いじわるな聖母たち 〜天使の微笑・その後〜 (前編)



 気の早い桜の花びらがちらほらと散り始めている外の光景が嘘みたいに、体育館の中の空気は初春というよりも晩冬を思わせるほどに冷え冷えしていた。
 私立K女子中学校の校長である平沼咲子は話し始める前に、目の前に並べられたパイプ椅子に腰をおろしている百二十名の新入生たちを演壇の上から見渡してみた。どの顔も緊張した面持ちで、あまりまばたきもせずに咲子の姿を見上げている。小学校の高学年から中学校に入学する頃の女の子というのはちょうど成長期の只中にあって、もう既に咲子よりも背も高く体重もありそうな新入生も珍しくはなさそうだった。特に、スポーツによる特待生の制度があるこの学校では、実際の年齢のままには見えないほどに成育した体格の生徒も少なくない。
 その中に一人、そんな新入生たちの中では珍しいくらいに華奢な生徒が混ざっているのが咲子の目を惹いた。寒さのためか緊張のせいなのか、いくぶん蒼褪めて見えるその新入生の顔には他の新入生たちと比べてもまだ幼さが残り、肩の少し上あたりで切り揃えたクセのない真っ直ぐな髪と、眉にかかるかどうかという長さでなだらかにカーブするようにカットされた前髪からは、あどけないと表現してもおかしくないような雰囲気さえ漂っていた。そしてその目に宿る、何かに脅えるようなおどおどした色。
 ああ、あの子がそうね。咲子はその新入生の顔に視線を止めたまま、ふと思った。
 だが、そのままいつまでもそうしているわけにもいかない。まだ小学校を卒業したばかりで落ち着きのない飽きっぽい少女たちの微かなざわめきがそこここで広がりかけていたからだ。それは、いつまでも挨拶を始めない咲子への無邪気な抗議の声のようだった。
 咲子は胸の中で微かに苦笑すると、静かな、しかしよく通る声で、彼女たちを歓迎する挨拶の言葉をマイクに向かって話し始めた。
「K女子中学校への御入学おめでとうございます。きょうからみなさんはこの学校の一員になったわけですね。みなさんもよく御存知のように、このK女子中学校は、姉妹校であるF男子中学校、E高等学校と共にスポーツによる人間形成を大きな目標として掲げていて……」

 咲子の挨拶はなかなか終わりそうになかった。
 最初の頃こそ緊張した表情で校長の顔を見つめ、その声に耳を傾けていた井上京子もすぐに退屈してきたようで、咲子に向けてなきゃいけない視線をいつしか、斜め前の席に腰かけている少女に移動させていた。
 入学式の会場になっている体育館に足を踏み入れた時から京子はその少女のことが気にかかってしようがなかった。いつかどこかで見たことのある少女のように思えてならなかったからだ。ううん、正確にいうなら、「いつかどこかで」といった曖昧な記憶なんかじゃなく、それがいつどこでのことだったのか京子は鮮明に記憶していた。それは今から九ケ月ほど前、或る病院での出会いだった。その病院で京子は、その少女と一緒に一ケ月ほどを過ごしたことがあったんだ。
 けれど、京子の斜め前に座っているのがその少女である筈はなかった。
 だって、それが本当に京子のよく知っている少女だったなら……。

 京子がちらちらと目をやっては不思議そうに考えこんでいるその少女にじっと視線を注いでいるもう一つの目があった。それは、新入生や、その後ろにいる上級生たちを取り囲むように壁に沿って並べられた教職員席の一つに腰をおろした梶田美和の目だった。
 三月までは私立E高校の養護担当教諭として保健室をまかされていた美和が、この四月からはK女子中学校の養護教諭として赴任しているのだ。公立校とは違って、私立校間での異動というのはどちらかというと珍しいことなのだけれど、咲子の挨拶にもあったようにE高校とK女子中学校、それにF男子高校とがグループ校ということもあって、それぞれの間の異動ということは少なくないようだ。それに美和の方にも、なんとしてもこの女子中学校へやって来なきゃいけない事情があったのだし。

 やがて咲子も演壇をおり、入学式のセレモニーはゆったりしたペースで進行していった。PTA会長の挨拶、理事長の歓迎の言葉、それに、新しく赴任した職員や教師(もちろんこの中には美和も含まれていた)の紹介。
 そして、『新入生代表による誓いの言葉』。
 進行係を務める教師の声がスピーカーから流れると同時に、京子の斜め前の少女が立ち上がった。やはり緊張のせいなんだろうか、その少女は小刻みに肩を震わせているみたいだった。けれど周囲の生徒たちはそんなことにも気がつかないようで、新しい学校の雰囲気にもいくぶん慣れてきたのか、その少女とは対照的に少しリラックスしたような顔つきになってきている。
『新入生代表、坂本メグミ』
 スピーカーの声が少女の名を呼んだ。
「……はい」
 緊張した面持ちの少女がか細い声で応え、おずおずと足を踏み出す。
「あ……」
 思わずあげそうになった声を慌てて飲みこんだ京子は、坂本メグミと呼ばれた少女の顔を振り仰いだ。――じゃ、やっぱり。やっぱり、あのメグミちゃんなのね?
 しかしメグミは京子の視線にも全く気づかず、弱々しく息を吸いこむと、唇を噛みしめて演壇に向かって歩き始めた。
 ステージの上にしつらえてある演壇に立つには、それまでいたフロアから短い階段を登らなきゃいけない。メグミは緊張した足取りで(両脚が小さく震えているように京子には見えたものだった)階段に足をかけ、スカートの裾を気にするような仕種をしながらゆっくりと登って行く。まさかミニスカートで歩道橋を駆け上がっているわけでもないのに大袈裟な仕種ね。京子はなんとなく妙な思いにとらわれた。そして次の瞬間、はっと気がつく――ひょっとしてメグミちゃん、まだ治ってないの? だからそんなにスカートの裾が気になるの?
 他の生徒にはわからないことかもしれないけれど、そう思って見る京子には、メグミのスカートが少しばかり不自然に膨らんでいるように思えた。
 たくさんの視線を浴びながらやっとのことで演壇に辿りついたメグミは、おそるおそるといったふうに体の向きをかえ、大勢の同級生や教職員に向かって深く頭を下げた。本来なら、新入生代表として演壇に立つことを誇りに思わなきゃいけない。入学試験で一番優秀だったとか、あるいは何かのスポーツ競技で素晴らしい結果を残した者など、その年その年の新入生の中でも優れた評価を与えられた生徒が指名されるんだから。だけど今のメグミの顔には、そんな晴れやかさなんか微塵も浮かんではいない。むしろ、そんな状況に置かれたことを心の底から悔やんでいるようにさえ思えるほどだった。
 しかし、かといって、いつまでも無言でその場に突っ立ってばかりもいられない。
 ゆっくりと頭を上げたメグミはあまり感情のこもらない声で、前もって担任の教師から手渡されていた原稿をマイクに向かってぽつりぽつりと読み始めた。
「私たちは今日から、ここK……」
 だけどメグミは、『女子中学校』と続く筈の校名を読み上げるところで言葉を詰まらせてしまう。そうしてしばらくの間なにか迷っているような表情を浮かべた後、教職員席の方にちらと視線を向け、そこにいる美和の顔を見てから、渋々みたいに言葉を続けた。
「……女子中学校の生徒になります。私たちはまだ小学校を卒業したばかりで何も知らないけれど、先生がたや上級生の……お姉さんたちにいろいろ教えてもらって、K女子中学校の本当の一員に一日も早くなりたいと思っています。そうして、社会に出ても立派に役立つ……現代女性としての知識やマナーを習得し……」
 メグミが原稿を読み上げる様子は、お世辞にも滑らかとは言えないものだった。ところどころでつかえ、或いは言葉を濁しながら原稿を読むメグミの姿は、入試の成績がトップだったから新入生代表に選ばれたのが嘘のようなはがゆい雰囲気さえ漂わせていた。どうしてメグミがそんな読み方しかできないのか、その理由を知っているのは美和と咲子の二人だけだろう。けれど、メグミが口を閉ざしそうになってしまう部分には例外なく『女性』を表現する単語――たとえば『女子中学校』、『お姉さん』、それに『現代女性』といった単語だ――が入っていることに気がついたなら、一ケ月近くもメグミと病院生活を共にしていた井上京子もその理由に思い当たるかもしれない。メグミは無意識のうちに、そんな単語を否定しようとして言葉に詰まっているのだから。
 「……ここにいる百二十名の新入生一同、力を合わせて頑張りますので、先生方やお姉さんたち、私たちを……」
 再びメグミは口をつぐんでしまった。
 そしてそのまま一分が経ち、二分が経過する。今度はどうやら、これまでのように無意識のうちに言葉を詰まらせただけじゃないみたいだ。
 新入生の席のここそこでひそひそ声が起こり、その後ろの上級生が並んでいる席でも互いになにやら囁き合う声が高まる。教職員席でも微かなざわめきの声があがり始めた。
 それまでも伏し目がちだったメグミは、うなだれるように顔を伏せてしまっている。
 進行を担当している教師がマイクの側を離れ、演壇に向かって歩き出した。
 が、それよりも一瞬早く、自分の席から立ち上がった美和がその教師の傍らに立って二言三言小さな声で囁きかける。最初の頃は怪訝そうな表情を浮かべていた教師も、なにやら詳しいことはわからないもののなんとなく納得したような顔つきになると、踵を返して元の場所に戻って行った。そして美和はそのままステージの袖からメグミが立ちすくんでいる演壇に向かって歩を進めて行く。

「どうかしたの?」
 やがてメグミのすぐ横に近づいた美和は、演壇のマイクを避けるようにメグミの華奢な体を少し後ろに引いて小さく声をかけた。
 その声がきっかけになったように、メグミの右目から一雫の涙がこぼる出る。
「……もうヤだ……こんなこと、もうできないよ……」
 メグミは顔を伏せたまま、しゃくり上げるように声を絞り出した。
「やだって言っても、もう遅いのよ。ここまで来ておいて今更あと戻りができないってことくらい、メグミにもわかるでしょ? さ、顔を上げて続けなさい」
 小柄なメグミを見下ろす美和の声は厳しかった。しかし声をひそめているため、下のフロアから様子を見守っている新入生や上級生、職員たちには美和とメグミがどんな会話を交わしているのかは全く聞き取れない。
「ヤだよ、許してよ。――ボクにはもう、こんなこと……」
 ぎゅっと握りしめたメグミの拳が震えている。
「だめ。ワガママは許さないわよ」
 美和が微かに目を光らせてメグミの言葉を遮った。
「だって……」
 伏せたままの目でちらと美和の顔を見上げるメグミ。
「だって……じゃないわ。私は席に戻るからあとをきちんと続けなさい」
 美和は尚も厳しく、叱りつけるみたいに言い聞かせようとする。
「でも……」
「もうあと少しだけなのに、なにを言ってるの?」
「……みんなに見られるの、もうイヤだよ。みんなの見てる中で……」
 蒼褪めた顔色の中で耳たぶだけをぽっと赤く染めたメグミが言葉を濁した。
「え? メグミ、あなたひょっとして……」
 何かに思い当たったのか、ハッとしたような表情で美和が更に声をひそめる。
「……」
 しかしメグミはますます顔を赤くするだけで何も応えられない。
「しょうのない子ね。せめて入学式の間くらいガマンできると思ってたのに――でも、ま、この寒さじゃ仕方ないかもしれないわね。いいわ、私についてらっしゃい」
 そう言うと美和は右手をメグミの背中にまわし、その細っこい体を抱き寄せるようにして、演壇の横にかかっている階段に向かって歩き始めた。
 その様子を目にした進行係の教師が慌てた様子で駆けてくる。
 その慌ただしい足音がきっかけになったように、新入生たちのざわめきがいっそう大きく響く。
 しかしそんな騒ぎなんて全く無視して、美和はメグミを庇うようにゆっくり階段をおり、椅子が並ぶフロアに足を踏み下ろした。
「……どうなんですの?」
 駆けよってきた進行担当の教師が早口で尋ねた。四十歳台の半ばだろうか、細身で落ち着いた感じのベテラン教師なのだが、さすがにこの時ばかりは心底慌てているようで、僅かに声がうわずっている。
「ああ、ええ……軽い眩暈のようですわ。緊張のためかもしれませんわね。もう大丈夫だとは思うのですけれど、念のために保健室へ連れて行こうかと思います」
 美和は胸の中でちろと舌を出しながら、それでも平然とした声で応えた。メグミを実際にみまっているのは眩暈などではないのだけれど、本当のことをその教諭に説明するわけにもゆかない。
「あ、ああ、そうですか? 大事にいたらなければよろしいのですが……ええ、ええ、あとは私にまかせておいて、梶田先生はその生徒――坂本さんを早く保健室へ連れて行っておあげなさい。ね、坂本さんももう気にすることはありませんからね。あとはたっぷり休むといいわ」
 美和の言葉をすっかり信じこんでしまった教師は優しい口調でメグミにいたわるように言い、しきりに頷いてみせた。
「それじゃ」
 右手に力を入れ、更に強くメグミの体を抱き寄せた美和は軽く会釈を返して歩き出した。

 そして、メグミが座っていた席の近くを二人がゆっくり通りかかった時。
「あの……私も保健室について行っちゃいけませんか?」
 ためらいがちな少女の声が聞こえた。
 思わず顔を見合わせた後、美和とメグミが揃って声の方に目をやる。
 二人の目にみつめられてもじもじしてしまう声の主だが、それでももう一度、勇気を奮い起こすようにして口を開く。
「メグミちゃんに何かあったみたいだから……。あの、だから、私がいれば少しは役にたつんじゃないかって思って、その……」
「あなた……京子ちゃん? 井上京子ちゃんなの?」
 しばらくは無言のままでその少女をみつめていた美和だったが、不意に気がついたように驚きの混ざった声を(しかし、その場の雰囲気を考えて充分に声をひそめて)あげた。
 美和が驚くのも無理はないかもしれない。九ケ月前に或る病院に入院したメグミに美和が付き添って世話をやいている時に同じ病院に入院していた少女が京子だ。メグミが一足先に退院してからは連絡を取ることもなくなっていたその京子が今、メグミと同じ新入生として目の前にいるのだから。しかも、他の新入生たちと同じようにしばらく見ないうちに京子もずっと背が高くなり、まだ固いとはいえ胸も膨らみ始めて大人びた体になってきている。身長はもう既に美和と並ぶくらいになり、メグミと比べれば頭一つも高いほどだ。
「わかったわ。あなたがいてくれれば心強いわね。一緒に来てちょうだい」
 咄嗟に心を決めた美和が頷いた。
「はい」
 既に椅子から立ち上がっていた京子はメグミを間に置いて美和の反対側に移動すると、メグミに寄り添うように歩き始めた。
 その光景を目にした教師の一人が席から立ち上がり、何か言おうとしたようだが、大丈夫ですとでもいうように美和が手を振ってみせると、そのまま再び椅子に腰をおろしてしまった。こういう場合は養護担当教諭の意見を最優先しておく方が無難だと考えたのだろう。
 そうして、興味深げに注がれる大勢の視線に見送られて三人は体育館をあとにするのだった。メグミの脚が少しばかり開きぎみでなんとなく歩きにくそうだなと感じた目敏い生徒も数人いたものの、それがたいして重要なこととも思えず、誰にも言わずにそっと見送るだけだった。




 美和と京子に抱かれるようにして保健室へ向かう(みんな入学式に出席しているために人気のない)廊下を歩くメグミの鼻を妙に甘酸っぱい香りがくすぐった。庭に咲く花の香りかと一瞬思ったが、もっと近くからその香りは漂ってくるようだ。それに、花の香りのように甘いだけではない、もっと活き活きした生命の活動を実感させるような、そして、どこか懐かしいような不思議な香り――香りというよりは、生命の眩しさに充ちた匂いといった方が正確かもしれない。
 メグミは無意識のうちに微かに鼻をうごめかしていた。まるで、母親の匂いを感じてもっとその匂いを嗅ごうとしている子犬のように。
 そしてメグミは、その匂いがどこから漂ってくるのかやっと気がついた――すぐ横を歩いている京子の体から仄かにその匂いは発散しているのだった。
 それは、病院にいる頃に知っていた京子の香りとは全く異質なものだった。その頃の京子から漂い出る匂いは清潔そうな石鹸やシャンプーの香りであり、入院が長引いていつしか体に滲みこんでしまったのかもしれない消毒液の匂いだった。なのに今の京子が発散しているのは、少しばかり汗が混ざったような体液の匂いであり、無機質な清潔そうな香りなどではない、生命や性といったものをなまなましく実感させるような匂い――昔、まだ幼かったメグミが母親から嗅ぎ取ったのと同じような『大人の女性』あるいは強烈な『雌』の匂いだった。
 身長や体重、胸の膨らみといった外見だけではなく、京子はその内面から確実に大人への階段を昇り始めているのだ。おそらくもう、初潮も迎えているにちがいない。なのに僕は――なんとなく気圧されて京子の体を避けるようにしながらメグミは唇を噛みしめた――体なんてちっとも大きくならないじゃないか。ううん、それだけじゃないや。成長しないだけならまだしも、いつまでたっても……。
「どうしたの、メグミちゃん。 私と一緒に歩くのはイヤ?」
 メグミが少し離れていく気配を感じた京子が少し寂しそうに訊いた。
「あ、ううん……ただ……」
 メグミは慌てて京子の顔を見上げ(いつのまにか京子ちゃんは僕なんかよりもずっと背が高くなっちゃったんだ)、言い訳でもするように言葉を濁した。
「ただ、照れてるのよね? だって、久しぶりに会う『お姉ちゃん』なんだもの」
 言葉を継いだのは美和の明るい声だった。少し冗談めかして言うその言葉に、しかしメグミの胸は痛んでしまう。
「そんな……『お姉ちゃん』だなんて……」
 照れているのは京子の方だった。なんとなくドキマギしたように頬を赤く染める。
「いいのよ、それで。入院してる時に京子ちゃんがいろいろとメグミの面倒をみてくれてたじゃない? あの姿は立派なお姉ちゃんだったわよ。いろいろ大変なことも手伝ってもらったし」
 にこやかな表情で、尚も美和が言い募る。そうして、メグミの顔を覗きこむようにして言葉を続けた。
「ね、メグミ?」
「え……」
 そう言われても、メグミには返す言葉がない。たしかに美和の言うように、メグミは病院にいる間、あれこれと京子に助けてもらいもした。しかしそれは、今になって思い出しても顔が真っ赤になってしまうほどに(むしろ、それよりも、顔色が褪めてしまうほどに)羞恥に充ちた異様な体験だったのだから。
 そして今また……。
「でも、ほんとにあの時のメグミちゃん、ちっちゃな妹みたいで可愛かったんだもの。
ちっとも大変だなんて思いませんでした。……あ、もちろん今のメグミちゃんもとっても可愛いけど」
 京子は屈託のない声で応える。
「そうね。あの時から比べても京子ちゃんは体も大きくなってずっとお姉さんになってるわ。それに比べてメグミの方はあの時のままだもの、ますます妹らしくなってきたかもしれないわね」
 美和は意味ありげな含み笑いを洩らした。
「あ、いえ、あの、べつにそんな意味じゃ……で、メグミちゃん、どうしちゃったんですか? 気分がわるくなったみたいだけど?」
 メグミが気にしているかもしれないことを口にしてしまったように思って、京子は慌てて話題を変えようとした。
「ええ、進行係の先生にはそう言ってきたんだけどね。ほんとはそうじゃないの」
 悪戯っぽく美和が目を輝かせて言葉を途切った。そして、京子の顔が自分の方に向けられると同時に艶然と笑って言う。
「実は、また……なのよ」
「あ……」
 はじめは何のことかわからなかったらしい京子だけど、じきに何かに気がついたように驚きの声を洩らした。
「……じゃ、やっぱりまだ治ってなかったんですね?」
「やっぱり――って、気がついてたの?」
 ちらと京子の横顔に目をやって美和が興味深そうに尋ねてみる。
「はい、あの……階段を昇る時にしきりにスカートの裾を気にしてるみたいだったから。それで、まだなのかなって」
 入学式での光景を思い出すように目を細めた京子が応えた。
「うふふ、さすが京子ちゃんね。でもこれで話が早いわ。病院の時みたいに手伝ってくれるわね?」
 美和はまるでメグミに言い聞かせるようにはっきりした口調だった。
「はい」
 なぜとはなしに嬉しそうな京子の声がメグミの耳に届いた。

 やがて目の前に、保健室の白いドアが迫ってきた。
 これまでいたE高校とは微妙に勝手が違うものの、保健室の作りというのはどこも大差はないのか、ドアを押し開けた美和は慣れた様子で中へ入って行く。
 そして室の片隅にかかっているカーテンをさーっと引くと、その中に据えられたベッドの方へメグミの体を押しやるようにして言った。
「さ、そのベッドに上がって横になるのよ」
「……」
 しかしメグミは、美和と京子の顔を盗み見るようにちらと視線を動かしただけで口をつぐんでいた。
「何をもじもじしてるの? いまさら恥ずかしがることでもないでしょうに」
 美和は少しばかり意地悪く聞こえるような口調で促した。
「だって……」
「あらあら、おかしな子ね。病院にいる時はおとなしく京子ちゃんにしてもらってたくせに。それとも、初めての保健室が恥ずかしいのかしら?――でもメグミは今日からここの生徒なんだもの、早く慣れなきゃね。これからはいつもこのベッドで、なんだから。でも、ま、一日に五回も六回もここのベッドを使っていればイヤでも慣れちゃうでしょうけどね」
 美和は、唇の端を吊り上げるような笑みを浮かべた。
「え、五回も六回も……?」
 美和の言葉を聞き咎めるように京子が訊き返す。
「ええ、そうなの。最近じゃ病院にいる時よりもひどくなってね、二時間もガマンできないのよ。特に、今日の体育館みたいに寒いと余計にダメみたいね。せめて式が終わるまではもつと思ってたんだけど……。だからひょっとすると、これからは休憩時間の度にここへ来なくちゃいけないかもしれないわね」
 悪戯っぽくウインクをしてみせる美和。
「……大変ですね」
「そうよ。だから、京子ちゃんがいてくれて本当に助かるわ。私を手伝ってくれそうな同級生の子をみつけるにしたって時間がかかりそうだもの」
「わかりました。私にまかせてくださいね、慣れてるから」
 京子はにこっと微笑んでみせた。そして、メグミの背中を軽く押すようにしながら、それこそお姉さんぶった口調で言葉を続ける。
「じゃ、早くしちゃいましょう。このままだと気持ちわるいものね?」
 京子にしてみればほんの軽く押したつもりだろう。それでも、成長期の、しかもスポーツの盛んなこの学校へ入学してくるほどだから筋力もあるだろう京子にとんと押された方のメグミは体重もさほどなく、その勢いで、ベッドにもたれかかってしまう。もういまさら二人に抗うこともできないってことはメグミにも痛いほどわかっていた。メグミは諦めたような顔つきになると、そのままおずおずとベッドに這い上がり、ゆっくりと仰向けに倒れこんでゆく。
 肩にあと僅かで届きそうな髪がぱさっとシーツの上に渦巻く。ブレザーになっている制服の上着がふわりと広がり、濃淡のグリーンをチェック柄にあしらったスカートの裾が小さなシワになる。
「いいわね?」
 念を押すような美和の声が保健室の空気を震わせた。
 メグミは応える代わりに、ぎゅっと目を閉じた。
 それを見た美和が、京子に向かって小さく頷いてみせる。
「じゃ、始めるわよ」
 頬をほのかに上気させた京子が頷き返し、囁くみたいな声をかけた。
 京子の手がメグミのスカートにかかった。そしてそのまま、少しばかりぎこちない手つきでお腹の方へ捲くり上げてゆく。メグミが思わず顔をそむける。
 小さなフレアがあしらわれたスカートの中から現れたのは、淡いピンクの生地に水玉模様がプリントされた下着だった。でもそれは、中学校に入学したばかりの若い娘にふさわしいような可愛らしいショーツなんかじゃなかった。内側からもこもこと膨らんで、前の方にいくつかボタンが並んでいるその下着は、赤ん坊のお尻を包みこむようなオムツカバーだったんだ。もっとも、いくら小柄だとはいっても実際に赤ん坊が使っているオムツカバーでメグミのお尻をくるんでしまうことはできない。それは明らかに、赤ん坊のと同じように可愛らしい生地で作られた、でもサイズだけは特別の、かなり大きなオムツカバーだった。
 で、中学生にもなったメグミがオムツをあてられているのを目にすれば普通ならびっくりしちゃって手の動きを止めてしまうのが普通だろうに、実際にその様子を目にした京子は驚くふうもなく、手早くオムツカバーの腰紐に指をかけて、固く結ばれたその紐をほどき始めている。まるで、そんなことなど前もって知っていたとでもいうみたいに。
 そうして次に京子の指が六つ並んだボタンを外して前当てを開くと、ぐっしょり濡れて微かに黄色く染まった動物柄の布オムツがあらわになった。マジックテープを剥がすベリッという音が響き、オムツカバーの横羽根がメグミの体の下に左右に広げられる。いくらか時間が経ってはいるもののメグミの体温でまだ温かい布オムツから、冷えきった保健室の空気の中へ微かに湯気が立ちのぼっていく。
 室の隅に据え付けてあるロッカーから取り出してきた大きな紙袋を丸椅子の上に置くと、美和は何枚もの布オムツをつかみ上げて、メグミの顔のすぐ横で広げ始めた。自分のすぐ側で美和の手が動きまわる気配を感じてふと目を開けたメグミだったが、それがオムツの準備だとわかるとまた慌てて瞼を閉じてしまい、ぎゅっと唇を噛みしめる。
 京子の指が、メグミの下腹部を覆っているオムツの端にかかった。演壇に立って原稿を読みながら洩らしてしまったオシッコのせいで肌に気味わるく貼り付いている布オムツがそっと剥がされる恥ずかしい感触が下半身から伝わってきた時、メグミは思わず微かな喘ぎ声をあげてしまった。その声が妙になまめかしく京子の耳に届き、却って京子の方が恥ずかしそうに顔をほてらせ、胸を高鳴らせてしまう。
「あらあら、ぐっしょりだわ。すぐに取り替えてあげるから待っててね」
 京子は自分の胸の中のざわめきを鎮めようとするかのように、わざと明るい声でメグミに言った。
 メグミの両脚の間に広がっている前当ての上に、まだ微かに湯気をたてているオムツが静かに滑り落ちた。
 まだ無毛のメグミの股間が京子の目に映った。
 京子の目にとびこんできたのは、本当ならそこにはある筈のないものだった――中学生にもなってオモラシでオムツを汚してしまったメグミの股間には、貧弱ながらも確かに男性のシンボルが生えていたのだ。
 しかしそんなことにも動ずるふうもなく、京子はタオルでメグミの股間をきれいにに拭いてやり、汚れたオムツの始末を続けていた。それはたしかに、小さな妹の世話をやく優しい姉のような仕種だった。
「久しぶりにしては手際がいいわね」
 目を細めた美和が京子の手の動きを覗きこんで、にこやかな声をかけた。
「だって、一ケ月間もメグミちゃんのお世話をしてあげてたんですから……」
 京子は、眩しいものでも見るような目でメグミの横顔を眺めて言った。
 たしかに一ケ月の間、京子は病院のベッドで今のようにメグミのオムツを取り替えてやり、食事を手伝ってやっていたんだ――。




 E高校のスポーツ特待生だった坂本恵が体操部の練習中に鉄棒から落下し、九ケ月前に救急車で運びこまれたのが、美和の学生時代からの友人・河田宏子が看護婦として勤務している病院だった。体育館の床に下半身を激しく打ちつけた恵は意識を失い、オムツをあてられて三日間を眠ったままで過ごさざるをえなかった。そして意識を取り戻した後も膀胱の神経の損傷のために失禁が続き、オムツを外すことができない身体になっていたのだ。
 地方の貧しい生家から一人で出てきて高校の寮で生活している恵には入院中に面倒をみてくれる知り合がいないためE高校の保健室を担当している美和が世話をやくことになったのだが、彼女は少しばかり異常な性癖を持っていた。二十歳台後半の美和だが、彼女は普通の男性に対しては全くといっていいほど性的魅力を感じないのだった。美和が惹かれるのは美少年、それも小柄で、少女と見まごうような愛くるしい顔つきの少年だけだった。しかも美和は、そういった可愛らしい少年に少女のような服装をさせることで異様なほどの悦びを覚えるのだった。そんな美和の妖しい性癖をいたく刺激するのが恵という少年だった。ホルモンバランスの異常のために小学校高学年程度の身長から全く発育せず、いくら体操で鍛えてみてもその身体には筋肉がつかない、華奢で小柄な恵はまさに美和の餌食となるために生を受けたといっても過言ではないだろう。
 自分のお尻を包みこむオムツを誰かに見られでもしたら……と意識を取り戻してからはずっと脅え続ける恵に、美和は「これならオムツを隠すことができるから」という言葉と共に、丈の長い女児用のパジャマを差し出した。そのまるでネグリジェのようなデザインのパジャマを激しく拒んだ恵だったが、オムツカバーが丸見えになってしまう入院着よりはマシよと説得され、遂にはそれを身に着けることになってしまった。それが美和の奇妙な悦びを満足させるための小道具だということも知らずに。その時から恵は、高校生にもなってオモラシでオムツを汚してしまう上に、まるで幼い少女が着るような可愛らしいパジャマを身に着ける、年齢も性別も判然としない奇妙な存在に変貌してしまったのだ。
 そんな異様な状況の中で知り合ったのが、同じ病院に入院していた京子だった。美和と宏子の企みのために(高校生のくせに)小児科病棟に入院させられていた恵のことを自分と同い年くらいの少女と信じきり(恵の体つきや着ている物を目にすれば、それが高校生の少年だと思う者は一人としていないだろう)、なにかと世話をやきたがるその少女を美和はいつのまにか手なづけてしまい、恵に激しい羞恥を与えるために利用し始めた。恵のオムツが濡れる度に京子を呼んでオムツの交換を手伝わせ、恵の喉が渇くと哺乳壜でミルクやジュースを飲ませるのを補助させたりと、美和はことあるごとに京子が恵の世話をやくように仕向けていったのだ。初めて恵のオムツカバーを開けた時にはその中に(発育不良の可愛らしいものだとはいえ)男の子のシルシをみつけて仰天したが、家に小さな弟がいることもあって、すぐにそんなことなんて全く気にしなくなってしまった京子だった。それに、その愛くるしい顔つきや少女めいた体つきといったものを目にしていると、恵の股間に生えている物の方が却って冗談のように思え、いつしか京子は恵のことを幼い妹のように思いこむようにさえなっていったのだから。もちろん美和は、恵が実は高校生だということは京子には知らせなかった。恥ずかしいオムツを隠すために女の子の格好をしている小学生の男の子だと説明するだけだった。
 自分よりもずっと年下の少女から妹みたいに扱われて激しい羞恥と屈辱に心を苛まれ続ける恵だったが、いつしかその生活に甘酸っぱい陶酔を覚えて自ら身を委ね、くるおしいまでに美和の愛情を求めるようになっていったのも事実だった。貧しい家に生まれ、発育不良という身体的なハンディを背負った恵は、幼い頃から全てを自らの力だけで切り開く習慣を身に付けざるをえなかった。そうやって生きてきてE高校の体操部に特待生として入学し、やっとのことで明日への希望を抱くまでになるのに、恵は自分の体や精神を充分すぎるほどに酷使せざるをえなかったのだ。恵は、休むことを知らない馬車馬のようなものだった。それが、事故とはいえ、自らは何もしなくてもいい(何もできないといった方が正確なのだろうけど)環境に身を置くことになったのだ。それはこれまで恵が想像したこともない甘美で穏やかな、ちょっとした夢のような生活でもあった。そして、その生活を与えてくれているのが美和だという無意識の思いを恵が抱くようになっても無理のないことだった。そうして恵は、理性や意識とは随分と離れた心の奥深いところで、この生活がいつまでも続くようにと、美和の目がずっと自分の方を向いているようにと願うようになってゆくのだった。
 事故から三週間ほどの時間が経過し、身体的には完治した筈の恵が失禁を続けていたのも、つまりは恵のそんな精神状態が原因だった。膀胱の筋肉も神経もちゃんと治った筈なのに、その異様な生活の甘い味を知ってしまった恵は無意識のうちにオモラシを続け、オムツを汚し続けるようになってしまったのだった。それは、小さな子供が時おりそうなるような『赤ちゃん返り』に近いものなのかもしれない。ともあれ、いつまでたってもオモラシの治らない恵がE高校の体操部に戻れる筈もなかった。そしてそれは、スポーツ特待生としての立場をも危うくすることを意味していた。そうなれば、E高校に在籍し続けることも、もちろん、寮での生活を続けられるかどうかもわからなくなる。そこへ美和が甘く「私のマンションで生活するなら、学校へうまく説明してあげるわよ」と囁きかけたのだ。それはもちろん、恵を助けるためなどではなかった。せっかく手に入れた新しいペットを手放さずに自分のマンションに連れ帰って飼育するという目的だけのための言葉だった。そうして、美和の胸の内など推し図る術など持たない恵は、「坂本メグミ」という少女として美和のマンションでの生活を始めることになったのだった。




 ――メグミの足首を高く持ち上げて(病院にいる頃と比べると、京子は確かに一回りも身体が大きくなっていた。だからメグミの脚を持ち上げるのも、本当に赤ん坊にそうするように楽々とできるのだった。だけど京子自身はなんとなく、自分が大きくなったというよりも、メグミの方が小さくなったように感じていた。それがまた、メグミに対するいとおしさを倍加させるんだ)美和が用意した布オムツをお尻の下に敷きこんだ京子は、幼児のようなペニスをいたわるように、そっと股当てをおヘソのすぐ下までまわしてきた。
 京子の白い指がペニスに触れ、布オムツの柔らかな感触に包みこまれる奇妙な陶酔感がメグミの下腹部になまめかしく広がる。それは羞恥に充ちた屈辱的な感覚だったが、しかしメグミの性的興奮を掻きたてるに充分な奇妙に甘美な刺激でもある筈だった。
 が、メグミは微かな喘ぎ声を洩らしただけだった。本来ならこの四月からは高校二年生という精気に充ちた年齢の少年であるのだから、それだけの刺激を受ければペニスが変化しても不思議ではない筈なのに、メグミはただ弱々しく喘ぐだけで、その男性のシルシは力なく縮こまったままだった。もっとも、中学に入ったばかりで男性の構造などあまり知らない京子にしてみれば、メグミの一部がむくむくと起き上がったりしたら身を退いてしまうかもしれないけれど。
 感覚としては性的な高まりを受けながら肉体(特に、男性が男性であることを特に誇示できる部分)が反応しない原因は、マンションで隣の部屋に住んでいる山口幸子にあった。夫が留守がちでいつも暇をもてあましている幸子もまた、美和と同じように異常な性癖の持ち主だった。夫が出張ばかりで滅多に帰宅しないことをいいことに、幸子は同性である美和に何年か前から禁断の愛の味を教えこんでいたのだ。そうして美和がメグミという魅力的なペットを連れ帰ってくると、自分もその飼育に加わることにしたのだった。幸子は親切めかして美和に「あなたがお仕事に出ている間、私がメグミちゃんの面倒をみててあげるわ」ともちかけた。その言葉は前もって美和と打ち合わせをしていたもので、美和は二つ返事で(メグミの胸の内など全く知らぬげに)幸子の申し出を受け入れてみせた。
 そうやって昼間はメグミを自分の部屋に招き入れることになった幸子は、メグミに対して様々な羞恥を与え続けた。生後半年になる自分の娘・里美とメグミを並べて寝かせ、同時に二人のオムツを取り替えてみたり、里美と同じような離乳食をメグミに昼食として与えたりもしたのだ。そして遂に、生まれて一年にもならない赤ん坊とお揃いのベビー服を縫い上げてメグミに着せ、その恥ずかしい姿のメグミのペニスをしなやかな指で優しくさすり、これまでにないほどに激しくたかぶらせもした。そのねっとりと絡みつく人妻の指の動きに耐えきれなくなって、自分の下腹部を包みこむオムツの中にかつてないほどの勢いで射精してしまったメグミ。その行為がメグミの心をずたずたに切り裂いてしまったとしてもムリはないだろう。身体的な発育はともかく、これから一人前の『男』としての一歩を踏み出そうとしている時期にまるで赤ん坊のように扱われ、よりによって布オムツの中に射精させられてしまったのだから。
「うふふふ、これでメグミちゃんは里美と同じように赤ちゃんになったのよ。だって、オムツの中に白いオシッコをオモラシしちゃったんだもの」――幸子が言ったその言葉は長くメグミの耳から離れようとはしなかった。
 その倒錯的なできごとの後、メグミのシンボルは、どんな刺激を受けてもぴくりとも反応しなくなってしまったようだ。まるで幼児のそれのように、ただオシッコの通り道としての役にしかたたない。しかも排泄機能さえまともじゃなくなって、幼児どころか、それこそ赤ん坊のように無意識にオシッコを洩らしてしまうだけの惨めなペニス(ううん、本当に幼児のみたいに「おちんちん」と呼んだ方がふさわしいのかもしれない)になってしまっている。
「もう少しだからおとなしくしててね。メグミちゃんはいい子だもんね」
 ほんとうに幼児をあやすように京子はそう言いながらオムツカバーの横羽根を持ち上げた。
 力なく股間に垂れ下がっているだけのペニスがオムツの中に隠れると、メグミの外見は完全に少女に戻ってしまった。それも、中学生にもなってオムツを手放すことができない惨めで羞ずかしく、それでいてどことなく愛らしく甘酸っぱい雰囲気を漂わせている哀れな少女。
 京子は慣れた手つきでその『少女』のオムツカバーの前当てを閉じ、そこに並ぶボタンをぷつっぷつっと留めていった。それから、おヘソのすぐ下で腰紐をぎゅっと結ぶ。
「さ、できた。もういいわよ」
 新しいオムツで膨れたメグミのお尻を目を細めて眺めながら、京子が言った。
「……」
 けれど、メグミからの返事はない。
 メグミにしてみれば、自分のオモラシで汚してしまったオムツを取り替えられることには慣れている。オネショで濡らしてしまったオムツを美和の手で取り替えられるのは毎朝の日課だし、昼間は幸子が、里美と一緒に横たわるメグミのオムツを取り替えることも日常茶飯のことなのだから。それがどんなにか惨めで泣きたくなるような屈辱に充ちた仕打ちなのか、メグミはたっぷりと味わってきた。しかし、メグミのオムツを取り替えるのは美和や幸子といった、自分よりもずっと年上の女性だった。だからこそメグミはいつのまにかそうして幼児のように扱われることに対して奇妙な悦びさえ覚えるようになっていたのだ。それは、貧しい幼児時代しか経験していないメグミが無意識に求めていた代償作用なのかもしれない。
 しかし、それがこうして自分よりも年下の少女からあやすように話しかけられながらオムツを取り替えられることになれば、また新たな羞恥と屈辱が胸の中に渦巻くのも無理のないことだった。もちろん、京子はメグミが本当は自分よりも年上だということは知らされていない。だから京子自身はメグミを辱めたりからかったりするつもりはないだろう。ただ、自分よりもずっと華奢な小さな妹(もはや京子がメグミを男の子と思っていないことは明らかだった)の世話をかいがいしくやくことにほのかな喜びを覚えているだけだ。それはちょっぴりおませな母性本能だと言ってもいいものかもしれない。それでも、そうして京子が邪心もなく接すれば接するほど、メグミはいいようのない無力感と羞恥に責め苛まれるのだった。ああ、ボクは自分よりもずっと年下のそれこそ妹のような少女から、逆に、一人では何もできない幼い妹のように扱われているんだ……。
 メグミは拳をぎゅっと握りしめた。
 それを目にした京子が、お腹の上まで捲くれ上がっていたメグミのスカートを優しく元に戻してやりながら優しい口調で囁く。
「あらあら、そんなに緊張しなくてもいいのに。病院にいた時と同じように、これからもずっとお姉ちゃんがちゃんとしてあげるからね」
 メグミの顔がますます赤く染まった。京子が思わず自分から口にした『お姉ちゃん』という言葉を認めざるをえない自分がひどく惨めだった。
「うん、これでいいわね。これなら、スカートの上から見ただけじゃオムツをあててるなんてわからないわ」
 スカートの乱れを正し、フレアを丁寧に整えてやった京子がにこっと微笑んで言った。
 しかしメグミは無言のまま、ベッドから起き上がろうともしない。唇を噛みしめ、拳を固めたまま、その場にうずくまっているだけだ。
 どうしましょうか?とでも尋ねるみたいな目つきで京子が美和の方に顔を向けた。
「いいわ、そのままで。あ、ううん、気にしないでね――京子ちゃんのせいじゃないんだから。初めての学校の保健室でオムツを取り替えられたからちょっと拗ねてるだけなのよ。あとはそれほど急ぐ行事もない筈だから、少しこのままいさせることにしましょ。よければ、京子ちゃんもここで休んでいくといいわ」
 メグミの顔にちらと視線を走らせた美和が穏やかな声で応えた。
「うふ。それじゃ、そうします。今から体育館に戻るのも気がひけるし、教室へ行っても誰もいないから」
 美和の言葉に、京子はちょっと悪戯っぽく微笑んだ。メグミに対しては少しお姉さんぽく振る舞っている京子も、中学生になったばかりの屈託のない少女なんだ。
「それがいいわ。ちょっと待っててね、お茶をいれてあげるから」
 美和は軽い身のこなしで自分の机に向かうと、シュンシュンとかろやかな音をたて始めている電気ポットを持ち上げた。そして、いつのまにか用意していたらしいティーカップにゆったりと湯を注ぐ。
「さ、どうぞ」
 しばらく待ってティーバッグを引き上げたカップを京子に差し出しながら美和が目を細めた。
「あ、すみません。……うわ、いい香り」
 少しばかり恐縮したように慌ててカップを受け取った京子が微かに鼻を鳴らす。そして、言おうかどうしようかと迷うような表情を浮かべて小声で言葉を続けた。
「……あの、ちょっと訊いてもかまいません?」
「うん? 何かしら?」
 カップを口許に持って行こうとしていた手を止めて美和が問い返した。
「ええ、あの……どうしてメグミちゃん、この学校に?……っていうことなんですけど……いえ、あの、いいです」
 そのことが京子には気になって仕方なかった。だがそれを面と向かって問い質すことも躊躇われるようで、いささかしどろもどろな口調だった。
「ああ、そうね。いくら女の子の格好をしていてもメグミは男の子。それが女の子だけの学校に入学するなんて、京子ちゃんじゃなくても不思議でしょうね」
 美和は謎かけを楽しむみたいな表情になった。
「うん……あ、はい。だから体育館でメグミちゃんを見かけた時もまさかと思ったんですけど……」
 そのことを訊いても美和がさして気をわるくしないどころか、むしろ冗談めかして面白そうな顔つきになるのを見て勇気を得た京子が頷いた。
「そうでしょうね。他の生徒はともかく、京子ちゃんはメグミが実は男の子だってことを知ってるんだもの。――でも、それと同じくらいに私も驚いたのよ。まさか京子ちゃんもこの学校に入学してたなんてね?」
 赤い唇をカップに押し当てるようにしながら美和が少しだけ首をかしげてみせる。
「てへへ、そうですよね。メグミちゃんが先に退院しちゃって、もう私たちが会うこともないと思ってたのに、こうして今度は同じ学校の同級生になるなんて、ほんとに不思議ですよね」
 京子はなんとなくはにかんだような顔で言った。
「あのね、私、小学校の三年生の時からテニスを習ってたんです。お家の近くにテニスコートがあって、隣の家のお姉さんがインストラクターをしてるんですよ。だから、ちょっとやってみようかなって……」
「ああ、それで……」
 美和は納得したように頷いた。
「……そのテニスで素晴らしい才能を発揮したってわけね? いろんな大会でいい成績を収めた京子ちゃんにこの学校からお誘いがかかるのも当然ってことね」
「えへ、素晴らしい才能なんて言われると照れちゃうけど。……でも、簡単に言うとそういうことです。ただ、スポーツで有名なK女子中学に入れることになって舞い上がっちゃった私は練習でも試合でもちょっと無理して、それで筋肉とかをいためてとうとう入院することになっちゃったんですよ。今はもうぜんっぜん平気なんですけどね」
「そうだったの。京子ちゃんが入院してたのはそういう理由だったのね」
 美和は九ケ月前の病院での生活を思い出すように目を細めた。それからにこやかな笑みを浮かべると、まだ目を閉じたままのメグミの顔に一度だけ視線を向けて言った。
「じゃ、どうしてメグミが女の子ばかりの学校へ入学することのなったのかも話しておきましょうか」
「はい」
 真剣な顔つきで美和に向き合った京子がこくんと頷いた。
「メグミ――ううん、恵も本当は近くにある学校へ入学する予定の普通の男の子だったのよ。だけど或る事故のせいでオムツを手放せない体になっちゃったでしょ? それで、男女共学の学校に入るのはやめることにしたの」
「……?」
 京子はなくとなく要領を得ないような顔をした。
「だって、考えてもみて? ちゃんと男の子の格好をしてズボンを穿くことにしたら、オムツで膨れたお尻が目立っちゃうでしょ。だから病院にいる時と同じように、女の子としてスカートで生活できる学校じゃなきゃいけなくなったのよ。それでいろいろと考えてみたんだけど、ここの校長先生が私のちょっとした知り合いだってことを思い出して無理にお願いすることにしたの。恵――メグミを女の子としてこの中学校に入れてもらえるように」
「そんなことが……できるんですか……?」
 心の底から驚いたように、京子はかすれた声を出した。
「できるのよ。現に、メグミはこうしてここにいるんだから」
 真っ赤な唇を僅かに歪めるように微笑んで美和が応えた。
 それ以上、京子は何も訊けない。小学校を卒業したばかりでまだあまり世間のことを知らない京子にしても、そんなことができるとは本当のところ納得できないでもいる。けれど、メグミがたしかに自分の目の前でうずくまっているのも事実だった。
 しばらく迷ってはみたものの、なんとなくこれ以上のことは知らない方がいいような予感めいたものを感じた京子はおずおずと頷いた。
 そんな京子の様子を目にした美和は、満足したようにティーカップを傾けた。

 美和は全てを京子に話したわけじゃない。メグミが実は高校生だということを隠し通しているように、今の説明も美和が適当に作り上げた話だった。京子もうっすらと気づいているように、校長一人だけの裁量で少年を少女と偽って女子中学校に入学させることなどできる筈がないんだから。
 もともと、メグミをK女子中学校に入学させてみようと言い出したのは、E高校やF男子中学校、K女子中学校を運営している教育法人の理事長だった。あまり歴史のない学校の名を広めるためにその理事長が選んだのが、体育系のクラブ活動を盛んにすることだった。そうして幾つかの大会において優秀な成績を収めることで学校の名を世間にしらしめようという計画だった。そのために全国から優秀な選手をE高校に集め、また、その予備軍として二つの中学校では小学校を卒業したばかりの子供たちを早くから囲いこもうとしていたのだ。
 その計画の中にあって、E高校体操部のエース・坂本恵の脱落は大きな痛手だった。小柄で華奢な身体の恵は、そのハンディを克服するような驚異的な柔軟性を持っていた。その体からは、これまでなら高校生レベルでは到底不可能と思われていた難度の高い技が次々に繰り出さたものだった。その恵が転落事故のために膀胱を損傷し、完治するのがいつになるかわからないという報告を美和から受けた理事長は、恵の籍をE高校からK女子中学校に移す計画を思いついたのだ。そのままE高校にいても試合に出られない恵なら、いっそ年齢も性別も偽って女子中学校に入学させてみても面白いと考えてのことだった。中学校に入学して高校を卒業するまでの六年間もあれば恵の身体も元に戻って再び体操部のエースとして活躍させることもできるだろうし、完全には戻らない場合には女子選手として出場させればいいと思ってのことだった。たかが中学校や高校の大会にはセックスチェックも行われないし、恵の外見ならそれが男子選手だと見抜く者いないだろう。
 恵自身がどう思うか? そんなことは知ったこっちゃない。せっかく大金を出してスカウトしてきた選手だ、もとは取らなければな――他の理事が止めようとするのを、その理事長はそう言って強引に計画を進め始めた。
 そのために理事長は美和をK女子中学校に移籍させ、咲子にも有無を言わせず恵を迎え入れさせたのだった。
 メグミがこの学校に入学する(させられる)ことになった本当の事情は、つまりそういうことだった。

 重々しいチャイムの音が聞こえてきた。
「もう入学式も終わる頃だわ。二人とも、そろそろ教室へ行った方がいいみたいね」
 カップを机に戻した美和が壁にかかっている時計を見上げて言った。
「そうですね。じゃ……」
 京子もティーカップを美和に返して椅子から立ち上がった。そして、まだ目を閉じて微かに体を震わせているメグミに向かって優しく声をかける。
「……さ、メグミちゃんも行きましょ。私も一緒なんだから、心配いなくていいのよ」
 が、メグミはベッドに横たわったまま、まるで幼児がいやいやをするように弱々しく首を振るだけだった。
「いつまでそうして拗ねてる気なの? いいかげんにしないとオシオキよ」
 美和はわざと乱暴な手つきでメグミの手を引いてベッドから強引に引き起こすと、僅かに不自然な膨らみをみせているお尻を軽くぶった。
 美和があまり力を入れていなかったこともあるし、薄いショーツじゃなくて何枚もの布オムツの上から叩かれたものだから、メグミは全く痛みを感じなかった。しかし、美和の掌がメグミのお尻に当たった瞬間に保健室の空気を震わせた妙な音(お尻の肌が弾けるピシャリという鋭い音ではなく、たくさんのオムツやオムツカバーのせいで衝撃が吸収された、いくぶん間の抜けたような情けない音だった)がメグミの羞恥を激しくくすぐる。
「あ……ん……」
 まだ声変わりもしていないのだろう、メグミの唇から甲高い呻き声が洩れた。
「さっさとなさい。メグミはもう中学生なんだから」
 『もう中学生』というところを妙に強調するように美和が言った。
 メグミの目の下がさっと赤くなる。
「行きましょう、メグミちゃん。私も一緒だから」
 思わず庇うような口調になって京子がメグミの手を引いた。
「じゃ、お願いね、京子ちゃん。オムツはこの保健室で取り替えるから、またメグミが粗相したようならすぐに連れてきてやってね」
 メグミの羞恥を更にかきたてるみたいに、美和は二人の後ろ姿に向かって大きな声で言った。
 自分のことでもないのに、京子の頬がほのかに赤く染まった。




 保健室から教室に戻った二人を待っていたのは、心配そうな、それでいて微かに好奇の入り混じったクラスメイトたちの視線だった。まだ歴史が浅く、スポーツ特待生の制度があるこの学校には、全国各地から生徒が集まってきている。だから、新入生の中に顔見知りがいるということは極めて稀れなことだった。そんな中で随分と親しそうにしているメグミと京子に好奇の目が向けられるのは仕方ないことかもしれない。
「どうだったの、坂本さん?」
 三十歳を少し過ぎたところだろうか、理知的で落ち着いた感じのクラス担任・清水秀子がいたわるような声をかけて二人を席に導いた。



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