P.S....

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(2001年)

10月14日(日)

私のホームページがやっとオープン。

本当はまだまだ未完成でオープンできる内容ではないが、ずっとこのままだと結局オープンしないままになりそうなので強行オープン。
旅行が好きなので旅行系のホームページにしようと思っている。
旅の途中の出来事や思ったこと等を書いていこうと思う。
(内容はかなり主観的で、しかも単なる思いつきで書くことが多くなると思う。)
書く暇はあまりないけど少しずつ書いていこうと思う。

どんなホームページになるかわかりませんが宜しくお願いします。


10月28日(日)

何日か前にサーチエンジンの登録申請を行った。
その後どうなっているか...。

このホームページ名「アジア・アメリカ 旅の途中で」で検索してみたところ、いくつかのサーチエンジンに登録されているのがわかった。 うれしかった!

12月8日(土)

先日、旅行会社から電話が来た。
航空券が確保できたとのことであった。
今度の年末年始、ラオスに行くことができるようだ。
『年末年始の海外』は3年ぶりになる。
しかし、予定していた日程より1日少なく、たった8日間の旅行である。
果たしてたった8日間でラオスを満喫できるかどうか...ちょっと不安である。


(2002年)

2月13日(水)

8日間のラオス旅行、短かったけど楽しめた。行った甲斐があった。
この旅行でムアンシンとビエンチャンを訪れた。
ラオスにはまだまだ見所がたくさんあるが、もしまたラオスに行くことがあっても、おそらく同じくムアンシンとビエンチャンしか訪れないと思う。

1992年2月13日、私が生まれて初めて海外へ旅に出た日である。
今日を以ってバックパッカー暦10年になる。
今年は海外へ4回行くのが目標である。

5月26日(日)

ゴールデンウィークは、5度目のミャンマー旅行だった。
でもそろそろミャンマーも卒業かな。
夏の旅行は、当初モンゴルと決めていたが、中国・貴州省とエルサルバドルが気になっている。
早く決めなくては...。

6月23日(日)

つい先日まで、このWEBサイトのアクセス数はやっと200を越えたばかりであった。 その殆どは、自分自身のアクセスによるものであった。


そして6月5日、一通のメールが届いた。

「こんにちは、Yahoo! JAPANです!」

- んっ? 何のメールだろう。 -

「ご推薦いただいたページ
<http://www.kit.hi-ho.ne.jp/maxjc/>
をYahoo! JAPANに掲載させていただきました。」


- わお! -


自分のサイトをヤフーへ登録依頼を出してたことをすっかり忘れてたのであった。
これまでに2〜3回くらい登録依頼しても掲載されていなかったので、掲載されるとは思っていなかったのだ。

- ついにヤフーに掲載される日が来たのか。 -

大喜びした。

「次回のデータベース更新(約1〜2営業日以内)にて掲載が開始される予定ですので...」

本当に約2日後ヤフーに掲載されていた。

驚いたのはアクセス数の変動だった。
実際にヤフーに掲載されてから最初の2〜3日間は、1日あたり約100件もあった。 あっと言う間に、今までのアクセス数の倍になり、そして依然上昇し続けた。

- 恐るべし、ヤフー掲載の威力。 -


慌てて自分のサイトの内容を見直しした。
自分の文章を読み返すのは、我ながら照れ恥ずかしさがあったので、今まできちんと自分の書いた文章をチェックしていなかったのだ。
当然、誤字や意味の通らない文章が数多く目に付いた。 すぐに修正作業を行った。

また、同じジャンルのサイトとの比較も行った。
一目見て、自分のサイトのデザインが、他のサイトのものと比べてかなり劣っているのがわかった。
自分の文章力の無さにも恥ずかしさを感じた。


それにしても、こんなお粗末な私のサイトが、よくヤフーに掲載されたものだと不思議に思った。

・ 幼稚な文章力
・ 数多い誤字
・ 見苦しいデザイン

上記のハンディーを持ちつつ何故ヤフーに掲載されることができたのか考えてみた。
おそらく『独自性』のみで登録採用されたのだと思う。
今まで他のバックパッカー系のサイトをあまりよく見なかったので、内容に個性を持たせることができたのだと思う。
或いは、ヤフー・サーファーチームの『間違い』や『冗談』で登録されたのかもしれない...。
他のサイトを研究しなかったことは、個性を出すには良かったが、総合的に他のサイトにかなり劣っていることに気がつかず恥をかく結果にもなった。


とにかく今は引き続き修正作業に励まなくては。
(現在ではアクセス数がほぼ元の状態に落ち着いてしまった...。)

7月27日(土)

きょう旅行代理店へ行って、航空チケットの予約をしてきた。
行き先はエルサルバドル。
ずっと前、トランジットのためにエルサルバドルをちょっと立ち寄ったことがあった。
空港にいた人々がとてもフレンドリーな感じだった。
そのとき、この国をいつかきちんと旅してみたいと思った。
そして今回、とうとうエルサルバドルへ行くことに決めたのだ。
あの松山空港にそっくりな空港は今も変わってないだろうか?

9月1日(日)

エルサルバドル旅行を予定しているが、出発する日(10月)まで待てず、それとは別に9月の3連休で近場へ行きたいと考えた。

それで昨日、旅行代理店へ行って、上海あたり迄の飛行機の空席があるか否か確認した。
しかしながら、午前のフライトはビジネスクラスしかないようだった...。 上海だけでなく北京も韓国・台湾方面も、航空券の確保はできなかった。
やはり、航空券の確保は甘いものではなかった。

11月24日(日)

10月のエルサルバドル旅行、思った以上に楽しいものだった。
2002年ワールドカップで活躍したロナウドの髪型をした小さい子供を2人も見かけてビックリしたこともあった。

ここのページ、全然更新してなかったなぁ...。


(2003年)

1月7日(火)

久々のメキシコ旅行から1月5日に帰国。
物価、高かった。

2002年大晦日と2003年元旦にグアナファトのカサ・ビアへーロス( Casa Viajeros) で同じ部屋に宿泊した3名へ:
約束してた熊の絵の服の写真を掲載します。

    (公開終了)←熊の絵の服(ドローレス・イダルゴ)

ついでに...

    (クリック)←ちょっと怖い写真です。(モミア)
    (クリック)←左側のガラスに写った顔が怖いです。(モミア)

また何処かの国でお会いしましょう!

1月18日(土)

今度の夏、何処に出かけようかと考えてるが、なかなか行きたいところが決まらない。

以前からバングラディッシュに興味もってるが、夏はかなり激しい雨の季節のようだから...。
インドやベトナムは、たぶん自分に合わないと思う。 今までラテンアメリカやミャンマーなど地元の人たちが親切なところばかり旅してきた。 いつも甘やかされながら旅してきたので、毎日喧嘩をしなければならないようなところへ行ってもストレス溜まるだけだと思う。

中米ではパナマが一番気になる。 しかしパナマだったらその隣国・コロンビア(南米)の方が面白そう。 でも9連休じゃ行くのに遠すぎるかも。

久々にヨーロッパはどうだろう...。
ヨーロッパは人が比較的ドライそうだから辛くなるかもしれない。
しかしスペインだったらもしかしたら面白いかもなどと思っている。
それからスペインに関していろんな人から治安が悪いって聞いているが、昨年行ったエルサルバドルほど危険ではないと思う。 甘いだろうか。

1月26日(日)

近所のファーストフード店でランチしながら、グレゴリ青山女史著の本を読んでいた。
その店に別の客が入ってきたとき、「あ、日本人だ。」と一瞬心の中で叫んでしまった。 自分が日本にいることを一瞬忘れていたのだ。
ときどきそのようなことが起きる...。 バカだね。

2月2日(日)

『Yahoo! JAPAN』に引き続き、『Open Directory Project』(dmoz) にもリンクされていたのが先程わかった。
『Yahoo! JAPAN』や『Open Directory Project』のような審査の厳しいディレクトリーに登録してもらえるのはとても嬉しい。

2月13日(木)

きのう外出のときコンビニで弁当を買った。
そしたら、コンビニの店員の小娘め、箸を付け忘れやがった。
気が付かなかったこっちも悪いかもしれないが、箸忘れちゃ困る。 どうやって弁当喰えっていうんだ。
外出先じゃなくて会社だったら、自分の机の引き出しに備えの割り箸が入っているのだが...。

きょうの昼飯はただ弁当を見るだけのウインドウ・ランチか!?
それでは箸を付け忘れたコンビニ店員の小娘に負けたことになる。

そんなピンチのとき出すのが必殺技。
『秘技・俺は手でご飯食べるミャンマー人。』

ミャンマーを旅行していて食事に招いてもらったことがあった。 私にスプーンを出してくれたが、みんなは手でご飯を食べていた。 「じゃ、俺も。」と思って手で食べ始めた。 みんな喜んでくれた。 でも手で食べるのは意外と難しいものだった。 私はご飯をぽろぽろ溢して汚くなってしまった。
(日本に帰ったら練習して、つぎ来たとき皆に「上手くなったね。」って言ってもらおうかな。)

そんなことを思い出すと、コンビニ弁当を手で食べるのに抵抗が薄れてくる。 懐かしささえ感じられた...。

手で弁当を食べた。
コンビニの店員め、○○○○!

あ、いけね。 弁当食う前に手洗うの忘れた。

2月13日(木) その2

昨晩(というか日付は同じなので今日)、バカみたいなことを書いてしまった。
ふざけたことはあまり書かないようにと思っていたのに...。
テキーラ飲んでていい気分だったのだ。
この前のメキシコ旅行で買ったテキーラを部屋に飾っておいたが、先日封を解きちびちび飲み始めたのだった。
ずーっと前はアルコールなんて全然おいしいなんて思わなかった。
初めてメキシコを旅したときは、テキーラを舐めただけてシビレを感じたのだった。
でも今はテキーラ大好き。

2月16日(日)

久々に当ホームページの内容(誤字・誤文)のチェックを行った。
ずっと前、ヤフーのディレクトリに登録されたときに慌てて内容(誤字・誤文)のチェック・修正を行ったこともあったが、まだまだ誤字・誤文がたくさんあった。
自分の文章を読み返すのって怖いし恥ずかしいので嫌いだ。

それにしても私は、よくこんなひどい文章(と内容)で堂々とホームページを公開できるものだ。

3月8日(土)

一週間前、ホームページ『Black Eyes』の管理人・SYUさんから相互リンク依頼のメールを戴いた。 (これを機会に旅系のリンク集のページを作成することになった。)
そのSYUさんのホームページ『Black Eyes』を開いてみた。 そのデザイン、とても綺麗だった。 キプロス、ベトナム、韓国の3カ国の旅行記がある。 中でもキプロスに関して私は旅した人の話を聞いたこと無かったので、キプロスの話にとても興味を惹かれた。 それから今年こそは行こうと思ってる韓国の話にも興味を惹かれた。
とても面白い話だった。 SYUさんの文章の上手さ、羨ましく思った。 少なくとも、私と違って、誤字脱字や文章・文法の間違いらしきものなどは無かった。
自慢じゃないが、私はガキの頃から学校で『作文』を褒められたことなど一度も無いのだ。 文章書くの嫌いだったし苦手だった。 字だって乱暴で(いや、達筆すぎて)他人には読みにくいのだ。 PCだって、ブラインド・タッチできないのはもちろん、キーボード打つときは両手で合わせて2〜3本の指しか使えないのだ。 
ホームページを作成する才能はゼロに近い私だが、この『旅の途中で』は一生懸命作り上げていきたい。

4月26日(土)

GWはナシ、お盆休みもナシという部署に配属されてしまっている...。 んで、努力の交渉の末、秋に連休をもらえることになった。 秋の連休の行き先は、スリランカかな。 ああ、秋が待ち遠しい。

4月27日(日)

ショックなことが起きた。
当サイトが折角dmozのディレクトリーに掲載されていたのに、最近カテゴリーから削除されてしまった。
運があっただけで、実力が伴ってなかったから仕方ないのかぁ。
確かに、このホームページ見ても面白くないしね。  やはり客観的にもそうだったんだ。  これが現実なんだね。  もっと頑張らなくっちゃ。

5月4日(日)

先日、当サイトがODPのディレクトリーから削除されたのを機として、サイトの修正・削除・追加等の作業を行っている。
旅行記メキシコ編を早く公開したいのだが、書くことが多すぎてなかなか進まない。
とりあえず画像を貼るだけで簡単にできるページ『Fotografia その他』(世界の人々の写真)を公開。
次いで『小さな村で』(ビルマの田舎での話)も公開した。

実は『小さな村で』は文章はずっと以前に書き終わっていたのだが、このサイトにおいてミャンマー(ビルマ)の話ばかりになってしまうのを恐れて公開を躊躇していた。 5回もミャンマーに行ってるので、ミャンマーの話がどうしてもダントツに多くなってしまうのだ....。 でも、5回も行っているとは言うものの、1回の旅の日数は1週間程度のものなので、訪問した地域は少ないのである。 
ちなみに、もう少し休みが取れれば、ラショーやルワインコーに行ってみたい。

6月2日(月)

勇敢で頭がよく美しさも兼ね備えていたマリンチェ。
その昔、スペイン人・コルテスの一行がメキシコ(アステカ帝国)に攻めて来た時、マリンチェは祖国を裏切って、コルテスの味方となってメキシコ(アステカ帝国)侵略に大いに貢献した。
現在、メキシコでは売国女の代名詞のようになっている。
実際、多くのメキシコ人は歴史上の人物・マリンチェを嫌っている。
でも...。
マリンチェこそ先に祖国から裏切られ、奴隷(娼婦)としてスペイン軍に献上されたのであり、新しい主人であるコルテスに尽くしたまでなのに...、そのことを棚に上げ、裏切り者扱いされているのはちょっと可哀想。
確かにマリンチェがいなければスペインのメキシコ(アステカ帝国)征服はもっと遅れていたに違いないと思うが、それでもそれは時間の問題だけであったと思う。

きょうかなり強い酒(泡盛/アルコール60%)を一気飲みして、私は壊れている。
その為か、帰りの電車の中で、何故だかわからないがずっとそのことを考えていた。

6月2日(月) その2

『午後の幽霊』というモロッコや地中海、アジアにおけるエッセイ風滞在記のとても素晴らしいサイトがある。 私は当サイトにリンクを貼らせていただくことにした。(了解は戴きました。) 今後もオーラを感じる素晴らしいサイトを見つけたら、どんどん当サイトの旅系リンク集のコーナーで紹介していきたいと思う。

6月7日(土)

先日、またまた素晴らしいサイトを見つけた。 そのサイト名は 『されど我がつれづれの日々』。 そのサイトを訪れると、懐かしい故郷に関する映画を見ているような感じがする。 そして、当サイトのリンクのコーナーに貼らせて戴くことにした。(許可は戴きました。)
SYUさんの『Black Eyes』やケンさん&ヤスコさんの『午後の幽霊』のような未知の地域の旅の話にも非常に興味惹かれるし、hiroさんの『されど我がつれづれの日々』のような懐かしさが込み上げてくるサイトも大好きだ。 是非立ち寄ってみて欲しい。

6月8日(日)

きのうテレビでお酒のCMを見た。 そのお酒はなんと『モヒート』! キューバを代表するカクテルだ。 『モヒート』を日本で飲める日が来たとは。 日本では飲み屋へ行ってもせいぜい『モヒート』に近い味の『ダイキリ』があるくらいで、『モヒート』は幻的存在であった。
懐かしいあの『モヒート』にまた会いたい...ということで早速近所のコンビニへ。 う〜ん、置いてない....がっかり。

しかし、きょう(未明)また夜食を買いに再びコンビニへ。 きのうの昼見落としていた『モヒート』発見! 

 購入! ⇒ 帰宅! ⇒ 開栓! ⇒ 飲酒!

...モヒート、炭酸入ってたっけ? 私の(あてにならない)記憶では炭酸は入っていなかったような...。 味も、本場のものより薄く思えるが、それは気のせい? アルコール度数も、記憶よりちょっと低いような気がする...。 ラム酒の香りも殆どしないだっちゃ。
自分の味覚の記憶力に自信を無くしてしまった...。
まぁ、美味けりゃいいや。

それにしても、このページ、飲みながら(orべろんべろんになるまで飲んだ後に)更新することが多いなぁ。 つうか、酔ってるときの方が文章書きやすい。

でも、実は、酒大好きなんだけど酒弱いのだ。 しかもテキーラのような強い酒が好きで、そのうえ割って飲むよりストレートで飲む方が好きなのだが、飲める量は少ない...。 悲しい運命なのだ。 まるでバナナを半分しか食べられないさっちゃん(童謡)のように。

6月15日(日)

先日、ある学校の先生から有難いメールを戴いた。
当サイトの旅行記・エルサルバドル編にリンクを張って戴けるとのことだった。 

そのリンク元は
教師のためのExcelVBA開発室
(http://www6.plala.or.jp/hiroshi_n/hyoushi.html)
の中の
『授業で役立つ?ホームページリンク』
(http://www6.plala.or.jp/hiroshi_n/rinkindex.htm)
の中の
『英語のページ』
(http://www6.plala.or.jp/hiroshi_n/english.htm)
である。 

そしてそのページのエルサルバドルに関するコーナーの中で紹介して戴いているのである。 すなわち、私のサイトが授業に役立てる為の"学習系"サイトにリンクして戴いてるのである!

かなり驚いてしまった。 ジャンルの異なる硬派で立派なサイトにリンクを張っていただけるなんて全く思いもしなかった。


実は藤沢市にエルサルバドル出身の外国人講師がいて、出身地の理解を深める為にエルサルバドルに関するサイトを集めたそうだ。

戴いたメールのコメントに、リンク先を(トップページではなく)直接エルサルバドルのページにした訳は学習対象者が小学4年生の為とあった。 きっと、当サイトは小学生には有害なサイトなのだ!! (だが、エルサルバドルのページでは有害なことは書かれていないので大丈夫だと思う。)

当サイトは、例えば登場人物に、
『違法なタバコ(?)売りのアカ族のおばちゃん』(ムアンシン村)
とか
『怪しいお姉さん』(サンティアゴ・デ・クバ市)
などがある。(別に私はそれらに手を出していないけど。)
また私がしてしまったイケナイ行為として
『トローリーバスの乗車券の買い方がわからなかったので○×△したこと』
などが載っている。
...有害なサイトで申し訳ないと思う。


インターネットで子供たちは自由にいろんなサイトを見ることができる。 当サイトはもともとバックパッカーを対象に作成したものであるが、子供たちがアクセスしてくる可能性も考え、今後の追加更新の際、内容や表現に極力気を付けたいと思う。
とりあえず、エルサルバドルのページに関し、サービスとして現地の写真を追加しようと思う。

6月29日(日)

来月超短期旅行で韓国を訪れることになった。
とりあえず航空券の確保をしたあと、ガイドブックを立ち読みしてみたが、『ショッピング』や『美容エステ』など女性向けな情報が多くを占めていた。 果たして韓国はバックパッカーが短期間で行って楽しめるところかどうか不安になってきた。

7月17日(木)

最も好きな歌手の一人・アナ・ガブリエル。
ラテンアメリカを訪れれば、街中でしばしばその歌を耳にすることがあると思う。
私が、アナ・ガブリエルの曲に初めて触れたのは、旅先(メキシコ)で出会った友達からカセットテープ(『Quien Como Tu』)が手紙とともに送られてきたときである。
その曲は私をとても惹きつけた。
それ以降、メキシコに立ち寄るときには、アナ・ガブリエルのCDを買いあさってきた。

彼女の歌のジャンルは、(ジャンルについて詳しくないが)『ポップス』に近いと思うのだが、メキシコのCD屋では『ロック』のコーナーにCDが置かれてることもあった。 それからカセットテープ屋のおじさんからは確か『ロマンティカ』と聞いたこともあったような...。 
う-ん、考えてみれば確かに様々な歌を歌っていると思う。
明らかに『ロック』の歌もあるし、『ランバーダ』風や『レゲェ』風、『フラメンコ』風の歌もあった。

英国のビートルズの"SOMETHING"をカバーした歌(曲名:"ALGO")もある。
或る日、友達と"ALGO"を聴いてたとき、その友達から「"SOMETHING"のスペイン語バージョンなんて初めて聴いた!」と言われた。 そのとき初めて"ALGO"が"SOMETHING"のカバー曲だと知った。
ちょっとショックだった。 でも英国人もなかなかいい曲歌うもんだな〜。

ニカラグアを旅行したとき、ラジカセでアナ・ガブリエル等の曲を流して聴いていると、そのことが周囲の人たちに非常にウケたことがあった。
ところが、翌年キューバでメキシコ人旅行者と音楽の話になったとき、まだあんなの聴いてるのかという顔をされたこともあった。
確かに私の知っている音楽は古いものばかりである。 ラテンアメリカを訪れる機会は年々減っているし、日本ではラテンアメリカの音楽の情報は入り難いので、新しい歌手や曲には全く無知である。
最近では、音楽に興味薄れつつある....。
それでも、メキシコの友達からもらったカセットテープは今でも大切に保管している。

7月24日(木)

7月19日から7月21日の3連休で韓国へ行ってきた。 思ってたよりずっと楽しかった。 韓国の短期旅行記は後日公開するつもり。

7月24日(木) その2

ODP(dmoz)のディレクトリー(旅行記/海外のカテゴリー)から当サイトが削除されてたのだが、ODPの違うカテゴリー(バックパッキング)でまた復活! 万歳!

8月13日(水)

リンクのコーナーに『メキシコのおばちゃん』を追加。(リンクの了解は戴きました。)
『メキシコのおばちゃん』は、滞在者の目からみたメキシコについての色々なことが記載されており、メキシコ好きにはたまらなく面白いと思う!!
私としても、メキシコはグアテマラ・ビルマ(ミャンマー)とともに三大お気に入り国のひとつであり、まるで故郷を懐かしむようにそのサイトに見入ってしまった。
メキシコ好きな方には、この気持ちをわかってもらえると思う。是非、ご覧ください。

8月15日(金)

当サイトは、一昨日からGoogleのツールバーの"PageRank"のゲージが急低下してしまった。 (おそらく当サイトがDmozの『旅行記』-『海外』のカテゴリーから『目的別』-『バックパッキング』に移ったためだと思う。) これによって当サイトは、Googleの検索結果で下位になってしまい、もともと少ないアクセス数(per Day)も更に激減してしまうことが予想される。 先週、折角アクセス数が一万を越えて喜んだばかりなのに...。

8月17日(日)

ラテンアメリカでは、化石化した古い日本のアニメーションが、今日でも堂々と放映されている。

数年前、ラテンアメリカ旅行中にTVで日本のものと思われるアニメが放映されているので、ついつい見入ってしまった。
初め、それは何のアニメかさっぱりわからなかった。

すると、BGMが流れてきた。 歌はそのまま日本語であった。

「どーこの だーれだか しーらないけれど....
...月光仮面のおじさんは....」

やっとわかった、そう、『月光仮面』であった。
ここまで古いのが放送されていて度肝を抜かれた。

そのときの登場人物に『フヒーコ』という名の女の人(日本人)がいた。 ありえない名前とは言わないが、かなり珍しい名前である。
『フヒーコ』の名前について考えてみた。
『フヒーコ』をスペイン語で綴ると『FUJICO』。
さらに『FUJICO』をローマ字読みにすると『フジコ』。
そうだったのか...。

8月20日(水)

お盆休みは秋に移行。 秋の旅行はスリランカに決定。 でも、その国のことを調べているうちに、スリランカってあまりバックパッカーの行くようなところではないように思えてきた。 ...でも、行く。

8月24日(日) 旅の日記について

旅行中に日記をつけている人をたまに見かける。
実は私も旅行中、日記を書く場合もある。

しかし、そこは私。
物を書くのは下手だし面倒。 旅の日記は3日坊主になることが多い。 出来事の単なる箇条書きでさえ、本当に3日間で終わってしまうのだ。
たった1週間の旅でも、日記を書くことを最後までやり遂げられないことが多い。
(もちろん最初から書かないと決めていたこともあるし、珍しく書き遂げたこともある。)

それでも、書いた日記を久々に読むと、すっかり忘れていた数々の思い出が蘇えり、懐かしさが込み上げてくる。 そして日記を残しておいて良かったと思うのである。 くだらないことが書かれてても、自分では、それはそれで面白かったりする。

このまえの韓国の旅では、最後まで(箇条書きに近いのだが)旅の日記を書き遂げた。 3日間の旅だったので、3日坊主でもOKであった。

8月25日(月) シンハラ語入門?

昨日、近所のよく利用している書店へ行った。
秋のスリランカ旅行に備えて、スリランカの主要言語である『シンハラ語』をほんの少しかじってみようと思ったのだ。(本当にちょっとだけのつもりで。)
スリランカは田舎へ行くと英語が殆ど通じなくなるらしいので。

外国語のコーナーへ行ってみたが、シンハラ語の入門者用の参考書は売られていなかった。 白水社の『エクスプレス』シリーズに期待していたがシンハラ語は扱っていないようだ。
一応、大学書林社の『シンハラ語練習帳』は置いてあったが、私には難しすぎる。
というわけで、今回の旅は、全て英語で通してみるしかなさそう。

8月25日(火) シンハラ語...

シンハラ語が気になって、『シンハラ語』をインターネットで検索してみた。 そしてその言葉に関するサイトをいくつか見てみた。
するとビックリ! シンハラ語って日本語にかなり近いらしいのだ。
文法的にも『助詞』が存在していたり語順が似ていたり、また単語も日本語の発音と似ているものがたくさんあるらしいのだ。
東アジア・東南アジアよりさらに遠く離れた南アジアのスリランカの言葉が日本のものに近いなんて、不思議な気がする。

そういえば、東南アジア最西部のビルマでも...。
(ちょっとだけビルマ語をかじったことがあるだけなので、語る資格などないのだが...。)
実はビルマ語も日本語の文法に似ているところがいくつかあるのだ。
似ている箇所というのは、『助詞』の存在と語順である。
はじめてビルマ語に接したとき、そのことは衝撃的だった。

子供の頃、日本語は『ウラル・アルタイ語族』に属するとか習った記憶がある。
シンハラ語は知らないが、ビルマ語は『ビルマ・チベット語族』だった筈。
別の語族で且つ地理的にも遠いのに言葉が似ている...。
しかもそのビルマより遠いスリランカの方が言葉が日本のものに似ているみたいだ。

日本語のルーツって何なんだろう。

なんだかワクワクしてきた。 たかが1週間程度の旅行でスリランカのことなど何もわかることはできないだろうが、早くスリランカに触れてみたくなった。

9月7日(日) 当サイトに関する最近の話

本当に些細な理由で、サイト更新を暫く休み、サイト運営に関しても暫く何も考えないようにしようと思い始めたばかりであった...。

それなのに、ちらりとアクセス数を覗いてみてしまった。
すると、異変が起こっていた。 いつも少ないアクセス数が、一時的に(?)ちょっとだけ上昇しているのだ。

サイトのことを一時的に忘れる決意をしたばかりであったのに、サイトに何が起こったのか調べてみることにした。

手がかりをいろいろ探してみたがなかなか見つからなかった。
しかし暫くしてわかったことがあった。 それは、当サイトが『MSN』の検索結果で今までより上位になっていたこと。
さらによく見てみると、その検索結果に当サイトについて以下のような紹介文がある。
「東南アジアや南アメリカをバックパッカーとして旅した管理人の記録。訪れた村での盛大なもてなしなど、旅先での出来事などをコラムにしている。」
紹介文は、ディレクトリーにでも登録されてないと記載されない筈。

すぐさまMSNのディレクトリーを確認。

驚いたことに、当サイトがそこで見つかった。
ということはMSNディレクトリーの出所『LookSmart』にも当サイトが?
確認してみると、LookSmartの『バックパッキング/ヒッチハイク』のカテゴリーに掲載されていた。

たまらなく感動した。

本来はLookSmartへの登録の審査の申請は有料であるのだが、当サイトに関しては申請してなくとも登録してもらえたのだ。 このような話は聞いたことがあったが、まさか自分のサイトにも起こるとは思いもよらなかった。 感謝、感謝。

9月15日(月) 作戦開始

学生の頃、旅の途中、よく腹を壊していた。
でも社会人になってからは旅で腹を壊すことは少なくなった。(腹を壊しても軽い程度。)
かと言って、別に胃が丈夫ということではないようだ。 日本にいるときには腹を壊してることが頻繁にある。 おそらく日本で普通に生活しているときには多量にコーヒーを飲んでいるせいだと思う。 (海外ではあまりコーヒーを飲んでいない。)

海外へ出るとちょっと胃に自信が出るので、地元の人たちと同じように、屋台や市場の食堂の食べ物も食べるし、ミャンマーの瓶の水だって気にしないで飲む。

でも次回は初の南アジアの国。 東南アジアや南北アメリカ等とはレベルが違う相手かもしれない。 手強そうだ。
というわけで、ビフィズス菌作戦を始めた。 今のうちにヨーグルトをたくさん食べておくのだ。(対大腸菌・生物兵器作戦。)

9月20日(土) 現地の友達

秋のスリランカ旅行とは別に年末年始の旅行にも動き出している。まだチケットは確保していないが、下のような状況。
・ 往路 / 成  田 ⇒ 経由地 (確保)
・ 往路 / 経由地 ⇒ 目的地 (確保)
・ 復路 / 目的地 ⇒ 経由地 (待ち)
・ 復路 / 経由地 ⇒ 成  田 (待ち)


実は今朝、その目的地に住む懐かしい友達の夢を見たのだった。
(なんて珍しい人の夢だったのだろう。)
そして目を覚まして数十分後、携帯が鳴った。 チケットを予約している旅行会社からのものだった。
「チケットの件、少し動きがでてきました。今回最も厳しいと予想されていた経由地からの帰りの席は確保できました。 ...それからスリランカの...」

・ 帰路 / 経由地 ⇒ 成  田 (待ち
の部分が「確保」になったのである。
今朝たった今見た夢はこの知らせだった?
気味が悪いくらいにビックリした。
また会いたい。 友達との再会、正夢になるのかなぁ...。


でも、その夢が詳細まで全くの正夢になったら寂しい。
実は、その夢には続きがあったのである。
 ...私はその友達を見かけ、声を掛けた。 するとその友達は私に言う。
 「I remember you.」
 - 友達だと思ってる人に「覚えてるよ」と言われても。。。
 - それじゃ、あまり親しくみたいじゃないか。
 - 覚えてるのなんてあたりまえじゃん!
 - ちっとも嬉しくない。

そんな悲しい夢だった。
嫌な予感もする。
例えば、夢と同じように『感動なんて無い』再会だったり、あるいは行っても逢えなかったり...

9月20日(土)その2 感動

夜テレビで『日本とトルコの友好秘話』の番組(『世界・ふしぎ発見!』)を見た。
私はトルコには行ったことはないのだが、今までいろいろな人からトルコの話を聞いたことはある。 しかし日本とトルコにこんな話があったとは知らなかったし思いもしなかった。
難破したトルコ船のトルコ人船乗りを助け手厚く看病した紀伊半島?付近の島民の話。 イラン・イラク戦争時に日本の政府や航空会社にも見離され?イランに残された日本人を救ったトルコ政府やトルコ航空や乗務員の話。
テレビ如きに、これほど感動し、つい涙ぐみそうになったのは久々だった。

9月21日(日) クリーニング

ずっと部屋に飾ってたがホコリを被っていたのでクリーニングに出しておいたものがあった。 きょうそれをクリーニング店に受取りに行ってきた。
クリーニングを出したとき受付の人(アルバイト風)は引換券に『上着』と記したが、これは単なる上着なんかじゃない。

その物とは、シャン族の民族衣装である。
クリーニングをする人は、これを見て驚いたのではないだろうか。
シャン族の民族衣装は初めてだったに違いない。

でも内心、心配ではあった。 シャン族の民族衣装にあまり慣れていない日本のクリーニング屋さん、この大切な衣装をぼろぼろにしてしまうのではないか、とも思った。

しかしさすがは日本のクリーニング屋さん、民族衣装のクリーニングをきれいに仕上げてくれた。
たった数百円の上着料金で。
もし、クリーニングを出す前に「民族衣装です」って言ってたら、もっと料金高くされてたりして。

9月29日(月) 準備

久々の旅行迄もうすぐ。 
年末年始の旅行の後から玄関前にずっと放置されっぱなしのバックパックのホコリを振り払い汚れを拭き取った。

バックパックのポケットからは、いろんなものが出てきた。

年末年始にメキシコで手に入れた地図やホテルのレシート等思い出深いもの。 そればかりか、一昨年のエクアドル旅行のときの博物館の"しおり"まで出てきた。 無くしたと思っていた携帯用目覚し時計も出てきた。 
5年前にミャンマーのお坊さんからもらったコインのお守りもバックパックに入れっぱなし。(懐かしい! でもこのお守りは"敢えて"入れっぱなしであった。)
ここ最近の旅行ではバックパックの中のあまり整理をできないまま出発していたので、いろんなものが飛び出してきたのだ。

当然、持っていくべき忘れ物も多かった。 今度は忘れ物はしないようにしたい。

11月1日(土) 帰国

10月上旬スリランカを旅行してきた。バックパッカーはちょっと肩身が狭い感じだった。 スリランカの旅行記を公開したいと思うのだが、それよりも旅行記の「ラオス編」や「韓国編」の続編や「メキシコ旅行記」の方が先かな。

11月1日(土)その2 JWord

最近、当サイトがJWordに登録されているのがわかった。(一時的?)
ブラウザのURLの欄に日本語のキーワードを入れて検索するもの。(ソフトのダウンロードが必要。)
当サイトのタイトル『旅の途中で』と入れると当サイトのトップページが現れる。

本来、サイト・オーナーがキーワード登録を申請するのは有料らしいのだが...。とてもとても有難い。

11月2日(日) Air Mail

エア・メールが数ヶ月ぶりに届いていた。 おそらく昨日・土曜日に届けられたものだと思われる。
誰からだろう?
アルファベット....日本人の書くようなアルファベット(の字質)ではない。
外国人....エクアドルの友達かな?
まず宛先が目に付く...私の名前の前にミスター(Mr.)の敬称。
ラテンアメリカからではなさそう....珍しい。
手紙をひっくり返して差し出しを確認。
先日旅行してきたスリランカからであった。 アヌダーラプラで友達になったスリランカ人からであった。
早く返事を書かなくっちゃ。

11月14日(金) 世界一高い所にある湖

『世界一高い所にある湖』はどこか...中学生の頃、地理の問題集に出てきた記憶がある。(→記憶違い??) その湖は南米のチチカカ湖だった。
しかしながら、1996年チリへ旅行していたとき持っていたガイドブックによれば『世界一高い所にある湖』はチリ北部の『チュングラー湖』。

− 一体どっちが高い所にあるの? −
(そのガイドブックの記述なのであるが)
チュングラー湖は海抜4,600b
チチカカ湖は海抜3,890b。
チュングラー湖の方がはるかに標高が高いようだ。

− チチカカ湖が世界一高い湖と言うのは誤り? −
チュングラー湖は地元のスペイン語で"Lago Chungara"または"Laguna Chungara"という。
ただ"Lago Chungara"とのみ言われてれば良かったのだろうが、この"Laguna Chungara"と言われることもあり、そのことが問題を引き起こしているのだろう。
スペイン語で湖と言えば通常"Lago"と言われる。
それに対して"Laguna"は湖より規模の小さなものをいう。
"Laguna"は日本語でいえば湖よりも沼の方が意味が近いと思う。

すなわち地理の問題集の出題者は、(規模の大きな)湖としてはチチカカ湖が世界最高湖であり、チュングラー湖は規模が小さいから世界最高湖としては認めないというのであろう。
これがもし本当に入試等に出てきたら、たちの悪い引っかけ問題だと思う。





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