CETI 〜宇宙鯨の声が聞こえる〜



『わ!!』
 耳元のスピーカーから、人間のものとは思えない、ほとんど金属音といってもいいような叫び声が響いた。
「きゃっ!!」
 反射的に両手で耳を押さえて、ヨーコは体を起こした。
 途端に、頭をハンマーで思いきり殴られたような衝撃を受けて、起こしかけていた体を再び仰向けに倒してしまう。
「つ〜」
 涙目になった顔をしかめると、あまり血色の良くない唇を噛みしめて、ヨーコはそれまで耳たぶを押さえていた右手の掌をそっとおでこに当ててみた。そこには、みごとなたんこぶが熱をもってずっきんずっきん疼いていた。
『急いで起きようとするからですよ〜。そんなに注意力散漫だと、これから先、どんな事故に巻き込まれるかもしれないんだからぁ、ほぉんと、しっかりしてほしいですぅ』
 自分の叫び声が原因だなんてことには全く気づいていない、きゃぴきゃぴした声がスピーカーから聞こえた。
「……あんた、言いたいことはそれだけ?」
 頭の上を覆っているシールドにぶつからないよう今度は慎重に上半身だけを起こしたヨーコが、きっと正面を睨みつけて、透明の強化プラスチック越しに見える少女の顔に向かって、わざとのような静かな声で言った。ヨーコの目の中に、太陽のプロミネンスのようなぎらぎらした炎が揺れている。
 ヨーコはゆっくり息を吐き出すと、のろのろと左手を動かして、指先に触れた小さなボタンを押した。
 小さな昆虫の羽音のようなハミング音が聞こえて、目の前にある強化プラスチックのシールドがゆっくり開く。
 ヨーコは体中の筋肉を震わせて立ち上がった。ずっと体を動かさずに眠っていたくせに体が軽い。そのくせ、妙に足元が覚束ない感じもする。
 睡眠ポッドから立ち上がったヨーコを目にして、へらへらした表情を浮かべていた少女が身を退いた。ヨーコの全身を包む怒りのオーラが見えたにちがいない。
「あんた、人工冬眠中の搭乗員の起こし方も知らないの? 正規の手順に従って覚醒させないと脳に障害が発生する恐れがあることくらい知っているでしょうが! それとも、あんたの頭の中にあるのは真空管ラジオだってわけ!?」
 ヨーコは、ずいっと前に出た。
 どん。鈍く輝く金属製の壁に阻まれて、少女が逃げ場を失った。
 ヨーコがにたぁ〜と笑って、少女の首に指をかけた。
「ええい、これでどうだ。ぐいぐいぐいぃぃ――あんたのせいで、ひょっとしたら私は記憶障害を起こしたかもしれないんだからね。どうして、あんな無茶な起こし方をしたのよ!? ええい、反省しなさい」
 少女はもがいた。しかし、決してヨーコに逆らおうとはしない。
 少女が絶対に自分に手をかけないことを承知してでもいるのか、ヨーコはなおも両手に力を入れた。
 少女の体のどこかで何かが壊れる音がした。
 ヨーコは、オモチャに飽きた子供のように少女の体をぽーんと放り投げた。
 決して筋肉隆々というわけではないヨーコなのに、少女の体は大きな弧を描いて宙を舞った。
 べちゃという鈍い音に混じって微かな金属音を響かながら、少女が固い床に落ちた。
「こほっ、こほん」
 ぐいぐい締められていた首が自由になって、少女が咳をした。
 少女の口から、歯車とかゼンマイとかトランジスターとかの部品が飛び散った。
「あんた、どっか壊れたんじゃないの?」
 すっと細めた目で少女の様子を眺めながら、ヨーコが言った。
「やだな〜。風邪ひいただけですよ〜」
 弱々しい声で少女――[究極超人・あある/タイプ=ミウ]が応えた。
「それならいいんだけどね。でも、あんたの家系って、昔からそうなのね。咳をする度に部品を派手に撒き散らかしながら『風邪だ』って言い張るんだもの」
 ヨーコは、遠い昔(1980年代の週間少年サンデー)を思い出す目でぼそっと言った。
「ま、いいわ。それで、私に何の用なの? 正規の手順を踏まずに強引に人工冬眠を破るからには、それなりの理由があるんでしょうね?」
 寝惚けていた頭にやっとのことで意識が戻ってくるのを感じながら、ヨーコは蛇みたいな目をミウに向けた。
「あ、そのことなんですけどぉ、通信装置のディスプレイを確認してほしいんですぅ」
 ミウはマイクロソレノイドに電流を流して人工皮膚をひくつかせ、一瞬だけ脅えたような表情を作ってみせてから、元ののほほんとした顔になって応えた。
「通信装置……?」
 ヨーコは片方の眉を吊り上げて、コンソールの一角に目を向けた。
 ヨーコの目の先で、定時連絡以外のなんらかの有意味電波を受信したことを知らせる黄色の発光素子が激しく点滅を繰り返していた。そして、その上にあるディスプレイには、”CETI”という文字が大きく映し出されている。
「まさか……」
 ヨーコは息を飲んで、発光素子とディスプレイを見比べた。

 簡単に説明しておくと。
 ここは、太陽から1光日離れた地点に向けて飛行を続ける宇宙船の内部だ。宇宙船は、太陽系開発機構(SSDO)が深宇宙の探査を目的として新たに発足させたプロジェクトチームOMORASI(Orbital Measurement ORganization of Away Space Institute)に所属する電波観測宇宙船OMU(Orbital Measurement Unit) の栄光ある1号船である。
 OMU−1からOMU−36までの36隻の観測宇宙船は、あるいは太陽系の惑星の公転面と並行に、あるいは公転面と垂直に、また、それらに一定の角度をもって交叉するような軌道に乗るべく、揃って月面基地から出発したのだった。36隻の観測宇宙船が予定通り太陽を中心にした半径1光日の人工惑星軌道を確保し、それぞれの観測データを月面基地のホストコンピューターに送信を始めれば、全体としては2光日の直径を持つ巨大な電波望遠鏡として(正確には、2光日という長さの基線を持つ電波干渉計として)機能し、深宇宙を覗き込む人類の最新の目として興味深い事実を見せてくれることになる筈だ。
 しかし今はまだ、乗務員を人工冬眠用の睡眠ポッドの中で眠らせつつ、0.1Gの加速(この加速自体が、船の内部においては人工重力として作用することになる。そうした小さな重力下だから、ヨーコは目を醒ましてすぐに起き上がることができたし、ミウの体を軽々と投げ飛ばすこともできたんだね)を続けながら、出発から目的軌道まで約410日を要する行程の途中にいるにすぎない。OMUシリーズの観測宇宙船に搭載しているイオンエンジンは、息の長い加速には向いているが、瞬発力を期待することはできないのだから、どうしても旅は長くなってしまう。
 そしてヨーコは、そんなOMU−1に艦長として搭乗した日系アメリカ人の若くて可愛いコスモテクノクラートだ。本当なら『キャプテン・ヨーコ』と呼ばなければならない。ついでに説明しておくと、ミウは、乗務員が人工冬眠に入った後の宇宙船を管理するために配備されているヒューマノイドロボットだ。[あある]と名付けられたロボットシリーズのバリエーションの一つで、男性型のオリジンとは違って、見目麗しい女性型として設計されている。もともとの[あある]シリーズのロボットは、ゆうきまさみという科学者が1980年代に開発した[究極超人・あ〜る田中一郎]が第一号とされていて、その後に加えられた様々な改良によって、宇宙空間においても自由に活動できるスーパーロボットになっている(……らしい)。で、ロボットだから、ミウはヨーコに首を絞められても反撃しなかったわけだ。決して人間を傷つけてはいけないという『ロボット工学三原則』に従って。
 説明おしまい。
 さ、本題に戻るよ。

「ど、どうして、CETIなのよ?」
 急におろおろした様子になって、ヨーコは悲鳴みたいな声をあげた。
 ヨーコちゃん、おろおろ。
 ミウちゃん、うろうろ。(こいつ、本当にスーパーロボットなのか?)
「よりによって、私が乗った船でCETIを受信しなくてもいいじゃないよぉ〜」
 ヨーコは完全にうろたえてしまった。
 ま、それもムリのない話だ。なんたって、”CETI”というのは、「地球外知性との接触」を意味するコード(Communication for Extraterrestrial Intelligence)なんだから。
 つまりOMU−1の通信装置は、地球人類じゃない知的生命からのものと思われる電波を受信してしまったということだ。これで慌てるなという方がどうかしている。
「どうしよう」
 ヨーコとミウは顔を見合わせた。



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