Hasselmanは1845年ベルギーに生まれパリ音楽院ハープ科の教授を勤めた

2007年4月から国立新美術館にて「モネ大回顧展」が開催され内外の美術館より97点もの名作が展示された

♪Nocturne♪by A.Hasselmans

 ☆ 素敵な本 ☆  「印象派の庭と花 」 Derek Fell 著・写真  日本経済新聞社

Orangerie Paris

1916〜1923年

1914−1917年

130x150

睡 蓮

89x100

紫と白の睡蓮

72x92

大山崎山荘美術館

ジヴェルニーの庭

1897年

セーヌ河の朝

82x93

ワシントンナショナルギャラリー

1875年

131x88

散歩  日傘をさす女

82x81

1891年

ポプラ

Musee d'Orsay

106x73

夜明けの扉口

連 作 時 代 

74x93

カビュシーヌ大通り

80x60

1886年

131x88

パラソルを持つ女

60x73

オルセー美術館

アルジャントゥイユの橋

60x80

            1870年カミーユと結婚
 息子ジャンと共に赤いケシの花が咲く野原を散策する情景

オルセー美術館

1873年

50x65

アルジャントゥイユのひなげし

Claude  Monet

200x200

大山崎山荘美術館

1908年

ヴェネツィアの黄昏

ブリヂストン美術館

74x93

サンタマリア・デッラ・サルッテ聖堂

個人蔵

73x92

1899年

テムズ河 チャリングクロス橋

1900年

モデルは2度目の妻アリスの娘シュザンヌ
         と言われている

アルジャントゥイユのヨットレース

1872年

私は鳥が歌うように絵を画きたい

  ウイーン美術史美術館

1883年にGivernyに移り住み睡蓮の池のある庭を造り生涯ここで絵の制作に励んだ。池には日本風の
太鼓橋をかけ 竹や柳 藤 あやめ アイリス 芍薬 芥子 百合など80種もの植物を植え自ら庭師と共に働いた。
庭の多彩な花々と睡蓮は生涯モネのモチーフとなり Givernyで 500点以上の絵が描かれることとなった。
晩年妻と息子ジャンの死後 視力の衰えと戦いながら大きなアトリエを建てて120x200cmの大カンヴァスに
睡蓮や柳の連作を描き 長年の念願であった[装飾的な大構図の絵画] を仕上げてフランス国家に寄贈した。
1926年モネは86歳で亡くなり クレマンソー ボナールなどに見送られてGivernyの教会に埋葬された。
1927年に睡蓮と柳の連作はパリ オランジュリー美術館の楕円形の二つの[モネの間] に納められた。
[モネの間] の中央に座って鑑賞しているとモネの世界に包み込まれる至福の時を得られ立ち去り難い。

89x92

ジヴェルニーのモネの庭

オルセー美術館

63x70

バラ色のシンフォニー

1908年

  丘の上を歩くカミーユとジャン 逆行の陰影に包まれた美しい立ち姿
  カミーユの死の4年前に画かれた 雲や風の表現も素晴らしい作品

*白のハーモニー* 

何枚ものカンヴァスを用意し大聖堂の西正面の刻々と変化する光の瞬間を捉える試みに取り組んだ。
灰色のシリーズ 白のシリーズ 虹色のシリーズ 青のシリーズなど色調の変化する輝きを描いた。
1894年春に20点をようやく仕上げ翌年発表したところモネも画廊も予想しなかった程の大成功を収めた。
この連作の特徴は きわめて厚い絵の具の層で描かれていて石の壁の光の幻影を表現していること。

☆ ルーアン大聖堂 ☆

1890年以降モネは[積み藁] [ポプラ] [ルーアン大聖堂] などの連作を始めた

1882年

1882年

1880年

1875年

印象派 睡蓮の画家モネは1840年パリで生まれ北フランス ノルマンディーのルアーヴルで成長した。
1858年18歳の時 ルアーヴルで画家ブーダンと出会い 戸外へ出て写生で風景を描くことを勧められて
一緒に制作した。22歳の時 パリへ出てシャルル・グレールのアトリエへ入ったモネは自分の絵を伝統的な
表現手段ではないという理由で批判されるが このアトリエでルノアール シスレイ バジールなどに出会い
仲間達とフォンテーヌブローの森へ写生をしに出かけた。かれらの絵は人々には受け入れられなかった為
1860年代は貧困時代で大変苦労をしたがモネと仲間は自分達独自の新しい制作方法を模索していった。

画像と音楽はネット上から拝借

ヴェニス

マルモッタン美術館

50x65

1873年

印象  日の出

Musee Marmottan

Musee Marmottan

1903年

1899年

ロンドンナショナルギャラリー

99x93

ブリヂストン美術館

81x99

1902年

庭の小道 ジヴェルニー 

Museum of Art          Philadelphia

オランダのチューリップ畑

54x81

 パリから汽車で15分のセーヌ河岸の町で
当時競艇の重要なコースとなり賑わっていた

*青のハーモニー*

シュツットガルト市立美術館

ウィーン美術史美術館

ブールヴィルの海岸  夕日

1872年

ヴァランジュヴィルの税管吏小屋
      

ラ・ジャポネーズ

1876

The Art Institute of Chicago

大原美j術館

ひろしま美術館

1906年

1903年

Private Collection

75x105

1886年

モネはアトリエ船を河に浮かべて水辺の風景や帆船を描いた

Metropolitan Museum

92x73

国立西洋美術館

日を浴びるポプラ並木

1891年

1891年

92x73

ポプラ

1866

緑衣の女

1840 - 1926

「霧がなければロンドンは美しい街ではないだろう。」 1870年と1899年〜1901年にロンドンへ旅行し霧のテムズ河の眺めを37点も描いた。

         1908年と9年秋 多くの画家達をひきつけてきたヴェネツィアの休日に二度目の妻と旅だった。
    「まったく美しい。若いうちに来なかったのはなんとしても悔しい。ここですばらしい時を過ごし年を忘れられる。」

ポーラ美術館

82x92

国会議事堂

サンマルタン島の小道

モネとその仲間達は公的な芸術評価組織である[サロン] に落選した事に
奮起 独自の展覧会を開くことを決意し30人の会員は1874年に[ 無名
画家 彫刻 版画家協会 ] を結成した。モネ ルノアール シスレイ ドガ 
ピサロ セザンヌ モリゾ ブーダンなどが最初の協会展を開催した。
モネが出品した5点の油彩のうちの一点である[ 印象 日の出 ] に因んで
批評家ルイ・ルロワが蔑視をこめて[ 印象主義者の展覧会 ] と名づけた。 

 
アルジャントゥイユ

1871−1878


1873年

村内美術館

65x92

Musee Marmottan

枝垂れ柳と睡蓮

60x68

1906年

1887年

春の野原

*青と金のハーモニー*

Musee d'Orsay

107x73

  溢れる陽光

Musee d'Orsay

91x63

 朝の日差し

80x60

メトロポリタン美術館

オルセー美術館

55x65

ボストン美術館

画家の庭のカミーユと子供

静岡県立美術館

49x76

ルーアンのセーヌ河

モネは生涯に33点ものルーアン大聖堂の連作を画いている

1892〜1894年