キミが望めば 月でも星でも
      〜かぐわしきは 君の…

 “はじめまして”



カレンダーが新しい月を告げ、
気のせいでなくのこと、風も日に日に涼やかに落ち着いて来て。
朝食を済ませ、いつもの定位置の窓辺に陣取り、
金木犀の香にうっとりしておれば、
何かしらの想いを含んでいるらしき、彼の視線を頬に感じる。

 「? なぁに?」
 「あ・いや、ううん、何でもない。」

告げるまでもないからか、それとも気後れがするものか、
慌てたように言を濁すブッダだ…という格好の、
こんなやり取りが、気がつけば先日来から多くなっており。
そこはさすがにイエスにも気づくものがあるのだろ、
ふふふと目許を和ませて、PCの電源を落とすと、

 「やっぱり内緒にしとくべきだったかな。」

どさくさの中でのうっかり発言というものじゃあ、勿論ない。
教えを紐解くのとは勝手も要領も違うこと、
自分の想いというものを紡ぐのに不慣れだったあまり、
持ち出さなきゃ聞いてもらえないって思ったから、つい。
こんな素敵なのに あまりに不用心な君が心配だと、
そこを“判ってよ”とする代替のようなこととして。
実は数年なんてもんじゃあないほどの長いこと、
天界にいたころから、君を見ていたし案じていたんだと
口にしたイエスだったのだけれども。

 「考えようによっちゃあ、
  ストーキングしてましたって
  胸を張って言われたようなものだもんね。」

 「いやいや、それは違うでしょ。」

そうと応じた途端、
うん、ここは突っ込まなきゃいけないところ、と
そちらもたいそう良い間合いで
口許ほころばせ にこり笑ったイエスだったので。
まぜっ返さないでよと、
上目遣いになってむうと怒って見せたブッダだったものの、

 「あ…。//////」

特に何か言うでもないまま、されど流れるように繰り広げられた、
一連の…視線と表情のやりとりという ささやかな寸劇に。
そうそう、これこそ通常運転という空気になったのを、
ほこほこと微笑っていたらしい彼だというのへも気がついて。
その柔軟さと、それを支える気概のしなやかさへ、

 「…うん。ごめんね、何か勝手にやきもきしてたよ、私。」

ブッダの側でもようやっと、肩から余計な力が抜けた。
今更 意識なんてしてたって詮無いことには違いない。

 でもでもあのね
 うん、気持ちは判るの、こっちこそごめんねホントに、と

常とは逆の、
何か言いすがりたいブッダなのを
イエスがどうどう落ち着いてと受け止めるという雰囲気は
なかなか収まるにも時間の要りそうなことなようで。

  だって、
  あまりに思いがけない事実の発覚だったのだ

慈愛の如来として、
いやさシッダールタ王子として生を受けたそのときから既に、
様々な人や存在たちから慕われて来たし、
こちらからも別け隔てのない慈しみを授けて来た身だったものが。

 ただ一人へという、特別で唯一の想いを、
 そう、恋をしたのを意識して。

片恋に違いなかろうと悲壮な決意をしたはずが、
何のことはない、
イエスの方からも同じ“特別”を抱えていると聞かされて。
叶うはずがないし、許されるはずだってないことだのに、
他でもないイエス自身から、
何があっても一緒だよと受け止められた至福から得た、
何にも代え難いだろう幸せな熱に、
良くも悪くも翻弄されている最中だというに。

 そんなお相手、
 日々ますますと
 “好き”のゲージが上がるばかりな存在のイエスが、
 ほんの数年どころじゃあない、
 実はずっとずっと前から
 そんな想いを抱えてたなんて言い出したものだから。

 「ず、ずっとそんな目で私を見ていたんだね、君。////////」

 「何だか色々と含んでいそうで怖い言いようだけど、
  うん、詰まるところ そうなるね。」

ふふーと笑って言ってのけてしまう彼なのも、
アガペーの主だからというより、
長い歳月を我慢し通したという蓄積から
もはや達観に至っていたからか。

 「ずっとずっと黙っていたのは、
  最初の告白で話したのと同んなじ理由からだよ。」

 君という人は何でも抱え込むところがあるからね。
 想いもよらぬ、迷惑な片恋でさえ、
 そうと告げれば私が傷つかないかと慮るのではないかと思ったし。
 それより何より、私が堕天するやもと恐れて、
 何とか出来ぬかと全力懸けて庇うんじゃないかとさえ思ったから。

 「それらを思えば、本心が聞けるとは到底思えなかったし。」
 「うう…。///////」

それは素直で朗らかで、
策を弄すとかひねることになど縁なぞないと思っていた彼からの。
たいそう思慮深い思いやりと、
現に、彼が言うようになったに違いないと思わせるよな、
自分の取った不器用な隠しようとが、
ブッダにしてみれば恥ずかしすぎていたたまれない。
それに、

 「地上でのあれこれに留まらず、
  雲上での あのときもこのときも、
  君には見守られていたんだなぁって思うと。」

友達だからと遠慮もなかった、
気を抜いてたあれやこれやが思い出されて、
無防備にも程があるよな色々を晒してたかと思うと、

 「何かいろいろ落ち着けなくて…。///////」
 「………っ☆」

ふくよかな両の手で、
真っ赤に染まったお顔を隠してしまうブッダだったので。

 雲上でもささやかながら
 友情の範囲で何かあったらしいです、この人たち。(おいおい)

とはいえ、そっちは取るに足りないことだったものか、

 「何を言い出すかなぁ。」

額に巡る茨の冠を外しつつ、
それこそはっきりとした苦笑を浮かべて、
ゆるゆるとかぶりを振るイエスであり。

 「私なんかよりもずっと頼もしい人が。」

私としては憧れていてのこと、
素敵だなぁって見とれていただけなんだからと、
やんわりとした視線を投げかければ。
その先におわす如来様は、
ただただ頬を染めて、居心地悪そうに肩をすぼめてしまわれる。

 そんな言い方しないでよぉ。///////
 何で? ホントのことだのに。

 「カッコいいのも素敵なのもイエスのほうじゃないかっ。/////」
 「ありゃ。/////」

螺髪が今にも解けんとしてか、
真っ赤なお顔のうえで ふるると震えたほどに。
如来様、まだちょっと混乱中みたいです。(笑)

 “だって、
  すっかりと、無邪気なほうのキミにばかり
  親しんでいたものだから…。”

戒律も成り立ちも異なる、
天乃国と極楽浄土、それぞれの聖界の主幹的な存在でありながら。
それは気が合ってのこと、頻繁に会っては共に過ごしたくらい、
何とも仲睦まじかった彼らだったのは間違いのないこと。

 その始まりは、でも
 微妙な“ワケあり”でもあったのであり。

天界でもそれは無垢で無邪気で、
お陽様みたいに天真爛漫なイエスであったが、

 “彼だって最初からそうだった訳では……。”

恐らくは二人とも 今となってはわざわざ口にはしなかろうこと。
乗り越えたからこそ、もう“過去”でしかなく、
振り返るつもりもないこと。

  ああでも もしかして、
  あの発端にこそ、
  彼のホントの深い人柄も潜んでいたのかも知れぬと。
  仄かに想うブッダ様だったりもして……。





     ◇◇◇



最初に彼を見かけたのは、
極楽浄土と天乃国それぞれの辺境、
さほどくっきりとは仕切られぬ境目にあった、
“端境の庭”という緑豊かな木立の中に位置する区域。
入滅したのち、この雲上へと至り、
極楽浄土の僧房の一角に設けられた、
彼の居すためのそれだという宮へ迎えられてからも。
様々な文献や何やを貪るように読み耽り、
修行に明け暮れる日々を送る自分なのへと呆れたか、

 『たまには いい空気を吸っていらっしゃい』

十分休んで来るまでは、書庫への立ち入りを禁じますと、
守護でもある天部の梵天から言い置かれてしまい。
冗談抜きに、強固な結界を書庫と修行場へ張られては致し方なく。
しぶしぶ散策に出ることにしたブッダが
そこへと足を運んだのは、紛うことなくの単なる偶然であり。

 迷い多き身ゆえ涅槃への解脱をなかなか果たせず
 輪廻転生を繰り返す人々への救い、
 人の苦しみの源である“煩悩”との決別の
 道を示す術とその説法を、数限りなく追い求め、
 どんな迷える人へも諭してやれるよう
 身を削ってでもとの真摯な集中から、
 研鑽を進め、積み重ねるだけの日々を送ることの
 一体 何が悪いのだろかと。

生来の生真面目さもあってのこと、
半ば思い詰めてさえいたブッダではあったが。
いくら雲上人でも根を詰めれば体調にだって響くだろうし、
思い詰めが過ぎれば、
自分で自身を追い詰めることにだって成りかねぬ。
周囲も心配していると聞き、
長い長い歳月を与えられたこと、
そのようにしか解釈なされぬようではと、
頭を冷やしなさいという梵天からの計らいだったのだが、
それにさえ 気がついていたものか。
高く澄んだ空にも、瑞々しい清かな風にも気を留めず。
散策というより、定められた路程を歩いて巡る鍛練ででもあるかのように、
黙々と歩を進めていたブッダが。
ふとその注意を寄せたのが、一人の聖人で。

 「…あれは?」

何も雲上の住人全てを知っているワケではないが、
それでも…ああまで存在感のあるお人を
知らなかったなんてあり得ないと。
自分への誇り高き自負からというより、
際だった存在たる相手への尊敬や興味から、
おやと目が留まったまでのこと。
ここでは生前の
最も力みなぎるころや徳の高きころの姿が定着されるらしく、
よって、外見や見目は年齢や経験値へのあてにはならぬのだが、
それでもどこか覚束ぬ様子なのが、
まだ若々しい風貌には相応(そぐ)うており。
ローマの正装、
トーガと呼ばれる長衣と濃色のストールを痩躯へまとい、
深色の髪を背中の半ばまでと長く伸ばした、
南欧か中東寄りの人らしきその青年は。
淡い玻璃玉のような双眸が印象的な、
それは端正で聡明そうな面差しをしておいで。
この天界で人の姿のままでいるからには聖人なのだろし、
肩を落として見るからに悄然としていても、
こうまでの存在感をまとう佇まいをしているなんて只者ではなかろう。
それだけならば、視線が飛んでそこに居るのを見て、
そこまでの関心で終わっただろうが、

 “何と残心深き眼差しをなさっているものか…。”

どこか影の薄い感の否めぬ、頼りない気色をしているのが、
ブッダには妙に気になった。

 「ああ、あの方は天乃国のメシア、神の御子イエス様ですよ。」
 「…あの方が?」

聖女の胎内へ赤子として降臨し、
父である神の教えを広く遍く人々へと説いて、悔い改めよと紡ぎ続けた。
教えのその中の終章、いつか訪れる終末に何が起きるかの布告も兼ね、
不信や恐怖、虚飾と強欲と無知蒙昧、
何を犠牲にしても厭わぬ醜き保身などなどという人の原罪を贖うため、
磔刑で命潰えたその身が
3日後に再び降臨したまう“復活”の奇跡を成しもしたと聞いているが。

 “そんな神々しい御仁だとは…。”

失礼ながら見えぬと感じた。
何も神の眷属だからといって、猛々しくあれねばならぬ法はない。
ウチの天部の梵天や帝釈天らのように鷹揚傲岸である必要はないが。
それでも…命運に振り回されている身の脆弱さとか、
健気が過ぎて危なっかしいというような印象が先に立つお人だ。
気もそぞろか、何もないところでつまずきかかっては、
項垂れたそのまま足元を見下ろし続けておられ。
それが…ただ呆然としていたのではなく
その視線を雲間から下界へと
一心にそそいでおられたのだと判ったのは、
しばらく経った後日のこと。





  ―――― ……………っっ!!


ここ雲上の世界でも、風の運ぶ時間をむやみに飛び越えるのはご法度で。
過去であれ未来であれ、
条理を越えて勝手に翔ぶのは、神や創造主にも許されぬ禁忌。
ゆえに、時間の法則にやや抵触するレベルの高速移動、
亜空間を乗り継ぐ格好で
同空間内での直線移動とは遥かに桁が違う速さを得ての移動をなすことは、
暗黙のうちに禁じられていることだったし、
第一、そんな無茶をやらかせば、聖人でもそうそう身が持たぬ。

  だというに、

他でもない“地獄”へ真っ直ぐ駆けつけようとする
桁外れの亜空転移を成す存在に気がついて。

 “…これは、この気配はっ。”

まだ面と向かって“逢った”ことはない相手だが、
それでも彼だとすぐ判った。
覇気薄く、儚げな佇まいのまま、
“端境の庭”でその姿を見た、天乃国のメシア。
意志の色や質は間違いなく彼だったが、この凄まじい覇力はどうだろう。
ただ思い切ったというだけでは済まされぬ、
膨大な力もて動かねば出来なかろう、
亜空間での途轍もない跳躍による大転移。

 「私も追いますっ。」
 「ブッダ様っ!?」

傍にいたサーリプッタにそうと言い置いて、
取るものもとりあえず、直行で飛翔に入ったブッダだったが、

 “速いっ。”

条理の異なる空間だけに、無理矢理飛び込んだ身には抵抗も強い。
目映い漆黒と閃光の闇とがまだらに入り交じり、
熱波と冷気が交互に押し寄せて行く手を遮る、
堅くて粘りの強い、何とも言い難き念波と気脈の奔流というところか。
そんな中を咒力のみで力任せに駆け抜けるなんて、
どれほど優れた聖人でも身を削られるは必至の無謀な所業。
だというに、この速さはどうだろう。
それほど思い詰めているからか、
存在さえ把握し損ねそうになるほどの相手の速さ、
ブッダの覇力をもってしても意識追随で追うのがやっと。
見失うまいと集中したいが、この身も駆けさせねば捕まえられぬとあって、
これはなかなかに大変な追跡行であり。
だが、このまま捨て置けば大変なことになりかねぬ。
彼が目指すは聖と邪を分ける境界の“向こう側”でもあり、
堕ちた者以外は渡ってはならない地。
仏門で言う飢餓道や修羅道以上に、厳然と分断されたようなところゆえ、
罪の重さやそれに対する審判という、
ある意味での“条理”を浚ってでしか踏み込んではならぬ場所だから。
いくら特別な存在の彼であれ、いやさ、そんな彼だからこそ、
むやみに飛び込めば何が起きるか判ったものではなくて。

 「お待ちなさいっ。」

何とか頑張り、羽根の薄さほど先んじることができたそのまま、
コキュートスへ続くそれだろう、
暗黒の洞窟へ飛び込まんとする彼を全身で受け止める。
抱えたこの痩躯のどこにこれほどの力が秘められていたものか、
間違いなく追っていた対象だというに、
今もって理解が追いつかぬ…が、今はそれどころじゃあない。
懐ろへ飛び込んだ格好となった彼は、だが、
彼の前へ不意に現れたこちらを、条理厳守のガーディアン、
雲上世界の守護者か何かだとしか受け止めてはおらず、

 「離して下さいっ。」

 私はっ、行かねばなりませんっ。
 私の大事な弟子が今、地獄へ堕とされてしまったのですっ。
 そんなことってありますかっ。

途轍もない力もつ存在、
それをこんな形で明かした神の御子は。
語る相手が誰なのかも見分けぬまま、
振り切るまでの膂力はないのか、それでもやたらにもがくと、
堰を切ったように憤懣だか煩悶だかを今やっと溢れさす。

 弟子たちの大半も布教活動の先々で、
 目を覆うような迫害に遭っている。
 私とかかわりを持ったがために、私の教えに触れたがためにですか?
 どうしてそうまでされねばならぬ、苦しまねばならぬ。
 私が説いて望んだのはこんな世界じゃない、こんな、ひどすぎるっ。

最後には金切り声となり、
怒りか悲しみかにその身を震わせれば。
地獄に通じる隧道、鋼の巌をうがった洞窟が、
おおんおおんと低くうなって共鳴を鳴らし、
辺りの空気がさっきまでいた亜空と同じ歪みによじれる。
彼ほどの存在の、激しい感情の起伏が働いてのこと、
天界の空間さえねじ切ってしまわんとする暴走が起こりかけているらしく、

 《 ブッダ様っ!》
 《 その方から離れてっ!》

鋭い疾風が駆け回り、かまいたちのような空隙が刃となってこの身を襲う。
天乃国からの使者とともに近づきつつもまだ追いつけぬ遠方から、
追って来ていたアナンダが、そんな悲鳴を上げたけれど。

 “それは聞けない。”

これで丈夫な僧衣を引き裂き、堅いはずの螺髪をもほどく勢いで切りつけ、
覆われぬ肩や頬を容赦なく切り裂き続ける、
目には見えない この刃は、彼の怒号であり悲鳴だ。
人として生まれたが、人ではなくて。
なのに、たくさんの人々に囲まれ、支えられ、
彼らと共に生きた彼が抱えたままにしていた行きどころのない想いが今、
理不尽さに怒り悲しみ、
恐らくは初めての、宿命への抵抗をなそうとしているのだろう。
どれほどに切ないか、どれほどに悲しく口惜しいか、
自身の総身を引き裂きたいかのような想いがそのまま、
現れている現象なのでもあろうけれど、

 「あなたが行ってどうなるものでもありませんっ。」
 「…っ。」

冷たいかと思ったが、
紛うことなき真実だったし、
このくらいの言いようでぴしゃりと気概をはたかねば、
この混乱は静まるまいとも思ったから。
あえて厳しい言いよう、包み隠さぬ言い回しをしたブッダであり。

 「今あなたが行っても、何が変わることではありません。
  それに、その彼にしても、
  自分のためにと無茶をしたあなたを見て、
  苦しみが増すだけかも知れませんよ?」

事情は知らない。だが、
強く思えばそれが必ず叶うほど、世界は単純には出来ていない。
それが圧倒的な奇跡を身のうちに秘めた神の御子であれ、
過ぎた時間は戻せないし、
天界の、つまりは世界の柱を支える掟までは侭には出来ぬ。


  ―― だが、それを
    ただの絶望と受け止めるだけが能ではないというもので。


 「しっかりしなさいっ。
  あなたには成すべきことが、
  あなたにしか成せぬことがあるでしょうっ。」


それが何かとまでは言わなかったし言えなかった。
だってそれは彼自身が気づくこと。

そして、

 「…………あ。」

悲壮な面差しのまま、だが、
何かにぴしりと頬をたたかれたように目を見張っていた彼であり。
少なくとも意識の暴走だけは食い止められたか、周囲の空気の歪みがやんだ。
やっとのことで追いつけたアナンダが傷だらけのブッダへ悲鳴を上げたが、
そんなことよりと、
意識を半分失いかけていたイエスを天使の一人へそおと譲り渡す。
大切な人を運ぶ輿を念波でこしらえ、
それをそろりと抱える幾人かの天使らを従えて来た、
上級格の存在なのだろ、
真っ直ぐな金の髪した大天使から深々と頭を下げられたのへ。
だが、いいえと
こちらも悲痛な面持ちのままかぶりを振ったブッダだったのは。
初見のあのとき、
彼のこうまでの悲しみには気づいてやれなんだのが、
そんな自分の力のなさが悔しかったからに他ならず。
まだ見ぬ人のどんな苦悩も煩悩も払えるようにと、
自分が日々積み上げているがむしゃらな修養はだが、

 目の前、直に見た人の苦しみにも気づけぬとは、
 何と役立たずな代物か、と。

彼へも少なからぬ打撃を与えた結果になったよで。
滅多なことでは運ばぬ地の果て、
地獄の入り口の際から揃って帰る一団を、
昇華され損ねたつむじ風だろうか、枯れ葉を乗せてくるりと舞ったのが。
一昨日おいでと、嘲笑しつつ囁いているように見えもした、
何とも胸に痛くて重い、思いがけない一幕ではあった。





それから幾日か経って。

彼を最初に見かけた“端境の庭”へ、
何とはなく通うのがブッダの日課となっていた。
根を詰めず、任せられるものは弟子らにも分担する。
これまでだってそう出来たものは多々あったし、
彼らの能力を信用しなかった訳ではないが、
ただひとえに
何にでも自分の眸を通さねば気が済まぬ
頑迷なまでの生真面目さが押さえられなんだだけのこと。
だが今は、
彼らにも失敗の機会を与えればいいという方向で、(失敬ながら)
割り切りが出来るようにもなっていた。
だって、根を詰めようにも集中が利かぬ、
ついつい気になってしょうがないことが出来てしまったし…。

 “…まだ無理だろうか。”

ああまで取り乱した末に、亜空の暴走などという途轍もない無茶をしたのだ。
体調だって崩しただろうし、気持ちだって もっと塞いでおいでかも知れぬ。
しかも微妙に天界の不文律を侵しもした彼だけに、
こんな遠くまでの散策なぞ、
そうそう容易に許されないかも知れぬと思わないではなかったが。
かと言って、ここより向こうへまでわざわざ運ぶのは気が引けた。
助けたことを笠に着るような気がしたし、
それこそまだ回復していないなら、肝心な本人と逢えもしなかろうし。

 “肝心な、か…。”

逢ってどうしたいというわけじゃあない。
キリスト教の開祖へ説法もなかろうし、
第一、自分はそんな滸がましいことを、
彼へ授けられる身ではないと思い知ったばかり。

  ただ、無性に逢いたかった。

ただただ深い哀しみに染まっていた玻璃の瞳が忘れられぬ。
慟哭まじりの悲痛な声が、非力ながらも必死でもがき続けた抵抗が、
耳に胸に刻まれたままで消えてくれない。
もしかしてまた逢うことで彼は傷つくかもしれないし、
むしろその可能性の方が高いかも。
自分は、忘れたほうがいい出来事を彼へ思い出させる存在だもの。
私が彼の傍づきならば、
まずは面会を断る相手だと、そんな判断くらいは出来もする。

 何なのだろうね、この執着は。
 ああこういう感情は、正体が判らずとも間違いなく煩悩だから、
 まずはと捨てねばいけないのにね。

それも判っていればこそ、
自分のこんな行動が、苦々しいし落ち着けぬ。

 “…もう戻ろうか。”

ここから自分の僧房のある宮までは結構な距離で、
そうそう長居は出来ぬのだしと、
スズカケの樹の下、きびすを返しかかったブッダの
その退路の先に…彼はいた。
ややまとまりの悪い深色の髪を背中まで下ろし、
やや青みのかかった白いトーガに、
斜めがけした濃茶のストールでその痩躯を包んだ、
玻璃の双眸に細い鼻梁、薄い頬をしたあの青年。


後になってイエス本人から切れ切れに聞いた話によれば、
初見の彼がどこか覚束なかったのは、
磔刑や復活という苦しみを強いられたことではなく、
それらにより多数の人々を悲しませたのだという形で
封印して来た“人”としての感情が呼び覚まされていたのだそうで。
そんな困惑の中、弟子たちの受けていた迫害の模様や、
イエスを売った裏切り者としての自分の行為を悔いてのことか
自殺をし地獄へ追い落とされたユダの身の行方が、
聖人としての特別な感覚でなまじ拾えたものだから。
居ても立っても居られず、
あのような突発的な行動に走ってしまった彼だったという。


 「あ、の、//////」
 「えっと…。//////」


選りにも選って、あんな形が初対面の彼らだったせいか、
そうそうすんなりと握手とも行かなんだが、

 「お話しでもしませんか?」

今の今、帰りかかった身のくせに、
にこりと微笑ってそうと訊いたブッダであり。

 「お忙しくはないのですか?」

勿論、皮肉のつもりじゃあなく、
たいそう徳の高い如来様だと知っておればこその遠慮から、
そうとおずおず尋ねたイエスだったのへ、

 「いえ、私、あなたといたいんです。」

ほこりと向けられた笑みは、
弱いものを見過ごせぬ人、だからこその いたわりだと判っていたけれど。
この優しい如来様の御手の慈愛を
無下に出来るほど、まだまだ自分は強くはなくて。
でしたらと眸を伏せ、頷いたイエスだったのへ、

 「ありがとうございます。」

挨拶という意味以上の想い込め、
その白い手を合わせていたブッダだったのは。
この儚い聖人の君の、
だが、怯む素振りを一切見せなんだ心根が持つ、
隠されたしなやかさに敬意を表したくなったから。


 先にいろいろあったけれど、
 今からがお付き合いの始まり。
 どうかよろしくと、初めましての笑顔を向け合った
 おおよそ2000年前の 最聖人のお二人だったのでした。





    〜Fine〜 13.10.09.


  *何だか微妙にドラマチックになっちゃいましたね。
   そうまでの最初から、
   意識し合ってたというか相手を知ってた二人なのは、
   しょうがないと思うのですよ、双方共に只者じゃあないんだし。
   それと、イエス様の側に微妙なドラマを背負わせたのは、
   いくら神の御子だからと言ったって、あの流れはあまりに気の毒すぎて。
   なんでまた磔なんて恐ろしい刑に処されたかが、
   調べれば調べるほど理不尽だったらないし、
   復活という奇跡を人々へ知ろしめるためにあえて…という
   天界サイドからの事情のくだりも、何かこう……。



                      『
ミックス・ベジタブル』 へ


ご感想はこちらへvv めーるふぉーむvv


戻る