約束の海
書き手:朗
ラボの努力も空しく、彼女は死んだ。僕はまた独りぼっちになった。
「ねえ、海が見たいなあ。」
夕食の後、台所で洗い物をしていると、R・シーフィーがつぶやくのが聞こえた。振り向くと、彼女はいつものように一枚の写真を眺めていた。透き通った波の写真。
「ねえドクター?私、海が見たいの。」
「しかし、君には海に関するデータくらいはインプットされていると思うけど。」
洗い物を終えて僕が居間に戻ってくると、彼女は不満そうな顔をしてこっちを向いていた。
「『世の中はデータだけじゃない』って教えてくれたのドクターじゃなかった?」
「それはそうだけどね。しかし、なんでまた突然?」
彼女は一瞬うつ向き、写真を見つめた。そしてすぐに、甘えるような、上目づかいで僕のことを見た。
「ねえ、駄目?」
「しょうがないなあ。しかし、管理局の許可は下りるかな。」
数日後、許可は無事下りた。それは、ラボにおける僕の立場を考慮した、特別な計らいであるといえた。期日は彼女と相談の上、今度の土曜日ということになった。
1時間ほど電車にゆられた後、30分ほど歩くとやっと海に着く。この季節、流石に海に入って泳いでいる姿は全く見られないが、それでも沖を見るとウインドサーフィンを楽しむ若者の姿をちらほらと確認することが出来た。
「ねえねえ、おかしいの。こうやって波打ち際に立っているでしょ?するとね。足の下の砂がずずずって波に削られていって変な感じなの。」
「ドクター、見て見て。ほら、やどかり。」
先ほどから彼女ははしゃいでばかりだ。こうしてみていると、彼女が本当の人間のように見えてくるから不思議である。
「ねえドクター?これ、プレゼント。」
にっこり微笑みながら彼女が渡してくれたものは、少し大きめの貝殻だった。
「誕生日プレゼントってことで。ね?」
「おいおい、僕の誕生日はまだ半年以上も……」
そこまで言いかけて、止めた。
生体部品を使用した非ノイマン型コンピュータの登場により、ここ数年で人工知能は急速に発達した。しかしそれは、どんなにサイバネティクスが発達しよう
とも解決できない、ある重大な欠点を含んでいた。
寿命である。
生命体である以上、細胞レベルの死は防ぐことが出来ない。
それはロボティクス・タイプ・シーフィー、つまり彼女も同様であった。生体部品を通常の人間よりも酷使するためだろうか。彼女らのそれは人間と比べて極端に短いのであった。
日も暮れかけた頃、僕らは帰路についた。彼女は上機嫌で僕の腕に寄り添っている。
「また来ようね。ドクター。」
「そうだな。」
彼女は僕を見上げるような感じでずっと話しつづけているので、僕は彼女が転ばないよう、気をつけながら歩かなければならなかった。本当ことをいえば、
シーフィーにはそんな気遣いは要らないはずなのだが、何となくそうしたい気分になっていた。
「約束ですよ。やくそく、やくそく。」
「ああ、約束だ。」
もう、新しい“彼女”―――タイプ・シーフィーの開発は出来そうに無かった。
僕は約束を守れなかった。約束の海を前にして、今の僕を支配しているものは、それだけだった。
後書き
久しぶりに書いたにしては50点くらいはあげられるかな。
もともとは「肩幅の未来」っていう短編マンガから題材を得て、それをSF化してみようというのがあったんですが、結局別物になってしまいました。
個人的には、生体部品の寿命についてはもうちょっと掘り下げてもいいかなという感じです。
2002/2/20追記:カオスパラダイスに登録しました。
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