教員組合:中上 直 総務部長 “欠陥アンケート”を確認し,「これを根拠として使用しない」と明言(2003.8.20)

 

この中上総務部長の発言が,“真っ赤なウソ”であったことは「脚注1」を参照されたい.また,中上総務部長が,教員組合書記長に対して高飛車な態度で“お前ら”呼ばわりの“恫喝”を行ったことは「脚注2」を参照されたい.(2005.7.12加筆)

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「アンケートの回答から、我々がリベラルアーツについて学生さんの意見をとらえるとは考えていない。これを根拠としてリベラルアーツ化などという使い方はしないつもりだ」(中上総務部長)

                                                  横浜市立大学教員組合

                                                             平成15年8月20

 7月30日の学長会見で、中上総務部長は、プロジェクトRが行った学生アンケートの結果を、リベラルアーツカレッジ化の根拠としては使わないと明言しました。

 このアンケートは、実際には7月24日及び数日間、学生に調査用紙を渡しその場で回答をさせていたもので、次のような項目がありました。

 

 質問8  アメリカの大学の中には、学部4年間はどの分野にも共通する幅広い教養教

 育(リベラルアーツ)を総合的に学び、さらに専門分野を学びたい人は各分野の大学

 院やロースクールなどの専門大学院に進学するシステムがあります。日本でもこのよ

 うなリベラルアーツを専門にする大学があればよいとあなたは思いますか。

 

 この質問はきわめて誘導的で欠陥のあるものです。このような質問に対して、よいと思わないと回答する人がどれだけいるでしょう。横浜市立大学がリベラルアーツカレッジになるとよいと思いますかという質問ならまだしも、このような質問はアンケート項目としては全く意味をなしません。

 さらにアメリカのリベラルアーツカレッジは、多くの学者から批判を浴び、現在は激減してしまっています。残っている大学の中には、交通の便が悪く通学できないような所にあり全寮制にしてリベラルアーツカレッジと称している所が多いのが現状です。京急金沢八景駅から歩いて数分の所にある横浜市立大学がリベラルアーツカレッジ化する必然性はありません。

 市大の改革案の中にリベラルアーツ化という文言がある点について、学長会見の際、教員組合が、アメリカのリベラルアーツカレッジの欠点を指摘したところ、中上総務部長は、「リベラルアーツでも、アメリカの考え方でやると話していないのに、アメリカの考え方でやるという先入観でうけとられるのは嫌だ」と述べました。しかし、このアンケートでは、実際には今は批判の方が多いのに、アメリカのリベラルアーツカレッジが理想的であるような説明をして強い印象を与えたあと、リベラルアーツカレッジをどう思うか聞いているのです。学長はこのアンケートの欠陥を認めませんでしたが、さすがに、中上総務部長は、このアンケートの欠陥に気づき、このアンケートの結果を、市大のリベラルアーツカレッジ化の根拠としては使わないと明言しました。

 

 

(以下,加筆2005.7.12

脚注1

大学改革市民アンケート情報開示請求顛末記(その3)――事務局によるアンケート結果の大幅な歪曲,『アンケート調査票』から発覚――(2004.6.21)

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/04-06/040621tenmatsu3.pdf 

 

・・・(中上 直総務部長のこの明言にもかかわらず,)『新たな大学像』(03-10-29)の「付属資料」である『アンケート調査概要』(03-10-29),および,『アンケート調査報告書』(03-10-29,未公表)中で使用したという経緯がある.

なお,この延長線上に,《(リベラルアーツ教育を目標とする横浜市大では)専門としての数学は必要がないという理由により数理科学科を廃止》するという,横浜市の大学改革推進本部による乱暴な決定がある.・・・

 

 

脚注2

公立大学という病:横浜市大時代最後の経験 I. 市労連という病

http://myoshida64.hp.infoseek.co.jp/ycu/ycu2004.html 

http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/05-02/050216yoshida-yamai.htm 

 

 ・・・そうこう押し問答しているうちに、彼(注:市労連のY書記長)が切り出した。「当局のある人と近くで待ちあわせしているのだけれども、会う気はあるか」と。誰なのかと尋ねると、市大のN総務部長とK人事課長だという。近くに待たしているので、会って話をしてみる気はないかと言われた。私は同意した。ともかく当局が何を考えているのか、どこに落しどころがあるのかを知りたかったからだ。

 

N総務部長との懇談

 

 連れていかれたのは、そば屋であった。N総務部長とK人事課長はそこそこ呑んでいたようだ。初対面の部長とは、Y書記長の紹介で挨拶し、名刺を交換した。N部長とY書記長は以前同じ職場で働いていたことがあり、その時以来の関係で、信頼関係がなりたっているとのことであった。部長は大学時代の学生運動歴についても語ったように覚えている。

 そうした他愛のない話をひとしきりした後で、話は本題の「改革」についてに及んだ。彼は教員組合の新聞広告が相当しゃくに触っていたようで、「教員組合は市労連の枠組みを離れて、我々に歯向うのだな。だったら全面戦争だ。やってやろうじゃないか。その覚悟はあるのか。」と詰問してきた。突然の激昂に私は正直気後れした。先にY書記長との任期制とのやりとりがあった後なので、「離れてもやっていきたい覚悟だ」と言葉が喉まで出かかっていたが、しかし口が割けても言えなかった。たかが情報収集のために来た席で、全面決裂の結果を出すわけにはいかなかった。「市労連の協力を仰ぎながら、やっていく。」と答えながら、しかし、任期制は教員組合としては絶対に受けいれられないこと、大学自治を蔑ろにした当局の「改革」のおかしさについて語った。Y書記長からは静止された。上役に対して失礼なことを言うんじゃないと嗜める態度であった。

 その時、N部長が言い放った。「お前らは、自分たちで選んだ学長の決定に従えないんだな。」

私は反論はしたものの、この言葉に打ちひしがれた。致命的であった。おかしいことにはおかしいと言うというのが我々の立場であるとは言いながらも、民主的な手続きから出てきたリーダーであることは否定できなかった。私自身、学長選挙において現学長に投票していただけに本当にこれはこたえた。うわすべりの反論しかできなかった。

 そんなこんなのやりとりがしばらく続いているうちに、そば屋の閉店時間となった。Y書記長は当初、別の店へ行くことを予定していたらしいが、あまりにも雰囲気が悪いために中止したほうがよいと判断したのだろう。Y書記長はN部長とK課長を連れてそば屋を出ていった。私は副書記長に連れられて店を出て、そして関内のスナックへ連れていかれた。

 私は悔しかった。市労連は当局べったり。その腹立たしさを副書記長にぶつけた。交通出身の副書記長は、教員と同じく現市長の下で合理化にさらされていることを語った。それは私も知っていた。現在手元に資料がないので正確なことは書けないが、民営化をちらつかされながら、路線廃止、賃下げ、非正規の運転手の増加を飲まされていた。彼は交通の正規職員の雇用を守ることが絶対だと強調し、当局が打ちだしてくる案には乗るしかないと言った。正直言って、市バスをめぐるその答は、特権化された一部の正規市職員と多数の非常勤運転手との賃金格差を無視したもので共感できなかった。同じ業務をしているにもかかわらず、身分の差によって大きな格差がつくという問題を孕んでいるにもかかわらず、副書記長はその構造には手をつけないままに、少数の正規市職員運転手の特権をどう守るのかということに腐心しているように感じた。

 そのことはさておき、「当局の言うことを聞いていれば、悪いようにはならない。」と彼は私を悟すように言った。これにはカチンときて、「じゃあ、あなたは当局にパンツを脱げと言われれば、脱ぐのですね」と質すと、「そうだ。そうすれば彼らも悪いようにはしない。」と平然と答えた。これには呆れて、モノも言えなくなった。その後、頼んでいたカラオケが回ってきたようで、彼は一人楽しげに歌っている。何か歌えと言われたが、歌う気にはなれなかった。そのうち、彼もママさんたちとの話に夢中になり、私のことは忘れているようであった。時間がきたので、それで帰った。飲み代はあちらが出した。組織費か交際費かしらないがそういう名目で出ている金だろう。腐っているという言葉しかなかった。市労連の連中とはその日以来、会っていないし、会いたくもない。

 

後日談

 

 私の研究室の隣りの先生は現副学長であった。私の採用責任者(審査委員長)だったが、どうも私とはそりがあわないらしく、何か用があっても、隣りの部屋にもかかわらず内線でしか私とコミュニケートしない人だった。その副学長が香川大学から私の割愛願いが出た後に、珍しく私の部屋をノックした。おそらく新任で赴任してきた時以来であろう。「吉田君、(転出を)考えなおす気はないかね」と彼は切り出した。「香川大学には私の院時代の友人もいるから、もっと早くわかれば手をまわせたんだが。」などと、翻意できないものか聞いてきた。無論、そんなことは考えられないと答えると、彼は安心したかのように「そうだよね。実は、N部長から君の転出を思い留まらせるよう説得してこいと言われてきたんだ。」と言ってそそくさと帰っていった。

その後、教授会で割愛が正式に決まった後にも「また部長から説得しろと言われたよ。君は随分とあの部長に気にいられているようだね。」と本気とも皮肉ともつかないような口調で言われた。N部長と会ったのはあの日だけ。どうしてそんなことを言われなければならないのか、いまだに不思議だ。・・・