月夜見
桜丘望景F
  



          




 さぁさ 長居は禁物、ログもギリギリで溜まったみたいだしと、当初の“羽伸ばし”という予定を繰り上げて慌ただしくも港を出た。縛っておいたとはいえ、町角へ“スカウト”にと出ていた他の仲間や関係者たちが戻って来もするだろうから、あっさりと救出される彼らだろうし、そうなれば追っ手がかかるのも必至とあっての…いつも通りの事態への迅速な行動であり。買い足した品物を積み込み、船の点検に大急ぎで取り掛かり、
「この船だってきっちりチェックされてただろからね。」
 そんな背景があってのことだから尚更に、どんな細工をされているやも知れないからしっかり確認してよ?と、ウソップに重々念を押した上で尻まで叩いておいてから、航海士さんは…頬の縁へと軽く睫毛を伏せつつ、風や海流の具合を感じ取ることへ集中する。海は静かだし、大気もクリア。凪が済んで陸風が海へと吹き降りる頃合いだから、
「…よし、出港に支障はなさそうね。」
 本来ならば、危急の場合以外、暗い海上を航行するのはどんな場所であれ危険極まりないことだから。港湾機関からの出港許可だって下りる筈はないのだが、そこはそれ、
「何たって“海賊”だから、ワタシたち。」
 …下手な川柳みたいな言いようですな、そりゃ。
(笑) 係留索具をぶっちぎり、巡回していた係官たちの制止する雄叫びをお見送りの銅鑼ドラ代わり、彼らのキャラベルは実に手際よく、埠頭を離れて出奔したご一行。今回は自分も精力的に大暴れしたせいか、選りにも選って素人に毛の生えたような連中から小馬鹿にされたんだというむかっ腹も、多少は発散させられたみたいねと。無事な船出という安心感もあって、ようやっと気が抜けた凛々しき航海士さん。はぁあと溜息をついたところで、遠ざかる島のあちこちへ下手くそな絵描きの奔放な落書きみたいに散りばめられている、緋色のもやのような彩りに、ついついと眸を奪われた。

  “桜、か………。”

 生まれた島にはなかった花。せっかくの実りに仇なすような、無情の冷たい雨が降る時期もあるにはあったが、基本的には1年中が夏日和という気候の島だったから。年中暖かで、はつらつとした陽射しの下、海岸沿いには観葉植物や南国生まれの原色の花々、つやつやで堅い葉が生い茂る濃緑の茂みには、みかんの可憐な白い花たちがそりゃあよく映えていて。あんな淡い色合いの儚げな花は、島やその近隣の海域でも見たことがなかった。
“でも…。”
 島から一歩たりとも離れなかった身じゃあない。年齢が二桁になってすぐにも、島を離れての本格的な泥棒稼業を始めてた。最初は手近な島の港町での万引きや置き引き。でも、そんなじゃ高が知れてるし、あっと言う間に顔だって知れ渡って身動きが取れなくなるから。それから…どんどんと大胆になり、遠くまで足を延ばしての本格的な窃盗を重ねるまでになるのに、そんなに時間は掛からなかった。
“ドラムであの光景を見て、すぐに桜だって判った。”
 周囲を見回す余裕なんてあんまりなくて。でも、故郷にないものを見ると、遠いところまで来たなとしみじみ思うことも稀にあった。
“そうよ。それで…。”
 花なんて見ているような余裕はなかった筈。知識として知ってはいたって、胸を揺すぶる対象ではなかった筈。でも、
“………覚えてたから。”
 ドラムで見た荘厳な風景。ドラム城がその頂上にあった、柱のような山を幹に見立てて、緋色の雪を花火で照らして。けぶるように咲く桜を模した、そりゃあ大きなモニュメントが見送ってくれたその光景に心打たれつつ、初めて観たものではないと心のどこかで思い出してもいた。どこでだったかまでは覚えてなかったけれど、切なくて切なくて、涙が止まらなかったこと。壮大な夕陽のようなもので、独りぼっちで観るにはあまりにも大きすぎた感動に、胸が潰れそうになったから。我知らずの涙が出てから、気がついた。こうまで美しいものを、なのに誰かと分かち合えない孤独の哀しさ。こんな遠くに独りぼっちなんだということ、戦いの最中にいる自分なのだということをひしひしと感じたから、そりゃあ切なくて切なくて。大好きな村の皆の幸せを取り戻したくてっていう奔走だったのにね。なんて孤独な戦いだったのかなって、今頃になって思い返す。がむしゃらだったあの頃は、気がつかなかった。ただ、時々寂しくて堪らなくなって。膝を抱えて、声を押し殺して泣いた日もあったかなって…。

  「? どうかしましたか? ナミさん。」
  「ん〜ん、なんでもない。」

 男のクセにピンクのシャツが似合う人。心配そうに覗き込んでくれたのへ、小さくかぶりを振ってみせれば、
「なんでもないってお顔じゃなかったっすよ?」
「ホントに、なんでもないって。」
 何度言っても納得しないまま、案じてくれる優しい人。そうねそれじゃあと素早く肩を掴んで、
「…はい?」
「いいから、あっちを向いてて。」
 向こうを向いたシェフ殿の、背中を借りた航海士さん。ぽふんと頬を埋めると、香辛料かな、甘い匂いが微かにする。
「胸じゃあダメですか?」
 いくらでも抱きしめて差し上げますのにと、どこまで素直な心根だか、そんなことを言い出す人へ、
「ダ〜メvv
 くすくすと楽しげに笑って、細いのに見合わず、割としっかりした背中へと顔を伏せたナミさんだった。









            ◇




 平和な島だったのにやっぱりドタバタはついて回って。何だかなという滞在となってしまった、とんだ桜の島だった。夜間もライトアップされてる“オリエンタル・マザー”のある辺りを海上から眺めやり、
「あ、しまった。」
「? どした?」
 せめて離れるまでは名残りを惜しもうと思ったか、随分と離れてもまだ後甲板にいた船長さん。暮れなずむ海上にほわりと浮かんだ緋色の彩り。幻想的な眺めを前に、見落としてはいけない何にか気づいたというような声を出した彼だったもんだから、傍らにいた剣豪の注意を引き寄せたものの、

  「俺、結局は“オレンダ”の桜を間近で観てない〜〜〜。」
  「…おいおい。」

 何事かと思っただろうがと、肩から力を抜いたゾロだったが、
「だってよ、あれが“売り”だったんだろ? この島。」
 なのに肝心なものを観損ねたなんてよと、名前からして覚え間違えてるくせして、異様に残念がってはしきりと“オレンダ、オレンダ”とばかり連呼するものだから、
「何か、お前のだって言ってるみたいに聞こえるぞ。」
「んん?」
 何を言われたのだか判らないと。キョトンとしてから、再び“オレンダ、オレンダ…”と呟き始め、

  「…っ☆」
  「遅いって。」

 やっとのことで意を得たりとばかり、ぽんっと手のひらを拳で叩いた船長さんへ、こらえ切れない苦笑をまんま見せてやる剣豪さん。その笑みが何とも和んだ柔らかいものだったのは、これから宵を迎える“黄昏どき”という独特な時間帯の空気のせいだったのか。微かにぬるくて潮の香のする残照の中、ゾロはルフィと同じように島の彩りへと視線を向けてみた。

  “………桜、か。”

 他には何も見えなくなってた。いや…そうでいなければ到底届きはしないのだと、自分の未熟さを苦々しくも自覚した上で、自分を尚のこと律していたのかも。それでも見えず、本当に地続きなのだろうかと自分でさえそうと思いあぐねるほど、それはそれは遠いところにあった野望だったから。ああ情けなんか持っていたからそれが足枷になったのかな、人としての自尊心さえ、力の足りない自分には重荷でしかないのかな。なりふりなんかに構っていては到達出来ない高みだってことは、重々判っていた筈なのにな。けど、しようがないじゃないか。下衆に堕ちることがどうしても出来ない性分なんだ。この頑迷さが邪魔なのかな。人であっては到達出来ない、人ではなくなった存在だからこそ極められる高み。そんなものを目指している自分なのだろうか。だったら……………。

  ――― お前、俺の仲間にならないか?

 絶望寸前、失望しかかっていたそんな時に現れてくれた、麦ワラ帽子のお暢気な船長。まずは誰もが笑い出すほど真に受けてもくれない大望を、いいねぇそのくらいの奴でなきゃあと飲み込んでくれた。何を焦っているのだと、時間はたっぷりあるじゃあないかと。そんな余裕でもって、背中をポンと押してくれたから…今、こうやって余裕で立っている自分がいるのだと思うゾロであり。

  「…なあ。」
  「んん?」

 ちょっぴり詰まらなさそうなお顔なのは、そんなにも桜が見たかったから? しょうがない奴だよなと、あやすように目許を和ませれば、
「ゾロも桜が好きなんか?」
「? ああ、まあな?」
 何の気なしに応じれば、う〜っと恨めしそうに睨み上げるような、そんな上目遣いをしているルフィであって。余計なことまで言い過ぎるほどに、腹にものを溜めとけない彼なのにと思い起こせば、いかにも言いたいことがありそうなのに…悔しげに言わないでいるだなんて。これはなかなか珍しいことではなかろうか。
「どうしたよ。」
「…知らねぇ。」
 自分のことへそれはなかろう。何を拗ねているのかと、長い腕の中へと取り込んでやれば、やんやんともがいたのも最初だけで…結局は大人しくなり、

  「…訊きたいことがない訳じゃないけどさ。」
  「うん。」

 そういうむずがりらしいなというのは、ゾロの側でも何となく気がついた。口下手で、しかもそれほど論理的でもないから、自分で自分をすっぱりと納得させられずにいるルフィみたいだなと。何とか整理がつくまでと、根気よく待っててやると、

  「ゾロがその白い刀とか桜とかに何を思うのかなって、
   それを考えてたら、時々 理由
ワケもなく“い〜っ”てなることがある。」

 おやおや。いかにもな言い回しの拙さもまた、彼の無垢
ピュアな心情をそのまま映したみたいで、いっそすんなりと飲み込めて。
「全部を欲しいけど、あのな。判んないとこがあっても信頼してるし、これからどんな奴になんのかの方が大事なんだし。」
「…うん。」
 出会った仲間の誰の過去についても、自分からは聞かないし、敢えて知りたがろうともしないルフィなのは、これから辿る将来へと続く“今現在”の姿や気概を知っていれば十分だと思っているから。直感ばかりを信奉する、ある意味危なっかしい事この上もない考え方ではあるけれど、過去というしがらみに翻弄されるようなら打破すれば良いだけのことと、言ったそのまま やってのけられる奴でもあるから、そうそう夢見がちな少年だってだけでもなくて。そんな彼が、
「ちゃ〜んと大剣豪になれる頼もしい奴だって判ってるし、それだけで十分な筈なのにな。」
 内面にまで上がり込む気はないし見せろとも言わず、こだわらないのが自分の“らしさ”な筈だったのにね。

  「何でだろ。時々、い〜〜〜って なるんだ。」

 そこに何かが閊
つかえているのだとでも言うように、自分のシャツの胸元をくしゃりと掴んで むむうと膨れる。本人にも何でなのかが判っていないのか、だから余計に収まらないと、捉えどころのないむずがりに下唇を むいと突き出す子供っぽい仕草が、何とも言えず愛惜しい。


  ――― そんな顔してんじゃねぇよ。
       だってよぉ。


 そんな顔とやらを…こちらの懐ろへ ぽふりと埋めて、まんま凭れて来た小さな重み。殊更 大切そうに受け止めてやって、薄い肩を抱いてやり。見下ろした小さな背中を、手入れの悪い黒髪を、大きな手のひらでいつまでもいつまでも撫でてやる剣豪さんである。



  ――― 自分たちに切ない想いを抱
いだかせた、
       華やかに咲いて凛と散る緋色の花王たちを、
       じっとじっと見やりながら………。










          ◇◆◇



 今はもうすっかりといつもの調子の彼らではあるが、ナミが、そしてゾロも、どこか様子が変だったことに気づいていたロビンは、同じ春宵の凪の空を見上げながら小さく小さく苦笑する。

  “桜ってホントに“くせ者”なお花ですものね。”

 此処の桜があまりに鮮烈に胸を衝く見事さだったから。独りでいた時期が長かった彼ら二人には、殊の外、感じ入るものが多かったんじゃないのかしらね。自分もまた、人の中に紛れながらもずっとずっと独りだった考古学者のお姉様がそうと苦笑する。世を拗ねていた訳でもなく、ただただ必死でがむしゃらだった。人と交わる余裕もなかった。でも…生まれた時からのずっとがそうだった訳じゃあない。幸せだった、暖かだった時もあったから。それを一足飛びに一気に思い出してしまったのかもしれない。

  ――― そう。振り返るだけの余裕が出来たってこと。

 どんな汚名を着てもいい、選りにも選って大好きな人たちから誤解されてたっていいから、一日でも早く村の皆を地獄のような日々から救い出したいと思っていた彼女も。何を失ってもいい、そうしなきゃならないなら“人の心”を失
くしてでもいいから、世界一の剣の使い手になりたいと切望していた彼も。ただただ1つのことに憑かれたようになるあまり、独りぼっちだという事実さえ振り切って生き急いでいた。我欲にまみれていた訳じゃあない。それとは微妙に次元の違う、けれど譲れないものへの固執に目が眩んでいた、心を雁字搦めにされていた。他人のことを思いやったり意識したりするなんて冗談じゃないくらいに、自分の事だけで一杯一杯の限界を綱渡りしていた。

  ――― そして…今は。

 今はそこから脱していて、もう…孤独を孤独と気づかないほどの状態ではないから。自信をもって行動している彼らだからこそ、あらためて思い出せた…向き合えた何かがあって。桜の花を見て、がむしゃらだった頃に置き去りにしていたもの、あらためて噛みしめている彼らなのだろう。
“………。”
 思い出したものに改めて固執したり引き摺られたりするかどうかは、それこそ彼らが自分で決めることだけど、

  “大丈夫、よね。”

 彼らの愛する船長さんの口癖の“大丈夫!”は、単なる安請け合いじゃないってことも、彼らはちゃんと知っているから。頼もしいのだか危なっかしいのだか、あがいてもがいて、なりふり構わず粘りに粘って。ただただ前進することしか頭にない。休憩にと立ち止まったり、ついついよそ見をして寄り道も沢山するけれど。あくまでも“前進”しか知らない船長さんだから、だから大丈夫。

  「ロビンちゅわ〜ん、晩ごはんですよ〜vv
  「お〜い、ロビン〜。早く来〜いっ。」

 名指しで呼ばれて、口許の苦笑が尚のこと色を増す。そんな微笑ましい彼らの輪の中へと、いそいそと混ざりにゆく自分の可愛げへも零れた苦笑。明日はどんな大騒ぎが待っているのかしらねと、昔ならシニカルに享受して筈の単なる“明日”が自分にも待ち遠しい、そんな気がした考古学者さんだった。






  〜Fine〜  05.3.30.〜4.19.


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  *何だか長くかかってしまいましたが、
   結局、この話ってギャグだったのかな? それとも叙情物?
   サクラは大好きなお花なのでと扱ってみたのですけれど、
   書いてる側までもが花霞みの中に取り込まれてしまった模様です。
こらこら

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