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掠れがかった低めの声は、
いつもの伸びやかさを感じさせないほど
大人びた甘さでやわらかく響く。
「もう判っているんだ。
ここに意味深に触れられると
それはいい声で鳴くんだよね、キミ。」
「…っ。」
ぎくりと震えた総身だったことがそのまま、
それは正直に“是”と応じているようなもの。
逃れようにも倒れ込んでの床へと背をつけている以上、
せいぜい かぶりを振るよに首を左右するくらいしか
抵抗らしい抵抗はならずで。
「どうしたの。私が判らないのかい?」
「そ、そんなことは…。」
玻璃の双眸が優しくたわめられる。
こういう体勢になると、
彼の長い髪が肩口から前へと垂れてくるので、
顔へも覆いかぶさってしまい、
下にいる身には見えなくなってしまうのだが。
今は かろうじて
茨の冠が押さえていることで目許近くの表情は見える。
薄い頬、細い鼻梁、眼窩もやや深く、
彫の深い面差しに、まとまりの悪い深色の長い髪。
肩を押さえ込む手の温みも、
多少は加減してもいるらしき、
こちらへのしかかって来ているその重さも。
どこもかしこも、
正しく自分がよく知るイエス以外の誰でもなくて。
だが、日頃はもっと柔らかな印象が絶えぬはずが、
今の彼からは…声にも表情にも、
過ぎるほどの自信というか、傲岸さのようなものが感じられ、
それがブッダには何とも薄ら寒い。
すぐ間近にかざされた神の子の顔が、
ふふと 静かにほころび、
「何も一方的に蹂躙しようというのじゃあない。
キミも気持ちをゆだねてくれたなら、
同じ蜜を思うがまま堪能出来るのに。」
「そ…。////////」
そんなこと出来るわけないだろうと、
言い掛かって だが言葉にならぬ。
のしかかったままの彼が、その手で押さえ込む腕や肩も、
その身を重しに起き上がれぬよう床へと釘付けにしている胸元も、
片方の脚を割り入れている下肢も、
その気になれば難無く振りほどけるはずなのに。
それが出来ないのはただただ、
彼を傷つけられないと、
それを何よりも優先したいと思うからこそで。
“下手に振り払っては怪我をさせかねないし、”
その身への傷だけでなく、
この自分から抵抗されたという事実へこそ、
打ちひしがれてしまわぬかというのも案じられ。
イエス本人には違いないのだし、
こうなってはもはや 後もないのだ、
気の済むようにさせてやってもいいのかもと、
ちらり思わぬでもなかったが、
“でも、正気じゃあないキミが相手じゃあ、
やっぱりこれって……。”
微妙ながら、
すんなり受け入れちゃあ いけないんじゃなかろかという
割り切れない気持ちもあってのこと。
加減をしての抵抗というの、
何とか構え続けているブッダなのでもあって。
「さあ、左耳?右耳? どっちがいいのかな?」
「…っ!////////」
睦言を紡ぐような、その声の響きのくすぐったさから、
咄嗟に ひやっと肩をすくめてしまったその所作に誘われたか。
左側の頬へと彼の髪がかぶさりかかり、
腕を折ってその身を降ろして来たことで、胸と胸とが密着する。
ああ、この温みも、
この、すぐにも肋骨が当たる胸元の感触も、
髪の匂いも、口元の髭の感触も 何もかも。
愛しくてやまないイエスのものだというに。
どうしてこんな、痛々しい想いで受け入れねばならぬのか。
ほんの小半時前までは、いつもと変わりない日のままだった筈なのに…。
◇◇
一体 何がどうしてこうなったものか、
出来れば説明をいただきたいのは ブッダ様だけではない筈で。
意味深な台詞回しだけれど実は…という、
いつものお途惚けた展開じゃあなかったんですよ、はい。
もーりんへの“オオカミ少年R”の異名は 今日をもって撤回です。(おいおい)
ブッダ様ご当人におかれましては
そんな悠長な場合ではなかろうというのもようよう判るので、
ここは少しばかり時を逆上ってみますと…。
『…あ、イエスお帰り。』
秋もいよいよとその深まりを見せつつある今日この頃。
朝晩の冷えようも強まり、
靴下を履かないと板の間では足がつりそうになるし、
銭湯に行くときは汗をかいても厚めの上着を持ってかないと、
湯冷めしかねない頃合いになったねぇなんて。
唯一の収納である押し入れの中、
衣類の置き場の入れ替えなんぞを仲良く手掛けていたら、
そこへと訪のうたのが、管理人の松田さん。
―― 聖さん、大工仕事は出来るかね?
長押の上に据えた棚がどうもぐらつくので、
背丈のある二人を見込んで、
様子を見てクギを打ち直してほしいとのこと。
ああそれならと、イエスが気軽に立ってゆき、
ブッダも道具箱を手渡しながら、
いってらっしゃいと朗らかに見送った。
さすがは大工の息子で、
ちょっとした修理や営繕なら立派にこなせるイエスであり。
最近は便利な道具もあるもんでと、
ブッダの御用でホームセンターなぞに立ち寄れば、
彼もまた物珍しげにあちこち見て回って楽しんでいるほど、
勘は鈍っていないままならしい。
家の中の棚だけかと思いきや、
庭先でも声がしたので植木棚も修繕しているらしいのが伺えて。
ああ、松田さんたらちゃっかりしてるなぁと、
ブッダが相変わらずなところを苦笑しておれば。
それからしばらくして、
ノックも声掛けもなしに当家の玄関が開いたので。
そろそろおやつ時でもあったし、
ウチの押し入れの整理も終わったしと。
食パンにケチャプとマヨネーズで作ったオーロラソースを塗り、
昨夜のキャベツの千切りの余りと
スライスチーズとを挟んでオーブンで炙った、
ホットサンドを用意していたブッダが、
帰って来た相棒さんへ、何の気なしのお声を掛けたのだけれど。
「…。」
「イエス?」
キッチンは玄関のすぐ前なので、
ちょっと横を向けば、
小さな土間で靴を脱ぐ彼には手だって届きそうなほど間近くて。
いつものイエスなら、
あ・何か作ってる、おやつ? 今日は何なに?と、
それは無邪気に訊いて来るはずが、
一向にそんなお声が掛からぬのが 何とも不自然であったので。
「どうしたの? もしかして怪我でもしたとか。」
上手の手から水が漏れではないが、
うっかりしていて金づちで指でも打ったか、
はたまた板の縁で棘でも刺したかと。
それでの意気消沈かと、
すぐさま案じてしまったブッダがそちらへ身を向けたのとほぼ同時、
「すまなかったね、ブッダ。」
それは落ち着いた物腰で上がって来たイエスが、
その双腕を左右に開いて歩み出していて。
その結果、進行方向にいたブッダを、
やすやすとその懐ろへ導きいれてしまったのであり。
「……………え?///////」
済まなかったって何が?と、
その懐ろに掻い込まれつつも、
彼の放った言葉の意味を呑気にも追っていたブッダ様だったが、
最近の“進展”を考慮すれば、それだけ危機感が薄かったのも致し方ないこと。
これが夏頃の彼らであったなら、
こうまで深々と迎え入れられるよな体勢だなんて、
そうと気づいたその途端、真っ赤になって飛び上がっていたところだが。
朝晩の冷え込みにかこつけて、
ぎゅうと抱きかかえられているのがもはや当たり前となっているその上、
外から帰るとご挨拶も兼ねて、飛びついて来るイエスなのを
はいはいと受け止めるというパターンが
知らず、身についてもいたからで。
それ以上の意味持つハグにしても、
慣れた…とはまだまだ言い難く、仄かに頬に血が昇りはするが、
それでも、いちいち過剰に反応するほどではなくなっている。
少なくとも、それと並行して投げられた言葉を精査出来るほどには、
思考も働くブッダであり。なので、
「キミを独りにしてしまったことサ。寂しかっただろう?ハニー。」
「ハ、ハニーっ?///////////」
深みへ招きいれたことで可能だったか、
長い腕でくるりと器用にブッダの背を懐ろ深くへ抱き込むと、
指の長い手がうなじへと添えられる。
まるで大切な宝珠でも支えるように、
その実、逃れられなくするように、
指先で相手の頭の位置を定める仕草を取って見せ、
「私は常にキミと共にあらねばならないのに。
何とも迂闊なことをしでかしてしまった、どうか許しておくれ。」
「いやあの、ほんの30分足らずだったってば…。」
うっすらといやな予感がするものの、
どうかあのその、ただの悪ふざけでありますようにと念じつつ。
ほら、そんなぎゅうぎゅうくっついて来たら危ないって、
ここ狭苦しいんだしと、
後ずさりする格好で離れようとするのだが。
いかんせん、こうまでしっかと掻い込まれていては、
これがなかなか侭ならぬ。
唯一 幸いなことには、
両の腕ごと掻い込まれているという体勢だったので、
自分の胸元とイエスの胸板の間にあるその腕をぐっと突っ張れば、
何とか密着から逃れられそうだったものの、
「何をそんなに私からの寵を拒むのだね。」
「いやあの、有り難いなぁとは思ってるんだけどね。//////」
いつもよりエッジの立った印象のする知的なお顔は、
目許をやや伏せがちにすると、もうもういけません。
イケメン度が 当社比42%は上がってしまいます。
それでなくとも、恋するヲトメ心のせいで、
ちょっと物差しがおかしいブッダ様にあっては、(笑)
男前だなぁと常日頃思ってやまぬお顔ゆえ、
“あああ、何でそんなキメ顔なのキミ。///////”と
ついのこととて踏ん張りの力も緩むし、
下手を打てば
そのまま吸い込まれそうになってしまいかねなくて。
振り切るのも侭ならぬまま、じりじりと少しずつ押されておれば。
板張りフロアと畳み敷きの六畳の境目、
敷居とも呼べぬほどのほんのかすかな段差があったところに
摺り足をしていたかかとが引っ掛かり、
「わっ!」
そのままバランスが崩れて後ろへと転びかかる。
卓袱台も押し入れの整理の都合から窓辺へ避けていたので、
何もない空間ではあったが、
それでもばたりと仰のけに倒れたのは結構な衝撃。
しかも二人諸共という格好だったので、
「あ…イエス、腕は? どこかぶっつけて…」
ないかいと、訊くブッダの声が尻すぼみとなったのは、
「驚かせたね、性急な求めで混乱させたかい? 愛する人よ。」
真っ直ぐこちらを覗き込んでいるイエスの、
それは真摯なお顔に圧倒されたから。
そういえば自分の背中もどんと畳へ当たってはなかったし、
気のせいでなければ 今も、空気イスならぬ空気リアシート状態で
心持ち宙へと浮かんだ状態になっているような。
“凄いなぁ。あの咄嗟に腕だけで支えてくれたんだ。”
下になったブッダが背中やしいては頭を打たぬよう、
自分も倒れ込みながらも、背へと回した腕をぐいと引いて、
支えてしまえた反射と膂力は大したもの。
それを感心しておれば、
そうやって守られた背中が
今度はすとんと畳へ降ろされていて。
まだ白々した明るみの満ちた部屋の中なので、
相手のお顔もすみずみまで余す事なく見回せる。
聖画では悲壮なお顔の多いイエスだが、
同じような真顔になっても、
そこに含まれる意図が異なれば、印象も大きく違って来るもので。
真剣な想い込め、視線の先にある存在を見据える彼は、
それが慈愛に似た感情だからか、
それはそれは優しくも嫋やかでありながら、
同時に頼もしき包容力にも満ちて見え。
「さあ、私の愛を思う存分受け入れておくれ。」
「あ…。//////////」
あああ、いいお声だと。うっとりと蕩けている場合じゃあない。
もしかせずとも これってやはり、
胸にあふるる深き愛とやらを、
ブッダへ降りそそがんとしているヨシュア様なようであり。
あまりに脈絡がなさすぎの豹変ぶりといい、
この、いかにもカッコつけの強い台詞回しや態度といい、
「イエス、もしかして松田さんチでリンゴをいただいたのかい?」
「いや。ただ、とても美味しいサイダーをね。」
ああ、やっぱり……。
最近はいろんなサイダーが流行っており、
みかんやぶどうのサイダーを 某○ツ矢さんも出している。
サイダーという呼び方自体、
本来は“シードル”リンゴの発泡酒を指すものだったりもしてと、
余計な雑学が頭をよぎったのは、現実逃避というやつか。
ああいっそ、アレルギーなんですと声高に言っておけばよかったと、
後悔してももう遅い。
「キミの唇の甘さに比べれば、さしたる甘味でもなかったけれど。」
「そ、そりゃどうも。///////」
ただただ押せ押せと
甘い甘い睦言を並べて愛を紡ぐ、強気のイエスを相手に。
先にも述べた理由から、強く抵抗も出来ぬまま、
されど このままなし崩しというのは何か違うぞと、
どうしたものかとの困惑に虜われるばかりのブッダ様であり。
「もう判っているんだ。
ここに意味深に触れられると
それはいい声で鳴くんだよね、キミ。」
「…っ。/////////」
不意を突かれて、横たわっていた総身がぎくりと震えた。
イエスの指す“ここ”というのは、
彼が少しばかり口許を近づけた耳のこと。
日頃は自分でしか触らぬ場所だが、
いつだったかイエスに任せたところ途轍もなくくすぐったくて、
ちょっとした大騒ぎになってしまったのだが…。
“い、いい声で鳴くって、そんな。///////”
そんなふしだらな言われようにぎくりとし、
だが、こうまでしどけない体勢で押さえ込まれていては、
どんな声を上げようと、
そうと言われてもしょうがない運びになるのかも。
背中を畳につけたまま、
かぶりを振るよに首を左右するものの、
それくらいでは抵抗とも言えず、
「さあ、左耳?右耳? どっちがいいのかな?」
「…っ!////////」
やさしい睦言を紡ぐよな、その声の響きのくすぐったさへ、
咄嗟に ひやっと肩をすくめてしまった
こちらの所作に誘われたものか。
左側の頬へと彼の髪がかぶさりかかり、
腕を折ってその身を降ろして来たことで、胸と胸とが密着する。
「〜〜〜っ。///////」
どんな刺激が来るものか、
ぎゅうと眸を瞑り、うう〜っと覚悟をして待てば。
柔らかな口許と一緒にその先にあった髭まで触れたか、
ちくりというかすかな刺激が、たちまち体の芯へと伝わって。
血脈をぞわぞわと震わせたそれが、
それぞれの四肢の先、指先へまで淡い炎のような痺れとなって駆け抜ける。
「ひあっ、ああっっ!////////」
総身をぎゅうと縮め、
自分で自身を抱き込めて押さえ込みたくなる衝動に襲われたが。
のしかかったままの彼を何の制御もないまま押しのけては危ないと
ぎりぎりの理性が断じてのこと。
震え出しながらも ぐうとこらえてじっとしておれば、
「そんな悲しい顔をしないでおくれ。」
先程やさしいキスでくすぐった耳を、
そおと撫でるイエスの指が、ますますのこと辛くてたまらぬ。
みだらな声を出してはならぬと、歯を食いしばったが、
それでも耐え切れずに、
「っく…あ、ああぁっ。//////」
嗚咽にさえ聞こえる切なげな声が、
やっと彼の素の心へまで屆いたか。
それとも…弾けるように一気に髪がほどけ、
間近にいた彼の頬にも触れたその感触に驚いてのことか、
「……………え? あれ?
私、いつの間に、……って、ブッダ?
大丈夫? あ、何で私 キミに乗っかってるの?」
慌てたように身を起こし、
下敷きになっていた大切な人へと手を延べる。
やっとのこと正気に返った彼であるようで、
痛くない? 背中とか摺ってない?と、
甲斐甲斐しくも訊く声音も、ちょっぴり頼りないおろおろしたところが
言っちゃあ悪いが、ああいつものイエスのそれだと。
今はそれだからこそ、安堵の息がこぼれたブッダだったけれど。
そんなイエスが差し伸べてくれた手が、途中で止まって凍りつく。
「いえす?」
どこか痛くはないかと案じていた声が凍ったのは、
ブッダの深瑠璃色の瞳にかすかに潤むものが見えたから。
「あ、私…。」
「イエス? どうしたの?
私は大丈夫だよ? ちょっと驚いただけで…。」
ひどく驚いたそのまま、顔色を変えた彼なのへ、
様子がおかしいと顔を近づければ、
「ご、ごめんなさいっ!」
謝りつつも何故だか大きく後ずさる。
座ったままでよくもそこまでという、窓際までを下がったイエスは、
「私、我を忘れてたらしくて、
なのに、ブッダに何かひどいことをしてしまって。」
「はい?」
「他でもないキミに、そんな…手を挙げただなんてっ。
突き飛ばして組み敷くなんて、そんな非道なことをっ。」
「………いやあの、ちょっと待ってイエス。」
よほどに衝撃を覚えたものか、
額の聖痕が開きかかっているようで。
とはいえ、何でまた…争いごとを殊の外に嫌う神の子が、
意識のないまま ブッダへのご乱行を構えたと思うたのだろか。
「イエス?」
解けた螺髪もそのままに、
今度は自分から遠く離れてしまったヨシュア様を、
何が何やらと、呆気に取られて見やってしまう、
ブッダ様だったのでありました。
お題 @ “左耳? 右耳?”
NEXT→
*これでも 性懲りもなく“お題に挑戦”です。
冒頭にサブタイトルを上げちゃうと
底の浅さがあっさり割れてしまうので、
今回は後だしです、すいません。
どういうお題かも 書き進めてからネvv
*りんごネタ、やっと書けたのですが、
それがこんな形とは。(笑)
日頃甘えたれな彼ばっか書いてる反動か、
りんごイエス様の台詞を考えるのが難しかった…。
めーるふぉーむvv

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