“政教分離条項”の改変:自民党・新憲法草案がねらう「靖国公式参拝」の“合憲”化(2005.10.29)

 

 

自民党・新憲法草案(2005.10.28発表)は、現行憲法第二十条の表題(信教の自由、政教分離)から“政教分離”の文言を削除し、過去の判例(『憲法』第三版、芦部信喜、岩波書店、2002年、151ページ参照)を出し抜くかたちで、“政教分離条項”である第三項を大幅に改変している。また、現行憲法の第八十九条(公の財産の支出・利用提出の制限)も、改変した“第二十条第三項の規定”に対応させるかたちで巧妙に改変している。こうすることで、靖国公式参拝(を含む国家神道の行事)、および、それに伴う公金の支出が「“社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える”ものではなく、“宗教的意義を有”さず、“特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進となるようなもの”ではない、から違憲ではない」ことにしようと意図しているものと思われる。この点に関しては、憲法学の専門家等による厳密な検討を待ちたい。

かりに、このたくらみが成功し、“法的”に合憲の体裁を取り繕うことができたとしても、“政治的”には、時の内閣総理大臣が靖国公式参拝を行えば、日本は国際的にますます孤立することになるだけだろう。そもそも、靖国神社の“英霊”に対する“慰霊”は、“祭祀大権”を有する(とされた)天皇(“天子”)の公式参拝(“親拝”)によってのみ可能であって、内閣総理大臣のごとき“臣下”の身分の者の出る幕はないはずである。しかも、そこにA級戦犯が合祀されている限り、天皇といえども、“政治的”には、もはや、それは許されない状況なのではないのか。そのうえ、神道の教義では、ひとたび祀られた祭神を“分祀”するなどということはありえないというのだから、世間の常識ではどうしようもないはずだが、何でもあり状態の自民党“独裁”政権は、(靖国神社の意向を完全無視して)教義そのものを変更させ、A級戦犯を“分祀”するという、かねてよりの“秘策”ならぬ“窮余の一策”を用意している疑いが濃厚である。

 

 

(1)【自民党・新憲法草案】 低気温のエクスタシーbyはなゆー 【速報】 自民党・新憲法草案全文 より)

(信教の自由)

第二十条 信教の自由は、何人に対しても保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3 国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない。

 

第八十九条 公金その他の公の財産は、第二十条第三項の規定による制限を超えて、宗教的活動を行う組織又は団体の使用、便益若しくは維持のため、支出し、又はその利用に供してはならない。

2 公金その他の公の財産は、国若しくは公共団体の監督が及ばない慈善、教育若しくは博愛の事業に対して支出し、又はその利用に供してはならない。

 

 

(2)【現行・日本国憲法】

第二十条 (信教の自由、政教分離) 信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

 

第八十九条 [公の財産の支出・利用提出の制限] 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

 

 

参考資料

■『憲法』第三版、芦部信喜、岩波書店(2002年)

【抜粋】 『天皇の玉音放送』 小森陽一 (五月書房 2003815日 第1刷発行)(2005.8.3 

小泉首相靖国参拝 世界の目きびしく 「しんぶん赤旗」(2005.10.19

小泉靖国参拝 欧米で大議論 歴史観に“困惑”も指摘 「しんぶん赤旗」(2005.10.27

 

 

2005.10.29ホームページ管理人作成)