『お姉さん』考

 僕には「姉」という人がいない。きょうだいは妹と弟だし、従兄弟を見回しても僕より年上の女性はいない。ま、男性も居無いのだが、独身の叔父がいたせいか、兄に対する憧憬は姉のそれほどには強くない。であるから、僕は、ちょっと年上の女性という存在には極度に弱い(無論、「女性」全般に弱いのだが)。
 でもまあ、今日は自分の年上の女性云々について書きたいわけではない(いずれ、将来このテーマで書くこともあると思うけど)。ここでいう「お姉さん」とは、NHK教育テレビ関係の、いわゆる「お姉さん」方である NHK教育テレビには、歌関係を中心に、雑多な「お姉さん」が登場する(勿論、「お兄さん」もいるけど、今回は無視)。いい年こいて、僕はどうもこの「お姉さん」方のファンになってしまう傾向があるのだ。もちろんそれは、上記の理由によるものかもしれないが、では僕は、そのお姉さん方をどの様にみているのか、おたくっぽく分析してみようというのが、今回の主眼である。

A.神崎ゆう子お姉さん(『おかあさんといっしょ』)
 教育テレビの看板番組とも言える『おかあさんといっしょ』の、泣く子も黙る歌のお姉さんである。また、「歌のお姉さん」という代名詞を完全に自分のものにしている点でも他のお姉さんとはやはり別格であろう。彼女(わー、すごい偉そう)こそ、Miss教育テレビとでも言うべき人物で、その点に敬意を表して、真っ先に挙げてみた。
 彼女はさすがに、連日3歳程度のガキンチョを相手にしているだけあって、元気の良さでは他のお姉さんを圧倒している。まず表情(これは教育テレビのお姉さんを考える上で極めて重要なポイントだと思うので、以後こだわってみる)が非常に生き生きとしている。いつも笑顔が絶えないし、常に楽しそうにしている。だから、例えば最後の「ドレミファ列車」のコーナーの「♪汽笛ならしてポポッポー〜」の部分で(この歌詞の部分で、必ずと言っていいほど彼女のアップになる)元気に拳を振り上げる彼女の表情に、多少とも曇りのようなものが見出だされると、「さてはあの日か?」などと邪推してしまう。まあそれだけ元気なのだ。だから、「この人にはついて行けんわ」という気になることもある(ぼくがついて行く必要なんて無いんだけど)。あと、何てのかな、時折高飛車っぽそうな言動を見たことがあるような気がする。僕と共同生活をしたら、喧嘩が絶えないタイプかも。まあ、テレビに出ようって人なんだから、そういう要素はいずれの人にもあるとは思うけど。
 あとお姉さんの重要な要素に「服装」の問題があると思うが、ゆう子お姉さんは子供に囲まれる役柄だけあって、はっきり言ってガキっぽい服をよく着ている。踊りを踊ったりするのだから、無論スカートなんて穿けるわけが無い。この点、彼女自身はどんな風に感じているのだろうか。お年頃、というか、すでにいわゆる結婚適齢期は過ぎてしまったのではないかと思われる彼女である。ことによると、子供たちに入り交じって暴れるのにはそろそろ体力が続かなくなり始めているのではないか、などといらん心配をしてしまったりもする。最近、神崎ゆう子作詩・坂田おさむ作曲(おさむお兄さんには家族がいるのかというのも難しい問題だが、『うたの絵本』で、坂田めぐみという子供っぽい声をした女性とデュエットしていた。娘だろうか?)の「星ひとつ」という新曲を拝聴したが、内容的にも母が娘に語る、と言うような歌詞で、映像もお姉さんの女っぽさを強調したようなものになっていた。子供(=性の未分離状態)と一緒に歌って踊って違和感を感じさせないお姉さんの見せた「女性」に、僕はちょっと直視できない気恥ずかしさを感じてしまったのだが、これを、お姉さんの結婚・引退を暗示するもの、あるいは、女性を発揮出来ずになかなか「買い手」のつかない現状を打破するために試みたイメージ・チェンジ作戦だと考えることは、深読みのしすぎだろうか。でもやっぱり、引退するとなると寂しいものである。女性はこういう所では不利だなあと思わされる。

B.橋本潮お姉さん(『ともだちいっぱい』)
 平日の16時35分(9時15分・10時15分にも再放送)から放送されている『ともだちいっぱい』は、幼稚園児から小学校低学年を対象にし(ていると思う)、算数・理科・図工・音楽・道徳と幅広いジャンルにわたってテーマを選んだ、なかなか高度な番組なのではないかと思っている。特に月曜日の「つくってあそぼ」の工作は、大学生の僕でも思わず感心してしまう工作が飛びだし、気が抜けない(なんて、最初はこの番組のセンスについて行けなかった。だって、番組の冒頭で「みんな、こんにちは!…うーん、今日も元気ね」って例のアレをやるんだもん。意識して見だしたのは、ぬいぐるみのソラミの声を林原めぐみがやっていることに気付いてからである)。潮お姉さんは、そのうち水曜日の「しぜんとあそぼ」と木曜日の「うたってあそぼ」に登場する。「しぜんとあそぼ」では単なるナレーター役だけど、「うたってあそぼ」ではキツネ(?)のヒョロリと歌って踊って、「歌のお姉さん」の面目躍如の10分間である。
 潮お姉さんの魅力は、まずその整った顔立ちを挙げておく。まあ、顔については好き嫌いがあるだろうから一概には言えまい。かく言う僕も、当初は彼女の人形みたいな顔が好きではなかった。表情も、ゆう子お姉さんや後述のまるみお姉さんに比べると遥かに乏しい。僕が彼女の魅力に撃たれたのは、時折そこに現れるやんちゃそうな目の輝きに気付いてからである。これは彼女の性格のあらわれだろう。エンディングの場面で、画面の隅っこで、ヒョロリとアドリブで踊っている彼女に、何かキラキラとした輝きを感じてしまった。次に、歌唱力の高さが考えられる。ゆう子お姉さんよりも上手いと僕は思う。また、踊りのアクションも『おかあさんといっしょ』よりずっと大きい。歌だけで10分間持たせなければならないという要請もある事とは思うが、『おかあさんと〜』の歌より「うたって〜」の歌の方が鑑賞に堪える。だから、彼女の顔付きが子供っぽい所があるせいか、お転婆だなあ、と思うこともある。そういった純粋に健康的な元気さが彼女の身上だろう。ちょっと服装に触れておくと、彼女のファッションはおしなべて地味である。というか、他のお姉さんのように強烈な印象を受けた記憶はない。また、見苦しいなと思ったこともないので、相応しい服を相応しく着こなしているのだろう。こんな所にも、とりあえず歌と踊りで勝負しようという彼女の健康的な位置付けが現れているような気がする。
 何と言っても潮お姉さんは若々しい。そして、若さは「お姉さん」の何者にも替え難い武器である。その彼女が年齢の呪縛から逃れることの出来るぬいぐるみ(ところで、ヒョロリの年齢はどういう設定になっているのだろうか。モンタは3歳であるという情報を得たが、だったら現代の3歳児っていうのはこんなに「進んで」いるのだろうか、いやはや)と踊る姿は、ゆう子お姉さんのように「無理しているな」という印象を与えない。実際はともかく、自然に楽しんでいるなと、老けてしまった僕の目には写るのである。

C.黒田久美子お姉さん(『英語であそぼ』)
 『英語であそぼ』(こういう番組が登場してきたことに、時代の流れっつうものを感じるな)の冒頭コーナーで、Moo(哺乳類?)、Speak(鳥類?)と一緒に宇宙船ボンゴレ号に乗り込んでいるのが黒田久美子お姉さん(Kumi)である。また、歌のコーナーに登場したり、「Action Time」では後ろで踊っていたり、と教育テレビのお姉さんの要素(歌う、踊る)を満たしている。が、彼女の場合は「喋る(=演じる)」要素の方が強いので、歌のお姉さんという印象は余り無い。
 まずは「宇宙船ボンゴレ号」での活躍だが、どうやら彼女はMooとSpeakの保護者役であるらしい(例えば、玩具を買ってくれとお金をねだられるシーンなどがあった)。ここに他のお姉さんとの重大な相違点がある。潮お姉さんとヒョロリ、まるみちゃんとニャンちゅうはあくまで「友達」であり、ゆう子お姉さんも子供達とは歴然とした差があるも、それを埋めようと必死になっている姿を見ることができるが、久美子お姉さんには、(勿論「友達」であることは間違いないのだろうが)ある種、子供と線を引こうとする態度があるようにも思える。それが端的に現れているのが、番組の最後の「明日もまた遊びに来てね」という言葉、視聴者である子供達を客扱いしているのではなかろうか。そもそも「宇宙船」という設定自体に、『ともだちいっぱい』の「うーん、今日も元気だね」の思想とは異質のものが潜んでいる、というのは考えすぎだろうか。その原因は、「英語」といった日本人から言えば「非日常」を番組が取り扱っているからかもしれない。
 まあ、そういった諸々の問題は取り敢えず置いといて、久美子お姉さんの魅力について論じてみるが、実は僕は正直言って「ボンゴレ号」のお姉さんはあまり好きではない。その理由は何よりあの宇宙服風のコスチュームにある。ぼくは普通の人間がああいう銀光りしたような服を着るのが、アリーナがピンクのレオタードを着る(ドラクエW)のと同じくらい好きではない。おまけに服がぴったりしているものだから、オッパイが2つに別れてしまっている(意味判る?胸の谷間が出来ちゃってるってこと)のにも弱い(好きって意味ではないよ)。もう一つ生意気なことを言わせてもらうと、演技がイマイチだなと思わせることが時々ある。以前、巨大な煎餅(温泉場なんかで良く売ってるあれ)を均等に割ろうとして失敗するという芝居があったんだけど、それがどう見ても端っこを一部割り取ろうとしているように、無理に失敗しようとしているようにしか見えないのである。その時の胡麻化し笑いの下手さも未だに耳に残っている(ま、笑うのが難しいってのは僕も経験上知ってるけど、それにしたって…)。けなしてばっかりだが、好きくないんで仕方ない。「ボンゴレ号」自体はおもしろいコーナーなんだけどね(僕はNeoの、あのふてぶてしさと要領のよさがお気に入り)。
 久美子お姉さんに魅力を感じるのは、かえって歌のコーナーにおいて、である。彼女は子供達と一緒に踊っているだけなのだが、その時の服装が、はっとさせることがよくある。「Ring around Roses」の時の服装は良かったなあ。僕が彼女を嫌ってないとすると、それはこの時のイメージに負っていると言っても過言ではない。ファッションについて云々なするだけの知識も何も僕は持ち合わせちゃいないのだが、彼女はすらりとした体型であるのに、可愛らしい服がよく似合うのである。でもやっぱり、久美子お姉さんはいまいち…。僕には『英語であそぼ』に別の熱烈なファン(「エスカルゴ島」のビューティー)がいるせいかもしれない。

D.白石まるみお姉さん(『母と子のテレビタイム土曜版』)
 毎週土曜日の5時から6時まで、『おかあさんと〜』『ひとりでできるもん』『音楽ファンタジーゆめ』などの番組をミックスしたような1時間番組『母と子のテレビタイム土曜版』が放映されているが、彼女はそれらコーナーの合間合間に猫のニャンちゅうと一緒に登場する。なお、タイトルにはまるみお姉さんと記したが、番組内でも「まるみちゃん」と呼ばれているので、以後それに従う。つまりその呼ばれ方(ニャンちゅうにそう呼ばれるのだが)からも分かる通り、彼女とニャンちゅうの間柄は、飼い主とペットと言うより親しい友達のような印象を受ける。それに楽しそうだしね。ニャンちゅうのセンスなんかも、今までの教育テレビには無かったタイプでいたく新鮮だったし。
 彼女の場合特記しておかなければならないことが有るが、彼女の出番は、ニャンちゅうとのお芝居だけで、他のお姉さんのように歌ったり踊ったりはしない。「演技」というのも「お姉さん」の重要な要素だとは思うけど、まるみちゃんの場合、これ1本、ニャンちゅうとのお喋りだけで勝負していかねばならない。それはそれで、例えば潮お姉さんのような魅力を求めることは出来ないが、「歌のお姉さん」の制約を抜け出た彼女には、今までに無い新鮮な企てが期待できるのではなかろうか。そして、それはかなり成功していると言っても良いと思う。
 さて、まるみちゃんの魅力だけど、まずは表情の多彩さが挙げられよう。豊かさにおいてはゆう子お姉さんを上回ると思われる。ゆう子お姉さんは、基本的表情としての「笑顔」があって、他の表情はその延長線上に有るってな感じだったけど、まるみちゃんの場合、笑顔だけでなく、むすっとした顔、ぎょっとした顔、なんてのも非常に個性的だし、またその顔が良い意味で極端で、非常に好感が持てる。彼女を見ていると、表情というのは強力に見ている人を引き付けるものだなあと、合唱なんかで舞台に立つこともある者として考えさせられる。彼女は決して美人型ではないが(それは、教育テレビのお姉さん連に共通して言えることではないかと思うが)多彩な表情と、ニャンちゅうとの楽しそうなお喋りが、彼女を何倍にも引き立てているように思う。いや、褒めちぎっていますね。僕、彼女のファンなもので…。あともう一つはファッションですね。ゆう子お姉さん、潮お姉さんのように「踊る」という制約がない分、彼女は服装についてはけっこうおしゃれをしている。舞台が彼女の家らしき相当広そうなマンション?だし、相手役は若いんだか年取ってるのか分からない(多分子供なんだと思うけど)猫だし、多少おしゃれをしても浮き上がってしまう心配はない。その役得をうまく使って、僕なんかがみても、いいセンスだなとか、可愛らしいな、とかおもわせる格好をしている。
 彼女の強みはやっぱり「若さ」にあるだろう。ゆう子お姉さんとばかり比較して申し訳ないが、大晦日の特番では2人で羽根つきをするシーンがあったけど、並べちゃうとやっぱり歳の差ってものをの感じてしまった。まるみちゃんの表情の豊かさのエネルギーは、やっぱりこの「若さ」だろう(別の機会に、ゆう子お姉さんのパーマをかける前の姿を見て「若いなあ」と思ったが、それもやっぱり一種粗削りな表情の鋭さに起因していたものと思う)。彼女はおもしろい人である。土曜日の1コマに押し込めておくには勿体ない。将来、ゆう子お姉さんが引退した後、新「歌のお姉さん」にグレードアップするのだろうか。願わくば、現在のキラキラした輝きを失わないで欲しいものである。



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