わが故郷は漆黒の闇


【三】


 猿のネオテニーとも表現されるホモサピエンスの一員でありながら更に幼形成熟への途を歩まざるを得ないコロニー住人と、人口増加という問題を抱えながらもまだそれまでの人類であり続けることを許されている地球上に暮らす人々と。相対して立つケイト保護官と高等助言官の姿は、まさに、別々の道を歩み始めた二つの種族を象徴していた。
「こんにちは、おじ様」
 相好を崩しながらも目はまるで笑っていない高等助言官と、慇懃に礼儀をつくしながらもどこか冷たい目で高等助言官の顔を見上げるケイト。そんな二人の間に流れる微かにぎくしゃくした空気を払いのけるように、あどけない子供の声が弾けた。
「おや、こんにちは、お嬢ちゃん。ちゃんと御挨拶できるんだね。お利口さんなんだね、お嬢ちゃんは」
 子供の声にいざなわれるようにケイトの背後に目をやった高等助言官は、壁際に並んで立っている三人の少女の存在に気がついた。その内で年長者とおぼしき少女が、高等助言官に向かって、にっと笑いかけている。高等助言官は、笑みを浮かべているその少女に微笑み返した。ケイトに対するのとは違って、今度は確かに目も笑っている。
「こんにちは、おじ様。私もお利口さん?」
 左端に立つ最も背の高い(といっても、一メートル十センチくらいだろうか)少女が高等助言官に褒められたのを見て、三人の真ん中に立つ二番目に背の高い少女が、少し負けん気な表情で言った。
「ああ、そうだね。二番目のお嬢ちゃんもとてもお利口だよ。ちゃんと御挨拶できるんだものね」
 少しくすぐったそうに頬を緩めて、高等助言官は真ん中の少女に向かって頷きかけた。そうして、左端に立つ最も背の低い少女の方におもむろに顔を向けておどけた様子で続けた。
「じゃ、そっちのお嬢ちゃんも御挨拶してくれるかな。お嬢ちゃんの声も天使みたいに可愛いんだろうな。おじさんはそう思うけど、どうかな」
 が、はきはきと挨拶をした左端の少女や勝ち気な真ん中の少女とは違って、一番小柄な少女は、高等助言官の視線を浴びた途端おどおどと顔を伏せたかと思うと、壁際を離れて、ケイトの背後に姿を隠してしまった。
「駄目じゃない、ユリ。ちゃんと御挨拶しないと、いい所に連れて行ってもらえないわよ」
 小柄な少女を『ユリ』と呼んで、最も背の高い少女は、聞き分けの悪い妹を叱るような口調で言った。
「いい所に連れて行ってもらえる――お嬢ちゃんたちは、そんなふうに教えてもらったのかい?」
 高等助言官は片方の眉を少し吊り上げて、背の高い少女に、確認するみたいに言った。
「うん。カタンとボビンとユリ、いい子にしてたら地球から来たお客様がいい所に連れて行ってくれるんだよってケイトお姉ちゃんが教えてくれたの。おじ様でしょ、地球から来たお客様って? ね、いい所ってどんな所? ユリ、ちゃんと御挨拶できなかったけど、ユリも連れて行ってくれるよね?」
 幼児特有の甲高い声で、尋ねるようにともねだるようにともとれる口調で背の高い少女は言った。
「三人は、カタンちゃんとボビンちゃんとユリちゃんっていうんだね。とてもいい名だ。ケイト保護官の後ろに隠れてしまったのがユリちゃんで……君がカタンちゃん、それで、君がボビンちゃんかな」
 少し考えてから高等助言官は、背の高い少女を指差して『カタン』と呼び、続けて、二番目の少女を指差して『ボビン』と呼んだ。途端に、カタンもボビンも少し驚いたような表情になってきゃっきゃっと笑った。
「ね、どうして? どうして、私がボビンで、この子がカタンだってわかったの? おじ様、すっごーい」
 嬌声をあげて笑いながら、高等助言官がボビンと呼んだ少女が不思議そうに尋ねた。
 別に難しいことをしたわけではない。高等助言官にしてみれば、背の高い少女が口にした三人の名前を単純に並べて言っただけだが、幼い子供には、そんなことでも、すごいマジックを見せられたように思えるのだろう。
「そうかい、すごいかい。お嬢ちゃんみたいな可愛い子に褒めてもらえて嬉しいよ」
 高等助言官の頬がますます緩む。
 そうして、ひとしきりカタンとボビンに微笑みかけた高等助言官は、大きな体に似合わぬ身軽な身のこなしでひょいとケイトの背後にまわりこむと、ケイトの上着の裾をきゅっと握りしめておどおどしているユリのすぐ前に立って腰をかがめた。
「ユリちゃんは随分と恥ずかしがり屋さんなんだね。でも、大丈夫。おじさんは怖い人じゃないよ。カタンちゃんやボビンちゃんが言ってる通り、ユリちゃんたちをいい所に連れて行ってあげるいい人なんだから」
「そうよ、ユリちゃん。ちゃんと御挨拶できたら、いい所に連れて行ってもらえるのよ」
 ケイトがそっと振り向いて、自分の上着の裾を握りしめているユリの右手を優しく開かせた。そんなふうにしていると、育児センターで養育されている幼児と保育職員には見えない。幼形成熟の進んだケイトは地球住人から見れば子供みたいな外見をしているから、仲の良い姉妹がじゃれあっているみたいな光景だ。
「いい所?」
 ケイトのそばを離れまいとしながら、それでも少し興味が湧いてきたのか、ユリは顔を上げずにぽつりと呟いた。
「そう、とってもいい所。ほら、ご覧なさい」
 ケイトはユリの髪を左手でそっと撫でつけて、右手を上着のポケットに突っ込むと、銀色に光る小さな装置を取り出して、その表面に並ぶボタンの一つを押した。
 部屋の照明が少し暗くなって、ユリがいる場所とカタンがいる場所との中間に、鮮やかな青色に煌めく球体が現れた。




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