フルーツパラダイス


「なぁなぁ、プレゼントは?」
 夕飯の後片付けを終えてピンクのエプロンを手早く外しながらリビングルームに入ってきた桃子が、倫子のすぐ横に腰をおろすと、甘えるように言って、掌を上に向けた両手を差し出した。
「へ? プレゼント? それ、なんのことなんよ?」
 たった一つのセリフの中にハテナマークを三つも交えて、倫子が不思議そうな目で桃子の顔を見た。
「なんのことなんよって……本気? なぁ、本気でそんなこと言うとん? いや、倫子ってそんな冷たい人やったん? 信じられへんわ!」
 こちらはこちらでビックリマークまで使った桃子は、ぐうにした手を口の下に当てた。
「冷たいて言われても、私も桃子も誕生日はまだ先やし……。あかん、わからへん。グリコやわ」
 なんとなく困った顔で、倫子は小さく両手をあげた。つまり、お手上げ=両手をあげる=グリコのシンボルという意味になる、関西では戦前から伝わる、「ごめんなさい」を意味する殆ど死語に近い言葉だったりする。
「なんやのん、それぇ。ほんまに倫子はいっつもそんなんしてごまかすねんから」
 ぷいと横を向いて桃子は頬を膨らませた。けど、どことなく甘えるみたいな喋り方は変わらない。基本的に、そーゆー倫子が好きなんだ、桃子は。
「そやかて、ほんまにわからへんねんもん。な、そやから、なんで今日プレゼントなんよ?」
 ちらと横目で桃子の様子を窺いながら倫子が言った。今にも揉み手でご機嫌うかがいでもしそうな感じだ。
「結婚記念日」
 振り向いた桃子は、じと目で倫子の顔を見上げるようにして、これ以上はないってくらい簡単明瞭に応えた。
「結婚……記念日……?」
 倫子の目が点になった。
 倫子が驚くのも無理はない。なんたって、桃子も倫子もれっきとした女の子(花も恥じらう十九歳なのさ)なんだから。それがどーして、結婚記念日なんていう言葉と結びつくんだ?
 とはいうものの、実は、桃子が結婚記念日だって言い出したのにも理由がないわけじゃない。それがどんな理由かっていうと。
「憶えてへんのん? 冷たい人やねんなー、倫子。まるで液体窒素やで。おお、さぶ」
 桃子は肩を抱えてぶるっと震えてみせた。
「ざーとらしいで、桃子。ま、それはそれとして。――つまり、昨年の今日、桃子と私が、どない言うたらええんか、その……というわけなんかな?」
 桃子に言われて一年前のことを妙に鮮やかに思い出した倫子が、いくぶん顔を赤らめて口ごもった。
「ぴんぽ〜ん、そーゆーこと。うちが初めて倫子にやられてしもたんが昨年の今日。あかん、思い出したら疼いてきたわ。今夜も頑張ろな?」
 鼻にかかった甘ったるい声を出して、桃子がうりうりとバストの先っぽを倫子の体に押し当てた。
 倫子と桃子は関西にある某高校の同級生で、三年間、クラブ活動も美術部でずっと一緒だった。それも、かなり名の通ったコンクールに二人そろって入選してみたりして、お互いにお互いの存在を認め合うというか、良きライバルみたいなというか、一緒にいたからというだけではなく、なんとなく惹かれ合うものを感じていたのだった。で、その二人が昨年の春、そろってM芸術大学への入学を決めて、一つのマンションで仲良く共同生活を始めたその日、桃子に言わせれば『やられてしもた』、つまり、『できちゃった』わけだ。どちらかと言えば丸顔で髪の長い桃子と、スレンダーで彫りの深い顔の倫子。対照的な二人だけど、心の内にある(芸術家としての)魂が呼び合ったのか、遠く親元を離れた初めての土地の寂しい部屋の中、どちらからともなく体を寄せ合い、寝室のベッドに倒れこんでしまったわけだ。二人ともそれまで男性関係はなかったのだけれど、却ってそれがよかったのか、ごく自然に二人の役割分担が決まって(もちろん、桃子がネコさん、倫子がタチさんです、はい)、ベッドに倒れこんだ二人は同性どうしの愛の営みに溺れることになったのさ。

「う〜ん……」
 バストの先でつんつんされながら、倫子は考えこむように唸った。
「あ、なによ、それ。頑張らへんのん?」
 すがるみたいな桃子の上目遣い。
「そやかて、昨晩もしたやん? なんぼなんでも、一日おきくらいにしてもらわな、体がもてへんもん。それに……」
 倫子は言い淀んだ。
「それに?」
「どない言うたらええやろ……なんていうか、ちょっと飽きてきたかなぁとか……」
 倫子はポリッと顎の先を掻いた。
「ひどい。倫子、ひどすぎる。うちの体をあれだけ弄んどいて、いまさら飽きたやなんて。そんなん、ごっつうずっこいやん」
 桃子が両目を袖口で抑えて、よよと泣き崩れる(ふりをした)。
「そやかて、考えてもみいな。桃子はええよ、桃子は。ちゃーんと感じることができるんやから。けど、私は作り物のおちんちん付けて腰を振るだけやで。そんなん、ぜんっぜん面白ぉもないやん」
 倫子は桃子を慰めることもなく(泣き真似はいつものことさ)、天井に目を向けて言った。
「あ、なーんや、そーゆーことかいな。それやったら、今夜はうちがタチしてあげる。それやったらええやろ? これまで倫子がうちを楽しませてくれた分、今度はうちが楽しませたげる。な?」
 倫子の言葉を聞いた桃子は、やっとわかったというふうに瞳を輝かせて顔を上げた。
「いや、それも……」
 けど、倫子はそれにも頷かない。
「なんでよ?」
 桃子の声が険しくなった。
「ずっとタチしとったから、いまさらネコゆうのも、なぁんか気持ちわるいもん。――テレビとかで男の子が急に女役やらされる時、こんな気持ちになるんかもしれへんわ」
 倫子はちょっと困ったように言った。それから、慌てて言葉を続ける。
「あ、そうそう。プレゼント、何が欲しいん? なんやったら、明日にでも……」
「まーた、そんなこと言うてごまかしにかかる。はっきりいうて、中年のおっちゃんやで、そんなん。――ほんま、なんとかして倫子がその気になる方法ないもんかな。ちょっとくらいアブない方法でもええねんけど」
 桃子は、んべっと舌を突き出した。
 だけど、急に何か思いついたみたいに明るい顔になると、にまぁと笑って言った。
「……ほんまにプレゼントくれるんやね?」
「え? ああ、うん」
 倫子はちょっと迷いながら頷いた。桃子がそんな顔になってロクなことがあったためしがない。
「ほな、赤ちゃんが欲しい。可愛いい赤ちゃん、ちょうだい」
 桃子は倫子の反応を楽しもうとでもするように、倫子の目をじっと覗きこんで(笑顔のまま)言った。
「そんな無理を言わんといてぇな。なんぼなんでも、それは無茶やわ」
 困り果てた倫子は、訴えかけるような口調で応えた。
「そやかて欲しいもん。うちと倫子の今の生活、いつまでも続くわけやないやん? いつか二人が別れる時が来る。今日や明日やいうことはないにしても、大学を卒業してしもたら、まず確実に離れ離れになってしまうやん? けど、うちは、倫子とこうして一緒に生活してたっていう確かな思い出が欲しいねん。離れても、倫子とのどろどろした愛欲の日をきちんと思い出させてくれるもんが欲しい。そやから、倫子の赤ちゃんが欲しいの!!」
 桃子は倫子の顔を見つめたまま、それまで見せたことのないような真面目な表情で言った。
「けど……桃子が女の子なんと同じくらいに私も女の子なんやで。その私が、どないしたら桃子に赤ちゃんを生ませたげられるゆうんよ?」
 倫子はちょっぴり苛々したような声で言った。
「そんなこと、うちもわかってる。倫子とうちがどない頑張っても赤ちゃんができるわけあれへん。けど、それやったらそれで、別の方法を考えてくれてもええんちゃう?」
 桃子の表情は、真面目を通り過ぎて、ちょっと怖いくらいだ。
「別の方法……?」
 倫子は要領を得ない顔で訊き返した。
「そうや。実際に赤ちゃんを生むのは無理やとしても、倫子とうちで調達してきたらええんや。それやったら、うちの気持ちの中では倫子とうちの子やもん」
 もう一度、桃子がにまぁと笑った。
「子供を調達する……あかんよ、桃子。そんなん、犯罪や。誘拐ゆうのは、冗談ですめへん重罪やで」
 倫子はぶるぶる首を振った。
「あ、何を誤解しとんよ、倫子。うちは子供を誘拐する気なんかあらへんで。よおまあ、そんな怖いこと思いつくわ」
「え?」
「もっとちゃんとした方法があるねん。犯罪なんかせんでも、うちらの可愛いい赤ちゃんが手に入る方法があるんよ。――うちへのプレゼントやもん、手伝うてくれるよね?」
 桃子はすっと目を細めた。
「う、うん……」
 気がつくと、倫子も小さく頷いていた。
「ターゲットはサクランボ。憶えとるやろ? サクランボ、今年は合格したんやで」
 サクランボという言葉を耳にして、桃子が何を考えているのか、ようやく倫子にも飲み込めた。
「……わかった。たしかに、サクランボやったら桃子が気に入りそうやな。あの子、めっちゃ可愛いいもん」

 サクランボというのは、桃子たちと同じ高校で同じ美術部に入っていた千恵里のことだった。千恵里(ちえり)→チェリー→サクランボというお気楽な段取りでニックネームを付けられてしまったことをぶちぶち言っては、そのたびに、「けど、錯乱坊のことをチェリーって呼ぶのに比べたらずっとマシやで」と桃子に慰められていた姿を倫子ははっきり憶えている。クラスは別だったけど、なかなか明るい可愛いい感じの子で、コンクールへの入選率も倫子たちとタメを張る才能の持ち主だったこともあって、部室ではいつも二人と一緒にいたものだった。
 で、高校を卒業した後も当然のように桃子たちと同じ大学へ進むつもりだったのに、ちょっとしたアクシデントに見舞われたせいで、昨年の入試には合格しなかった。この三人なら間違いなくM芸大の入試を通りますよと美術部顧問の先生も太鼓判を押していたのに、桃子と倫子は受かったものの、千恵里だけは落ちてしまったのだった。落ちたというか、入試そのものを受けなかったのだから、どうしようもない。千恵里は、ほんとに運が悪かったわねとしきりに慰める美術部顧問にも担任にも、入試の直前に彼女を襲ったアクシデントのことは説明しなかった。というか、できなかった。
 ――入試の一ケ月ほど前から急におねしょするようになってしまっただなんて、それで入試を欠席しましただなんて、まさかそんなこと、あんなに期待してくれていた先生に正直に言えるものではなかった。
 布団を濡らしてしまった最初の一日二日くらいは、千恵里もまだ軽く考えていた。そりゃ、高校生にもなっておねしょだなんて、とてもじゃないけど信じられないような気持ちだった。だけど、ま、そんなの何かの間違いだ、こんなこと続くわけがないとか、割と気楽なところがあったのも本当だった。けど、それが一週間になって二周間になると、いくらなんでも普通じゃないって不安に思う。
 でも、花の女子高校生が泌尿器科の病院へ行くってのも。とはいっても……ということで、思いあまって相談した相手が桃子と倫子だった。で、そんなことを相談された桃子と倫子にしても、どんなふうに応えていいかわかる筈もない。そこで二人は強引に千恵里を保健室へ連れて行って、カウンセラーを兼ねる養護教諭・谷崎美代子に事情を打ち明けることにした。千恵里からいろいろ聞き出した美代子が出した結論は、ちょっとした受験ノイローゼね、毎年一人くらいはいるのよ、入試が近づいてくるプレッシャーで拒食症になったり夜尿症になったりする子が――というものだった。
 ま、入試のシーズンが終われば元に戻るから、あまり思い詰めないことね。美代子はお気楽にそう説明したけれど、当の千恵里にしてみれば、憧れのM芸大の入試がすぐ目の前に迫っているのに、はいそうですかと納得できるわけもない。
 なんとかならないんですか、先生。もう殆ど泣き出しそうになりながら千恵里は美代子の顔をじっと見つめた。でも、美代子にしても、そんな短期間で受験ノイローゼを治す技術は持っていない。というか、これは、治療技術がどうこうではなく、千恵里自身の性格とか精神的な弱さとかに絡んでくる問題だった。一見したところでは小柄で少しぽっちゃりした感じの明るい気立てのいい子なんだけど、芸術的な才能に恵まれた人にありがちなことに、心の奥底の部分にはすごく弱い、ちょっと触っただけですぐにぽきっと折れてしまいそうな、繊細というよりは過敏で脆弱なところのある千恵里だった。だからこそ、迫ってくる受験のプレッシャーに耐えかねて夜尿症まで引き起こしてしまったのだ。つまるところ、千恵里のそのパーソナリティーそのものを変えなければ根本的な解決にはならない。そして、そんなことは一年や二年という時間をかけてするべきことで、どう考えたって、十日やそこいらでなんとかなるというものでは絶対になかった。
 しかも悪いことに、千恵里が受験しようとしているM芸大は関東にある大学だった。つまり、入試を受けるためにはホテルに泊まらなければならない。おねしょ癖のある千恵里がホテルなんかに泊まったらどんなことになるか、倫子はそんな場面をぼんやり想像した後、は〜あと溜め息をつくばかりだった。自宅から行ける学校だったらまだマシだったのにねぇ。そんな慰めの言葉を言ってしまいそうになって慌てて口をつぐんだ倫子だった。そんな言葉、慰めどころか皮肉としか聞こえないだろうから。
 結局、千恵里の夜尿にうすうす気づいていた母親(そりゃ、ま、気づくのが普通だろうな。一緒に暮らしている娘が二周間以上もおねしょしてるんじゃ)がそれとなく受験を思いとどまらせて(いいじゃないの、千恵里。体調が良くない時に無理して試験を受けることはないんだから。大学なんて、来年も再来年もどこにも逃げずにあなたを待ってるんだから)、昨年は残念だけど桃子や倫子と一緒にはなれなかったってわけ。

 でも、その千恵里が、いよいよ今年は入試に受かったという。
 もともと頭が良くて才能のある子だし、ちゃんと入試を受けることさえできれば合格間違いなしだったんだから、千恵里が受かったこと自体には二人はさほど驚きもしなかった。それよりも、もういちど三人が一つになれることが嬉しかった。そうして、高校生にもなっておねしょが始まっちゃったなんていう誰にも言えない恥ずかしい癖のことをきちんと打ち明けて相談してくれた千恵里のことを、二人は高校の時よりもずっとずっと好きになっていた。それも、千恵里のそんな(恥ずかしい事実を相談してくれるような)素直なところが気に入ったというのも勿論あるんだけど、それだけじゃなくて、なんていうか、「高校生にもなっておねしょが治らない千恵里」という友人そのものが妙に可愛らしく思えて――どういえばいいんだろう、もともと小柄で可愛いい印象を受ける千恵里がおねしょをしちゃっても、それってなんとなく不自然な感じがなくて、ちょっと頼りなげな甘えんぼうめいた愛らしさみたいのを感じるのかな。
 そりゃ、初めておねしょのことを聞かされた時にはあせったよ。あせってどうしていいのかわからなくなって保健室へ連れて行ったんだから。でも、それから一年以上が経った今になってみると、耳たぶの先まで真っ赤にしながら小さな声で二人に「あのな、相談したいことがあるんやけど……」と話しかけてきた千恵里の顔が、なんとも表現しようのないほど幼くいとおしく思い出されてしまう。なんだか、同じ学年の友人というよりも、まだ小さな妹みたいなといった方がしっくりくるみたいな、きゅっと抱きしめてあげたくなるような表情だったんだから。
 こんなふうに感じるやなんて、私、ちょっと変なんやろか? 倫子は、頭の中に浮かび上がってきた千恵里の顔を見つめながら、ふと思った。
 だけど、そんな思いはすぐにどこかへけしとんでしまう。目の前にいる桃子かて私と同じくらいに千恵里のことを可愛いい思てんねんから。そやなかったら、千恵里の名前を出すわけがないやん。そや、二人とも千恵里のことが大好きになってしもたんや。それにだいたい、私と桃子は女の子どうしで『できてしもた』んやで。今更、何が普通で何が変なんか、そんなんいちいち気にすることなんかあらへんやん。千恵里も仲間に入れて、もっともっと楽しんだらええんやわ。
 そんなふうに感じて、「わかった。たしかに、サクランボやったら桃子が気に入りそうやわ。あの子、めっちゃ可愛いいもん」と同意した倫子だった。

「そうやん、ぴったりやろ?」
 桃子は思い出し笑いをするようにクスクス笑って言った。
「……たしか、この前サクランボから来た手紙には、春風寮に入るて書いてあったよね。入寮日は明後日やったんとちがう?」
 頷いて、倫子もにっと笑って言った。
「よぉし、明後日は朝から寮の前で張り込みや。頑張ろな、倫子」
 倫子の掌をぎゅっと握りしめて盛り上がる桃子だった。



 で、千恵里が大学の女子寮に入る日。
 何台ものトラックが一度に殺到して大混雑というようなことにならないように新入生ごとに入寮日と荷物を搬入する時刻が指定されているため、寮の玄関は意外に静かだった。それに、最近の新入生はみんなワンルームマンションやレディスマンションに住みたがって、昔からの木造の寮に入る学生が少ないのかもしれない。
 だから、二人は簡単に千恵里の姿をみつけることができた。
 千恵里は寮の玄関前に、所在なげにぽつんと立っていた。
「まいど、サクランボはん。どないだ、もうかりまっか」
 桃子はしきりに揉み手をしながら千恵里に近づいた。
「ぼちぼちですわ、桃子はん。そっちはどないだっか」
 五つ玉の算盤を弾いて千恵里が応えた。
 ――登場人物が関西の人間ということで、こんな挨拶の光景を思い浮かべた人もいるかもしれない。だけど、それは大間違い。こんな会話、今どきはおっさんだってしないのである。
「おひさ、サクランボ。どない、元気してたん?」
 揉み手をすることもなく、早足で千恵里に近づいた桃子が笑顔で言った。
「あ、桃子に倫子。手伝いに来てくれたん? うわ、やっぱり持つべきもんは友達やわ」
 桃子の声に振り向いた千恵里は、二人の姿をみとめると、ぱっと顔を輝かせた。
「はーい、サクランボ。――こんな所で何をぽけーっとしとん?」
 桃子に続いて千恵里のすぐ側へやって来た倫子が不思議そうな顔をして訊いた。
「あ、うん、トラックを待っとんねん。ほんまやったらもう着いてなあかん頃やのに、何かあったんかな」
「ふうん。トラックって、ひょっとして、Y運輸?」
 桃子は何気ない声で言った。
「うん、そうやけど……なんで知っとん?」
 なんとなく疑わしげな表情になって、千恵里は桃子の顔を振り仰ぐようにして訊いた。
「よかったな、倫子。間違いないわ」
 桃子は千恵里に何も応えず、倫子に向かって軽くウインクしてみせた。
「うん、そうやね。ほな、ひょっとしたら、もうそろそろ終わっとる頃かな。管理人さんに電話してみよか」
 こちらも千恵里のことなんかてんで無視して、倫子が携帯電話を取り出した。
 ぴっぽっぱ。
 少しだけ待って電話がつながった。
「あ、もしもし。私です……ええ、はい……あ、それじゃ終わったんですね。ええ、そう……すみませんでした。いえ、帰ってから片付けますから……はい。それじゃ、失礼します」
 しばらく話してから電話をバッグに戻して、倫子はもういちど桃子の顔を見て安心したように言った。
「おっけーやわ。ちょうど運び終わったとこやて。とりあえずリビングルームにまとめてもろたから、後は荷物を確認しながら整理したらええね」
「そう、よかった。――ほな、行こか、サクランボ」
 軽く倫子に頷いた後、桃子は千恵里の背中をぽんと押した。頭一つ桃子よりも背の低く、あまり体重もない千恵里は思わず、とっと足を踏み出してしまう。
 それを踏ん張って、千恵里はわけのわからない顔で桃子に言った。
「行こかって、どこへ?」
「決まっとぉやん。うちらのマンション、つまり、サクランボの新居」
 桃子の方は、不思議でもなんでもないって顔でさらりと応える。
「桃子と倫子のマンション? けど、なんでそれが私の新居なん?」
 まだ納得できなくて、千恵里はしきりに首をひねった。
「あれ、わからへん?」
 桃子はちょっと目を細めると、悪戯っぽく微笑んだ(にまぁ)。それから、千恵里の耳に唇を近づけて、わざとらしいひそひそ声で囁いた。
「幼稚園児でもないのにおねしょしてまうような困った子が寮で集団生活なんかできるんかなぁ?」
 千恵里の体が固まった。そのまま放っておけば立派な漬物石になったかもしれない。
 びんご!!――黙って倫子の方に振り向いた桃子の瞳が輝いた。
「お、おねしょなんて、もうしないもん」
 やっと口を開いた千恵里は、怯えたような目をきょときょとさせて弱々しく言った。
「ふーん、そう。そうやね、サクランボかてもう大学生なんやもん、まさかおねしょなんかせえへんとうちも信じたいよ。去年のサクランボとはちがうもん。そやけど、谷崎先生に聞いた話では……」
 もったいぶるように口をつぐんで、桃子は千恵里の目をじっと見つめた。
 見つめられた千恵里は、なんとなくそわそわした様子でおずおずと目をそらしてしまう。
「……どうやのん?」
 低い、凄味のある声で桃子が念を押すように言った。愛敬のある顔の桃子がそうやって凄んでみせると、いつもとの落差が大きくて却って迫力がある。街を歩いていて不埒にもナンパしてくる男どもを追い返す(なんたって桃子には倫子という恋人がいるのだから、男なんてゴキブリみたいなもんだ)時にも、こうやって関西弁でハッタリをかますことにしている。殆ど、『極道の妻たち』の世界だった。
「……そんなん、ひどい。そんなことを桃子に話してしまうやなんて、谷崎先生、めっちゃひどい」
 千恵里はぽつりと呟いた。
 そんなことを口にするのは、まだおねしょが癒ってないことを自分で認めたのと同じだった。
「うふふ、谷崎先生はうちに何も言うてへんよ、サクランボ」
 もう一度にまぁと笑って、桃子はおかしそうに言った。
「うちがちょっとカマかけてみただけや」
「あ……」
 千恵里はそう言うなり押し黙ってしまった。
 考えてみれば、いくら桃子と千恵里が高校時代は親友だったといっても、養護教諭の美代子が千恵里の重大な秘密(あれから一年以上になるのに、まだおねしょが癒らないんだよ、千恵里は)を桃子に話すわけがない。そりゃ、美代子は充分アブナい性格をしている(『保健室にて』を参照のこと)。でも、だからって、可愛いい生徒の恥ずかしい秘密を誰かにほいほいバラしてしまうような軽いキャラクターではない。ただ、一見しただけでは明るい印象を受けるのに実はわりと思い詰めるところを持っている千恵里の性格を考えると一年やそこらでは受験ノイローゼをそう簡単には克服できないだろうと桃子が勝手に決めつけて、カマをかけてみることにしたわけだ。
「そうかぁ、サクランボのおねしょ、やっぱりまだ癒ってへんかってんなぁ」
 あらためて、うんうんと桃子は頷いた。
「……」
 自分でそれを白状してしまったカタチの千恵里は、頬をほのかにピンクに染めて何も言えずにいる。
 そこへ、倫子が口をはさんだ。
「あれ? けど、ほんまにまだ癒ってへんの? それやったらなんかおかしいやん」
 セリフが少ないと思って強引に割り込んできたわけではない。その証拠に、本当に不思議そうな顔をしている。
「何が?」
 桃子が訊き返した。
「そやかて、サクランボのおねしょは受験がストレスになって始まってしもたんやろ? それやったら、入試にも受かったんやから、もう癒ってなあかんのんちゃうん?」
 倫子は桃子と千恵里の顔を交互に見比べて言った。
「あ、そうか。たしかにそうやわ」
 納得して、桃子は千恵里の両肩にぽんと手を置いた。で、千恵里の顔をぬっと覗きこむみたいに背中を丸めた。
「あのな……」
 小柄な千恵里は上目遣いにちらと桃子の顔を見て、言いにくそうに口を開いた。
「……ほんまのこと言うと、私にもはっきりせえへんねん、それ。入試が終わってストレスがなくなったらけろっと癒ってしまうのが普通やねんけど、どないいうたらええやろ、ええと――私の場合、高校生にもなっておねしょをしてしもたというのが心の負担になって、それで、それが新しいストレスになって癒らへんのかもしれへんねって谷崎先生は説明してくれはってんけど、そんなこと言われてもほんまにそんなもんなんかどうかはわからへんし……」
「ほな、いつになったら癒りそうか、それもわからへんのん?」
 少し心配そうに倫子が言った。
「うん……」
 恥ずかしそうに千恵里は目を伏せた。
 ただ、その表情はついさっきまでとは違って、見ようによってはいっそ晴れ晴れしているといっていいかもしれない。自分一人で心の中にしまいこんでいた事を話してしまったおかげで、少しは胸のつかえがとれたのかもしれない。
「それやったら、それこそ寮で生活するんは無理やで。布団を濡らしてしもたら、誰にも見られへんように乾かす方法なんかあらへんもん」
 そっと千恵里の肩から両手を離して桃子が言った。そうして、今になって気づいたみたいに続けた。
「え? けど、ホテルはどないしたん? 入試を受けるのにホテル泊まったんやろ。その時はどないしとったん?」
「……」
 千恵里の顔がまた赤くなった。それも、ほくのりというような赤くなり方ではない。さっと朱が差すというやつだった。
「おねしょが続いてることを白状しといて、もういまさら隠すことなんかないやろに。――それとも、なに? もっと恥ずかしいことでもあるん?」
 千恵里は、どうしようかなというふうに二人の顔をちらちらと見比べた。それからすっと息を吸いこむと、唇を舌で濡らして少しだけ口を開く。
 でもまだ決心がつかないようで、二度三度と浅く息を吸っては、力なく下唇を噛んで、二人の顔を助けを求めるみたいな表情で見上げた。
 倫子は、千恵里を促すように僅かに首をかしげた。
 それでやっと覚悟ができたのか、それとも開き直ったのか、千恵里はゆっくりまばたきをしてぽつりと言った。
「……紙おむつ」
「え?」
 思わず声を揃えて訊き返してしまう二人。
「そやから、紙おむつを使たて言うてるんやんか」
 恥ずかしさのせいなのか、少し苛々したような声で千恵里は繰り返した。
「けど、紙おむつって……ほな、寮でも紙おむつでおねしょを隠すつもりやったん?」
 念を押すような倫子の声が千恵里の耳に届いた。
「……うん。それしかしようがないもん」
 千恵里が小さく頷くのを見て、桃子と倫子は顔を見合わせた。
 ――なぁなぁ、倫子。こんなこともあるんやな。
 ――ほんまやわ。神様が私らのお願いを聞き届けてくれたとしか思われへんくらいバッチリやん。
 ――もう、この計画は成功したようなもんやな。とにかく、ファーストステージは楽勝でクリアやわ。
 ――そやね。まさかサクランボが紙おむつのお世話になってるやなんて思いもせえへんかったけど、それやったらそれで私らの思うツボやん。
 二人がこんな会話を目と目で交わしていることを、もちろん千恵里が知る筈はない。それに、そんなこと二人が千恵里に勘づかれるようなヘタをするわけもない。二人は、無言で交わす会話の内容とはまるで裏腹の、いかにも千恵里のことを心配しているのよっていう表情を浮かべて頷き合った。
「ほな、やっぱりうちらのマンションへ来るべきやわ。紙おむつを使てるなんてバレたら、それこそ噂のマトやで。――さっき倫子がマンションの管理人さんに確認したら、もうサクランボの荷物は届いてるらしいわ」
 あらためて千恵里の方に振り向いた桃子は、わざとみたいな真剣な顔で言った。
「どういうことなん……?」
 またまた納得できない顔になって、不安げな声で千恵里は訊いた。
「うん、実はな、こっちでいろいろ調べて、サクランボの荷物を運ぶ運送会社に電話してん。納入先が変更になりましたって」
「それで、いつまで待ってもここへはトラックが来えへんかったん? けど、なんでわざわざ……」
「どうせ同じ大学やもん、高校の時みたいに三人揃て仲良うしたいやん。それやったら、いっそマンションも一緒にした方がええやろ? それで」
「けど……」
「わかってる。こんな言い方したらなんやけど、私立の大学に入った上にマンション暮らしするような余裕なんかないんやろ? そやから生活費を切り詰めるために寮に入ることにしたんやな?」
「うん……」
「けどな、こんなふうに言うたらタカビーや思われるかもしれへんけど、うちは割とお金持ちなんやわ。ついでに、倫子んとこもな。つまり、サクランボにお金を出してもらわへんかっても充分に生活できるんよ、三人で。で、お節介かもしれへんけど、勝手にトラックをうちのマンションへ行かせたわけ。――どない、納得できた?」
「そやかて……」
「それとも、なに? うちらと一緒に暮らすんはイヤや言うのん?」
「ううん、そやないけど……」
「ほな、決まりやな。心配することあらへんで、うちらはサクランボのおねしょのこと、最初から知っとるんやもん。そんなん気にせんと、ちゃんと勉強に専念せなあかんで。あんたの才能がそんなしょうもないことで潰れるやなんて、うちらは絶対そんなんイヤやからね」
「桃子、倫子……」
 感激のあまり瞳をうるうるさせながら、千恵里は二人の手をぎゅっと握りしめた。二人が何のために千恵里を自分たちのマンションに住まわせようとしているのかも知らずに。
 単純に喜ぶ千恵里の姿を妖しく輝く目で眺めながら、胸の中でぺろっと舌を出してみせる桃子と倫子だった。



 桃子と倫子のマンションは、学生街から離れた、どちらかというと高級な部類に入る住宅街に建っている。当然、学生が生活するには贅沢な間取りになっていて、子供が二人や三人くらいいる家族が住むのに丁度といったゆったりした感じだった。学生の身分でこんな所に住めるのも、桃子が言ったように二人の家が裕福だからにほかならない。
 分厚いドアや洒落た内張りの壁になんとなく気圧されるような感覚に包まれながら、千恵里は二人に続いて廊下に上がった。
 幅の広い廊下の左右に並ぶドアの一つ一つを興味に充ちた目で眺めながら、ぺたぺたとスリッパの音をたてて歩く千恵里が立ち止まったのは、廊下の半ほどにある、開きっ放しになっているドアの前だった。
 先に行く二人の後ろから、千恵里はその室に足を踏み入れた。
 どうやらそこが倫子が電話で管理人と話していたリビングルームのようで、千恵里自身がしっかり梱包したダンボールの箱が整然と床の上に置いてあった。ダンボール箱が六つと頑丈な木箱が一つ。荷物はそれで全部だ。
「え? なんや、これだけ?」
 桃子が意外そうな声を出した。
「あの……何かおかしいかな?」
 その声に却ってこちらが戸惑ってしまい、ちょっと不安そうな口調で千恵里が思わず問い質してしまう。
「おかしいかなって……ほんまにこれだけなん?」
 桃子はもう一度そう言って、荷物の上に置いてある送り状を確認した。
 総個数7。間違いない。
「これから一人暮らしを始めよかという人がたったこれだけの荷物しか用意してへんやなんて、ちょっと、うちとしては信じられへんとこがあるねん。――な、サクランボ。ちょっとテープを剥がして中を見せてぇな。どんな荷物なんか見てみたい」
「うん、今日からここで居候させてもらうんやからそれはええけど……」
 千恵里は少し考えてから、目の前にある荷物の粘着テープを剥がし始めた。
「これは高校の時に集めた美術資料。古本屋さんをあちこち探しまわって写真集や本を集めてん。おかげで、お小遣いはぜんぜん残らへんかったわ」
 千恵里が、テープを剥がしたばかりの箱を一つ、桃子の目の前に押しやった。
 ちょっと箱を覗きこんでから、桃子は中にぎっしり詰まった本を何冊か取り出してみた。『古代木造建築写真集』『先史ローマ彫刻写真集』『浮世絵に影響を受けたヨーロッパ』などなど。
 もう一つの箱も同じようなものだった。そして、更にもう一つ。
「ちょっと待った、サクランボ。まさか、これ全部、資料ばっかりなんちゃうやろね?」
 ふっと溜め息をついて、呆れたように桃子が言った。
「まさかぁ。なんぼなんでも、そんなアホなことせえへんよ。――ほら」
 千恵里はクスッと笑って四つめの箱のテープを剥がした。その箱に入っていたのは、下着とパジャマと小物の類だった。そのすぐ横にある箱の中には、ジーンズやトレーナー、それにジャージといった衣類が整然と詰めてあった。
「ほらって……ええ? 着替え、これだけなん? ちゃんとしたブラウスとかスカートとかは?」
「そんなん着ることないもん。大学へ行くだけやったら、ジーパンとトレーナーがあったら充分やん」
「いや、ま、それはそうかもしれへんけど……」
 桃子は呆れかえった顔で言葉を濁した。高校の時は制服やったから知らへんかったけど、まさかここまで服装に気を遣わへん子やったなんて。
「……食器とかは、あの木箱?」
「あれは、ずっと愛用しとったイーゼル。愛着があるから、つい持ってきてしもてん。寮やったら三食付いてるから食器は持ってけえへんかってん。荷物になるだけやん?」
「ああ、そう。ほんま、つくづく絵のことしか興味ないんやね」
 桃子はわざと大袈裟に肩をすくめてみせた。と、まだ開けていないダンボール箱に目が留まる。
「あれも資料? それとも画材か何か?」
 桃子は軽い気持ちで訊いた。
「あ、あれは……」
 言いかけて、千恵里は慌てて口をつぐんだ。心なし顔が赤い。
 そんなふうに慌てられると、桃子としては、がぜん興味が湧いてくる。
「うん、あれは?」
 少し意地の悪い言い方で桃子は重ねて訊いた。
「えと、あの、見ても面白いもんでもないし、その……」
 千恵里はしどろもどろだった。
 だけど、桃子は容赦しない。千恵里がいつまでたってもその箱を開けようとしないとみると、さっと腰をかがめて無造作に粘着テープを剥がしてしまう。
 べりっ。
「いやや、やめて」
 千恵里が金切り声をあげるのを無視して、桃子は強引に箱を開けた。
 箱の中には、紙おむつのパッケージが二つ入っていた。もちろん、大人用だった。サイズはS。パッケージの一つは何枚か使った後らしく、少し嵩が低くなっている。
「ふ〜ん、これが大人用の紙おむつやねんな。初めて見たわ」
 顔を真っ赤にして箱を閉じようとする千恵里の両手を軽く振り払って、桃子は唇の端を吊り上げてうっすらと笑った。そうして、パッケージの破れ目からがさごそと紙おむつを一枚つかみ上げると、千恵里の顔を横目で眺めて言った。
「な、な、どないして使うん? ちょっと実際にあててみてくれへん?」
 いかにも興味津々という声だった(わくわく)。
「ちょっと、冗談はやめてぇな、桃子。なんぼなんでも、二人の目の前でそんなことできるわけないやんか」
 桃子の手から紙おむつを取り返そうと腕を伸ばしながら、千恵里は懇願するように言った。
「なんででけへんのん? 毎晩、これを使てるんやろ? それやったら、そんな勿体ぶることないやん」
 桃子はぱっと立ち上がって、手に持った紙おむつを高く差し上げた。殆どイジメっ子のノりだった(やーいやーい、取り返してみろ〜)。
「そんな……」
 千恵里は泣き出しそうな顔で紙おむつを見上げた。
 そこへ倫子が近づいてきて、コットンシャツにセーター代わりの厚手のトレーナーといういでたちの千恵里の体を不意に後ろから抱きすくめた。
「え……?」
 思わず振り返った千恵里の顔ににっと微笑みかけると、倫子は右手をおろして、千恵里のジーンズのファスナーに指をかけた。
「いや」
 千恵里は体をよじって逃げようとするものの、頭一つ以上背の高い倫子の手を振りほどくことはできない(じたばた)。
「おとなしうしとき、サクランボ。じきにすむから」
 なだめるように千恵里にそう言うと、倫子は手早くファスナーを引きおろして、ジーンズのウエストのスナップも外してしまった。倫子の手が動いて、千恵里のジーンズが膝のすぐ上までずり下がる。淡いブルーのストライプが入ったショーツが二人の目にとびこんだ。
「いやや。いやや言うとんのに……」
 千恵里は甲高い声をあげながら両脚をばたつかせた。
「静かにしときなさい、サクランボ。なんにも怖いことあらへんねんから」
 小さな子供をあやすみたいに言って、倫子は千恵里にのしかかるような格好でショーツに手をかけた。
 倫子の手に押さえつけられて、千恵里の体はますます自由を奪われてしまう。さっきまで暴れまわっていた両脚も、床に押しつけられてぶるぶる震えているだけだ。
「いやや〜」
 千恵里の目がじわっと潤む。
「ええ子やな、サクランボは。ええ子はおとなしうするもんやで」
 言うが早いか、倫子の右手が千恵里のショーツをさっと膝まで引きおろす。
「え?」
 声をあげたのは桃子と倫子だった。
 千恵里の下腹部が、童女のように無毛だったからだ。
「知らんかったわ。サクランボ、あんた……」
 桃子は、千恵里の股間を大きく見開いた目で眺めて言った。
 倫子の手で床に押さえつけられたまま、千恵里は力なく首を振った。
 あらためて、桃子は千恵里の下腹部をじっと見つめた。白い肌が僅かに黒ずんで見えるみたいだった。
「……え、ほな、ひょっとしたら、剃っとんのん?」
「……」
 何も言わずに、千恵里は弱々しくこくんと頷いた。
「けど、なんでそんなことを……」
 言いかけて、自分が手にしている紙おむつを目にした桃子は、何かに気づいたような表情になった。
「……そうか、おむつかぶれ」
 納得して、桃子はぽつりと呟いた。
「おむつかぶれ?」
 倫子の方はわけがわからずに、間延びした声で桃子に訊き返してしまう。
「うん、考えてみ? サクランボは紙おむつをあてて布団に入っとんねんで。それに、たぶん、毎晩おねしょしてしもとるんちゃうかな。通気性の悪い紙おむつで、しかも、夜中にはおねしょの湿気やん? そんなん、紙おむつの中はめっちゃ蒸れてしまうわ。それが毎晩やもん、赤ちゃんやのうても、おむつかぶれになっても不思議やないで。――おむつかぶれを予防する薬を塗るのに、ヘアがジャマになると思わへん?」
「あ、そうか」
「そういうことやな、サクランボ?」
 いたわるように桃子は言った。
「……」
 千恵里は、真っ赤な顔をして微かに頷くだけだった。
「そない恥ずかしがることあらへんで、サクランボ。なんせ毎日紙おむつのお世話になっとるんやもん、ケアはきちんとしとかなあかん」
 いたわるような口調なのに、『毎日紙おむつのお世話に』というところを微妙に強調してみたり、手に持った紙おむつをひらひら振ってみせたり、実はかなりこの状況を楽しんでいる桃子だった(悪いやっちゃ)。
「そのおかげで、サクランボのあそこ、綺麗なもんやん。な、倫子」
 言われて、倫子も千恵里の股間に顔を寄せて思いきり覗きこんだ。
「うん、ほんまほんま。私らとちごて、綺麗なサーモンピンクやわ。邪魔なヘアもないし、なんや、小っちゃな子供のあそこを見てるみたいやわ。」
 倫子は、まるで息がかかりそうになるくらい顔を近づけて言った。
「自分で毎日毎日ヘアを剃って薬を塗るん、大変やったやろ? けど、今日からはうちらにまかせといたらええから安心しときや」
 倫子がゆっくり千恵里の下腹部から顔を離す様子を見ながら、桃子がにまぁと笑って言った。
「それ……どういうことなん?」
 桃子の一言でひどい不安にかられた表情になって、千恵里は声を震わせた。
「どういうこともこういうことも、そういうことやんか」
 わかったようなわからないようなことを応える桃子だった。
「……?」
 当然、千恵里は首をひねる。
「つまり、せっかく可愛いいサクランボが一緒に生活することになったんやから、これまではサンランボ自分一人でせなあかんかったことを、今日からは私らが助けてあげるいうこと。心配せんと、どんなことでもおねえさんにまかせといたらええねん」
 補足説明は倫子だった。
「おねえさん?」
 だけど、まだ説明が足りなかったようだ。千恵里はもういちど首をひねった。
「いややなぁ、桃子と私のことやんか」
「へ? なんで二人がおねえさんやのん? 私ら三人、同級生やのに」
「あ、まだ自分の立場がわかってへんねんな、サクランボ。ええか、あんたとうちらとが同級生やったんは高校までや。大学へはうちらが先に入ってんねんから、あんたはうちらの可愛いい後輩ということになるねんで。そのへん、ちゃんとわきまえといてね」
「そやそや。これからは、私らのこと、桃子ねえさん、倫子ねえさんって呼ばなあかんで。この世界、一日でも早う入門したもんが偉いねんから」
「そやで、そのへん、よーく肝に銘じて修業に精進しなはれ」
「わかりましたな、芸の途の厳しさが?」
 ――芸のためぇなぁら女房も泣かぁすぅ。それぇぇがどうした、男やないぃかぁ。岡千秋と都はるみの歌声が聞こえてきそうな一瞬だった。
「ということで、みーんな、うちらにまかせなさい。ええね?」
 胸を張って、びしっと桃子が決めつけた。
「けど、そんなん……」
 そんなに簡単に丸めこまれる千恵里でもなかった。
「ああ、もう。んまに、ノりのわるい子やねんから。ほな、しゃあない。実力でわからせたげるわ」
 ジーパンとショーツを膝まで引きおろされた恥ずかしい格好で床にお尻をおろしてしゃがみこんでいる千恵里の目の前に膝をついて、桃子が目を輝かせた。


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