満たされた欲求・その後



 駅前にあるスーパーの三階が子供服やベビー用品のフロアになっていて、フロアの真ん中あたりに、ちょっとした遊具やオモチャを置いた、小さな子供達を遊ばせる場所(キッズスペース)がある。
 エレベーターをおり、里香と並んでベビーバギーを押して歩く母親がそのキッズスペースの前を通り過ぎようとした時、馴染みのある声が聞こえた。
「鈴木さん、どうしたの、その赤ちゃん」
 呼ばれて振り向くと、里香と同じ幼稚園に通っている野田真由美の母親が手を振っているのが見えた。マンションは違うが、何かの行事で幼稚園に行くたびに里香の母親がお喋りに興じる相手だ。
「あら、野田さん。お買い物?」
 笑顔で里香の母親も気さくに声をかけた。
「うん。本当は夕飯の材料を買いに来ただけなんだけど、真由美がどうしてもこのキッズスペースで遊んで帰るってきかないものだから。もう三十分近くもここにいるのよ」
 溜め息でもつきそうな顔で真由美の母親は言った。
 その母親から少し離れた所で小型の滑り台に夢中になっていた真由美も目敏く里香の姿をみつけ、一緒に遊ぼうよというふうに大げさな身振りで手招きしている。
 幼稚園が夏休みでここしばらくは顔を会わせていない仲のいい友達の姿を目にして、里香はキッズスペースの低い柵を勇んで乗り越えて滑り台に向かおうとした。が、すぐにベビーバギーに乗っている雅美の姿を見て、どうしようかというふうに母親の顔を見上げる。
「いいわよ、真由美ちゃんと遊んでらっしゃい。一緒に買い物にまわっても退屈するだけでしょうから」
 里香の視線に気づいた母親は優しい笑顔で言った。
「でも、まぁみちゃん、私が一緒じゃないと寂しがるんじゃない?」
 母親に促されて、それでも心配げに里香は言った。
「まぁみちゃんていうの、その赤ちゃん? どこの赤ちゃんなのかな、おばちゃんに教えてくれる?」
 里香がベビーバギーの方を見ながら「まぁみちゃん」と言うのを聞いて、真由美の母親が言った。これまで見たことのない赤ん坊に興味を抱いている様子がありありだ。
「あのね、杏里ちゃんちで預かってる赤ちゃんなの。でも、今日と明日だけ里香の妹なの」
 雅美のことを訊かれて、どことなく得意げに里香は応えた。だけど子供がする説明だから、それを聞いただけでは真由美の母親は事情を飲み込めない。
「あのね、この子は雅美ちゃんっていって、うちのお隣が親戚から預かっている子なのよ。ただ、預かっているお隣さんに急用ができちゃって今日と明日、名古屋に行かなきゃならなくなったの。それで、その間だけ、うちで預かることにしたのよ。それを里香ったら妹ができた妹ができたって嬉しそうにしちゃって」
 里香の言葉を継いで母親がきちんと説明した。
 それを聞いて、真由美の母親もようやく納得したような表情になった。
「ああ、そういうことか。でも、随分と発育のいい赤ちゃんね。もう、幼稚園児と同じくらいの体格してるんじゃない?」
 納得したのも束の間、真由美の母親は、今度は雅美の体格に驚いたように言った。高校生としては珍しいくらい小柄な雅美も、赤ん坊としてなら、滅多にいない発育のいい子だ。
「幼稚園児と同じどころか、少しだけど、うちの里香よりも大きいのよ。――ほら、野田さんも知ってるでしょう、島崎さん。この子、島崎さんの奥さんの身内なのよ」
 真由美の母親も、真由美を連れて里香の家を訪れたことが何度もある。その時に、隣に住む真理とも顔を会わせたことがあるし、年齢の近い子供を持つ母親どうし、それとなく親近感を抱いてお喋りしたこともある。なにより真理の背の高さがまず印象に残っているから、島崎さんの奥さんと言われて、真理のことを思い出すのに、さほど時間はかからなかった。
「たしかに、あの奥さんの身内なら、これくらい発育がよくてもおかしくないわね。あそこのお子さん、杏里ちゃんだっけ、あの子もうちの真由美よりも大きいもの」
 真由美の母親は、なんだか感心したようにしげしげと雅美の姿を見まわした。そうして、雅美が真っ赤な顔をしていることに気がつく。
「この子、大丈夫なの? 真っ赤な顔をして目がとろんとしてるわよ。それに、おしゃぶりを落としそうにして、口のまわりはよだれでべとべとだし。――暑い中をベビーバギーに乗ってたから日射病にでもなっちゃったんじゃない?」
 慌ててベビーバギーの前にしゃがみこんだ真由美の母親は、ぐったりしているようにも見える雅美の様子を気遣って言った。
「それほどでもないと思うわ。ここはクーラーが効いてるから、少し休ませればすぐに元気になるわよ。小っちゃな子はそういうところ敏感だから」
 こちらはまるで慌てた様子もみせずに里香の母親が応えた。
 里香の母親が慌てた素振りもみせないのは、けれど、当たり前といえば当たり前のことだった。里香の母親は、雅美の様子がおかしいのが暑さのためなどではないことを知っているのだから。雅美が真っ赤な顔をしている本当の理由が、滑り止めのベルトが雅美の感じやすいところを絶えずおむつカバーの上から撫でさすっているからだということを知っているのだから。そうして、そうなるように仕組んだのが母親自身なのだから。
「だといいけど……とにかく、広い所におろしてあげましょう。バギーの窮屈なシートに座らせておくよりはいいと思うわ」
 言いながら真由美の母親は手早くベルトのストッパーを外して雅美の体を抱き上げた。
「わ、重い。本当に真由美よりも重いわ」
 実際に抱き上げてみて、あらためて雅美の大きさに驚いたようだ。
 それでも、腰をかがめるようにして雅美の体を抱いたままキッズスペースを囲む低い柵を乗り越えて、柔らかい素材でできたスペースの隅まで歩いて行った。
「ここでいいかな。ここなら、他の子供たちが遊ぶのに邪魔にはならないわよね」
 ようやくスペースの片隅に雅美を座らせて、真由美の母親はほっとしたように溜め息をついた。
「ごめんなさいね、野田さん。重かったでしょう?」
 里香の母親は、スペースの床に座らせた雅美の顔を覗き込んでいる真由美の母親に近づいて申し訳なさそうに声をかけた。
「いいのよ。私も赤ちゃんに触るのは久しぶりだから、ちょっと抱いてみたくなったの。でも、ここに座らせただけでさっきより顔の赤さが取れたみたい。鈴木さんの言った通り、大げさに考えることはなかったのかもしれないわね。お口もしっかりして、もうよだれもこぼしてないし」
 少し安心したのか、真由美の母親は僅かに目を細めた。
 おしゃぶりを咥えていると、どうしても唾がたくさん出てくる。普通ならその唾を飲み込んでしまえばどうということもないのだが、絶え間なく下腹部から伝わってくる疼きのために全身の力が抜けてしまって唾を飲み込むこともできないでいた雅美だった。そのせいで、口から溢れた唾が半開きの唇からよだれになって流れ出し、口のまわりをべとべとにして顎先から滴り落ち、ベビードレスの胸元を覆っているよだれかけを濡らしていた。それが、ベビーバギーのベルトからやっと逃れることができて、ようやく唇を閉じるだけのゆとりが戻ってきたのだった。
「でも、念のために水分を補給しておいた方がいいわね。何か飲み物は持ってきてないの?」
 雅美の額に左手を押し当て、熱がないことを確認してから真由美の母親は言った。
「あ、それなら、途中で喉が渇くといけないと思って湯冷ましを持ってきたわ。すぐに出すわね」
 言われて、里香の母親は、ベビーバギーの取っ手に引っかけたバッグから、湯冷ましの水が入った哺乳壜を取り出した。
 それを見て、里香がねだるような声を出した。
「あ、里香が飲ませてあげたい。いいでしょ、ママ」
「いいわよ。雅美ちゃん、今日と明日は里香の妹だもの」
 母親は雅美の口からおしゃぶりを取り上げて里香に哺乳壜を手渡した。
 里香はそれを嬉しそうに受け取って雅美のすぐそばに膝立ちになると、
「はい、まぁみちゃん。おっぱいじゃないけど我慢してね」
とあやすように言って、雅美の唇に哺乳壜の乳首をそっと押し当てた。その様子を、興味津々といった顔つきで近づいてきた真由美がじっと見守る。
 自分よりもずっと年下の幼児の手で哺乳壜から湯冷ましの水を飲まされるのだと思うと、とても惨めで激しい屈辱を覚える。けれど、兄の家に来たその日からずっと哺乳壜でジュースやカルピスを飲まされ続けた雅美の唇は、いつのまにかゴムの乳首の感触をしっかり憶えてしまっていた。雅美の唇は、身悶えするばかりの羞恥や屈辱感にもかかわらず勝手に動いて哺乳壜の乳首を受け入れ、微塵のためらいもなくちゅうちゅうと吸い始めていた。
(やだ。私よりずっと年下の子が見てるのに、赤ちゃんみたいに哺乳壜を使ってる。これじゃ、本当に赤ちゃんになっちゃう。もう高校生に戻れなくなっちゃう)勝手に動く自分の唇に戸惑いを感じつつ、どんどん赤ちゃんらしくなってゆく自分自身の仕種に甘酸っぱい悦びをも覚える雅美だった。
 けれど、じきに、甘酸っぱい悦びに浸ってなどいられなくなってきた。急におしっこをしたくなったのだ。お昼寝のおねしょからまだあまり時間が経っていないのに、ついさっきまでまで続いていたベビーバギーのベルトの愛撫が刺激になって、いつもより早く尿意を覚えるのかもしれない。しかも、長く続いた愛撫のせいで、まだ下腹部に力が戻ってこない。
 もうダメと思う間もなく、雅美の体がぶるんと震えて表情が変わった。それまでちゅうちゅう吸っていた哺乳壜の乳首をきゅっと噛んでしまう。
 二人の母親は、そんな雅美の仕種を見逃さなかった。
 おむつカバーの中に右手を差し入れたのは真由美の母親だった。
「やっぱり」
 真由美の母親は短く言って、おむつカバーの中に差し入れた右手をそっと抜いた。
「どうしたの、ママ?」
 さかんに哺乳壜の乳首を吸う雅美の口元を覗きこんでいた真由美が、母親の顔を見上げて訊いた。
「おしっこが出ちゃったのよ、雅美ちゃん。おむつが濡れてるの」
「まぁみちゃん、おしっこなの? 哺乳壜でお水を飲みながらおしっこだなんて、まぁみちゃん、ミルク飲み人形みたいだね。真由美のミルク飲み人形も、真由美が哺乳壜でおっぱいをあげると、すぐにおむつを濡らすもん」
 母親の言葉を聞いた真由美は視線を落として、今度は、ベビードレスの裾から覗いている雅美のおむつカバーをじっと見つめた。
(この子、私のことをミルク飲み人形と一緒だなんて言ってる。やだ、私、ミルク飲み人形なんかじゃない。私、赤ちゃんなんかじゃない。私、私は高校生なんだから。でも、幼稚園に通ってる子に哺乳壜でお水を飲ませてもらいながらおむつを汚すなんて……私、本当に高校生なんだろうか。本当は私、里香ちゃんよりも杏里ちゃんよりもずっと小さな赤ちゃんなのかもしれない。……ううん、だけど、だって、私は高校生なのよ。……でも、本当に?)おむつがおしっこで濡れる様子をおむつカバーを透かして真由美に見られているような感覚にとらわれながら、雅美の心の中で相反する思いがぐるぐるまわっていた。いつまでたっても、どちらかの思いに落ち着くような気配はない。雅美は、自分が高校生なのか赤ちゃんなのか、なんだかわからなくなってきた。わからなくなってきたし、どっちでもいいような気もしてくる。確かなのは、雅美が哺乳壜の乳首を吸いながらおむつを汚しているという、その事実だけだった。
「ね、鈴木さん。私がおむつを取り替えてあげてもいい? 今どき布おむつなんて珍しいから、こんな機会でもないと触る機会なんてないもの」
 雅美が兄の家に来て二日目に里香の母親が真理に言ったのとまるで同じことを今度は真由美の母親が口にした。
「いいわよ。確かに、今じゃ紙おむつばかりだものね」
 みんな同じような気になるものだなと少し苦笑ぎみに里香の母親は頷いた。
「でも、雅美ちゃんはどうして布おむつなのかしら。紙の方が便利なのに」
 真由美の母親は雅美の背中を抱えるようにしてキッズスペースの柔らかい床の上に雅美の体を横たえさせた。その間も、里香は雅美が乳首から口を離さないよう、哺乳壜をしっかり支えている。すっかりお姉ちゃんらしい仕種だ。
「でも、仕方ないかもしれないわよ。赤ちゃん用の紙おむつならディスカウントの時もあるけど、雅美ちゃんくらい大きいと、介護用の紙おむつになっちゃうじゃない。それだと安売りなんて珍しいだろうし、経済的に大変なんだと思うわ」
 里香の母親はベビーバギーの取っ手からバッグを外して床に置き、その中から、汚れたおむつを入れるのに使うビニール袋と新しい布おむつを取り出しながら少し考えて言った。
「ま、それはそうかもね。だけど、布おむつを使うにしたって、今は股おむつになってるんじゃなかったっけ? 横当てを使う昔からのおむつのあて方だと股関節脱臼になりやすいからって」
 雅美が着ているベビードレスの裾を捲り上げた真由美の母親は、おむつカバーに腰紐が付いているのを見て少し驚いたように言った。
「さぁ、直接訊いてみないとわからないけど、やっぱり、雅美ちゃんくらい大きいとおしっこの量も半端じゃないから、少しでも漏れにくいように昔ながらのおむつカバーにしてるのかもよ。それに、たくさんのおしっこを吸って重くなったおむつがずり落ちないように腰紐付きのじゃないと駄目かもしれないし」
 里香の母親は自信なさそうに言った。
「うん、ま、そういうことかな。それにしても、毎日のお洗濯、大変でしょうね」
 真由美の母親は腰紐の結び目ををゆっくりほどいてから、おむつカバーの前当てと横羽根を広げた。それから、ぐっしょり濡れた布おむつを一枚一枚、どんなふうにあてればいいのか確認しながら丁寧におむつカバーの上に広げてゆく。
「確かに、それは大変みたいよ。今日もお隣に行ってみたけど、物干し場にしてるベランダ、おむつでいっぱいだったもの。もう杏里ちゃんは全然おむつを使ってないって言ってたから、干してあったのはみんな雅美ちゃんのおむつってことになるけど、一人分であれだけあるんじゃ、洗濯だけですごい時間になりそうだわ」
 真由美の母親が広げた汚れたおむつを横合いから手元に引き寄せてビニール袋に押し込みながら、里香の母親は、わざと大げさに頷いてみせた。
「でしょうね。毎日だとちょっと考えものね。でも、たまにだと布おむつもいいんだけど」
 真由美の母親はベビーパウダーのパフで雅美の下腹部をぽんぽんと叩き始めた。
 また恥ずかしい部分をいじられるんじゃないないかと思って、雅美が思わず両脚を閉じようとする。
「あら、おかしな子ね。なんだか恥ずかしがってるみたいな仕種なんかして。でも、おむつをあててる小っちゃな子が恥ずかしがるなんてことあるのかしら」
 雅美の正体を知っていてわざとパフで秘部を責めた里香の母親とは違って、真由美の母親は、本当にベビーパウダーをはたくためにパフを動かしているだけだ。なのにその手から逃げようとでもするみたいな仕種をする雅美の行動が不思議だった。
「ひょっとしたら、本当に恥ずかしがってるのかもしれないわよ。体の成長がこんなにいいんだもの、知能だって普通の赤ちゃんよりもずっと発育してるかもしれないじゃない」
 真由美の母親にというよりも、どちらかというと雅美に聞かせるようにして里香の母親が言った。
「それに、前に駅のホームで見たことがあるんだけど、かなり小柄な子なら、高校生になってもこの雅美ちゃんくらいの体の大きさしかない子もいるものよ。本当は雅美ちゃん、赤ちゃんのふりをしてる高校生だったりして。それなら、恥ずかしがるのも不思議じゃないわ」
「まさかぁ」
「うふふ、冗談よ。もしも本当に雅美ちゃんが高校生だったら、こんな恥ずかしがりようじゃすまないもの。幼稚園の子に哺乳壜を支えてもらっておむつを濡らして、しかも、大勢の人が歩いている中でおむつを取り替えてもらったりしてるのが本当は高校生だったりしたら、こんなに無邪気な顔をしてられる筈がないもの」
 里香の母親の唇から飛び出す言葉の一つ一つに雅美の心臓がどきんと高鳴る。(鈴木さん、ひょっとしたら私の正体を知ってるんだろうか。でも、ううん、まさかね。私が本当は赤ちゃんじゃなくて高校生なんだって知ってたら、わざわざこんな所へ連れて来る筈がないわ。だいいち、もしも知ってるなら、家の中であんなに赤ちゃん扱いするわけがないもの。だけど、だけど……)
「冗談が過ぎるわよ、鈴木さん。そうでなくても、私、おむつを外した時にこの子のお股が丸見えになってびっくりしたんだから。だって、どう見ても赤ちゃんのじゃないわよね、ここ」
 真由美の母親はパフを動かす手を止めて、雅美の性器を指差した。
 里香の母親が初めて雅美の股間を目にした時と同じ疑問を真由美の母親も抱いていたのだ。
「そうね、初めて見るとちょっと驚くでしょう? でも、お隣の奥さんは『雅美ちゃんはおませだから』って言ってたから、それでいいんじゃない? 赤ちゃんの格好をして見ず知らずの人におむつを取り替えてもらうような高校生がいるわけないんだし」
 そう言って、里香の母親は雅美の顔にちらと視線を走らせた。
 里香の顔には、明らかに羞恥の色が浮かんでいた。けれど、雅美は、その場から逃げ出すことはできない。雅美には、赤ちゃんのふりを続けるしかないのだ。
「そういうことね。じゃ、早いとこおむつをあててあげなきゃ。クーラーが効いてるところでいつまでもお尻が裸ん坊だと風邪をひいちゃうわ」
 ベビーパウダーの容器を床に置いて、真由美の母親は、里香の母親が手渡した新しい布おむつを雅美のお尻の下に敷きこんだ。
「あ、もう少し上にした方がいいわよ。そのままだと、おむつカバーの裾からはみ出る部分が多くなっちゃうから」
 真由美の母親が敷きこんだ布おむつを見て、里香の母親が気遣わしげに言った。
「あ、そうなの? なにせ、慣れないものだから」
 言われるまま、真由美の母親は布おむつの位置を少しずらした。
「そうそう、そのへんでいいわ。それで、先に股当ての端をお腹の上まで引っ張って」
「えーと、こうかな。あ、おヘソに触れちゃいけないんだっけ」
「うん、そんな感じ。あと、横当てはあまり締めつけないように気をつけてあげてね。這い這いするのに窮屈だし、股関節脱臼の心配もあるから」
「難しいのね、本当に。真由美は紙おむつにしておいてよかったわ。で、おむつカバーの横羽根はどうやって留めるんだっけ。――あ、マジックテープになってたんだ。じゃ、こっちをこうして、と」
「いいわよ。あとは前当てを横羽根に重ねてマジックテープで固定して、それから、裾のボタンを留めて」
「あ、こうね。うん、これでずれなくなるのか。あと、腰紐を結んでおしまいかな」
「まだよ。ほら、おむつカバーの裾からおむつがはみ出してるでしょう? そのままだと、そこからおしっこが漏れちゃうの。だから、はみ出してるおむつをおむつカバーの中に押し込まなきゃ」
「うわ、本当に大変だこと。お洗濯も大変だけど、おむつを取り替えるたびにこんなに気を遣わなきゃいけないなんて、私、一日だけでへとへとになっちゃいそう」
「実を言うと、私も気が重いの。何も考えずに預かるわよって言っちゃったけど、明日いっぱいちゃんとできるかしら」
 里香の母親も困ったように言った。
 けれど、本当はちっとも困ってなんかいない。雅美が本当に体が大きいだけの赤ちゃんならおむつの交換も大変で気が重くなるが、雅美が実は高校生だということを里香の母親は知っている。それを知って、日頃の欲求不満を解消するオモチャにするために真理から預かったのだ。おむつを取り替えるたびにベビーパウダーのパフで秘部を責めたり、雅美が恥ずかしがりそうな言葉を投げかけたり、里香が雅美を妹扱いするようにしむけることで、滅多に経験できない刺激を存分に楽しむつもりだ。だから、里香の母親にとっては、雅美のおむつを取り替えることは、むしろ、これ以上はないくらいに淫靡で加虐的な悦びを与えてくれる魅惑的な行為だった。
「これでいいかな。これで横漏れもしないかな」
 やっとのことでおむつをあて終えた真由美の母親は、まだ不安そうな顔で何度も何度も雅美のおむつカバーを撫でまわし、どこかまずいところがないか、しげしげと眺めまわしている。
 その視線と手の動きが雅美の羞恥を激しく掻きたてた。そうして、羞恥がいつしか、被虐的な悦びへと変わってゆく。(ああ、あの時と同じなんだわ。いつか病院で見た、あの時のおねえさんと同じなんだわ、私。あのおねえさんと同じように高校生なのにおむつをあてられて、赤ちゃんみたいな格好をさせられてるんだわ。高校生なのにおむつ。高校生なのに哺乳壜。高校生なのによだれかけ。そうよ、高校生なのに赤ちゃんなんだわ、私。――やだ、お股が熱くなってきちゃった。どうしよう、お股がぬるぬるしてきたよぉ。なんだか痺れちゃって、力が入らなくなってきたし)
「うん、大丈夫だと思うわ。もっとも、私だって布おむつにそんなに慣れてるわけじゃないけどね」
 ちょっと肩をすくめて里香の母親が言った。
「じゃ、里香ちゃんと雅美ちゃんは私が見ていてあげるから、鈴木さんは買い物をしてらっしゃいよ」
 ようやく雅美のおむつカバーから手を離すと、真由美の母親は、まだ哺乳壜で雅美に湯冷ましを飲ませている里香の姿を優しい笑顔で見て言った。
「でも、いいの? 夕飯の支度もあるでしょうに」
「いいわよ。どうせ旦那は残業で遅くなるんだから」
 真由美の母親は、気にしないでというふうに軽く手を振った。
「そう? じゃ、お願いね。離乳食を買うだけだから、すぐに戻ってくるわ」
 言い残して、里香の母親は陳列棚の向こうに姿を消した。
「さ、お水はもういいから、雅美ちゃんと遊んであげてね。二人ともお姉ちゃんなんだから、ちゃんと遊んであげられるよね?」
 半分ほど空になった哺乳壜を里香の手から受け取って、真由美の母親は雅美の上半身を抱え起こした。お腹の上に捲り上げていたベビードレスの裾は元に戻ったものの、床にぺたっとお尻をつけて両脚を広げて座っているから、覗き込むまでもなく、おむつで膨れたおむつカバーは殆ど丸見えのままだ。
「うん、ママ。里香ちゃんと私で遊んであげる。ボール遊びでいいよね、里香ちゃん?」
 言うが早いか、真由美が、滑り台の向こう側に転がっている布製の柔らかいボールを持ってきた。真由美の顔と同じくらいの大きさのボールだ。
「ほら、まぁみちゃん、ボールころころよ。お姉ちゃんがころころするから、まぁみちゃんが取ってくるのよ」
 雅美の横に腰をおろした真由美は、雅美に向かってそう言ってから、両手でボールを押し出した。布製の柔らかいボールは、音もたてずに三メートルほど転がった。
「ほら、真由美お姉ちゃんがころころしてくれたから、まぁみちゃんが取ってくるのよ。まぁみちゃん、立っちはできないけど、這い這いはできるでしょ?」
 ボールが止まったのを見て、今度は里香が言った。
 けれど、雅美は床にお尻をつけたまま動こうとしない。
 幼稚園児二人にボール遊びであやされているのだと思うと屈辱で体を動かす気になれないということもあるけれど、それより、みんなが見ている中でおむつを取り替えられた羞恥が形を変えた快感のために下半身がじんじん痺れて脚を動かせないでいるのだ。
「どうしたの、雅美ちゃん。ほら、こうして這い這いするのよ」
 ちっとも動かない雅美の様子を見かねた真由美の母親が雅美の腰に手をまわして、半ば強引に這い這いの姿勢にさせた。力の入らない両脚と両手でかろうじて体重を支えた雅美だが、まだ這い出すことはできない。
「困ったわね。――あ、そうそう」
 なかなか這い這いをしそうにない雅美の姿に少し考えこんでから、母親は、里香の母親が持ってきたバッグの中からガラガラを取り出した。さっき、里香の母親が新しいおむつを取り出した時、それが入っているのがちらと見えたのだ。
「里香ちゃんと真由美、こっちへいらっしゃい。こっちへ来て、このガラガラで雅美ちゃんを呼んであげるのよ。赤ちゃんはガラガラが大好きだから、これで呼んであげれば、絶対にこっちへ来るから」
 真由美の母親は、ボールのそばに膝をついて二人に手招きした。
「はぁい、ママ」
「はぁい、おばちゃん」
 真由美と里香は声を揃えてやって来ると、二人で一緒にガラガラの柄を持ってからころと振り始めた。
「まぁみちゃん、ほぉら、ガラガラだよ。まぁみちゃんの大好きなガラガラだよ。だから、こっちへおいで。こっちへ来てボールを持つのよ」
 里香と真由美、どちらからともなく雅美に呼びかけた。
 それでも雅美は動こうとしない。
 自分よりもずっと年下の二人にガラガラで呼ばれる屈辱が被虐的な悦びに変わって、ますます下腹部の力を奪ってしまう。
 と、真由美の母親が二人のそばを離れて雅美の後ろにまわりこんだ。そうして、雅美の腰を僅かに持ち上げるようにして這い這いを始めさせた。
 力の入れ方が少しおかしかったのか、雅美の体が右に傾いた。倒れまいとする雅美は反射的に右手と右脚に力を入れた。倒れかかっていた体が元に戻って、微かに前に進む。
「そうよ、まぁみちゃん。そのまま、こっちへ来るのよ」
「あんよは上手。這い這いは上手。こっちへいらっしゃい、まぁみちゃん」
 二人は雅美に向かって声をかけながらさかんにガラガラを振ってみせた。
(幼稚園の子が振るガラガラに呼ばれて這い這いするなんて、やっぱり私、赤ちゃんなのかな。柔らかいボールのところまで這い這いしてる私、高校生なんかじゃないよね。おむつのお尻を振って這い這いする私が高校生のわけないよね。哺乳壜でお水を飲ませてもらって、おしゃぶりを咥えさせてもらってよだれかけを汚して、おしっこで濡れたおむつをたくさんの人の前で取り替えてもらって、小っちゃな子供が遊ぶ場所でガラガラに向かって這い這いしてる私、誰が見ても赤ちゃんだよね。そうだ、私、本当は赤ちゃんだったんだ。でも、でも、どうしてお股がぬるぬるしてくるの? おしっこじゃないのに、どうしてお股が痺れてぬるぬるしてくるの?)
 ゆっくりゆっくり手と脚を動かして、ガラガラに呼ばれるように少しずつ這い這いで進んで行く雅美。
「やっぱり、赤ちゃんは可愛いわね。おむつで膨れたお尻を大きく揺らして這い這いする赤ちゃんは可愛いわ。今じゃ生意気なことも言う真由美にもあんな頃があったのよね」
 雅美が実は反抗期さえ過ぎた高校生だということを知らない真由美の母親は、昔を思い出すように目を細くして呟いた。
 誰の目にも赤ちゃんとしか映らない雅美の姿。しかし、おむつの下には、高校生の敏感な性器が隠されていた。両脚を動かして這い這いするたびに柔らかい布おむつに秘部をさすられて、赤ん坊にはふさわしくない快楽さえ覚えている雅美だった。
 見た目は赤ん坊。中身は女子高校生。そんな雅美の心は、赤ん坊にもなりきれず、高校生にも戻れない、どちらともつかずにまだ中途半端なままだった。



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