聖愛女子学園 (第3章:イメージチェンジ)


6 お着替え


 再び明かりを薄暗く落とした多目的検診室。心電図を測るために一人残された由美は、
いつのまにか、まどろんでいた。心電図の規則正しい断続音が眠気をさそったのかもしれない。その前に出されたハーブティの香りが、由美の気持ちをリラックスさせて、軽い眠りに引き込んだのかもしれない。いずれにしても、すべての検査が済んだという安心感が、由美に軽いまどろみを与えたにちがいない。
 壁一枚へだてた隣の部屋が、一般の保健室だ。体調が悪くなったり怪我をした生徒が手当を受ける部屋で、由美のいる検診室は保健室よりひとつ奥の部屋にあたる。従って渡り廊下からの出入りは、隣の保健室の扉からということになる。
 突然、その渡り廊下側の扉がガラガラと開く音が聞こえ、由美は目をさました。となりの保健室に、幾人かの人の気配を感じる。
 寝入ってしまったため、由美は自分の状況が一瞬理解できなかったが、体に取りつけられたセンサーや、ベッドのまわりに所狭しと置かれた機器をみて、すぐ思い出した。
(あっ、そうか。わたし心電図測ってたんだ。その間に水野さんたち、わたしの制服受け取ってくると言って、出ていっちゃったんだ。)
そうすると今聞こえた足音は、制服を持ってきてくれた水野京香だろうか?。
 心電図はまだ作動中のようで、黙々と由美の心臓の鼓動を、ロール紙に印刷している。
由美は身動きできないため、となりの保健室の様子に聞き耳を立てた。
 保健室に入ってくる足音はひとりだけではないようだ。ざわめきの感じから、どうやら隣の保健室には先ほどより、多くの人がいる様子だった。大人の女性の声が二人、それと幾人か、女生徒の話し声も聞こえる。
声の感じから中学生ではなく、由美と同じ高校生くらいのようだ。
(どうしたんだろう。まだ午前の授業中のはずなのに……。)
由美は不思議に思った。壁にかかった時計の針は、午前11時40分をさしていた。明らかに4時限目あたりの時間帯である。
 隣の保健室では、生徒と教員がなにか、とりとめのない話をしているらしく、時おり笑い声も聞こえてくる。授業にも出ないで、この女生徒達はなにをしているのだろう。
 漏れ聞こえてくる声の主のうち、一人は保険医の相原さゆりであるのは由美にもすぐわかった。だがもう一人、聞き覚えのある女性の声がするのだが、それが誰の声なのか、由美は思い出せなかった。
 由美は女生徒達の声にも聞き覚えがあった。しかしこれも、声の主が誰なのか、うまく思い出せない。

 とつぜん由美の横の心電図の装置が、ピーというデジタル音を響かせ、計測の終わりを告げた。
「あら、終わったようね。」
その声とともに、保健室からバインダーを手に、さゆりがは入ってきた。そして手早く、由美の体に取りつけられた心電図のセンサーをはずしながら、
「お疲れさま、とくに以上はないようね。それじゃあ由美ちゃんの制服、さっきの脱衣室のところに用意しといたから、着替えてくれるかな。着替え終わったら、今日からの日課を説明するから。」
そう告げると、由美を隣の保健室に行くよう、うながした。
 由美はおもむろに立ち上がると、もう一度ガウンの左右の襟を合わせ、紐をしっかりと縛り直した。保健室には何人もの女生徒がいるようなので、少しでも自分の肌を隠したい、という気持ちもあったのだ。
 重たい鉄の扉を押し、保健室に入ったとたん、さきほどから思い出せないでいた声の主を見つけ、由美はなんか嫌な予感がした。その声の主は岩松サエであった。そして女生徒たちを見て、彼女はビクッとした。この女生徒たちは、つい先ほど廊下で、由美に小馬鹿にするような嘲笑を送った、風紀委員の面々であった。
(どうして、この子たち、保健室にいるのかしら。)
 いつのまにか、由美の目は水野京香の姿を探し求めていた。はっきりいって、京香の感性も由美は好きではなかった。変に幼児っぽいところがあるし、かと思えば先ほどの検査の時のように、由美を子供っぽくあつかったりするし、なんか得体のしれない子だ。しかし由美は、いま自分が頼りにできるのは、彼女しかいないような気がした。
 さゆりはそんな由美の気持ちを察したのか、少し冷ややかに、
「あら、京香ちゃんには制服を届けてもらった後、4時限目の授業に出てもらったわ。いくら保健委員だからって、由美ちゃんのために、2時間も授業休ませるわけにいかないもの。」
そう告げながら、岩松サエの横に立っている風紀委員の女生徒たちを手招きした。
「今のお時間からは、こちらの風紀委員のみなさんが由美ちゃんの面倒をみてくれるわ。みんな由美ちゃんと同じ高校3年生よ。」
「由美さん、はじめまして。」
女生徒たちのグループの中から、背の高い、スラッとした女生徒が一人、由美の前に歩み出て、軽く会釈した。
「こちらは、風紀委員長の今井美雪さん。よろしくね。」
サエがはにこやかにお互いを紹介した。
風紀委員というと、割と地味な着こなしの生徒が多いが、美雪は違っていた。学園指定のモスグリーンのチェック柄スカートを、かなりミニ丈にして履いている。ライトブルーのカッターシャツの上に、白いベストを合わせる着こなしが、おしゃれな今風の女子高生を演出している。
 由美も軽く、今井美雪に挨拶をかわした。
しかし由美は美雪の視線に、とても冷たいものを感じた。さきほど廊下で会った時も、馬鹿にするような表情で自分を見つめていたように由美は感じたが、今、彼女を前にして、
それが間違いでないことを確信した。
「さぁ、由美ちゃん。脱衣室にあなたの制服、用意しといたから先に着替えてきなさいな。その後、今井さんから学園での生活心得をレクチャーしてもらいますから。」
さゆりはそう言うと、由美を保健室の一角に設けられた脱衣室にうながした。
 由美は気を取り直し、脱衣室に向かった。
風紀委員たちの自分を見る表情は、どうも好きになれなかったが、この学園のおしゃれな制服を着れるのは嬉しかった。恥ずかしい検査を受けさせられたりもしたが、とにかくこれで高等部3年に編入できたのだ。
 衝立で仕切られた脱衣室に入ると、由美はほっと一息ついた。床には、由美が先ほど脱いだ衣類のを入れたかごが、相変わらずひとつポツンと置かれていた。ただ違っていたのは、かごの横に、大きな白い衣装箱が置かれていたことである。
(これが今日から私が着る制服ね。)
白い箱を見つめながら、由美はかすかな胸の高鳴りを感じた。由美の脳裏には、さきほど高等部の校舎で目にした、女生徒たちのおしゃれな制服が浮かんだ。
 ところがその箱をよく見ると、箱のふたの上に、茶色の小さな手帳が置かれていることに由美は気づいた。
(なんだろう?)
由美はおずおずと、その手帳を手に取った。
 手にして、これが生徒手帳であるということが、由美にはすぐわかった。手帳の表紙に「児童手帳」と印刷されていたからである。今日から編入する由美のために、だれかが制服といっしょに揃えてくれたのだろう。
 高校3年までの全ての生徒を“児童”と敬称する、学園の方針を由美は好きになれなかったが、考えないことにした。文句を言っても仕方のないことだし、どうせこの学園とは、あと4ヶ月でおさらばなのだ。
 だが手帳の表紙を改めて目にして、由美は「あれっ…」と思った。手帳の表紙には、
『聖愛女子学園・中等部 児童手帳』
と印刷されていたのである。中等部ということは、中学生用の生徒手帳である。
(これ、私のじゃないわよね。)
と由美は思った。彼女は高等部の3年に途中編入するはずだからである。
(まちがえちゃったのかしら。まっいいか、後で替えてもらえば済むことだし…。」

 気を取り直して、白いバスローブの前ひもをほどき、脱衣かごのなかの下着に手をのばそうとしたところで、由美はハッとした。脱衣かごの中には何も入っていなかったのである。
「えッ…。」
由美はキツネにつままれたような、キョトンとした表情で狭い脱衣室を見渡した。しかし、狭い脱衣室には、空の脱衣かご以外には、制服の入った白い箱があるだけだ。
由美はもう一度、空の脱衣かごをじっと見つめ、身体検査前の自分の行動をもう一度、思い出そうとした。
(そう、確か…、ここで下着だけになって、バスローブに着替えたんだわ。そして……。)
 確かにこのかごの中に由美は、自分の着ていた黒い革ジャケット、タートルネックのセーター、お気に入りのスリムジーンズ、ストッキング、キャミソールなどをたたんで置いたはずだった。しかし彼女の衣類はきれいに無くなっていた。
(えぇ…?、どうしてないの?。)
 由美は仕切り越しに、とまどいを隠しきれない表情で、外にいるさゆりに声を掛けた。
「あのぉ、相原先生…。私の服が無いんですけどぉ……。」
仕切の向こうから、相原さゆりの声が届いた。
「あら、由美さんの私服は、こちらで預からしていただきましたわ。だって今から制服を着てお教室に行くのに、私服は邪魔でしょう。それに教科書や学用品も持って帰んなくちゃ、いけないのよ。」
「そうだったんですか。」
 由美は、さきほど学園長室での岩松サエの言葉を思い出した。彼女の私服の入ったトランクやバッグは荷物になるから、先に寮の方に運んでおいてあげる…、確かそう話していた。だから、脱いだ衣服も、トランクなどといっしょに、寮に送り届けてくれるのだろう。
由美はさゆりの返事を聞いて、少しほっとした。
 しかしその反面、彼女は不満の気持ちも感じざるを得なかった。いくら荷物が多くなるからといって、人の私服を黙って持ちさる神経が、どうしても納得できなかったのである。
 だが由美は、さゆりと
言い争うのはやめた。由美はとにかく早く保健室を出て、普通の高校生活に入りたかったからである。
 だがここで、由美の顔にふたたび困惑の表情が浮かんだ。
(あたしの下着は……??)
たしかブラジャーとショーツは、先ほどの身体検査の途中、京香の手によってはずされたまでは覚えている。てっきり、京香が脱衣かごの中に戻してくれたものと思って、下着のことはその後、気にもとめていなかった。
荷物が多くなるから、という理由で私服を預かってくれたのは、まだ理解できるが、下着まで持って行かれたら困る。
(まさか、下着まで持ってっちゃうわけないよね。)
由美がそう思うのも、無理からぬことである。だいいち、そんなことをすれば由美が制服の下に着る下着すらなくなってしまうではないか。
「あのぉ、相原先生。私の下着が見あたらないんですけど……。」
だが、衝立の向こうから届く相原さゆりの返答は、さらに意外なものであった。
「あらっ、由美さんの下着も、白い衣装箱の中に入ってるはずよ。」
由美はいぶかしげな表情をうかべながら、制服の入った白い箱を見つめた。
(どうして一度脱いだ下着を、わざわざ箱の中にしまったりするんだろう。籠の中に入れといてくれたらいいのに…。)
由美はそう思いながら、床に置かれた衣装箱の前にしゃがみこむと、おもむろにふたを持ち上げた。ふたは意外と重かった。だが箱を開け、中の衣類が見えた瞬間、ふたを床に置こうとした由美の手が、思わず止まった。
「こっ、これは……。」
由美の口から、つぶやきの言葉がこぼれでた。
由美の手が止まったのも無理がなかった。なぜならば、ふたを開けたとたん、由美の目に、見覚えのない下着が写ったからである。
 箱の中には、由美が今日から着用する制服が入っていた。そして、その上に下着類が、きれいにたたまれて置かれていたのである。
だが、まずその下着を一目見て、由美はこれらの下着が、いずれも自分のものでないことに気づいた。
 なぜなら、それらの下着は、先ほどまで由美が身に着けていたものと、色がまったく違っていたからである。
 最初に由美の目に写った、いちばん上に置かれていた下着は、くすんだクリーム色の、あつぼったい生地で作られていた。
(この下着はなんだろう?)
由美は、この見覚えのない下着をおもむろに手に取り、目の前でゆっくりと広げてみた。
 広げてみて、その下着が女性用の下穿きであることが、由美にもすぐわかった。しかしこの下穿きが、由美が身に着けていたショーツと異なっているのは、色だけでないことにも、すぐに気づいた。と言うのも、デザインからして、由美のものと大きく異なっていたからである。
 由美が検査前まで身につけていた下着は、確かライトブルーのビキニショーツだったはずだ。ぼんやり透けた薄地の素材が妙になまめかしく、大人の雰囲気あふれるデザインで、由美もわりと気に入っていた。
 だが目の前に広げられた下穿きは、由美好みの可憐なデザインとは、あまりにもほど遠い代物であった。
 まず妙に大きいのである。下着の丈は、由美がふだん身に着けているショーツより、ゆうに4倍はあろうか。
 またこの下着は、たんに大きいだけでなく、生地が厚ぼったい綿素材のためか、妙にぶかぶかした作りなのである。
 この下穿きはあきらかにショーツというよりかは、ズロースのようなデザインであった。どちらかと言えば、年配の婦人や女児が身に着ける下着だ。由美も小学校を卒業する頃まで、こんな下穿きを履いていたのを思い出した。だが、中学生になり思春期に入ると、まわりの友達の影響もあってか、もっとおしゃれな下着を身に着けるようになった。だから、制服と一緒に用意されたこの下着を見て、一瞬、ポカンとしてしまったのである。
 それくらい、18才にもなる、うら若き女性には不似合いな、あまりに不恰好な下着であった。
(なぜ、こんな下着が制服の箱に入っているんだろう……。まさか、これを穿けってことじゃないよね。)
 ズロースを手にした由美の手が、かすかにふるえ出した。
(私の下着はどこに??)
由美はズロースを床に投げ出すと、大きく目を見開き、もう一度、ゆっくりと箱の中を見つめた。だが、彼女のビキニショーツは、見あたらなかった。
 それに、さきほどまで彼女の豊かな胸を飾っていた、ブラジャーやキャミソールも見あたらない。ショーツとセットになった、ライトブルーのこれらの下着も、大人ぽい雰囲気の由美には、とてもよく似合っていたのである。
 これらの下着は、聖愛女子学園の編入にあわせて、由美が奮発して買いそろえたものだった。入学案内には、普段着は「個性を尊重する教育方針ゆえ、個人の判断にまかせる。」
と記されていたし、下着の指定なども記されていなかった。それゆえ、由美は少し背伸びするつもりで、この大人っぽい下着を晴れの編入の日に選んだのである。
(私の下着はどこに……? )
 由美はふたたびねキツネにつままれたような表情になった。
(そうか。箱の下の方にしまったのかもしれない。)
由美は箱の底を確かめようとした。なぜなら、さゆりの『「由美さんの下着は衣装箱の中に入ってるはずよ。』と口にしたのを、つい今しがた、聞いたばかりである。当然、この箱の中のどこかにあるはずだ。
 由美はこの言葉を信じ、すがるような気持ちで、きれいに折りたたまれた制服を少し持ち上げた。そして箱の底の方に、自分の下着がないか、確かめてみた。しかし、下着はなかった。
「ど、どういうこと…?。」 
 由美は自分の胸の鼓動が少し高鳴っていくのを感じた。由美の胸の中に、なにか悪い予感が、暗雲のようにたちこめていった。
 その時である。衝立の向こう側からふたたび、さゆりの声が届いた。
「由美ちゃん、着替えは終わったかしら?。ずいぶん時間かかっているみたいだけど……。」
その声に由美はハッとして、はじけるように立ち上がった。由美はまだ、バスローブを身にまとったままであったのである。
「あのぉ、相原先生……、私の下着…」
「えっ、下着がどうかしたの?」
「いぇ、私の下着が見あたらないんです。」
衝立越しに聞こえてくる由美の声は、かすかにふるえていた。その声は、得体のしれない心の中の不安を、打ち消そうとしているかのようであった。
 きっと何かの手違いで、自分の下着が箱の中に入っていなかった……、由美はそういう返答がくることを心の中で祈った。
 しかし、さゆりの返答は由美の期待を裏切るものであった。
「あら、さっき言わなかったかな?。由美ちゃんの下着は、箱の中に入ってるって。」
「いぇ、そうじゃないんです。私が検査前まで着ていた下着のことです。」
 だが由美のこの質問にたいして、衝立の向こうからはなにも返事がかえってこなかった。
(どうして、答えてくれないんだろう。)
 由美はますます不安になり、衝立の向こう側の様子に、じっと耳を凝らした。衝立にはばまれて、目では見えないが、どうやら、相原さゆりや岩松サエらがなにか、相談をしているようだ。
 声を殺してしゃべっているためか、二人の会話はヒソヒソとしか伝わってこないため、何を相談しているかは由美にはわからなかった。だが、二人の話し声はまもなく途切れ、代わりに足音が由美のいる脱衣室に近づいてきた。
(もしかしたら、私の下着を持ってきてくれたのかしれない。)
やっぱしなにかの手違いだったんだ。由美は
近づいてくる足音に期待をこめた。
 足音の主はさゆりだった。しかし、脱衣室に入ってきたさゆりが何も手にしていないのを見て、由美はがっかりした。
「先生、私の下着……。」
由美はすがるように、さゆりの目を見つめた。
だが、さゆりは由美のその言葉に耳を傾けることなく、
「おかしいなぁ。由美ちゃんの下着は、すぐ着れるように、一番上に置いておいたんだけどなぁ。」
と言いながら、床に置かれた衣装箱の中をのぞき込んだ。
「あっ、これじゃないかしら。相原先生?。 」続いて脱衣室の中に入ってきたサエが、わざとらしく素っ頓狂な声をあげ、床の上に先ほど由美が投げ捨てたズロースを、拾い上げた。
「なんだ、由美ちゃん。あるじゃないの。」
「まぁ、ダメでチュねぇ、由美ちゃん、学園から支給された下着を床の上にほっぽったりしちゃ〜。」
由美は両教諭のその言葉を聞き、一瞬、言葉を無くした。
「えっ、学園から支給の下着……?。そんなのあるんですか…。」
由美はうろたえながら、たずねた。
 だがサエは、その問いかけには答えず、拾い上げたズロースをゆっくりと広げた。そして無言のまま意味ありげな微笑を浮かべると、その下穿きの前面を由美の方に向けた。
それを見て由美は、
「あっ…!」
という声とともに思わず息をのんだ。
 由美が驚きの声をあげたのも無理はなかった。さきほど由美がこの下着を広げた時は、背面しか見ず、そのあまりにぶざまなデザインに、よく確かめもせず床に放り投げた。だか、目の前に広げられたズロースの前面を見ると、なんとそこには、
“1年2組 梓由美 ”
と書き込まれた、布製の名札が縫いつけられていたのである。
「わかったかなぁ?。これが今日から由美ちゃんが穿く、お下穿きでちゅよ。」
小さい子をさとすような語り口調で、ふたりの教諭は妖しげな微笑を浮かべながら、由美を見つめた。それはまるで、自分たちが投げかける言葉に由美がどんな反応示すか、楽しんでいるかのようであった。
 由美は自分の頬が、みるみる紅潮していくのがわかった。
「えぇっ……、どうして…、どうして…。
 いやっ! こんなこども見たいな下着…。」
由美は、二人の教諭の顔を交互に見比べながら、うろたえながら叫んだ。
「いゃっ、て言われても困るのよね。学園の規則なんだから。」
「でもこんなの、恥ずかしすぎます。私のショーツを返して。」
 由美の表情は、知らず知らずのうちに、かなりの剣幕になっていった。無理もない。ただでさえ、幼児が履くようなズロースをあてがわれ恥ずかしいのに、こどもみたいに、自分の名前まで記入された下着など、うら若き18才になる女性が着用できるわけがないではないか。
 だが二人の教官は、由美のそんな剣幕をあざ笑うかのように、事務的な口調で冷たく言い渡した。
「校則で、学園から支給の下着以外は、着用してはならない決まりになってるの。由美さんのショーツは、こちらの方で預からせていただきましたわ。」
「ひどい…、ひどすぎます。だって制服以外の服装は確か自由だって、入学案内には書いてあったじゃないですか。返して下さい。」
 だが、由美のその問いかけに対する答えは、意外なものであった。
「えぇ、確かにそうよ。高等部からはね。」
さゆりは涼しげな顔で答えた。
「じゃあ、どうして……。私は高等部の生徒です。それに私は3年に編入のはずです。高校1年じゃありません…。」
ズロースに縫いつけられた“1年2組”の名札を、横目で見つめながら、由美は叫んだ。
 今の由美の頭の中には数々の疑問が、湯水のようにあふれ出た。だが、ひとつひとつの疑問が結びつかない為、由美の頭の中は混乱しかかっていた。
 だが、その混乱は、サエの次の一言で、そらに増すことになる。
「由美さん。誰が高校1年生に編入と言ったかしら?。」
「えっ!」
由美はサエの言っている意味が皆目、見当がつかなかった。だがサエは、ここで驚くべきことを由美に告げたのである。
「由美さんには、今日の午後から当分の間、聖愛女子学園の中等部1年生に編入していただきます。」
「ちゅっ…中等部の1年生って……。」
「ようするに中学1年生ということよ。」
「どうして、どうして……、私は18才よ。なんで、今さら中学1年生なの!。」
 由美は驚きのあまり、怒りを通り越してポカンとした表情になってしまった。
「あらまぁ……、すごい言葉使いね。これじゃあ、中学生どころか小学生からやり直した方がいいんじゃないかしらね。」
「だって、だって……。」
そこまで口にして、由美は言葉につまってしまった。しかし、それは無理もなかった。高校3年に途中編入できるということで、彼女はこの学園にきたのである。それに、先ほどの編入手続きにしても、その前提で説明を受けた。それなのに、今になってなぜ急に、中学1年生に編入を告げられるのか。だいいち由美は高校3年とはいえ、18才の、心身ともに成熟した女性なのである。あと四ヶ月で、高等学校を卒業できる年齢なのだ。そんなうら若き女性が、なぜ今さら、中学1年生に戻らねばならないのか。
 由美はなにがなんだか、わからなくなってしまい、呆然と立ちつくした。
(もしかしたら、これは悪いジョーク?)
しかし、冗談にしてはあまりに手がこみすぎている。それに、二人の教諭の顔を見るかぎり、冗談を言っている様子でもない。
「せ、先生。いっ…、いったい…、どういうことなんですか?。」
やっと由美は、問いを口にすることができた。しかし、彼女の可憐な唇は、かすかにふるえていた。
 由美のうろたえた様子に見かねて、風紀委員の今井美雪が二人の教諭に進言した。
「岩松先生、やはり梓さんには、着替える前に説明された方が、よろしいんじゃないでしょうか?。」
「そうねえ…、岩松先生。先に由美ちゃんに話をして、自分の立場を知っておいてもらった方が、この先スムーズにいくかもしれませんわ。」
保険医の相原さゆりまで美雪の意見に同調したことで、岩松サエも納得したようだ。
「わかったわ。由美さんには制服に着替えてもらった後で、今後のことをいろいろ話そうと思っていたんだけど、先に説明しておくわ。」
 サエはやれやれというように、面倒くさげに溜め息をつくと、改めて意地悪げな視線を由美に向け直した。
「じゃあ言うわ。由美さん。あなたには高校3年生に編入する前に、今日からしばらくの間、更正カリキュラムを受けてもらうことになったの。このカリキュラムについては学園長室で説明を受けたわよね。」
「あるということは聞きました。でも詳しいことは何も説明してもらってません。それに、どうして私が、今さら中学1年生のクラスに、入いらなければならないんですか。」
由美は、懸命に気持ちを落ち着かせようと、息を深く吸い込みながら質問した。
「由美ちゃん、さっき水野さんにもたずねたでしょう。更正カリキュラムというのはね、一種の補習なの。高等部に途中編入の子が中学部で学べなかったことを“さかのぼって”集中的に補習してもらうのよ。ただその為には、一週間くらい中学1年生のクラスで勉強してもらわないといけないの。」
「私はもう18才です。いくら補習とはいえ、中学1年生といっしょにされるなんて、恥ずかしすぎます。」
「あなたは確かに学力面では問題ないわ。でもね、あなたの今日までの“生活態度”では、このまま高等部に編入させるには問題があるのよ。それはあなたが一番よくわかっているでしょう。」
 サエの口にした“生活態度”というのが、由美が前の高校の時、暴走族に入っていたこと。その暴走族が警察沙汰を起こし、彼女が高校退学になったことなどを指しているのは、明らかであった。
 自分と同じ3年生の風紀委員たちがいる前で、それを言われて、由美は顔が赤くなった。彼女は前の高校を退学処分となり、この学園にきたことを知られたくなかったのである。それは彼女が新しい学校で、もう一度やり直したいという気持ちがあったからであった。だから他の生徒の前で、自分の過去をひけらかそうとするサエの言葉は耐え難かった。
 しかしサエは、そんな由美の気持ちを知ってか知らずか、
「べつに顔を赤くする必要はないわ。この子たちにはあなたが暴走族の一員だったことや、それが原因で前の高校を退学になったことも、もう話してあるわ。」
「ひどい!。人の過去を勝手に話すなんて……。」
「あら、でもこの風紀委員の子たちはね。あなたが当学園を卒業するまでの間、あなたの更正カリキュラムをサポートする、大切な役目を持っているのよ。だからあなたの過去の事情を知っておいてもらう必要があったの。」
 そこまで話すと、サエは風紀委員の今井美雪に目配せした。それを受け、美雪は妖しげな微笑みを浮かべながら由美に話しかけた。
「由美さん、だいじょうぶよ。あなたが更正しながら、楽しく学園生活をおくれるように私たち、一生懸命サポートしてあげるから。頑張ってね。」
いつのまにか、由美の周りを美雪と数人の風紀委員が取り囲んでいた。
「あら、由美ちゃん。お返事は?。」
相原さゆりは由美に声をかける。だが、由美はとても納得できなかった。
「私も生活面でいけなかった点は十分、反省しています。それに、成績面では問題ないから、高校3年に編入できるっておっしゃったじゃないですか。だからもう一度、やりなおそうと思って、この学園の編入を希望したのです。なのにどうして、今さら中学1年生なんですか。話が違います。」
 ふたたび、やれやれというようにサエが割って入った。
「まだ更正カリキュラムについて、よくわかってないみたいね。これはね、退学処分や問題を起こした子が心身ともに中学1年生に戻って、これまで忘れていたものを中学生の中に入って、いっしょに勉強し直すコースなのよ。暴走族ご出身の由美さんには、ぜひ受けてもらわなければなりませんわ。」
「だけど……。」
反論しようとする由美の言葉をさえぎるように、サエはなおも続けた。
「学園長もおっしゃったでしょう。更正カリキュラムと言っても、そんか大げさなものじゃないのよ。由美ちゃんが一週間ほど中学生の生活を送る中で、自然に更正できるプログラムが組み込まれているの。だから由美ちゃんはそんなに深刻に考えなくても、ぜんぜん平気なのよ。」
 しかし、そのように説き伏せても、由美はとうてい納得できなかった。無理もない。いくら短期間だからとはいえ、高校3年の、しかも卒業間近の女生徒を、中学1年生のクラスに編入させる補講などありえるだろうか。高校3年といえば、じゅうぶんに大人に手の届く年代である。そんな年頃の女性が、中学1年生のこどもと机をならべさせられ、同じように扱われるのである。こんな屈辱的なことがあるだろうか。
 しかし、相原さゆりの次の言葉で、由美はこの不条理とも言える処置を、受け入れざるを得なくなった。
「とにかく中学一年のクラスに入って正式にこの補講を受けないと、高等部三年への編入は認められませんからね。でもあなたがさっき言ったみたいに、本当にうちの学園でやり直そうという気があるんなら、一週間どころか四日くらいで、この補講は終了できるわよ。あなたがこれまでの生活を、本当に反省したという証を、今日からのカリキュラムで見せてもらいましょう。」
必死の抵抗をしめしていた由美だったが、四日くらいで…、というさゆりの言葉に少し気持ちが和らいだようだった。
「本当に四日くらいで終わるんですか?。」
「えぇ、あなたがこれまでの乱れた生活を、本当に心から反省していることを、態度で示せばね。」
「補講っておっしゃいますが、いったいどんなことを……。」
「それは実際に受けてみたら、すぐわかることよ。でも今の高等部の子たちも、みんな中等部時代にそれを学んだの。由美さんができないはずはないわ。」
 こう言われてしまうと、由美はもう反論できなくなってしまった。由美が言葉につまったのを見計らって、サエがせかすようにたたみかける。
「さっ、これで分かったでしょう。じゃあ、さっさとバスローブ脱いで、中等部の制服に着替えてちょうだい。午後からの全校集会であなたを紹介しなくちゃいけないんだから。」
 考えてみれば、由美は検査の時のバスローブのままであった。
「ちょっ、ちょっと待って下さい。」
由美はあわてて相原さゆりの方を振り返ると、おそるおそる尋ねた。
「そっ、それでは……この箱の中の制服は……。」
「そうよ。中等部の制服よ。」
さゆりは平然と答えた。
「…では……、では、私の下着は?…、私の服は?……」
「あら、衣服のことはぜんぜん心配しなくていいのよ。中等部の児童は制服だけでなく、靴から下着まで、学園で指定されたものしか身につけてはならない規則なの。明日から由美ちゃんが着る衣服はもう、寮の方にそろえてあります。」
さらに追い打ちをかけるように、サエが冷ややかに言い添えた。
「あっ、そうそう…。由美さんの持ってきた私服や下着類は、高等部の編入が許可されるまで、当学園のほうで預かりますからね。」
サエのその言葉に、由美はぎくりとした。
学園長室に置いていったトランクのことを思い出したのだ。
 だが、由美の驚きと不安は、なおも続くサエの言葉で、次第に怒りへと変わっていった。
「由美ちゃんのトランクの中身、ぜんぶ見せてもらったわ。ずいぶん色っぽい下着が入っていたようね。悪いけど、あのトランクの中の衣類は、高等部の編入が認められるまで、すべて没収します。」
「そんな……ひどい!。人の衣服を勝手に……。」
由美は唇をわなわな震わしながら、つぶやいた。
 しかし、彼女は知らなかったのである。本当のことを…。彼女のトランクの衣類は下着から洋服まですべて、山村学園長の手により、すでに焼却されていたことを…。
「あら、まあまあ、すごい形相なこと。でも高等部とはちょっとデザインが違うけど、中等部の制服もなかなか悪くなくてよ。大人っぽいお洋服が好きな由美ちゃんにとっては、ちょっと好みじゃないかもしれないけど。」
 さゆりはフフッと笑いながら、少しからかうように声をかけた。この言葉のニュアンスから、中等部の制服が高等部のものほど大人っぽいデザインでないことが、由美にも想像できた。由美の年頃は、子ども扱いされることをなによりも嫌う。さゆりはそれを承知の上で、あえてこのようなことを口にしたのだ。なぜなら、由美が子ども扱いされることへの怒りを感じれぱ感じるほど、中等部の制服を着せた時のみじめさが増すことを、彼女は知っていたからである。
 さゆりのこのもくろみは、見事に当たった。由美は、自分の衣服から下着まで、すべて没収されたことへの怒り、そして今日から中学生の制服を着せられる屈辱感に、声も発せられずに立ちつくしていた。二人の教諭と5人の風紀委員の生徒たちが、くやしさに打ち震える由美の表情を、面白そうにうかがっている。

 しばしの沈黙が保健室に流れた。やがてその静寂をうち破ったのは、風紀委員長の今井美雪であった。
「さぁ、由美さん。いつまで風呂あがりみたいな恰好で突っ立ってるの。いいかげん、着替えなさいよ。」
「お願いです。補習はちゃんと受けます。だから…、せめて中学生の制服は堪忍して下さい。恥ずかしすぎます。」
「なに、甘えたこと言ってるの!。補習期間中は、心身ともに中学生として、謙虚な気持ちでカリキュラムを受けてもらいます。特別扱いは一切、許されません。もう一度、中学1年生の時に戻って自分を見つめ直し、悪かった部分を反省する。これが更正カリキュラムです。したがって、18才だろうが何歳であろうか、補習期間中は中等部の制服を着用してもらいます。また普段の授業、学校や寮での生活、すべてに渡って中等部児童と同じように扱います。わかった?。」
 美雪の指示には、有無を言わせない威圧感があった。由美は恨めしげに、美雪の顔を上目遣いににらみつけた。この由美の表情に、これでは埒があかないと思ったのか、再びさゆりが口をはさんだ。
「由美さん。いくら頑張ったって、あなたが着れる服は、これしかないのよ。それともバスローブで教室にでも行くつもり?。」
 由美は歯を噛みしめ、あきらめたように目を伏せた。情勢があきらかに不利なのは彼女にもわかっていた。とにかく、バスローブ以外で身に着けることができるのは、目の前に用意された衣服だけなのだ。
 由美が目を伏せたのを観念した合図と見てとったのか、
「ホホホ、ようやく諦めがついたようね。では、まず由美ちゃんには中学生用の下着をつけてもらおうかな。」
 さゆりはそう言いながら、由美のバスローブの紐に手をかけ、すばやく引っ張った。蝶々結びにされていた紐はあっという間にほどけ、ハラリとローブがはだける。
 由美は突然のことにアッっと声をあげ、あわてて前を押さえようとしたが、風紀委員の一人がバスローブの襟をつかみ、彼女の肩から強引に引き落としてしまった。
 由美の透きとおるような白い肌が、あらわになった。18才とは思えない、均整のとれたボディラインに美雪をはじめ、他の風紀委員の生徒たちも思わず目を奪われた。
「きれい!」
風紀委員の生徒の一人から、つぶやきが漏れる。
「いやぁぁ、見ないで……。」
由美は頬を紅潮させ、自分の身体を同性たちの目から少しでも隠そうと、前かがみになる。
今やバスローブは、秘所を隠すように押さえた由美の右手首に、かろうじて引っかかっているだけとなってしまった。
 由美は左手で胸を隠そうとしたが、豊かな、けれども若々しく弾力をたもった乳房は、とても片腕だけで隠せるものではなかった。隠そうとに押さえつけた上腕から、形の整った果実がこぼれんばかりにのぞいている。
 だが皮肉なことに、高校3年とは思えない由美の成熟した体は、美雪たちの嫉妬心に火をつける結果と鳴ってしまった。
「まっ、色っぽいおっぱいね。とても私たちと同じ高3とは思えないわ。」
美雪は憎々しげに皮肉った。
 とりわけ美雪は、スタイルのよさでは、クラスメイトからも羨望の的で見られていた。だが今、由美を目の前にして、明らかに彼女の方が肌のつや、プロポーションともに自分にまさっていることを、認めざるを得なかった。嫉妬深い美雪にとって、自分以上の存在は許せなかった。
(徹底的に、この子を不恰好にしてやる。)
意を決すると美雪は、先ほど由美が床に放り投げたズロースを、意地悪く差し出した。
「由美さんって、本当に大人っぽい体していらっしゃるわね。でも残念ながら、しばらくの間は中学生スタイルで我慢してもらうわ。まずは、かわいいかわいい、お下穿きからでちゅよ。」
同い歳の女生徒から幼児扱いされる口調に、
由美はくやしさを噛みしめたが、それよりも同性の好奇の視線から自分の体を隠すことが、今の由美にとっては先決であった。もはや彼女が、同性の視線から身を隠すには、このみっともない下着を着用するしか、方法はないのだ。由美は頬を赤らめながら、美雪からクリーム色のズロースを受け取ると、ついに観念したかのように、右足からこの下穿きに足をとおしていった。
 厚ぼったい木綿の生地が、由美の素足とこすれ合う音が、かすかに聞こえる……。
 履き終えたところで、この下着が中学生用よりも、はるかに幼児っぽいデザインであることに、由美は気づいた。なにしろこの下着は、由美のなまめかしいヒップラインを、へその上5センチのあたりまで、不恰好に包み隠してしまったのである。しかも厚ぼったい木綿地のため、穿いてもダボっとだらしなくたるんでしまう。おまけに、足をとおす裾にまでゴムひもがとおっているため、見た目には使い古しのブルマーのような形なのである。
「由美さんは便秘ぎみだから、おなかを冷やさないようよう、厚手のパンちゅ用意したのよぉ。」
さゆりが由美の羞恥をさらにあおるかのように、耳元でささやく。
 だが由美を赤面させたのは、さゆりの言葉だけではなかった。ズロースの前面、ちょうどおへそのあたりに“1年2組 梓由美 ”と記された布製の名札が大きく縫いつけられていたことも、由美を赤面させるのに十分であった。むしろ子供みたいに、自分の名前まで記入された下着を着用させられる惨めさの方が、18才にもなる由美には耐え難いことであった。しかもご丁寧なことに、名札の横には、聖愛女子学園の校章である蓮のマークまであしらわれていた。
「まぁ、大きなお子ちゃまパンツなこと。」
由美の前に立っている女生徒たちの間から、クスクス笑い声がおこる。
「お願いです。せめて下穿きだけでも、自分のを穿かして下さい。」
あまりに幼児っぽいデザインの下穿きに、由美はダメとは知りながら、切なる哀願をくり返す。だがサエは、そんな由美のはかなき願いなど、聞く耳もたぬ様子であった。代わりにサエの口から出たのは、由美を落胆させるこんな返答であった。
「中等部の児童までは、大人の下着の着用はいっさい禁止されていますからね。」
事務的にそう告げると、恥ずかしそうにズロースを身にまとった由美の前に、その他の下着をならべていくのだった。

 恥ずかしい着替えはまだまだ続いた。由美は急に自分が、大人の世界から無理やり引き離されていくような予感がした。
 気がつくと、いつのまにか由美のまわりを、美雪をはじめとする高3の風紀委員の生徒たち、そして二人の教諭がぐるりと取り囲んでいた。彼女らの目的が、まもなく高校も卒業しようという女性に子どもっぽい衣装を着せて、羞恥に顔を赤らめる様子を楽しむためであることは、言うまでもなかった。
 だが由美には、そんな彼女らのもくろみに気づけるだけの余裕は無かった。今の由美は、自分の生まれたままの姿を……、とにかく早く、彼女らの好奇の視線から隠すことで頭が一杯だった。由美は、男性よりも同性に自分の肉体をさらすことに、非常に嫌悪感を持っていたのである。
 隠すためなら贅沢は言っていられないことを、由美は悟った。これ以上いくら哀願しようとも、校則を盾に自分の衣装は返してもらえないだろう。由美に残された選択肢は、自分の裸身を隠すためなら、もうこの際、どんな衣装でも着るしかなかった。
「いつまで馬鹿でかいお乳、私たちに見せつけるつもりなのよ。」
美雪の冷ややかな一言に、由美は左腕で胸の部分を隠しながら、手渡された白い肌着にあわてて首を通した。
 だが、あまりにあわてていたので、この肌着が由美の愛用しているキャミソールとは違うことに気づいたのは、身に着けた後であった。驚いたことにキャミソールは大人っぽい下着ということで、中等部では許されていなかったのである。代わりに由美が着せられたのは、今時の高校生などまず身に着けそうにない、膝丈のロングスリップであった。
 しかも、胸元にあしらわれた白いレースのリボンが、こどもっぽさを引き立てている。
ごていねいに、レースリボンの下にはズロースと同様、自分の学年・組・名前が記された布製の名札が縫い込まれていだ。
「中学3年までは自分の持ち物には、必ず名前を書く規則になっていますからね。」
サエの言葉に、由美はさらに顔を赤らめた。
 許されない下着はキャミソールだけではなかった。なんとブラジャーすらも、由美には許されなかったのである。
「そんな…、どうしてブラジャーがいけないのですか。」
「ブラジャーが許されるのは中等部の2年生からです。1年生の児童には早すぎます。」
 中学1年生の女生徒にブラジャーをさせないのは、確かにこの学園の方針であった。もちろん中一ならば、多少なりとも胸が豊かになりはじめる子も少なくない。それにもかかわらず、学園の方針でブラジャーを与えない理由の一つは、中学1年は小学生と同様、徹底してこどもとして扱うという方針ゆえのものであった。
「最近の子ときたら、やたら背伸びしたがりますからね。ぜんぜん胸の無い子までブラジャーつけたがるし。だから1年生の児童はブラジャーは禁止なんです。それにこうした方が、下着のありがたみも教えられるしね。」
「けれど私は、もう大人なんです。中学生ではありません。」
「なんども言うようだけど、カリキャラム期間中は、自分の受ける学年レベルの服装をしてもらいます。何歳だろうか関係ありませんからね。」
サエは取りつくしまもなかった。
 ブラジャーも許されないため、こどもっぽいスリップに、ぶかぶかのズロースを履かされた由美は、ボディラインがすっぽり隠されてしまい、幼児体型の抜けない中学生のような趣にされてしまった。しかも由美自身の大人っぽい顔立ちと、ブラウン系にカラーリングされた自慢のロングヘアが、こどもっぽい下着と対照的に、奇妙なコントラストを描いていた。
 このアンバランスな取り合わせに、由美の背後に立った風紀委員の生徒の間から、せせら笑いが聞こえてくる。その笑い声が、由美をますます惨めな思いに駆り立てた。同年代の生徒たちはあんなにおしゃれな制服なのに、幼児のような下着を着せられた自分が情けなかった。それに敏感な乳首が、ナイロンのスリップに直接触れる感触は、とても違和感があった。
「あら、ずいぶん乳首おったててるじゃない。こどもみたいにノーブラも、まんざらじゃないでしょう。」
美雪が憎々しげに話しかける。
「せめて、ブラジャーだけでもつけさせて下さい。こんなこどもみたいな下着、いやです。」
由美は無駄と知りながらも、せめてもの哀願を繰り返す。
「いつまで、ブツブツ言ってるの。制服着ちゃったら、下着なんか見えなくなるでしょう。」
岩松サエは少しぶきらっぽうに答えると、箱の中の制服を取りだし始めた。
「こどもじゃないんだったら、制服くらい自分で着れる出しょう。それとも由美ちゃんは、お着替えもひとりでできないのなかぁ?。仕方ないわね。美雪ちゃんたち…、着替え手伝ってやって。」
「えっ、いえ…、自分で出来ます。」
「だめだめ!。さっきからパンツ一枚穿くだけで何分かかってると思ってるの。うちの附属幼稚園のこどもだって、まだあなたより早く着替えるわ。もうすぐ四時限目も終わりなのよ。」
確かに時計は、すでに12時をまわっていた。
サエは風紀委員たちに、由美の着替えを手伝うように命じた。
「さっ、由美ちゃん。早く着替えちゃいましょうね。いつまでも下着のままの方が、恥ずかしいでちゅよ。」
同学年の美雪までもが、幼児をあしらうような口調になった。他の風紀委員の生徒たちも、美雪のおどけた口調にクスクス笑いだした。そして彼女たちは、美雪に合わせるかのように、衣装箱の中の制服を取り出すと、由美に着せる準備をはじめた。
 彼女たちが手にしている制服を目にし、由美は愕然とした。
「えぇっ!、こっ、これが制服なんですか?。」
「あら、そうよ。気に入ってくれたかしら?」
美雪は、わざとすまして答えた。
「そんな…、みんなの服とぜんぜん違うじゃないですか。」
「でも、これが中等部の制服なの。」
 高等部の制服が、現代風のカジュアルなイメージなのと対照的に、中等部の方はかなり少女っぽいデザインを意識した制服であった。いや、むしろ小学生のイメージに近いと言った方が、適切かもしれない。
 先ほどのさゆりの話から、中等部の制服が高等部のものほど大人っぽくないらしいことは、由美も多少の覚悟はできていた。しかし、まさかこんなに子どもっぽいデザインだったとは!……。幼児見たいな下着を着せられているだけで恥ずかしいのに、この中等部の制服を目のあたりにして、由美はますます顔を赤らめた。
「いやです。こんなこどもみたいな服…。」
「なに言ってるの。下着だってこどもっぽいの着せられたんだから、服も合わせましょうね。」
「はいはい、お手て上げて。」
 風紀委員の生徒たちは、由美の拒否の言葉など眼中にない様子で、まるで着せ替え人形のように、由美に中等部の制服を着せていく。
 由美がまず着せられたのは、長袖の白いスクール・ブラウスであった。このブラウスには大きな丸襟が可愛らしくあしらわれ、襟元には聖愛女子学園の校章である蓮のマークが刺繍されていた。また、胸ポケットの部分には、例によって布製の名札が縫いつけられていた。
 手早く腕を通させると、一人の風紀委員がボタンを順番にとめていく。大きな白いボタンがより一層、こどもっぽさを引き立てていた。
「中等部では、リボンの色で学年を区別します。由美ちゃんは今日から中学1年生だから、赤色のおリボン結びましょうね。」
別の風紀委員が、スクールブラウスの丸襟に赤いリボンタイを通し、胸元で大きく結んでいく。丸襟ブラウスに、蝶々の形に飾られた赤いリボンタイは、18才になる由美にはあまりに幼すぎる取り合わせであった。
 しかし、恥ずかしい着せ替えは、まだまだ続いた。
「早く足を通しなさい。」
一人の風紀委員が、せかすように紺色のスカートを広げ持った。幼児っぽいスリップを早く隠したい一心で、由美があわてて脚を通すと、スカートは手早く腰のあたりまで持ち上げられた。ここで由美は、自分が穿かされたものが、こどもっぽいデザインの、ヒダのたくさん入った吊りスカートであることに、初めて気づいた。
「由美ちゃんの身長に合う吊りスカート、なかなか無かったのよねぇ。」
「そりゃあ由美ちゃん、あたしたちと歳はいっしょなんだから、あるわけないよ。、」
「私たちも昔は、こんなスカート穿かさてたのね。カッコわり〜ぃ……。」
 高3の風紀委員たちは、中学生の恰好をさせられる恥ずかしさを、由美にもっと味あわせてやろうとばかり、わざと無駄口をたたき出した。彼女たちの会話に、由美は消え入りたい心持ちであった。
 彼女たちは口々に好き勝手言いながら、スカートの吊りバンドを由美の左右の肩にかけていく。由美はもう、されるがままだった。吊りバンドを背中で大きなバッテンを作るように交差させ、スカート後部に固定されると、後ろ姿だけ見るかぎり、高学年の小学生か入学したての中学生であった。ただ、スカートの裾から伸びた、均整のとれたふくらはぎと、ソバージュのかかったロングヘアが、由美が大人の女性であることを、かろうじて証明していた。
「どう、懐かしいでしょう。こんなスカート……。」
美雪が意地悪く微笑んだ。
「スカート変えるだけでも、ずいぶん幼く見えるものね。」
「…………。」
「スカートの裾から見えてるひざ小僧、ガキっぽくて可愛いくない?。」
羞恥心を逆なでするような風紀委員たちの会話を、由美はうつむいて聞くしかなかった。
 その後、吊りスカートに合わせて、同じ紺色の襟無し上着を由美は着せられた。左右のウエストのあたりに、半円の大きなポケットがあしらわれたデザインが、なんとも愛らしさを誘う。襟がないため、スクールブラウスの大きな丸襟が、ひらひらと上着の肩の上に広がっている様が、大人っぽい雰囲気の由美をますます中学生っぽく、飾りたてていた。

「ホホホッ…、だいぶ幼くなってきたわ。残るは足元ね。」
相原さゆりが風紀委員たちに声をかける。
 由美はギクリとした。いくら中等部のこどもっぽい制服を着せられても、彼女にどこか大人らしさが残っているのは、ヘアスタイル以外に、野性的な脚線美によるものが大きかった。
 深夜、オートバイの背にまたがり、革パンツに包まれた彼女の脚に、どれだけ多くの仲間が翻弄されたことであろう。だが、由美の自慢の脚線美も、聖愛女子学園の校則によって、無惨に封じ込められようとしているのだ。いったいこれから、どのような姿にさせられるというのであろう。
 以前に由美が通っていた高校も、規則は厳しい方で、冬場は黒いスクールタイツと指定されていた。だが生徒たちには地味くさいタイツは不評で、登下校時にはこっそりルーズソックスや、はやりの紺色ハイソックスに履き替えて通学していた。
(いやだなぁ…、また黒タイツかしら……)
不安を感じる由美の耳に、
「由美ちゃん、いつまでも裸足じゃ風邪ひくわ。このタイツを履きなさい。」
風紀委員の美雪の声が届く。
(あ〜ぁ、やっぱし……)
がっかりしたように、美雪から差し出されたタイツを見て、由美は目を見開いた。それは、
由美ですら子供の頃しか……、それも幼少の頃にしか履いた記憶のない、肌色タイツであった。それもナイロンではなく厚ぼったい綿素材のようで、そのためか、ところどころ白い毛玉がついている。
「これを履かなきゃ、いけないんですか?」
 着せられた制服もこどもっぽいデザインであったから、タイツやソックスにも由美は期待などしていなかった。だが、せめて黒いタイツならまだしも、あまりにやぼったい肌色タイツに、由美はとまどいの色を隠せなかった。
「もう、手間かかるわね。タイツくらい、さっさと履けないかしら。」
いつまでも立ちつくしている由美に業を煮やしたのか、椅子を引き寄せると、風紀委員たちは躊躇している彼女の肩を押すように、無理やり座らせた。そして幼児の着せ替えのように、両足首に肌色のタイツをとおしていく。
「あっ、自分で履きます。履きます。」
由美はあわてて叫んだが、
「いいわよ。あなたの着替え待ってたら、日が暮れちゃうわ。」
風紀委員たちはとりつくしまもない。てばやく足首にとおしたタイツを、上に向かってたくしあげていく。次いでふたたび由美を立たすと、スカートのすそを勢いよくはねあげ、タイツをへそのあたりまで引っ張り上げてしまった。その様はまるで、自分で着替えのできない幼女が、母親に履かせてもらっているかのようであった。
 その後、由美はもう一度、椅子に座らされた。
「これからの季節は、校舎も冷えますからね。11月から3月までの間は、必ずタイツの上に靴下を着用よ。」
こんどは白いソックスが、由美に手渡された。もたもたしていると、幼児のようにまた風紀委員たちに履かされかねない。由美はあわてて、タイツにかぶせるようにソックスを足首にとおす。すそを伸ばすと、中ふくらはぎの丈の綿ソックスだった。ところが、
「中等部の児童は、きちんと三つ折りにして履くように。規則ですから。」
と、別の風紀委員に注意されてしまった。
そのため由美は、ソックスをしぶしぶ短く折り返さねばならなかった。キュっとしまった由美の足首も、くるぶしまで三つ折りにされたソックスによって、きれいに隠されてしまう。
 しかもご丁寧なことに、三つ折りソックスの外くるぶし部分には、校章である蓮のマークが刺繍され、内くるぶし部分には、自分の名前が記された名札が縫われていた。
「このように両足とも、必ず校章と名札が見えるように履くこと。わかった?」
美雪はきびしく言い渡した。
「返事がない!」
「ハッ…ハイ。」
由美は消え入るように答えるのが、精一杯であった。

 しかし、さらなる指示が、恥ずかしさにうつむく由美にとんだ。学園では校内履きまで指定されていたのだ。
「由美さんには、今日からこの上履きを履いてもらいます。」
美雪ら高等部生徒と同じく、水色のスニーカーかと思っていた由美は、与えられた上履きシューズを一目見て、ますます顔を紅潮させた。
 スポーティなスニーカーと対照的に、中等部の上履きは、どことなく幼児っぽいデザインの、バンドバレーシューズだったからである。ぺったんこの、白いズック地のこの靴は、つま先がまん丸く、赤く塗られていた。足の甲を飾るゴムバンドも女の子っぽく、半月型の切れ目からは白ソックスの生地がのぞき、なんとも愛らしさを誘う。
 おまけに、ゴムバンドにも“1年2組 梓由美 ”と記されていた。
「どう、小学生や中学生だった時、履いてなかった?。懐かしいでしょう。」
「………」
「あら、由美ちゃんお顔、真っ赤にしてるわ。でも三つ折りソックスと、とってもよく合ってるわよね。」
「フフ…、懐かしさのあまり、声も出ないんじゃないの。」
風紀委員たちは、由美を辱めようと、好き勝手なことを口にする。
 脚のラインは、由美がもっとも自信をもっていた一つだった。夏の湘南海岸や渋谷の街中で、小麦色の素足に銀のアンクレットで飾るのが由美は好きだった。だが今、由美のほっそりした足首を飾っているのはアンクレットではなく、少女っぽい、白い三つ折りソックスなのだ。
 厚ぼったい肌色タイツに、白い三つ折りソックスの重ね履きは、スリムな由美の脚線を太めに演出しているだけでなく、野暮ったい印象に変えてしまった。さらに風紀委員たちにせかされ、上履きのバレーシューズに足をとおすと、由美の足元にはより一層、あどけなさが増した。こうして魅惑的な由美の脚線美は、すっかり潰されてしまったのである。
「さぁ、これで足元も中学生っぽくなったわね。ストッキングもハイソも、しばらくの間おあずけよ。」
「………」
由美はうつむいたまま、美雪ら高3の生徒たちの足元を若々しく飾っている、スニーカーやラルフローレンのハイソックスを、うらめしげに見つめていた。

7 校 則 違 反


 恥ずかしい着替えがひととおり終わったところで、寮長の岩松サエが風紀委員たちの間に割って入り、由美に告げた。
 「この手帳も、いつも上着の胸ポケットに入れときなさいね。」
サエが差し出したのは、由美が先ほど目にした中等部の児童手帳だった。高校3年に編入できるとばかり思っていた由美は、つい先ほど、この茶色い手帳を目にした時は、何かの間違いだろうと思っていたので、気にもとめていなかった。
「この手帳には、中等部の規則や生活態度について、くわしく書かれています。よく読んでおくように。わかった?」
「…………。」
「返事が聞こえない!」
「はっ、はい……。」
由美がすぐに返事できなかったのも、無理はない。こうして中等部の制服に着替えさせられても、本当に自分が中等部1年生に編入させられたとは、どうにも信じられなかったからである。
 だがサエは、由美の気持ちなどお構いなしに、なおも児童手帳についての説明を続ける。
「中等部では毎朝“修身”という授業があります。その時に、この手帳に書かれた規則をみんなで復唱します。あなたも時間ある時、必ず読んでおくように。」
 あらためてサエから中等部の児童手帳を渡されると、由美の心の中に、本当に自分が中学1年生に編入させられてしまったんだ、という情けなさが再びこみ上げてきた。しかし、由美の中等部編入の手続きは、これで終わったわけではなかったのである。

「誰が立ってよし、と言ったかしら?」
 椅子から立ち上がろうとした由美の肩を、サエが押しとどめた。
「今井さんたち、もうすぐ4時限目も終わりなんだから、急いで由美ちゃんの生活指導の準備しなさい。その為にあなたたちに来てもらったんだから…。」
保険医の相原さゆりが、風紀委員たちをたしなめるようにせき立てる。
 由美の着替えを終わらせ、無駄口をたたいていた美雪ら風紀委員の女生徒たちは、さゆりの言葉にあわてて、衝立でしきられた脱衣室から出ていった。どうやら、なにかを取りに行ったらしい。
 “生活指導”という言葉に、由美はビクッとした。
(生活指導ってなんのことだろう?)
由美の胸の中に、不安が暗雲のようにたちこめていく。
 風紀委員が出ていった脱衣室には、椅子に座らされたままの由美、そして岩松サエ、相原さゆりの二教諭が残された。妙な緊迫感が脱衣室の空気によぎる。
 二人の教諭はいつのまにか、由美をはさむように、彼女が腰掛けている椅子の左右に立っていた。しばしの沈黙がながれた後、口火をきったのは相原さゆりだった。
「由美ちゃんの髪、とってもすてきね。」
さゆりはそうつぶやくと、由美の肩にかかるたおやかな髪を、いきなり手のひらですくい上げた。由美は露骨に嫌悪の表情をしめしたが、さゆりはお構いなしだ。
「とっても柔らかね。あなたの髪…。」
今度は右頬をなでる由美のしっとりした髪を、無遠慮に指に巻きつけては離し、巻きつけては離しを繰り返す。その仕草は、本当に由美の髪の感触を楽しんでいるかのようだった。
 由美は『やめて下さい』とも言えず、うつむいたまま、さゆりの無遠慮な指のたわむれを堪え忍んでいる。
「それに、カラーリングのセンスも悪くないわ。染めはじめの頃ってつい、どきつい色にしてしまいがちなのよね。」
由美の髪の色は、ブラウン系に染色されていたが、明るすぎず暗すぎず、かつ上品に仕上げられていた。
「それに、ソバージュもいい感じよ。」
サエもさゆりに合いの手を入れるように、言い寄った。そして、由美の背中の中ほどまでたらされた、細かく波うつソバージュ・ヘアを一束つまみあげ、その感触を楽しんでいる。
「髪にはずいぶん、気を使っているみたいね?」
「えっ、えぇ……」
由美はとまどいながら答えた。
 確かに由美は、髪には人一倍、自信を持っていた。深夜、爆音をとどろかせ疾走するバイクにまたがり、ふっさりした髪をなびかせて疾走する由美の姿は、セクシーですらあった。今は少年院に入れられている恋人の健也も、バイクのかたわらにたたずむ由美の髪を撫でながら、『君の髪はとてもきれいだ。』とよくささやいたものだ。
 大人っぼく落ち着いたイメージにカラーリングされた髪。かつ、それと対照的に野生美をかもし出すようなソバージュ。この二つのコントラストが、由美の髪の魅力であろう。
 それにしても二人の教諭は、どうして由美の髪を、やたら誉め始めたのだろうか。それとも、ほかに何か、言いたいことでもあるのだろうか?。
「さすが、東京からきた子だけあって、なかなかおしゃれさんね。ヘアセンスも悪くないわ。」
「そうですね。それに比べて、風紀委員の子たちの茶髪ときたら……。よくあれで、風紀委員が務まりますよね。ただハデならいいと思っているみたいなんだから……。」
さゆりも溜め息まじりに応える。
「まぁ、いいじゃない。高等部は服装も髪型も自由なんだから。そのうち、あの子たちも気づくでしょう。」
そしてサエは、由美の後ろ髪を撫でながら、つぶやいた。
「ほんとうにすてきな髪…。あなたにとっては命でしょうねぇ。」
その言葉には、ゾッとするほどの冷たい響きがあった。
 ふたたび脱衣室に沈黙がもどる。由美は、言いしれぬ不安に襲われた。しかし、その不安が現実のものとなるのに、大した場間はかからなかった。
 しばしの静寂は、保健室の扉が開く音で破られた。どやどやと、美雪ら風紀委員たちがもどってきたのである。
 彼女たちはケープ、ブラシ、櫛、ドライヤー、それに様々な整髪剤やトリートメント剤などを乗せたトレイを手にしていた。これらの品々を、由美の椅子の横にセットし始めると、ただでさえ狭い脱衣室は、にわか美容院のような様相になった。いったいこれから、何をはじめようというのだろうか。
 由美は自分の不安が、だんだん現実のものとなっていく気配を、感じざるを得なかった。
「あの…、まっ、まさか……、私の髪をどうかしようというのでは……。」
おそるおそる、由美はサエにたずねた。
由美の声は、先ほど指定の下着を着せられた時よりも、明らかにふるえていた。
「えぇ、そうよ。由美さんには制服だけでなく、心身共に中等部編入の心構えを身につけてもらわないとね。」
サエは平然と応える。由美はうろたえながら叫んだ。
「私、ちゃんとするつもりです!」
「じゃあ、校則に違反しているところを今から直します。」
「校則違反ですって!、なんのこと?」
「まず髪型を、中等部の校則どおりに直してもらいます。」
「なっ、なんですって!」
「それから、お化粧はぜんぶおとしなさい。今日から由美さんは、いっさいお化粧することは許されません。」
「えぇ!だってお化粧しちゃいけないなんて校則には……。今井さんや、ほかの風紀委員の皆さんも、みんなお化粧しているじゃありませんか。」
 由美は明らかに狼狽していた。それも無理もない。先ほども保険医の相原さゆりが嘆いていたが、いくら自由な校風とはいえ、風紀委員のメンバーもケバケバしい茶髪だし、今井美雪など風紀委員長でありながら、由美よりもきつい化粧だ。よくこれで、風紀委員長が務まるものだ、と由美も思っていたくらいだ。
 だが狼狽する由美は、意外なことを命ぜられた。
「由美さん。児童手帳の第八ページを、声を出して読みなさい。」
由美は不安な表情を隠せないまま、先ほど手渡されたと手帳をおずおずと開く。そこには、聖愛女子学園の規則が、こと細かに記されていた。
「さぁ、おおきな声でお読みなさいね。」
サエに促され、由美はとまどいながらも、淡いピンクのカラーリップで飾られた上品な口元を開く。
「せっ聖愛…女子学園…中等部……」
「声が小さい!」
「すっ、すみません。」
きびしく叱責された由美は、唾をゴクンと飲み、ふたたび最初から読み始めた。それは、次のような内容であった。


 聖愛女子学園・中等部児童 生活心得

第一条 服装・頭髪

 服装や頭髪は人格、教養をよく表すものである。よって、聖愛女子学園の一児童として常に端正であることを心がけること。
また質素、清潔を旨とし、贅沢、華美にならない。
なお更正カリキュラムの受講目的で、中等部に一時編入した高等部児童に対しても、受講期間中は中等部の規則が適用される。またこの期間内は、高等部の規則は適用されない。
1 服装 ………


「服装のところは、今はいいわ。今あなたがしている恰好だから。あとで目を通しておくように…。次、第9ページの上段から!」
サエの声に、由美はあわててページをめくる。
ふたたび保健室に、由美の不安げな声が響く。だが先を読み進むにつれ、だんだんとその声は震えを帯びていった。なぜなら、そこには、18才をすぎた由美にとってあまりにショッキングな規則が、平然と示されていたからある。


2 頭髪・装身など

中等部児童の品位を失わぬようにするため、以下のように定める。

1 前髪

  眉毛にかからないよう、常に横1直線に切り揃える。まっすぐに下ろした状態で、
 眉の上3センチ、伸びた時でも眉の上1センチを保つよう心掛ける。

2 横髪、後髪

  肩より長い髪は左右に分け、必ず三つ編みに結ぶこと。
 横髪、後ろ髪は許可無くカットしてはならない。ただし、腰より伸びた髪は学級担任
 の許可を得て、学校指定の理髪店でのみ、腰の線までカットできる。

3 その他

  ヘアバンド、リボン、ヘアピン、その他髪飾りは禁止。ただし三つ編みを結ぶための、学年
 ごとに指定されたリボンの使用は認める。

4 更正カリキュラム受講者

 (髪型)
  更正カリキュラム受講の為、中等部に一時編入した高等部児童、短大生に対しても、
 以上の髪型規定が適用される。
 パーマ、染色、セット、カール、ウェーブ、メッシュ、脱色などを行った者は、風紀委
 員の手により、すみやかに直させる。

 (化粧)
  一切の化粧を禁止する。ファンデーション、マニキュア、アイシャドー、マスカラ、
 アイテープ、アイライン、口紅、カラーリッ プ・クリームなどの所持も認めない。
 また、つけまつげ、爪を伸ばすこと、眉毛を細く剃ったり整えること、脇毛やスネ毛
 などのむだ毛処理も厳禁。

 (装身具)
  ピアス、指輪、腕輪、ネックレス、イヤリング、ペンダント、プローチ、アンクレッ
 トなど、校章バッチ以外の装身具は認めない。

5 罰 則

  以上の規則に違反した者には、風紀委員による指導、ならびに違反度に応じた罰則
 を設ける。


 読み終えた後の由美の顔色は、可哀想なくらい青ざめていた。しかし、それは無理もないことだ。これから大人の仲間入りをしようという、高校卒業を間近にひかえた若き女性にとって、あまりにも女心を踏みにじるような、校則ではないだろうか。
「これでわかったでしょう。とっても素敵なヘアスタイルだけど、今日からの中等部生活では校則違反ですからね。」
 追い打ちをかけるようなサエの言葉に、由美は自分の顔から、血の気がスーと引いていくのを感じた。
「それから、読んでわかったと思うけど、お化粧が許されるのは高校生からです。化粧品は、あなたが高等部の編入が正式に認められるまで、学園の方で預かります。アクセサリー類も同様です。今日からいっさい、身につけることは許されません。」
「そっ、そんなぁ…、お化粧もできないなんて……。」
由美は今にも泣きそうな、情けない顔になった。
「更正カリキュラム中は、何歳であろうと、補習を受ける学年の児童と同じに扱います。化粧をした中学一年生なんて、どこにいますか。今日から由美さんは、お化粧やおしゃれやら、大人の装いを気にする必要はありません!」
サエはピシッと言い切ると、準備を終えて次の指示を待っている風紀委員たちに、声をかけた。
「さぁ、みんな。始めてちょうだい。」
 その指示を合図に、一人の風紀委員が由美の首のところにケープを巻き始める。
「あぁ、待って!。待って下さい。」
由美はあわてて、首に巻かれようとするケープをさえぎった。
「この期に及んで、まだ言いたいことがあるのかしら。なんなの?。」
「だけど、だけど……更正カリキュラムは一週間くらいなんでしょ。だったら、髪まで変えなくたって……。この制服だけでじゅうぶんじゃないですか。」
自慢の髪まで変えられたくない一心で、必死に食い下がる由美。だがサエは冷ややかに首を振った。
「たとえ、一日であろうと何日であろうと、カリキュラム受講中は、心身ともに編入した学年児童とまったく同じ恰好をしてもらいます。」
そう告げると、サエはふたたび美雪たちに目配せした。
「あぁっ、待って。待って……。」
由美はあわてて、ケープをはずそうとしたが、
左右から両手をつかまれた。
「両手はのばして!。マニュキア塗ってるでしょう。今からおとします。」
マニュキアといっても、学校に行くわけだから、由美もひかえめなベージュ系を選んでいた。だがそれも許されないのか、風紀委員たちは、由美の貝殻のように透き通った爪に、除光液を塗りつけていく。その間に、別の者が由美の髪にスプレーを吹きつけ、湿らせていく。
 脱衣室は、にわか美容院の様相を示してきた。ただ美容院と違うところは、お客の前に鏡がないこと。そして、客の希望を一切、受け付けないところだろうか?。
「いやぁっ、何するのぉ……。」
いきなり吹きつけられたスプレーに、由美はたまらず叫び声をあげる。
「せっかくのソバージュだけど、パーマは禁止ですからね。これからおとします。」
「待って下さい。どうしても髪型を変えなければならないなら、美容院に行かせて下さい。」
「さっき読んだでしょ。カリキュラム受講者の髪型違反は、風紀委員が直すことになっています。」
「ひっ、ひどすぎます。違反と言われても、私はこんな規則があることすら、聞かされてなかったのに…。」
 かたくなな由美の態度に、しばらく様子を見守っていた相原さゆりが口をはさんだ。
「由美ちゃん、ちょっとの間の辛抱じゃないの。更正カリキュラムさえ終えれば、ちゃんと高等部3年に編入できるのよ。そしたら、また好きなヘアスタイルもできるし、おしゃれだって楽しめるわ。由美ちゃんの成績次第では、一週間どころか4、5日で高等部に編入できるかもよ。」
「だけど恥ずかしすぎます、こんな子どもみたいなヘアスタイル……。制服だって子どもっぽいのに。」
「由美ちゃん、心配しなくて大丈夫よ。うちの風紀委員の子たちは、美容科でひととおりの研修も受けているの。」
 さゆりの説明は嘘ではなかった。聖愛女子学園の高等部では、将来、美容師をめざす生徒のために、美容科というコースが設けられていた。また風紀委員の高校生は、規則違反の中等部生徒の髪を切ったり直せるよう、そのコースで基礎技術も身につけているのだ。
「だから、きっと可愛くしてくれるわ。」
 だが由美は、どうしても納得できなかった。
「やめて下さい。風紀委員と言っても、みんな髪、染めてるしパーマだってかけてるじゃないですか。」
 確かに高等部の風紀委員たちは、ケバケバしい茶髪の女生徒ばかりである。それに風紀委員長の美雪の化粧など、お世辞にも上品とは言えない。そのまま渋谷のセンター街でも歩けそうないでたちである。そんな女生徒たちに自慢の髪をいじられるのが、由美には耐えられなかった。
 だが由美の抗議にも、美雪ら風紀委員たちは動じる気配がまったく無い。しかしそれは、次のような理由があるからだった。
 高等部は中等部とちがい髪型も服装も自由なので、風紀委員でも、茶髪にしようが化粧をしようが問題ないのだ。言葉をかえれば、高等部の風紀委員の役目は、中等部生徒の風紀をきびしくチェックし、違反者を罰するためのものだったのである。
 しかも由美が驚いたのは、それだけではなかった。髪型に限らず、中等部生徒の生活指導はすべて、高等部の風紀委員たちにゆだねられていたのである。それは、先輩が後輩の面倒を見ることによって、博愛の精神を育む、という学園の方針によるものであった。また逆に、中等部生徒は高等部の先輩に対して、絶対服従を求められる。
「こうすることによって、中等部の児童は目上に服従する気持ちと、規則を守る尊さを学びます。これが聖愛女子学園の精神です。この精神を身につけた者だけが、高等部に進むことが許され、はじめて自由な学園生活を送ることができるのです。」
 ひとしきり、さゆりの説明が終わったところで、サエが憎々しげに、ひとこと付け加えた。
「わかった?。暴走族で好き勝手やってきたお嬢様には、まず中等部で当学園の精神を学んでもらいますからね。」

 さゆりにそこまで説明されてしまうと、由美はもう何も、反論できなかった。
 いやがる由美の髪に、パーマをおとす薬液が振りかけらた。ブラッシングによって、野性美あふれるソバージュ・ヘアが少しずつ伸ばされていく。ほどなくして、パーマをすべておとされてしまうと、そのまま彼女は脱衣室の隅の洗面台に連れていかれた。そこで風紀委員たちはストレートパーマの薬液を流しながら、美しく施された由美のメイクまで、いっしょに洗い落としてしまった。
「スッピンの由美ちゃんの顔も可愛いわ。」
「メイク落としたら、少し幼くなったわね。」
「ってゆーかぁ…、やっぱブスになっちゃったかもね。ハッハッハ……。」
女性としてのプライドを引き裂くような、同性の言葉。
「いっ、言わないで!」
おもわず耳をふさぐ由美。そんな由美のみじめな様子を、女生徒たちは明らかに面白がっていた。
「じゃあ、もうちょっと中学生らしくしてあげる。」
美雪は意地悪く口にすると、パーマをおとしたばかりの由美のロングヘアに、いきなり、どす黒いヘアカラーを塗りつけ始めた。
「やだっ、なにするの。」
驚きの声をあげる由美。
「さっき読んだでしょ。更正カリキュラムを受ける児童は、カラーリングも禁止よ。元にもどします。」
美雪はそう告げると、嫌がる由美を再びいすに座らせ、上品なダークブラウンに仕上げられた由美の髪を、まっ黒に染め直し始めた。
 それは実に奇妙な光景であった。幾人もの茶髪の女子生徒が、18才もすぎた女性の……大人の香りただよう美しい髪を、少しずつ、少しずつ、こどもっぽく変えようとしているのである。
「高等部編入の許可がおりるまでは、染めたりしちゃダメよ。」
美雪にさとされながら、濡れた髪をドライヤーで乾かされるころには、由美の髪の持ち味だった野性美はすっかり消されてしまい、おまけに黒く染め戻されてしまったためため、軽やかさもなくなってしまっていた。
「フフフ…。せっかくの美しい髪だったのにねぇ。残念ね。」
「ひっ、ひどい……。」
由美は口惜しさのあまり、それ以上言葉が出なかった。それは自慢のロングヘアを、ただ台無しにされてしまったからだけではなかった。自分と同い歳の、それも茶髪の女生徒たちの手によって、変えられてしまったという屈辱感の方が大きかった。

 だが涙をこらえ、じっと唇を噛みしめる由美に、追い打ちをかけるようにサエの声が耳元で響いた。
「ずいぶん野暮ったくなったわ。じゃあ前髪も整えましょう。動かないで!。」
由美はビクッとした。いつのまにか、風紀委員長の今井美雪が、裁ちばさみを手にしているではないか。
「えぇっ…うそっ、うそぉぉ…。まさか、ほっ本当に、あたしの髪を……。」
由美は可哀想なくらい、動転していた。
「心配しないで。前髪だけ校則どおりに、切り揃えるだけだから。」
美雪は微笑みながら、はさみをカシャカシャいわせる。その金属音が、由美の惨めな気持ちを、ますます逆なでする。
「いっ、いや!。髪を切るなんて……」
由美は叫んで、あわてて椅子から立ち上がろうとした。が、幾人かの風紀委員に肩をつかまれ、椅子に押しとどめられる。
「気持ちは分かるけどねぇ…、規則だからね。」
「待って!。待って下さい。」
由美は狼狽しながら、哀願する。
「だって、だって…一週間もしたら高等部に編入できるんでしょう。切ったら元にもどせなくなるぅ……。」
「前髪だけはあきらめなさい。あなたが卒業する頃には目立たなくなっているし、いいじゃないの。」
「だけど……。」
諦めきれない由美に、保険医の相原さゆりが
ふたたび切り札を出した。
「由美ちゃん。前髪を切らない以上、校則を守れない児童とみなされて、いつまでたっても高等部の編入許可がおりないわよ。18才になるというのに、いつまでたっても中学1年生のままで、由美ちゃんはいいのかしら。」
「…………。」
答えられない由美に、美雪が意地悪く言い添える。
「相原先生、もしかして由美ちゃんは、ずーと中学1年生のまま、この学園に残りたいのかもしれませんよ。」
「じょっ…、冗談じゃないわ!」
由美は動転して叫ぶ。
「じゃあ、いい子にして、じっとしてなさいよ。」
 美雪はこどもに言い聞かせるように命じると、由美の長い前髪に櫛をとおし、前にまっすぐたらしていく。さらさらした髪が視界をさえぎり、由美は前が見えなくなってしまった。
 櫛の動きが止まったと同時に、由美の額になにか冷たい、金属のようなものが触れた。それがはさみの刃の部分であると気づくのに、そんなに時間はかからなかった。冷たい金属の感触に、由美は足元まで鳥肌をたてる。
「いっ、いやですぅ…。あたしの髪を切らないでぇ……。」
由美はせめてもの抵抗に、かぶりを振ろうとするが、側頭を左右から押さえつけられる。
「動かないで!。刃先が額にささってもいいの!」
由美のはかなき抵抗をやめさせるには、このひとことで十分であった。
「オン・ザ・眉毛ぇぇぇ、イエーイ!」
女生徒たちの歓声があがる。そして歓声が消えかかった、次の瞬間であった。
 由美の耳元にザクッと、にぶい音が響いた。それとともに、一束の前髪が彼女の体から離れていく。とたんに閉ざされていた視界の左半分が明るく開け、由美の左目には鋏を持って自分の前に立つ、美雪のミニスカートが写った。美雪が手にした鋏は、まず由美の前髪の左半分を、ザックリ断ち切ったのだ。
(あぁぁ、わたしの髪が……、それも、自分と同じ歳の生徒に……)
 由美はうつろな目で、切り落とされた自髪の行く末を追った。切り落とされた髪は、ケープのなめらかな表面を、すべり台のように落ちていった。そして上履き用に無理やり履かされた、こどもっぽいバレーシューズの甲部に、かろうじて引っ掛かっている。
 一度切り落とされた髪は、二度と戻ってこない。あきらめの心境と、同い歳の女生徒に髪を切られるくやしさで、由美は涙が込み上げてきそうになった。
 しかし、そんな由美の気持ちをあざ笑うかのように、今度は右眉毛の上あたりに冷たい金属が触れた。美雪がはさみの刃の一方を、由美の右ひたいに当てたのである。それも刃の感触からすると、眉毛よりずいぶん上のあたりだ。
「由美ちゃんはきれいなお肌しているから、おでこもたくさん見えるようにしてあげましょうね。」
「そっ、そんなぁぁ……」
由美が言い終わらぬうちに、ハサミの柄に力が加えられていく。今度は先ほどと違い、少しずつ二つの刃を噛み合わせながら、ゆっくりとゆっくりと、前髪の右半分を断ち切っていく。
パサパサッ…、パサパサッ…。
 額の真ん中あたりの髪から、由美と決別していく。さらにハサミの刃の移動とともに、右目の上あたりの髪も、由美の鼻筋と唇をかすめて、静かに由美の体から離れていく。
パサパサッ、パサパサッ…。
「ほらほら、じっとしてないとラインがゆがんじゃうわよ。」
 由美のサラサラした髪に、じわじわとハサミが食い込む音が続く。それと同時に、まるでスクリーンの幕が開くかのように、由美の視界の右半分も、右目のこめかみの方向に向けて少しずつ開けていく。
 どうせ切るのなら、ひと思いに切られた方が、どれだけ諦めがつくことだろう。だが美雪はわざと少しずつ、少しずつ、由美の前髪を切り落としていく。そうすることによって、髪を切られる惨めさを、たっぷり由美に味わせようとしているのだ。由美は動くこともできず、ただくやしさを心の中で噛みしめるしか、なすすべはなかった。
 ハサミが由美の眉の上を切り進むにつれ、
由美の目の前に、髪で覆われ見えなかった視界が見え始めた。彼女の目の前には、プリーツ・ミニスカートに、今風の制服ファッションに身を包んだ、美雪ら高3の生徒たちの足元が写った。
 その風紀委員の女生徒たちの間からは、由美の髪が切り進むうちに、クックックッ…と押し殺しような笑いが聞こえてくる。
(なにが、そんなにおかしいの?……。そんなにへんな頭にされてるのかしら?)
鏡もないため、自分のヘアスタイルが確かめられない由美は、彼女たちの笑い声に言いしれぬ不安をつのらせる。
 やがて美雪の手にしたハサミは、ついに由美の右こめかみの上にまで達した。ザクッ…、刃先にかかった最後のひとふさの前髪が、ケープの上をすべり落ちていく。由美の頬に、東北の冷たい空気がじかに触れた瞬間、今日までやさしく撫でてくれた前髪が、本当に無くなってしまったことを由美は悟った。
「あぁ…、あたしの髪……。」
 由美の胸の中に、無情の悲しみが込み上げてくる。ふつうの生徒だったら、とうに泣き出していたことだろう。それでも、涙が込み上げてきそうになるのを堪えられたのは、彼女の気の強さと、大人としてのプライドがあったからだ。
 その後、前髪のラインが一直線になるよう、さらにハサミが加えられ、結局、由美の前髪は眉の上3センチのところで、幼女のように切り揃えられた。

 だが、これで終わったわけではなかった。
「ずいぶん可愛らしくなったわ。じゃあ、後ろと横も、校則どおり三つ編みにしてあげて。」
由美は愕然とした。
「お願いです。せめてポニーテイルじゃいけませんか。」
由美が以前いた高校も規則はうるさかったが、肩より長い髪はポニーテイルで許されていた。だいいち、前髪を童女のように眉のはるか上で切りそろえられた上に、おさげ髪では、とても18才の女性がするヘアスタイルとは思えない。
 しかし風紀委員たちは、そんな由美の願いを鼻で笑うと、彼女の髪に櫛をとおしはじめた。
「何歳だろうと、中等部に在籍の間は三つ編みよ。」
美雪は櫛の柄も器用に使って、ソバージュもおとされ、地味くさい印象になった由美の髪を、真ん中から分けていく。
「それに私ね、あなたのような大人っぽい子、三つ編み頭にしてみたかったの。」
「三つ編みなんてイヤ…、恥ずかしすぎます。私、もう18も過ぎてるのに……。」
「あら、制服だってこんな可愛らしいの着てるんだから案外、似合うかもよ。フフフ…。」
美雪ら風紀委員はあざ笑いながら、由美の背後に立ち、左右に分けられた髪の束を手にとった。
 黒く染め戻されたとは言え、サラサラした由美の髪が、今度は少しずつ、幼女のようなお下げ髪に変えられていく。二人の風紀委員は、左右の髪の束をそれぞれ手慣れた様子で、耳の後ろあたりから順番に編み込んでいく。その手つきは、これまでもかなり多くの女生徒の髪を、三つ編みに結んだことを物語っていた。
 まもなく由美の柔らかな髪は、その先端まで、お下げ髪に編みあげられた。
「ほーら、だいぶ幼い感じになってきた。」
「うふふ…、じゃあ最後の仕上げね。」
二人の風気委員は手を休めるこなく、今度は大きな輪を作るかのように、左右のお下げ髪の先端を、耳元のところまでもっていき、赤いリボンでゆわき始めた。
「中等部の1年生は、三つ編みでこのようにリングを作る決まりになってるの。」
「あぁ、やめて…。恥ずかしい……。」
「でも、こうすれば誰が1年生だか、一目でわかるでしょう。」
 ほどなくして脱衣室には、左右の耳元をお下げ髪の輪と赤いリボンで飾られた、不思議な中学一年生が誕生した。
「三つ編みも勝手にほどいたりすると、校則を守れない児童とみなされて、いつまでたっても高等部の編入許可がおりないからね。気をつけるように。」
 美雪はそう告げると、あまりの惨めさにうつむく由美を、立ちあがらせた。そして驚くことを命じたのである。
「さぁ、終わったんだから、さっさと足元の髪、捨てちまいな。」
「…………。」
唖然として答えられないでいる由美に、美雪が意地悪く言い添える。
「先輩の言うこと、聞けないのかしら。」
「せっ、先輩って言ったって……。」
「あなたは今日から中学一年生なの。これからは、口のきき方も注意するように。」
「そんな……、同じ歳なのに……。」
あまりに理不尽な要求に、由美は言葉をつまらせる。
「何度も言ってるでしょう。カリキュラム中は、補講を受ける学年の児童として扱われるの。あなたはもう、高3じゃないのよ。」
「ひどい……。」
くやしげな表情を浮かべる由美に、別の風紀委員が言い寄る。
「だいたいあなた、髪を直してもらって御礼のひとつくらい、言えないかしら。」
「さっ、言ってもらおうじゃないの。『前髪を刈っていただき、ありがとうございました』って。」
他の女生徒たちも由美を取り囲みだした。
「さぁ、早く言いなさいよ。」
口々にののしりだす。
「待って…、待ってください。勝手に中学に編入させておいて…、その上……」
「まだ、そんなこと言ってる。それはあなたの為を思っての、先生方のはからいでしょう。」
今井美雪はやれやれというように、溜め息まじりに二人の教諭の方を振り返った。
「岩松先生、この子ダメみたいですね。これでは一週間どころか一年くらい留年させて、中学生として徹底的に根性を叩き直した方がいいかもしれません。」
留年?!。その言葉に由美はギクッとした。
(冗談じゃない。こんな学園にいつまでもいれるものか!)
ここは嘘でもいいから、とにかく服従の態度をみせるしかないことを、由美は悟った。
 しばしの重い沈黙のあと、由美はふるえる声で、風紀委員から命ぜられた言葉を口にした。
「まっ…前髪を……切って…いただき……」
「なによ、蚊の鳴くような声で。もっと大きな声、出しな。それから“切る”じゃなくて“刈る”。間違えるな!」
急な軍隊調の叱責に、由美は顔を赤らめ、必死に口にする。
「前髪を刈っていただき…、ありがとうございました。」
「まだまだァ!。声が小さい!」
「前髪を刈っていただき、ありがとうございましたァ!。」
何度も繰り返し、唱えさせられる由美。
(なんでこんなことまで、言わされなきゃいけないの。)
ふたたび由美の胸に、情けなさが込み上げてくる。

 だが由美の髪にたいするいたぶりは、まだ終わらなかった。今度は箒とチリ取りが、由美の手に渡されたのである。
「自分の髪くらい、自分でかたづけな。」
 嗚呼…、彼女たちはどこまで、由美にみじめさを与えれば、気が済むのだろう。由美は、足元の床に散らばった自分の前髪を、破棄するよう命ぜられた。
 こんな残酷なことがあるだろうか。命の次に大事な髪を切られた上、その髪を、自らの手でゴミ箱に捨てさせるのである。つい先ほどまで、由美の頬をやさしく包んでいた前髪。そして無惨に切り落とされた前髪を、由美はくやしさを噛みしめながら、掃き集めねばならなかった。
 かつては、恋人のオートバイにまたがる由美とともに、風になびいていた彼女の前髪は、床のほこりと混ざり合い、由美自身の手でチリ取りの上に乗せられた。
 脱衣室の隅のゴミ箱に、切り落とされた前髪を由美が捨て去るのを見届けると、サエは満足げに口を開いた。
「さぁ、由美さん。これで吹っ切れたでしょう。今日から新しい生活が始まるのよ。」
サエの言葉に続き、これまで命令口調だった風紀委員の女生徒たちも、打って変わったように、晴れ晴れとした口調で、
「由美ちゃん。中等部編入、おめでとう。」
「由美ちゃん、あしたから頑張ってね。」
「早く高等部でいっしょに勉強しようね。」
口々に声をかける。だがその声が、高校3年からいきなり中学1年生にさせられた由美の、境遇をあざけるためのものであることは、明らかであった。
「さあ、由美さん。あなたもご自分の新しい姿、鏡でご覧なさい。」
保険医の相原さゆりが、隅の方に立てかけてあった姿見を、由美の前に引っぱり出してきた。実はこれまで姿見を由美のそばに置かなかったのは、鏡を見た由美が着せ替えに抵抗しないように、という配慮からであった。むしろ、すべてが終わったところで変わり果てた自分の姿を一気に見せた方が、大きなショック与えられるということを、さゆりは計算していたのである。
「これが今日からの、あなたのスタイルよ。
 気に入ってくれたかな?」
さゆりの呼びかけを待っていたかのように、風紀委員の女生徒たちも、前もってしめし合わせていたのだろうか。声をそろえて、軽薄な歓声をあげる。
「ほーら、おてんば由美ちゃんのできあがり!。イエーイ!。」
そして歓声とともに、由美に姿見がむけられる。
 次の瞬間、鏡に全身写し出された自らの姿に、茫然と見入る由美。
「アァァ……!」
由美は思わず息をのんだきり、二の句がつげなかった。覚悟はしていたが、こんな姿に変えられていたとは。
 もちろん由美も着替えの時、丸襟ブラウスや吊りスカートは目にしていたから、こどもっぽいデザインの制服であることはわかっていた。だが、こうやっていざ、全身を鏡に写し出されると、想像していた以上に幼き姿の自分に、由美は卒倒しそうになった。それくらい鏡に写された由美の姿からは、大人の面影はすっかり消されていた。
 鏡の中には一人の、あどけない少女が写し出されていた。
「こっ…、これが……、あ…た…し…?」
鏡の中の少女が由美であることを否定するかのように、由美は頬に両手をあて、弱々しくかぶりをふる。しかし、鏡の中の少女も同じ動作を繰り返す。
「うそだぁ…、あたしじゃない……、あたしじゃない…。」
うわごとのように繰り返す由美。
 ついに由美の目から、一粒の涙がこぼれ落ちた。それは、先ほどのいまわしい性器検査を受けた時すら、流さなかった涙であった。それくらい由美にとって、こどもと同等の扱いを受けることは、筆舌にも耐え難いことであったのだ。
 由美は、心の中で、大人としてのプライドが、音を立てて崩れていくのを感じた。だがそれは、鏡に写る我が姿を見せつけられた今、無理からぬことであった。丸襟ブラウスに紺の吊りスカート。厚ぼったい肌色タイツに、重ね履きさせられた白の三つ折りソックス。これだけでも、中学一年生の雰囲気を演出するのに、じゅうぶんすぎるほどのアイテムである。
 おまけに肌色タイツは分厚い生地のため、いくら引っぱってもすぐにたるんでしまう。そのため両足とも膝頭の部分には、みっともないシワまでよってしまい、まるで子供のような履きざまとなってしまっていた。そればかしかこの分厚いタイツは、ほっそりした由美の脚のラインを太めに見せ、少女っぽい三つ折りソックスは、由美の締まった足首をすっぽり覆い隠してしまっている。さらに上履きとして履かされた、つま先を赤く塗られたバンドバレーシューズが、より一層、こどもっぽさを強調している。
 おまけに服装だけでなく化粧をおとされ、ヘアスタイルまで強制的に直された由美は、
すっかり田舎の中学生のような、野暮ったい容姿にされてしまっていた。いや、今時どこの田舎でも、こんな格好をさせる中学校は少ないのではないか。むしろ小学校の女子児童が着るような制服に、近いかもとれない。
 しかしただ一箇所だけ、大人であった頃の由美の面影を残している部分があった。それは皮肉にも、細く剃られた眉毛であった。だがせっかくの、すっきりと整えられた眉毛のラインも、幼女っぽく眉のはるか上で切り揃えられた前髪とあいまっては、大人らしい雰囲気どころか、場違いな印象にしかならなかった。
 だがその違和感は、好意的に見れば、あたかもちっちゃな女の子が母親のまねをして、幼顔に口元だけ口紅を塗りたくったような、微笑ましい違和感でもあった。
「ホッホッホ、東京のバイク仲間に今のあなたの姿、見せてあげたいわね。」
「本当!、なんて言うかしら。ハッハッハ」
「いっ…イヤぁ……。こんな格好……。」
女生徒たちの嘲笑に、由美は耳まで朱色に染め、力なくかぶりを振る。
「だれか写真撮って、送ってあげたら?」
風紀委員の一人が、冗談でほのめかす。
 だがサエは、女生徒が何気なく口にしたその一言を、たんなる冗談とは受け取らなかったようだ。
「あら、いい提案だわ。寮に入る児童の親元には月に一度、学園生活の様子を報告しなけりゃならないの。ちょうどよかったわ。」
満足そうにうなづくと、生徒の一人にカメラを取りに行くよう命じた。
「あぁ、よして…。恥ずかしすぎます。こんな姿、だれにも見られたくない……。」
顔を赤らめうつむく由美。だがサエは意地悪そうな微笑みを浮かべ、首を静かに横に振った。
「由美ちゃんが中等部で一生懸命、更正に励んでいる姿を送ってあげれば、ご両親もお喜びになってよ。」
「いや!、やめて……」
「岩松先生のおっしゃるとおりですよ。あと、由美さんが退学になったK女子校のクラスにも、送っといてあげましょう。暴走族でツッパってた由美ちゃんは、こんなによい子になりましたってね。」
「ひっ、お願いっ!。それだけは…、それだけは堪忍して!…。」
赤く染まっていた由美の顔から、みるみる血の気が引いていった。
「お願いですぅ、勘弁して下さい。こんなみっともない格好、東京の友達が見たら馬鹿にされちゃいますぅ……。」
由美が必死に哀願するのも無理はない。
なぜなら、バイクも乗りこなす活動的な彼女は、以前いたK女子校のクラスメイトからも、一目置かれる存在だったからだ。
黒い革ジャンパーに身を包み、ソバージュのかかったロングヘアを風になびかせ、疾走する由美の勇姿。また高校生とは思えない、均整のとれたプロポーションや、大人っぽいファッションセンスは、とかく背伸びしたい年頃の女生徒たちにとっては、羨望の的だった。
 そんな由美が、今や東北の地で、こどものような制服を着せられ、お下げ髪にされたみっともない姿など、誰が信じられようか。
 ましてや、そんな格好をした高校卒業まぢかの女性が、中学一年生のクラスに入れられ、いっしょに勉強させられている光景なぞ、東京のクラスメイトたちが見たら、いったいなんと言うだろうか。想像しただけで、由美の胸は、羞恥で張り裂けそうであった。
 だが、由美の切なる思いは、聖愛女子学園の教諭たちには受け入れられなかった。
「あらまぁ、みっともないなんて聞き捨てならないわね。こんな可愛らしい中等部の制服を…。」
「だって、だって…恥ずかしすぎます。こんな制服……。友達に笑われてしまいます。あたし、もう東京に戻れなくなってしまう……。」
 由美がそう答えた時であった。不気味なほど静かなさゆりの声が、由美の背後から届いた。
「あら、由美さんが恥ずかしくて戻れないのなら、いつまでも、うちの学園に残ってもらってもいいのよ。」
「…そっ、そんなぁぁ……。」
冗談じゃない、だれがこんな女だけの気持ち悪い学校に、いつまでもいるものか。由美は心の中で、吐き捨てるように叫んだ。4ヶ月で高校卒業の資格が得られるから、ということで彼女はあえてこの学園に編入したのだから、そう思うのも当然である。
 だが、さゆりの口から返ってきたのは、由美にとって意外な言葉だった。
「由美さん。あなた、今はそう言ってるけどねぇ。いつか、涙を流しながら『中学生の制服を着せて下さい』と、自分からお願いする日がくるかもよ。フフ…。」
「そうそう。それに、いずれ由美さん自身が、我が聖愛女子学園に残りたいと思うようになりますわ。ホッホッホ……。」
さゆりに続き、サエの高らかな笑い声が由美の耳に届いた。
 二人の教諭の笑い声には、これまで垣間見せたことのない淫靡な響きが感じられた。実を言うと彼女らの言葉には、由美の未来をほのめかす、重要な暗示が含まれていたのだ。
 だが、恥ずかしさで頭がいっぱいの由美には、彼女らの微妙なトーンの変化に気がつかなかった。
(何を言ってるのかしら、この人たち。そんなこと、私がお願いするはずないじゃない。)
由美は心の中で、強く叫んでいた。その時の由美には、二人の教諭の言葉に隠された恐ろしい秘密なぞ、知る由もなかった。


8 自己紹介

 由美がこの聖愛女子学園に来てから、まだ3時間ほどしか経っていなかった。しかしその3時間の間に、由美は、彼女自身が思い描いていた学園生活が、目の前からだんだん遠ざかっていくような気がした。
 ほどなくして、デジタルカメラを手にした女生徒が戻ってきた。
「さあ、せっかく着替えも終わったことだし、生まれ変わった由美ちゃんの姿を記念撮影しておきましょう。」
「いや!、やめて…。こんな姿、撮られたくない……。」
由美はあわてて手で顔を隠そうとするが、風紀委員たちに制せられた。
「ほらほら、涙をふかないと、泣き虫由美ちゃんのお顔が撮られちょうよぉ。」
一人の女生徒が、涙で濡れた由美の目頭をハンカチで拭う。
「由美ちゃん。スマイル、スマイル…。」
「ほらっ、お顔あげて。」
風紀委員たちは面白がって、撮られまいとうつむく由美に、次々に声をかける。
「こっち向けって言ってるでしょ!。」
抵抗を続ける由美に業を煮やしたのか、美雪は由美の左右に編まれた三つ編み髪をつかむと、強引にカメラの方を向けさせた。
 フラッシュの閃光が、何度か脱衣室の中に走る。
「ホホ…、うまく撮れたわ。さっそくあなたのご両親と、K女子校のクラスに送っておくわ。」
「あぁーん、ひどい…。あたし、東京に帰れない…。」
「あら、なんならずうっと、うちの学園に残ってもいいのよ。」
(なに言ってるの。冗談じゃないわ!)
美雪の意地悪な返答にむっとしながら、由美は無言のまま、あわてて首を横に振る。
様子を見ていたさゆりが、やさしく言い寄った。
「18才にもなる由美ちゃんには、これからの中学校生活、ちょっと恥ずかしいかもしれないよね。でもこの恥ずかしさをバネに、しばらく頑張ってほしいの。あなた次第で一週間もすれば高等部の編入が認められるわ。」
「本当ですか?」
「もちろんですとも。あなたが心身共に更正したことを、認められればね。場合によっては4、5日で高校編入が許可される子だっているわ。」
「ということは、本当に4、5日でこのカリキュラムは終えられるんですね。」
由美は一輪の望みをたくして、念を押すようにたずねた。
「えぇ、もちろんですとも。由美さんが懸命に“頑張りさえ”すればね。」
さゆりは、“頑張りさえ”という言葉だけ、意味深げにゆっくりと口にした。由美はさゆりの返答に、なにか不吉なものを感じた。それゆえ、カリキュラムについてもっと詳しくさゆりに尋ねようとしたが、それはサエの声によってさえぎられた。
「さっ、由美ちゃん。これから中等部の校舎にご案内するわ。ちょうどお昼だし、全校児童が食堂に集まっているから、そこで由美ちゃんを紹介することになっていますからね。」

 由美たちが保健室を後にした頃には、日はすっかり高くなっていた。いかにも東北の晩秋らしい、柔らかな太陽の日差しが、中等部校舎に続く渡り廊下を、暖かく照らしている。
黄色く紅葉した落ち葉が、無機質なコンクリートの廊下に、彩りを添えていた。その渡り廊下を、由美は二人の教諭や風紀委員の女生徒に連れられて、中等部の校舎へと向かっていった。
 中等部校舎は、瀟洒な高等部校舎に比べ年数もたっているせいか、少し暗い印象の建物であった。由美たちは校舎内に入ったが、昼食時のためか、中学生の姿は一人も見あたらなかった。サエの説明によると、中等部では全学年生徒が食堂に集まり、昼食をとるとのことだった。
「だから、みんなに由美ちゃんを紹介するのには、ちょうどいい時間ってわけよ。」
サエがそう説明を締めくくった時、由美たちは廊下の奥まったところにある、食堂の前に到着した。
「さっ、お入りなさい。」
薄緑色の観音開きの扉を開くと、サエは躊躇する由美の背中を軽く押した。
 由美の目に、広い食堂で食事をとっている中学生たちの姿が、飛びこんできた。
その数は、だいたい六百人くらいだろうか。
整然と並べられた幾つもの長テーブルに、生徒たちは向かい合わせに座らされ、黙々と口を動かしている。皆、由美と同じ丸襟ブラウスに吊りスカート姿だ。ここまできて由美は、自分が着せられた衣装が、本当に中学生の制服であることを、改めて実感せねばならなかった。
 食堂はかなりのスペースなのだが、奇妙なことに誰一人、私語を口にするものもおらず、箸と食器がふれあう音のみ由美の耳に届いていた。おそらく、食事中の会話は禁じられているのだろう。
 だが、扉の開いた音で、そばにいた中学生たちが由美たちに気がつくと、ざわめきが起こりだした。そのざわめきにつられ、食堂内の全中学生の視線が、風紀委員たちと由美に向けられた。
 由美を全生徒に紹介するため、風紀委員たちは、彼女を食堂正面に設けられた演台へと案内した。由美が壇上に近づくにつれ、中学生たちのざわめきは食堂全体に広がり、同時にクスクスという笑い声も混じり始めた。もちろん、そのざわめきや笑いが、由美に向けられたものであるのは疑う余地がなかった。
 その証拠に、中学生が食事している長テーブルの合間を由美が通り抜けるたび、ひそひそ声が左右から聞こえてくる。
「ねぇねぇ、あの子…、ホントに中学生?」
「ちがうよ。東京から来た編入生よ。朝はすごくカッコいい服着てたよ。」
「本当は高校3年らしいわ。」
「ちょっとマジ?。じゃあなんで、中学生の制服、着せられてるの。」
「もしかして、例のカリキュラム受けるからじゃない?」
「えぇ、本当?。……だったら笑えるぅ。」
 前後左右から聞こえてくる、中学生たちの様々な驚きや嘲りの言葉に、由美の顔はふたたび、みるみる赤く染まっていく。しかも嘲りのざわめき声は、由美が前方の演台に進むにつれ、ますます大きくなっていった。
「あの子、さっきまで茶髪だったよ。パーマもかけてたし…」
「キャッ、みじめー。ヘアスタイルまで私たちといっしょにされちゃったのね。」
「いったい何年生に入れられるのかしら。」
「あの髪型からすると中学1年じゃない。」
「ウッソォー、高3なのに…?」
「恥ずかしくないのかしら。高校生なのにあんな格好させられて…。」
 由美がサエに連れられ演台に上がったころには、年齢と似つかわしくない彼女の姿に、食堂内にいたるところから、クスクスと押し殺したような笑い声が広がっていた。由美は、とてもテーブルに座っている中学生たちを正視できず、もじもじと、うつむいてしまった。その姿がなおのこと、幼く写ったのだろう。ますます中学生たちの失笑を、買うことになってしまった。
 だが生徒たちの嘲笑やざわめきも、マイクの前に立ったサエの一喝で、ようやく終止符が打たれた。
「いい加減、静かになさい!。」
とたんに食堂内は、水をうったように静けさを取り戻した。女生徒たちは、サエを怒らした時の恐ろしさを熟知しているようであった。
「では、これから皆さんにご紹介します。我が聖愛女子学園の中等部に、特別編入することになりました梓由美さんです。」
サエは横の黒板に、由美の名字、名前を生徒たちに見えるように板書きしながら、話を続けた。
「由美さんは、東京のK女子高校から転校してきました。18才ですから、本来は高校3年のクラスに編入し、来春には卒業する予定です。…ですが、みなさんもご存じのとおり、当学園には、中等部から高等部卒業までの6年間に学ばねばならない、独自の教育課程があります。」
 ここでサエは同意を求めるかのように、女生徒たちを見渡した。大多数の女生徒たちが、軽くうなずく。サエは一息つくと、さらに話を続けた。
「たとえ途中編入の児童でも、卒業するためには、その独自の教育課程も学んでもらわねばなりません。そこで由美さんには、高校3年の編入に先だって、中等部の1年2組のクラスに一時編入して、補習を受けてもらうことになりました。みなさん、仲良くしてあげてね。」
 全中学生の前で、自分の本当の年齢や、中学一年に編入させられることを告知されたのは、筆舌にも耐え難いほど恥ずかしいことであった。ただ唯一の救いは、由美がもと暴走族の一員だったこと、それが原因で退学となりこの学園に転校してきたことを、サエが口にしなかったことだろう。
 だが、由美がホッとしたのも、ほんのつかの間だった。ここで、思いもよらないことを由美は命じられたのである。
「では由美さんから、中等部児童の皆さんに挨拶をしていただきましょう。」
サエは突然そう言い残して、自分の話を締めくくったのである。
 いきなり話を振られた由美は、すっかり舞い上がってしまった。無理もない。由美は、中学生の制服を着せられたみっともない姿を、本当の中学生の前にさらしているだけで、今にも消え入りたい気持ちで一杯なのである。だいいち、皆の前で挨拶をするなど、一言も聞かされていなかった。
 しかも、食堂中に広がった自分へのざわめきと嘲笑に、彼女はかなり動揺していた。とてもではないが、大勢の中学生の前で、口を開けられる余裕なぞなかった。それをわかっていながら、サエはわざと由美に挨拶を振ったのである。
「さっ、由美さん。どうぞ…。」
サエはにこやかに、マイクを由美に渡した。
その笑顔は、まるで由美の困惑ぶりを楽しんでいるかのようであった。
「えっ…、あのぉ…私…、困ります。」
由美はあわてて首を振った。
「あら、由美ちゃんは今日から、中等部の皆さんとお勉強するんでしょう。ご挨拶くらいするのは常識ですよ。それとも由美ちゃんは高校3年生にもなって、挨拶一つできないのかなぁ。それじゃあ、中学生どころか小学生といっちょでチュよ。」
 幼児に向かってしゃべるような口調で、サエは由美をたしなめる。サエのおどけた仕草はマイクを通じ、食堂内の女生徒たちの耳にも届いたため、どっと笑いが起こった。大勢の中学生の前で、女児が母親に叱られるように注意された由美は、耳まで真っ赤に染めあがった。
「さっ、早く!。」
サエにせかされ、由美は冷や汗をひたいに浮かべながら、マイクの前に立った。
「……みっ、みなさん…、梓由美です。…はじめまして…」
自分より年下の中学生の前で、幼児扱いされた恥ずかしさに、普通なら話せることも思うようにしゃべれない。それきり、挨拶はつっかえてしまった。
 たどたどしい由美の挨拶に、中学生の間から再びどっと笑いがおこる。なかには『カワイイ!』と歓声をあげる女生徒までいた。由美にとって、はるか年下の中学生にカワイイ、と言われるほど屈辱的なことはなかった。由美はもう、この場から一目散に逃げ出したい衝動にかられた。
 由美の狼狽ぶりに見るに見かねたのか、中学生たちに聞こえないよう、サエが耳元でささやいた。
「由美さん、これは式典なのよ。挨拶くらいしっかりやらないと……。」
「すっ、すみません。」
由美は消え入るような声で、答えた。
「仕方ないわね。じゃあ、あなたみたいな子のために挨拶文用意しといたから、これを読みなさい。」
サエはそうささやくと、小さな紙切れを、そっと由美に手渡した。じつは彼女は、由美がそうなることを予測して、あらかじめ挨拶文を用意しておいたのだ。
 由美はおずおずと、紙切れに書かれた文を読み上げはじめた。
『中等部のみなさん、初めまして。東京から転校してきた梓由美と申します。私は高校3年生ですが……。』
ここまで読みかけて、由美はゴクンと生唾を飲み込んだ。続く文章がなかなか口にできなかったのである。
 サエが、型どおりの挨拶だからとにかく読んでしまいなさい、と背中をこづく。由美の声は、かすかにふるえていた。
『……私は高校3年生ですが、自分の欠けた部分をもう一度見つめ直し、聖愛女子学園の規律を身につけるため、しばらくの間、中等部の一年生にもどって学び直します。また聖愛女子学園の一児童として、愛校心をもって、日々の勉強と中学生生活に励みたいと思います。今日からは……』
 ここまで読み上げて、また由美の声が途切れてしまった。女子中学生たちは、何事がおこったのかと顔を見合わせながら、ざわざわし始める。
 よく見ると、由美の顔はびっくりするくらい紅潮していた。どうやらその原因は、これから由美が読もうとしている文章にあるようだった。
 サエがふたたび背中をこづくが、今度は由美もすぐに声を出せなかった。三度目にこづかれた時、やっと由美の可憐な唇が動いた。
『……今日からは先生方、2年生以上の先輩方、高等部のおねえさま方のおっしゃることをよく聞き、よい子になるよう頑張ります。よろしくご指導ください。』
 どう考えても、18才になる女性が述べるにはあまりに不似合いな、かわいらしい挨拶文であった。中学生の中には、由美の歳にそぐわない挨拶に、思わず吹き出す女生徒までいた。
 なりゆき上とは言え、あまりに理不尽な台詞を読まされた由美は、中学生たちの拍手と笑い声に送られ演台を離れた後も、情けなさのあまり目から涙がこぼれそうであった。どうして高校3年になるはずの自分が、中学2年以上の生徒を先輩と呼ばねばならないのか。自分と同世代の高校生をおねえさま、と呼ばねばならないのか。
 しかし、これもサエのもくろみであった。これから中学校に入学する小学生が、読むような台詞を由美に述べさせ、こどもとして扱われる屈辱感を与えようとしたのだ。そのもくろみは、みごとに図に当たった。
「……もう、イヤ…。あたし、18才になるというのに…こんな……。」
演台から降りたとたん、由美は両手で顔を覆い、その場にしゃがみこんでしまった。だが、風紀委員たちはおかまいなしのようだ。
「ほらほら、由美ちゃん。そんなことしてると、また中学生に笑われますよ。」
「さっ、由美ちゃん、立って立って…。おなかすいたでしょう。テーブルに案内するわ。」

 風紀委員たちは、今日から由美が編入する1年2組の中学生たちが座るテーブルへ、導いた。そこには由美のために、席と昼食が用意されていた。
 由美が椅子に座らされたとたん、たくさんの好奇心に満ちた視線が、いっせいに彼女に集まった。
 テーブルの一年生たちは、由美が無理やり着せられたのと同じ、丸襟ブラウスに吊りスカートの制服姿であった。しかも全員が左右のお下げ髪をたらさずに、愛らしく耳元で丸く結んでいるのも、由美と同じだった。一年生は三つ編みをそのように結ばねばならないという規則は、どうやら本当らしい。
(あたし、本当に中学1年のクラスに、入れられてしまったんだ……。)
自分と同じ制服を着せられた、まだあどけなさの残る女子中学生たちを目の前にして、由美は本当に自分が中学一年生にさせられてしまったことを実感させられた。
 由美の前のテーブルにはハンバーグ、チキンライス、ミルク、そしてデザートのフルーツポンチなど、いかにも子どもが好きそうな献立が用意されていた。それもかなりの量である。しかし込み上げてくるみじめさに、由美はとてもではないが、食事が喉をとおらない。
「あら、お箸がすすまないみたいね。どこか体の具合、悪いのかしら。」
髪をポニーティルにまとめ、グレーのジャケットを身にまとった女性が、由美の顔をのぞきこんだ。
 その女性は、由美がこの学園に来て、はじめて見る顔であった。歳は20代後半から30代前半くらいであろうか。切れ長な目が印象的であった。膝上丈のタイトスカートからのびた、黒いタイツに包まれた脚がなまめかしい。
「 わたしは佐々木佳江。あなたが編入する中等部1年2組の担任です。よろしくね。」
佳江はにっこり微笑むと、由美に奇異の視線をなげかけている中学生たちへ振り返り、一喝した。
「あなたたち、食事はすんだの。いい加減、由美さんをじろじろ見つめるはおやめなさい。失礼ですよ。」
佳江の剣幕に、女生徒たちはあわてて由美から目をそらし、めいめい口を動かし始めた。
「あなたのことは学園長から聞いてます。思ったより大人っぽい子ね。なかなか面倒みがいがありそうだわ……。」
 そこまで言いかけると、佳江はフフッと鼻にかかった笑いをもらした。由美はじっと床を見つめたままだ。
「由美さんの学用品やカバンは、もうお教室に用意してありますからね。じゃあ、食事が終わったら、このテーブルの子どもたちについていってね。教室にもどるから。」
「あのぅ…先生。わたし、本当に中学1年のクラスに……?」
由美は、おずおずとたずねた。
「あらっ、そうよ。岩松先生から説明あったでしょう。」
「それはうかがいましたが、私は本当は高校3年なんです。今さら中学1年のクラスに入って、なにをするというんですか。」
「何もむつかしく考えることないわ。ただ、ふつうに中学1年生として、学校生活を送ってもらうだけよ。その中で由美さんには、必要なことを自然に学んでもらえるようになってるの。」
意味深げな笑いを浮かべ、佳江は答えた。その笑いは、保険医の相原さゆりが由美に見せたのと相通ずるような、なにかを秘めた笑いであった。その佳江の表情に、由美の胸は不安でますます高鳴った。
「佐々木先生、そうおっしゃられてもよくわかりません。どうして18才のわたしが……」
なおも食い下がろうとする由美を、佳江はやんわりと制するように、首を軽く振った。
「まっ、学校生活が始まればすぐわかるわ。それに、由美ちゃん。中等部の制服姿もなかなか、お似合いよ。」
佳江もサエ同様、とりつくしまがない。佳江の最後の言葉に、1年の女生徒たちは顔を見合わせながら、再びクスクスと笑い出す。それでも質問を続けようとする由美をさえぎるように、
「さっ、いそいで食べてしまいなさい。あと5分で昼食時間はおしまいよ。」
そう言い添えると、佳江は立ち去ってしまった。
 女生徒たちの好奇の視線にさらされながらの食事は、由美にとって、苦痛以外のなにものでもなかった。ほどなくして昼食の終了を告げるチャイムが鳴り響いたが、由美は半分も口にすることができなかった。
 しかし、ここでまた、由美を驚かすことが待ちかねていた。チャイムが鳴り止むのと待ちかねていたかのように、食堂のスピーカーから、校内放送の行進曲が流れはじめたのである。二拍子のリズムにのって、いきなり高等部の風紀委員の号令がとぶ。
「起立!」
同時に食堂内の中学生たちが、一斉に直立不動で立ち上がった。突然のことに、由美は椅子に腰掛けたまま、とり残された。驚いてキョトキョト、周りを見回している。
「これから、教室にもどります。早く立って!。」
隣に座っていた女生徒に教えられ、由美もあわてて立ち上がった。
「右向けぇぇー、右!。1年1組の児童から行ってよし。」
風紀委員の軍隊調の号令に従って、女生徒たちは行進曲に合わせながら、隊列を組んで食堂を出ていく。
「中等部では、集団で動くときは、いつもこうさせられるんです。」
その女生徒がささやいた。
 続いて由美のいる2組の生徒も、足並みそろえて歩みだした。由美も急いでついていこうとするが、行進に慣れていないせいか、足並みがぜんぜんそろわない。
「こらっ、そこの一年。どうして、ちゃんと行進できない!。」
18才であるのを知りながら、風紀委員はわざと意地悪く、由美に檄をとばす。
「梓由美!、もっと足をあげてぇ。大きく足踏みぃ!、腕も大きく振る!。イッチ、ニィー、サン、シィィ…」
風紀委員のキンキンした掛け声につられ、由美は頬を紅潮させながら、思わず腕を前後に振る。
ザザッ、ザザッ ……
つま先を赤く塗られた無数のバンドバレーシューズが一斉に床を蹴る音が、食堂の天井に鳴り響く。それは異様なほど壮観な風景であった。
(どうしてこんなこと、やらされるの。)
 最初は突然のことに、ぽかんとした表情の由美だった。しかし、いい歳をした若き女性が中学生に混じって、運動会のこどものように行軍させられる姿に、次第になんとも言いしれぬ惨めさが込み上げてきた。
 しかしこれは、由美が聖愛女子学園で体験する幼児教育への、ほんの第一歩にすぎなかったのである。


9 初めての授業

 こうして、由美の中等部生活は始まった。
屈辱の行進は、由美が編入することになった1年2組の教室まで続いた。だが、ここで由美を待ち受けていたものは、由美を大人の世界から中学1年生に引きずり降ろすための、徹底した管理教育だった。
 教室に入ると、由美はまず、自分の机に案内された。由美の机は、ちょうど教室の真ん中に位置していた。それは、由美が常にまわりを中学1年生にとり囲まれたようにするためであった。
「これが今日から由美ちゃんが座るお机よ。
座ってごらん。」
担任の佐々木佳江にうながされ、おずおずと着席しようとした由美は、奇妙なことに気づいた。自分の机とイスの置かれている1メートル四方だけが、まわりの床より階段の一段分くらい、低いのである。
「これはいったい……、どうして?」
「フフッ、座ってみればわかるわよ。」
不思議そうに質問する由美をながめながら、佳江は笑うばかりだ。
 着席して、由美ははじめて気づいた。床が低くなっているため、自分の席に座ると、まわりの中学生たちと同じ背丈になってしまうのだ。
 由美は学年の中でも、身長はある方だった。以前通っていた高校のクラスメイトからも、由美はモデルになれるよ、と羨ましがられたくらいだ。だが、こうやって中学1年生たちと同じ目線で机をならべていると、いやでも、本当に中学生の仲間入りさせられたような気持ちになってしまう。
「どう?、中学1年にもどったような気分でしょう。それにあなたの身長じゃ、後ろの子たちが黒板見えないし、迷惑だもんね。」
佳江は、愉快そうに答える。
 机の上には、由美が今日から使うことになる教科書や学用品が一式、そして通学用のカバンが用意されていた。黒っぽい通学カバンはランドセルでこそなかったが、同じような背負うタイプのため、どこかしら子供っぽい。カバンの蓋の部分には校章の蓮のマークがあしらわれ、由美の名前と学年クラスが大きく記されていた。
 カバンを背負った姿を想像しただけでも十分に恥ずかしかったが、それ以上に由美が驚いたのは教科書であった。まさかとは思っていたが、机の上に置かれていたのは、本当の中学1年生用の教科書なのである。思わず懐かしさを感じる由美であったが、今日からこの教科書を使って、中学生に混じって勉強し直さねばならないというのが、どうしても信じられなかった。
 しかし、それは無理もないことだ。非行に走ったため、最近でこそ成績が落ちたりはしたものの、由美の学力はもともと優秀な方なのである。それなのになぜ、今さら中学1年レベルの授業を受けねばならないのか。それも6年もさかのぼって、中学1年生のクラスに編入させられた上でのことである。教科書を手にしたまま、由美は腑に落ちない表情を浮かべていた。
 担任の佳江は、そんな由美の気持ちを察したようだった。
「由美ちゃんが今考えていること、わかるわ。『なんで私が、今さら中学生の勉強やんなきゃいけないの?』そう思ってるんでしょう。」
「あたりまえです。どうして今さら、こんな分かり切った下級生の授業を受ける必要があるんですか?。」
由美はいささか憤慨していた。
「あなたの学力が十分なのは分かってるわ。でもね、勉強ができる、できないは問題じゃないの。今の由美ちゃんに求められているのはね…、あなたが中学1年生にもどって、同じ勉強や生活をすることで、その時の新鮮な気持ちをもう一度思いだすということなの。それが更正カリキュラムです。」
「非行に走ったことは、もう十分に反省しています。だから、もう一度やり直そうと思ってこの学園に来たのに……。」
「あら、そうかしら。じゃあ聞くけど、あとちょっと我慢したら高校の卒業資格がもらえるから、っていうのもあったんじゃない?」
佳江は見透かしたように、意地悪く微笑んだ。
「そっ…、そんなことありません。」
まんざら、まとはずれではない佳江の指摘に、由美はあわてて首を振った。
「まっ、いいわ。あなたが、昔の新鮮な気持ちを本当に思いだしたかどうかは、日頃の態度でわかりますから…。早い子なら四日くらいでカリキュラムを終えて、正式に高校に編入する子もいるわ。由美さんも頑張ってね。」
そのように告げられると、由美はこれ以上、反論できなくなってしまった。
 もはや、いくらここで反論しても、どうにもならないのだ。大人の装いをすべて禁じられた上に、中学生の制服を着せられ、1年生の教室に連れてこられた由美。今、彼女が考えねばならないのは、いかにして早く更正カリキュラムを終えるか、そして高校3年に編入できるか。この二つだけなのである。由美はそのように、自分の心に納得させるしかなかった。

「さぁ、みんな。なにしてるの?、新しいおともだちですよ。」
教室の雰囲気を明るく変えようとするかのように、担任の佳江は女生徒たちに声をかけた。
それまで遠巻きに由美の様子をながめていた生徒たちは、佳江のこの一声で安心したのだろうか。どっと由美の机を取り囲むように、集まってきた。どの生徒の目も、とつぜん編入してきた、奇妙な女子中学生への関心に満ちあふれている。
 1年2組の教室は、先ほどの食堂の時と打って変わり、にぎやかになった。
「おねえちゃん、ほんとに東京から来たの?」
「ねぇねぇ、どうぶつは何がすき?」
「おねえちゃんって、ほんとに18才?」
「お人形さん、集めてる?」
 この学園の教育のせいなのだろうか。中学1年生のわりには、ずいぶんこどもっぽい女生徒たちだ。どの生徒もくったくのない笑みを浮かべ、由美の気持ちも知らずに、好き勝手な質問を矢継ぎ早にしゃべりだした。
 どうやら女生徒たちは、由美のことを、自分たちと同じ歳の転校生が来たとしか思っていないようであった。それは、由美へのいろいろな問いかけにも表れている。
 あまりに自分の年齢を無視したような問いかけに、由美はむっとして生徒たちをにらみつけた。無言の剣幕に、教室が一瞬、静まりかえる。
「あーん、おねえちゃんこわーい。」
数人の気の弱そうな女生徒は、目に小さな手のひらをあてて、べそまでかきはじめる。その様子に見かねて、担任の佳江が由美と生徒たちの間に割って入った。
「ねぇ、由美さん。みんな、あなたとお友達になりたくて話しかけてるのよ。もっと仲良く接すること、できないかしら。」
「だけど、あたしは……。」
私は高3なんですよ、と主張しようとする由美を制するように、佳江は話をつづけた。
「中1のこどもなんかとつき合いきれない、と思っているんでしょう。けれどもね…、由美さん。あなたも今日から中学1年生なの。もう高校3年じゃないのよ。だから、もっと気持ちも中学1年に切り替えないとだめよ。」
「そんなこと言われたって、無理です。あたしはもう大人なんだし、急に中学生と同じようになれっ、て言われても……。」
由美は困惑顔で答える。
 だが佳江はここで一転して、声のトーンを変え、由美に咬んで含めるように告げた。
「由美さん、ひとつだけ大事なことを話しておくわ。高等部に編入できるかどうかの審査はね、勉強だけでなく、あなたの生活態度すべてを見せてもらって、決めますからね。」
「えっ、どういうことですか?」
由美は驚いてたずねた。
 確かに早い子で4、5日ほどで更正カリキュラムは終了できる、とは何度も聞かされてきた。だが、終了できるための詳しい基準については、まだなにも教えてもらっていなかったのだ。
「つまり、あなたが中学生のこどもたちと仲良くできるかどうか、中等部の学園の規則をきちんと守れているか、中学1年の児童として上級生の命令に従っているか…。そういう由美さんの態度すべてが、ちゃんと更正できたかどうかの審査ポイントなのよ。これだけは本当に、肝に命じておきなさいよ。」
佳江の表情には、これまで垣間見せたことのない、うむを言わさぬ厳しさが漂よっていた
由美は、黙って佳江の言葉にうなづくしかなかった。
 佳江は、だめを押すように付け加えた。
「わかったかしら?。由美さんが完全に、中学1年生の時の精神と態度にもどった、と判断されるまで更正カリキュラムは終わりませんからね。」
そう告げた時の佳江の目は、不気味な輝きを放っていた。由美は、これまで見せたことのない佳江の表情に、思わず息を飲んだ。
「……でも、…でも、さっきまでは4、5日もすれぱカリキュラムは終えられるって…、そしたら高校に編入できるっておっしゃってましたよね。」
「だから、それはあなたの努力次第、ってことよ。」
「そっ、そんな……。」
由美の顔に、とまどいの色があらわれる。
「難しいことじゃないわ。要はあなたが、まわりの中1のこどもたちと、まったく違和感なく、解け合うようになればいいだけのことよ。まっ、頑張ってね。」
 そこまで話し終えると、佳江は遠巻きに二人のやりとりをながめていた女生徒たちに、笑いながら言い渡した。
「今、先生がお話しした、由美さんへの注意。みなさん聞きましたね。」
「ハーイ。」
生徒から、明るい返事がかえってくる。
「そんなわけで、由美さんも今からは、心から中学1年生になりきれるよう、努力するそうです。そうですね、由美さん?。」
「………。」
「由美さん、お返事は?。」
「……はい…。」
由美は消え入りそうな声で、しぶしぶ答える。
「ですから、みなさんも由美さんが、ほんものの中学1年生に見えるように、お手伝いしてあげて下さい。」
「ハーイ。」
「それから、今日からは由美さんも同じ1年生ですから、さっきみたいに、おねえちゃんと呼ぶのはやめましょう。みんな由美ちゃんと呼んであげてね。」
佳江が話し終えるや、一斉に天真爛漫な女生徒たちの声が、教室中に響いた。
「由美ちゃーん!」
6才も年下の中学生にそう呼ばれたことで、由美は顔から火が出そうであった。
「あら、お返事は?」
「…はっ、はい。」
由美はあわてて答えるが、佳江は意地悪くささやいた。
「今のじゃ聞こえないわ。もっとみんなに聞こえるようにおっしゃい。『はい、今日から中学1年生になった由美です。みんな仲良くしてね。』ってね。さあっ。」
 佳江にうながされ、由美は唇を震わせながら、恥ずかしい言葉を口にせねばならなかった。
「……今日から…中学1年生になった…由美です…。」
「もっと笑顔で!はっきりと!」
「はい!、今日から中学1年生になった、由美です。みっ、みんな仲良くしてね。」
由美は必死に笑みを浮かべ、女生徒たちに声をかけた。しかしその笑みが、可哀相なくらいこわばっていたのは、言うまでもなかった。

 やがて、午後の授業の開始を告げるチャイムが、校舎中に鳴り響いた。午後の授業は5時限め、6時限めと続いて、担任の佳江自身による国語の授業であった。
 授業は由美にとって、退屈きまわりないものであった。高3の生徒が中学1年の授業を受けるのだから、じつに分かりきった内容である。とは言え、佳江がちょくちょく由美をあてるので、彼女はボッとしてもいられなかった。
 だが2時限続けて、中学1年の生徒たちとともに授業を受けていくうち由美は、少しずつ奇妙な感覚とらわれていく自分に気づいた。その感覚とは、一言では説明しにくいのだが、自分があたかも本当の中学1年生に戻っていくような、不思議な錯覚のようなものであった。
 子供扱いされるのが、何よりも嫌いな由美にとって、自分自身がこのような気持ちを感じること自体、理解できなかった。きっと、まわりの生徒たちと同じ、子供っぽい制服を着せられたことも、一因だろう。
 それに何よりも、周囲よりも一段低い床に座らされ、中学生たちと同じ目線で授業を受けていると、本当に6年前にタイムスリップ
してしまう感覚に、おちいってしまいそうになる。
(だめよ、由美。あなたはもう大人よ。早くこのクラスから抜け出さなければ……)
由美は必死に、自分自身に言い聞かせた。
 しかし、その一方で、先ほど佳江から告げられた言葉も、由美はとても気になった。
『完全に、中学1年生の時の精神と態度にもどるまで、更正カリキュラムは終わりませんから…。』
この言葉も、由美の脳裏から離れられなかった。だいたい18才にもなる女性が、中学1年生の時の精神と態度に、いったいどうやって戻れというのだろう。いい大人が、まわりの1年生たちと同じように振る舞え、とでもいうのだろうか。
 考えれば考えるほど、由美はわからなくなってきた。
(あたし…、どうしたらいいんだろう……)
由美の心の中には、早く高校3年に編入したいという焦りの気持ちがあった。にもかかわらず、それと相反するような学園の方針……。
(まさかこの学校…、あたしを、いつまでも中学1年生に引き留めようとしているのでは……。)
更正カリキュラムという由美にとって不本意な学園の方針に、ふと、そんな不安が脳裏をよぎる。
 だが次の瞬間、由美はあわてて、そんな不安を打ち消そうとしていた。
(由美…あなた、なに馬鹿なこと考えてるの?。高校3年を中学1年に落とすような学校なんて、あるわけないじゃない。そんなことしたら、人権問題よ。だいいち親だって黙っちゃいないわ。)
 由美の心が複雑に揺れ動くうち、6時限目の終わりを告げるチャイムが、ようやく鳴った。
 だがその時の由美には、心の中で打ち消そうとした不安が、その後、ひとつひとつ現実のものになっていくとは、夢にも思わなかった。


10 集団下校

 授業のあと、簡単なホームルームが行われた。これも中等部の決められた日課の一つである。ここで由美は、放課後の予定を佳江から告げられた。
「中学生は必ずどれかひとつ、クラブ活動に入らねばなりませんが、由美さんも転校一日目で疲れているでしょうし……。今日はすぐ下校して、寮の生活を覚えてもらいますわ。」
「はい。」
由美は少しほっとして、答えた。
(やっと恥ずかしい制服を、脱ぐことができるんだわ。)
それくらい、由美にとって中学生の制服は、耐えられなかった。
「梨花ちゃん、あなたたちのクラブは、今日お休みだったわね。」
佳江は、由美のとなりの机に座っていた、梨花という女生徒に声をかけた。
「はい、そうです。」
「じゃあ、いっしょに集団下校するわけだから、由美ちゃんの面倒、見てあげてくれるかなぁ。寮での規則も教えてあげてね。」
「わかりました、先生。」
梨花は、はきはきと答えた。
 由美は、先ほど食堂から行進させられた時、梨花が自分に耳打ちしてくれた生徒であることに気づいた。梨花は中学1年にしては小柄な方で、クリッとした目が、なんとも愛くるしかった。しかも校則にしたがって、お下げ髪を耳元でリングに結んでいるため、小学生の高学年児童と見紛われてもおかしくないほどだ。
 由美は、こんな小さな少女に面倒を見てもらうことに恥ずかしさを感じたが、それ以上に、佳江が口にした集団下校という言葉に、驚きを隠しきれなかった。
「まぁ、集団下校しなければならないんですか。」
集団下校など、せいぜい小学校のすることと思っていた由美は、ポカンとしてしまった。
だが佳江は、あたりまえのような表情で、平然と答える。
「そうよ。寮と学園の間は、以前は自由に通学させていたんだけど、児童の寄り道や買い食いが問題になってね。昨年から中学3年生までは、集団で登下校する決まりなの。」
集団下校させれば、生徒同士が監視し合えるし、なによりも規律を学ぶのにも良いから、という佳江の説明であった。
 しかし、由美は顔を赤らめていた。それは当然であろう。いい歳をした若い女性が、中学1年生にまじっての集団下校など、滑稽以外のなにものでもない。しかも由美は、髪型から制服まで中学生たちと同じ恰好をさせられているのだ。そんな姿での登下校なぞ、想像しただけで恥ずかしさが込み上げてくる。
 考え直してもらおうと、あわてて訴えようとした由美だったが、由美の面倒頼んだわよ、と梨花に言い残すと、佳江はさっさと教室から出ていってしまった。まもなく他の中学生たちも下校やクラブ活動で教室から散っていくと、由美など十人ほどの生徒が教室に残るだけとなっていた。
 梨花があどけない声で、声をかけてきた。
「さっ、由美ちゃん、帰りの支度しよう。もう、みんな校庭に集まりだしているよ。遅れると罰が待ってるよ。」
「罰って?」
梨花の言葉に、由美は思わず聞き返した。
「やだぁぁ、恥ずかしくって梨花、言えなぁーい。」
梨花は顔を赤らめていた。まわりの生徒たちもクスクス笑っている。
「さっ、早く…」
生徒たちにうながされ、由美は教科書をしまおうと、通学かばんの蓋をあけた。
 蓋をあけると、中になんか入っている。取り出してみると、赤いベレー帽だった。なんと、顎ヒモまでついている。
「これは中等部の制帽よ。通学の時は必ずこの帽子をかぶるの。」
梨花たちは平然と答えている。
(顎ヒモのついた帽子なんて……)
由美は軽いめまいを覚えた。丸襟ブラウスや吊りスカートの制服だけでも十分なのに、その上、顎ヒモのついた赤いベレー帽をかぶった姿など、恥ずかしすぎて想像もできない。
由美はさすがにベレー帽をかぶれずに、そっと小脇にはさみ、梨花と教室を後にした。

 だがここで、由美はハッとした。
(わたしの靴……)
そうなのだ。由美はこの学園を訪れた時、来賓玄関でお気に入りのローファーシューズを脱いだことを思い出した。
「梨花ちゃん、ちょっと待ってて…。わたし、玄関に靴置いてきちゃった。」
だが梨花の口から返ってきたのは、意外な言葉だった。
「あら、佳江先生が由美ちゃんの靴は下駄箱に入れてある、ておっしゃってたわ。」
「えっ?」
由美はふたたび、胸騒ぎを感じた。
 下駄箱のところに案内されると、すでに由美のネームプレートが入れられていた。
「ここで通学シューズと履き替えてね。」
梨花に教えられ、下駄箱の蓋を開けたところで、由美は悪い予感が的中したことを知った。
 由美が今朝まで履いていたローファーシューズは、陰も形もなかった。この靴は、高等部のスポーティな制服に合わせてトラッドな雰囲気を楽しもうと、由美が横浜で買いそろえたブランドものだった。
 変わりに用意されていた由美の通学靴は、こどもっぽいストラップシューズであった。黒いエナメル製の素材のため、妙にテカテカ光り、少女のお出かけシューズのような印象を感じさせる。しかも、上履きのバンドバレーシューズと同じく、まん丸いデザインのつま先が、より可愛らしさを引き立たせる。
「やだぁぁ、こんな靴……。」
一目見るなり、由美は首を横に振る。
「あら、由美ちゃん。どうしちゃったの。」
「こんな靴で外、歩けないよ。わたしもう18だというのに……。」
だが、そんな由美の惨めな気持ちも、中学1年生の梨花にとっては理解の範囲外だった。
「だめよ。規則で通学靴はこれ、と決まってるんだから。それに由美ちゃん、わたしたちの制服に合ってると思うけど……。」
由美は、もうなにも、答える気をなくしてしまった。6才も年下の梨花に諭されるのも腹立たしかったし、こんな子供に私の気持ちがわかるはずない、というあきらめもあった。
 上履きのバンドバレーシューズで帰るわけにもいかず、恥ずかしさをこらえて、しぶしぶストラップシューズに足をとおすと、由美は校庭に連れていかれた。
 校庭では、集団下校するため、中学生たちがすでに整列をはじめていた。どの女生徒たちも由美と同じく、厚ぼったい肌色タイツに、重ね履きした白い三つ折りソックス、それに黒いストラップシューズという姿であった。中学生にしても子供っぽすぎる足元であるが、本来は高校3年である由美にとっては、輪をかけて奇妙な取り合わせであった。
 ぶかっこうな姿で校庭にあらわれた由美にに、ふたたび女生徒たちの間からクスクス笑いが起き、由美は顔を赤らめた。
「では、これから寮にもどります。制帽はちゃんとかぶりましたか?。」
高等部の風紀委員が叫ぶ。下校の際の服装チェックも、風紀委員の役割らしい。
「由美ちゃん、寮に着くまで、ぜったい制帽は脱いじゃだめ。」
梨花がすばやく由美に耳打ちする。けげんな顔をする由美に、
「制帽脱いだところを風紀委員のおねえさまに見つかると、たいへんな罰が待ってるわよ。」
と梨花は付け加えた。
(かぶらないと、どんな罰を受けるんだろう)由美は聞きたかったが、梨花はそれ以上は口を閉ざしてしまった。仕方なく由美は、小脇にはさんでいたベレー帽を頭に乗せた。
耳元で輪のように結んだ三つ編みとあいまって、顎ヒモのついた赤いベレー帽は、由美の姿をますます高校3年から引き離していった。

 放課後、クラブ活動に参加する者も多くいるため、先に寮にもどる女生徒は百人ほどであった。由美たちは2列横隊で並ばされ、隊列を組んだまま校門を出ていく。
 聖愛女子学園は、東北の地方都市として有名なF県の、K市郊外に広がる丘陵地帯にたたずんでいた。東京からでも、高速で二時間半で行ける距離である。
 この学園に通う生徒のほとんどは、親元から離れ、寮で集団生活をしている。東北地方の各所から集まってくる為、自宅からの通学がむつかしい生徒も多く、寮が完備されているのだ。だが、しつけと規律を重んじるこの学園の方針として、寮生活に於いても、中等部生徒には、きびしい管理と上下関係を強いていた。
 寮は、校舎から徒歩30分ほどのところにあった。由美たちが昼間かよう校舎とは、K市の市街地をはさんで、ちょうど反対側に位置している。すなわち、寮と校舎を行き来するには、どのコースをとろうとも一度は、人通りの多い市街地の中を通らざるを得ない。
しかも中学生と小学生は、そのコースを毎日、集団で登下校せねばならないのだ。
 小学生ならまだしも中学生に、集団での登下校させる学校は非常にめずらしい。その理由には、先ほど佳江が由美に説明したように、生徒たちに寄り道をさせないようにしたり、集団での規律を学ばせるという目的もあった。
 しかしそれは、あくまで表向きの理由にすぎなかった。本当の目的は、由美のような更正カリキュラムを受ける生徒が、登下校の最中に学園からの“脱走”をできないようにすることにあった。集団下校の形をとっていれば、まさか列から離れることすらできまい。

「おとなりのお友達どおし、手をつなぎなさい。」
校門を出たところで、聞き覚えのある声が、由美の背後から響いた。驚いて由美が振り返ると、声の主は寮長の岩松サエであった。
「今日は、由美ちゃんが初めて集団下校するわけだし、心配だからついてあげるわ。」
さえは、意地悪そうな笑みを浮かべた。しかし本当の理由は、由美が下校の最中に逃げ出したりしないか、見張るためであった。
 由美が驚いてまわりを見回すと、中学生の女生徒たちは、なんの疑問も抵抗も感じる様子なく、小学生の児童ように手をつなぎあっている。
「由美ちゃん、聞こえなかったの?。となりの梨花ちゃん、手をつなぎたがってるわよ。。」
サエにうながされ由美が振り向くと、左隣を歩いていた梨花が、ちっちゃな右手を由美にさしのべていた。
「えぇっ、そんなこどもみたいなこと、わたしできません。」
由美は困ったような表情を浮かべ、首横に振る。
「登下校の時は、必ず手をつないで歩く決まりよ。」
確かにこれは、女生徒同士の親睦を深めるために、学園が定めた規則であった。しかし高校卒業間近の由美にとって、中学1年生の女生徒と手をつないで歩くなど、あまりにも抵抗が大きかった。それでなくても、女の子どおしで手をつなぐなど、由美が最も嫌悪することだったのである。
「あぁーん、由美ちゃん。梨花のこときらいなの?。」
梨花はつぶらの瞳に涙をにじませ、由美を見つめる。
「……いや、梨花ちゃんちがうの。あなたが嫌いなわけじゃないのよ……。」
あわてて由美は説明するが、まだあどけなさの残る梨花は目を潤ますばかりだ。
「あーあ、中学1年生を泣かしちゃった。由美ちゃん、いけない子だなぁ。」
梨花の様子に気づいた一人の女生徒が、まわりにも聞こえるように、わざと大げさに騒ぎ立てる。それにつられて、集団下校中の他の女生徒たちも一緒になり、
「由美ちゃんて、ひどーい。」
「まだ、高校3年のつもりなんだぁ。」
「私たちなんかとバカバカしくて、つき合いたくないのよ、きっと……。」
口々に不満の声を上げはじめた。
当惑した由美は仕方なく、梨花と手をつないで、町中を歩まねばならなかった。
 市街地に入ると、にわかに人通りが増えてきた。こどもっぽい制服を着せられ、2列横隊で歩かされている由美たちは、それだけでも十分に目立っている。女子中学生たちが手をつないで下校する姿に、街中の人々は微笑みを送った。
 まもなく由美たちは、大型スーパーの前にさしかかった。スーパーの入り口のあたりでは、買い物帰りの主婦たちが井戸端会議に花をさかせていたが、すぐに下校の列に気づいたようだ。
「あら、聖愛のお嬢ちゃんたちよ。」
「ホント…いつ見ても、可愛らしいわね。」
「うちの子供も、入れようかしら。」
「あの子たち、中学1年生ね。」
三つ編みの先端を耳元でとめて輪をつくるのが、中学一年生に定められたヘアスタイルであることを、街の人々も知っているようだ。(お願いっ…、みんなこっちを見ないで…)由美は自分の姿が目に入らぬか、気が気ではなかった。できるだけ目立たないよう、体を小さくして、井戸端会議に精を出す主婦たちの前を通り過ぎようとした。だが、スタイルの良い由美の姿が、主婦たちの目にとまらぬわけがない。
「ねぇっ。ちょっと、あの子…。」
「なんか、変じゃない。」
主婦たちの前を通り過ぎぎわ、由美の耳に素っ頓狂な声が飛びこんできた。つづいて由美の背後から、クククッと笑い声とともに、カワイイ!、という歓声が追いかけてくる。
(あぁ、やだぁぁ…。みんな私を見てる…。)
由美は自分の耳を、ふさいでしまいたかった。
寮に着くまでの道すがら、このような光景に、由美はなんども出くわさねばならなかった。
 その中でも、もっとも由美が耐えられなかったのは、街中にある県立高校前を通り過ぎたときだ。
 ちょうど県立高校も放課後に入ったばかりで、たくさんの女子高生たちが校門から出てくるところだった。由美は彼女たちの制服に目を奪われた。
 エンブレムの入った紺色ブレザー、スコティッシュなタータンチェック柄のスカート……。最近、地方でも制服のモデルチェンジをする高校が増えているとは、由美も耳にしていたが、この県立高校もそのひとつのようだ。
地方高校とは思えない、洗練された制服姿の女子高生たちを前に、こどものような格好をさせられている由美は、消え入りたい思いだった。
「見て見てっ、聖愛のダサダサ少女たちよ。」
県立校生たちは、自分たちの前を通り過ぎようとする由美たちを見つけ、あざけり始めた。彼女らは、裕福な家庭の子女が集まる聖愛女子学園の生徒に、なにかとライバル心をいだいているのである。
「いつ見ても、ドンクサよねぇ。」
「顎ヒモつきのベレー帽はあんましよね。」
「三つ編みに赤いリボンも、やめてほしいよね。ガキじゃあるまいし……。」
「中学生で集団下校ってのも、ないんじゃないかなぁ。」
「あんなぶ厚い肌色タイツ、どこで買えるのかしら。」
 県立の女子高生たちは、わざと由美たちの耳に届くように、好き勝手な言葉を投げかける。だが聖愛の中学生たちは、そのように笑われても、まだ格好が気にならない年頃なのか、あまり気になっていない様子であった。
 しかし、由美は気が気でなかった。侮蔑の言葉にも耳を覆いたかったが、それよりも、自分のみじめな姿を同じ歳の同性に見られる方が、由美にとっては耐えられないことだったのである。一刻も早く、彼女たちの前を通り過ぎたかった。しかし中学1年生たちの足取りのため、いくら急こうとも、下校の列は由美の思うようには進んでくれない。
(お願いっ、早く…もっと早く、みんな歩いてっ…、お願い……)
由美は祈るような気持ちだった。
 だが、その時であった。下校の列から少し離れて、様子をうかがっていた岩松サエの大声が飛んだ。
「由美ちゃん、ひとりだけ急いでもダメよ。みんなとペースを合わせなさい。お返事は?」
「……ハッ、はぃ…。」
「聞こえない!。もっと大きな声で!」
「ハイ!。」
この二人のやりとりに、県立校の女生徒たちの視線が、一斉に彼女にそそがれた。
(あぁ、なんて意地悪なの……。)
由美はうらめしそうに、勝ち誇ったような表情を浮かべるサエをにらんだ。サエは、県立の女子高生たちの視線を避けようとあせる、由美の気持ちを察していた。そこでわざと、県立生たちが由美に気づくよう仕向けたのだ。
 そしてサエの策略は、見事に当たった。
「あらっ、ずいぶんな大きな1年生がいるわ。」
県立校生たちは、うつむきながら中学1年生に混じって下校中の、由美に気づいたのである。そして指さしながら、キャッキャッ騒ぎ始めた。
「見て見て、あの子……。」
「見かけない子よね。」
「きっと転校生じゃない?。はじめて見る顔よ。」
「えらく、胸のでかい1年生ね。」
「Eカップはありそうよ。」
「ケツだって、妙にイロっぽいわ。」
無遠慮な騒ぎ声が、由美の耳にまで届く。
(お願いっ…、みんな、こっちを見ないで…)
由美の額に冷や汗がにじみ出てくる。だが彼女の願いをあざ笑うかのように、県立校生たちは面白がって、由美の後をついてくるではないか。
「ねぇねぇ…、あの子、もしかして中1じゃないんじゃない?」
「えっ、ウッソォー?。」
「だってあれ、聖愛女子の中等部の制服じゃん。」
「でもあの子、どう見ても高校生よ。それも高3くらいよ、きっと……。」
「えぇっ、じゃあ私たちといっしょってこと?。」
そのやりとりを聞いて、由美は県立校の女生徒たちが高3であることがわかった。由美とまったく同じ年頃である。
(いやだっ…。同い歳の子に、こんな姿…見られたくない。)
 彼女らは、明らかに由美が中学生でないことに、気づいていた。
(お願い…、ついてこないで……)
由美は祈るような気持ちだった。だが逆に、女子高生たちの好奇心はますます高まっていき、つぶさに由美を観察しだした。
「まさかぁ、高校生がなんで中学生の制服、着せられてるのよぉ。」
「あの学校って、高校生でも成績や非行に走った子を、平気で中学1年生まで落第させるらしいよ。」
「うっそぉぉ、信じらんない!」
「ほんとよ。あたし、前にもあんな子、見たことあるもん。」
「じゃあ、あの子も落第生なのかしら?。かわいそう…。」
「いっぺんに5年も6年も落第なんて…。そんなのあり?」
「あたし、同じ目にあったら死んじゃう。」
「恥ずかしくないのかしら。あんな子供みたいな格好させられて。」
「しかも、見てぇ…。中学1年生とお手てつないでるぅ。超カワイイ…。」
「ハッハッハ…、大人っぽい子なのにねぇ。」
好き勝手な女子高生たちの言葉に、由美は顔から火が出そうであった。
(わたしは落第生なんかじゃない!)
由美は懸命に心の中で叫んだ。
 だが、顔を真っ赤に染め、羞恥に耐えている由美のしぐさが、よほどおかしかったのだろう。女子高生たちは、遠巻きに由美をながめるだけでは飽きたらず、しまいには由美に直接、ちょっかいまで出しはじめた。なにせ、由美のまわりは中学1年生しかいないわけだから、女子高生ちが臆する理由はなかった。
「ねぇねぇ、そこのお嬢ちゃん。」
「お嬢ちゃんはいくつ?」
「お嬢ちゃん、こっち向いてごらん。」
無遠慮に、からかいの言葉を由美に投げかける。
(お願いっ、やめて……)
由美にとって“お嬢ちゃん”と呼ばれるほど、屈辱的なことはなかった。由美はくやしさに唇を噛みしめたが、うつむいて歩むしか、なすすべはなかった。しかし、そんな由美の姿が滑稽に写ったのだろう。いっしょに下校している聖愛の中学1年生の中からも、クスクスと笑い声がもれ始めた。そしてついに、由美が恐れていたことが起こったのである。
「由美ちゃん、県立高校のおねえさんたちが尋ねているんだから、ちゃんとお答えしなくちゃだめじゃないの。」
その声は、岩松サエだった。彼女は下校の列から少し離れて、由美がからかわれる様子を愉快そうにながめていた。
「由美ちゃん、だまってても分かんないでしょ。」
サエはたしなめると、意地悪げな含み笑いを浮かべながら、なんでもおたずねさい、と言わんばかしに県立校生たちに軽く目配せした。
 サエのこの言葉としぐさに、県立校生たちは、由美をからかうことへの抵抗がますます無くなったようだった。彼女たちにしてみれば、他校の生徒にちょっかいを出したことで、付添い係のサエに注意されないか、という心配もあったからである。
 だがサエの態度に安心したのか、これまで遠巻きに由美をながめていた県立校生たちは、少し大胆になったようだ。由美たちの下校の列に寄り添うように、ますます近づいてきた。
(いやっ、いやぁ……、近づかないで)
由美はもう顔が燃え上がる寸前だった。歯がガチガチ鳴り、胸の鼓動が破裂寸前まで高鳴っている。そんな由美の姿をあざけるかのように、サエがさらに追い打ちをかける。
「さっ、由美ちゃん。おねえさんたち、由美ちゃんがいくつか知りたがってるわ。」
このやりとりで、県立校生にも由美の名前が知れてしまった。
「由美ちゃんっていうのね。かわいい!。」
「由美ちゃんはおいくつなの?。」
県立校生たちはますます面白がり、こんどは名指しで同じ質問を繰り返す。
「………」
由美は顔を真っ赤に染め、ただただ俯くばかしだ。
(……お願い……もう、こども扱いは許して……。)
だが由美の切なる願いは、サエに通じなかった。
「由美ちゃん。聖愛の児童はだれにでも、きちんと挨拶できないといけないのよ。できない子は大人の資格無しと見なされて、高校に編入させてもらえませんよ。」
「…………。」
由美が答えられないことがわかっていながら、サエはなおも執ように、由美を羞恥のるつぼに追いつめていく。
「由美ちゃん。おねえさんたちから質問されたことに、ちゃんと答えないと、いつまでたっても中学1年生のまんまですよ。」
サエのこの言葉に、県立校の女子高生たちの輪から、ざわめきが起こる。
「ほらぁ、やっぱしあの子、高校生だったんだ。」
「どうして中学1年生に落とされちゃったのかしら?。」
「由美ちゃん、ほんとはおいくつ?。」
再び同じ質問が、由美の耳に届く。
(あぁーん、もう堪忍して……)
本当なら、手をつないでいる梨花の手を振りきって、集団下校の列から逃げ出したかった。だが、財布も取り上げられ一銭も手持ちのない由美は、この東北の地方都市の中で、どこにも行く当てはなかった。由美が唯一、安住できるのは、聖愛女子学園の寮だけなのである。それは由美にもわかっていた。今の由美にできること、それはただ唇を噛みしめ、耐え忍ぶことだけだった。
「由美ちゃん。答えないと、いつまでも県立校のおねえさんたち、ついてくるわよ。」
サエの叱責がとぶ。しかし、それでも由美は、
かたくなに沈黙を守ったままだ。
 だが、やがてサエの言葉に観念したのだろうか。小刻みに肩をふるわしながら、消え入る声で答えた。
「……じゅ……18才です。」
やっとの思いで自分の年齢を口にした由美の耳元に、県立校生たちの高笑いが響く。
「キャハハハ…、18だってぇ!…。」
「超おどろきぃ…。」
「あたしたちといっしょじゃん。」
「なんで、中学1年生になっちゃったの。」
ますます沸き立つ県立校生たちを前に、サエがおどけた言い回しで説明した。
「この子は今日、東京から転校してきた子でね…、あなたたちと同い歳よ。だけど東京では、すーごくいけない子だったの。だからよい子に生まれ変われるよう、もう一度、中学1年生からやり直しさせられることになったの。また会ったら仲良くしてあげてね。」
 由美にとっては不本意な説明であった。しかしサエとて、自校の生徒のプライバシィを
他校生徒に話すわけにもいかない。かと言って、更正カリキュラムのシステムをいちいち説明するのも面倒だし、他校の生徒に話す必要もないことだ。結局、こういう説明しかほかに、方法はなかったのである。
 だが県立校の女子高生たちは、自分たちの疑問がだいぶ満たされたようで、ようやく由美たちの集団下校の列から離れた。そして、キャッキャ笑いながら、通りに面したハンバーガーショップに吸い込まれていった。
 こんな恥ずかしい言葉を浴びながら、30分の道のりを毎日、登下校せねばならないのだろうか。由美は暗たんたる気持ちになった。
 集団下校の列がようやく寮にたどりついた頃には、由美は恥ずかしさと口惜しさで頭の中がまっ白になり、どの道をどう通って寮に着いたかさえ、記憶になかった。寮の門をくぐった時には、もう人目にさらされることがない、という安心感からか、由美はグッタリした面もちであった。

《第4章につづく》




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