家族の肖像



 渋滞は幸い午前中に解消したようで、少し遅めの昼食をとった後のドライブは快適そのものだった。おかげで、午後三時半ごろには、もう自宅まで二十分もかからないという場所まで帰ってくることができた。
「もうすぐね、新しい我が家に到着するのは」
 周りの景色を感慨深げに見やりながら、美智子が声を弾ませた。
「そうだね、いよいよ新しい家族の新しい生活が新しい家で始まるんだね」
 勲が穏やかな声で応える。
 新しい家。結婚することが決まった時、二人が真っ先に口にしたのは、新しい家に住みたいねという言葉だった。どちらかの家族がもう一方の家に移り住むという形では、どうしても遠慮が残るという思いがあった。互いのこれまでの生活はそれぞれが胸の中に懐かしい記憶としてしまいこめばいい、そうして、新しい生活は新しい家で始めよう。どちらともなくそう決めていた。そこで何軒もの不動産屋をまわって探し出したのが、勲が住む夕日ケ丘と美智子が住む鴎台の中間あたりに位置する桜ケ丘の一角に建っている築後十年の中古の一軒屋だった。お互い公務員だから給料に恵まれているとは言い難く新築は最初から諦めていたものの、なるべく新しい家を探していたその条件にまずまず合った物件だった。管理している不動産屋から紹介してもらった工務店にリフォームを依頼し、家具は思いきって新品を揃えることにした新しい我が家。
 籍を入れる一週間前に周りの家には勲と美智子の二人で簡単な挨拶をすませたものの、期末テストなどで忙しかった雅美と万里子は、まだ新しい家に足を踏み入れたことがない。机やタンスなどそれぞれの部屋の調度品も新品を揃えると言われて、教科書や参考書などを旅行に出発する二日前に宅配業者に預けたきりだ。
 そんな新しい家にもうすぐ到着するのだと思うと、雅美も万里子も、どうにも落ち着かない。浮き浮きした期待感と少しばかりの緊張感が混じり合った、なんとも表現しようのない妙な感覚だった。
「あ、そうそう。帰る前に《ミモザ》に寄ってくださいな。ちょっと買い物をしたいから」
 弾んだ声のまま、ふと思いついたように美智子が言った。
 ミモザというのは、正式には《ショッピングセンター・ミモザ桜ヶ丘》という名前の、少し大きな街ならどこにでもありそうな、中核になるスーパーマーケットと、それを取り巻く数多くの専門店とから成る郊外型のショッピングモールのことだ。
「ああ、いいよ。家に着いたら僕はレンタカーを返しに行かなきゃいけないから、買い物は今のうちに済ませておいた方がいい。夕飯の材料かい?」
 勲は鷹揚に頷いた。
「いいえ、夕飯の材料なら、無理して買った大型冷蔵庫の中に旅行前にぎっしり詰め込んでおきました。そうじゃなくて、今のうちに買っておかないと間に合わなくなりそうなものです」
 美智子はくすっと笑って、雅美の方をちらと見た。
「雅美ちゃんのおむつですよ。まさかそんなに要らないだろうと思って一番小さなパッケージを買ったんだけど、もう残りが少なくなっちゃったんです。このままだと、今夜のおねしょの分まであるかどうか」
「そんな……もう、おむつなんて要りません。家の中だったらパンツで大丈夫です」
 美智子の言葉に、雅美は慌ててかぶりを振った。
「へーえ、『家の中ならパンツで大丈夫』ってことは『お外だったらおむつが要ります』って自分で認めてるんだ。ちゃんとわかってるなんて、とってもいい子ね、雅美ちゃんは」
 間髪入れずに、からかうような万里子の声が飛んでくる。
「やめてよ、そんな冗談は。本当にもうパンツで大丈夫なんだから」
 かっと顔を熱くして、雅美は隣に座る万里子の顔を見上げた。本当なら、きっと睨みつけるところだが、どこか自信がなくて、おどおどした態度になってしまうのが自分でも情けない。
「はいはい、わかりました。そうね、雅美ちゃんはもうお姉ちゃんだもの、パンツで大丈夫よね。なんたって幼稚園の年長さんだもん、赤ちゃんじゃないんだもん、パンツで大丈夫よね」
 万里子はまるで口調を変えずに、わざとらしい笑顔で言った。
「ほらほら、万里子ももうそのへんでやめておきなさい。雅美ちゃんが恥ずかしがってるじゃない」
 たしなめるように万里子に言ってから、美智子はもういちど雅美の顔に目をやった。
「でも、おむつを外すのはまだ無理なんじゃないかしら。雅美ちゃん、おねしょ癖だけじゃなくて、おもらし癖もあるみたいだもの。今までずっと一人で後片づけしてきたんでしょう? でも、これからは私と万里子がちゃんとしてあげるから遠慮しないで甘えていいのよ。だから、おねしょ癖とおもらし癖が治るまではおむつしとこうね。新しいおうちをおしっこで汚しちゃって、そのことを雅美ちゃんが気にしたら可哀想だもの」
 美智子の口調は穏やかだったけれど、雅美がこれまでずっとおねしょやおもらしの癖を父親に隠して生活してきたと決めつけるような言い方だった。
「そんな……私、これまで、おねしょもおもらしもしたことなんてありません。隠していたんじゃなく、本当にしていません」
 雅美は弱々しく首を振った。
「いいのよ、お父さんがいるからって、そんなにムキにならなくても。お父さんだって、これまでのことを今さら叱ったりしませんよ。たとえ雅美ちゃんが隠していたんだとしても」
 美智子はわざと優しく言った。
「そんな……」
 どんなに説明しても美智子がまるで聞く耳を持たない態度だということを直感して、雅美は返す言葉をなくしてしまう。まさか、本当は雅美がおねしょ癖もおもらし癖も持っていないことを知っていながら美智子がそんなことを言っているんだなんて思いつきもしない。
「ああ、でも、そうね。雅美ちゃんがそんなに言うなら、本当におもらし癖もおねしょ癖もないのかどうか確かめてみましょう。――今日と明日、おむつを汚さなかったらパンツで大丈夫だって認めてあげる。これでどう?」
 美智子は体をひねって助手席から雅美の顔を覗き込んだ。
「確かめるもなにも、私はおねしょなんてしません」
 なおも雅美は言い募る。本当なんだ、本当にこれまでおねしょなんてしたことないんだ。旅館での出来事は何かの間違いなんだ。
「あらあら、そんなこと言って、本当は自分で認めるのが怖いんじゃないの? これまでずっとお父さんに隠していた恥ずかしい秘密を知られてどうしていいかわからなくなって、そんなに意地を張っているんじゃないの?」
 美智子はくすっと笑った。
「違います。そんなじゃありません」
 どうしてわかってくれないの。どうして私の言っていることを信じてくれないの。いくら言ってもわかってくれないという無力感が次第次第に雅美の胸を満たしてゆく。
「あら、違うの? でも、旅館では二晩続けて失敗しちゃったのよ。それに、昼間もおもらしで何枚もおむつを汚しちゃったし。昨日の滝の近くと今日の高速道路のパーキングエリアじゃ、トイレを待っている間に我慢できなくなっておもらししちゃうし。どう違うのかしら?」
 美智子はじわじわと雅美を追い詰めてゆく。
「だって、いつもはあんなことないんです。お布団をおしっこで汚しちゃったことなんてないし、トイレを待つのが我慢できなくなったことなんてないんです」
 お願いだからわかって。雅美は力なく首を振って訴えかけた。
「だから、それを確かめてみましょうって言っているのよ。二日間だけの辛抱ができないのかしら。そんなにいやがるところをみると、自信がないんじゃないのかなって思われても仕方ないと思うけど?」
「そんな、自信がないなんて……」
「じゃ、いいわね。自信があるならちゃんと試してみましょう。試してみて、一度もおむつを汚さなかったらその時は胸を張ってパンツを穿けばいいんだから」
 これで最後よというふうに美智子は決めつけた。
「……」
 頷くこともできず、首を横に振っても無駄だということも痛いほど思い知らされ、雅美は無言で唇を噛みしめることしかできなかった。
「はい、決まりね。――あ、ちょうど、ミモザが見えてきたわ。今度は大きなパッケージを買っておいた方がいいかしら」
 美智子が言う通り、広い駐車場に取り囲まれたお洒落なショッピングモールはもう目の前に迫っていた。




 立体駐車場の三階がショッピングゾーンへの連絡口になっている。
 専門書の品揃えが豊富な大型書店のある四階に向かった勲と別れて、美智子と万里子それに雅美の三人は、日用品関係の専門店が集まっている二階におりた。新居探しやリフォームの準備のために何度も桜ヶ丘に足を運び、そのたびにここミモザを訪れてもうすっかり慣れ親しんでいる美智子とは違って、どんな専門店があるのか興味津々といった感じで万里子はきょろきょろと頭を巡らせながら歩いて行く。
 そうして、一軒の店の前を通り過ぎた時、万里子は前を行く美智子に慌てて声をかけた。
「あ、お母さん、ドラッグストアを通り過ぎちゃったよ。いいの、紙おむつを買わなくて?」
「ああ、いいのよ。この先に子供服とベビー用品の専門店があるから、そこで買うわ。そっちの方が品揃えも多いし」
 美智子は歩く速度を緩めることもなく、僅かに首だけまわして言った。
 そこから五軒ほど先に、美智子が言った通り、子供服とベビー用品の店があった。
 平然とした態度で店に入って行く美智子。店内の壁いっぱいに陳列してある子供服を物珍しそうに眺めながら入口に足を踏み入れる万里子。そうして、どこか気後れしたように万里子に引きずられるみたいにして店に入る雅美。
「いらっしゃいませ」
 愛想良く挨拶するレジの若い女性店員に笑顔で軽く会釈を返した美智子は、ミモザへ来るたびに何度かこの店も訪れていたようで、さほど迷うふうもなく、幾つもの陳列棚と陳列棚の間の通路をすたすたと歩いて行く。

「さ、ここよ。ここで雅美ちゃんのおむつを選びましょう。万里子、どれがいいと思う?」
 ひとつの陳列棚の前で立ち止まった美智子は、かたわらに立つ万里子に言った。
「え? 雅美ちゃんのおむつって、これ?」
 万里子は訝るような表情で美智子の顔と陳列棚を見比べた。
「そうよ。紙おむつは使い捨てだけど、こっちは何度も使えて経済的だもの」
 こっちといって美智子が指差したのは、陳列台に並んでいる色々な柄の布おむつだった。
「いや、そんなの、いや……」
 ドビー織りの生地を裁断して縫製し、二十枚を一組にして透明のビニール袋で包装した仕立てあがりの布おむつを目にして、雅美はぷるぷると首を振った。紙おむつでも恥ずかしいのに、それこそ本当に赤ちゃんみたいな布おむつなんて。
「あら、どうして? どうしていやなの? こんなに可愛い柄のおむつなのに」
 万里子は三色の水玉模様をプリントしてある布おむつのパッケージを陳列棚から取り上げると、それを雅美の目の前に差し出して、悪戯っぽい口調で言った。
「だって……今日と明日、試しに使うだけなんだから。……明後日になればもう使わないんだから、使い捨ての紙おむつでいいんだし……」
 何度か口ごもりながら、雅美は弱々しく言った。
「そうね、今日と明日しか使わないわね。でも、それは、雅美ちゃんがその間おむつを一度も汚さなかったらよ。一度でも汚しちゃったら、その後はずっとおむつなのよ。だったら、お洗濯をして何度も繰り返して使える布おむつの方がいいと思うんだけど?」
 美智子は腰をかがめ、声をひそめて言った。
「汚しません。今日も明日もおむつを汚したりしません。だから……」
 上目遣いで言う雅美の言葉を遮って美智子は決めつけるように言った。
「でも、絶対なんてことはないんだから、ひょっとしたら汚しちゃうかもしれないじゃない。その時になって布おむつにしたら二度手間だから、今のうちに買っておくのよ。――万里子、どれがいいと思う?」
「ん〜と、これかな。お母さんが持ってる水玉模様のもいいけど、このキティちゃんのが可愛いと思う」
 万里子は、陳列棚に並んだ幾つものパッケージを見渡して、ハローキティの顔がピンクの染料でプリントしてある布おむつを手にした。
「ああ、それね。万里子ならそれを選ぶと思っていたわ。でも、水玉模様もいいと思わない? いかにも布おむつって感じの柄で、なんとなく懐かしい感じがするんだけど」
 美智子は、万里子が選んだおむつと自分が手にしているおむつを見比べて言った。
「たしかに、そう言われればそうかも。じゃ、どっちも買えばいいじゃない。どうせ、たくさん要るようになると思うし」
 万里子は雅美の顔をちらと見て面白そうに言った。
「そうね、一度に五枚あてて、一日に八回おもらしするとしたら、四十枚要ることになるのね。翌日の朝に洗濯してすぐ乾けばいいけど、二日分としても八十枚は買っておかなきゃけいないのよね。袋に入っているのは二十枚だから、四袋要るわけね。だったら、いろんな柄を買ってみるのもいいわね」
 万里子に言われるまま、美智子はわざと雅美に見せつけるようにして指を折った。
「そうね、とりあえず、それで今日と明日の分は足りるんじゃないかしら。もしも雅美ちゃんが失敗しちゃったら、もっと買いに来なきゃいけなくなるけど」
 くすっと笑ってそう言った万里子は、美智子が提げているプラスチック製の買物カゴにハローキティ柄の布おむつを入れた。
 それに続いて美智子が、それまで持っていた水玉模様のおむつを入れ、それから、あと二袋、別の柄のおむつを選んで買物カゴに入れる。
「とりあえず、おむつはこんなもんね」
 買物カゴの中で重ね合わせた布おむつのパッケージに確認するように目をやって、美智子はぼつりと呟いた。
「あ、でも、おむつカバーはどうするの? 赤ちゃんに比べれば体の大きい雅美ちゃんに合うカバーなんてあるのかな?」
 こちらも買物カゴの中を覗き込んだ万里子が、あっというふうに顔を上げた。
「ああ、それは大丈夫。仕事柄、お買い物に出た時はなるべく子供服とかの専門店を見てまわるようにしているんだけど、最近じゃどのお店も大きなサイズのおむつカバーを置くようになったみたいだから。紙おむつもそうだけど、子供のおむつ離れが遅くなった分、メーカーも販売店もそのニーズに応えようとしているみたいね」
 にっと笑ってそう言った美智子は、ついてらっしゃいと万里子に手招きをして、おむつが並んだ陳列棚の裏にまわった。
「ほら、ここ。いろんなサイズのが並べてあるわよ。――このくらいかな」
 美智子が言うように、裏側の陳列棚には、デザインや柄もさることながら、サイズも大小様々なたくさんのおむつカバーが並んでいた。その中から、美智子は、一枚のおむつカバーを取り上げると、すっと腰をかがめて、手にしたおむつカバーを雅美のスカートの上から紙おむつの上に押し当てた。
「うん、『学童用SSサイズ』、このくらいがいいわね、雅美ちゃんには」
「あ、本当。それでぴったりだと思うわ」
 紙おむつの上におむつカバーを押し当てられて思わず逃げ出しそうになる雅美の体を強引に押しとどめて、腰をかがめた万里子が相槌を打った。
「だけど、サイズもそうだけど、柄もいろいろあるのね。雅美ちゃんくらいの体に合うおむつカバーなんて、病人用っていうか、ベージュとかブルーとかの地味な色のばかりだと思ってた。こんなに可愛い、本当に赤ちゃんが使うみたいな柄のがあるなんて知らなかったわ」
 万里子は、尚もおむつカバーのサイズを念入りに確認している美智子の手元を覗き込んで感心したように言った。
「ああ、薬局とかに売ってるのだったら今でもそんな感じよ。どうしても介護用品のメーカーのルートが主になるから。でも、ここみたいにベビー用品の専門店だと、赤ちゃん用のおむつカバーを作っているメーカーが大きなサイズのを出したらすぐに仕入れて展示してくれるのよ。赤ちゃん用のカバーを作っているメーカーなら、味気ないデザインのばかりじゃなくて、子供が喜びそうな可愛い柄の生地も使うしね。いろんなお店を見てまわってそのことに気がついたから、ドラッグストアじゃなくてここで買おうと思ったの。旅行の間は急いでいたから、お店を探す余裕もなかったけどね」
 おむつカバーをいろいろな角度から雅美のお尻に押し当てながら美智子は言った。
「それに、柄だけじゃなくて、赤ちゃん用のおむつカバーを作っているメーカーは、形も介護用のとは違ったものを作っているからいろいろ選べるのよ。介護用だと、漏れにくくすることばかりに気を遣うから、またがみも深くて全体的にぼてっとした形になりやすいんだけど、ほら、このおむつカバーはすっきりした感じに仕上がっているでしょう?」
 美智子はようやく得心したように頷いて、それまで雅美のお尻に押し当てていたおむつカバーを万里子の目の前に差し出した。
「昔は、両脚の間を通す股あてのおむつと一緒に横あてのおむつを使うやり方が多かったんだけど、それだと赤ちゃんの脚を圧迫して股関節脱臼になりやすかったの。それで、股あてのおむつだけを使う方法に変わってきたんだけど、これは、赤ちゃんの股おむつ用のカバーと同じ形になっているのよ。だから見た目もすっきりしているし、なにより、介護用カバーのメーカーが作っているのと違って雅美ちゃんのあんよのじゃまにならないのがいいわね」
「ふぅん、おむつカバーって一口に言ってもいろいろあるんだね。じゃ、このおむつカバーだったら、雅美ちゃんが着けてる紙おむつくらい薄くてすむの?」
 万里子は、美智子が手にしたおむつカバーをしげしげと眺めて言った。
「ううん、それは無理ね。いくら見た目がすっきりしているとはいっても、吸水材でおしっこを固めちゃう紙おむつとは違って一枚一枚の布おむつが吸い取れるおしっこの量には限りがあるから、最低でも五枚くらい要る筈よ。そうなると、布おむつの厚みで、どうしてもお尻がもこもこしちゃうのは仕方ないわ。万里子も町中や公園で見たことがあると思うけど、おむつカバーでスカートをぷっくり膨らませてよちよち歩いている二歳とか三歳くらいの女の子がいるでしょう? あんな感じになると思うわ。最近の紙おむつみたいに薄くすませるのはとてもじゃないけど無理よ」
 美智子は、手にしたおむつカバーと雅美がスカートの下に着けている紙おむつとを見比べて言った。
「あ、そうなんだ。でも、そんな雅美ちゃん、とっても可愛いかも。今よりずっと可愛くなりそうだね」
 美智子の言葉に万里子は顔を輝かせた。雅美を今よりずっと小さな妹扱いできそうだと思うと知らず知らずのうちに頬が緩んでくる。
 一方、雅美の方はたまったものではない。今でも我慢できないほどの恥ずかしさなのに、それよりもっと恥ずかしい姿をさせられるなんて。
「いや、そんな格好、いや……」
 万里子が肩を押さえつけているから逃げようがない。それでも雅美は身をよじって訴えかけた。
「あら、雅美ちゃんは布おむつが嫌いなの? ふぅん、紙おむつの方がいいのね。じゃ、いいわよ。『雅美、紙おむつの方が好きです。紙おむつだったらずっと着けています。だから紙おむつにしてください』って言ったら布おむつはやめてあげる。その代わり、今日と明日だけじゃないわよ。これから先、ずっとパンツじゃなくて紙おむつよ」
 雅美の訴えに対して、美智子は、紙おむつの上から雅美のお尻をそっと撫でて言った。
「そんな……」
 美智子に言われて返す言葉を失う雅美。
「あら、どうしたの? 紙おむつの方がいいんじゃないの? 雅美ちゃんの好きな方を選んでいいのよ。これからずっと紙おむつにするか、今日と明日、試しに布おむつにするか。雅美ちゃんはどっちがいいのかな」
 美智子は、返事のしようがなくて黙りこくってしまった雅美の顔を正面から覗き込んだ。
「……」
 紙おむつと布おむつ、どっちがいいかなんて恥ずかしい問いかけに応えられるわけがない。かといって、どっちもいや、パンツにしてと懇願しても取り合ってもらえないのも身にしみて思い知らされている。雅美には、ずっと黙りこくっているしかなかった。
「そう、自分じゃ決められないのね。それじゃ、最初の約束通り布おむつにしましょう。今日と明日、おむつを汚さないか試してみましょうね」
 約束なんかしたわけじゃない。美智子が勝手に言いだしたことだ。それでも美智子は『約束』というところを強調して決めつけた。
「えーと、おむつを取り替える時、三回に一回はおむつカバーも新しいのにするとして、とりあえず五枚あればいいわね。万里子、あと四枚選んでちょうだい。学童用SSサイズで、なるたけ可愛い柄のをね」
 雅美が黙り込んだままなのをいいことに、美智子は万里子におむつカバーを選ばせて買物カゴに入れていった。
 それを、けれど雅美は黙って見つめているしかなかった。これから自分が使うことになるおむつカバーを妹が楽しそうに選んでいる様子をじっと見つめることしかできない雅美だった。

「――円ちょうどお預かりいたします。ありがとうございました」
 レジの若い女性店員は朗らかな声で受け答えをして、布おむつとおむつカバーを入れた紙袋を美智子に手渡した。
「ありがとう。それで、ちょっとお聞きしたいんですけど」
 美智子は紙袋を受け取りながら女性店員に話しかけた。
「はい、なんでございましょう」
 店員は相変わらず愛想良く応える。
「どこか、おむつを取り替えられるような所はないかしら。この子のおむつ、すぐに取り替えてあげたいんだけど」
 この子といって、美智子は雅美を指差してみせた。
「はい、それでしたら、右手奥にお手洗いがございます。お手洗いの入口にお子様のおむつを取り替えていただけるよう、簡易ベッドを用意してございます。小学校の中学年くらいのお子様までお使いいただけますから、お嬢様には充分かと思います」
 店員は、いったん雅美の体に目をやってから店の奥の方を掌で示した。
「ありがとう。それじゃ、ちょっとお借りします」
 店員からトイレの場所を聞いた美智子は、平然とした様子で踵を返した。
 それに続いて、雅美の手を引いた万里子も歩き出す。
「待って、待ってよ。雅美、おむつ汚してないよ。おもらしなんてしてないんだから、おむつ、このままでいいよ」
 店員がいるから実際の年齢にふさわしい言葉使いはできない。こらえきれない恥ずかしさを我慢して幼児言葉を真似ながら、雅美は万里子に連れて行かれまいとして両足を踏ん張った。
「あらあら、違うのよ、雅美ちゃん。お母さんが雅美ちゃんのおむつを取り替えるのは、雅美ちゃんがおもらしをしちゃったからっていうわけじゃないの。お母さんにもわかってますよ、雅美ちゃんがお店の中でおむつを汚しちゃうようなお行儀の悪い子じゃないことは。雅美ちゃんはとってもいい子だものね。お母さんは雅美ちゃんに新しいパジャマを買ってあげたいの。でも、紙おむつと違って布のおむつはどうしてもお尻のところが膨れちゃうから、新しいパジャマを試しに着る時、薄い紙おむつのままじゃ、窮屈じゃないかどうかわからないでしょ? それで、布のおむつに取り替えてからパジャマを試しに着てほしいのよ」
 万里子が手を引いても両脚を踏ん張ってなかなかついてこない雅美に向かって、美智子はあやすみたいに言い聞かせた。
「雅美ちゃんに新しいパジャマを買ってあげるの?」
 美智子の言葉に反応したのは万里子だった。美智子が何か企んでいると直感して、瞳が輝く。
「そうよ。雅美ちゃんのおねしょが続くのは、眠っている時にお腹が冷えちゃうからかもしれないでしょう? だから、少しくらい寝相が悪くてもお腹が出ないようなパジャマを買ってあげようと思うのよ」
 わざと優しく美智子は言った。その言葉を聞くだけなら、娘のおねしょを少しでもよくしてやろうとしている普通の母親としか思えない。まさか、女子大生にわざとおねしょをさせておむつを強要していると思う者はいないだろう。
「え、でも、そんなパジャマがあるの?」
 何か面白いことになりそうだという期待に万里子は声を弾ませた。
「ありますよ。万里子だって小さい頃には着ていたんだから。じゃ、おむつの前にパジャマを見てみましょう。可愛いパジャマを実際に見たら雅美ちゃんだって欲しくなって、素直におむつを取り替えさせてくれるかもしれないし」
 意味ありげに微笑んで、美智子は体の向きを変えて歩き出した。
「ほら、雅美ちゃんも行きましょう。よかったわね、新しいパジャマを買ってもらえるんだって」
 なかなか動こうとしない雅美の体をひょいと抱き上げて、万里子が美智子のあとに続いた。

「ほら、こんなのがあるのよ」
 おむつの陳列棚から二筋はなれた所がパジャマや下着のコーナーになっていた。新生児用の肌着などは袋に入れて並べてあるのだが、三歳よりも上くらいの子供が身に着けるような大きさのパジャマは、試着もできるようにハンガーに吊って陳列している。そんな中から美智子は一着のパジャマをハンガーごと持ち上げて万里子と雅美に見せた。
「ふぅん、こんなふうになってるんだ。確かに、これならお腹が出ることはないわね」
 万里子は、美智子が手にしたパジャマに顔を寄せた。
 そのパジャマは、ズボンの前の部分がウエストまでしかないのではなく、胸当てみたいな感じで上の方に伸びていて、その胸当てを上着の胸元にボタンで留めるようになっていた。 これなら、かなり寝相が悪くてもお腹が出ることはないだろう。しかも胸当ての部分は子リスや小熊の顔に模したデザインに仕上げてあるからから、小さな子供は喜んで着るにちがいない。
「でしょ? ただ、雅美ちゃんに合うサイズだと六歳児くらいのになっちゃうのよ。そのくらいの年齢だとおむつを使う子は殆どいないから、ズボンのお尻のところはあまり余裕がないような仕立てになっているの。それが心配なんだけど」
 美智子は、生地の伸縮性を確かめるみたいにパジャマのお尻のところを何度か指先で引っ張りながら言った。
「それで、薄い紙おむつじゃなくて布おむつをあてて試着させてみなきゃいけないのね。そうよね、せっかく買っても窮屈で着られないんじゃ無駄だもん」
 万里子は納得したよう頷いて、雅美の手を握った。
「雅美ちゃんもわかったでしょ? わかったら、布のおむつに取り替えてからパジャマを試しに着てみましょうね」
「いや、布のおむつなんていや。おむつカバーなんていやなんだから……」
 レジの前でと同じように、雅美は、トイレへ連れて行かれまいと両脚を踏ん張る。
「やれやれ、聞き分けのない子だこと。ま、いいわ。とりあえず、紙おむつの上から試着させてみましょう。いつまでも売場の中で騒いでいると他のお客さんの迷惑になるばかりだから」
 わざとみたいに溜め息をついて、美智子はやれやれというふうに首を振ってみせた。
「そうね、そうするしかないわね。じゃ、雅美ちゃん、おむつはそのままでいいから試着室に行きましょう」
 万里子は雅美の手を握り直して、トイレではなく試着室の方に歩き出した。
 それでも、まだ雅美は動こうとしない。
「あらあら、駄目じゃない、雅美ちゃん。いつまでも駄々をこねてると、他のお客さんが通路を通れなくて迷惑ですよ。」
 いつまでも足を動かそうとしない雅美に、美智子が腰をかがめて囁いた。
 その声にふと後ろを振り向いた雅美の目に、何やらひそひそ声で囁き交わしている若い母親どうしの姿が映った。声は聞こえないから何を話しているのかはわからない。わからないけれど、雅美にしてみれば、いつまでも駄々をこねる自分のことを囁き合っているように思えてならない。
 若い母親たちの視線を浴びて、ようやく雅美は首をうなだれてとぼとぼと歩き始めた。

 二つ並んでいる試着室の左の方が使用中で、雅美を連れた万里子は右側の試着室に入った。
「じゃ、万里子、このパジャマを着せておいて。その間に私は他のパジャマを何着か選んでくるから」
 美智子は、最初に選んだパジャマを万里子に手渡すと、試着室のカーテンを閉めてパジャマ売場に戻った。
 子供服専門店の試着室は、子供と保護者が一緒に入ることを想定して、一般の衣料品店の試着室より幾らか広い作りになっている。その広い試着室で、万里子は手際よく肩紐のリボンをほどき、手慣れた様子で雅美のサンドレスを脱がせた。
 下にシャツを着ているわけではなくブラも着けていない雅美は、あっというまに、紙おむつとソックスだけになってしまう。
「先にパジャマの上着を着てみましょうね。はい、お手々を上げて」
 万里子が雅美の両手を頭の上に上げさせてパジャマの上着をすっぽりかぶせようとした時だった。
「ママ、早苗、これがいい」という幼い女の子の声が聞こえたかと思うと、試着室のカーテンがさっと引き開けられた。
 突然のことに驚いた表情で雅美と万里子が振り向くと、幼稚園児くらいの女の子が、カーテンの端をつかんで試着室の入り口のすぐ外に立っていた。
「あれ? ママとお姉ちゃんじゃないや」
 女の子は雅美と万里子の姿を見るなり、きょとんとした顔で言った。
 そのすぐ後、左側の試着室からカーテンが開く音が聞こえて、それに続いて、きょとんとしたまま立っている女の子の母親らしき女性の声が飛んできた。
「こっちよ、早苗。お姉ちゃんの洋服、左の試着室で合わせてるから、自分のが決まったらこっちへ来なさいって言ったでしょ」
 その声に、早苗と呼ばれた女の子は慌ててとんで行った。
「でも、ママ、左ってお箸を持つ方じゃなかったっけ?」
 母親と姉が待っている左側の試着室から早苗の声が聞こえる。
「違うわよ。お箸を持つ方が右で、お茶碗を持つ方が左よ。何度言ったらわかるの? もう年中さんなんだからしっかりしてちょうだい」
 叱るというより、ちょっと呆れたような声で母親が言った。それから、少し心配そうな口調で早苗に尋ねる。
「それより、間違って開けた試着室、誰もいなかった?」
「あ、いたよ。おっきいお姉ちゃんとちっちゃいお姉ちゃん。おっきいお姉ちゃんは大人の人みたいで、ちっちゃいお姉ちゃんは早苗よりおっきいけど、香奈お姉ちゃんよりちっちゃかったよ」
 香奈というのは母親と一緒に試着室に入っている、早苗の姉のことだろうか。幼稚園か保育園かはわからないけれど年中クラスとは思えないほどしっかり雅美と万里子のことを観察している早苗だった。
「あ、誰かいらしたの? ――あの、すみません。急に娘がカーテンを開けちゃったみたいで、本当にすみません」
 早苗と話している時とは違って、はっきりした声が聞こえてきた。どうやら、試着室から顔を出してこちらに声をかけているようだ。
「あ、いいえ。気になさらないでください。子供にはよくある間違いですから」
 母親の声に、万里子も試着室から顔を覗かせて言った。
 そうして、何度か互いに会釈を繰り返して顔を引っ込める。
 その間、カーテンは開けっ放しで、雅美は買物客たちの視線を痛いほどに感じていた。あら、あの子、幼稚園か小学校くらいなのにパンツじゃないわよ。ほんとだ、まだおむつ離れしてないのかしら。そこここでそんな会話が交わされているような気がして羞恥に身を焼かれる思いだった。
 ようやく万里子がカーテンを閉めた後もその羞恥は消え去らない。むしろ、左の試着室から聞こえてくる早苗と母親の会話が余計に雅美の羞恥を掻きたてる。
「さっき顔を出したのがおっきいお姉ちゃんね。大学生くらいかしら、年齢もそうだけど体つきもよさそうで、本当、早苗が言う通り、おっきいお姉ちゃんね」
 試着室の薄い間仕切り越しに母親の声が聞こえた。初対面で万里子の年齢を言い当てる者はまずいない。誰もが三つ四つ上に見るから、そう言われるのに万里子も慣れている。
「それで、ちっちゃいお姉ちゃんっていうのはどんな子なのかな。早苗と同じくらい?」
 続けて母親は訊いた。
「ううん。早苗よりおっきいの。でも、香奈お姉ちゃんよりはちっちゃいの。だけどね……」
 早苗が言い淀んだ。このくらいの年齢の子供というのは、思ったことはなんでもすぐ口にする。言っていいかどうか迷うのは珍しいことだ。
「……だけどね、早苗よりおっきいのに、パンツじゃないんだよ」
 自分だけが知っている秘密をこっそり打ち明けるみたいに早苗は言った。
「パンツじゃない?」
 早苗が何を言っているのかいまひとつわからないようで、母親が聞き返す。
「うん。あのね、お隣の美保ちゃんみたいにおむつなの。パンツじゃなくて、おむつだったよ、ちっちゃいお姉ちゃん」
 自分ではひそひそ声で話しているつもりなのかもしれないけれど、子供はもともと声が大きい。早苗の声は、雅美や万里子だけでなく、店内にいる誰もの耳に届いた。
「え? そりゃ、お隣の家の美保ちゃんはまだ二つだからおむつで仕方ないけど、ちっちゃいお姉ちゃんっていうのは、香奈よりは小さいにしても早苗よりおっきいんだから、幼稚園の年長さんとか小学校の低学年くらいよね。なのにおむつだなんて、早苗の見間違いじゃないの?」
 たぶん声をひそめたのだろう、母親の声が少しくぐもって聞こえた。
「早苗、間違ってないよ。だって、美保ちゃんのおむつと同じ絵が描いてあったもん、お尻のところに。だから、美保ちゃんのと同じおむつだよ。絶対そうだよ」
 見間違いじゃないのと言われて、早苗は言い募った。おそらく、美保という子が使っている紙おむつと美智子が買った紙おむつが同じブランドのサイズ違いの品なのだろう。
「そう。早苗がそんなに言うならそうかもしれないわね。早苗は早かったけど、おむつ要らなくなるのは、みんなばらばらだもんね。その子はまだおむつ離れしていないのかもしれないわね」
 少し考えて母親は言った。小さな子供を持つ母親だから、最近の子供のおむつ離れが遅くなっているということも育児雑誌で読んだこともある。早苗がこれほど言うならそうだろうと納得してしまう。まさか、早苗のいう『ちっちゃいお姉ちゃん』というのが実は女子大生だということも知らずに。
「それでね、ちっちゃいお姉ちゃん、とっても可愛かったんだよ」
 自分の言うことをようやく信じてもらえたのが嬉しいのだろう、早苗は声を弾ませた。
「可愛いって、でも、早苗よりおっきいんでしょう? 可愛いっていうのは、自分よりちっちゃい子に言うのよ、普通は」
 母親はたしなめるように応えた。
「だって、可愛かったんだもん。美保ちゃんみたいなおむつで、おっきいお姉ちゃんにパジャマを着せてもらってたんだよ。早苗、お家でも保育園でもちゃんとお着替えできるのに、ちっちゃいお姉ちゃん、おっきいお姉ちゃんにパジャマを着せてもらってたんだよ。美保ちゃんと同じだよ。だから、背は早苗よりおっきいけど、美保ちゃんみたいで可愛かったんだもん」
 早苗は弾む声で繰り返した。
「だけど、ここじゃ早苗もママが着せてあげてるでしょ? 新しいお洋服を試しに着る時は、汚したり破ったりしちゃいけないから大人の人に着せてもらうのよ。その子もお家じゃちゃんと自分でお着替えしてるんじゃないかな」
「そうかなぁ。だって、おむつの子だよ。おむつの子が一人でお着替えできるかなぁ」
 母親の言葉に、早苗は疑わしそうに応えた。
「うふふ、そうよね。旅行の間、ずっと私が着替えさせてあげてたのよね、雅美ちゃん。あの早苗ちゃんっていう子の言うこと、間違ってないわよね」
 早苗の言葉に、面白そうに笑いながら万里子が雅美の耳元で言った。
「……」
 言われても雅美は反論できない。強引にとはいえ、旅行の間中、万里子が着替えさせていたのは事実だ。そして、雅美が恥ずかしい粗相をするたびにおむつを取り替えていたのも。
「さ、二歳の美保ちゃんっていう子と同じようにお姉ちゃんがパジャマを着せてあげましょうね。ほら、可愛いパジャマですよ。可愛いパジャマを着て、もっと早苗ちゃんから可愛いって言ってもらえるようになりましょうね」
 早苗が間違ってカーテンを引き開けたためにいったんは手の動きが止まったけれど、万里子はあらためてパジャマの上着を雅美の頭の上からすっぽりかぶせ、両方の袖に腕を通して裾を引っ張った。
「うん、いい感じね。袖の長さはぴったりだし、丈もこんなとこかな」
 万里子はパジャマの上着の裾を整え、袖口を引っ張ってサイズを確認すると、満足したように頷いた。袖口はちょうど手首のところだし、丈は紙おむつを三分の一ほど隠すくらいの長さで、全体の丸っこいラインが雅美の幼児体型をぴったり包み込んでいる。
「じゃ、次は下ね。ズボンはどんな感じかな。はい、右足を上げて」
 万里子は雅美を自分の肩につかまらせてパジャマのズボンを穿かせ、ゴムを広げながらウエストを一気に引き上げた。
「ええと、このボタンかな」
 ウエストをおヘソの上まで引き上げた後、子リスの顔を模した胸当てを上着の胸元まで引っ張って、子リスの耳のところに開いた穴にボタンを留める。こうするとズボンがずれないから、お腹が出る心配はない。
「うん、これでよし。鏡を見てごらん、雅美ちゃん。可愛くなったわよ」
 胸元のボタンを留めてズボンがずれないのを確認した万里子は、試着室の間仕切りに填め込んである大きな姿見の鏡の前に雅美を立たせた。
 鏡の中には、幼児向けのパジャマを着て、パジャマのお尻のところを少しだけ膨らませた可愛らしい女の子が立っていた。その姿を見て、それが本当は十八歳の女子大生だと言われても信じる者はいないに違いない。
「あとで早苗ちゃんにも見てもらおうか。こんなに可愛らしくなったよって言って」
 万里子は、鏡に映る雅美の姿を指差して、からかうように言った。
「……」
 いったんは鏡に映る自分の姿を目にした雅美だけれど、まるで幼児にしか見えないその姿に、慌てて目を伏せてしまう。
 突然、カーテンを引き開ける音が聞こえた。
 雅美の体がこわばったが、今度は誰かが間違って開けたのではなく、売場で別のパジャマを選んでいた美智子が戻ってきて中の様子を覗くためにカーテンを引き開けたのだった。
「具合はどう?」
 カーテンを半分ほど引き開けた美智子は、幼児用のパジャマを着せられた雅美と万里子を見比べて言った。
「見ての通り、ぴったりよ。でも、やっぱり、お尻のところはこのままじゃわからないわね。思ったより余裕はあるかなとも思うけど、実際に試してみないと」
 万里子は、美智子の目の前で雅美のお尻をパジャマの上からぽんぽんと叩いた。
「そうね、やっぱり試してみないといけないみたいね。雅美ちゃんも実際にパジャマを着てみて、こんなに可愛いのなら布おむつを試してみてもいいかなって思ってるでしょうし。いいわ、そのまま連れて行きましょう」
 勝手に決めつけて、美智子は、雅美を抱いてついてくるよう万里子に命じた。
「いや、そんなの、いや!」
 雅美は逃げようとするが、間仕切りと壁に囲まれた試着室のことだ、万里子に簡単につかまって軽々と抱き上げられてしまう。
「ほらほら、暴れちゃ駄目。おとなしくしてないと落ちちゃうわよ。ちゃんと連れて行ってあげるからおとなしくしてましょうね。――あ、そうそう。ついでだから、本当に早苗ちゃんに見てもらいましょうか」
 雅美の体を横抱きにして試着室から出た万里子は、左側の試着室の前に大股で歩いて行った。
 ちょうど早苗の着替えも終わったのか、さっとカーテンが開いて、早苗と母親、それに香奈という姉の姿が現れた。香奈はピアノの発表会にでも着るのか丸襟のブラウスに紺の吊りスカートというおとなしそうな格好で、一方の早苗は薄手のトレーナーにピンクのキュロットという活動的ないでたちだ。
「あ、さっきのおっきなお姉ちゃんとちっちゃなお姉ちゃんだよ、ママ」
 早苗は、二人の姿を目にするなり嬉しそうに言った。
「さきほどは早苗が不作法なことをしまして申し訳ありませんでした」
 母親は再び頭を下げた。
「あの、本当に気にしていませんから。――それより、早苗ちゃん。どう、雅美ちゃん、可愛い?」
 万里子は、横抱きにしていた雅美を地面に立たせた。
「うわっ、かっわい〜い。ちっちゃいお姉ちゃん、雅美ちゃんっていうの? うん、可愛いよ。ね、ママ、ちっちゃいお姉ちゃん……雅美ちゃん、可愛いでしょ? 早苗の言った通りでしょ? 早苗よりおっきいけど、でも、可愛いでしょ?」
 すぐ目の前に立つ雅美の姿に、新しい人形でも買ってもらったかのように早苗は大はしゃぎだ。
「あら、本当、とっても可愛らしい子ね。――雅美ちゃんでしたっけ、お年はおいくつですか?」
 早苗よりもいくらか背の高い雅美の年齢を推し量るみたいにじっと見て、母親は万里子に訊いた。
「五歳です。幼稚園の年長さんなんです」
 旅行の間中ずっと繰り返し口にしてきた偽りの年齢だ。まるで迷うふうもなく万里子は母親に告げた。
「そうなんですか。背も高いし早苗より上かなとは思ったんですけど、でも、どこか早苗より幼い感じがしたもので――それで、早苗はさかんに雅美ちゃんのことを可愛い可愛いって言うのかしら」
 母親は、どこか不思議そうな表情で雅美の顔を見おろした。
「ひょっとしたら、おむつのせいかもしれませんね。年長さんなのにまだおむつ離れしていなくて、それが原因で自分のことを実際の年齢よりも小さな子供だと思いこんで、それで早苗ちゃんよりも幼い雰囲気があるのかもしれません」
 実際の年齢よりも幼いと自分で思いこんでいるわけではない。美智子と万里子が本当の年齢よりもずっとずっと幼いと雅美に思いこませようとしているのだ。それをおくびにも出さず、万里子はしれっとした顔で言った。
「あの、それじゃ、本当におむつを? いえ、最近は子供のおむつ離れが遅くなっているというのは聞いたことがあるんですけど、早苗の行っている保育園じゃ、年長さんでおむつの外れていない子はいないようなので、本当のことなのかどうかちょっと信じられなくて」
 母親は興味深げに瞳を輝かせて、僅かに膨らんだ雅美のズボンをみつめた。
「そうなんですよ。私たち旅行の帰り道なんですけど、旅行の間、雅美ちゃんは一度もトイレへ行ってないんです。車の中でも観光の最中でも、いつもおむつを汚してばかりで」
 嘘ではない。嘘ではないけれど、そうなるように仕組んだのは美智子と万里子だ。
「そうなんですか。それじゃ大変ですね、お母様もお姉様も」
 母親はどこか同情めいた口調で言った。
「あ、いいえ、大変だなんて思ったことはないんです。いつまでも私がいないと何もできない小さな妹でいてくれるんだと思うと、却って嬉しいんです」
 万里子は母親の言葉に軽く首を振ってみせてから、もういちど雅美の体を抱き上げた。
「じゃ、行きましょうか。早苗ちゃんにも可愛いって誉めてもらえてよかったよね」
「あ、雅美ちゃん、どこか行くの?」
 万里子が横抱きにした雅美を見上げて早苗が訊いた。
「ちょっと、トイレへ行ってくるだけよ」
 万里子は早苗に微笑みかけた。
「それじゃ、雅美ちゃん、おしっこを教えられたんだね。だったら、おむつなんてすぐ外れるね。えらいね、雅美ちゃん。ちゃんとおしっこ言えるなんて」
 早苗は勝手に雅美が万里子におしっこを教えたんだと思い込んで、自分のことのように顔を輝かせた。
 けれど、自分よりもずっと年下の幼い女の子の口から出るそんな言葉は、雅美の羞恥を、これでもかとくすぐるばかりだった。
「そうね、これからもちゃんとおしっこを教えてくれたらおむつも外せるわね。でも、どうかしら」
 それまでの優しそうな微笑みではない、どことなく意味ありげな笑みを浮かべて万里子は早苗に言った。

 簡易ベッドは、男性用トイレと女性用トイレとに分かれる場所の壁際に置いてあった。簡易とはいっても、高速道路のパーキングエリアに置いてあるような小さな台ではなく、レジの店員が言った通り、小学生でも充分に寝かせられるくらいの大きさがある。
「はい、おむつを取り替えましょうね。おしっこはまだ大丈夫みたいだけど、汗をかいてるから、新しいおむつは気持ちいいですよ」
 強引にベッドに寝かされ、逃げ出さないよう万里子に肩を押さえつけられた雅美のパジャマの上着を美智子はお腹の上に捲り上げて、ウエストに指をかけてパジャマのズボンを一気に膝のすぐ上まで引きおろした。そうして、ステッチを引っ張って紙おむつのサイドを破ると、雅美のお尻の下から手前へ引き寄せて手早くテープで丸めてしまう。
「今度はふかふかの布おむつにしましょうね。紙おむつよりも柔らかいから雅美ちゃんもすぐ布おむつが好きになりますよ」
 美智子は、レジで支払いをすませたばかりのおむつカバーの包装を紙袋から取り出すと、手早く包装を破いて、おむつカバーを雅美の目の前で広げてみせてから、簡易ベッドの脇に置いてある小物置きの上に置き直した。それから、やはりこれも紙袋から取り出した布おむつの包装を解いて、円筒形に丸めて入れてある布おむつを一枚ずつ丁寧に広げておむつカバーの上に重ねてゆく。もちろん、一枚ごと、これみよがしに雅美に見せつけるのを忘れない。
「さ、準備はできた。じゃ、始めましょうね。すぐにすむから、いい子にしてるんですよ」
 小物置きの上で重ね合わせたおむつとおむつカバーをベッドに移して、美智子は雅美の両方の足首を一つにつかんで高々と差し上げた。そうして雅美のお尻をベッドから浮かせると、そこへ、用意したばかりのおむつとおむつカバーを敷き込む。
「ん……」
 喘ぎ声が聞こえて、雅美の下腹部がびくっと震えた。布おむつがこんなに柔らかな肌触りだとは思ってもいなかった。その柔らかさが羞恥をじわじわと掻きたてて、思わず喘ぎ声をあげてしまう雅美だった。
「パンツタイプの紙おむつを穿かせる時はズボンを全部脱かせなきゃいけないけど、布おむつは、こんなふうに、ズボンを膝のあたりまでおろしておけばいいのよ」
 雅美の両肩をベッドに押しつけたまま美智子の手元を覗き込む万里子に美智子は説明した。
「こうして、或る程度まで両脚を広げてやれば、その間に布おむつを通して、お尻からおヘソの下まで包みこむことができるから」
 美智子は、左手で雅美の足首を差し上げたまま、右手で布おむつの端をつかんで両脚の間を通した。布おむつが両脚の間を通る時、内腿の肌をすっと撫でられるような感触があって、もういちど雅美は下腹部を震わせてしまう。
「昔の方法だと、このおむつに直角に横当てのおむつをあてるのよ。だけど今は横当てを使わない股おむつっていうあて方が主だから、おむつはこれだけでいいの。あとは、こんなふうにして」
 美智子は雅美の足首をベッドの上に戻すと、両脚をいったん真っ直ぐに伸ばさせてから、膝を下から支えて十センチほど上げさせた。こうすると脚の付け根のあたりからくるぶしまでがベッドから浮いて、下半身とベッドの間に隙間ができるから、おむつカバーの横羽根や前当ての調整が楽になる。
「それで、最初に横羽根。右の横羽根と左の横羽根を重ね合わせて、マジックテープで留めるのよ。ほら、こうすると、横羽根が押さえるから布おむつがずれにくくなるでしょう? それに、横羽根を留めることで、それまでお尻の下に広がっていた太腿に当たるところがちゃんと肌に触れ合うようになるの。こうしておいて、前当てを布おむつと同じように両脚の間を通して……」
 おむつカバーの素材は、防水性をもたせているため、木綿や絹のようにふんわり感触にはなっていない。最近のものは割と柔らかになっているものの、それでも、少しごわついて、なんとなくつるりとした独特の肌触りだ。そんな生地が両脚の間を通る時、布おむつとは違った、妙になまめかしい感触を雅美の内腿に伝える。
「……で、前当ての下の方に付いているマジックテープをおむつカバーの腿のあたりに重ねて留めてから、ちょっと強めに引っ張るようにして横羽根に重ねて、ここもマジックテープでしっかり留めるのよ。ここがしっかりしていないと、おむつがおしっこを吸った時、重みでずり落ちることがあるから注意してね。あとは、おむつカバーの裾からはみ出ている布おむつを丁寧におむつカバーの中に押し込んでおくこと。布おむつがはみ出たままだと、せっかく吸い取ったおしっこがそこから漏れ出すから」
 美智子は、おむつカバーの裾からはみ出た布おむつを、特に腿の内側を念入りに親指の先で押し込んでみせた。
「さ、できた。雅美ちゃんはおとなしくしてて、いい子ちゃんでしたね」
 美智子は、おむつでぷっくり膨れた雅美のお尻を、淡いピンクの生地に大小さまざまなキャンディーのイラストを散りばめた柄のおむつカバーの上からぽんと叩いた。
「じゃ、雅美ちゃんを立たせるわよ」
 美智子がもういちどおむつカバーの具合を確認するのを待って、万里子は雅美をベッドから抱き上げて床に立たせた。
「はい、そのまま、立っちして待っててね」
 美智子は、床に立った雅美の膝のすぐ上でくしゅくしゅになっているパジャマのズボンをゆっくり引き上げた。ウエストの部分がおむつカバーに触れるあたりから、特にゆっくり、生地の伸び具合を確かめながら。
 そうして、パジャマのズボンを完全に引き上げ、胸当てを上着の胸元にボタンで留めると、雅美の腰からお尻のあたりを何度も撫でさする。
「うん、大丈夫みたいね。思ったより伸縮性があるから、布おむつとおむつカバーの上に穿かせても、そんなに窮屈じゃないみたい。これならいいわ」
 腰をかがめ、雅美のお尻をじっとみつめて、美智子は満足したように言った。
「じゃ、これに決めましょう。あと、これと同じメーカーの同じサイズのを柄違いで二着探してきたから、合わせて三着。これだけあればいいでしょう。―――もういちど雅美ちゃんを試着室に連れて行ってあげてちょうだい」
 美智子に言われて、万里子は雅美の身体を抱き上げた。




 子供服の専門店をあとにした美智子は雅美を連れて、ショッピングセンターの入り口近くにあった薬局に向かった。一方、万里子は、子供服専門店の向かいにある手芸用品の店に入って行く。
 しばらくしてそれぞれの買物を終えた三人は、駐車場への連絡口に上がる階段の前で再び一緒になった。
「お母さん、薬屋さんで何を買ったの? もう紙おむつは要らないんでしょ?」
 万里子は、美智子が持っている袋を見て言った。
「ああ、おむつかぶれの塗り薬よ。ずっとおむつだと、特に夏場はおむつかぶれになりやすいから、念のために買っておいたの」
 美智子は、万里子にというより、雅美に言い聞かせるように応えた。
 美智子の言うように、薬局の袋に入っているのはおむつかぶれの薬だった。子供服専門店を出て「おむつかぶれの薬を買いに行きましょうね」と美智子に言われた雅美は、激しくかぶりを振った。けれど、「じゃ、おむつかぶれになったら病院へ行かなきゃいけないわね。でも、雅美ちゃん、本当は十八歳なんだから小児科には行けないわね。ちゃんと皮膚科に行って『おむつかぶれなんです』って言ってお医者様や看護婦さんに診てもらわなきゃいけないわね。いいわよ、それでも」と言われては、それ以上の抵抗はできなくなってしまった。それで渋々、美智子と一緒に薬局へ行ったのだった。
「ああ、そうだったの。そうね、おむつかぶれの薬も要りそうね」
 『おむつかぶれ』というところを強調して言って、万里子は雅美の顔を覗き込んだ。そうして、なにやら気がついたことがあるのか、不思議そうな顔をしてもういちど美智子に尋ねた。
「でも、薬だけにしては大きな袋ね。他に何か買ったんでしょう?」
「そうよ、他にもいろいろと、これから雅美ちゃんに必要になりそうな物をね」
 それが何なのか応えずに、美智子は面白そうに言った。
 美智子がおむつかぶれの薬の他に何を買ったのか、一緒に薬局へ行った雅美も知らない。「この子が使うおむつかぶれの薬なんです」と指差されるのが耐えられなくて、入り口のすぐそばで美智子が買物を終えて出てくるのを待っていたからだ。それでも、美智子の表情を見ていると、袋に何が入っているのか、ひどい不安に襲われる。
「それより万里子も随分たくさん買ってきたみたいね。どれも手芸の材料?」
 意味ありげに雅美に向かって微笑んでみせてから、今度は美智子が万里子に尋ねた。
「そうよ。秋の文化祭で作品を展示するからできるだけ夏休みの間に作っておくよう、手芸部の部長が言ってたから。作りたい物がたくさんあるから、ついつい材料も多くなっちゃった」
 万里子は、手芸専門店のロゴが入った大きな手提げ袋を嬉しそうに振ってみせた。
「へぇ、そうなんだ。じゃ、文化祭には是非とも見に行かなきゃいけないわね。もちろん、雅美ちゃんも一緒に」
 美智子は大きく頷くと、二人を促して言った。
「さ、駐車場へ戻りましょう。もうお父さんも車で待っている頃でしょう」
「そうね。行きましょう、雅美ちゃん」
 美智子に言われて、万里子は雅美の手を引いて階段を昇り始めた。
 万里子に手を引かれて階段を登り始めた雅美は、駐車場との連絡口から階段をおりた時と比べて、ひどく足元のおぼつかない歩き方だった。それは、雅美の下腹部を包みこんでいるのが紙おむつから布おむつに変わったせいだ。薄い紙おむつに比べて布おむつを五枚もあてるとかなりの厚さになるし、内腿の間にはさまった布おむつのせいで両脚が開き気味になるため歩きにくくなる。その上、紙おむつの不織布よりもずっと柔らかな布おむつが雅美が脚を動かすたびに下腹部を撫でさすり、階段を昇る時みたいに両脚を大きく動かさなければいけない場合は殊更に秘部を愛撫されるみたいで、思うように歩けない。
 そんな事情を知ってか知らずか、万里子は、それこそ幼児のよちよち歩きみたいにしか階段を昇れない雅美の手を引きながら、わざとのように優しく言うのだった。
「いいわよ、ゆっくりで。まだ小っちゃな雅美ちゃんには、階段の一つ一つが大きいもん、急いで昇らなくていいんですよ。すってんしないよう、ゆっくり昇りましょうね。お姉ちゃん、待っててあげるから」
 あやすような万里子の言い方が雅美の頬を赤く染める。
 なのに、雅美が感じるのは羞恥や屈辱ばかりではなかった。脚を動かすたびに布おむつに撫でさすられて、雅美は知らず知らずに恥ずかしいおつゆを滴らせ始めていた。見た目は幼稚園児でも、本当は十八歳だ。発育不全の身体でも、それなりに生育した性器を持っているし、少なからず性欲もある。それが、柔らかな布おむつで愛撫され続けるのだから、思わず愛液が溢れてくるのも無理はない。布おむつに撫でさすられて奇妙な悦びを覚え、そしてそんなことに悦びを覚える自分自身に激しい屈辱を抱く雅美だった。
 とうとう雅美は階段を半分ほど昇った所で立ち止まってしまった。
 そこへ、聞き憶えのある声が背後から聞こえてきた。
「あ、雅美ちゃんとお姉ちゃんだ。雅美ちゃ〜ん」
 振り向いた雅美の目に映ったのは、子供服専門店で出会った早苗と香奈、それに二人の母親の姿だった。
 早苗は雅美の顔を見ると、急いで階段を駆け昇ってきて雅美のすぐ横に立った。
「あら、また一緒になったね、早苗ちゃん。さっきは雅美ちゃんをトイレへ連れて行ってる間に早苗ちゃんたちは先にお店を出てたから、さよならできなかったけど」
 あまり急いで階段を駆け昇ったものだから雅美の横に立って息を切らしている早苗に、万里子はおどけた様子でウインクしてみせた。
「うん、早苗も雅美ちゃんにさよなら言いたかったんだけど、先に出ちゃったから。でも、また会えて早苗とっても嬉しいの」
 はぁはぁと息を切らして、それでも早苗は嬉しそうに大きく頷いた。けれど、じきに気遣わしげな表情になって、少し心配そうな口調でこう言った。
「雅美ちゃん、トイレ間に合わなかったんだね。せっかくおしっこ教えたのに、トイレまで我慢できなかったんだね」
「え? どうしてそう思うの?」
 早苗の思いがけない言葉に、万里子が僅かに首をかしげて訊いた。
「だって、雅美ちゃん、パジャマを着せてもらってた時はお隣の美保ちゃんと同じ紙のおむつだったのに、今はおむつカバーだもん。おむつ、取り替えてもらったんでしょ? だから、トイレ間に合わなかったのかなと思ったの」
 まるで迷うふうもなく早苗は言った。
「雅美ちゃんが紙おむつじゃなくておむつカバーに変わってるの、早苗ちゃんはどうして知ってるの?」
 トイレの簡易ベッドで雅美のおむつを取り替えたところを早苗は見ていない。なのにどうしてわかったのか、当の雅美はもちろん、万里子にも不思議だった。
「だって、見えたんだもん。階段の下から、雅美ちゃんのピンクのおむつカバーが見えたんだもん」
 早苗のその言葉に雅美の顔が真っ赤になった。一方、万里子の方は悪戯めいた笑みを浮かべる。
「そう、見えちゃったの。そうよね、階段の下からならよく見えるわよね」
 万里子は悪戯めいた笑顔のまま頷いた。
 もともと雅美が着ているサンドレスは丈が短くて(というか、本当は、肩紐のリボンをわざと長く取って丈が短くなるよう万里子が着せたのだけれど)、雅美が少し大股で歩いたり腰をかがめたりすれば、スカートの中にかろうじて隠れている紙おむつが、丸見えとはいわないものの幾らかは見えてしまうことも多かった。それが、今は薄めの紙おむつではなくぷっくり膨れた布おむつとおむつカバーだから、ただでさえ短いスカートがその丸みのせいで自然と捲れ上がるような感じになって、よほど気をつけて裾を引っ張っていないといつもおむつカバーが少し見えているような状態になってしまっている。そんなだから、階段の上からならともかく、階段の下から見上げると、雅美のおむつカバーは殆ど丸見えだった。
 雅美がトイレへ連れて行かれる時は雅美がおしっこを教えたからだと思いこみ、雅美のお尻を包んでいるのが紙おむつからおむつカバーに変わったのを見て雅美がトイレに間に合わなかったんだと勝手に思いこんでいる早苗。けれど、誰が早苗を責められるだろう。早苗は早苗なりに同世代の女の子が早くおむつ離れできるようにと願っていて、それでそんな勘違いをしてしまったのだ。そんな早苗の口から出てくる言葉がどんなに雅美の羞恥を掻きたてたとしても、それを誰も責めることはできない。
「雅美ちゃん、トイレ間に合わなかったんだね。でも、ちゃんとおしっこ教えたんだよね? だったら大丈夫だよ。早苗の保育園の年中さんクラスでもおむつの子がいるけど、ちゃんと先生におしっこ教えられるようになったら、すぐにおむつじゃなくなったよ。まだ三人くらいおむつの子がいるけど、先生、ゆっくりしようねって言ってる。だから雅美ちゃんもゆっくり頑張ればいいと思うよ。雅美ちゃん、年長さんだからまだおむつなの恥ずかしいかもしれないけど、先生、人それぞれだよって早苗のクラスのおむつの子に言ってるよ。それに、こんな可愛いおむつカバーで雅美ちゃん紙おむつの時より可愛いよ。だから、ゆっくり頑張ってね」
 どちらが年上かわからないほどしっかりした口調で早苗がさかんに雅美を励ます。何も知らない者が見れば、背は高いけれどまだおむつの外れない幼い妹を元気づけているしっかり者のお姉ちゃんといったところだろう。
「早苗お姉ちゃんもああ言ってくれてるんだから頑張ろうね、雅美ちゃん。それと、励ましてくれた早苗お姉ちゃんにありがとう言っておこうね」
 万里子は腰をかがめて、早苗の言葉に頬を染める雅美に言った。
「え? 早苗、お姉ちゃんじゃないよ。早苗、保育園の年中さんで、雅美ちゃん、幼稚園の年長さんだよ。だから、雅美ちゃんの方がお姉ちゃんだよ」
 万里子の言葉に、早苗が不思議そうな表情を浮かべて言った。
「いいのよ、早苗ちゃんがお姉ちゃんで。そりゃ、雅美ちゃんは早苗ちゃんよりおっきいわよ。でも、まだおむつでしょう? それに、早苗ちゃんは雅美ちゃんを励ましてくれたじゃない。そんなのできるの、お姉ちゃんだよ。だから、雅美ちゃんの方がおっきくても、本当は早苗ちゃんのほうがお姉ちゃんなのよ」
 万里子は腰をかがめたまま、早苗と目の高さを合わせて言った。
「本当? 本当に早苗の方がお姉ちゃん? ね、本当?」
 いつも香奈の妹として生活してきた早苗は、初めて自分がお姉ちゃんと呼ばれて、嬉しそうに何度も繰り返し聞き返した。
「本当よ。本当に早苗ちゃんの方がお姉ちゃんよ。だから、ほら、雅美ちゃん。ちゃんとお礼を言いなさい」
 万里子は雅美に、自分がまだおむつの外れない小っちゃな子供なんだということを意識させるためにおむつカバーをぽんぽんと叩いて言った。
「あ、あの、早苗ちゃん……」
「早苗ちゃんじゃないでしょ。早苗お姉ちゃんでしょ」
 万里子はもういちどおむつカバーの上から雅美のお尻を叩いた。
「……早苗ちゃ……早苗お姉ちゃん、あ、ありがとう……」
 羞恥と屈辱に顔を真っ赤にした雅美は、それだけを言うのが精一杯だった。
「いいのよ、雅美ちゃん。今度またどこかで会ったら遊んであげるね。何か困ったことがあったら早苗お姉ちゃんに言うのよ。早苗お姉ちゃんがきっと雅美ちゃんのこと助けてあげるからね」
 雅美には、にっと笑いかける早苗の笑顔が眩しかった。眩しくて正視できなくて、気圧されるように顔を伏せてしまう雅美だった。



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