- アジア(びるま)の田舎での話(2002年5月) -





その村を訪れたのは、そのときでもう4回目。
小さい村へそんなに訪れると、顔見知りの人がたくさんできる。
 
散歩で寺院を訪れると、「Masa、Masa!」と遠くから私を呼ぶ声がした。
その声は懐かしい地元の人たちのものであった。
「Masa! いつ来たの?」
- 「さっきこの村に着いたばかりさ。」
「また、来てくれたんだね。」
- 「もちろん!」
 
その村への訪問を重ねるたびに、少しずつ信密度も増していく...。
「あした、お昼、ウチでご飯を食べない?」
- 「え、いいの?」
食事に招待されたことに感激した。
 
翌日...。
貧しい人たちだったが、テーブルにはおかずの皿がたくさん置かれていた。
その人たちにとっては、きっと物凄いご馳走だと思う。
気前良く山盛りのご飯の皿をだしてもらった。
「いただきまーす。」
人々は、たくさん食べなさいとおかずを私のご飯皿にどんどん乗せる。
ハッキリ言って食べきれる量ではなかった。
(そんなにたくさん食べられないよ〜。)
でもその人たちは私に尋ねる。
「美味しい?」
「うん、美味しい。 でもそんなにたくさんも...」
ジェスチャーで満腹だと表現した。
それでもその人たちは容赦なく、私のご飯皿におかずを乗せていく。
まるで『わんこ蕎麦』みたいに。
やっと白いご飯が減ってきた。
(あともう少しだ。)
と思っていたら、白いご飯まで皿に足されたのであった。
死ぬ思いだったが、残さずに食べた。
 
食事のあと、提案が出された。
「昼飯はスースー家のご馳走だっけど、夜はウチにおいでよ。」
私は、地獄(いや、天国)の胃袋ボンバーが怖かったが、親切な行為に対して断ることができなかった。
 
夜...。
マミョーミョー家へご馳走になりに行った。
その人も貧しく、夫が出稼ぎに出て行っているので赤ん坊と2人で狭い部屋に住んでいた。
おかず皿の数はそれほど多くなかったが、貴重な卵の料理を出してもらった。
(卵、値段が高いだろうに。)
食事をしていると、近所の人が集まってきた。
日本人がそのアパートの中に来たのが珍しかったらしい。
多くの人から観察されながらのディナーとなった。
 
食事のあと、別の人からまた提案が出された。
「あしたの朝飯はウチへ来いよ!」
胃袋がキツくなるのがわかっていたので、いっそのこと断食でもしたかった...。
やはり断れなかった。
 
翌朝も食べ過ぎて死ぬ思いをしたのであった...。
 
私がその地を訪れた為に、地元の人々は大出費をしてしまった。
申し訳ない...その気持ちに感謝した。
 
久々に出会った私を大歓迎してくれる人々。
貧しいながらも親切な人々。
友達想いで親切な人々。
死ぬ思いをしながらも、ビルマ人たちの厚意に大感激した。
 
ビルマを訪れる人はこれからどんどん増えていくと思う。
ビルマ人たちが、純真な心を失う時期もいつか来るのであろうか?
それは、そこを訪れる観光客次第かもしれない。
 
 
 


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