わが故郷は漆黒の闇


【一】


 宇宙暦0129年。
 人類が増えすぎた人口をスペースコロニーと呼ばれる宇宙都市に移住させるようになって既に一世紀が過ぎていた。地球の引力と月の引力との釣合点である五つのラグランジェポイントに建造された宇宙植民地に移住した人々は、そこで子を生み育てそして死んでいった。――しかし、地球に最も近い第一ラグランジェポイント(LP1)に最初のコロニーが建造されて百年になる現在に至っても、五つあるラグランジェポイントに浮かぶ全てのコロニーを合わせた宇宙移住者の数は、当初の目的である百億には遙かに及ばず、たかだか百万を僅かに超えたに過ぎない。
 地球を離れスペースコロニーに移り住む人々の数が当初の目的に遠く及ばない理由は、スペースコロニー建造に先だって行われたシミュレーションの精度が劣悪きわまりなかったからという説明に集約される。惑星や大型の衛星とは違って、直径6km・長さ30kmの円筒形の内側に人工の大地を造成した構造であるスペースコロニーは、太陽から降り注ぐ光の他にはエネルギー源を持たない。地球のようにその中心部に高熱のマントルを持っているわけでもなく、或る種の衛星のように土壌に含まれる微量の放射性物質によって地熱を発するわけでもないスペースコロニーにおいては、その外皮から突き出た巨大な鏡によって太陽の光を光電池に集めて産み出すエネルギー以外には有用なエネルギーは期待できないのだ。建造に先立って行われたシミュレーションでは、そういったエネルギー収支に関する基礎計算は慎重の上にも慎重に行われる筈だった。だが、実際には、指数関数的に増大する人口の爆発に当時の地球連邦政府が脅迫観念にも近いあせりを覚えてしまい、基礎計算に用いる一つ一つのファクターに対して、最も楽観的な数値を想定していたらしいということが後に判明した。とりわけ、ラグランジェポイントに存在するスペースデブリ(宇宙空間に漂うゴミ)の量をあまりにも少なく見積もったことがシミュレーションの内容を決定的に歪めてしまったようだ。スペースコロニーが浮かぶラグランジェポイントは、簡単に言えば、地球の引力と月の引力とが釣り合っている宙点だ。そのため、コロニーはどこかへ漂い出すことなく安定した位置を保持することができる。だが、そこにあるのは、コロニーだけではない。旧暦二十世紀の後半から人類が打ち上げ続けたロケット類を発生源とするスペースデブリもまた、いつしかラグランジェポイントの近傍に接近し、あるいは、ラグランジェポイントの内部を飛び回るようになっていたのだ。それらスペースデブリは、もともとが、地球の引力を振り切る速度に達するロケットから剥がれ落ちた部品や、故意に切り離されたブースターの類だから、ラグランジェポイントに漂い着いた後も超高速で飛び回っている物も少なくなかった。たとえば、たった1グラムのボルトでも、それが第一宇宙速度である秒速7.9kmで飛び回っているとすれば、秒速25m(時速に換算すれば91km)で飛び回る重さ100kgの物体と同等の運動エネルギーを持っていることになるのだ。そんな恐ろしげなスペースデブリとコロニーとが接触する確率をあまりに低く見積もっていため、いざ実際にコロニーの運用を開始した途端、光電池や集光用の鏡の破損が相次いだ。それだけでなく、コロニーに対してほぼ静止しているような質量の小さなそれこそ屑のようなデブリでも、コロニーの回転に対しては摩擦要因となるため、内側に暮らす人々にとって疑似重力となる遠心力を安定して得るためには、常にイオンエンジンを噴かし続ける必要があった。更に、地球と月の微少摂動に対応してコロニーどうしの相対位置を保つために噴射するバーニアが消費するエネルギー。そういった負の要素が相まって、コロニーが活用できるエネルギーは、当初計画の十数パーセントに満たないという状況に置かれたのだった。
 スペースコロニー計画推進の是非を判断する上で必要不可欠な基礎計算において、スペースデブリの問題のみならず、複雑に絡み合う数億にも及ぶファクターの一つ一つがスペースコロニー建造に関して楽観的な数値を採用したため、その基礎計算を前提にしたシミュレーションは、その後の惨状からは想像もできない、ほぼ100パーセントの成功確率という結果を導き出してしまったのだった。当時の地球連邦議会議長を始め、末端の技官に至るまで、意識的に計算結果を歪めようという意図はなかっただろう。けれど、宇宙移住の他には有効な手だてを考えつかないまま、計算結果を歪めかねない数値を無意識のうちに採用してしまったことに対しては非難のそしりを免れるものではない。
 だが、宇宙暦が制定されて一世紀を超える今、非難を受けるべき者たちは既にこの世にいない。
 乏しいエネルギー供給しか望み得ないスペースコロニーの内側を母なる大地として暮らす人々、回転するスペースコロニーに発生する遠心力を疑似重力として生活する人々、非難の罵声を浴びせる対象さえ失った人々の目には、限りない諦観の色が宿るばかりだった。当初計画よりもずっと乏しいエネルギーしか活用できない環境のもと、一基のスペースコロニーで生きることができる人間の数は最初の目論見よりもずっと少なく、諦観の色を瞳に宿した人々は、数少ない肩をひっそりと寄せ合わせて、まがい物の大地の上に生きるしかなかった。

 そうして、地球への帰還要望さえ連邦政府によってことごとく無視され続ける間に、スペースコロニーに暮らす人々の瞳に宿る諦観の色は、いつしか、どす黒い憎悪の念と刺々しい復讐心へと変貌していった。


 地球上の各々の国は、高い独立性を保持しつつ、連邦制を採ることで全地球的な問題に対応している。それに対して、一つ一つのラグランジェポイントに存在するスペースコロニー群は、連邦のメンバーである『国』ではなく、或る程度の自治を認められた連邦政府直轄統治領とされている。
 地球から見て月の裏側の宙点に位置する第二ラグランジェポイント(LP2)には五十基のスペースコロニーが浮かんでいて、その中でも最初に建造された第一コロニー(C1)が自治行政の中枢機能を担っている。そのLP2−C1の第五ブロックに、自治行政院民政局管轄の育児センターがある。育児センターといっても、地球上の保育園や幼稚園などといったものとはまるで違った施設だ。
 宇宙暦が制定される前から、増えすぎる人口を抑制するため、連邦政府の指導のもと、全ての国が厳しい産児制限を行っていた。それが、スペースコロニーが続々と建造され、いよいよ宇宙移住が始まった時、これでようやく産児制限から解放されて自由に子供を生むことができると人々は歓喜した。特に、スペースコロニーに移り住む者たちは、新しい約束の地に子供たちの笑い声が満ちる状況を夢見てシャトルに搭乗していった。だが、現実に彼らがおり立ったのは、最低水準の生活さえ事欠くエネルギー事情と不毛の大地だった。コロニーの内側に広く薄く敷きつめた人工の大地は農作物の成育にはあまりにも痩せていて、コロニーに住む人々の腹をかろうじて満たすだけの農作物を収穫するのが精一杯だった。それでもエネルギー事情にゆとりがあるなら水耕栽培技術を活用した農業工場を建造運営することもできたのだろうが、それは夢のまた夢物語にすぎなかった。結局、コロニーでは、地球上で行われていたのよりも更に過酷な産児制限を余儀なくされた。セックスに伴う自然受精は一つの例外もなく禁止され、あらかじめ供出しておいた精子と卵子とを人為的に受精させて人工子宮装置の中で生長させるといった方法のみが認められ、それ以外の妊娠・出産は、残酷とも言える取り締まりのもと、徹底的に排除された。ここ、民政局管轄の育児センターは、人口を人為的に管理するプログラムを遂行する企画・実務機能を担うと同時に、その建物の中枢に人工子宮装置を抱え込んだ技術機能をも担っている、自治行政院の中でも、コロニー群の命運を左右しかねない重要な施設なのだ。この育児センターの人工子宮装置の中で精子と卵子とが結合され、胎児となり、やがて赤ん坊として生まれ出て、やはり育児センターの中にある保育施設で成長し、教育施設で学び、コロニーを支える一人前の住人となってゆくのだった。
 そうした管理プログラムのもとでも、食料事情は慢性的に窮乏をきわめていた。そのため、或る年齢に達した住人は、これも民政局が管轄するとある施設で安楽死を迎える定めになっていた。安楽死を迎え、そうしてその遺体はアミノ酸レベルに分解されて、『コーションS』と呼ばれる標準的な口糧へと再構成され、他の住人たちが生き延びるための糧になるのだった。安楽死施設のベッドに横たわる時、けれど誰一人として泣き叫ぶ者はいないという。定められた年齢に達した者はみな育児センターを訪れ、そこにある人工子宮装置の中で体を丸めて人造羊水の中に浮かぶ胎児の姿をいとおしげに見つめ、その子たちの糧になるのならと満足そうに微笑んでから、誰に強制されるでもなく安楽死施設に足を運ぶのだった。
 誕生と死と。その両方の現場に立ち会う民政局の職員は、自らの業務を淡々とこなすだけだ。笑みも見せず、涙も流さず。ただ、その能面のような表情の下に地球に対する憎悪を押し殺したままで。




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