天木直人・メディアを創る (06/01/14) 統治されることに馴れすぎた日本人(2006.1.14)

 

http://amaki.cc/bn/Fx.exe?Parm=ns0040!NSColumnT&Init=CALL&SYSKEY=0180 より

 

 

参考資料

【抜粋】 『天皇の玉音放送』 小森陽一 (五月書房 2003年8月15日 第1刷発行)(2005.8.3)

 

 

統治されることに馴れすぎた日本人

これも人の言葉の借用である。1月13日号の週刊金曜日に作家、映画監督の森達也が強烈な文章を書いていた。それはこの国の天皇制に対する問題提起であり、体制にあまりにも従順な日本人に対する警鐘である。彼の言葉を断片的に引用させてもらいながら私なりの思いを伝えたい。
「・・・ムッソリーニはパルチザンによって愛人とともに射殺され、その遺体はミラノの広場で逆さ吊りにされ市民たちによって辱められた。自害したと伝えられるヒトラーも、もし遺体が見つかっていたならば、おそらくはベルリンの市民たちに、同様の仕打ちを受けていたであろう。しかし昭和天皇は生きながらえた。それだけではない。皇居広場には大勢の人が集まり、『陛下に申し訳ない』と号泣し、割腹した人も大勢いた。国を破滅に導いた指導者に対してこの圧倒的な差異は日本人の精神性と結びついているのだろうか・・・
もっとも、この国は、アメリカの占領統治に対しても実に整然と従属した。米軍が警戒していたテロや叛乱など、殆ど起きなかった。民族主義を標榜する右翼も率先してGHQの走狗となっていた・・・当たり前のように統治されること。この国はその意識がとても強い。だからこそ歴史を通じて、市民革命は一度も起こらなかった・・・
発布された日本国憲法のいちばん最初の単語は何か。『日本国民』ではない。『朕』である。前文の前に、以下の勅旨が掲げられている、
 朕は、日本国民の総意に基づいて、新日本建設の礎が定まるに至ったことを深く喜び・・・枢密顧問の諮詢および・・・帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる・・・
(天皇制とは)憲法が「法の下の平等」の原則に反する例外を認めていることである。人間であることを宣言すると同時に、人間とは異質な存在にならざるを得ないという状況を、皇室は選択せねばならなかった。何のために?生き残るためだ・・・
天皇制は擬似求心力としてのフィクションだった。為政者が統治のためにこのシステムを利用してきたことは、歴史を見れば明らかだ・・・
日本国憲法が施行された時(47年5月)、日本は連合国の占領下にあった。東京裁判が終わったのは48年11月。つまり日本の戦争責任を裁いているその真っ最中に、日本国憲法は『朕』を自称する昭和天皇によって公布され、施行されたのだ。天皇の戦争責任を追及しようとする姿勢など米国にはまったくなかったことがよくわかる・・・天皇制というヒエラルキーは残し、一段高いところに占領軍が位置する統治政策を米国は選んだのだ。
人はこれを国体護持という。ポツダム宣言の受諾が遅れた理由は国体護持の明記がなかったからだといわれている。その間に広島と長崎に原爆が落とされることになった・・・