わが故郷は漆黒の闇


【二】


 或る日、その育児センターを一人の男性が訪れた。男性の身分は、地球連邦政府から派遣されてLP2に駐在している自治行政高等助言官。
 本来、自治行政助言官というのは、コロニーの厳しい環境下で自治行政が支障なく進められるよう、自治組織に対して助言・補佐を行うために連邦政府が派遣する官吏のことだった。しかし、時が経つにつれてその職務は次第に変化してゆき、今や、助言・補佐といった穏やかな役割を超えて、実質的には、自治行政組織の行動を監視・監察する立場にあると言っても間違いではなくなってきている。――前述した通り、全てのコロニーは逼迫したエネルギー事情のもと住人の最低限の生活を維持するのが精一杯というのが現状で、そのために住人の地球に対する憎悪は限りなく高まっている。連邦政府もその事実は把握しているのだが、かといって、コロニーのエネルギー収支を改善するだけの能力は今の連邦には無い。経済的には、地球上に生きる人類の生活を維持する以上の余裕はなく、経済が停滞したままのせいでイノベーションの萌芽もまるで見当たらず、もう長きに渡って技術の進歩も滞ったままで、コロニーの改装工事を行うことなど到底のこと思いもつかないのが実際のところだ。それでも、そうしている間にも、コロニーの住人たちの憎悪の念は激しくなるばかりだった。そこで連邦政府が打ち出した方針は、人道的援助として地球からコロニーに供給している物資を利用してコロニー住人に恭順を求めるというものだった。つまり、それとなく、「今後も地球連邦からの援助物資が欲しいならおとなしくしていろ」という脅しをかけたわけだ。そして、コロニーの住人たちが連邦政府に対して不穏な行動をしめさないよう見張るために、助言官の権限を強化して、実質的には監察官としての職務を与えるようになったのだった。
 育児センターを訪れたのは、その中でも特別の権限を有する高等助言官。育児センターを訪れた名目は公式記録には『定期視察』と記されているだけだ。

 高等助言官を出迎えたのはセンター長一人だけだった。慢性的な職員不足という理由もあるが、高等助言官が育児センターを訪れた実際の目的が定期視察などではなく、もっと別のところにあって、お忍びの来訪という事情があるためだった。
 形式的な挨拶を交わした後は互いに無言のまま、人目を避けるようにして、IDカードをスリットに通さないと開かない頑丈なシャッターを幾つもくぐり抜け、薄暗いバックヤードの廊下を歩き続けたセンター長と高等助言官が立ち止まったのは、『帰還準備室』というプレートが掛かった扉の前だった。この帰還準備室というセクションの存在は、コロニーの一般の住人はもちろん、育児センターに勤務する大半の職員の知るところではない。知っているのは、自治行政院の中でも一握りの幹部職員に限られている。
 センター長が扉の横に設置された端末のスリットにIDカードを滑らせた上で両眼の虹彩パターンチェックを済ませて、ようやく扉が開くようになっている。
 重々しい動きで分厚い扉が開くと、もう何度もこの部屋を訪れたことがあるのだろう、慣れた足取りで高等助言官が先に入って行った。

「ようこそおいでくださいました、高等助言官殿」
 薄暗い廊下とは対照的な眩いばかりの光に満ちた帰還準備室に足を踏み入れた高等助言官を一人の少女が出迎えた。身長は一メートル四十センチに満たない、愛くるしい顔をした、一見したところでは小学校三〜四年生くらいの少女だ。けれど、その慇懃な物言いといい、背筋をぴしっと伸ばして高等助言官を出迎える姿勢といい、妙に大人びて見える。
「出迎え御苦労、ケイト保護官。いつもてきぱきしていて気持ちがいいね、君は」
 こちらは身長が一メートル八十センチくらいありそうな高等助言官は相好を崩して、目の前の少女を見おろした。
 ケイトと呼ばれた少女は、たしかに、十歳前後の小学生くらいにしか見えない。けれど、高等助言官が『保護官』という肩書きを付けて彼女の名前を呼んだことからもわかるように、ケイトはただの少女ではない。ただの少女ではないというか、正確に表現するなら、少女ではなく、二十四歳になるれっきとした成人で、この育児センターにおいて幼児教育を担当している民政局の職員だ。加えて説明しておくなら、ケイトがその年齢に比べてあまりに小柄なのは、決して彼女が発育不全だという理由からではない。コロニーに住む人々は誰もケイトと同じような体つきをしているのだ。現に、高等助言官を帰還準備室へ案内したセンター長にしても、一メートル四十センチを僅かに超える身長しかない。それは、コロニーの厳しい環境に適応して生きのびるためには避けて通れない非情なプロセスを経た結果だった。
 幼形成熟(ネオテニー)という生物学の述語をご存知だろうか。簡単に言えば、身体は幼い段階のまま、生殖可能な状態になる現象を指す言葉だ。或る生物を取り巻く環境がきわめて厳しい場合、その生物は外見上は成体に成長せず幼体のまま成熟する途を辿ることがある。幼体のままとどまるのは、成体に比べて、その方が環境に対して柔軟に対応できるからだと言われている。また、広い意味で「人間は猿のネオテニーである」というような表現をすることもある。人間の頭蓋骨とチンパンジーの頭蓋骨は四歳くらいまでは似た形をしているが、四歳以後はチンパンジーの頭蓋骨が成獣のそれの形に変化してゆくのに対して、人間の頭蓋骨は四歳を過ぎても形に変化がないことを指して言われるし、また、人間というのが成人するまでに他の動物と比べて非情に長い期間を必要とすることを指して言われることもある。たしかに、馬や牛といった動物が生まれてすぐに立ち上がるのに対して、人間の赤ん坊は生後一年ほどしてようやく歩き出すといった具合だし、生後二十年くらいは教育期間として成人の仲間入りはしないことが多い(ただし生殖器は十歳台の前半にほぼその機能が完成するため、成人する前から生殖行為は可能になる。これは他の哺乳類から見ればネオテニー以外のなにものでもないだろう)。
 厚く暖かな大気が取り巻く地球とは違って、スペースコロニーは、その薄い外皮だけが宇宙空間と人間の生活空間とを隔てているにすぎない。コロニーの展望室に足を踏み入れれば、まるでまたたかない無数の星を散りばめた漆黒の闇と向かい合うことになる。しかも、生活空間を維持するに必要なエネルギーは恒常的に不足しているのだ。そんな環境のもと、コロニー住民の細胞一つ一つに存在する遺伝子は、世代交代を重ねるたびにすみやかに自らの情報を書き換え、人口子宮装置に満たされた人造羊水の中で生長する赤ん坊に、コロニーの厳しい環境のもとでも生きられるような体を与えていったのだった。それが具現化したのが、エネルギー消費を抑えるために身体を小さくし、環境への柔軟な適応性を確保するために幼形成熟の道を選んだコロニー住人の姿だった。




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