わが故郷は漆黒の闇


【四】


 だが、よく見ると、球体の表面は青色一色ではなかった。緑色や茶色の領域も見受けられるし、また、薄く白っぽい筋のような物が青色の領域や緑色の領域に重なっているのがわかる。
「あ、これ、地球だ」
 自分の顔の高さに浮かぶ球体を指差してボビンが叫んだ。
 確かに、それは、地球の立体像だった。
「うん、地球だね。でも、この地球、私たちがいつも見てる地球と違うよ。じっとしてるもん」
 三人の中では年長者らしく、じっと地球の立体像を見つめていたカタンが、僅かに首をかしげて呟いた。
「ああ、そうね。みんながコロニーの展望室から見る地球は、ぐるぐる回ってるもんね。でも、これでいいのよ。地球は本当はこんなふうにじっとしているの。でも、みんながぐるぐる回っているから地球が回っているように見えるのよ。あのね――」
 コロニーの長軸方向の両端中心にある展望室から外界を眺めると、コロニーの回転のせいで外界が回転しているように見える。もちろん、視界の一角を占める地球も同様だ。ケイトはわかりやすい言葉を選んで、三人にそのことを説明してやった。
「ふぅん、そうだったんだ。私たち、ぐるぐる回ってるんだ。なのに、目は回らないんだね」
 ケイトの説明をどこまで理解できたのか、どことなくきょとんとした表情でボビンがカタンに囁きかけた。
「うん、本当だね、不思議だね」
 カタンはこくんとボビンに向かって頷くと、その直後、あっというふうに口を開いて高等助言官の顔を見上げて声を弾ませた。
「ね、ね、おじ様。おじ様が連れて行ってくれるいい所って、地球のこと?」
 高等助言官にそう訊くカタンの言葉に、ボビンもぱっと顔を輝かせて声を重ねた。
「え? 地球なの? おじ様、カタンたちを地球へ連れて行ってくれるの? 素敵な所なんでしょう? 海とか河とか山とかっていうのがあって、雲っていうのがあって、雨っていうお水が頭の上から降ってくるんだよね? ケイトお姉ちゃんに教えてもらったんだけど、でも、本当に見たことがないから、どんなのか見てみたかったの。ね、地球へ連れて行ってくれるの?」
「そうだよ。おじさんは、コロニーの中でも特にお利口にしているいい子を地球に連れて行ってあげるために、ここへ来たんだよ」
 カタンとボビンのあまりのはしゃぎように微かに苦笑を浮かべながら、高等助言官は優しげな声で応えた。
「さ、ユリちゃんもわかったでしょ? 地球へ連れて行ってもらえるのよ。だから、ちゃんと御挨拶してお利口にしなきゃね。ほら、地球には、海や山だけじゃなくて、幼稚園っていう所もあるのよ。幼稚園へ行くとたくさんのお姉ちゃんやお兄ちゃんたちと遊べるんだから、ユリちゃんも行きたいでしょ?」
 ケイトは言い聞かせるようにユリに囁きかけて、銀色の機械のボタンに触れた。
 顔の高さに浮かんでいた地球の立体像が消え、その代わりに、太平洋とおぼしき広大な海原の一部を百kmくらいの高度から俯瞰した映像が現れた。そして、みるみるうちに映像が高度を下げてゆくと、大洋の一角に正方形の構造体が浮かんでいる様子が映し出される。映像に重ねて映し出されたスケールによれば、正方形の一辺の長さは三十km。
 実は、太平洋の中ほどに浮かぶこの巨大なメガフロートこそが地球連邦の首府だ。地球上の国々が全地球的な問題に協同して対応するために連邦制を制定することに同意したのを受けて、その首府は、いずれの国の領土にも属さない場所に置くという決定が予備会談においてなされた。その決定に基づいて、全ての国は、逼迫しつつある経済状況にもかかわらず、その国力に応じた資金や資源・技術を提供して公海である太平洋上に巨大なメガフロートを建造し、その人工の浮島に様々な建築物を配して、新たな統合地球の象徴である地球連邦首府を完成させたのだった。
 メガフロートの全景を映し出して一旦停止していた映像が再び高度を下げ始めた。高度を下げながら、メガフロートの中央から少し外れたポイントに接近してゆき、やがて、或る施設を高度十メートルくらいから見おろすような位置で停止した。映像の施設には、カラフルな色使いの建物と、様々な遊具が並ぶグラウンドがあった。そうして、グラウンドを走りまわる何人もの子供たちの姿。
「あ、ボビンたちと同じのを着てる」
 突然、食い入るように映像に見入っていたボビンが大声をあげた。
 その声に応えるように、映像が、グラウンドを走りまわる一人の少女のアップになる。
「ほら、ボビンと同じでしょ?」
 ボビンは同意を求めるようにケイトに言って映像の少女を指差すと、自分が着ているセーラースーツの胸元を人差し指の先でつついてみせた。淡いブルーの生地でできたワンピースタイプのセーラースーツで、純白の幅の広い襟が愛らしいデザインに仕立ててある。
「そうだね、あの子、ボビンちゃんたちと同じのを着ているね。でも、不思議じゃないんだよ。だって、ボビンちゃんが着ているのは、あの幼稚園の制服なんだから」
 高等助言官が、映像の少女とボビンとを見比べて言った。
「幼稚園の制服?」
 ボビンは瞳を輝かせて聞き返した。
「そうよ、ボビンちゃん。カタンちゃんとボビンちゃん、それにユリちゃんの三人は、お利口にしていたら地球へ連れて行ってもらえることになっているの。だから、地球へ行ってわからないことがないよう、ここでいろいろお勉強しているのよ。それに、地球へ行ったら幼稚園に入ることになるから、それまでに少しでも幼稚園の生活に慣れるよう、今から制服を着ているのよ。――この育児センターで暮らす他の子供たちにはもっとみすぼらしい物しか着せてあげられないんだけどね」
 ケイトが、最後の方は寂しげに、けれどボビンを励ますようにわざと明るい声をつくって言った。
「でも、どうして? どうして私たちだけ地球へ連れて行ってもらえるの?」
 ただ喜んでいるばかりのボビンとは違って、さっきは嬉しそうに声を弾ませたカタンが、今は少し口を尖らせてケイトに訊いた。
「それは……」
 説明しようとして、思わずケイトが言い淀む。
「それは、カタンちゃんとボビンちゃんとユリちゃんが、この育児センターの他の子供たちと比べてとっても素直でお利口だからだよ。いい子にしてる御褒美なんだよ」
 ケイトの代わりに高等助言官が滑らかな口調で応えた。
「本当? ケイトお姉ちゃん、本当にそうなの?」
 どこか納得いかないという表情でカタンがケイトに重ねて訊いた。
「……本当よ。あなたたちがとってもいい子だから、その御褒美に地球へ連れて行ってもらえるのよ。おじ様の言う通りよ」
 僅かに逡巡してから、ケイトは意を決したような顔つきで言った。
「……そう。ケイトお姉ちゃんが本当だって言うなら本当だよね。ケイトお姉ちゃん、私たちに嘘ついたことないもん」
 カタンは、まだ納得しきれていない表情を浮かべながらも、逆にケイトのことを気遣うみたいにわざと大きく頷いてみせた。




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