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スリランカの伝統医学・アーユルベーダー。 スリランカでアーユルベーダーの薬をたくさん買ってきた。自分用と他人への土産用。 さて、自分用に買ってきたアーユルベーダーの薬を興味本位に試してみようと思った。 ところで、これ何の薬だっけ? 効能とか使用方法とか覚えていない。 塗り薬?飲み薬? アーユルベーダーの薬、やはり飾るだけになりそう。 |
私は日本では『英語は話せない』部類に入る。 しかし別の場所へ行くと... 〜 ずっと前、メキシコで出会った日本人から聞いた話 〜 メキシコの田舎で或る男がその人に話しかけてきた。 「俺、英語話せるんだ。」 「本当? 話せるの?」 「いいか、聞いてくれ。 ワン、トゥー、スリー....」 なんと彼の『英語が話せる』というのは英語で数字を言えるということだったらしい。 そんなの日本では『英語を話せる』部類には絶対に入らない。 彼の『英語』は続いた。 「...フォー、シンコ、シックス、セブン...」 『ファイブ』のところでスペイン語の『シンコ』に一瞬戻ってしまったそうだ。 日本において『英語は話せない』人も、彼にしてみれば殆どの人が『英語はネイティブ並み』になってしまうだろう。 |
12月4日の記述で英語を 〜 初めての海外で経験したちょっと恥ずかしい話 〜 グアテマラで、スペイン語で民芸品売りの少年と値段の交渉が始まった。 「これ、いくら?」 少年は答えた。 「12(トゥウェルブ)。」 「.....。 はっ?」 私は考えた。 トゥウェルブって何だ? そんなスペイン語知らないぞ。 でも、なんか懐かしい響き...。 聞いたことある。 あ、そうか、わかった。 トゥウェルブってスペイン語じゃなくて英語だ。 おっと、早く反応しないと、英語のできない人間に思われてしまう。 しかし頭がうまく(カタコトの)スペイン語から英語に切り替えができない。 早くしなければ...。 焦った。 そう、数字だ、数字。 値段を訊いて答えた言葉だから数字に決まってる...。 トゥウェルブと言われて、それが英語の数字だと理解するまで約5秒くらいかかってしまった。 さらに恐ろしいことが待っていた。 急に英語を言われて焦った私は混乱してトゥウェルブを何と20だと思ってしまったのである。 よし、ここは14に値切って交渉だ。 急げ! 「カトルセ(14)で買うぞ!」 「....?」 その少年、相当ビックリしたに違いない。 言い値(12)より高い金額(14)を提示されたのだから。 少年は、外国人である私がまさか英語を間違えたとは思わなかったらしい。 外国人は皆英語が完璧であるはずだと。 少年は私に説明してくれた。 「...オンセ(11)、ドーセ(12)、トレセ(13)、カトルセ(14)。」 カトルセ(14)について少年は私がスペイン語を間違ったと思い込んでいる。 私は恥ずかしくなって、英語の方を間違えたとは言えなかった。 スペイン語を間違ったことにしておいた。 「カトルセって14のことか。 スペイン語は難しいなぁ。 ハハハ...。」 (つうか、急に英語で話してくるなよな!) ***** 一応、フォローさせてください...。 英語の他の外国語を覚え始めのときって、英語とその他の外国語が混乱するものです。英語の他の単語を言おうとすると頭の中で英語が邪魔して単語を思い出せなくなり、逆に英語の単語を言おうとすると英語の他の外国語が邪魔して単語を思い出せなくなるものです。(きっと私だけではない!?) それが英語と同じヨーロッパ言語だったらなおさらです。 この旅では毎日毎日スペイン語で値段の交渉をしていたので、外国語の英数字などずっと遠くにいっていました。 それを急に、焦りながら掘り返したものだから、大間違いをしてしまったのです。 日本にいるときは、こんな間違いはしません! |
私は東京都に住んでいるのであるが(厳密に言えば埼玉県...)、先日、愛知県・西春町の役場からメールを戴いた。 その内容というのは、当サイトのエルサルバドルの写真を借用させて欲しいとのことであった。 というのは、2005年に愛知県で万国博覧会が開催され、そのプロジェクトのひとつの『1市町村1国フレンドシップ事業』に基づき、県の市町村が万博出展国と一対一で交流を行うことになり、『西春町』の担当国が『エルサルバドル』に決まったそうだ。 そして交流国エルサルバドルを紹介する為に、「西春町文化勤労会館」で写真パネルを展示する予定であるとのことなのだ。 公的組織がこのようなことの為に写真を使用するのならばと喜んで了承した。 歴史があり人々が明るく気さくなエルサルバドルのことをいろいろな人にもっと知って欲しいと思う。エルサルバドルは、人々が日本人に本当に親切な国である。また中南米では珍しく人々が勤勉な国とも言われてるらしい。 展示会の展示方法等はまだ構想中とのことであるが、来年3月頃の計画らしい。(西春町文化勤労会館/入場料無料) |
年末年始はビルマへ行ってきた。ビルマはもう6度目。懐かしい地元の人々との再会した。また新たに日本人旅行者とも知り合いになれた。旅行記はこの頁で少しずつ書いていこうと思う。 |
この前の年末年始のビルマ旅行に、ガイドブックとして『歩き方』と『ロンプラ』の2冊を持っていった。 1年半くらい前にもビルマを訪れたので、『歩き方/ミャンマー』の2002〜2003年版はもともと持っていた。 そして『歩き方』は通常隔年の12月に更新されているので、12月になるのを待ってから書店へ最新版を買いに行ったのだった。 書店で『歩き方/ミャンマー』を見つけてビックリ。2004〜2005年版ではなく2003〜2004年版が既に発刊されていたのであった。(2003が重複している。) 買う時期は別に12月まで待つ必要など無かったのであった。 |
昨年末ビルマへ旅行をする為にガイドブックを買った。そのガイドブックにちょっとショックな情報が載っていた。某山岳民族についての情報である。 その話をする前に: 私がある村へ初めて訪れたときに、某山岳民族がそこに働きに来ているという情報を聞き、その民族を見に行ったことがあった。そして写真も撮らせてもらった。さらにはその翌年もその村へ行ったときに、その民族を何の気なしに再び見に行った。 今では後悔している。その民族は、確かにそこで機織の仕事をしているようであるが、それは建前で、実際には『見世物』とされる為に連れて来られたように思える。そんなことはちょっと考えればすぐにわかることであったのに、私はノコノコと2度も訪れてしまったのだ。 実はその民族を見に行ったときに、大バカな私は思った。何故この民族の情報が大手のガイドブックに紹介されていないのだろうと。 (普通に考えれば、その民族が『見世物』のようにされている為に、出版社がきっと情報掲載の自主規制を行なったのに違いないのに。私はそのことがわからなかった。) その後反省した私も、当サイトではその民族の情報や写真は載せないことにしていた。 しかしながら、今回買ったガイドブックにはその情報がしっかりと載っていたのである。過去に見に行ったことのある私が言える立場ではないが、その情報はガイドブックに紹介されるべきではないと思っている。 |
昨年年末、ビルマのバガン(厳密に言えばニャンウー)で、日本人7〜8人くらいのグループに逢った。その人たちの殆どが一人旅で現地ビルマでたまたま一緒になったようである。そのグループの中に山田雨月(やまだうづき)さんという少女漫画家がいた。 少女漫画家というとバックパッキングのイメージからかけ離れているので少々驚いた。 |
旅先で仲良くなった人々から、今までたくさん手紙をもらってきた。 アルゼンチンから、メキシコから、フィリピンから、エクアドルから、またその他からも。 しかし、あの国からは日本へ手紙が届かない。 その国の名はミャンマー(ビルマ)。 ミャンマーの友達が私に手紙を書いてくれたそうだが手紙は届いていない。またずっと前、私がミャンマーを旅行していたときにも日本の友達へ絵葉書を送ったがやはり届かなかった。 他の人からもこのような話を聞いている。 郵便事情はかなり悪いようだ。 しかし、逆に日本からミャンマーへの手紙は、今のところきちんと届いている。 |
お盆やGWなどの休暇を何かと反対する上司が私の呪いにより(嘘)、課から離れたので、多少旅行がしやすくなったかもしれない。でも油断は禁物。新たな休暇取得の戦いが始まる。 さて、もしGWを勝ち得たら今度は何処へ行こうか。毎回候補に挙がるバングラに今度こそ? また、ふと新疆も候補として浮かび上がった。...行きたい、すっごく...でも1週間じゃ無理か。それからコロンビア、パナマも候補に。 |
4ヶ月前スリランカを訪れて以来、私の右手には、糸の腕輪(これもミサンガというのかどうか不明)が巻かれていた。 普段、サラリーマンとして、スーツ姿にスリランカの糸の腕輪という恰好は自分でも変とは感じていたが、自ら切ろうとは思っていなかった。 この糸を自ら切るのは旅行に行けなかったときと決めていた。 実際この糸腕輪のお陰かどうかは別として、年末年始には何とか休暇が取得でき、航空券も海外発券等の苦労の末に確保でき、ビルマに行くことができた。 またGWの休暇取得のことをアホ上司に言ったとき猛反対されてしまったが、翌出勤日にはそのアホ上司が異動でうちの部署から離れることが決まったのである。 その後グループのメンバーへの交渉の末、ようやくGWの休暇に承諾してもらい、昨日、旅行会社に航空券の申し込みをしたのであった。 その直後(昨晩)、糸腕輪がとうとう切れてしまった。 勿論自然に。 ちょっと寂しい気もした。 もうちょっと(盆休み取得が叶うまで)、付けておきたかった。 |
1月16日(金)にミャンマーから日本へは手紙がまず届かないということを書いたが、昨日一通の手紙がミャンマーから届いた。 珍しいこともあるもんだ。 私自身を含めて身近では初めての出来事である。 それでも文面から判断すると、日本へ届くのにミャンマーから発送して1ヶ月以上は経っているようである。 |
シンハラ人には大変申し訳ないのだが私個人的には、スリランカ音楽に関して、シンハラ人の音楽よりもタミール人の音楽の方が好きだ。 スリランカを旅行したときに記念として適当に買ったカセットテープが幾つかあるが、日本で聞くのはタミール人のカセットのみでシンハラ人の曲は全く再生して聞いてなかった。 しかし! 先日、シンハラ人の曲のカセットを聞いてみた。 これには驚いた。 タミール人の音楽以上に気に入った。 スリランカのバスの中で聞いた曲を思い出した。 あの時の曲であった。 私はバスの中で聞いた曲のカセットを知らずに買っていたのであった。 この曲をバスの中で聞いたとき、本当にビックリしたのだった。 あの「おしおきだべ〜」で有名な『ドクロベエ』が歌っているのである。 もちろんシンハラ語で。 全く何時シンハラ語をマスターしたのだろうか。 そのくらい声がそっくりなのである。 スリランカへ行ったら是非『Buying & Selling』という曲を聞いてみて! きっと笑えると思うから。 --------------- 注/タミール人の音楽:本当はヒンディー音楽だったことがわかりました。(2005年) |
新しくなったBIGLOBEサーチのカテゴリー(提供元ジェイ・リスティング)にも、当サイトが登録されているのがわかった。 嬉しい! 本来、登録申請すれば有料なのに、本当に有難い。 |
約1年半前にメキシコを訪れたときにCDをいくつか買って帰ったが、1〜2度くらいしか聴いてなかったものがあった。 そのCDを久々にふと何気なくかけてみた。 アーティスト名は Pandora 。 アルバム名は en carne Viva 。 このCDを聴いているとその中に1曲だけとても懐かしさが込み上げてくるものがあった。 (あれ、この曲聴いたことある...。) この曲に集中して耳を傾けてみる。 (あ!!!) 曲の雰囲気は変わってしまっているが、この曲は Jeanette の Frente a frente をカバーしたものであった。 (わぉ!) Jeanette ...。 1993年メキシコを訪れたときに歌声に惹かれて買った Jeanette のカセットテープ、今でも大切に保管している。 当時D.F.の街のあちこちで、 Jeanette の Corazon de poeta の曲が流れていた。 ああ、Jeanette 、懐かしい...。 Jeanette は私の知る限りのアーティストの中で最もキュートで可愛らしい歌声の持ち主。(注:CD版はカセット版に比べて可愛らしさが半減している。 ちなみに私としては Jeanette の曲の中では特に Ojos en el sol と Hombre がいい。) でも...。 Jeanette の曲がカバーされてしまうとは、Jeanette って過去のものになってしまったということか。 寂しい気もする。 |
ゴールデンウィークはバングラデシュへ。 メインはチッタゴン丘陵のバンダルバン。しかしガイドブック等によればチッタゴン丘陵はバングラデシュの中では比較的治安が悪く、マラリアも多いとのこと。それでも先住民たちに会いたかった。 バンダルバンは、ビルマに来たのだという錯覚に陥る町。物乞いには一人も出くわさないなど、バングラデシュらしさがあまりなかった。 ちなみにルートは以下の通り (入国) ダッカ (バングラデシュの玄関 - 首都) ↓ コックスバザール (ラカイン族たちの町 - 一応リゾート地) ↓ バンダルバン (チッタゴン丘陵 - 先住民族〈主にマルマ族〉の町) ↓ チッタゴン (経由地 - バングラデシュ第二の都市) ↓ モエナモティ (遺跡 - コミラ郊外) ↓ ダッカ (首都 - 空港) (出国) いつかまたバングラデシュに再び訪れると思う。 |
今月になってから、当サイトの1日あたりのアクセス数が激減。(もともと少ないけど。) 原因はすぐに判った。それは、キーワード検索に関して5月31日を境に Yahoo! Japan が Google と業務提携を打ち切ったことにより、Google の検索結果が Yahoo! Japan に反映されなくなったためだ。 Google ならば当サイトは、ツールバーの Page Rank のゲージがここ何ヶ月間も5/10で、個人サイトとしてはそれ程悪くはないランクであり、検索結果が上位に載りやすいのだ。 例えば"途中"という二文字のキーワードで検索すれば、きょう現在なら Google では一番最初に当サイトが載ってくる。 しかしながら、新しい Yahoo! Japan のキーワード検索では"途中"という言葉にしろ何にしろ、私のサイトが上位に来ることは殆どあり得なくなってしまった。 バングラデシュのジュマ民族に関する頁を未完成ながら最近作ったばかりであり、この頁で紹介するジュマ民族の抱えている問題をいろんな人に知って欲しかった。でも、こうもアクセス数が激減してしまうと....。 |
先日、健康診断で嫌々飲んだバリウムが予想に反してちょっと好きな味覚だったことを会社の人に話した。 すると皆から変わり者扱いを受けた。「旅行でヘンな国ばかり行ってるから...」なんて言われた。最近、何かあるとすぐに旅行の所為にされてしまう。 ちなみに私は『ヘン』な国へはまだ行ったことはない。 |
絶対届かないことで有名なミャンマーからの手紙。 しかし、4ヶ月前にミャンマーから届いたのに続いて、きょうも(別の友達からだけど)届いた。 ミャンマーの郵便事情、良くなってきているのかもしれない。 |
この前の金曜日、会社から帰宅すると郵便受けの中に『郵便物お預かりのお知らせ』が入っていた。 - いったい誰から? - 差出人の欄を見ると書かれていたのは...。 差出人様 外国 様から - おいおい、外国様って何? 何のつもり? - まさかどっかの国の政府から来るわけないし、旅先でであった友達に違いないが、せめて外国の国名くらい記載して欲しいものだ。きっと郵便局に人に判りにくい字だったのだろうけど、どこの国から来たのかくらい判るはずでしょ! そして昨日、中央郵便局にAirMailを受け取りに行った。 受け取りのサインをしながら、局の職員が手にしている私へのAirMailへちらっと目をやる。 字などの雰囲気から女の子からのものらしい。 - うーん、誰から? - 誰からのものなのか、前日から気になっていたが、一層気になってくる...。 AirMailを受け取る。 差出人を見ると、エクアドルの友達からだった。 エクアドルでお世話になった懐かしい友達。 (ちなみに差出人名は確かに読みにくいものだった。) 帰宅し、手紙を読む。 昨年の11月、12月、今年の6月の日付の手紙がまとめて封筒に入っていた。 きっと、手紙を出そうとしたものの、書きっぱなしになっていたのだろう。さすがラテン的。 昨年の11月、12月分の手紙もまとめて同封されている理由が6月分に書かれていた。 「...遅れてごめんなさい。癌の病気で毎日病院へ行ってました。...今はもう回復したので、気にしなくても大丈夫ですよ。...」 通院で送付するどころではなかったのだろう。それにしても癌にかかっていたとは。 でも本当に大丈夫なのか心配。 |
『SHAKIRA』のCD(Grandes Exitos)を久々にかけて聴こうとした。
そのとき、思い出したように気づいた。実はこのCDは2枚で1セットのもの。
1年半以上前にメキシコで買ってきたものだった。しかし、あまり興味をもって曲を聴くことはなかった。だいたいSHAKIRAって、名前が西語っぽくない。
2枚入りの片方には全く手をつけていなかったのだ。(何という勿体無いこと!)
その手をつけていなかったCDをよく見てみると、『Video CD』であることがわかった。
とりあえずパソコンのプレーヤーで見てみることに。
SHAKIRAが画面に登場。
んんん! SHAKIRA、CDの表紙の写真よりちょっと綺麗...。
しゃべっている声もCDの歌声よりかわいい...。
そしてSHAKIRAが踊る。 ....惚れた。(今更ながら。) でも、どこかラテンっぽくない踊り。
腰の動きはセクシーだけど、キューバやホンジュラスのものに比べて、大振りはせず小刻みに素早く動かしている。
中東のことはよくわからないけど、ベリーダンスっぽい感じがする。
SHAKIRAって何国人? インターネットでちょっと調べてみる。
結果はコロンビア出身とのこと。うーん、どうりで可愛いはず。
父親がレバノン人。ここに、ベリーダンス風の踊り、西語っぽくない綴りの名前の理由があるのだろう。
それから、英語でも歌うらしい。(この点はマイナス・ポイント。)
日本にもファンがたくさんいるようだ。
『Video CD』を見るまで全く興味なかったのに、その翌日には会社の自分の端末の壁紙は『SHAKIRA』になった。
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英語の「ベリー・グッド」をスペイン語で表現するとき、今までずっと「ムイ(very)・ビエン(good)」と言ってきた。 きょう、その「ムイ・ビエン」と同義の或る表現が存在することを知った。 それは「デ・プータ・マドゥレ」。 えええ!!!? これには驚いた。
ポジティブな意味の筈なのに、(「イホ・デ・プータ」でお馴染みの)「プータ」というネガティブな単語が使われているからだ。 なぜそうなのか全くわからない。 ちなみに「デ」は前置詞で英語では主に「of」の意味。そして「プータ」はいわゆるHな仕事をしている女のこと。「マドゥレ」は英語では「mother」の意味。スペイン語圏の男は日本人から見ればちょっとマザコン気味な感じなので、「マドゥレ」は良い意味に使われるのはわかるのだが。 やはりこの「デ・プータ・マドゥレ」という言葉は、それが良い意味であっても私には口に出せない。 (全てのスペイン語圏の国々で共通に使われているかどうかは不明。)
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先週の私の誕生日、普通に出勤し、普通に仕事し、普通に残業をして帰宅。 身近な人で私の誕生日を誰も知らない。去年同様の寂しい誕生日。 いつものように夜遅くメールチェック。
いつものようにメールをいくつか受信。 そして... 私の誕生日に触れたメールが1通紛れ込んでいた。 それはエクアドルの友達から。 Hola mi querido amigo Masita, espero que tengas un feliz, feliz cumpleaaaaaanos ..... 誕生日を祝ってくれる人がいてくれた。 エクアドルの旅行はもう3年以上も前なのに。 ありがとう、ミ・アミーガ。 |
WTC 先月WTC(当サイトの『旅系!リンク』参照)のアフガニスタン料理交流会に参加し、旅行の話をしたり聞いたりして楽しんだ。 旅行の話って旅行好きな人以外には話しづらいもの。旅行者の集まるこういうような会でここぞとばかりに旅行の話で盛り上がる。 ちなみにWTCの「○○国料理交流会」は年に3回開かれている。 in 高田馬場 先週金曜日にも別仲間との食事会。昨年末にミャンマーで出会った人(全て日本人)たちが中心の食事会(ミャンマー料理)。この会の開催で皆に声を掛けてくれたのが、このコーナーで触れたことのある少女漫画家の山田さんだった。 懐かしいミャンマーの話や中国の写真などで楽しんだ。 少女漫画 ミャンマーで山田さんたちに会ったときに「今度日本で漫画買います!」といったのに未だ買っていなかった。ほかの人たちはちゃんと買っていたのに。私も買おうとは思っていたのだが、今まで買う勇気がなかったのだ。 だが、私もそろそろ覚悟して買う決心しなければ。 さて... 1) 自分で買う → やはり買う勇気がない。少年漫画でさえ勇気がいる。 2) 妹に買ってきてもらう → 他県に住んでいるのでお願いする機会がない。 3) 女性の友達とかに頼む → ここ1年近く飲んだり遊んだりする機会が激減し連絡も殆どなくなっているので頼みづらい。 4) 会社の女の子に頼む → 山田さんの名前をググられて当サイトを発見されてしまう危険性があるので、山田さんの話はできない。会社で当サイトのことは秘密なのだ。 5) カノジョに頼む → ↑なんて見栄張ってみたりして。 6) エクアドルの女性の友達に頼む。 → 日本までの交通費を請求されては困る。でも来てくれたらなあ。 7) ミャンマーの女性の友達に頼む。 → パスポート発行すら殆ど不可能。 8) メキシコの女性の友達に頼む。 → 何年も音沙汰無しの状態。 9) キューバの踊りの師匠に頼む。 → 今ごろ何しているだろうか。 ...... 悩んだ挙句、結局 "1) 自分で買う" に決定。 冒険物語 きょう早速書店へ。いつも行く書店はやめて、ちょっと遠くの方まで。 店に入る。客が少ない、しかも客は男ばかり....有難い。 コミックスのコーナーへ。そして少女コミックスの棚にたどり着く。 急いで作者山田さんの名前を目で探す。 見つからない。あせる。恥ずかしい。このまま時間が過ぎる。 これ以上、棚の前に居られない。 レジに向かう。レジの人、おばちゃんで良かった。 「あのう...すみません。女性の漫画家のヤマダ・ウヅキの漫画本ありますか。」 「本のタイトルは何がよろしいでしょうか。」 「な、なんでもいいです。」 レジの人が別の店員に何やら聞きに行く。そして戻ってくる。 「マーガレットのですか?」 「た、たぶん。確かそうです。」←本当はマーガレットのだということは知っていたが、敢えてよく知らないふり。 店員が本を取り出す。 「これだけしかないようですが、これでいいですか。」 「あ、はい。これで...。」 といことで、やっと買うことができた。 - ああ、死ぬかと思った。 - でも、他の人は皆何冊か買ったようだ。もう1種類くらい買おう。 1冊目を買えたので、次を買う抵抗が多少なくなった。 いつもよく行く大きな書店へ。そしてコミックスのフロアーへ。 でもまた恥ずかしくなった。しかしここまで来たら引き返せない。 棚をザーっと探して、やはり店員に聞く。 男の店員に。 「女性の漫画家の山田雨月さんの漫画ありますか。」 その男の店員はニヤリと笑う。絶対、俺を馬鹿にしてる。 どっと汗が出る。 男の店員が女性の店員を呼ぶ。女性の店員が私に尋ねる。 「はい、何でしょうか。」 「女性の漫画家の山田雨月さんの漫画ありますか。」 - 何度も言わせんじゃねえ! - 早くこの場を立ち去りたい。 「こちらの本しかございませんが、こちらでよろしいですか。」 店員が手に取っているのは先ほど買った「春一番の吹く頃」というタイトルのもの。 『それ持ってます』と言う勇気はなかった。 「はい、それで。」 同じ種類の本2冊目ゲット。 意味ねぇぇぇ。 山田さん、ごめんなさい。次の店で今度こそ違う種類(3冊目)を買うという勇気は僕にはありません...。でもこの努力は認めてね。 読書、そして 家で少女漫画を読んだ。 おまけのページに山田さんの旅好きなことが書かれていた。 主人公がどれも高校生(しかも女性)ということは、海外の旅行の経験は題材にするのが難しいだろう。折角いろんな国々へ行っているのに。 ということで(←何が?)Masa M.から提案。以下のように、高校生の殻を破った作品はいかがですか。私の旅の経験から考えてみました。 --------------- ・主人公の女子高生がバングラデシュへ行って、料金のことでリキシャともめる物語。 ・女子高生がニカラグアへ行って、ウェイトレスと少し親しくなって心ときめく物語。 ・女子高生がフィリピンへ行って、ホテルの男の従業員にいろいろ親切にしてもらうが、帰国後その男の従業員からバレンタイン・レターが届き、ぞーっとしてしまうホラーより怖い物語。 ・女子高生がキューバへって、クラブ・ラ・メソンのラム酒の抽選会で当たり、ラム酒をゲットし、ラム酒を手渡されるときにモデルのお姉さんから頬にチューをもらい、デレっとし、きょうはもったいないから顔を洗わないで寝るぞと決心するものの、飲んで踊って酔っ払ってホテルに戻って、うっかり顔を洗ってしまう悲劇。 ・女子高生がミャンマーのチャイントンへ行って裸族のAkha族やArn族に出会い、目のやり場に困ってしまう...でもちょっと嬉しい物語。(但し絵をリアルに描くとマーガレットが18禁になってしまう?) ・帰国のとき成田の税関に外見で怪しまれ、荷物をいろいろ調べられ犯人扱いされる物語。 --------------- って、やっぱりそんな女子高生いるわけないよね。 |
・・・ 海外で ・・・ 生まれてはじめての海外は、バックパックを背負ってのメキシコやグアテマラ。 「おはようございます」すら知らなかったスペイン語を旅しながら少しずつ覚えていった。 そのうち、旅行で使うくらいの簡単なコミュニケーションに関しては、英語よりもスペイン語の方が話しやすくなった。(というより英語に関して、読み書きなら多少できるが、聞いたり話したりするのは殆ど全くダメだったのだが。) 帰国してその後現在でも『数』くらいなら、英語よりもスペイン語の方がわかりやすい。 ・・・ 会社で ・・・ 仕事で海外へ電話することがある。といっても超簡単な話なので、英語が苦手でも何とかなる。国際電話することが最も多い相手は、うちの会社のフィリピン事務所の現地人スタッフのJさん。Jさんとは結構親しくなっている。 ・・・ そこで... ・・・ 先日、Jさんと電話で話をしたときのこと。 私は書類の数字を読み上げた。 そのときJさんをちょっとビックリさせようと思って、長い数字を英語ではなくスペイン語で言ってみた。(フィリピンでは、スペイン語そのものは通じない場合が多いのだが、スペイン語の数字に関してはかなり通じやすい。) すると... あれ〜、すらすら数字が出てこない。今まで『数』に関しては英語よりスペイン語の方が話しやすいと思っていたのに...。 ちょっとショック。 そういえば最近全くラテンアメリカへ旅行に行ってなかったなぁ。 |
きのう或るテレビ番組を見た。その番組は面白いのでよく見るのだが、きのうの放送はちょっと疑問を感じた。 放送の内容はこうであった。何人かの日本人グループが車に乗ってタンザニアを旅をしていた。その国の田舎で地元の一人の女の子が、日本人グループの一人の男性に好意を抱く。そしてその女の子がその日本人男性に自分の想いを告白をする。しかしながら結局ふられてしまった。 番組の現地同行スタッフがその女の子の想いを察知したときに番組を盛り上げようと思い、彼女の想いをあおり、彼女に告白させようと仕向けた(或いはそういう雰囲気をわざと作った)のではないかと思ってしまった。 私の思い過ごしならばいいのだが。 (仮に私の思ったとおりだとしたら、悪ふざけが酷すぎる。番組に参加している日本人グループの人ならばスタッフに告白へと誘導されたとしても別に構わないと思うが、地元の純心な女の子を視聴率のために態々巻き込んだのだとしたら可哀想。) また、日本人男性が彼女からの告白を受ける前に、彼女への気持ちについてまんざらでもないようなことをスタッフに告げた。そのとき彼のことを『ワールドクラスの守備範囲』と説明し、日本の会場の笑いをとった。これも何となくひっかかる...。 その女の子の村に日本人グループが何日間滞在したのか知らないけれど、短期間一緒に過ごしただけで彼女を日本に連れて帰る決断できる男は極めて少ないと思う。しかも両者の間に通訳が入らないと会話ができない。スタッフは、かなり高い確率で女の子がふられるのを予測できたのでは? もしそうなら、女の子が告白する前に、気を使って止めてやったら良かったのに。あの番組は、各地の地元の人々の厚意無しでは、製作が難しいと思う。決して地元の人々に対して恩を仇で返すようなことはして欲しくない。 本当はどうなんだろう。私の思い過ごしであって欲しい。 |
1992年初めての旅で遭った置引きの話。 私はメキシコのサンクリストバル・デ・ラス・カサスのバスターミナルにいた。 そのバスターミナルで、二人組みの日本人旅行者と知り合った。バックパッカー同士旅の話などを始めた。我々は横に列になっている椅子に座っていた。そのとき私が座っている場所は3人のうちで一番右。 我々が話で盛り上がっているところへ、一人のメキシコ人オヤジが話し掛けてきた。こういうことは当時のメキシコでは頻繁にあること。 オヤジは、我々3人が横一列に並んで座っている左隣(即ち私と一番はなれた所)に座り込んだ。 暫くしてオヤジは立ち去って行った。 その後で私は気づいた。 私のバックパックは足の前、そしてミニ鞄は右横に.... 「あれっ、ミニ鞄がない!!!!!!!!!」 やられた。これが私の初めての被害。あのオヤジはどう考えても置引き犯の一味。 全く油断していた。 この旅の初めの頃だったら、こんなドジは踏まなかった。ミニ鞄には常に気を配っていたのに。 医者にかかるほど体調を崩した直後の状態だったということもあったが、それよりもこのとき旅を始めて約1ヶ月が過ぎようとして、徐々に気が緩んできていたのである。 『旅慣れてきた』と自分で思い込んでしまったときに起きたことなのである。 ちなみに、ミニ鞄の中身で、失って極めて痛かったのは以下の3点。 ・思い出詰まったフィルム ・この先思い出の旅を続けていく上で必要なカメラ ・初めての旅で、相当気合を入れて書き続けてきた旅日記帳 その3点について、その後もショックからはなかなか立ち直れなかった。 しかし、多くの人が励ましてくれた。有難かった。 その中で、ペンションアミーゴで一緒だった人から貰ったこの言葉: 「もし、写真に撮ったり日記に書いたりしないと思い出せないような思い出だったら、それはそんな程度の思い出。本当に残しておきたい思い出だったら、写真や日記を見なくても鮮明に思い出せるもんだよ。」 この言葉に本当に救われた気持ちになった。 |
エスカレーターは私の日常で当たり前のように存在している。 私にとって、エスカレーターというと一番先に思い出す人物は、キトに住む友達A。彼女はごく普通の都会っ子。 Aと一緒にキト市内のショッピングセンターに行ったときのこと。 当時(今はどうだか知らないが)、キトにはエスカレーターというものが殆ど存在しなかった(らしい)。だが、そのショッピングセンターには、エスカレーターが設置されていた。 さてこれから上の階に登ろうというときに、Aは「あれで行こう。」とエスカレーターを指した。私は了解して、その方向へと向かった。 エスカレーターが目の前に近づくと、Aは急に「うそよ。階段で、階段で。」と言ってエスカレーターの隣で並行している階段へと私を連れ出す。 - ...どうしたんだろう? - わけが判らないまま、Aと一緒に階段で登った。 上の階へ登り終えると、今度はAは「下の階へ戻ろう!」と言い出す。 - ....? - そしてAはエスカレーターの方へ私を連れて行く。 しかし、エスカレーターの目の前で、慌ててまた階段のへ。 仕方ないから私もAにくっついて階段で降りる。 「Masaは怖くないの? エスカレーター。」 「...。 えっ?」 私は非常に驚いた。 おしゃれだし踊りだって上手い都会育ちのAが、まさかエスカレーターを怖がってたなんて思いもしなかった。エスカレーターが怖い乗り物だなんていう観念は私には存在しなかったのだ。 どうやら、エスカレーターに興味あるものの怖いが為に、あんな行動したようだ。 |
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