就職4年目で考えたこと

 私は、現在、東京基督教大学というところで、大学職員をやっています。今年で4年目になります。
 大学に今通っていたり、過去通っていたりしたことのある方で、「大学職員」という人たちに対して、いいイメージを持っている人っていうのは、あまりいないのではないかなという気がします。仕事の手際が悪い、とか、応対が官僚的だ、とか、自治会活動の盛んな大学ですと、職員は大学当局の手先だとか、大学の犬だとか、えらい言われようですけれども(1)、あるいは、そういうふうに意識する以前に、認識に昇ってこない、あー、そんな人もいたかな、という程度の認識でしかない。かくいう私も、大学はさる国立大学に行っていたのですが、国立大学の大学職員というのは、国家公務員2種というという人、身分的には間違いなく「お役人」で、大学に行っていた頃は、職員に対してはそういう意識しか持ちあわせていなかったように思います。
  (1)「大学ランキング」とかでも、大学を擁護するような意見を入れたりすると、「職員か?」なんて思われてしまうらしい。そういう役どころのようです、職員って。
 そういう私が、今は大学職員をやっていて、結構面白い仕事だと思っているのですから、神様の導きは尊いというしかないのですが、私は元来、高校教員になりたいと思っていました。大学時代も余計に勉強して、教育実習(2)も行って、高校の地歴科の教員免許も持ってます。全国のミッションスクールに手紙を出して、教員の口が無いか尋ねたりもしましたが、結局その道は、さまざまな段階を通して閉ざされ(3)、かといって、他の就職口がすぱっときれいに決まったわけでもなく、大学4年生の頃は随分就職活動に苦労していたのですが(4)、たまたま帰った母教会、調布南教会(5)ですけれども、そこの牧師に薦められて、今の職場の就職試験を受けてみました。その時始めて、印西市にある大学に行ったのですが、電車の本数が少なくって(6)、到着が遅くなってしまい、駅から慌ててタクシーに飛び乗って、なんとかぎりぎりに着くというようなありさまでした。電車から見える景色が、先に行くにつれどんどんのどかになっていったことも非常に不安だったことも覚えています(7)。今にして思い返してみると、当時の私は、東京キリスト教学園のことについて、ろくに知らなかったような気がします。長老教会と関係の深い神学校(8)であって、どうやら最近大学になったらしい(9)、というような調子で、国際キリスト教学科があるとか(10)、そういう基本的なこともきちんと押さえていませんでした。しかし、そんな私でも、神様のあわれみにより採用が決まりました。実は、現在の職場の他に、もうひとつ、住宅地図のわりと大手の会社(11)だったのですが、営業で内定をいただいていたのですが、ふたつを比べて、現在の職場を選択しました。営業に自分が向いているか不安があったとか、教会生活を守るため、キリスト教の職場にしたい(12)とか、いろいろ理由をつけましたが、何より、できることなら、福音宣教の働きのためにいくらかでも力になれれば、という気持ちがあったのだと思います(13)。あと、先に、もともと教員になりたかったと言いましたが、やはり教育に興味があったのですが、このような形で、教育に携われる職業を、神様が用意してくださったのだと思います。   (2)私は東京の都立高校出身なのだが、大学は長野県に行って、ところが、都立高校は都外の大学生の教育実習を受け付けておらず、長野県のさる県立高校で実習させてもらった。
(3)高校の免許しか持っていなかったので、中高一貫校が多い私立は条件が合わないことが多かった。でも、何校かからは教頭先生とかから丁重なお断りの葉書を頂いたりした。
(4)いちおう、私の活動した1995年も「就職氷河期」なんて言われていたけど、最近の状況と比べると、なんかかわいいもんですよね。私は主に、運輸(鉄道・バス)と出版を当初は主にまわっていたのですが、双方とも不況業種でした。大手私鉄や大手出版社と呼ばれるところも、「今年は採用の予定はありません」なんて返事が来ちゃったりして。
(5)日本長老教会調布南教会。自分が初めて洗礼を受け(あるいは信仰告白をして)、教会籍を置いた教会を「母教会」という。私の場合は、生まれた時から、0歳の時に幼児洗礼、高校2年の時に信仰告白をして、高校卒業までこの教会で過ごした。大学生当時は、長野県の教会に行っていたが、教会籍(どこの教会の会員であるかということ)は調布南教会のままで(こういう形態の教会員を「他住会員」と言ったりする)、大学卒業後、千葉に引っ越してから、現在所属している教会に「転会」した。
(6)俗に「北総公団線」と呼ばれる北総開発鉄道・住宅都市整備公団線の千葉ニュータウン中央駅が最寄り駅。昼間は1時間に3本しか電車が無い。
(7)東京キリスト教学園は、千葉ニュータウンにある、なんて聞こえはいいけど、実際は北総台地の林や田んぼの奥地の、自然豊かなところ。北総線は、その間をぬって走る。高度経済成長期に膨れ上がった東京住人の受け皿に、と計画は勇ましかったが、諸般の事情から住宅造成は遅れに遅れ、現在、西の多摩ニュータウンとの差は歴然としてしまっている。最近は方針転換して、「農住近接」「ラーバン」なんてこと言ってますが、なんだかなあ。
(8)日本長老教会は、東京キリスト教学園の支援教団のひとつ。他の支援教団は、基督聖協団、日本聖約キリスト教団、日本同盟基督教団、日本バプテスト教会連合、日本福音キリスト教会連合、日本福音自由教会協議会、メノナイト・キリスト教会会議(50音順)。
(9)それまでの東京基督教短期大学が改組転換され、東京基督教大学が開学したのが1990年。
(10)東京基督教大学は、神学部の単科大学なのだが、その中に神学科と国際キリスト教学科とがある。この辺りにも、東京基督教大学が、単なる牧師養成学校ではない独自性がある(ということになっている)。
(11)ゼンリン株式会社。旅行貯金のツールとして使用したりして、私は高校時代から住宅地図とは心易く、そんなきっかけから受けた。
(12)キリスト者にとって、毎日曜日の礼拝を守る、ということは大切なことで、そういう観点から職業を選ぶとなると、できるだけ日曜日に出勤のあるものは避けるように、ということになる。もっとも、そういう職業に就いているキリスト者も多くいるわけで、そういう人のために、日曜の早朝や夕方に礼拝を行っている教会もある。
(13)あと、親の職業の影響もあったと思う。私の父親は(母親も結婚前はそうだったが)いのちのことば社というキリスト教の出版社で働いている。そういう社会の中で幼少時から生きてきた、というところもある。
 働きはじめて4年が経ちました。今のところ、順調なサラリーマン生活を送れていると思います。職場の環境は、自然が豊富で恵まれていますし(14)、規模が小規模ですから(15)、必然的にいろいろなことを任されますので、仕事もやりがいがあります。また、これからの日本のキリスト教会をしょって立つ人材と身近に接し、その学びのためにいくらかでも支援ができるということは喜びでもあります。   (14)野犬が出る、マムシが出る、キジが出る、キツツキが出る、サルが出る、野生の王国千葉ニュータウン(^^;
(15)大学の学生定員160名(全国第2位の小規模大学)、専任職員数は20名(1999年9月現在)、私の属する教務課の職員は2名。
 うちの学校の学生さんは、本当によく頑張っていると思います。まあ、普段ですと、提出物を期限まで出さないとか、事務泣かせのことが無いわけではないんですけれども、勉強や教会奉仕(16)で忙しいスケジュールをよくこなしていると思いますし、いろいろな賜物を持っている人たちが集まっていると思います。今年の3月、ある先生の結婚式があった日ですけれども(17)、同じ日に、柏市で学生主催でわりと大規模な伝道集会(18)があったんですけれども、ああいうことを立ち上げて、実行していくときの学生さんのパワー、っていうものは、本当に素晴らしいと思っています。(19)   (16)教会奉仕者となることを目指し、神学校等で学ぶ学生を、「神学生」と言って、教会に遣わされると、戦力として期待されるところも大きい。東京基督教大学は、神学校としての要素もあるけど、大学でもあり、その学生は一様に神学生であるのかどうか、難しいところ。
(17)この証しをした集会のメッセンジャーをした先生のことだったので、あえて付け加えた(^^;
(18)「柏Mission」という集会だった。数年間、学生有志が千葉県柏駅前で路傍伝道を行っており、その一つの成果として行われた。学園としてはほとんど組織的に関わらず、学生の実行委員会が中心になり、数百名規模の集会を成功裡に導いた。
(19)まあ、この証しをした時の集会には、卒業生も含めてうちの大学の学生が多かったので、リップサービスというところも無くはないけど、でも、割と本気ですよ。
 で、そういう学生のために、自分にできることは何だろうと考えてみて、それは、経営とか、管理とか、そういう面で、学生に、もちろん教員にもそうですけれども、迷惑をかけたり、心配をかけたり、そういうことをなくしていかなければならないんではないかと思っています。最近、業界では、大学行政管理ということが強調されるようになってきましたけれども(20)、うちの学校でも真剣に、特に職員が考えていかなければならないのではないかと思います。ご案内と思いますが、18歳人口の減少(21)で、大学は冬の時代を迎えていると言われています。それに加え、世界的な規模で、献身者の減少ということが起こっているようで、そのダブルパンチを食らって、東京基督教大学は、いちはやく定員割れを起こしてしまいました(22)。また、不景気による資金運用収入の減少(23)や寄付金・献金の減少(24)により、経営的にも今非常に厳しい局面に置かれています。何とか創立から10年持ちこたえることができましたけれども、次の10年が、うちの大学にとっては真の正念場だと思います。うちの大学の働きが、福音の前進のためになるということで用いられるかどうかは、神様がお決めになることですから、そこはもうゆだねていくしかないんですけれども(25)、とりあえずいまある大学にいる者として、うちの大学の理念(26)、今までの神学校による献身者養成で宣教の1%の壁を越えられなかった反省(27)を踏まえて、大学で新しいスタイルで神学教育・献身者養成をやる、より幅広く神に仕える人材を育てる、といったうちの大学の精神は、理想としては非常に共感できます。もちろん、現実の日本社会にどのようにそれを適用させていくのか、社会の情勢の変化にどのように対応していくのか、常に改革していかなければいけないと思います。最近、はやりの業界用語で「自己点検・評価」(28)なんてのがありますけれども、そういうことは例えば改革派教会は理念として昔から行なっていることなのであって(29)、うちの大学もそういうところで遅れを取ること無く、そして、それらに携わっていく自分の働きも、主人に財産を任されたしもべの例えのように(30)、来たるべきときに、神様に差し出せるものがあるような働きができれば、と思います。   (20)大学の管理職員でつくる「大学行政管理学会」なんかも、最近立ち上がっている。大学改革の鍵は職員が握るとか、教員の自己改革「FD(ファカルティー・ディベロップメント)」の次は「SD(スタッフ=職員・ディベロップメント)」だ、などとも言われる。
(21)今の大学の置かれた状況を考える上での最大の物理的要素。大学改革が叫ばれて久しいが、要はこの状況下においての必死の生き残り策である。
(22)定員160名に対して現員132名(1999年9月現在)。まあ定員割れ自体は早晩起こることであり、現に多くの短期大学はすでに定員割れを起こしているが(さすがに大学はまだ少ないけど)、「献身者の減少」(さらにその背景にある若年クリスチャンの減少)というのは、キリスト教会の未来を考える上で決して看過できない深刻なものである。
(23)うちの学園は、80年代末に当時東京都国立市にあった校地を売却し、現在地に移転した(移転後90年に大学開学)。時あたかもバブル景気の真っ只中。「バブルで儲けた神学校」なんて言われたりしたけど、その時できたまとまった基金を原資として、その運用収入で学校経営を行おうとふんでいたところ、バブルの崩壊、公定歩合の引き下げがその計画に水を差す。
(24)学園を支援する教会・個人により後援会が組織されており、そこから得られる寄付金・献金による収入は10%程度。学校法人の経営は、学納金収入と人件費支出が均衡していれば安定すると言われるが、うちの学園の場合、人件費に対する学納金収入の割合はぐんと小さい。が、学校の特性上学費の値上げは難しく、資産運用収入が見込めない今は、献金と国庫補助金に頼りたいところだが、これまた心許ない。
(25)キリスト者の歴史観もいろいろで、創造の一番最初では神の働きというのはあったけど、その後は自然の成り行きに任せた、というような考え方もあるが、私は、神の「みこころ」はいつの時代の歴史にも働き続けていると考えている。歴史は人間が作っているようであって、しかし実は、常に神の「みこころ」が成っている、と。そして、最終的には「終末」を迎える。
(26)本学(東京キリスト教学園)の建学の精神は、「福音主義」「超教派」「世界宣教」「実践的神学教育」。
(27)日本のキリスト教徒の人口比は、カトリックもプロテスタントも合わせて、およそ1%。カトリック宣教4世紀、プロテスタント宣教1.5世紀を経てもなお一向に進展しないこの現状を、「1%の壁」と称する。他のアジア諸国の、より仏教やイスラムの勢力の強い地域と比べても、この比率は低く、日本宣教の最大問題。
(28)大学における教育・研究をいかに評価するか、というのが現在の大学における大きな課題の一つ。第一段階として、自分で自分を評価する「自己評価」がある。これに基づき、多くの大学で評価報告書が公にされている。また、最近改正された大学設置基準では、努力目標から義務に引き上げられた。さらに最近は、「外部評価」を行うことも、明確に努力目標として位置づけられ、大学基準協会が行う「相互評価」や、学位授与機構において検討が進められている政府主導の「評価機構」の動きなどもある。そういった評価結果が、補助金配分等の資料として使われるようになる日もそう遠くはあるまい。
(29)プロテスタント教会のうち、カルヴァンの流れをくむグループは、教会制度的には長老主義を、神学的には改革主義を採る。ルター派においては、ルターの教理問答やアウグスブルク信仰告白が現代に至るまで大きな影響を持っているのに対し、改革派においては特定の信条等が特別の影響力を持たず、それぞれの時代において、聖書を学び、絶えずその時代精神に相応しい神学のあり方を模索し、自己改革をしていく。カルヴァン派と呼ばれず、「改革」派と呼ばれるゆえんである。私の所属する日本長老教会も、カルヴァンの流れをくむという意味では改革派教会である。
(30)マタイによる福音書25章14節から30節まで。「タラントの譬え」と言われる話では、主人(=神)から財産(=その人の能力、「賜物」)を預けられたしもべ(=人間)は、商売をする(=能力を適切に活用すること)ことにより財産を増やし、主人から「よくやった、良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう」(マタイ福音書25章21節)と誉められる。

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