いじわるな聖母たち 〜天使の微笑・その後〜 (中編)



 偶然なのか秀子の計らいなのかはわからないけれど、二人の席は隣どうしだった。ねっとりと絡みついてくるたくさんの視線を浴びながら、京子はそれでも平然とした態度で席についた。それに比べてメグミの方は、
「あ、あの……軽い貧血で、もう大丈夫ですから……」と弱々しく応えるのが精一杯だった。
「そう。それならいいんだけど……。入院の前歴があるから注意してくだいって保健の梶田先生から連絡をもらってるのよ。気分がわるくなったら遠慮しないですぐに教えてちょうだいね」
 メグミの肩にそっと掌を置いて秀子が気遣うように言った。それから、先に席についている京子に向かってこう言った。
「ああ、そうそう。井上さんは病院で坂本さんと一緒だったらしいわね? なにかあったら坂本さんの力になってあげてね」
「はい、先生」
 背筋を伸ばしてきっぱりと京子が応えた。それから秀子に気づかれないように、悪戯っぽいウインクをメグミに向かってしてみせる。
 それに対してメグミの方は、無言で僅かに頬を赤らめると、少しばかり不自然なヒップラインのことをクラスメイトたちに気づかれないように注意しながらスカートの裾をそっと整えて静かに椅子に腰かけるしかできなかった。
 メグミが席につくと、それまで痛いほど集まっていた視線がふっと逸れていく感じがあった。秀子の言葉でメグミと京子との間柄がわかったこともあるし、教壇に戻った秀子が自分に注意を向けさせようとして軽く手を打ち鳴らしたためでもあった。
「これでみんな揃ったわね。じゃ、それぞれに自己紹介をしてもらいましょうか。えーと、前列左側の人からお願いね」

 小一時間もかけてめいめいの自己紹介が終わり、秀子が簡単な注意事項を申し伝えてその日の予定は終了した。校内の案内やクラス委員の選出などは翌日に予定されているようだ。
 他の教室からもぞろぞろと出てきた新入生たちに混ざって、メグミと京子も校舎の玄関にあるホールで、上履きをみんなとお揃いの、甲のところが幅の広いベルトになっていて少しトゥシューズに似た赤い革靴に履き替えて外へ出た。K女子中学校では制服だけではなく鞄や靴まで校則で決められていて、その校則に少しで違反しようものなら厳しい罰が待っている。もっとも、新しい学校にふさわしく制服も靴も若い女の子が気に入りそうな可愛らしいデザインが採用されているために、そのことで不満を漏らす生徒もいないようだったけれど。
 玄関で生徒たちは大きく二つに別れ、一方は左の方へ、もう一方は右の方へ流れて行った。特待生制度を利用して全国から生徒を集めているK女子中学校には敷地内に豪華な寮があって、遠くからやって来た生徒はその寮で生活を送ることになる。それが左の方へ行く流れで、その逆に右側へ歩いて行くのは、自宅や親類の家から通学している生徒たちが校門に向かって行く流れだった。
「ねえねえ、これからメグミちゃんのお家に行ってもいいでしょ?」
 もうあと五、六歩で校門という所で京子が少なからず強引な口調でメグミに言った。
「え? でも……」
 突然のことにメグミは口ごもった。
「だって、私たちはこれからずっと一緒なのよ。だから、お互いのことを詳しく知っておいた方がいいと思うの。もちろん、メグミちゃんにも私の家に来てもらうわ。だから、今日は私がメグミちゃんのお家に行きたいのよ」
 京子はメグミの前に立ちふさがるようにして言った。いつのまにかメグミよりも頭一つも背が高くなってしまった京子がそんなふうにするとちょっとした迫力がある。
「そんなこと言ったって……」
 メグミには、どうしても他人に知られたくない秘密があった。
「ひょっとして、梶田先生と一緒に暮らしてることを気にしてるの? でも、そのことなら大丈夫よ。さっき、保健室で先生から教えてもらったもの。それに、先生が私にメグミちゃんと一緒にお家に来るといいわって言ってくれたんだから」
 京子はにこっと微笑んで言った。
 保健室でメグミのオムツを取り替えながら二人が何か小声で親しそうに話していたのが、どうやらそのことらしい。その時メグミは激しい羞恥に耐えかねてぎゅっと目を閉じ、耳をふさいでいたから二人が何を話しているのかは知る術がなかった。それにしてもそんなことまで京子に打ち明けていたなんて……。
「でも、だって……」
 メグミは言葉を濁した。
 美和と一緒に暮らしていることを知られたことに少なからぬショックを受けたこともあるけれど、そんなことよりも、本当に京子がマンションを訪れたりしたらメグミが普段どんな生活を送っているのかを知られてしまう恐れがある。
「でも、じゃないわよ。私はちゃーんと梶田先生から頼まれたんだもの。さ、早く行きましょ」
 メグミの胸の内なんてまったく知らぬげに、京子はそう言うとさっさと校門に向かって歩き出した。その場に立ちすくんでいるメグミの体に、後ろから歩いてくる何人かの新入生の肩が触れる。その度に、そんな場所に佇んでいるメグミに向かって怪訝な視線が投げかけられた。仕方なくメグミも京子のあとを追うことにする。

 最初の頃こそK女子中学校の新入生たちで混み合っていたバスも幾つかの停留所に停まる度に次第に空いてきて、今は、買い物の帰りらしい主婦や病院へ向かう途中の老人ばかりになっていた。もっとも、空いてきたといってもぎゅう詰めだった状態がいくらかマシになってきた程度で、釣り革は全てふさがったままだった。京子はそのうちの一つにつかまり、小柄なメグミの体を庇うように腰に手を廻してバスの揺れに身をまかせていた。爪先立ちをしなければ釣り革につかまれないメグミは、それこそ本当に小さな妹のように京子の袖口をつかみ、慣れない人込みに耐えているばかりだ。
 制服のブレザーよりも僅かに明るい色合いの深いベレー帽に一年生を表す鮮やかなコバルトブルーの小さなリボンを付け、お揃いのデイパックを背負ったメグミと京子(これが学校指定の通学鞄なんだから二人が同じ物を背負っているのは不思議でもないんだけれど)のそんな姿は、そのバスの中で少しばかり目立つ存在だった。買い物袋を手にした主婦は自分の若い頃を思い出しているのか自然と暖かい視線を送り、老人たちは眩しそうな目を向けている。けれどまさか、そのうちの小柄な方の少女が実は十七歳の少年だと気づく者がいるはずもない。
 不意にメグミは、腰の辺りに妙な感触を覚えた。メグミの体を支えるようにしている京子の手とは別の、もっとごつごつした感じの掌が妙にもぞもぞと動き回っているような感覚だった。
 メグミは思わず体をくねらせた。
 けれど、その掌が離れる様子はない。むしろ、ブレザーの裾をかきわけるようにしてますます無遠慮にメグミの肌の感触を楽しんでさえいるようだ。
 もう間違いない。その掌は偶然でメグミの体に触れたのではなかった。
 メグミは体をこわばらせ、かろうじて目だけを動かして背後の様子を窺った。
 メグミの背中に体を押しつけるようにして立っていたのは、どことなく脂ぎった感じのする若い男だった。身なりから判断すると、大学生くらいかもしれない。男はいやらしく目尻を下げて、しかし周囲の人間に気づかれないようにさりげない様子を装ったまま右手を動かし続けた。
 慌てて視線を戻したメグミは、けれど何の抵抗もできず何の言葉も出せないでいた。本当ならこの四月で高校二年生になる男の子のボクが痴漢に肌を触られている――そう思うと、そのあまりの屈辱に身じろぎもできなくなるのだった。そして、本当の女性のように悲鳴をあげることも躊躇われる。
 男の手がスカートのサイドジッパーを僅かに引き下げた。濃いグリーンと淡いグリーンに細い黒のラインがあしらわれたチェック柄のスカートの裾が微かに揺れるが、そんなことに気づく乗客はいない。知っているのは、いやらしい獣じみた男とメグミ自身だけだった。
 僅かにジッパーが引きおろされたためにできた隙間から、男が手をスカートの中に滑りこませようとしていた。メグミが小刻みに体を震わせるのを楽しんででもいるように、男の掌はもぞもぞと蠢き続ける。
 知らず知らずのうちに、メグミは京子の袖口をつかんでいる手に力を入れた。
 どうしたの?とでも訊くように京子がメグミの顔を見た。京子の顔を見上げるメグミの唇が震え、瞳が潤んでいるように見える。
 とうとう、男の手がスカートの中に忍びこんできた。そのままそろそろと差しこまれてくるじとっとした不快感。
「やだ……」
 メグミの口から弱々しい声が洩れた。
 同時に、男の手が動きを止めた。しかしそれは、メグミの声のせいではなかった。それよりも、スカートの中から伝わってくる、これまで経験したことのない奇妙な感触に男は戸惑っているようだった。男の掌が触れているのは、馴染みの深いコットンのショーツなんかじゃなかった。
 しかし、その違和感のために男が迷ったのは一瞬だけだった。却って好奇心を煽られた男は、グビッと唾を飲みこんで自分の体をますますメグミの背中に押し付けるように迫ってきた。
 その時になって、京子もメグミの身に何が起こっているのか気づいたらしい。
 京子は男の顔を睨みつけてメグミの体を引き寄せた。
 ちっと舌打ちをした男はメグミのスカートから素早く手を引き抜くと、そ知らぬ顔をして人込みをかきわけるようにして通路を前の方へ歩いて行った。
「大丈夫?」
 京子は腰をかがめ、声をひそめて訊いた。
「あ……」
 半ば開いたメグミの唇からはそれ以上の言葉は出てこず、代わりに、潤んだ瞳から一粒の涙がこぼれ出た。
「どうかされました?」
 それを目にした、すぐ前の椅子に腰をおろしていた初老の上品そうな女性が心配そうに声をかけてきた。
「あ、あの……いいえ、何も……」
 咄嗟のことに、京子は言葉を濁した。
「そうですか? それならいいんですけど……もしも気分がよくないようならお席を替わりますわよ」
「いえ、本当に……きゃっ」
 京子が悲鳴をあげた。歩道からとび出してきた自転車を避けようとして運転手が急ブレーキを踏んだらしい。
 釣り革を持っていた京子はかろうじて倒れずにすんだが、さっきの出来事に心を奪われたままになっていたメグミは京子の袖口から手を離してしまい、そのまま尻餅をつく格好で通路に倒れこんでしまった。
 幸い両手で体を支えるようにして倒れたおかげで上半身はそのままで頭を床に打ちつけることはなかったが、チェックのスカートがはらりとお腹の上まで捲くれ上がってしまった。
 通路に仰向けに倒れこんだメグミに乗客の視線が集まった。最初の頃は心配そうにメグミの顔を向いていた視線が次第次第に、スカートの下から現れたピンクのオムツカバーに向けられるのが痛いほどに感じられる。バスの通路に倒れこんだ中学生の女の子がスカートの下にショーツではなくオムツカバーを身に着けているんだから、好奇に充ちた視線が集まるのも無理はない話だった。
 あっと言うように少し開いた唇をただ唇をわなわなと震わせながら、メグミは起き上がろうともしなかった。あまりのことに体が硬直し、身動き一つできなくなっている。
「メグミちゃん」
 京子がぱっと釣り革を離して駆け寄り、抱え上げるようにしてメグミの体を引き起こした。
 京子は両手でメグミの肩を支えながら運転席に近づくと、あらためてバスを走り出させようとしていた運転手に言った。
「すみません。私達、ここでおります」
「でも、ここは停留所じゃないし……」
「わかってます。でも、このままじゃ……お願いですから」
 京子はメグミを気遣うようにちらと視線を向けた。
「……仕方ないな。じゃ、そうしようか」
 何があったのか、おおよそのことはミラー越しに見て知っている運転手は仕方なさそうに頷いてドアを開けた。
「ごめんなさい」
 まるで逃げ出すみたいに、京子とメグミはバスをおりた。

「ほら、バスはもう行っちゃったわよ。もうこれで、メグミちゃんの秘密を見た人は誰も近くにはいないのよ。ね?」
 京子は、両手の掌でメグミの頬をはさみこむようにして言った。
「え……え、えええ……ふぇぇん……」
 突然、メグミは京子の胸に顔を埋めるようにして泣きじゃくり始めた。十七歳の少年がまるで姉に甘えるような仕種で、自分よりも四歳も年下の少女の胸で泣いている。もしもこの場に美和がいたら、唇を歪めてうっすらと笑うかもしれない。しかし、幸いにもここには誰もいない。
 鉄棒からの転落事故の後これまで、オムツの外れない小さな女の子のように扱われ続け、今はバスの中で若い男性から痴漢行為を受けた上にスカートの中のオムツを大勢の乗客に見られてしまったメグミだった。しかし実のところ、メグミがもしも本当の少女なら、こんなに哀しくなることもないのかもしれない。それが本当は少年(それも、高校二年生になっている筈の)だからこそ、こんな状況が悔しくて悲しくてどうしようもなくて何もかも忘れるように泣きじゃくってしまうのかもしれない。
「いいのよ。もっともっと泣くといいわ。泣いて、悲しいことなんて吹き飛ばしちゃえばいいのよ」
 京子はメグミの肩を抱き寄せ、さらさらの髪を右手の指で優しく梳いた。
「メグミちゃん、本当に妹みたいで可愛いわ。――そうよ、メグミちゃんは私の妹なのよ。小っちゃなおちんちんが生えてるけど、あれは何かの間違いね。メグミちゃんは女の子……まだオムツの外れない可愛い妹なのよ。さ、涙を拭いてあげようね」
 京子はメグミの体を優しく押し離した。
 メグミの目からはまだ大粒の涙がこぼれていたが、少しは落ち着いてきたようだ。なんとなく照れたような、曖昧な笑みさえ浮かびかけている。
 京子はポケットから純白のハンカチを取り出してメグミの顔に近づけた。と、不意に何かをみつけたようにメグミの下半身に目を向け、クスッと笑った。
「あらあら、スカートが捲くれ上がったままだったのね。水玉模様のオムツカバーが見えちゃってるわ」
 京子の言う通りだった。さっきバスの中で倒れてお腹の上に捲くれ上がったスカートがまだそのままで、オムツカバーが半分ほどのぞいていた。
「いや……」
 まるで本当の少女のような悲鳴をあげたメグミは慌ててスカートを手で押さえた。
 その時、オムツカバーの裾ゴムから内腿を伝ってくるぶしの方へつーっと流れ落ちる小さな雫が京子の目に映った。
 京子は何も言わずにオムツカバーの裾から中へ左手を差し入れた。中の様子を探るまでもなく、ぐっしょり濡れた布オムツの感触が伝わってくる。
「いつ?」
 京子はオムツカバーの中に差し入れた手をそっと引き抜きながら、メグミの耳元に唇を寄せて訊いた。
「さっき、バスに乗ってて尻餅をついた時。――学校を出る時からガマンしてたんだけど、倒れたショックで……」
 スカートの乱れをおずおずした動作で直しながらメグミは応えた。それはまるで、オモラシをみつかった幼女のような仕種だった。
「そう。じゃ、早く取り替えなきゃね。替えのオムツは持ってるんでしょ?」
「持ってる。持ってるけど、でも……」
 メグミは不安そうな顔で言い淀んだ。
「心配しなくていいわ。この辺りは公園になってるし――ほら、あそこにベンチがあるわよ」
 京子はこともなげに言った。
「え? だって……」
「心配いらないわよ。もうすぐお昼っていうこんな時間に公園にいる人なんていないんだから。それにそのままじゃ、まだまだオシッコが滲み出してくるわよ。そうなったら、余計に恥ずかしいんじゃないの?」
 京子の口ぶりは子供を諭すみたいだった。
「そんな……」
 メグミは力なく首を振った。
「ほらほら、いつまでもそうしてたってどうにもならならいわよ。さ、いらっしゃい」
 京子は言って、メグミの手をムリヤリ引いて歩き出した。
「あ……」
 京子に引きずられるようにしてメグミも仕方なく歩き始めた。両足をいくぶん開きぎみにしたその格好は、いかにも歩きにくそうだ。ぐっしょり濡れたオムツが下腹部の肌にべったりとまとわりついているせいだろう。とぼとぼと歩を進めるメグミの内腿を、オムツカバーの裾から滲み出したオシッコが二雫、三雫つつっと伝って流れ落ちていった。

 京子の手でデイパックを背中からおろされたメグミが木製のベンチに横たわった。頭の真上にある太陽から暖かな光が木の葉の隙間をぬって降り注ぎ、メグミの体を穏やかに包みこんでいる。
「うふふ。これなら寒くなくていいわね」
 メグミが背負っていたデイパックを開けながら京子が目を細めた。
 けれどメグミの方はぎゅっと瞼を閉じ、掌で顔を覆って押し黙ったままだ。
 メグミのデイパックの中には、替えの布オムツが何枚かとオムツカバーが一枚入っていた。本当なら教科書やノートを入れるための鞄が、メグミにかぎっては、歩き始めたばかりの赤ん坊がよく背負っているような、オムツを入れたリュックと同じ役割を果たしているのだった。
 ベンチに横たわったメグミのスカートをあらためて捲くり上げた京子は、オムツカバーの腰紐を慣れた手つきでほどいてしまった。それから、左右に三つずつ並んだホックを手早く外し、横羽根を留めているマジックテープをベリッと音をたてて剥がす。左右に大きく開いた横羽根の次に前当てが開かれると、僅かに黄色く染まった布オムツが現れた。オムツが濡れた後でメグミが歩きまわったせいか、オムツカバーの中のオシッコはあますところなく広がり、布オムツはどこもぐっしょりと濡れそぼっているようだ。
 メグミの足首を持ち上げて腰を浮かせ、京子はオムツカバーと一緒にオムツを手前に引いた。そしてそのまま、汚れたオムツとオムツカバーを、デイパックから取り出したビニール袋に押しこんだ。それから、新しいオムツカバーと布オムツを組み合わせて、ベンチから浮かせたままにしているメグミのお尻の下に滑らせた。
 掌の隙間から少しだけ見えているメグミの顔には、いくらかホッとしたような、それと同時に激しい羞恥に苛まれた、表現しようのない表情が浮かんでいる。新しい布オムツをあてられる時の柔らかくてぬくぬくした感触を覚える度に、その優しい感触のために却って羞恥心がひどく刺激されるのは何度経験しても馴れることはない。
 股当てのオムツでメグミのペニスを隠したところで、京子がふと思いついたように訊いた。
「ねえ、メグミちゃん。今はまだいいけど、もうすぐして授業が始まったらどうするの? デイパックは教科書とノートでいっぱいになっちゃうよ」
「……」
 メグミは無言で恥ずかしそうに顔をそむけるだけ。
「ねえってば」
 それでも京子は、興味深そうに尚も繰り返す。
「……替えのオムツはママが前もって保健室のロッカーに用意しておいてくれることになってるから。……それに、手提げの袋を持って行けるようにママが担任の先生にお願いしてるし……」
 掌で顔を覆ったまま、京子のしつこさに負けて渋々のようにメグミが応えた。
「え、『ママ』ですって? ねえねえ、ママって誰のこと?」
 好奇心いっぱいの京子は、メグミの説明の中に出てきた言葉を聞き逃さなかった。
 メグミは思わず唇を噛みしめた。
 中学生にもなって(高校生にもなって、かな?)オムツを取り替えられる激しい羞恥は、けれどメグミにとっては美和に対して無条件に甘えているんだということを実感させてくれる甘い感覚でもあった。美和にとってはメグミはたんなるペットでしかないかもしれないけれど、メグミにしてみれば、美和は甘えの対象であり、絶対的な保護者だった。そんな美和の手でオムツを取り替えてもらうことは、自分の全てを美和に委ねて甘い庇護の下に置かれることを意味していた。そんな生活を続けているうちに、オムツを取り替えられている間には緊張を解き、まるで夢の中にいるような気分になってしまうようになっていったのも仕方ないことだった。そうして今も、京子の手でオムツを取り替えられているということを忘れ、ついいつもの生活の中でそうするように美和のことをママと呼んでしまったのだった。
「誰なの? 私にもちゃんと教えてちょうだいよ」
 うすうす気づいているだろうに、わざとしつこく京子が言った。
「……梶田先生……」
 根負けしたように、メグミはぽつりと呟いた。
「ふーん。メグミちゃんたら、梶田先生のこと、普段はママって呼んでるんだ。へーえ」
 クスクス笑いながら京子はしきりに感心してみせた。
 そしてにっと微笑むと、悪戯っぽい口調でこう言った。
「じゃあさ、私のことは『お姉ちゃん』って呼んでくれるよね?」
「そんな……」
 メグミは戸惑った。
「いいでしょ? 梶田先生がママなら、私はお姉ちゃんだもの。可愛い妹の面倒をみてあげる優しいお姉ちゃんだよ?」
「だって……」
「いやなの? いやならいいわよ、私は。でもそのかわり、メグミちゃんのオムツのお世話なんて絶対にしてあげないんだからね。――あら、むこうから誰か近づいてくるみたい。じゃ、私はこのまま帰るわね」
 メグミのオムツをそのままにして、京子は意地悪く言って立ち上がった。
 京子の言葉に、メグミは顔を覆っていた両手を元に戻して不安そうな目で周囲を見回した。確かに京子の言う通り、公園の端からこちらへ向かって歩いてくる人影がある。
 京子は軽くウインクしてみせると、体の向きを変えて歩き出した。
「あ、待ってよ……」
 思わずメグミは顔を上げて京子の後ろ姿に声をかけた。このまま放っておかれれば、自分でオムツをあてたことなんてないメグミがもたもたしているうちに、今は遠くに見えている人影も間違いなくすぐ側までやって来るだろう。かといって、スカートの下に何も着けずに公園からマンションまで帰る勇気もない。
「あら、何かしら?」
 わざとのように澄ました顔で振り返る京子。
「ほんとにこのまま行っちゃうの……?」
 おそるおそる尋ねるメグミの声は震えていた。
「そうよ。メグミちゃんが私のこと、お姉ちゃんって呼んでくれないんだもの。仕方ないわよね」
 京子は僅かに首をかしげて、お尻の下にオムツを敷きこまれたままのメグミを睨みつけた。
「それとも、やっとその気になってくれたのかしら?」
「……」
 メグミはベンチの上でうなだれた。
「じゃ、バイバイ」
 京子は肩をすくめると、再び体の向きを変えた。
「……待ってよ、お、おね…え……」
「……」
 京子は足を止めた。けれど、体は公園の出口に向いたままだ。
 メグミは下唇をぎゅっと噛んだ。そして決心を固めたような顔つきになると、頬をひきつらせるみたいにして弱々しく言った。
「……ボクを置いていかないでよ、お姉ちゃん」
 その言葉を耳にして京子が、とろけるような笑顔で振り返った。
「うふふ。いいわよ、メグミちゃん。そうして素直になってくれるメグミちゃんなら、お姉ちゃんも大好きよ。――それで、お姉ちゃんに何をしてほしいのかしら?」
 とびきりの笑顔になりながら、京子は尚もメグミを責めた。
「な、何をって……そんなの、わざわざ言わなくても……」
 メグミはしどろもどろになって言葉を濁した。
「言えないの? ふーん、メグミちゃんは口もきけない赤ちゃんだったのかしら。それなら、その格好を誰かに見られても恥ずかしくないわよね。オムツを取り替えられてるところを見られて恥ずかしがる赤ちゃんなんていないもの」
 京子は、次第に近づいてくる人影に目をやった。
「あ、ん……そんな意地悪いわないでよ……」
 メグミは懇願するような口調になった。
「意地悪なんかじゃないわよ。これは、しつけなんだから。メグミちゃんももう中学生なんだから、何をしてほしいのかってことくらいちゃんと言えるようにならなきゃいけないわ。そのことを教えてあげてるだけなんだから」
 京子は腰に手を当ててメグミの体を見下ろした。
「……わかったよ、言うよ……オ、オムツを……」
 メグミの言葉が途切れた。
「オムツをどうしてほしいの?」
「早くオムツをあててよぉ。人が来ちゃうよ」
 メグミの声は泣き出しそうだった。
「それじゃダメよ。誰かに何かをお願いする時はもっと丁寧に言わなきゃいけないわ。メグミにオムツをあててください、お姉ちゃん――でしょ? はい、言ってごらん」
 京子は幼児に言い聞かせるように指を振ってみせた。
「……メ、メグミにオ、オムツ……オムツをあてて…ください……お姉ちゃん……」
 メグミは京子と目を合わせないようにしておずおずと呟いた。
「そうそう、お上手よ。じゃ、メグミちゃんの大好きなオムツをあててあげようね。ほーら、アンヨを上げて」
 大袈裟に頷いてみせた京子は、メグミの足をもう一度高く持ち上げた。
「あ、そんなことしたら何をしてるのかわかっちゃう……」
 メグミはオムツの上で身をよじった。
「大丈夫だって。まさか、公園のベンチで中学生の女の子がオムツを取り替えてもらってるなんて思う人はいないわよ」
 京子は、『女の子』と『オムツ』をことさら強調して言った。
「……」
 顔を真っ赤に染めて何も言えなくなるメグミ。
 京子の手が動き始めた。少しずれかけていた股当てをあらためて整えてから、端を三角に折った左右の横当てを持ち上げ、軽く結わえるように重ね合わせて、それをオムツカバーの横羽根でしっかり留める。そこへ前当てを重ねてホックを留め、腰紐を強く結んでお終い。
 新しいレモン色のオムツカバーの前当てには子熊のイラストがアップリケになって縫い付けられていた。メグミが恥ずかしそうに両脚をくねらせる度にアップリケの子熊が笑うように表情を変え、オムツカバーの裾ゴムが微かにきゅっきゅっと鳴った。
「さ、いいわよ」
 お腹の上に捲くりあげていたスカートを優しく元に戻してやりながら京子が声をかけた。
 ちょうどそこへ、遠くに見えていた人影がもうすぐ側までやってきていて、ベンチに横たわったままのメグミの姿を目にとめた。その人影は、お昼前の散歩を楽しんでいたらしい、二歳くらいの女の子を連れた若い母親だった。
「どうかしたの? 気分がわるいんじゃないの?」
 その女性は、メグミの顔を心配そうに覗きこみながら京子に言った。
「あ、いいえ……あの、天気がいいから日なたぼっこしてるだけです」
 京子は軽く首を振って応えた。それから、悪戯っぽい微笑みを浮かべてメグミに同意を求めるように声をかけた。
「ね、メグミちゃん?」
「そう? それならいいけど……でもまだ四月も始まったばかりで急に寒くなることもあるから気をつけた方がいいわよ」
 女性は穏やかな声でそう言うと、小さな娘の手を引いてゆっくりした足取りでベンチから離れて行った。二つの影が、温かい空気の中で微かに揺らめいて見えた。
「ねえねえ、見てごらんなさいよ、メグミちゃん。お母さんと一緒に散歩してるあの子、もこもこのオムツカバーでスカートが膨らんじゃってるわ。それにオムツのせいで歩きにくいのかしらね、一生懸命よちよち歩きでついていってるわよ。――うふふ、メグミちゃんとそっくりね」
 二人の後ろ姿を見守る京子が言った。
 どこから飛んできたのか桜の花びらが一枚、メグミがブレザーの下に着ている純白のブラウスの上にふわりと舞いおりた。




 かろやかなチャイムの音が聞こえた。
 昼食の準備を終えたばかりの山口幸子は壁にかかっている時計をちらと見上げてからキッチンを出て玄関に向かった。
 ロックと防犯チェーンを外して玄関のドアを外側に開くと、メグミの小柄な体が見えた。
「おかえりなさい。でも、遅かったのね。どうしてたの?」
 メグミを迎え入れようとドアを大きく開けながら幸子は言った。
「あ、うん……ちょっと公園に……」
 メグミはおどおどした声で応えた。
「あらあら。入学式の日から道草? 困った子だこと」
 幸子はわざと大きく溜め息をついてみせた。
「あ、ちがうんです。あの、私が誘ったから……」
 ドアの陰にいた京子がちょっと慌てたみたいな早口で幸子に言った。
「あなたは?」
 少しばかり訝しむように幸子は京子の方に顔を向けた。
「井上京子といいます。あの、メグミちゃんとは同級生で……」
 京子はぺこりと頭を下げて急いで説明しかけた。
「ああ、あなたが井上さん? 美和――梶田先生がかけてきた電話で話してたわ。メグミちゃんの同級生も一緒だからよろしくって。梶田先生の頼もしいアシスタントだそうね? 私は、梶田先生が留守の間メグミちゃんのお世話をしてる山口幸子。よろしくね」
 幸子は京子の言葉を遮って優しく笑ってみせた。
「あ、はい。――私も山口さんのことは梶田先生から教えていただきました。先生が帰ってこられるまで、メグミちゃんはこちらで預かってもらってるんですってね。私の方こそよろしくお願いします」
 京子も顔を輝かせて快活に応える。
「さ、入ってちょうだい。井上さん――ああ、井上さんって呼ぶのも他人行儀ね。京子ちゃんでいいかしら? その代わり、私のことはおばさんでいいから。さ、京子ちゃんも一緒に食事していってね」
 幸子は楽しそうに二人を招き入れた。
「あ、でも……」
 京子は遠慮がちに首を振った。
「いいのよ。梶田先生から電話があって、あなたの分も用意しておいたんだから。それに、メグミちゃんもお友達が一緒だと楽しいでしょうし。ね、メグミちゃん?」
 最後の方はメグミの顔に視線を動かして、意味ありげな口調で幸子が言った。
「……」
 メグミは無言で、幸子の視線を避けるように目をそらした。
「さあさあ、とにかく入ってちょうだい」
 そう言うと、幸子は二人の体を半ば強引に廊下に押し上げた。
 そこへ、とてとてと小さな足音が近づいてくる。
 廊下の奥から現れたのは、公園で出会った少女くらいの女の子だった。その女の子はメグミの顔を見ると嬉しそうな笑顔になり、あぶなっかしい足取りで駆けてくる。
「私の娘で、里美っていうの」
 幸子はその子を抱き上げると、京子の方に顔を向けさせて言った。それから今度は、娘の耳元で優しく言い聞かせる。
「ほら、里美。このお姉ちゃんはメグミちゃんのお友達で京子さん。仲良くしようね」
 ちょっとだけ恥ずかしそうにしていた里美も「メグミちゃんのお友達」という言葉がわかったのか、京子に向かって可愛らしい笑みを投げかけた。
「よろしくね、里美ちゃん」
 京子はおどけた仕種で里美と握手してみせた。幼児特有の温かい体温が掌に伝わってくる。
「めーみたんのともだち?」
 メグミちゃんの友達?と言ったんだろう。年齢のわりには発育が早いのか、里美の口調は意外としっかりしていた。
「そうよ。お友達……ううん、お姉ちゃんかな」
 京子はクスッと笑ってから言い直した。
「めーみたんのおねえたん? さとみもめーみたんのおねえたんだよ」
 里美もメグミちゃんのお姉ちゃんだよと言ったのかしら? 京子は少し戸惑ったように幸子の顔を見た。
「うふ、里美の言った意味はすぐにわかるわよ」
 幸子は謎かけを楽しむみたいな目つきをしただけだった。そして、今度はメグミの方を振り向いて言った。
「ゴハンの前にメグミちゃんは着替えなきゃね。さ、お室へ行きましょう」
「いやだよ……今日は京子ちゃんが来てるんだもの、このままでいいよ」
 幸子の言葉を耳にしたメグミは思わず後ずさりした。
「何を言ってるの。美和も電話で言ってたわよ――ありのままのメグミの姿を京子ちゃんに見せてあげてって。さ、おとなしくしてちょうだい」
 幸子は僅かに厳しい口調になると、メグミの手首をつかんだ。
「ごめんなさい、京子ちゃん。すぐにすむから、そのリビングルームで待っててもら
えるかしら」
 幸子は玄関に一番近い室に顔を向けて言った。そうして、片手で里美の小さな体を抱えたまま、メグミの体を引いて廊下の奥に向かって歩き出す。
 幸子に言われるまま、京子は所在なげにリビングルームの床に腰をおろした。
 が、じきに立ち上がると、足音をしのばせて廊下に足を踏み出した。向かうのはもちろん、幸子が無理やりみたいにメグミを連れこんだ奥の室だ。
 洋服を着替えるだけなのに、メグミちゃんは何を嫌がってるんだろ? ふと胸の中に浮かび上がってきた疑問のとりこになった京子は、好奇心に導かれるように廊下を真っ直ぐ進んで行った。オムツを手放せないことも、メグミちゃんが本当は男の子だってことも山口さんはとっくに知ってる筈だし、そんなことは私も知ってるのに、いまさら何を恥ずかしがってるのかしら?

 奥の方にある室のドアが少し開いたままになっていた。
 京子は壁に身を寄せて、ドアの隙間から室内の様子を覗きこんだ。まるで図ったみたいに、京子の視線のすぐ先にメグミの体があった。
「まずオムツからね。ぐっしょりなんでしょ?」
 幸子は、メグミのオムツが汚れているのが当たり前とでもいうような口調だった。
「あ、ううん……大丈夫……」
 室の中央に両脚を伸ばして床にぺったりとお尻をつけた格好で座っているメグミはおどおどした様子で幸子の顔をちらちらと見上げて応えた。
「あら、ガマンできたの?」
 意外そうに幸子が問い返した。
「そうじゃないんだけど……あの、途中で……」
 メグミは応えにくそうに口ごもった。
「ああ、それで。――公園に寄ってきたっていうのはそのためだったのね。京子ちゃに取り替えてもらったの?」
 メグミの頼りない返事で全てを察したらしい幸子が確認するように言った。
「……うん……」
 うなだれるようにメグミは頷いた。
「で、汚れたオムツは?」
「鞄――そのデイパックの中……」
 幸子はメグミの背からおろしたデイパックの中を覗きこみ、その中に押し込んであったビニール袋をつかみ上げた。袋の中には、黄色く変色した布オムツと、水玉模様の大きなオムツカバーが入っている。微かに異臭が漂った。
「いつになったらメグミちゃんはオムツを外せるのかしらね? 里美はもう夜も失敗しなくなったっていうのに」
 幸子は手にしたビニール袋をメグミの目の前に突き出した。思わず真っ赤に染まった顔を伏せるメグミ。
「ま、それも仕方ないわね。いくら中学生になってもメグミちゃんはまだオモラシの治らない赤ちゃんなんだから。じゃ、赤ちゃんにお似合いのお洋服に着替えましょうか」
「そんな……今日は、今日だけは許して……」
 メグミは顔を伏せたまま弱々しく首を振った。
「ダメよ。何度言ったらわかるの? メグミちゃんの普段の生活を京子ちゃんに知っておいてもらうように言ったのは美和――あなたのママなんだから。それとも、美和や私の言うことはきけないっていうの?」
 幸子は叱りつけるように言った。
「……」
 いつまでもそうしていれば、これまで何度か味わわされたひどい羞恥に充ちたオシオキが待っていることを知っているメグミは、観念したように口を閉ざした。
「わかったみたいね。さ、始めるわよ」
 そう言うと、幸子は返事も待たずにメグミの側に寄り添うように身を寄せ、スカートのジッパーを引きおろした。
「はい、ちょっとだけ立っちしてね」
 まるで幼児に対するようにそう言ってから幸子は脇腹を支えるようにしてメグミを立たせ、スカートのウエストの辺りをつかんでそっと両手を下げた。オムツで膨らんだお尻の辺りは少し窮屈そうだったけれど、幸子がかまわずそのまま両手をおろすと、そこから先は何の抵抗もなくスカートはメグミの足下に落ちていった。スカートの下から、アップリケが可愛いオムツカバーが現れた。
「あら、これまでに見たことのないオムツカバーね。そういえば、ビニール袋に入ってたオムツカバーも新しい物みたいだったし」
 幸子は、ちょうど目の高さにあるメグミの下腹部を無遠慮に眺めまわして言った。
「ママが……新入学のお祝いだって……」
 体をよじるようにしてメグミが応えた。
 昨夜、ベッドに入ろうとしていたメグミに美和が「中学校入学のお祝いよ」と言って差し出したのが、今メグミの下腹部を包みこんでいるレモン色のオムツカバーと、公園で取り替えられるまでメグミのお尻をくるんでいた水玉模様のオムツカバーだった。それはあまりにも羞ずかしい入学祝いだったけれど、メグミにしてみれば、それをおとなしく受け取るしか術はなかった。
「そう。よかったわね、こんなに可愛いオムツカバーを貰えて。これなら学校へ行くのも楽しいでしょ?」
 幸子はレモン色のオムツカバーをぽんと優しく叩いて言った。それからメグミを再び床に座らせて、今度はブレザーのボタンに指をかけた。
 金色に輝くボタンを幾つか外してブレザーを背中の方にまわすようにして脱がせた後、幸子の指は、細い(ベレー帽のリボンとお揃いの色になっている)コバルトブルーのネクタイにかかった。丸っこい顎先のすぐ下にある結び目をほどきながら、幸子のしなやかな細い指が時おりメグミの首筋にさわっと触れる。その度にメグミは体を固くし、胸を高鳴らせてしまう。
 メグミの首から外したネクタイを、幸子はそっとブレザーの上に置いた。
 ネクタイの次は純白のブラウスだった。袖口と胸元、それに丸い襟に小さなフリルになった飾りレースがあしらわれたブラウスは優雅さと可愛らしさを併せ持ったデザインに仕上がっていて、小柄なメグミのあどけない雰囲気を際立たせていた。壁に反射した太陽の光が薄いブラウスの生地を透き通らせ、メグミの体が細っこいシルエットになって浮かび上がった。
 幸子の手がブラウスを脱がせてしまうと、メグミの平らな胸を覆っている小さなブラジャーが現れた。左右のカップの谷間に小さな薔薇の刺繍があしらわれた子供用のブラを着けたメグミの体は、まさかそれが本当は少年だとは想像もできないようなきめの細かい肌をしていた。そして、少年とも少女ともつかない、なまめかしくさえあるプロポーションが京子の目を奪う。
「まあ、ブラもしてたのね」
 初めてそれを目にした時にはさすがに驚いたような顔になりながら、けれどじきに妙な笑みを浮かべて幸子が感心したみたいに言った。
「そうよね。中学生にもなればみんなブラもしてるでしょうから、メグミちゃんだけしないなんて恥ずかしいものね。さすがに美和はメグミちゃんのママね、ちゃんと気がつくなんて」
「……」
 メグミは無言で顔をそむけた。
「でも、せっかくのブラだけど外させてもらうわよ。赤ちゃんには似合わない物だものね? 心配しなくていいわ、また学校へ行く時にはママがちゃんと着けてくれる筈だから」
 幸子はメグミの目の前に膝をついたまま、手だけを背中に回してブラジャーのホックを外した。そうしてメグミの両手を前に差し出させるようにして、ゆっくりした動作で肩紐を肌から浮かせてからそっと引いた。
 メグミの胸から外してしまったブラジャーをネクタイと並べてブレザーの上に載せた幸子がすっと立ち上がった。それを京子の目が追いかける。
 その時になって気がついたのだけれど、どうやらその室は里美の育児室になっているようだった。幸子が歩いて行く方には白い木製のベビータンスが置いてあるし、天井には色とりどりのリボンや人形がぶらさがったサークルメリーが吊ってある。それに床のカーペットも、里美が悪戯をしてジュースやミルクをこぼしてしまっても(そして、例えばオシッコを洩らしてしまっても)すぐに処置できるようにビニールのような素材でできているみたいだ。
 ベビータンスの前で立ち止まった幸子は腰をかがめて一番上の引出しを開けた。
 え? メグミちゃんが着替えるのに、どうしてベビータンスなんて? 京子の頭の中にそんな疑問がふわりと浮かんできた。
 京子が引出しから取り上げたのは、ピンクの生地でできたベビー服だった。肌触りのよさそうな生地にキャンディーの柄が散りばめられたそのベビー服は、大きく膨れたスカートと三部袖の上着が一体になっていて、大きな丸襟が可愛らしいベビーワンピースだった。胸元からスカートにかけてはレースのエプロンがあしらってあって、丈の短いスカートの中は、裾がフリルになったブルマーになっている。ブルマーの股間には大きなボタンが五つ横に並んでいて、オムツを取り替える時にわざわざ洋服を脱がなくてもいいようになっていた。
 着替えるのは、メグミちゃんじゃなくて里美だったのかしら? そうよね、そうでなきゃ、あんな赤ちゃんの洋服なんて……。京子は自分が何か聞き間違いをしていたような気になってきた。
 だけど。
 だけど、そのベビー服を手にした幸子が歩いて行く先にいるのは確かにメグミだった。
「今日はこのワンピースにしましょうね。せっかく京子ちゃんに見てもらうんだもの、メグミちゃんのお洋服の中でも一番可愛いのを選んであげたわよ」
 ベビーワンピースの背中に並んだボタンを一つずつ丁寧に外しながら、上半身が丸裸で下半身もオムツカバーを着けているだけの姿で床に座っているメグミに幸子はうすく笑って言った。
 え? じゃ、あのベビー服は――メグミちゃんのなの? 京子は思わず目を凝らした。そう思って見てみると、たしかにそれは里美が着るにしては随分と大きく仕上げられているように見える。
 京子は息を飲んでドアの隙間に顔を押し当てた。
「さ、いいわ。私の体につかまって脚をあげてごらん」
 ボタンをみんな外し終えた幸子は手にしたベビーワンピースを大きく広げ、メグミの脚をスカートに通させようとする。
 けれどメグミは立ち上がる気配もみせず、座りこんだままだった。
「どうしたの? 裸のままじゃ風邪をひいちゃうわよ」
 そう言う幸子の声はひどくねっとりしていた。
「……こんな格好してるところを京子ちゃんに見られるなんて……」
 メグミは唇を噛んでぽつりと言った。
「いまさら何を言ってるの。本当は男の子のくせに女の子の格好をして、おまけにオムツをあててることも知られてるくせに。――オムツの交換をしてもらったのは誰だっけ?」
 幸子の言葉は鋭い錐のようにメグミの胸に突き刺さった。
「……」
「ねえ、里美。メグミちゃんがむずがってるみたいだから、優しくあやしてあげてちょうだい」
 メグミが押し黙ったままなのを見て、幸子が面白そうな口調で里美に言った。
「うん、まま」
 幸子に言われた里美はにこっと笑うと玩具箱からプラスチックのガラガラをつかみ上げて、それをたどたどしい手つきで振ってみせた。里美が手を振る度に軽やかなからんころんという音が室の空気を優しく震わせ、穏やかな空気の波紋がゆったりと広がって行く。
「だめよ、めーみたん。ままのいうこときいて、おとなしくおべべきようね」
 里美はメグミの顔の前でガラガラを振りながら、お人形遊びでもするようににこにこして言った。
 今や、メグミと里美の立場は完全に逆転していた。
 恵がメグミとして美和のマンションに引き取られてやって来た時にはまだ片言もしゃべれなかった里美は、新しく姉ができたように感じて非常に喜んだものだった。いつもはオムツを取り替えられるのを嫌がって逃げまわったりもしていたのが、メグミと一緒にならおとなしく横になり、幸子の手をわずらわせることもなくなったほどだ。食事にしてもメグミと同じような物を食べたがり、少しも残すことなくきちんと平らげるようにもなったものだった(そして、そのことを口実にして幸子はメグミを赤ん坊のように扱い始めたんだ。ベビータンスの中に詰め込んである大きなベビー服も、里美の着る物を縫う時にお揃いのデザインで幸子が作った物だった)。それなのに、時が流れ季節が巡るにつれて、いつまでも変わらない生活を送っているメグミを取り残すようにして里美だけが順調に成長を続けていった。いつのまにか里美のオムツは外れ、眠っている時も失敗しなくなり、たどたどしいながらも言葉を覚え、大人と同じような食事を摂るほどになったのだ。それに対してメグミの方はいつまでもオモラシが治らず、昼も夜もオムツを汚し続け、(幸子がわざとそうしていたせいもあって)食事といえば里美がとっくに卒業してしまった離乳食と哺乳壜のミルクばかりだった。そんなだから、いつもいつも床に横たわって幸子にオムツを取り替えてもらい、哺乳壜でジュースを飲ませてもらっているメグミの姿が、物心ついてきた里美の胸の中で『姉のような優しい少女』から『いつまでも成長しない妹のような幼女』へと次第次第に変化していったのもムリのないことだった。
 里美が廊下で京子に言った「さとみもめーみたんのおねえたんだよ」という言葉は、つまりそういう意味だった。
 学校では自分よりも四つ年下の少女から妹扱いされ、今度は一回り以上も年下の幼児からも妹のようにあやされて、メグミの心はぼろ布のようにずたずたになりそうだった。知らず知らずのうちにメグミの目から大粒の涙が一つ頬に溢れ出していた。
「ほらほら、なかないのよ。めーみたんはいいこでしょ。おねえたんはここにいるから、なにもこわくないのよ」
 里美はガラガラを左手に持ちかえると、自分が着ているレースのエプロンのポケットからガーゼのハンカチを取り出してメグミの頬にそっと当てた。それはほんとうに、まだ幼いながらもよく気のつく姉が何もできない小さな妹の世話をやいているような光景だった。
「そうね、それでいいのよ、里美。本当に里美はいつのまにかお姉ちゃんになったのね。それに比べてメグミちゃんはいつまでも手のかかる赤ちゃんなんだから。――サークルメリーをまわしてあげるからもう泣かないでちょうだい」
 里美の仕種を満足げに眺めながら、幸子は静かに立ち上がった。
「あ、それは……」
 しゃくりあげるような声でメグミが慌てて幸子をとめた。
「あら、どうしたの?」
 幸子は大袈裟な仕種でメグミの顔を覗きこむようにして言った。
「……そんなことしたら……京子ちゃんが……」
 メグミはおどおどと目を伏せた。
「ああ、サークルメリーの音に気がついて京子ちゃんがここに来るのが心配なのね?」
 幸子はやっとわかったように微笑んだ。そして笑顔のまま、ちらとドアの方に視線を向けて面白そうに言った。
「それなら大丈夫よ。だって、彼女はもうみんな知ってるもの。――いいわよ、京子ちゃん。いつまでもそんなところに隠れてないで入ってらっしゃい」
 急に自分の名を呼ばれて、京子はビクッと体を震わせた。
 けれど、ずっとここにいて何もかも見ていたことを幸子に知られているからには、いつまでもこそこそしていても仕方ない。京子は少しばかりはにかんだような表情を浮かべておずおずと室の中に入って行った。

「それじゃ、京子ちゃんはこうしてワンピースの袖を持っていてくれる? 私はメグミちゃんの体を支えるから」
 メグミを強引に立たせた幸子は、京子にベビーワンピースを渡した。
「あ、はい」
 これまで見たこともない大きなベビー服を受け取った京子は少し戸惑いながらも、メグミが着やすいようにしっかりした手つきでワンピース広げて持ち上げた。
「そうそう。しばらく、そのままにしていてね。――ほら、メグミちゃんは脚を上げて」
 幸子は背後から体を抱え上げるようにして、なかなか言うことをきかないメグミの両足をワンピースと一体になったブルマーに通させた。
 恥ずかしそうに体を真っ赤にして抵抗していたメグミも、自分よりも遙かに体の大きな幸子と京子の手にかかれば、それこそ人形のようなものだった。
 ブルマーとスカートにメグミが脚を通してしまえば、あとは簡単なことだった。京子がしっかり支え持っている袖に幸子がムリヤリ手首をつかんで両手を通させ、背中の方の生地を左右から重ね合わせてボタンを留めてしまえば、もうそれでメグミが勝手に脱ぐこともできなくなる。
 そうやって大きなベビー服に身を包まれたメグミの肩を幸子が押さえつけて再び座らせた。それから自分もメグミのすぐ前に膝をついて腰をかがめ、脚を通しやすいように外したままになっていたブルマーのボタンを一つずつ丁寧に留めていく。



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