わが故郷は漆黒の闇


【五九】


「そうそう、パパはね、ユリちゃんのために特別に作ってもらった歩行器を取りにお出かけしているのよ。ユリちゃん、まだまだあんよが上手じゃないから、しばらくは歩行器に乗ってましょうね。それで、歩行器に慣れた後、あんよのお稽古を始めましょう。でも、他の子供たちと違って、ユリちゃんはずっと歩行器のままかしら」
 入園式で高官たちも話していたように、地球に引き取られた子供たちは、一ヶ月もすると地球の重力に対応できる体になって、元気に走りまわるようになる。けれど、ユリたちは発育途中の子供ではない。外見は幼児でも、もうそれ以上は成長することのないネオテニーだ。だから、これからいくらカルシウムやアミノ酸を摂取して運動をしても、今以上に骨密度が上がったり筋束が発達したりすることは望めない。となると、ユ・ビヌキーの妻が言うように、ユリはこれから先、ずっと、歩行器での生活を余儀なくされることになるだろう。もちろん、幼稚園でも、年少クラスの他の子供たちと同じように動くことはできない。
「でも、心配しなくていいわよ。昨日のうちに園長先生にお願いして、ユリちゃんは二歳児クラスに入れてもらうことにしたから。ちょうど、資格を取ったばかりで働き口のない若い先生の求職登録があったから、二歳児クラスを受け持ってもらえるって。その若い先生、お年は二十歳って言ってたかしら。うふふ、たしか、ユリちゃんは二十一歳だったわよね。二十一歳のユリちゃんが二十歳の先生におむつを取り替えてもらったり哺乳壜でミルクを飲ませてもらったりして面倒をみてもらうのね。あ、そうそう。ユリちゃんを二歳児クラスで預かるのはいいとしても、一人ぽっちのクラスだとユリちゃんが寂しがるから、お部屋は年少クラスの教室を使いましょうって園長先生おっしゃってらしたわ。ということは、ユリちゃん、二歳児クラスだけど、年少のお姉ちゃんたちと一緒にいられるのね。よかったわね、自分よりも一つ年下の先生だけじゃなく、自分よりもずっと年下のお姉ちゃんたちに遊んでもらえて。先生がおむつを取り替えてくれる時は入園式の時みたいにあやしてもらえるし、お昼やおやつの時は年下のお姉ちゃんたちに哺乳壜でミルクを飲ませてもらえるかもしれないわね。お昼寝の時はお腹をぽんぽんしてもらって、おねしょしちゃったら、また、あやしてもらいながらおむつを取り替えてもらいましょうね」
 羞恥を存分に掻きたてるようにユ・ビヌキーの妻は言って、ユリの体を床におろした。
「さ、パパが歩行器を持って帰ってくるまで、ちょっと運動をしておきましょうか。おっぱいでお腹いっぱいになったみたいだし、あんよのお稽古を始める前に、はいはいのお稽古をしておきましょう」
 ユ・ビヌキーの妻は、床におろしたユリの腰をひょいと持ち上げ、膝と掌を床につかせた。
「ほら、見てごらんなさい。はいはいの格好になったユリちゃんが鏡に映ってるでしょう? ユリちゃんは今、あんなに可愛いお洋服を着ているのよ。可愛いお洋服で、はいはいのお稽古を頑張ろうね」
 ユリにはいはいの姿勢を取らせたユ・ビヌキーの妻は、部屋の隅から姿見の鏡を持ってきてユリの前に置いた。
 大きな鏡に写ったユリは、昨日のような幼稚園の制服ではなく、フリルと飾りレースをたっぷりあしらった可愛らしいベビードレスに身を包んでいた。丸く膨らんだ三部袖のパフスリーブに、幅の広い丸い襟が、いかにも赤ん坊が着るものといったデザインになっていた。丈の短いベビードレスの裾からはお揃いの生地でできたオーバーパンツが覗いていて、オーバーパンツの股間には横に四つボタンが並び、オーバーパンツを脱がさなくてもおむつを取り替えられるような仕立てになっているのがわかる。その上、ベビーパンツの胸元を覆っているのは、細かいフリルの飾りレースで周囲を縁取りしたよだれかけという、赤ん坊そのままの装いだった。ユ・ビヌキーの乳房に顔を埋めて溢れ出る母乳をむさぼり飲んだ時に慌てて飲んだせいか幾らか母乳をこぼしてしまったようで、ユリの首に撒きつけられたよだれかけには、小さなシミが点々と付いていた。
「二歳児クラスの子は制服を着なくてもいいそうだから、明日からユリちゃんはこんな格好で幼稚園に行くのよ。はいはいのお稽古は幼稚園でもさせてもらうから、少しでも脚を動かしやすいお洋服で行った方がいいからね。最初はベビードレスで行ってみて、どうしてもお腹が冷えるようなら、その時はロンパースにすればいいし。年少さんのお姉ちゃんたち、ユリちゃんのことを可愛いって言ってくれるといいね。可愛がってもらわなきゃいけないから、先生やお姉ちゃんたちの言いつけをちゃんと聞いていい子にしなきゃ駄目よ」
 ユ・ビヌキーの妻は、ユリが自分が今どんなに恥ずかしい格好をしているのか理解するのを待って、姿見の鏡を再び部屋の隅に片づけ、眠っている時や母乳を飲む時を含め片時もユリが手放さないでいたガラガラを半ば強引にもぎ取ると、姿見のすぐ横に膝をついて、ユリからとりあげたガラガラを振ってみせた。
「やだ、ユリのガラガラなのに。ユリのガラガラ返してよ」
 ガラガラを手放した途端、たとえようもない不安感を覚えて、ユリは、ガラガラの音のする方に手を伸ばした。けれど、そんなことでガラガラに手が届くわけがない。次にユリは両脚を踏ん張って立ち上がろうとしたのだが、0.3Gという低重力にしか適応できない体では、伝い立ちも難しい。
 遂にユリは、床についた膝と掌をのろのろと動かして、はいはいを始めた。背中を押さえつける重力に耐えかね、何度かお尻を床につけそうになりながら、心に平穏を与えてくれるガラガラを求めて、ゆっくりゆっくり這い進んで行く。
「ほら、こっちですよ。ここまで来れたら、ご褒美にガラガラをあげますよ」
 たっぷりあてたおむつで膨らんだオーバーパンツのお尻を右に左に大きく振りながらユ・ビヌキーの妻の声に励まされるかのように這ってゆくユリの姿は、ガラガラの音に誘われるまま母親のぬくもりを求めてはいはいをする赤ん坊そのままだった。
「頑張ってはいはいのお稽古をしてから、パパが持って帰ってきてくれる歩行器に乗りましょうね。ユリちゃんのために特別に作ってもらった歩行器は、お尻を載せるところがちょっと出っ張っていて、ユリちゃんが乗ると、気持ちいいところを刺激してくれるようになっているんですよ。うふふ、楽しみでしょう? その歩行器に乗ったら、あんよのお稽古をしながら、とってもいい気持ちになれるんですよ。おしっこをおもらしていないのに恥ずかしいおつゆでおむつをべとべとにしちゃうくらい気持ちよくなれるんですよ。早くパパが歩行器を持って帰ってくれるといいわね」
 ユ・ビヌキーの妻が盛んに打ち振るガラガラに向かって這うユリは、股間がねっとり濡れ始めていることに気がついた。帰還準備室でおむつを取り替えられるたびにケイトに秘部を責められて下半身を疼かせた、あのじんじん痺れるみたいな感覚が下半身を包み込んでくる。おそらく、ユ・ビヌキーの妻が特製の歩行器がどんな仕組みになっているのかユリに言って聞かせたために、自分が置かれている異様な状況と相まって、ユリの被虐的な快感を目覚めさせたのだろう。
(やだ、私、なんだか変だ。大人なのに赤ちゃん扱いされて、それで恥ずかしいおつゆでお股をぬるぬるにしちゃってる。どうなっちゃうの。私、どうなっちゃうの。このまま、エッチなおつゆでおむつを汚しちゃういやらしい赤ちゃんになっちゃうの? そんなの、やだ。でも、やだけど、どんどんどんどんおつゆが出てきちゃうよぉ。おしっこしちゃったみたいにおむつが濡れてきちゃうよぉ。こんなおむつを見られたらなんて言われるのかしら。やだ、私ったら、やらしい赤ちゃんになっちゃう)
 全身を貫くなんともいいようのない感覚に進む速度がゆるみがちになりながら、それでもユリはガラガラを求めて這い続けた。
 ユ・ビヌキーの妻のすぐそばにある大きな鏡は、そんなユリの姿を正面から映し出していた。母乳のシミの付いたよだれかけを揺らし、脚を動かすたびにベビードレスの裾をふわふわ舞い上がらせ、おむつを取り替えやすくするためのボタンが並んだオーバーパンツを大きく揺らしてはいはいを続けるユリの姿は、鏡を通して、ユリ自身の目にもくっきり映っていた。四角の鏡に映ったその姿は、どこにも出口がない枠の中にユリが押し込められてしまったことを無言でユリ自身に告げているかのようだった。


 ユリたちが地球におり立って月日が流れ、年少クラスの園児は年中に、年中クラスの園児は年長に、そして年長クラスの子供は小学校へと、進級・進学していった。けれど、ユリたち三人の園児と小学一年生のケイトは進級を認められなかった。体が成長しない上、地球の重力に適応できないせいで、進級しても他の子供たちについていくことができないと判断されたからだ。そのため、ケイトはそれまで幼稚園の年長クラスにいた子供に、カタンはそれまで年中クラスにいた園児に、ボビンはそれまで年少クラスにいた園児に、そしてユリは、新しくコロニーから迎え入れられた年少クラスの幼児に妹扱いされる屈辱の日々を送らざるを得なくなったのだった。

 そんな或る日の夕方、突然、コロニーに住む全ての住人が地球への帰還を認めらることになった。いや、認められたというよりも、地球への帰還を命じられたと表現した方が正確だろうか。連邦議会において、『宇宙移民者帰還促進法』が可決されたのだ。しかし、それは、コロニーの住人が長きに渡って要望していたことがようやく実現した結果では決してない。むしろ、連邦の身勝手が法案を採択させたというべきだろう。
 人工子宮装置の運用が始まって周囲から子供の姿が消えるにつれ、人々の心は目に見えて荒廃していった。各地で暴動が発生し、民衆と連邦軍との衝突も多発した。そこで連邦政府は、コロニーの住人を強制的に地球へ帰還させ、今はいない『子供たち』の代わりをさせることにしたのだ。ユリたちほどではないにせよ、コロニーの住人は一人の例外もなくネオテニー化が進み、自治行政組織の長を務める者でも、その体つきは小学生高学年くらいでしかない。そんな体つきに、丸っこい童顔と張りのある肌が相まって、自治行政組織の長としての正装を身にまとっても、小学生がお芝居をするためにそんな格好をしているくらいにしか見えないというのが本当のところだ。そんなコロニーの住人を強制的に地球に帰還させ、世界各地に『子供』としてばら撒くことで人々の心に平静を取り戻させるという、コロニー住人の人格などまるで眼中にない対応策が議会に上程され、満場一致で採択されたのだった。
「よかったわね、ユリちゃん。もうすぐ、コロニーのお友達と会えるわよ。コロニーのお友達がみんな地球へやって来て、ユリちゃんみたいに新しいパパとママに可愛がってもらえることになったのよ」
 法案が可決されたことを知らせるニュース速報の映像を見せながら、ユ・ビヌキーの妻は、歩行器のサドルにお尻を載せて両足で床を蹴るユリに向かって微笑みかけた。
 脚を動かすたびにサドルの突起が秘部を責め、愛液が滴り出ておむつを汚してしまう。その羞恥と、言葉では表現できない奇妙な悦びとが渾然一体となったなんともいえない感覚に、思わずユリが身をよじる。
「コロニーのお友達はどんなパパとママに引き取られて、どんなふうに可愛がってもらえるのかしら。みんな、ずっと長いこと可愛がってもらえるといいわね。だって、みんな、死ぬまで子供のままなんですものね」
 おしゃぶりを咥えさせられたままのせいでよだれが顎先から滴り落ち、胸元を覆うよだれかけを汚してしまう。そんな姿で歩行器に乗って両足で床を蹴り続けるユリの姿を見守るユ・ビヌキーの妻は、唇の端を吊り上げて、奇妙な笑みを浮かべた。
 おそらく連邦は、可決された宇宙移住者帰還促進法と圧倒的な軍事力を背景に、力づくでコロニーの住人を一人残らず地球に帰還させるだろう。そうして、地球におり立ったコロニー住人は、誰もが、ユ・ビヌキーの妻のような歪んだ母性本能の餌食になるのだろう。
 けれど、宇宙移住者帰還促進法案の内容を詳しく知る者は、連邦議会の議員の中には一人もいない。いつのまにか議案として上程され、気がつくと満場一致で可決されていたというのが実状だった。とはいえ、そのことを以て議員を責めるのは酷かもしれない。連邦議会の議員というのは、実質的には名誉職みたいなものだ。増えすぎた人口をまかなうためには、エネルギーや資源を分配するために、おそろしく緻密な計画を立て、計画の進捗状況を監視し続ける必要がある。そのためには、人間が把握することのできる情報量を遙かに超えた数値や近似計算式といったものを扱う必要があり、一つの数値が修正された場合には、その結果を反映させた結果予想値を瞬時に弾き出し、地球上の隅々にまで伝達する必要がある。そんなことをできるのは、地球の表面を網の目のように取り囲むまでに発達したネットワークを有する巨大コンピューターシステムだけだった。そのため、いつしか連邦議会の議員たちは全ての決定をコンピューターシステムに委ね、自らは、コンピューターシステムの提案に対して承認を与えるだけの存在になっていった。しかも、誰が承認したのかその責任を曖昧にするため、コンピューターシステムが提案する全ての事項に対して満場一致で承認を与えるというのが長年の習わしになってしまっていたのだ。そんなお飾りでしかない議員に法案に対する責任を求めるのは酷なのだろう。
 そんなふうにして、いつしか、エネルギー・資源分配プロセスのみならず、全ての事柄がコンピューターシステムの立てた計画通りに動くようになってしまったのが現在の地球だ。人員の配置にしても例外ではない。次第にコンピューターシステムは、連邦政府職員の人事だけでなく、全地球規模に張り巡らせたネットワークを介して旧国家の行政組織における人員配置まで決定するまでになっていった。現在の連邦の高官たちも、そうやってコンピューターシステムの抜擢によって今の地位についたのは言うまでもない。そのあまりに複雑なコンピューターシステムの全容を知る者など一人もいない今、コンピューターシステムがどのような基準で人員の配置を立案しているのか、それは不明のままだが、とりあえず大きな問題が起きているわけでもないため、人事権を人間の手に取り戻そうとする動きはなかった。むしろ、情実に絡んだ不透明な人事が行われなくなった分、それまでよりも”清潔な”行政組織が構築され、人々の不満は最小限に抑えられていたくらいだ。
 だが、人々が気づかぬうちに、巨大なコンピューターシステムは、自らの意思を発露しつつあった。いや、それは、コンピューターシステムの意思というよりも、一つの惑星である地球それ自身の意思だった。コンピューターシステムは、地球が自らの意思を具現化するための道具でしかない。
 漆黒の闇の中、星間ガスが渦巻き緩やかな重力場を形成して更に無数の星間物質を取り込み、やがてそれが太陽となり、その近傍に地球が生まれて数十億年。いつしか有機物質を素材にして原始的な生命体が発生し、それが長い年月を経て人類へと進化し、その人類は、機械知性と呼んでもいいような複雑きわまりないコンピューターシステムを構築するに至った。コンピューターシステムが地球の表面のみならず人工衛星やスペースコロニーをも結ぶネットワークを着実に延伸させてゆくにつれ、ネットワークの中を行き交う情報群が或る形を取るようになっていた。人間の脳がシナプス結合を増加させることで記憶力を増大させ意思を形成させてきたように、地球を覆うネットワークの結節点が増大するにつれて、そのネットワークが神経網のように働き出して、地球自身の意思が形成されてきたのだ。もっとも、『意思が形成されてきた』という表現は正確ではない。厳密に言えば、『もともと地球は意思を持っていたのだが、それを表現する手段を持っていなかった。そこで、自らの環境を調整して生命を生み出し、生命体が機械知性システムを構築するのを待って、そのシステムを利用することで地球自身の意思を発露させ始めた』ということになる。ここで注意しておきたいのは、意思を持つ惑星という存在は決して珍しいものではないということだ。むしろ、宇宙に存在する全ての惑星が意思を持っていると考えるべきだろう。そうして、自らの意思を外界に向かって表現できるような手段を持つに至った惑星どうしは、様々な情報を互いに伝え合い、”話し合う”ようになる。電波の速度は有限で、一つの情報を送ってそれに対する応答が返ってくるまでに数万年という時間を要することも珍しくはないが、百億年近い寿命を持つ惑星にとっては、決して長い時間ではない。たかだか百年オーダーの寿命しかない有機生命体とは、時間感覚が根元的に違うのだ。それを考えれば、真空空間に悠然と浮かんでいる星々こそが宇宙の主役で、人類などは脇役、それも台詞の一つもない端役に過ぎないということがわかるだろう。
 地球が自らの意思を表現するための手段を手に入れた今、人類の役割は終わったと言っていい。そして、役目を終えた人類は、地球にとって、いささか目障りな存在だった。猛烈な繁殖力で他の生命体を絶滅させながら人口を増やし、決して無限ではない資源を浪費しては雑音めいた電気信号を発し、地球が他の惑星と会話するのに使う電波の伝達を障害するスペースデブリを発生させる、何の益にもならないどころか却って宇宙を害する存在こそが現在の人類なのだ。
 そんな人類の力を抑制しようと地球が決断したのも無理からぬことだった。だが、今となっては目障りな存在である人類も、機械知性システムを構築する際には有益な存在だった。そんな事情を考え合わせ、慈悲深い地球は、人類を絶滅させるまでには至らないと判断した。そこで地球がとったのは、繁殖力を抑制して人類という種そのものが絶滅しないですむぎりぎりの数まで人口を減少させ、技術力や経済力を進歩させないようにした上で、他の生命体に害を及ぼすことのないような平穏な生活をおくらせるよう人類を導くという方法だった。
 そして、そのテストに使われたサンプルこそがコロニーの住人だった。最低限のエネルギーと資源しか与えられず、コンピューターシステムのネットワークと連結した人工子宮装置によって(住人たちの知らぬまに)ネオテニー化が進むよう遺伝情報を書き換えられ、地球に帰還させられて年端もいかぬ子供として扱われることを宿命づけたのは、全て、コンピューターシステムを介した地球自身の意思だったのだ。このテストに成功すれば、次は、人類全ての遺伝子を書き換えるステップに進む手順になっている。地球で運用が始まった人工子宮装置の中で結合する卵子と精子は例外なくネオテニー化が進むよう遺伝情報を書き換えられ、生まれてくる新生児は、幼児の段階以上には成長しなくなる。そうしているうちに旧世代の人類は寿命を終え、次第に数を減らしてゆく。そうすれば、ものの百年も経たないうちに、人類は、誰かが世話をやいてやらなければ生きてゆけない幼児ばかりになるのだ。地球は、そうやって幼児化した人類を、種が絶滅しないよう注意深く見守りながら、コンピューターシステムに連結したナーシングシステムで保護するという方法をとることにしたのだった。

 まるでまたたかぬ無数の星々が浮かぶ漆黒の闇の中に生まれた地球という惑星の、そのまた表面で生まれた人類というちっぽけな知的生命体は今、地球の意思のもと、種そのものとして赤ちゃん返りを始めていた。母なる大地のぬくぬくした懐に抱かれて、泣きたい時は泣き、眠りたい時には眠り、おしっこを漏らせば有機アンドロイドの手で優しくおむつを取り替えてもらう、そんな毎日が、ユリのみならず全人類の目の前に迫っていた。


[完]




戻る 目次に戻る 本棚に戻る ホームに戻る