グアテマラ旅行記 〜 E.Mailから




溜まっていた過去のE.Mailを削除しようとしたら、送信履歴に思い出深いものが残っていた。

懐かしいグアテマラの旅のことが書かれてたので、削除してはもったいないと思い、原文に最小限の修正をして私のホームページに保存しておくことにした。






今晩は。
きょう5月7日夜、帰国しました。本当は昼の成田着の予定だったけど、飛行機が13時間遅れました。
 
4月29日夜グアテマラ市に到着、翌朝懐かしのアティトラン湖へ行きました。
バス停で下車し町の中心部へ向かいました。中心部へ向かうほど町並みは様子ががらっと変っていました。まず目に付いたのは、観光客層の変化です。以前は各国からのバックパッカーが集まっていましたが、今ではグアテマラ国内のお金持ち達のリゾートになっていました。
考えてみれば、7年の間にグアテマラでは右翼政権と左翼ゲリラは和解し内戦は終結となり、またグアテマラ市からこの湖までの道路は全て舗装され、この湖まで車で来ることは容易になっていました。
外国人バックパッカーは観光化され過ぎたこの湖に嫌気がさしたと見え、殆どいませんでした。屋台のトロピカル・ジュース屋でジュースを飲んでいても、都会から来る車の騒音・廃棄ガスで、全く落ち着けませんでした。
 

隣の村まで山道を徒歩で行きました。7年前この道を歩いていたら、通り過がりの村人に『この道はとても危険だから引き返せ』と止められました。今ではこの村までの道も全面舗装され、歩く途中、何台も車が通り過ぎています。村人にすれ違っても、危険だから引き返せとは誰も言いません。
空を見上げると、パラグライダーが飛んでいました。
 
マヤ文明の末裔達が昔ながらの生活を営んでいる世界で最も美しい湖アティトランは、今では単なる湖でした。
 
あっ、それからホテルは前回と同じところへ泊まりました。そのホテルのレストランで前回のお気に入りの〃巨大クレープ〃を食べました。〃巨大クレープ〃の味は前回のままでした。
 
結局、湖の村巡りの計画は取り止めにし、湖では1泊しただけでした。湖を去ったあとのことは、またあとで書きます。






こんばんは

(略)
 
さて、グアテマラの話に変ります。
前回アティトラン湖の話をしましたが、付け足しを少しします。
 
湖は観光化されてしまいましたが、マイナス面だけではありません。
まず、観光化された為に外国人の貧乏(節約主義)バックパッカー はこの町から姿を消し、街からの金持ちグアテマラ人がベンツなどに乗って現れました。金払いの良いお金持ち客のお陰で、この町の経済は潤っている感じです。周辺の村々から民芸品を売りに来ていた貧しい人々は、7年前まではアイスクリームのような贅沢品は口にしなかったけど、今ではその子供達は美味しそうに食べていました。
村々の人達の生活にゆとりが出てきたのです!
まあ、確かに生活の欧米化の為、伝統が失われているのもはっきりわかります。7年前は女性が物を運ぶとき美しい刺繍の入った布袋にくるんで背負っていましたが、今ではリュックを背負っているのを見かけます。また、手の込んだ美しい民族衣装を捨て(観光客に高く売り)、今では(大量生産で民族衣装より安価な)洋服を着る人が多くなりました。
私はただの外国人なのでマヤ文明の伝統を守り続けて欲しいと言う権利はありません。生活が便利になったりゆとりが出てくるのはもちろん私にも嬉しいことだし、マヤの伝統を守るか欧米化を受け入れるかは彼らの選択です。
私がいろいろ旅行した中で最も楽しかった国はグアテマラでした。その国の人々が変ったとしても、やはり私の第一の思い出の国であることに変りはありません。グアテマラの人々にはもっともっと幸せになって欲しいと思います。
また、観光化されたために良かったこととして、この町の人々は見知らぬ外国人(私)に、おはようって挨拶してくれます。以前は、このようなことは、周辺の村々へ行かなければ殆どないことでした。この町に外国人が少なくなったためでしょう。
 
話が長くなってしまったので一旦、この辺で送信します。(今回もアティトラン湖だけの話になってしまいました。)
仕事が忙しく、明日は休日出勤だし、また平日は相変わらず夜遅くまでの残業なので、今日また続きのメールします。




Lago de Atitran


(略)

さて、アティトラン湖を去った後は、古都アンティグアへ行きました。そこへ行った一番の理由は、都会なら7年前とそれほど変化は少ないだろうと思ったからです。
車の台数は激増しましたが、思った通り大きな変化はなく、一見帰ってきた〜って思えました。
 
アンティグアはグアテマラの首都だった時代があります。スペイン植民時代風の建物で街が作られています。落ち着いていてなんとなく長居をしてしまう旅行者が多いせいか、街にはたくさんのスペイン語学校があります。
 
見所は、植民時代の「Antique」な街の風景と、地震によって壊された昔の教会や修道院の遺跡群です。
一見のんびり過ごせそうですが、やはりグアテマラ..............。実は、外国のある雑誌に載ってたそうですが、古都アンティグアは「頻繁に外国人が訪れる場所別治安の悪さランキング en Latinoameria」でワースト2位だったそうです。(→本当かな?) 確かにどの本を見てもアンティグアは強盗が多発すると書かれております。でも日中、おしゃれな感じのこの街を歩いていてもそんな感じは全然ありません。ちなみにワースト1位はコロンビアの首都ボゴタだったとのことです。
(例の事件の話はまた後日します。)
 
アンティグアの近郊の村にも訪れました。そこは織物で有名な村です。民族衣装はとてもきれいです。グアテマラの民族衣装ウィピルは、村によってその模様・柄に個性があって、着ている衣装をみれば何処の出身がわかるのです。
 
アンティグアには2泊しました。
アンティグアで、一人旅の寂しさ・孤独感を強く感じました。学生の頃、一人旅をしていてそこで友達を作るのはものすごく簡単でした。というより別に何もしなくても嫌でも友達ができてしまうものでした。でも今回の旅行では、あまり友達をつくる機会がありませんでした。まあ、もちろん、通りすがりの地元の村びとに挨拶してもらったり、バスで隣合わせになった人と会話したり、地元の人にたくさんの笑顔をもらったり、また日本人を含んだ外国人観光客同士でちょっと話し込んだりはしましたが.......。でも、どこか違うようです。確かに雨期の直前で観光客は少なく、まして一人旅風の人なんてめったにいませんでした。ヒッピー群も殆どいませんでした。そう言えば、食事....この旅行では全部一人きりでした。
 
寂しくなったのでアンティグアを去ることにしました。刺激を求めて、7年前にも8年前にも行ったことのない地へ行こうと思いました。
 
次の訪問地はチチカステナンゴという山奥の村に決めました。道路は全面舗装されたためアンティグアからバスでたった3〜4時間でした。

__________
 
今回の旅行では、このチチカステナンゴが最も楽しかったです。
チチカステナンゴの話は、後日します。

(略)



(略)
 
ここで、グアテマラに戻ります。
 
アンティグアから山奥のチチカステナンゴへ行きました。ここを訪れたのは初めてでした。近くにマヤ文明の遺跡があるというので、ホテルに荷を置いて、ちょっと出かけることにしました。 チチカステナンゴから乗合トラック・バスで1時間後、無名の町で下車、バスの乗り換えです。
 
しかし! この無名の町に何かありそうだと、ピンと来ました。乗り換えのバスを探す前に、ここの町の市場を散歩しました。いろいろ歩き廻って帰ろうとしたときに、遠くで何か音楽が流れているのが聞こえました。音楽の流れている方へ歩いていくと、多くの人が集まっていました。
なんとその日はこの町のお祭りでした。仮面を被った人びとが踊っていました。祭りが見られるなんて、ラッキーでした。ピンと来たのはこのことのようです。
遺跡はこの町からバスやタクシーで数十分です。私はタクシーで行きました。なんと遺跡までの道は舗装されていませんでした。やっと私の知ってるグアテマラらしさが見られました! 遺跡はガラーンとしていました。観光客は私だけのようでした。たいした遺跡ではありませんでした。神殿等はスペイン人に破壊された後、放置され土に被われ、「単なる凸凹な広場」でしかありませんでした。ちょっとがっかりしました。
しかし!その日は何故か運が味方してくれました。「広場」内の林の中へ入っていきました。遠くに人が見えました。その近くにちょっとした山道(階段)があり、降りていきました。なんと、宗教儀式を行っていました。グアテマラはカトリックが多数派ですが、司祭が話している呪文(というか仏教でいうところのお経のようなもの)を聞いていると、スペイン語ではなく、たぶん地元のキチェ族の言語だと思います。感動しました。おそらく、マヤ文明の時代から行われてきたものではないかと思います。(だったらいいな〜。)
こんなものが見られるなんて、ラッキーでした。
地元の宗教儀式に外国人の私が単なる興味で近付いたら、攻撃(ちょっと大げさかな?)されるかなと用心しました。(ここからは、旅人の腕の見せ所。)まず、徐々に近付いていきます。司祭や他の人は、私が近付くのに気づいたようでした。ここで、「近づくな」という信号は感じとれませんでした。
次に子供が階段に腰を下ろしているので、その横に、すっとぼけてすわってみました。「儀式の邪魔するな」という信号も感じられません。
次は写真です。一般にカトリックの教会内の撮影は凄く怒られますけど、土着宗教はどうかな? 儀式中なので司祭に「写真とってもいい?」と聞くわけにもいきません。それに写真をいやがるグアテマラ人は多いのです。
カメラを取りだし、少しずつチラチラとカメラを見せます。「写真取るかもしれないよ」とこちらから信号を送りました。無反応です。OK! 
カメラを向けました。無言で「止めるなら今のうちだよ」。 無反応です。OK! 写真取りました!
彼らが火を燃やしているそばに洞窟がありました。入ったら怒られるだろうか? 穴に近付き、入りたい顔しました。 様子を伺ってみると、なんと司祭がうなずきました! 「入ってもいいんだ!」
中に入りましたが単なる洞窟でした。
そのあと、儀式をずっと見物させてもらいました。
儀式が終わると、司祭が話し掛けてきました。簡単な話を少ししました。
本当は、この土着の儀式についていろいろ質問したかったんですが、スペイン語の実力がないので聞けませんでした。
(それから、宗教はタブーが多いので、くだらないことを聞いて、今度こそ怒られるのが怖かった。)
 
さて、帰り道。行きは町からタクシーでしたが、ここは全く人通りの無い山の中の広場(遺跡)。バスは何時間毎に来るのだろう? タクシーはあるはずもない。 ガイドブックには、歩いて40分だが強盗がでるので徒歩はダメとのこと。 しかしバスが来るのを待つのは退屈なので、徒歩にしました。ちょっと怖かった。いや、だいぶ怖かった。グアテマラでは人気の無いところで強盗が出てきても不思議ではないのです。
 
 
無事に歩いて町に到着できました。そして、その町からホテルのあるチチカステナンゴへ帰るとき、バスの中で隣の人とおしゃべりしながら、楽しく過ごしました。その日は1日中とても面白かったです。
 
グアテマラの話、また後で書きます。

(略)




(略) 
 
チチカステナンゴ村のレストランでは10代前半の少年の働く姿を幾度か見かけました。
山奥の村では貧しい人が多く、学校へ行けない子がたくさんいるのかもしれません。
そんなところへ我々外国人がフワーっと遊びに来ている姿を見て、地元の人はそれをどう思っているのかなと考えてしまいます。
それでも、この村の人々は温かく我々を受け入れてくれます。グアテマラの人は基本的に優しい人が多いのです。
旅行をするとき、グアテマラに限らずいつもいつも、地元の人に助けてもらっています。私は自分の力だけでは旅行できません。地元の人に助けてもらい、甘えながら旅行をしています。
 
話が逸れましたので戻します。少年の働いているレストランで食事をしていたら、民芸品売りのオバさんが外国人の私を見つけ、店内に入ってきました。少年は必死に迫力あるオバさんを追い払おうとしました。それでもオバさんはなかなか引き下がりませんでした。一生懸命な姿はとても可愛らしかったので、会計後チップを払うとき、いつもはチップは控え目な私ですが、ついつい通常の倍以上のチップを手渡してしまいました。
 
さて、お気に入りのこの村を去るときが来ました。翌朝は米国へのフライトなのでグアテマラ市へ戻らなくてはなりませんでした。
グアテマラへ戻るとき、バスで日本人の女性と一緒になりました。彼女もゴールデンウィークの短期旅行者でした。彼女から衝撃的な話を聞きました。 例の日本人殺害事件のことです。
 
団体ツアーの日本人が、トドス・サントス町で地元の人の写真を無理に取って、袋たたきにされて殺されたということでした。
普通に考えたら写真を強引に取ったくらいでは殺されるはずありません。
日本では、「たまたまその頃、黒い悪魔がやってくるという噂が流れたところへタイミング悪く、黒い服装だった日本人が魂を奪うカメラをもってやってきて、無理矢理写真を取ったため」というようなことも言われてました。
これもどうだかわかりません。いくらトドスサントスの人でも、日本人と悪魔の違いくらい判るはずだと思います。
(略)
以前の私のイメージでは、トドスサントスへ行く外国人たちは旅慣れている人が多く、パックツアー客が行くような場所ではありません。(最近は道路などの整備やゲリラの撤退のため、行きやすくなったのでしょう。)
 
(略)
 
それでも、写真だけで殺されるとは....?
........アティトラン湖のある村できれいな民族衣装をきた子供が駆け寄ってきました。「(民族衣装がきれいでしょ。)アタシの写真を取らしてあげる。」と言われました。その村では写真を取ったらチップを渡すのが常識でした。チップを渡すのが嫌いな私は、「お金もって無いから取らない。」といってさりました。暫くするとまた、さっきの子供に逢いました。すると、笑顔で「いいよ。お金払わなくても。」と言われました。(写真取らせてもらいました。).......といったことを思い出しました。
 
トドスサントスでは写真を取られると魂を抜かれる(=寿命を短くされる)という迷信があるのでしょうが、他の多くの旅行客はトドスサントスの人の写真を手にしています。どんな交渉かは知りませんが。写真を取らせてもらう場合、やり方を考えれば道はあるはずです。
(略)
 
とはいうものの、実は私はトドスサントスには一度も行ったことがありません。7年前の旅行とき、そこへ寄る筈でした。
7年前にトドスサントスの目前まで来て、さあ出発というときに高熱を出してしまいました。医者にかかったほどでした。位置的にはそこまでは目前ですが、そこからは体力がないと山道のオンボロ・バスには乗れません。治っても病み上がりでは無理です。結局、諦めました。
7年前からそこは、行きたくても行けなかった憧れの地でした。今回も、僅か9連休だったので諦めました。 
 
グアテマラ市で1泊し、翌朝グアテマラを去りました。
これで、グアテマラの話を終わりにします。
 
(略)
 
 
それでは。



たいした旅をしてないのに,、ちょっとカッコつけて旅行"通"っぽく
書いてしまったが、その辺はご容赦を...。





思い出の写真から・グアテマラ



Copyright© Masa M.