「民主的意思決定プロセスのかけらもない横浜市大の学長選考方式」 永岑三千輝氏『大学改革日誌』(2005.10.11)

 

http://eba-www.yokohama-cu.ac.jp/~kogiseminagamine/SaishinNisshi.htm 

 

 

10月11日(2) 久しぶりに教員組合「ウィークリー」を頂戴した。その内容に共感し、支持する。草の根の民主主義は、まさにこうした教員組合の行動を通じても、発展させられ、深化させられなければならないだろう。ウィークリーの伝える問題はすべて重要なことばかりだが、学長選挙のあり方に関して一言すれば、いまや、小樽商大のような全教職員選挙という方式さえも編み出されている「全国国公私立大学の事件情報」(10月11日付)[1][1]

 

----『北海道新聞』記事抜粋----

有権者は前回二〇〇一年の選挙の約一・七倍の二百一人。投票は、投票者が候補者名を自由に挙げる学長候補者の推薦(十月下旬)、選抜(十一月)、上位三人による決選投票(同)の三回行い、最初の推薦の段階から教職員全員が投票する。

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この小樽商大方式は、本学のあり方とはまったく違う方式であり、全国的にみても驚嘆するような画期的方式ではなかろうか。大学の自治を担う学長(理事長)選挙における大学民主主義、という点では非常に徹底していると思われる。丸山真男の言う民主主義の「理念、制度、運動」(浅井基文氏論説・参照)からすれば、その理念、制度の画期性は明らかではなかろうか。

本学のように、少数の人間(直接的間接的にすべて行政側による任命が貫徹した人々・・・教育研究審議会、経営審議会の全メンバーの選ばれ方を検証してみればわかる)からなる選考委員会での選出とあれば、研究教育を担う教員と職員の意向はまったくといっていいほど反映されないことになる。私の知る限りでは、現学長は、本学教職員がだれも知らない人物(急逝された前最高経営責任者の知人)であった。行政当局による直接間接任命の学長選考委員会による選考は、どのような基準で行われるか、基準そのものの妥当性をはじめ、「大学の自治」という点からは、深刻な問題をはらむ。そして、それは制度的には、実は憲法の保障する「大学の自治」(「学問の自由」の制度的保障)に決定的に違反するだろう、と考える。いったい行政当局との距離(自立性・独立性・自治性)はどこに保障されているのか?

この問題は、教員組合ウィークリーが批判的に論評している「トッフル500点問題」と基本的に同じ構造的欠陥(民主主義的意思決定プロセスの欠如)によると考えられる。

 

-------(芦部憲法、参照)------

大学の自治の内容としてとくに重要なものは、学長・教授その他の研究者の人事の自治と、施設・学生の管理の自治の二つである。