女医・笹野深雪  〜白衣をまとった甘い陥穽〜





女医・笹野深雪  〜白衣をまとった甘い陥穽〜 (3)



 最後の一雫が落ちて、オマルに溜った祐一のおしっこに小さな波紋ができた。ぴちゃーんという音が余韻を残して広がってゆく。
「えらいえらい、ちゃんとできたわね」
 鏡に映った奇妙な母娘の姿そのままに、美香はあやすように言った。
「終わったみたいね? じゃ、綺麗にしましょうね」
 そう言ってしゃがみこんだ深雪は、ティッシュペーパーを手にしていた。
「うふふ、そうだったわね。女の子はおしっこの後、ちゃんと拭かなきゃいけないのよ。だから、ほら、祐ちゃんも」
 美香は、深雪が拭きやすいように祐一のお尻を高く差し上げた。
「女の子なんかじゃない。僕は男の子だし、それに、赤ちゃんじゃない」
 美香に抱かれ、深雪の手でペニスの先を綺麗に拭かれながら、祐一は力なく言った。もう叫び出す気力も残っていないのか、今にも消えいりそうな、細くて頼りない泣き声だった。
「まだそんなことを言ってるの? 祐ちゃんは赤ちゃんなのよ。ひとりじゃトイレも行けなくて、こうやって誰かに抱っこしてもらってオマルにおしっこをする赤ちゃんなのよ。それに、ほら」
 深雪が拭き終わるのを待って、美香は祐一のお尻を再び膝の上に載せると、祐一の膝の下まで引きおろしていたショーツを手早く引き上げた。おしっこをさせるために脱がせた時とはちがって、祐一の下腹部を包みこんだショーツはもうどこも盛り上がっていない。手足の自由を奪ったのと同じ薬で前立腺まで麻痺させられたせいで勃起できなくなってしまった祐一のペニスは両脚の間にただ力なくぶらさがっているだけになっていて、美香が指で祐一のお尻の方へ押し込むようにすると、もうそのまま前の方へ出てくることさえできなくなってしまうのだった。とてもではないが、ショーツの生地を突き上げることなどできるわけがない。
「ね、どこから見ても女の子じゃない? 男の子だったら、もう少しここが膨らんでる筈だもの」
 祐一にショーツを穿かせ終わった美香は、本当に女の子みたいにつるっとした股間をぽんと軽く叩いて言った。
「ちがう……僕は赤ちゃんじゃない……」
「うふふ、まだ言ってるの、祐ちゃんは? ま、いいわ。小っちゃい子にかぎって、自分のことをおにいちゃんやおねえちゃんだって思いたがるものだものね。でも、ちゃんと自分でおしっこできるようになってからじゃないと誰も信じてくれないのよ」
 膝の上に座らせた祐一の体を横抱きにして美香はすっと立ち上がると、点滴の用意がそのままになっている処置台に向かって歩き出した。
「さ、祐ちゃんはもういちどベビーベッドにおねんねよ。今度こちちゃんと最後まで点滴しちゃおうね」
 美香はもう、『処置台』とは言わなかった。ひとりで立ち上がることもできず、ひとりでショーツを脱ぐこともできず、美香に抱っこされてでなければおしっこもできない祐一にお似合いなのは『処置台』ではなく、『ベビーベッド』に違いないのだから。





「内科処置室の後片付けをしてきます。あとをお願いできますか」
 再び大きなベビーベッドに寝かせた祐一の腕と点滴パックとを透明のチューブで繋ぎ終えると、美香は深雪に言った。
「だけど、一人じゃ大変よ。掃除だけならともかく、徹底的に消毒しなきゃいけないんだから。いいわ、私も手伝う」
 点滴の速度を調整しながら深雪が応えた。
「そうしていただけると助かります。――あ、でも、そうすると、祐ちゃんが一人きりになっちゃうか」
 深雪を手伝いながら、美香は祐一を見おろした。
 祐一にしてみれば、できることなら、二人して内科処置室へ行ってくれた方がいい。小さな女の子みたいな格好で大きなベビーベッドに閉じ込められた恥ずかしさは変りないけれど、せめて二人の目から自由になるだけでも心が休まる。とはいえ、そんなことを口にしようものなら、そのことを口実に、今度はまたどんな目に遇わされるかしれたものではない。
「そうね。さっきみたいにおしっこだなんてことになったら大変だものね。いくら祐ちゃんが大声を出しても隣の処置室までは聞こえないし」
 しばらく腕時計の秒針と点滴パックからチューブの液溜りに落ちて行く輸液の滴とを見比べた後、軽く頷いて深雪が言った。
「じゃ、あれを使いましょうか。祐ちゃんなら、きっとお似合いだと思うんですけど」
 少しだけ考えて、美香が顔を輝かせた。
「あれ? ――ああ、あれね。いいんじゃないかしら。浜野さんの言う通り、今の祐ちゃんにはぴったりだと思うわ」
 美香の言葉に、深雪もすぐに頷いた。
 眼鏡のレンズが蛍光灯の光を反射して冷たく輝く。
「じゃ、早速」
 美香が点滴スタンドから離れて器具庫に向かった。深雪もその後を早足で追いかける。

 器具庫の下の方の引出を引き開けて二人で何やら囁き合う声が祐一の耳にも微かに届いた。
「これでどうでしょう。上に着ているのがピンクだから、それに合わせた方がいいと思うんです」
「そうね。でも、これの方がいいんじゃない? 着ているのがピンクでソックスもピンクだったら、ちょっと色違いでアクセントを入れた方がよくない?」
「あ、そうですね。だけど、それはちょっと窮屈かもしれませんよ」
「大丈夫よ。だって、ほら、祐ちゃんのあそこ、今は小っちゃいままだもの」
「うふふ、そう言われればそうですね。おっきくなったら窮屈かもしれないけど、当分はあのままですもんね」
「そういうこと。それより、おっきくなる時がくるかしらね」
「やだ、先生たら。祐ちゃんが可哀想じゃないですか」
「そういう浜野さんこそ、そんなに笑いながら、よくそんなことが言えるわね」
 いつのまにか、囁き声がくすくす笑い合う声に変っていた。それを耳にする祐一は、どうしようなく高まってくる不安に胸を締めつけられる思いだった。

「先生と私で選んだのよ。祐ちゃんにも気に入ってもらえると嬉しいんだけどな」
 祐一が横たわるベビーベッドの横に戻ってきた美香は、手に持っている一枚の生地を広げてみせた。
「それは……」
 祐一は言葉を失った。
 鮮やかなレモン色の地に色とりどりのキャンデーの柄を散りばめた生地でできたそれは、二人が引出から取り出してきたそれは、今の祐一にならぴったりだと二人が囁き合っていたそれは。
「そう、おむつカバーよ。可愛いい柄でしょ? 祐ちゃんも気に入ってくれるよね?」
 美香が手にしていたのは、たしかにおむつカバーだった。可愛いいデザインの生地でできていて、腿のところが二重股になっていて、白くて幅の広いバイアステープで縁取りがしてあるおむつカバーだった。けれど、兄嫁が姪のおむつを取り替えているところを見たことがあって祐一も何度か目にしたことのあるおむつカバーと比べると、美香がもってきたそれは随分と大きかった。育児用品のことはあまりよく知らない祐一にも、そのおむつカバーが赤ん坊のものでないことは一目でわかった。
「あら、何を不思議そうな顔をしているの。祐ちゃんが使うおむつカバーだもの、これくらい大きくて丁度なのよ」
 祐一の胸の内を読み取ったみたいに、美香はさらっと言ってのけた。
「僕……僕が使うおむつカバー!?」
 祐一はおそるおそる聞き返した。
「そうよ。私たちが内科処置室を片付けてる間に祐ちゃんがおしっこしたくなっても大丈夫なようにね」
 美香は、さも当たり前のことを言うように平然とした顔で応えた。
「でも、でも……」
「ひとりでおしっこできない祐ちゃんにはお似合いよ。それに、その可愛いいパジャマやソックスと合うようにわざわざ先生が選んでくれたのよ。祐ちゃんも嬉しいでしょ?」
「でも、どうしてそんな大きなおむつカバーが……」
 祐一は蚊の鳴くような声を絞り出した。
 まだ若い祐一は介護用品のことをあまり知らない。それでも、テレビのコマーシャルやドラッグストアーの店頭に並んでいる商品を目にすることもあって、病人介護用のおむつカバーのことも少しは知っている。その知識の中には、こんな可愛いい生地でできた介護用おむつカバーはなかった。殆どが白かベージュの無地か、せいぜいが細いストライプが入った程度の、いたって地味なデザインしかなかった。なのに、美香が祐一の目の前に差し出しているおむつカバーは、まるで赤ん坊が使うおむつカバーそのままの可愛らしいデザインになっている。そんなおむつカバーがどうしてここにあるのか、それが不思議でならなかった。
「不思議? そうね、祐ちゃんには不思議かもしれないわね。でも、そんなことは気にしなくていいのよ。ここにこんなおむつカバーがある、それでいいの」
 祐一の表情を読んだ深雪が笑うように言った。
 でも、それはまるで答えになっていない。
 だけど、深雪自身にとってはそれで充分だった。





 世の中で一番無力な存在――それは赤ん坊だ。自分で食事をとることもできず、自分の思った所へ移動するにも誰かの手を借りなければならない、おしっこやうんちの世話まで他人の手を煩わせる、ひとりでは何もできないまるで頼りない生き物。それなのに、赤ん坊を見る人々の目は暖かい。それは、赤ん坊が可愛いいからだ。
 なぜ可愛いいのか――人が何かを見て可愛いいと思うのは、それが小さくて丸くて柔らかくて、そして無力だからだ。だからこそ、赤ん坊は誰の目にも可愛らしく映り、ひたすら庇護の対象になり得る。
 そうして、また、支配欲の対象にも。
 深雪が心の中に飼っている獰猛な野獣めいた支配欲は、これと狙いをつけた獲物をひたすら無力化することで満足を覚える。そんなことを何度か繰り返すうちに、深雪は、そして深雪の心の中にひそむ肥大化した支配欲は、いつしか、獲物を究極まで無力化する楽しみを覚えていった。それは、つまり、獲物を赤ん坊と同じような存在に変貌させてしまうことだった。深雪のおめがねにかなった可愛いい男の子を、ひとりでは何もできない、深雪が手助けをしてやらなければ生きてゆくことさえできない赤ん坊に変えてしまう楽しみ。それは、かつて味わったことのない悦びを深雪に与えてくれた。
 祐一を処置室に案内してきた時に美香が説明したように、小児科を併設している内科医院は多い。美香は祐一に、笹野内科もそうだと言った。しかし、実のところ、笹野内科医院は小児科という診療科目を設けていない。小児科はなく、小児科処置室と名付けた密室があるだけだった。
 その処置室こそ、深雪が己の欲望を存分に発揮するために用意した部屋だった。ごくありふれた育児室のような内装を施し、どこの家庭の育児室にもあるような調度を揃え、幼児がよく着るような衣装で引出をいっぱいにし、そのくせ、普通の家庭の育児室にあるような家具とは似ても似つかないような異様に大きなベビーベッドを置いた密室。祐一が着せられたピンクの女児用のパジャマも、実は特製だった。いくら祐一が小柄でも、本当に幼い女の子が着るパジャマが窮屈でないわけがない。それは、幼い女の子が着るパジャマを模しながらも、それよりも大きなサイズに仕上げた、見かけだけは女児用で実は大人に着せるために縫製した特別なパジャマだった。それも、わざと丈を短くして、その下に着けている下着が完全には隠れてしまわないように周到に用意した屈辱のパジャマ。
 美香が祐一の目の前で広げているおむつカバーも同じだ。祐一が自分ではおしっこもできない赤ん坊だということを思いしらせるために用意した羞恥の下着こそが、そのおむつカバーだった。丈の短いパジャマの裾からおむつカバーを3分の1ほど覗かせた恥ずかしい姿を強要された時、祐一はどんな顔をみせてくれるのだろう。それを考えた時、深雪の下腹部は淫靡な悦びに熱く疼くのだった。
 もう、深雪は自らの欲望を隠そうとはしない。欲望のおもむくまま、哀れな祐一を無力な赤ん坊に変身させるプロセスを楽しむだけだ。
 ただ、深雪自身は、祐一を赤ん坊に変貌させてしまうことができればそれでよかった。わざわざ女の子に変えることまでは考えていない。祐一がもともと男の子なら、それはそのままでかまわないのだった。それを、女の子に変身させることにこだわったのは美香だった。深雪が心の中に普通ではない支配欲をひそませているように、美香もまた、その心の奥深い所に、異様な欲望を隠しもっていた。それが、祐一を幼い女の子に変貌させることを求めてやまないのだった。






 美香が持ってきたのは大きなおむつカバーだけではなかった。美香はそれまで祐一の目の前でひらひらさせていたおむつカバーをベビーベッドの上に置くと、今度は、淡いブルーとピンクそれにイエローの三色の水玉模様をあしらった布おむつを手にして、祐一の顔の上でゆっくり広げてみせた。いまどき、布おむつを使っている医療機関はさほど多くはない。たいていは便利な紙おむつになっている。それに、もしも布おむつを使うとしても、柄や模様のついていない無地の純白のおむつが普通だ。こんな、それこそ赤ん坊が使うみたいな布おむつを置いている病院など、どこを探しても見当らないに決まっている。なのに笹野医院に水玉模様が置いてあるのは、つまり、赤ん坊のものとサイズ以外はちっともかわらないおむつカバーを用意してあるのと同じ理由からだった。
「どう?」
 両手で広げた布おむつの上から顔を突き出すみたいにして、美香が短く訊いた。
 訊かれても、祐一には応えようがない。本当にその柔らかそうな布で赤ん坊みたいにお尻を包まれるのかと思うと、恥ずかしさで体中が熱くなってくる。
「気に入ってくれたみたいね」
 祐一が何も言えないでいるのをいいことに美香は勝手に決めつけると、ベビーベッドに広げて置いたおむつカバーの上に布おむつを何枚か重ねてから、左手で祐一の足首をぎゅっとつかんで、そのまま両足を高く持ち上げてしまった。
「待って、待ってください」
 その時になって、ようやく祐一が口を開いた。
 けれど、もう手遅れだった。
 美香は祐一の言葉を気に留めるふうもなく、左手で祐一の足首を高く持ち上げたまま、右手で祐一のショーツをさっと剥ぎ取った。そうして、両足を持ち上げられたためにできたお尻と布団との隙間に、用意したばかりの布おむつとおむつカバーを手早く敷きこんだ。
 布おむつが祐一のお尻に触れた。
 想像していた以上に柔らかい布おむつの感触に、祐一は、なぜとはなしにぞくりとした。なんだか、目にしていた時よりもずっとずっと気恥ずかしい感じがしてならない。
「やめて。僕は赤ちゃんじゃない。赤ちゃんじゃないから、おむつだけは許して」
 ショーツを剥ぎ取られ、すっかりちぢこまってしまったペニスが力なく両脚の間に垂れさがった姿で、祐一は自分の足を高く持ち上げている美香に訴えかけた。
「さっきから何度も教えてあげた筈なのに、まだそんなことを言ってるの? 祐ちゃんは赤ちゃんなのよ。ひとりじゃおしっこもできないからおむつのお世話にならなきゃいけない小っちゃな子供なの」
 祐一のお尻の下におむつを敷きこんで、股当てのおむつの端を持ち上げながら美香が言った。
「ちがう。僕は赤ちゃんじゃない。赤ちゃんなんかじゃないんだったら」
 両脚の間に柔らかい布おむつを通される感触に身震いしながら、祐一は何度も繰り返した。
「やれやれ、うるさい子ね。もっと素直ないい子かと思っていたのに。――これで少し静かにしてなさい」
 なかなか静かにならない祐一に業を煮やしたかのように深雪がつかつかと足音を立ててベッドに近づいたかと思うと、白衣のポケットを手で探り、ポケットから取り出した物を祐一の口に強引に突っ込んだ。
 突然口の中に突っ込まれた物が何なのかわからぬまま、祐一は反射的にそれを吐き出した。
 祐一の顔のすぐ横に転がったのは、ゴムでできたオシャブリだった。
「あら、へーえ」
 強引に咥えさせたオシャブリを祐一が吐き出すのを見て、深雪は、さも驚いたというような声を出した。そうして、横当てのおむつに指をかけたばかりの美香に向かって言った。
「ごめん、浜野さん。ちょっとこっちへ来てくれる?」
「はい、先生」
 いつものように応えると、美香は布おむつの端を持ち上げかけていた手を止め、左手で持ち上げていた祐一の足をそっとベッドの上に戻して、足早に深雪のそばに近づいた。
「ちょっと、祐ちゃんの頭を押さえていてほしいの。急いで調べたいことがあるから」
 妙に艶っぽい目で祐一の顔を見おろしたまま深雪が美香に言った。
「はい、先生。――でも、どうなさったんですか?」
 言われた通り祐一の側頭部を両手でしっかり押さえつけた美香が訊いた。
「祐ちゃんがね、せっかく私が咥えさせてあげたオシャブリを吐き出しちゃったのよ。ね、変でしょう? 赤ちゃんはみんなオシャブリが大好きな筈なのに。ひょっとしたら祐ちゃん、どこか具合が悪くて、大好きなオシャブリを咥えられないのかもしれないじゃない? だから、急いで診察してあげたいのよ」
 言いながら、深雪の瞳がなまめかしく輝いた。まるで、これからしようとしていることが楽しくて仕方ないとでもいうみたいに。
「ちがう。そんなじゃない。僕は赤……」
 僕は赤ちゃんなんかじゃないと言おうとした祐一の言葉は、けれど、途中で遮られてしまった。深雪がこれも白衣のポケットから取り出した鈍く光る金属製のヘラで祐一の舌を下顎に押しつけてしまったからだ。
 深雪が手にしている金属製のヘラは、風邪をひいた患者の咽喉の様子を観察する時、患者の舌が動きまわって邪魔をしないよう、舌を押さえつけて動けないようにするための器具だった。こうすると確かに観察は容易になるものの、患者の方はかなりの苦痛を味わうことになる。舌の付け根を押さえつけられた上に金属製のヘラが咽喉のあたりに当たるため、呼吸をするのも困難になって、げぇげぇと空えずきしそうになる。
 一般的な診察なら、それもせいぜい10〜20秒くらいで終わるからなんとか我慢もできるものの、祐一が深雪から受ける『診察』はそんなことではすまなかった。力まかせに金属製のヘラで舌の付け根を押さえつけ、「おかしいわね、どこもそれらしいところは見当らないんだけど」と、わざとらしい言葉を繰り返しながら、いつまでも祐一の口の中を覗きこむのだった。もちろん、本当に診察をしているわけではない。診察を口実に、オシャブリを吐き出した祐一に苦痛に満ちた折檻をくわえているだけのことだ。
 舌の付け根を1分間も2分間も押さえつけられる苦痛はどんなだろう。金属製のヘラの先端で咽喉の粘膜をかきむしられる時、どれほどの痛みが走るのだろう。満足に呼吸もできず、はっ、はっ、はっと回数ばかり多いくせに殆どまともに空気を吸うことができない苦しみはどんなだろう。そのどれもが、実際にその無慈悲な折檻を受けている祐一にしかわからないことだけは確かだった。舌を押さえつける力加減を微妙に調節して嘔吐間を惹き起こし、咽喉をかきむしりながら出血には至らないよう配慮し、失神しない程度に呼吸を妨げる、人体の構造を熟知しつくした、そうして医療器具の使用方法に習熟した深雪だからこそできる、それは極めて効果的な折檻だった。外傷は全くつけずに、それでいて、世の中にこれほどの苦しみがあったのかというほどの苦痛を身をもって思いしらせる、その責めを実際に受けた者にしか想像もできないような折檻。
 祐一の目にうっすらと涙がにじみ、首筋がひくひくと震え始めて、ようやく深雪は手を緩めた。祐一がげほげほと激しく咳き込んで、海老のように体を曲げた。本当なら両手で咽喉をかきむしっているところだが、注射によって自由を奪われた腕ではそれさえもままならない。
「具合の悪いところはなさそうね」
 冷たく光る眼鏡のレンズ越しに祐一の様子を眺めていた深雪は、祐一がやっとのことで呼吸を整えるのを待って静かな声で言った。
「私の思い違いだったのかしら。ま、それならそれでいいわ。具合が悪くないなら、今度は祐ちゃんもちゃんとオシャブリを咥えてくれるでしょうし」
 深雪は手を緩めたものの、金属製のヘラはいつでも舌を押さえつけられるように、まだ祐一の口に突っ込んだままにしていた。静かな口調の裏側に隠れている威圧的な雰囲気は、深雪が本当に伝えたいことを祐一の心に向かって直接囁きかけていた。――今度またオシャブリを吐き出したりしたらどうなるか、わかっているでしょうね? 今度また同じようなことをしたら、私の方だってこのくらいじゃすませてあげないわよ。さっきまでの苦しみをよく憶えておくことね。
「ほら、祐ちゃんの大好きなオシャブリよ。今度は上手にできるかな?」
 祐一の怯えきった顔に満足したように、ようやくのこと深雪は金属製のヘラを白衣のポケットに戻して、一度は吐き出したオシャブリをもういちど祐一の口に突っ込んだ。
 もう祐一は二度とオシャブリを吐き出そうとはしなかった。

 まるで赤ん坊のようにオシャブリを口にふくまされて今度は言葉を奪われてしまった祐一の足首を美香が再び持ち上げた。
 お尻の下におむつもおむつカバーも敷きこんでしまった今、わざわざ祐一の足を高く持ち上げる必要はない。あとは、布おむつで祐一の下腹部をくるんで、その上からおむつカバーで包みこんでしまうだけだから、祐一の脚が暴れさえしなければそれでいい。それなのに美香が再び祐一の足首をつかんで高く差し上げたのは、その姿が祐一に、いいようのない屈辱と羞恥を与えるからだった。本当の赤ん坊がおむつを取り替えられる時の格好を祐一に強要して、祐一がその羞恥に顔を歪める様子を楽しみたいから、ただそれだけが理由だった。
 祐一のおヘソのすぐ下あたりで横当てのおむつを左右から重ね、その上におむつカバーの横羽根をマジックテープで留めてしまうと、少々のことではおむつがずれなくなる。そうしておいて、ようやく美香は祐一の足をベッドに戻してから、今度はおむつカバーの前当てを横羽根に重ねると、前当てと横羽根を留めるホックを一つずつ留め始めた。ゆっくりゆっくり、もうこれでおむつから逃げられなくなってしまうのだということを祐一に思いしらせるみたいに、わざと丁寧に一つずつ留めてゆく。
「さ、できた。いいわよ、祐ちゃん」
 おむつカバーの裾からはみ出した布おむつを中指で優しく押しこんでから、おむつで大きく膨らんだ祐一のお尻をおむつカバーの上から軽くぽんと叩いて、美香は、お腹の上に捲れ上がってしまったパジャマの裾を優しく引きおろした。
 それまで丸見えだったレモン色のおむつカバーがパジャマの中にかろうじて隠れたものの、全部がすっかり見えなくなったわけではない。キャンデーの柄を散りばめたおむつカバーを幾らかパジャマの裾から覗かせたその姿は、ピンクとレモン色という取り合せもあって、妙な可愛らしさを漂わせていた。
 下着がショーツからおむつカバーに代わったせいか、ずっと身に着けていた同じパジャマが、今はパジャマというよりも、まるでベビードレスのように見える。今の祐一は、ピンクのベビードレスに身を包まれ、ベビードレスとお揃いのソックスを履いてレモン色のおむつカバーで大きくお尻を膨らませ、口にはオシャブリを咥えてベビーベッドに横たわる大きな赤ん坊だった。
「終わったのね? じゃ、内科処置室へ行きましょうか」
 すっかり赤ん坊の装いに身を包まれた祐一の姿を確認するように眺めまわして、うっすら笑いながら深雪が言った。
「はい、先生。あ、でも、少しだけ待っていただけますか」
 こちらは何か悪戯を思いついた子供のような少し意地悪そうな笑みを浮かべて美香が応えた。
「いいわよ。何をするの?」
「このままじゃ祐ちゃんも退屈でしょうから、ちょっとオモチャを用意してあげようと思うんです」
 美香はそう言うと、ベビーベッドの下にしつらえてある物置の扉を開けて、一抱えもありそうなプラスチックの塊を引っ張り出した。それは、ベビーベッドに取り付けて使うようになっているプラスチック製のサークルメリーだった。
 美香は手早くサークルメリーをベビーベッドに取り付けてスイッチを入れた。途端に、かろやかな音楽が流れ出して、祐一の顔の真上になるように取り付けたサークルメリーがくるくると回りだす。
 おむつをあてられ、オシャブリを咥えさせられた上に赤ん坊のオモチャであやされる祐一の胸の中にはどれほどの屈辱が渦巻いているだろう。けれど、そんなことにはまるでおかまいなしに、むしろ、そんな祐一の胸中を想像することが楽しくてたまらないというふうに二人は互いに顔を見合わせ、どちらからともなく微笑み合って、小児科処置室をあとにした。
 ひとり残された祐一の目の前で、いつまでも止まることなくサークルメリーが回り続ける。かろやかな音楽が、祐一の体を包みこんで部屋中に響き渡っていた。





 二人が戻ってきたのは、それから40分ほど経った頃だった。
 小児科処置室の分厚いドアを開けると、サークルメリーのかろやかな音楽はまだちゃんと流れ続けていた。二人は満足そうに頷き合うと、祐一が横たわる大きなベビーベッドに足早に近づいた。
「あら?」
 ベビーベッドのサイドレールの上から祐一の顔を覗きこんだ深雪が訝しむような声を出した。
「どうなさったんですか、先生?」
 訊き返しながら美香がサークルメリーのスイッチを切った。一瞬、部屋の中が静寂で満たされる。
「見てごらんなさい」
 言われるまま、深雪が顎先をしゃくるようにしてしめした先に視線をやった美香は、ころんと転がったオシャブリを目にした。
「また、オシャブリを吐き出しちゃったみたいね。やっぱり、もっときちんと診察した方がいいのかしら」
 言いながら、早くも深雪の手は白衣のポケットをさぐっていた。
 それを目にした祐一の顔が恐怖にひきつる。
「あ、先生、ちょっと待ってください」
 今にもポケットから例のヘラを取り出そうとする深雪を押しとどめて、美香は祐一のお尻の方にまわりこんだ。
「どうする気?」
 どことなく不機嫌な声で深雪が訊いた。
「ええ、あの、ひょっとしたらと思うことがあるんです」
 美香は自信なさそうにそう応えると、ベビーベッドのサイドレールを倒した。
 そうして、まるで本当の赤ん坊にするように、祐一のおむつカバーの裾のところから右手の人差指と中指をそっと差し入れた。祐一の脚がぴくっと震えたが、目に見える動きはそれだけだった。
 しばらく祐一のおむつカバーの中の様子を指先で探っていた美香が不意にくすっと笑った。
「どうしたの?」
 思わず深雪が訊いた。
「思った通りでした」
 うふふと笑いながら美香は一呼吸置いて、それからおむもろに続けた。
「祐ちゃんのおむつ、ぐっしょりですよ。たぶん、おしっこを私達に教えようとして大声をあげた時にオシャブリが口から転げ落ちたんだと思います。だから、咽喉の診察はいらないんです」
「あらあら、そんなことだったの? ――えらいわね、祐ちゃん。おしっこが出そうなのを私達に教えようとしてたのね」
 急に相好を崩して深雪が笑い声で祐一に話しかけ、布団の上に転がっているオシャブリをそっと拾い上げて、再び祐一の口にふくませた。それは、さっきまでの険しい表情と固い声が嘘みたいな変わりようだった。
 けれど、祐一にしてみれば、そんなことで褒められても嬉しいわけがない。診察に名を借りた苦痛に満ちた折檻からは逃れることができたけれど、その代わり、赤ん坊のようにおむつを汚してしまった事実を二人に知られてしまったのだから。まるで本当の赤ん坊のように、おしっこを伝えようとしたことを褒められても、それは却って羞恥を煽られることでしかない。
「でも、そんなことしなくてもいいのよ。祐ちゃんは赤ちゃんなんだから。赤ちゃんだからおむつをあててるのよ。だから、わざわざおしっこを教えてくれなくてもいいの。おむつを濡らしても、すぐに私達が取り替えてあげるから」
 深雪の言葉に、祐一は力なく首を振った。おむつを取り替えてあげる――深雪は確かにそう言った。おむつを『外してあげる』のではなく、『取り替えてあげる』と。それは取りも直さず、これからもおむつから逃れることはできないのよと言っているのと同じだった。
「さ、いつまでも濡れたおむつじゃ体に毒ね。すぐに取り替えてあげましょうね」
 深雪の言葉を受けて、美香がじきに体を動かし始めた。おむつカバーの中に差し入れていた指を抜くと、いそいそとおむつカバーのホックに指をかけて、それを留めた時と同じように一つずつ丁寧に外してゆく。ホックが外れる時、微かにおむつカバーの生地が震える感触がおむつを通して祐一の肌に伝わって、実際には聞こえない、なにかが弾けるみたいなぷちんという音が部屋中に響いたような気がする。その音が「祐ちゃんは今、おむつを取り替えてもらっているんだよ」と囁いているような気がして、オシャブリのために言葉を失った口から羞恥に満ちた呻き声を洩らしてしまう祐一だった。
 おむつカバーの前当てが祐一の両脚の間に広げられると、おしっこをたっぷり吸って微かに湯気を立てている布おむつが丸見えになった。水玉模様をあしらった純白の生地がほのかに黄色く染まって、べっとりと祐一の下腹部に貼り付いている。美香はおむつカバーの横羽根を留めているマジックテープをベリリと大きな音を立てて素早く外し、ぐっしょり濡れた布おむつを、自分の手が汚れるのも気にするふうもなくさっさと祐一の下腹部から剥がすと、片方の手で祐一の足首を持ち上げ、僅かに浮いたお尻と布団の隙間からさっと手前に引き寄せた。
 いつのまにか美香の横に来ていた深雪が腰を曲げて、サークルメリーを取り出したのと同じベッド下の物置から大きなポリバケツを引っ張り出した。
「先生、お願いします」
 ポリバケツの中に濡れた布おむつを投げ入れると、深雪が腰をのばすのを待って美香が声をかけた。
「いいわよ。ちょっとだけ待ってて」
 深雪は大股で器具庫に向かって歩きだした。いや、処置台をおおっぴらにベビーベッドと呼ぶようになった今となっては、それは器具庫というよりも大きなベビータンスだった。祐一の体にフィットするようなベビーウェアや恥ずかしい下着がいっぱいの、それはベビータンスと呼ぶより他にない、羞恥と屈辱をぎっしり詰め込んだ、大きな赤ん坊のための家具だった。

深雪は、少し前に美香と二人で引き開けたのと同じ引出に手をのばした。その引出は、色とりどりのおむつカバーと布おむつでいっぱいだった。布おむつも、動物柄や水玉模様、それに、アニメキャラクターがプリントされたものというふうに柄も様々で、どれを祐一に使わせれば似合いそうか考えるだけで深雪の心が妖しくざわめいてくる。
 結局、深雪が選んだのは、さっきと同じ水玉模様のおむつだった。なんとなくシンプルで、いかにもおむつという感じがして深雪の一番のお気に入りだったし、まるで男の子には見えない祐一の下腹部を包みこむのに一番お似合いのような気がする。
 引出から取り出した布おむつを両手で抱えてベビーベッドに戻ってきた深雪に美香が小さく頷いた。深雪も頷き返して、美香が足首をつかんで高く持ち上げたままにしている祐一のお尻の下におむつを一枚ずつ丁寧に広げておむつカバーの上に重ねていった。
「いいわよ、浜野さん」
 すっかりおむつを広げてしまって、深雪は美香に声をかけた。
「はい、先生」
 いつもと同じ返事をして、美香は深雪が準備したおむつに手をかけた。そうして、さっきと少しも違わない手順で祐一におむつをあててゆく。
「先生が祐ちゃんのおちんちんをおとなしくする注射をしてくれたから助かります」
 前当てと横当てのおむつで祐一の下腹部をくるみこんで美香がくすっと笑った。
「男の子のおちんちん、たいがいは上を向いちゃうんですよね。つまり、お尻の方じゃなくておヘソの方ですね。でも、そうすると、おしっこをした時におヘソを濡らしちゃうことがあるんですよ。特に祐ちゃんみたいな大きな赤ちゃんだと、おちんちんが大きくなるから、余計にそうなんです。だけど、おヘソのあたりっていったら、皮膚が薄くてただれやすいでしょう? だから、できることなら、おちんちんをお尻の方に向けておむつをあててあげたいんです。普通はそれが難しいんですけど、ほら、先生の注射のおかげで祐ちゃんのおちんちんのおとなしいこと。ちゃんと下を向いたままだから、おしっこをしてもお尻の方が濡れるんですよ。さっき、濡れたおむつを外してあげる時も、ぐっしょり濡れたところはお尻のあたりでしたもの。ほんと、よかった」
 祐一の足首を高く持ち上げたまま、美香は空いている方の手で祐一の股間を指差した。ショーツを穿かせた時もそうだったように、美香が言う通り、祐一の下腹部を包んだおむつはどこも盛り上がってはいなかった。こころもち両脚の付け根のあたりが僅かに膨らんでいるのが、お尻の方を向いたままおとなしくしているペニスだろうか。
「なるほどね。おむつもお尻の方から濡れちゃうのか。それこそ、まるで女の子じゃないの」
 美香の説明を聞きながらまじまじと祐一の股間をみつめていた深雪がくっくっくっと声を押し殺して笑った。
「そうですよ、本当に女の子。だから、おむつをあてる時も気をつけてるんですよ。男の子だと、前の方を厚めにあてるんですけど、祐ちゃんの場合は後ろの方――お尻の方が厚くなるようにあててあげるんです。女の子のあてかたですね。そうしないとおむつカバーから滲み出しちゃうかもしれないから」
 美香も声を合わせてうふふと笑った。
「さ、次はおむつカバーね。すぐにすむから、もう少しだけ待っててね」
 ひとしきり笑ってから、美香はおむつカバーの横羽根に指をかけた。
 祐一の両脚がぶるぶる震え始めたのはその時だった。
「どうしたの、祐ちゃん?」
 おむつカバーの横羽根を持ち上げる手を止めて、美香は祐一の顔を見た。
 祐一は何か言いたそうにしていたけれど、口にふくまされたオシャブリのせいで口を開くことができない。
「いいですか、先生?」
 美香は深雪の方に振り向いた。
「仕方ないわね」
 深雪は軽く肩をすくめてみせると、祐一の頭の方にまわりこんで、祐一の言葉を奪っているオシャブリをつまみ上げた。
「さ、いいわよ。どうしたのか教えてちょうだい」
 深雪が頷くのを待って、美香が祐一を促した。
「お……おしっこ……」
 やっと自由になった唇を震わせて、祐一はためらいがちに言った。
「おしっこ? だって、おむつを取り替えてあげてる最中なのよ。それなのに、もうおしっこなの? ほんとに祐ちゃんは赤ちゃんなのね」
 美香は呆れたような声で聞き返した。
 けれど、美香はあくまで、呆れたようなふりをしているだけだ。点滴をしている時はどうしてもおしっこが近くなるし、その上、輸液の中に弱い利尿剤が混ざっていることも美香は知っている。だから、もうそろそろ祐一がおしっこをしたくなる頃だろうと予想していた。そうして、本当は呆れることもないのに、わざと祐一を恥ずかしがらせてやろうとして聞き返しただけだ。
 案の定、祐一は顔を真っ赤に染めて美香の顔を見ないように目をそらした。その様子がおもしろくて、美香は体中がうずうずしてくるのを感じた。
「ま、仕方ないかもしれないわね。点滴を始めてたった30分間でおしっこだったし、今も、私達が内科処置室へ行ってる短い間におむつを濡らしちゃったんだもの。祐ちゃん、先天的におしっこが近い体質なのかもしれないわよ」
 自分が仕組んだ罠のことはおくびにも出さず、いたって冷静な声で深雪が言った。
「それじゃ、急いでおむつをあててあげなきゃいけませんね。ベッドとお布団を汚されちゃ困るし」
 深雪の言葉にそう応えて、美香は再びおむつカバーの横羽根に手をのばした。
「待って……おむつは嫌だ。トイレ、トイレへ行かせて」
 いつまたオシャブリで口を塞がるれかという不安にかられて、祐一は早口で懇願した。
 もう、おむつは嫌だった。赤ん坊みたいにぷっくりとお尻を膨らませた姿はひどく恥ずかしいし、それになにより、トイレへ行くこともできずポータブル便器を使うこともできずに大きなベビーベッドに横たわったままおしっこを溢れ出させる惨めさに、胸が張り裂きそうな屈辱感を覚える。その上、とうとう我慢しきれなくなってちょろちょろと流れ出した生温かい液体がおむつに吸いこまれながらお尻のあたりからおむつカバーの中いっぱいに広がってゆく感触、そうして、たっぷりおしっこを吸収した布おむつがゆっくり冷たくなってゆく時の情けなさ。それだけではない。ぐっしょり濡れて気味悪く肌に貼り付くおむつを柔らかいほこほこした新しいおむつに取り替えてもらった時に思わずほっとしてしまった自分自身に対する嫌悪感。まるで、おむつを取り替えてもらえることを心待ちにさえしていたかのような自分に対する苛立ち。こんなことが続いたら……。
 もう、おむつだけは嫌だ。
「はい、そこまでね」
 なおも訴えかけようとする祐一の口に深雪がオシャブリをふくませた。同時に、これでもかと白衣のポケットを探るような仕種を祐一に見せつける。
 祐一は一度だけ大きく息を吸って口をつぐんだ。つぐまざるを得なかった。
「いいわね、始めるわよ」
 不意に静かになった部屋の中に美香の声が響き渡った。
 祐一の下半身――腰から下がぶるっと震えたのは、そのすぐ後のことだった。
 反射的に手を止めた美香の目に映ったのは、祐一のお尻を優しく包みこんだ布おむつの表面に浮き出た小さな雫だった。たくさんの小さな雫が、祐一の両脚の間よりも少しお尻に近い所にふわっと現れたかと思うと、お互いがくっつき合って少し大きな滴になって、おむつの表面を伝うように流れ落ちて行く。
 祐一は屈辱に耐えかねてぎゅっとオシャブリを噛み締めて瞼を閉じている。
 利尿剤を混入した輸液を点滴され続ける上に筋肉の緊張を弛緩させる薬によって膀胱の筋肉を無力化された祐一だ。おしっことおしっこの間隔はひどく短くなり、尿意を覚えた時にはもう我慢できない状態になってしまうのも当然だった。今もまた、ついさっきおむつを汚したばかりなのにという羞恥に満ちた言葉を投げかける白衣の二人の目の前で、取り替えられたばかりの新しいおむつを濡らし始めている。まだおむつカバーで包まれていない、おしっこが流れだしたことが一目でわかってしまう姿を二人の女性の目にさらしたまま。
「あ、大変。急いでおむつカバーのホックを留めないと」
 少し慌てた様子で、美香がおむつカバーの横羽根を布おむつの上に固定した。
 そのまま急いでおむつカバーの前当てを重ねようとする美香の手首を
「いいわよ、そのままで。おむつはたっぷりあててあるんだし、その下には大きなおむつカバーが敷いてあるんだもの、心配しなくてもベッドは汚れないわ。それより、こんな光景、滅多に見られないわよ。慌てないで楽しんだらどう?」
と言って深雪がつかんでしまう。
「でも」
「いいからいいから。ほら、ゆっくり楽しみましょう」
 美香の手首をそっと離しながら、深雪は熱い息を吐いて言った。
「そうですか? じゃ、先生がそうおっしゃるなら」
 少し考えて、美香はおむつカバーの前当てにかけた手を胸元に引き戻した。
 だけど、祐一の足首をつかみ上げた方の手を戻す様子はない。尿意に耐えられなくなっておむつを濡らす祐一の両足はまだ高く差し上げられたままだ。そのために、お尻よりも少し股間に近いところにあるペニスの先から洩れ出るおしっこがどんなふうにおむつを濡らしてゆくのか、その様子を二人は正面から観察することができた。深雪の言うように、それは加虐的な悦びに満ちた、滅多に見られない、妖しくなまめかしい、とっておきの淫靡なショーだった。
 二人が固唾を飲んで見守る中、小さな無数の雫が布おむつの表面に浮かんではつっと流れ落ちていたのが、やがて、最初からかなり大きな滴が現れるようになった。一つ一つは透明な滴がすっすっすっと絶え間なく布おむつの上に出てきては、布おむつの表面をゆっくり流れ落ちながら、あるいは少しずつおむつに吸い取られて次第に小さくなりながら、あるいは殆ど大きさを変えずに伝い落ちておむつカバーの裏地に触れて形を歪ませてから、おむつカバーとおむつとの境目にすっと消えてゆく。そうして、おしっこを吸ったあとのおむつからは、目を凝らさないと見えないようなはかなげな湯気が立ち昇り、おむつがほんの少しだけ黄色く染まってゆく。
 深雪が言った通り、祐一の下腹部を厚く包んだたっぷりの布おむつのおかげでベビーベッドを汚してしまうようなことはなかった。それに、布おむつの表面を流れ落ちたおしっこもおむつカバー裏地に行く手を遮られて、そこから先へは進めずに結局は祐一のお尻のあたりをびしょびしょに濡らしながら布おむつに吸収されるしかなかったからだ。
 そう。
 祐一の体から溢れ出した生温かい恥ずかしい液体は、どこへ逃げ出すこともできずに、おむつに絡め取られて祐一自身の下腹部にまとわりつき、次第に冷えて祐一自身にひどい屈辱を与え続けるばかりだった。自らの粗相を自らが折檻するような、それは言葉にしようもない惨めな責めだった。

「先生、もう一度お願いできますか」
 二人がじっとみつめている前で祐一が濡らしたおむつをさっきと同じようにポリバケツに投げ入れて、美香は苦笑めいた表情で深雪に言った。いうまでもない、もう一度おむつを取ってきてほしいという依頼だ。
「はいはい。全く人使いの荒いナースなんだから。もっとも、それもみんな可愛いい祐ちゃんのためなんだから仕方ないわね」
 冗談めかした言い方をして、深雪は部屋の隅に向かった。そこには、細かな医療器具や薬品を載せて運ぶための台車――ワゴンが置いてある。
「何度もベビータンスまで往復するのも疲れるから、まとめて持って来るわ。どうせ、たくさん要るんでしょう?」
 今は何も載っていないワゴンをベビータンスの方へ押して行きながら深雪が言った。
「そうですね。この調子だと、これから何度おむつを取り替えてあげることになるか予想もできませんね」
 顔だけは深雪の方に向けて、けれど言葉は祐一に向かって言っているのが明らかな美香の口調だった。
「そうね、予想もできないわね」
 深雪は意味ありげにくすっと笑って、ベビータンスの引出を開けた。

 色とりどりのおむつカバーと布おむつを満載にしてベビーベッドに横付けしたワゴンから手早く新しい布おむつをつかみ上げて、美香は祐一のお尻の下に敷きこんだ。
 そのままおむつをあてようとして、不意に美香が手を止めた。
「どうかした?」
 ワゴンのキャスターをロックして腰をのばした深雪が訊いた。
「祐ちゃんはもちろん、これからずっとおむつを濡らす生活ですよね?」
 祐一の股間にぞくりとするような流し目をくれて、美香は舌なめずりせんばかりに言った。
「ええ、そうよ。もちろんね」
 祐一の胸中など推し量る気配もみせず、深雪は当然のように応えた。
「そうすると、おむつかぶれになるかもしれませんよね。おむつがおしっこで濡れなくてもおむつカバーの中は汗で湿っぽいし、おむつを外す時っていったら、おむつを取り替えてあげる間だけだし」
「うふふ、そういうことね」
 美香が何を言おうとしているのかじきに理解した深雪は、美香とそっくりの表情を浮かべて目を輝かせた。
「おむつかぶれにならないようベビーパウダーを使ってあげたいけど、そうするには、これが邪魔になると思いません? それに、おむつかぶれになっちゃって、お薬を塗ってあげる時にも邪魔になりそうですよ」
 これと言って美香が指差したのは、祐一の股間の黒い茂みだった。
 脛毛も薄くて年齢のわりに股間の茂みもあまり濃くはないものの、それでも、美香が言うように、ベビーパウダーやおむつかぶれの薬を擦り込む時の妨げにはなりそうだった。
「処置しましょう」
 深雪が短く言った。
「はい、先生」
 それまでずっと左手で持ち上げていた祐一の足をようやく布団の上に戻して、美香はてきぱき動き始めた。
 処置室の奥にある給湯室で洗面器にぬるま湯を満たし、薬品庫から消毒用ソープと小振りのハサミ、それに鋭い刃の付いた剃刀を取り出してきて、おむつを満載したワゴンの下の棚に並べ終わるのに、さほど時間はかからなかった。
「クランケの剃毛を開始します」
 すっかり準備を整えた美香は事務的な声で言うと、両脚の間に力なくだらりとしている祐一のペニスの先を左手でつまみ上げて、その周囲にうっすら生えている恥毛を右手に持ったハサミで苅りこみ始めた。じょきんという音が部屋中に響き渡るたびに十数本の縮れた毛が祐一の股間から滑り落ちて、祐一のお尻の下に広げたままになっている布おむつの上に舞う。
「う、うう……」
 体を布団の上に倒したままの祐一には、自分の股間がどんなふうになっているのか見ることができない。そのために却ってハサミの音がよく聞こえ、その音が聞こえるたびにはらはらと散ってゆく恥毛が股間の肌をくすぐる感触が敏感に伝わってくる。胸の中に溢れる惨めな気持ちを告げることもできず、ただ祐一は意味のない呻き声をあげるばかりだった。
「心配しなくていいわよ、祐ちゃん。本当の赤ちゃんみたいにすべすべにしてあげるからね」
 美香は注意深くハサミを動かし続けた。
 そうしてあらかた黒い茂みを苅ってしまうと、洗面器に消毒用ソープを溶かして盛大に泡立て、もう殆ど地肌が丸見えになっている祐一の股間に柔らかいブラシで塗りつけた。
「動かないでちょうだいね。もしも祐ちゃんが暴れて私の手が滑ったら、剃刀で祐ちゃんのおちんちんを切り取っちゃうかもしれないから」
 泡立ったソープを祐一の股間に塗りつけた美香はワゴンの下の棚から剃刀を取り上げて威かすように言った。
 おちんちんを切り取っちゃうかもしれないからねと言われた祐一は、呻き声をあげることさえはばかられるように思えて力なく口をつぐんだ。この人なら、この人達なら本当にそのくらいのことしかねないと半ば本気で恐怖を覚えてしまう。実際、美香にしてみれば、もしもそうなったらなったで面白いことになるわというくらいにしか思っていないのだから。
 股間に塗られたソープが冷たくなってくる。
 不意に、それよりも冷たいひやりとする感触が下腹部の肌に走った。美香が祐一の肌に押し当てた剃刀の刃だった。
 ぞりっという音がして、ソープの泡に包まれた短い恥毛が祐一の白い肌から剃り落とされる。祐一は思わず両脚を擦り合せようとしたが、まるで力の入らない脚は祐一の意志にまるでおかまいなしに、美香のなすがままだった。それにたとえ脚を動かせたとしても、鋭い剃刀の恐怖のために結局はぶるぶると震えるしかなかっただろう。
 ひやりとする感触と鋭い刃物の恐怖と、そうして、成人のしるしを剃り落とされる情けなさに、祐一は唇を噛み締めた。いや、本人はそうしたつまりだったのに、深雪の手で咥えさせられたオシャブリを噛んだだけだった。ゴムのオシャブリのぷよんとした感触が、わけもなく祐一の屈辱感をかきたてる。自分が本当に無力な存在なのだということを身にしみて思いしらされた瞬間だった。
 ぞりっ。美香が剃刀を手前に引いて恥毛を剃り落とすたびに、剃刀の刃を当てられていたあたりの肌が小刻みに震える。
 丹念に、それこそ精嚢の裏側まで入念に剃刀を当てて祐一の下腹部をすべすべにしてしまうのに、それでも5分間もかからなかった。美香がどんな欲望を心の中にひそませているのかはともかく、たしかに優秀なナースだけのことはあった。
 黒い茂みをすっかり剃り落としてしまってから、美香は祐一のお尻の下に敷いた布おむつの端を持ち上げて、まだ少し祐一の肌に残っているソープの泡や、まだ肌にへばりついている短い恥毛を拭き清めた。成人のしるしである茂みをすっかり剃り落とされ、そのあとを赤ん坊が使う柔らかいおむつで綺麗に拭き清められる祐一の羞恥と屈辱がどれほどのものなのか、それは本人にしかわからない。他人があれこれと想像したところで到底思い及びもしない羞恥と屈辱だとしか言いようはないのだから。





 最初に両手の力を奪われ、続いて両脚の筋肉を弛緩させられ、前立腺と膀胱の働きを抑えられた上に言葉さえなくし、しかもアンダーヘアまで剃り落とされて大きなベビーベッドに横たわる祐一。お尻を布おむつとおむつカバーに包まれて淡いピンクのベビードレスを着せられただけではすまずに、髪の毛をカラーゴムバンドで二つに結わえられ、ベビードレスとお揃いのソックスを履かされて口にはオシャブリをふくまされた祐一。
 自分では何一つできない今の祐一は、その姿だけではなく、なにからなにまで赤ん坊と同じだった。それも、ペニスが大きくなることもない、おむつカバーの上からだとペニスがあることもわからない、幼い女の子そのままの。
 ベビーベッドに横たわったまま、祐一は何度おむつを汚してしまったろう。そのたびに、本当の赤ちゃんよりもたくさんおむつを汚すのねとからかいの言葉を浴びせられ、それこそ、自分ではトイレへも行けない、おしっこが出そうだということを教えることもできない赤ん坊みたいにおむつを取り替えられ、サークルメリーであやされながら点滴が終わるのをじっと待ち続けた祐一。
 その点滴もようやく終わった今、けれど、それは、祐一に自由が戻ってくる輝かしい瞬間ではなかった。これまでよりもずっと羞恥に満ちた歪んだ時間の、それは始まりにすぎなかった。

 深雪が左手の指先で消毒用のコットンを押さえながら、右手で祐一の静脈から点滴チューブの針を抜いた。そうして、針のあとに素早くコットンを押し当てて軽く揉む。
「これで終わりだから、もう少しだけおとなしくしててね」
 心もち強く押したコットンをそっと剥がしながら深雪が言った。
 言われなくても祐一はおとなしくしていた。おとなしくしている以外に、今の祐一に何ができるだろう。
「ん、大丈夫ね。いいわよ、祐ちゃん」
 血管から血液が滲み出さないのを確認して深雪は頷いた。
 いいわよと言われても、祐一にできることは何もない。
「あ、そうだったわね。祐ちゃんは何もできないんだっけ。なんたって、祐ちゃんは小っちゃな赤ちゃんだものね」
 実際には一時もそのことを忘れたことなどないのに、オシャブリを咥えた祐一の姿を見てあらためて思い出したように深雪はくすっと笑った。
「先生、水分を補給した方がいいでしょうか?」
 点滴スタンドを部屋の隅に移し、使い終わった点滴パックと針を医療産廃用のペールに捨てて蓋を閉じてから、美香が少し気遣うような声で言った。
「そうね。水分をこんなに体外に排出しちゃったんだもの、脱水症状を起こしかねないわね」
 祐一をからかうのをやめて、深雪は、おむつでいっぱいのポリバケツを見て言った。脱水症状――たった3時間やそこいらでこんなにたくさんのおむつを汚すほどおしっこを出してしまえば、確かにそんなことになっても不思議ではない。
「それじゃ、用意してきます」
 そう応えて、美香は給湯室に向かった。
 その後ろ姿に深雪が
「冷たいお水じゃ駄目よ。胃も腸も衰弱してるから、ぬるめのお湯をお願いね」
と声をかけると、
「はい、先生」
と、いつもと変わらぬ返事が返ってくる。

 しばらくして戻ってきた美香は、両手で丸いトレイを抱えていた。
「これでいかがでしょう」
 持ってきたトレイをベッドの脇に置いた小さなテーブルに載せて美香が訊いた。
「うん、いいんじゃない」
 少しだけ間があって、深雪の応える声が祐一の耳にも届いた。ベビーベッドに横たわったままの祐一からは、深雪の背中が邪魔になってテーブルの上のトレイがよく見えない。ただ、透明な壜らしき物が立っているのが少し見えるだけだ。
「じゃ、これで」
 トレイの上に載せて持ってきた透明な壜を今度は片手で支え持って、美香が祐一の頭の方に近づいた。
「咽喉が渇いたでしょう、祐ちゃん?」
 美香はベッドのサイドレールを倒すと、手にした壜を祐一の顔の上で振ってみせた。
 それは、ぬるめの――ちょうど人肌くらいの温度のお湯を満たした哺乳壜だった。
 祐一は息を飲んで二度三度と首を振った。
「駄目よ、ちゃんと飲まないと」
 美香は哺乳壜を祐一の顔に近づけながら、もう一方の手で祐一の言葉を奪っているオシャブリをつまみ上げた。
「そんなの嫌だ……コップ、コップで飲ませて」
 口が自由になるのを待ちかねて祐一はせき込むように言った。
「祐ちゃんがコップで飲めるならコップでもいいわよ。でも、ひとりじゃ体を起こすこともできないのに、どうやってコップで飲むつもり?」
 美香はぐいと腰を曲げると、祐一の顔を真上から覗きこんで言った。
「でも、でも……じゃ、せめて吸い口を使わせて」
 祐一は、入院した叔父の見舞に行った時のことを思い出して細い声で言った。そうだ、ガラスでできた吸い口とかいうのを使えば体を起こさなくてもいい筈だ。
「それも駄目よ。だって、この処置室には吸い口なんて置いてないもの。いい? これは純粋に医学的な見地から言うんだけど、あちこちの部屋から勝手に備品を持ってきて使うわけにはいかないの。そんなことをしたら衛生管理が徹底できないもの。だから、この部屋にあるものを使って祐ちゃんはお水を飲まなきゃいけないの。――この小児科処置室でお水を飲めるような物っていったらこれくらいしかないのよ」
 美香は哺乳壜のゴムの乳首をぐいと突き付けると、もう今さら衛生管理がどうのとわざとらしい説明する必要もないだろうに、なんだか、そういうふうに説明すると祐一が反論できずに困った顔になるから、それを見て楽しむためだけのために、決めつけるように言った。
「わかったら、ほら」
 美香は哺乳壜の乳首を祐一の口に突っ込んだ。
 だけど、もちろん、祐一はゴムの乳首を吸おうとはしない。いくら咽喉が渇いていても、そんな赤ん坊がミルクを飲む道具なんか使えない。
 哺乳瓶の乳首の先に開いている穴は本当に小さくて、赤ん坊が吸わなけばミルクが出ないようになっている。そうしなければ赤ん坊が吸わない時にもミルクが口の中に溢れ出て、へたをすれば赤ん坊が窒息してしまう恐れさえあるからだ。だから、祐一が自分から吸わなければ、いくら哺乳壜の乳首を口の中に突っ込まれたとしても、その恥ずかしい哺育用具から水を飲まなくてもすむ。哺乳壜を咥えた屈辱的な姿にされた祐一の、それだけがささやかな抵抗だった。
「あら、哺乳壜からちゃんと飲めないのかしら、祐ちゃんは」
 美香が支え持っている哺乳壜の中のぬるま湯がちっとも減らないことに気づいた深雪が眉をひそめた。そうして祐一の顔を意味ありげに覗きこむと、白衣のポケットに手を入れて何かを探るようにごそごそと動かす。
 オシャブリを吐き出した時と同じ『診察』をするつもりかもしれないと思いついて、祐一の顔が恐怖に歪んだ。
 けれど、深雪がポケットから取り出したのは金属製のヘラではなく、掌の中にすっぽり収まってしまいそうな小さなハサミだった。
 白衣のポケットから小振りのハサミを取り出した深雪は、哺乳壜の乳首を祐一の唇から離すよう美香に命じると、ゴムの乳首の先をハサミでじょきんと切り取って大きな穴を開けてしまった。
「いいわよ、これで飲みやすくなったでしょう」
 ハサミで開けた穴の大きさを確認して、深雪は満足そうに頷いた。
 深雪が頷いたのを見て、美香がもういちど哺乳壜の乳首を祐一の口にふくませた。
 今度は大きな穴が開いた乳首だ。祐一が吸わなくても、哺乳壜の中の湯が勝手に流れ出してくる。
 こぽこぽと小さな泡をたてながら哺乳壜の湯が見る間に減って、祐一の口の中にどんどん流れこんでゆく。
 祐一が激しく咳き込んだ。自分の意志とはまるで無関係に流れこんでくる湯にむせてしまったのだ。
 美香が哺乳壜を祐一の唇から離しても、げほげほと激しい咳をして、そのたびに、ごぼごぼと祐一の口から湯が溢れ出し、無数の飛沫になって周囲に飛び散る。
「あらあら、せっかく飲みやすくしてあげたのに、まだ駄目なのね。哺乳壜もちゃんと使えないなんて、困った赤ちゃんだこと」
 祐一が口の周りから顎先まですっかり濡らしてしまう様子をみつめていた深雪がおかしそうに笑った。
「このままじゃ、せっかくの可愛いいベビードレスまで汚しちゃうかもしれないわね。そんなことにならないように、はい、これを祐ちゃんの首に着けてあげて」
 笑い声のまま、深雪は、おむつを満載したワゴンの端の方から一枚の布地をつかみ上げて美香に手渡した。
 受け取った美香が両手で広げてみると、それは大きなよだれかけだった。吸水性のよさそうな純白のタオル地でできていて、フリルたっぷりの飾りレースで縁取りがしてあって、一番上の所と中ほどに丈夫な紐が縫い付けてある、真中あたりにあしらったアップリケが可愛いいよだれかけ。
 美香に大きなよだれかけを手渡した深雪は、ようやく咳がおさまった祐一の体を抱え上げるようにして上半身をベッドの上に抱き起こした。そうしてそのまま、祐一の上半身が倒れこまないよう背中にまわした両手で支えてやる。
 いくら祐一が体を退こうとしても、深雪の手に遮られて逃げられない。そこへ美香が近づいてきて、よだれかけの上の紐を祐一の首筋に巻きつける
みたいにしてきゅっとくくってしまう。続けて、胸元あたりの紐も背中の方で強くきゅっと。
「うわ、可愛いい。やっぱり、赤ちゃんにはよだれかけがお似合いね」
 祐一の首筋から胸元にかけてを大きなよだれかけで覆ってしまって、美香は手を打って喜んだ。
 実際、ピンクのベビードレスの上に純白のよだれかけを着けた祐一の姿は、美香が歓声をあげるのも無理がないほど可愛らしく見えた。たっぷりのおむつで膨らんだお尻を布団の上におろして上半身だけを起こし、二つに結わえられた髪の毛を肩よりも少し上のあたりまで垂らした姿は、どこから見ても幼い少女そのままだったのだから。
「それじゃ、私が祐ちゃんの体を支えてるから、このまま続きを飲ませてあげて。ちゃんとよだれかけも用意したから、少しくらいこぼしても大丈夫よ」
 深雪は祐一の背中に両手をまわしたまま言った。
「あの、先生……」
 だけど、美香の方は言葉を濁した。
「どうしたの?」
 深雪が気遣わしげに訊いた。
「祐ちゃんが哺乳壜を嫌がっているのなら、あの……私のおっぱいをあげちゃいけませんか? さっきから張っていて、とても痛いんです」
 美香は顔を赤くして言った。祐一がこの医院を訪れて、今まで美香のそんな恥じらいを含んだ顔なんて見たことがない。
「ああ、そうね。いつもだったらとっくに宿舎に帰って、優香ちゃんにおっぱいをあげてる時間だものね」
 深雪はようやく納得したように頷くと、ひょいと体を曲げて祐一の顔を覗きこんで続けた。
「それなのに、祐ちゃんがとびこんできたものだから、まだお乳をあげられなくておっぱいが張ってるのね。いいわ、責任を取ってもらうってことも含めて、祐ちゃんにお乳をあげてちょうだい」
「いいんですか?」
「もちろんよ」
 祐一が何か言いたそうにするのをオシャブリで遮って深雪はにこりと笑った。
「じゃ」
 美香は小さく頷いて白衣のボタンに指をかけた。そうして、祐一が目を見張ってみつめる中、白衣と、その下に着ている薄手のブラウスのボタンを上から四っつ、親指で弾くようにして素早く外してしまう。
 美香が白衣とブラウスの胸元をはだけると、豊かな乳房を遠慮がちに覆っている黒いレースのブラが現れた。祐一の心臓が早鐘を打つように高鳴って、どきまぎした表情の顔をそらせることができなくなって、白い張りのある乳房に吸い付けられるみたいに両目がブラの先端に釘付けになって離せなくなってしまう。
 美香が両手の指を絡めるようにしてブラのフロントホックを外して僅かに肩を動かすと、肩紐のないワイヤーストラップになっているブラのカップがいとも簡単に乳房から離れて、綺麗なピンクの乳首があらわになった。と同時に、どこか懐かしいような匂いがほのかに漂って祐一の鼻腔をそっとくすぐる。
 美香の乳房に二つの瞳を釘付けにしたまま、祐一ははっとしてオシャブリを唇から落としそうになった。今、祐一の鼻を柔らかくくすずっている青臭いような、それでいてどこか甘い匂いこそが、処置台から美香に抱き上げられて顔が乳房に近づいた時に匂ったあの香りだった。
 ブラウスから大きく飛び出た乳房を揺らしながら美香が祐一に近づいてきた。見開いたままになっている祐一の目に、つんと立ったピンクの乳首が迫ってくる。
 次第に迫ってくる美香の乳首は微かに濡れていた。水に比べればほんの少しねっとりした、ちょっと見には透明に見えるのに、よく見ると白濁しているのがわかる、どこか不思議な濡れ方だった。
 それが匂いの源だということに、祐一はすぐに気がついた。そうだ、この匂いは……。
「浜野ナースには子供がいるのよ。まだ赤ちゃんで、優香という名前の娘がね。いつもなら休憩時間に宿舎へ戻って優香ちゃんのおむつを取り替えてあげたりおっぱいをあげたりしているんだけど、今日は午後は休診だっていうのに祐ちゃんが急患で飛び込んできたでしょう? だから、お昼休みの前におっぱいをあげただけで、お昼からはまだなのよ。それで、浜野さんのおっぱいが張っちゃったの。――祐ちゃん、優香ちゃんの代りに浜野ナースのおっぱいを飲んであげてね」
 祐一の体を支えているというよりも祐一が逃げられないように体を両手でつかまえた格好のまま、深雪が耳元で囁いた。
 祐一の言葉を待ちもしないで、美香が祐一の体を抱き上げた。祐一の後頭部から首筋にかけてを左手の肘の内側で支え、右手を祐一のお尻から背中へまわして体重を支えるような抱き方だった。そうやって抱くと、祐一の顔が美香の乳房のすぐ近くにやってくる。
 その時になって初めて我に返ったように、祐一が弱々しく首を振った。美香はそんなことはてんで気にも留めず、左手に力を入れて祐一の顔を胸元に引き寄せた。
 あの青臭くて甘い匂いに混ざって、微かに汗の匂いがした。
 深雪が手をのばして祐一の口からオシャブリを取りあげた。
 祐一はぎゅっと唇を閉じた。
 美香の左手に更に力が入って、祐一の顔を豊かな乳房に押し当てた。口も鼻もぷりんと張りのある乳房に埋ってしまい、思ったように呼吸ができなくなる。
 苦しさに耐えかねて祐一が口を開いた。その時を待っていたように、美香が乳首を祐一の口にふくませた。
 口の中があの匂いでいっぱいになって、なんだかあまり味のしない粘っこい液体が舌の上にとろりと広がった。本当は水みたいにさらりとした液体なのかもしれないのに、なぜだかとってもねっとりしたような感じに思えてならない。
「さ、吸って。優香に負けないくらい元気よく吸うのよ」
 どことなくとろんとした目つきで祐一の顔を見おろしながら美香が言った。
 おそるおそる美香の顔を見上げた祐一は慌てて目を伏せ、強引に咥えさせられた乳首を吐き出そうともがいた。それを美香が腕に力を入れて、ますます乳房の方に引き寄せてしまう。
「祐ちゃんはまだ哺乳壜も使えない小っちゃな赤ちゃんなんでしょう? だから私のおっぱいをあげてるのよ。娘の優香にあげる筈だった大切なおっぱいをね。それを嫌がっちゃ、優香が可哀想だわ」
 美香は祐一の鼻を豊かな乳房で塞いだ。
 祐一はかろうじて自由になる口で空気を吸いこもうとして、その勢いで美香の乳首も一緒に吸ってしまった。途端に美香が、祐一の鼻を塞いでいた乳房をすっと離した。
「そうよ。そうやってちゃんと吸ってくれれば、私だって祐ちゃんの鼻を塞いだりしないのよ。わかるわね?」
 言い方は静かだったけれど、その静かさが却って怖かった。要するに美香は、柔らかな言い方にくるんで、祐一がおっぱいを吸わないのなら、そのかわりに乳房で鼻を塞いで呼吸をできなくするわよと脅しているのだった。
 祐一は迷った。
 迷ったあげく、おずおずと唇を動かし始めた。
「そう、それでいいのよ。私の大きなおっぱいに溜ってるお乳をみんな飲んじゃうのよ。それまで祐ちゃんの体を離してあげないからね」
 上気したようなとろんとした目に妖しい光をたたえて、美香は幼児をあやすみたいに言った。



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