。人間の言葉なんか判んないんだもんね。》

 なんて言いたげな これみよがしに"つ〜ん"とばかりそっぽを向くと、つったかつったか、テラコッタのレンガ道を爪で引っ掻くように駆け出して。そのままそこらを走って来るつもりか、外への小道に飛び出しかかったが………その途端。

  「おっとぅ。こら"るう"。お前、首輪はどうしたよ。」

 少しばかり高い目のトーンでの"あうん"という鳴き声にかぶさったのが、聞き覚えのある伸びやかな男性の声。るう本人にも咄嗟のことだったものだったから、悲鳴に近い鳴き声を放ってしまったのであろうが、案ずる必要はない相手だと知れてもいて、
「あらあら。」
 どこかホッとしたように相好を崩したツタさんと違い、
「………。」
 若き旦那様は…目許を半目に眇めてちょいと面白くなさそうなお顔になる。そうこう言ってる間にも、
「よお。」
 低めの門柱&塀代わりの、錦木の植え込みの向こうから曲がり込むように入って来た男性が約一名。前庭に出ていた家人の皆様へ、気さくそうな声を掛けて来た。ここのご主人と同世代の若い彼だがタイプは丸きり違っていて、初夏向きの軽いデザインながらもジャケットに濃色のパンツというきっちりとした服装のすらりと細身の伊達男さんだ。肩に提げた大きなバッグと、片腕にも様々な食材だろう、中身がぱんぱんに詰まったクラフト紙の大きな袋を抱えていて。そしてもう一方の腕には、飛び出して来た出合い頭に捕まえたらしき"るう"を抱えているという恰好なのだが、見かけの細さに相反して軽々とそれらを抱え上げている余裕が何ともかっこいい。
「ようこそ、いらっしゃいませ。」
 にっこり笑ってお辞儀するツタさんへこちらも爽やかに笑って会釈をした彼は、それからという順番にて視線を戻したこの館の主人を見やって…。

  「おいおい。何て顔してんだ、お前。」

 カイくんが怖がって泣くぞと、余計な事まで言い出す始末。それへと、
「うるせぇな。」
 ゾロが言い返したタイミングに、腕の中、るうがジタバタと暴れかかったので、
「あ〜、こらこら。いい子にしないか。」
 荷物の方を足元に降ろし、両腕で抱え直して背中を撫でてやる。なんたって"ルフィ"の姿の時に毎日きちんきちんと風呂にも入るし髪も梳くしと、身だしなみが行き届いているがため、白地の背中や頭に黒い斑紋という配色の、絹のような柔らかな毛並みは極上の質と手触りで ふかふかつやつや。
「ん〜、気持ちいいな。」
 触っている側もそのまま心癒される感触であり、眸を細めつつ撫でてやっていると、

  「あんまり気安く頬擦りとかすんじゃねぇよ。」

 随分と乱暴な語調のそんなお声が、ぶっきらぼうに投げられて。
「ああ?」
 いきなり何をトンチンカンなことを言い出すやらと、本気でキョトンとしたサンジだったが、顔を上げると…旧友の偉丈夫が、こちらもかなり本気で怒っているらしい顔つきを見せている。眉間と口許に妙に力の入った憮然とした顔であり、
「…ああ。」
 そうかと気づいて…それと同時、くつくつ笑いがついのこととて口から洩れた。この愛らしい仔犬は、だがだが、彼にとっては掛け替えのない"愛妻"でもあるからで、成程、他所の男にやたらと触らせたくはないのだろう。
「お前がそんな風に妬くとはな。」
「うるせぇよ。」
 冷やかしも利かない純情男の
(笑)真剣そうなお顔に、サンジは堪らず肩をすくめて見せたのであった。




            ◇



 ここは歴史ある別荘地として有名な、某郊外都市の旧市街地。その奥向きにひっそりと、天然の緑のカーテンに囲まれて建つ、古めかしい山荘風のお屋敷にて、彼らは出会った。片やは窮屈で単調な都会の生活の中、何をか見失ったかのように無為に空虚に過ごしていた屈強な青年。そしてもう片やは、不思議な存在、犬の姿になれもする…微妙に生身の"精霊"として生まれ落ち、数奇な宿命と悲しい出来事の数々に翻弄されつつも、精一杯お元気に…そして懸命に、溌剌と過ごしていた少年。生まれも育ちも年の頃も、何もかもが違いすぎ、その生涯自体重なりようがなかった筈のそんな二人は、ちょいと変わり者だった青年の父という仲介者を経て巡り会い、それからそれから、ちょこっと…紆余曲折っぽい ささやかな騒動を挟んでのち、お互いを想うその丈の 深さ・熱さを告白し合って。"相思相愛"のまま、幸せの中に結ばれた。そして…その翌朝、ルフィが言うには"赤ちゃんが出来た"ということで。此処までを綴りましたのが、前話『土曜の晩に…』までのお話な訳ですが。



   ――― さてさて…。



 毎日お世話になっている家政婦のツタさんには、ルフィが身ごもったのが分かったその日に全てを打ち明けた。ルフィがいわゆる精霊であり、あのシェルティの"るう"でもあるということ。彼には"性別"は有って無いようなものであり、えとその、あのその、何だかその。ゾロとの子供を身ごもってしまったらしいということ。どこからどう説明したものか、ちょっと不器用な二人だったものだから、ついでに言えば…こんなややこしい身の上でなくたって十分に照れちゃうような内容の"報告"だったものだから、何だかしどろもどろになりつつの説明だったのだが。それでも…これからもっとお世話をかけることになりかねないからというだけでなく、心からルフィのこと、心配してくれてた優しい家政婦さんであり、お母さんみたいに大好きな人だったから、いつまでも隠しごとをし続けているのは良くないと思ってのこと。一生懸命言葉を探し、恥ずかしくとも真剣に、最初からの全てを説明して。そして、

  「…そうだったですか。」

 ツタさんからのお返事は至って短くて。
「ええ、あの。何となくですけれど、ルフィ坊っちゃまと"るう"ちゃんと、一緒に見たことがないなって、そう思ってはいたんですよ。」
 漠然とした思いではあったが、結局はお仕えする御方の家庭の事情。聞きほじるのはルール違反だからと、あまり深くは考えずにいたということで。
「………家庭の事情。」
 ゾロが複雑そうな顔になったのはひとまず置いといて。
(笑)
「あのね。赤ちゃんが出来たから、今は"るう"になって見せてって形で証拠は見せられないんだけれどね。」
 ルフィが拙い言いようで付け足したのへ、
「赤ちゃん、ですか。」
 これへもツタさんは、所謂"奇異の目"とやらは丸きり見せず、
「生まれるまでどのくらいかかるんでしょうね。やっぱり十月十日でしょうか?」
 やんわり笑って訊いてくれた。それへとちょこっと考えてから、
「父ちゃんは…えと、100日ってゆってた。」
 ルフィも一応は"妊娠"についての知識は授かっていたらしく。けれどでも、

  『でもね、まさか自分に必要になるもんだとは思ってなかったよ。/////

 ほんの少し頬を染め、照れているのか怒っているのか、横抱きにお膝に抱えるようにしてくれているゾロの胸板へ、ぐりぐりと顔を擦りつけながら言った彼だったのは後日のお話。
「そうなんですか。ワンちゃんの妊娠期間は大体二ヶ月ですから、それよりは長いんですね。」
 大体63日だそうだから、成程、それよりは一ヶ月と少しほど長い。
「それと…あのな、ツタさん。」
 これは自分が言うべきだろうと、ゾロが…珍しいほど赤い顔をして、
「ホントだったら見送った方が良い"初めてのさかり"だったから、体が小さいのにっていう無理が祟るかもしれなくってな。/////
「………あらあら。」
 日頃から怖いものなしの"武人然"としている年若きご主人の、妙に年齢相応な照れ具合に、なんて微笑ましいことと、ここでついつい小さく笑ってしまったツタさんであり、
「分かりました。私の力の及ぶ限り、やれるだけのお手伝いを致します。」
 互いを大切に思い、愛しいといたわる想いは誰よりも深けれど、年若く、理解者も少ない彼らを、しっかり後押ししましょうぞと、それはそれは力強く頷いてくれた頼もしい家政婦さんだったのである。





   ………で。
   頼もしい味方が出来た彼らではあったのだけれども。


   実はもう一つ、結構大きな"問題"が残っていた。





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Chihiro
    『"ぱぴぃルフィ"のその後。
       身ごもったルフィとゾロ&出産後の3人家族』


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