満たされた欲求・それから



 雅美の下腹部がびくんと震えた。
 智恵美は慌てて母親の方に振り向いたが、母親は、大丈夫よと言うように小さく頭を振ってみせた。
「気にしなくていいわ。これくらいのことじゃ目を覚まさないから。雅美ったら本当に赤ちゃんになっちゃって、眠ってばかりいるのよ」
「え、そうなんですか?」
 母親の言葉に安心して智恵美は再び右手を動かし始めた。そうして、安心すると、悪戯心がむくむくと湧き上がってくる。(そうか、雅美ちゃん、なかなか目を覚まさないのか。うふふ、それなら、ちょっと遊んじゃおうかな。大好きな雅美ちゃんの大切なところを触ることなんてなかなかできないんだから)
 智恵美は少しずつ大胆になってきた。
 最初はおそるおそる動かしていた右手が今は滑らかに動きまわって、意識して雅美の敏感な部分を狙って蠢くまでになっている。智恵美は雅美の母親がそのことに気づいていないかどうか時おりちらちらと母親の表情に視線を走らせながら、柔らかいパフで雅美の秘部を責め始めた。
 智恵美が右手に持ったパフが肌の上を滑るたびに雅美の下腹部が小刻みに震えて、ちゅうちゅうと音を立てて自分の親指を吸っている唇の動きが一瞬止まる。なのに、母親は智恵美が何をしているのか気づいているのか気づいていないか、表情を変えずに雅美の足首を高く差し上げたままだ。
 しばらくするとパフの表面がじっとり湿ってきて、やがて、智恵美が雅美の秘部に押し当てたパフをそっと動かすと、パフと秘部とが細い糸のような物でつながるようになってきた。その細い糸は、はっきり形のある物ではなく、パフをもう少し動かすと簡単に切れて雅美の肌にへばりつき、ぬるぬるてらてらといやらしい感じで窓からの日差しを映し出すのだった。それは、何度も何度も智恵美が責めるものだから、とうとう雅美の秘部から溢れ出し始めた愛液がパフの表面にしみつき、からみ合ってできた糸だった。
「おいたは、もうそのくらいにしておいた方がいいわよ。それ以上続けると、本当に雅美が目を覚ましちゃうから」
 不意に母親の声が聞こえた。
 最初のうちこそ母親の目を気にしながらパフを動かしていたが、いつしか雅美の感じやすいとろこを責めることに夢中になっていた智恵美が、はっとしたように手を止めた。
 けれど、たしなめるような母親の口調は、決して、なじったり叱ったりするような感じではなかった。むしろ、幼い子供の他愛ない悪戯を見守りながら、あまりひどいことにはならないよう優しく諭すような口調だった。
「智恵美ちゃんが大好きな雅美の可愛いところをいじってみたくなる気持ち、わからないわけじゃないわ。でも、今からそんなに慌てなくてもいいの。これからずっと、何度でも、そうするチャンスがあるんだから」
 母親は『大好きな雅美のかわいいところ』と、意味ありげに言った。それは、なんだか、智恵美が胸の中に隠し通してきた本当の感情を見透かしているみたいな言い方だった。
「さ、ベビーパウダーはもういいから、おむつの続きにしましょう。ほら、雅美のあそこ、すごく濡れてきてるでしょ? いつおもらししちゃうかしれないから、早くおむつをあてておかなきゃ」
 雅美の下腹部が濡れ始めているのはおしっこが近いからなんかじゃない。智恵美が欲望にまかせていたぶり続けたからだ。雅美の母親もそのことはよく知っているのに、まるで雅美がおしっこをしたくて下腹部を濡らし始めているみたいな言い方をした。それが智恵美に罪悪感を抱かせないためなのか、それとも、本当に赤ん坊みたいな格好をしている雅美の姿のせいでそんなふうに言ったのか、それは智恵美にはわからない。
「はい、ベビーパウダーの入れ物を枕元に戻して、それから、股当てのおむつの端を持ってちょうだい。――ううん、いいの、雅美の脚は私が持ち上げているから、智恵美ちゃんは両手でおむつの端を持って。そうそう、なるべくシワにならないよう引っ張りながら両脚の間を通して、そのままおヘソのすぐ下まで持っていくのよ。そう、そんな感じ」
 左手で雅美の足首を差し上げたまま、母親は右手で智恵美の手を誘導した。
「それでいいわ。そうしておけば、もうあとは雅美のお尻をおろしてもいいから」
 雅美の股間を覆った股当てのおむつの具合を確かめてから、母親は雅美の足首をベッドの上に戻した。
「それから、横当てのおむつよ。股当てだけだとおしっこが横漏れしちゃうかもしれないから、横当てのおむつで腿のあたりをくるむようにするのよ。あ、でも、あまりきつくすると脚を動かせないし、本当の赤ちゃんだったら股関節脱臼の原因にもなるから気をつけて。そう、横漏れのおしっこを吸収すればいいんだから」
 両手が自由になった母親は、慣れない手つきで布おむつの端を持ち上げる智恵美を手伝って、手早く横当てのおむつを股当てに重ねた。
「今度はおむつカバーの横羽根。横羽根っていうのは、さっきあてた横当てのおむつの下に広がっているところ、そうそう、お尻の右と左に広がっているそれのことよ。右の横羽根と左の横羽根とはマジックテープで留められるようになっているから、横当てのおむつの上で重ねて、ほら、こんな具合に」
 母親は智恵美に左右の横羽根を持たせると、その智恵美の手首をつかんで雅美のおヘソのすぐ下まで持っていき、横羽根どうしを重ねさせた。
「ね、こうすると、横当てのおむつがちゃんと固定されてずれにくくなるでしょ? もちろん、横当ての下の股当てのおむつも。で、こうしておいて、横羽根の上に前当てを重ねて、これもマジックテープで留めちゃうの。横羽根の表がマジックテープになっているから、前当ての場所は適当に変更できるのよ。それでおむつがずり落ちないように調整して、それから、裾のスナップボタンを留めるの。裾にスナップボタンが付いてないおむつカバーもあるけど、やっぱり、雅美みたいな大きな赤ちゃん用にはスナップボタンでしっかり留めるようになっている方が裾からおしっこが漏れにくいわね。それで、最後にこうするのよ」
 母親は智恵美の人指し指をそっとつかむと、指先で、はみ出している布おむつをおむつカバーの裾の中に押し込むように動かした。
「いくらおむつカバーがしっかりしていても、こんなふうにおむつがはみ出していると、せっかく吸い取ったおしっこがそこから滲み出してくるの。だから、ちゃんとしなきゃ駄目なのよ。――うん、これでいいわ」
 母親は智恵美の指をつかんでいた手を離して、おむつで膨れた雅美のお尻をぽんほんと優しく叩いてみせてから、お腹の上に捲り上げていたパジャマの裾を元に戻した。
「あの、おば様……」
 雅美のおヘソのすぐ横にある小さなホクロがパジャマで見えなくなってから、上気した顔で智恵美は母親の方に振り向いた。
「……どうして雅美ちゃんは赤ちゃんになっちゃったんですか?」
 自分の目の前で眠っている体の大きな赤ん坊が雅美だと告げられた時、まさかと思った。けれど、見憶えのあるホクロや幼児のものとは思えない性器を目にして、その赤ん坊が本当に雅美なんだと信じるしかなくなった。その時、(どうして雅美ちゃんが赤ちゃんになっちゃったんだろう)と訝しく思った智恵美だった。けれど、そう思ったのも束の間、雅美の秘部を目にして心を乱してしまい、ついつい、その敏感な部分を責めることに夢中になって、雅美が赤ん坊になってしまったことを訝しむことさえ忘れてしまっていたのが、ようやく少し気持ちが落ち着いてきたようだ。
「知りたい?」
 自分よりも背の高い智恵美の顔をじっと見つめて母親は確認するように言った。
「はい。幼なじみの雅美ちゃんが赤ちゃんになっちゃうだなんて、本当を言うと今でも信じられない気持ちです。でも、目の前にいる、おむつをあてた赤ちゃんは雅美ちゃんです。どうしてこんなことになったのか教えてもらわないと、私、これからどうしていいか……」
「いいわ、教えてあげる。でも、長い話になりそうだから腰をおろしましょう。そのクッションを使うといいわ」
 母親は部屋の隅に置いてあったクッションを智恵美にすすめ、自分ももう一つのクッションに腰をおろして言葉を続けた。
「雅美が五歳の時、私が盲腸炎で入院したことがあるのよ。その時、お見舞いに来ていた雅美、別の病室でショッキングな光景を目にしたらしいの――」
 母親が入っていた四人部屋の隣は個室になっていて、そこには高校生とおぼしき若い女性が交通事故のために入院していたのだが、その女性は腰の骨にダメージを受けたとかでトイレへも行けず、まるで赤ん坊のようにおむつをあてられていた。しかも、ひょっとしたら上半身も自由に動かせないのか、食事も人手に頼っているようで、首筋には大きなよだれかけみたいなエプロンを巻き付けられていて、その上、おむつを取り替えやすいようにだろう、身に着けているのは丈の短いベビードールみたいなパジャマで、おむつカバーが丸見えだった。そんな、高校生がまるで赤ん坊みたいな格好をさせられている姿が、衝撃的な光景として幼い雅美の心に焼き付いてしまった。そうして、焼き付いたその光景が、次第次第に雅美の心の中を占めるようになっていったのだ。最初、その光景は単に「衝撃的な光景」でしかなかった。それが、雅美が成長するにつれて――思春期を迎え、性に関しても目覚めるにつれて、雅美の心を奇妙に疼かせる「淫靡な光景」へと変貌していったのだ。本当なら躍動感に溢れて軽やかに飛び回っている筈の年頃の若い女性が排泄さえ人の手に頼らずには生活できない状態で、赤ん坊みたいな格好を強要される姿に、雅美はひどく倒錯的な興奮を覚えるようになっていた。初めのうちは、その光景を思い浮かべるたびに理由もなしに胸をどきどきさせて顔を赤くするだけだったのが、いつしか自分がそうされることを夢想するようになり、被虐的な悦びに包まれるようになっていた。その、なんとも表現しようのない、ぞくぞくするような悦びに身をまかせるうちに知らぬまに指を動かし、自ら敏感なところをいじる習性さえ身に付けてしまった雅美だった。
 けれど、その光景があくまでも「遠い昔に見た光景」ですんでいれば、それはそれで、ちょっとした自慰へのきっかけになっただけですんだかもしれない。ところが、今年の夏休みに三重県の兄の家へ遊びに行ったために、雅美の心に焼き付いた光景は単なる光景ではなくなってしまった。兄の妻である真理がちょっとした悪戯心から、自分の娘(つまり、雅美からみれば姪っ子にあたる)杏里のおむつを雅美にあててロンパースを雅美に着せたものだから、それまでは心の中で思い浮かべていただけの、赤ん坊みたいな格好を強要されるという空想が現実のものになったのだった。たちまちのうちに雅美はそんな状況のとりこになってしまった。下腹部を包み込む布おむつの柔らかな感触に身悶えし、指を使っての自慰よりも上気し、夢想していただけの時とは比べるべくもない被虐感に胸を満たして、知らず知らずのうちに雅美は本当の赤ん坊みたいに布おむつをおしっこで濡らしていた。それから後は、もう、坂道を転げ落ちるみたいに、雅美はどんどん幼児退行していった。真理の友人にプールへ連れて行かれて丸裸で水遊びをさせられたり、駅前にあるスーパーのキッズコーナーで大勢の目にさらされたままおむつを取り替えられたりしているうちに、本当なら自分よりもずっと年下の姪・杏里からも妹扱いされるまでに赤ちゃん返りしてしまったのだ。




「――というわけなのよ」
 ようやく雅美の母親は長い説明を終えた。
 母親にしても、全てを知っているわけではない。病院で雅美が何を見たのか、この夏休みに三重県のスーパーでどんなことがあったのか、実は母親も、本当のところは知らない。それでも、前後の状況からおおよその事情を推し量ることはできる。母親は自分が知っていることと、実際には知らなくても事情を推測したこととを、包み隠さず智恵美に話した。
 それに対して、智恵美の方は、戸惑った顔をして押し黙っている。けれど、それも無理からぬことだろう。どんな事情があるにせよ、高校二年生の女の子が赤ちゃん返りしてしまったと聞かされて、それをすぐに信じることなどできない。雅美が三重から千葉に戻ってきた日の翌日、雅美が通っている高校に出向いて事情を説明し休学を申請した母親に対して校長と教頭がみせた態度も、今の智恵美とまるで同じだった。結局、戸惑いながらも休学届けは受理したものの、校長も教頭も他の職員や雅美の級友たちには雅美がどうして休学することになったのか、詳しい説明はしなかった。しなかったというよりも、できなかったといった方が正しいのだろう。それは、あまりにも二人の常識の外にある状況だったのだから。
 そうして、事情も聞かされぬまま雅美のお見舞にやって着た智恵美。
「……あの、あの、雅美ちゃん、本当に赤ちゃんになっちゃったんですか? トイレへ行かずにおむつを濡らしちゃう本当の赤ちゃんに」
 思いもしなかった母親の説明に言葉を失い、それでもしばらく間を置いて、智恵美はようやく声を絞り出した。
「そう、本当の赤ちゃんと一緒ね。おしっこもうんちもおむつだし、手を引いてあげてようやくよちよち歩きできるくらいだし、食事も殆どミルクばかりだし。体の機能は赤ちゃんと一緒。でもね――」
「でも?」
「でもね、心の方はそうでもないみたいなの。体は赤ちゃんだけど、心まで赤ちゃんになりきっているわけじゃないと思うの」
「……おば様の言っていること、よくわかりません。だって、心が赤ちゃん返りしちゃったからおむつを濡らすようになったんでしょう? もともと病気とか体の具合が良くないとかじゃなくて、いろんな理由があって赤ちゃんになりたいと思い込んで、それでおもらしまでしちゃうようになったでしょう? なら、体の病気じゃないのなら、心が赤ちゃんになりきってないんだったら、おむつなんて必要ないと思います。トイレへ行こうと思ったら行けるんじゃないんですか?」
 要領を得ない顔で智恵美は母親に訊き返した。
「そうね、智恵美ちゃんの言うことはもっともだわ。体がどこも悪くないのなら、心が赤ちゃんになりきっているのじゃなきゃ、おむつなんて要らないと思うわよね。でも、少しだけ違うのよ。――雅美の心は赤ちゃんになりきっていない。だけど、赤ちゃん扱いされることを望んで、赤ちゃん扱いされる自分を楽しんでいるの」
 言葉を選びながら母親は続けた。
「雅美が三重から帰ってきた時は心まで赤ちゃん返りしていたと思う。でも、そんな状態は一週間くらいで終わったのよ。五歳の頃から雅美は赤ちゃんになりたがっていた。たしかに、その願いが叶ったのなら、心はずっと赤ちゃんのままでいそうに思えるわよね。でも、考えてみて。本当に心まで赤ちゃん返りしちゃったら、『自分が赤ちゃんになれたんだ』ということもわからないのよ。長いこと願ってきてようやく願いが叶っても、心が赤ちゃんのままじゃ、その願いが叶ったという満足を得られないの。わかるでしょう?」
「え? ええ、まぁ、なんとなくは……」
 智恵美は曖昧に頷いた。
「だから、雅美の心は一週間くらいで『本当の赤ちゃん返り』を終えたの。その後で、自分が赤ちゃんになれたんだということがわかるほどに心を成長させたのよ。成長させたというか、それがわかる程度に心を本当の年齢に近づけたっていう方がいいかしらね。そうして、おむつを汚しちゃう自分、オシャブリを吸いながら眠る自分、よちよち歩きしかできない自分という状況を楽しんでいるのよ。自分が赤ちゃんになったんだってことを心ゆくまで楽しんでいるの。だから、厳密に言えば雅美の心は赤ちゃんになりきっていない。だけど、おしっこをしたくなってもトイレへ行く代わりにおむつを汚してるの。私は赤ちゃんなんだからって自分自身に言い聞かせながら。この説明で納得してもらえるかしら?」
 母親は智恵美の表情を窺った。
「納得したっていうか……納得したようなしてないような、何か変な感じですけど……でも、おば様。おば様はどうしてそんなふうに雅美ちゃの心の中がわかるんですか? まるで手に取るみたいに」
 智恵美は軽く小首をかしげた。
「だって、血を分けた母親ですもの。娘が何を思っているかなんてすぐにわかるわよ」
 そうして、にこっと笑って母親はこうも言った。
「もっとも、今は母親じゃなくて、おばあちゃまだけどね」
「おばあちゃま?」
 不思議そうな顔つきで智恵美は訊き返した。
「ええ、そうよ。だって、雅美は赤ちゃんなのよ。赤ちゃんからみれば、私なんておばあちゃまよ。だから、雅美が三重から帰ってきた日から私はおばあちゃまとして雅美に接しているのよ。もちろん、うちの人も父親じゃなく、おじいちゃまとしてね」
「あ、そういえば、おじ様はお出かけなんですか? まだご挨拶してないんですけど」
 ふと雅美の父親の顔を思い出して智恵美は言った。
「土曜日だけど、休日出勤なのよ。ほら、うちの人、証券会社の営業本部長なんてしてるでしょう? いろいろ難しいことがあって、帰ってくるのは遅いし、最近はお休みの日でも滅多に家にいないのよ。でも、赤ちゃんみたいな雅美の寝顔を見ると気が休まって元気になるよとか言って今日も会社で頑張ってると思うわ」
「あ、そうなんですか。大変なんですね」
「そう、大変なのよ」
 母親は大げさに溜め息をついてみせると、智恵美の目を正面から見据えて言った。
「だから、智恵美ちゃんに頼みたいことがあるの。私のお願い、きいてもらえる?」
「……どんなことなんですか?」
 母親のきらきら輝く大きな瞳に吸い込まれそうになる錯覚にとらわれながら、少しばかり不安げな表情で智恵美は言った。
「うちの人は仕事に忙しいし、私ももう若くない。さっきも言ったように、もうおばあちゃまなのよ、私は。その上、雅美は本当の赤ちゃんに比べるとずっと大きい。だから、大変なのよ、育児が。私がもっと若くて雅美が本当の赤ちゃんだった頃なら、そんなことはなかった。小っちゃな雅美の可愛い笑顔さえあれば疲れなんて感じなかった。でも、それから十何年も経った今になると、さすがに疲れちゃうのよ。――あ、ううん、赤ちゃんになっちゃった雅美のことを嫌っているわけじゃないのよ。本当の赤ちゃんじゃないにしても赤ちゃんみたいにあどけなくて、赤ちゃんみたいに可愛らしくて、私がいないと何もできない赤ちゃんみたいな雅美の笑顔を見ると何も要らなくなるのは本当。せっかく生まれた私の初孫・杏里は遠い所に住んでいてなかなか会えないから、赤ちゃんになって帰ってきた雅美のこと、私もうちの人も本当に孫みたいに可愛がってるの。でも、体力の方はどうにもならないのよ。お風呂に入れるのだって、雅美を抱き上げるのがやっとだもの」
「……」
 母親が何を言おうとしているのかまだわからずに、智恵美は押し黙っていた。
「それで、育児を手伝ってくれる人が誰かいないか探そうかと思っていたの。そんなところへ智恵美ちゃんが来てくれた。智恵美ちゃんだったら、手伝ってくれるどころか、雅美のママになってくれるかもしれない。さっきからずっとそう思っていたのよ。そう思っていたから、ベビーパウダーもおむつの交換も智恵美ちゃんにお願いしたの。どんなに優しく雅美の世話をしてくれるか確かめるために。どんなに深い愛情を雅美に注いでくれるかをみるために。――お願い、雅美のママになってあげて」
 母親は、これ以上はないくらいに真剣な顔だった。
「で、でも……」
 突然のことに何をどう応えていいのかわからず、おろおろするばかりの智恵美。
「智恵美ちゃんは雅美のこと、ずっと大切に思ってきてくれたでしょう? そばで見ていて、私にはそれがわかるの。雅美に代ってお礼を言うわ、本当にありがとう。だからお願いしたいの。雅美も智恵美ちゃんのことを大好きだし、お似合いだと思うのよ」
 母親はじっと智恵美の目を覗き込んだ。
「そんなこと急に言われても、でも……」
「いいのよ、深く考えなくても。智恵美ちゃんは雅美のこと、大好きなんでしょう?」
 母親は『大好き』というところを妙に強調するような言い方をした。
 途端に、智恵美の頬がかっと熱くなる。
 智恵美が雅美に対して特別な感情を抱いていることを雅美の母親は気づいていたのだ。そのことを知っていると智恵美に言外に告げるために、わざとそんな言い方をしたに違いない。智恵美は決して鈍い方ではない。むしろ感受性の豊かな子だ。だから、母親が何を伝えようとしているのか、それがわからないわけがなかった。
「いいのよ、そんなに恥ずかしがらなくても。どんな形でも、智恵美ちゃんが雅美のことをずっと大好きでいてくれたことが嬉しいの。智恵美ちゃん、ベビーパウダーのパフで雅美の大事なところに悪戯してたでしょう? あれも、智恵美ちゃんが雅美のことを大好きで大好きでしようがなくて、それでついついあんなことをしちゃったんだと思うから何も言わないでいたのよ。それに、赤ちゃんの格好をしていても雅美は高校二年生だもの、自分で自分を慰めることもおぼえているわ。その証拠に、智恵美ちゃんにいじられてあんなに濡れていたのよね。それでいいの。高校生の女の子どうし、本当ならそんなことしちゃダメって言わなきゃいけないのかもしれないけど、智恵美ちゃんが相手だったらいいわ。だって、智恵美ちゃんは雅美のママになってくれる特別な人なんだもの。だから、お願い。雅美のママになってあげて」
 母親の口調はおだやかなままだった。おだやかなままの口調で、けれど、智恵美の逃げ道をどんどん塞いでゆく。
「だけど、だって……」
 智恵美は虚ろな瞳で宙を見上げた。
 その時、ベビーベッドの上で雅美が体を動かす気配があった。
「あら、おっきかしら。そうね、もうすぐお昼だものね」
 虚ろな視線をさまよわせる智恵美を後目に、母親は壁にかかった時計をちらと見て立ち上がった。時計の針は十一時三十分を指ししめしている。智恵美がこの家にやって来て、もう一時間半が経っていたのだ。
「はい、雅美ちゃんの大好きなオシャブリよ。おねむの間に落としちゃったのね。だから、ほら、ほっぺにこんなによだれがついてる」
 母親はベビーベッドのすぐそばに立つと、枕元に転がっているオシャブリを雅美の口にふくませた。
 それまで自分の親指を吸っていた雅美は、オシャブリを口にすると、目が覚めた直後だというのにぐずることもなくきゃっきゃっと笑い声をあげて、ちゅうちゅうと音をたててオシャブリを吸い始めた。
「お腹が空いてるのかな、雅美ちゃんは。いいわ、すぐにおっぱいにしましょうね」
 見るからに優しそうな笑顔で雅美の母親は言った。その笑顔は、母親が自ら言ったように、育児に対してどこか責任を感じている母親の少し緊張した笑顔ではなく、無責任に孫を可愛がることのできる喜びに満ちた祖母の笑顔だった。
「いつもだったらおっぱいの前におむつを取り替えるんだけど、今日はいいのよ。今日は、もうおむつを取り替えちゃったから」
 あやすような口調で言いながら母親は雅美の体を抱き上げた。決して軽々と抱き上げたわけではない。五十歳を超えた女性の中では大柄な母親だが、いくら小柄とはいえ高校生の雅美を抱き上げるのだから、よほどの力が必要になる。
 ようやく雅美の体をベッドから胸元に抱き上げた母親は、ゆっくり体の向きを変えながら言った。
「雅美ちゃんのおむつ、誰が取り替えてくれたと思う? うふふ、あのね、雅美ちゃんの大好きな智恵美おねえちゃまが取り替えてくれたのよ。よかったわね、大好きなおねえちゃまにおむつを取り替えてもらえて」
 言い終わった時には、床に腰をおろしている智恵美と、母親の腕に抱きかかえられた雅美とが真正面から向き合う格好になっていた。
 途端に、雅美が母親の胸に顔を埋めようとした。顔が真っ赤なのは、赤ん坊そのままの姿を幼なじみである智恵美に見られたからだろう。その行動が、母親が言った『心まで赤ちゃんになっちゃったわけじゃないのよ』ということが事実だと告げていた。心まで赤ん坊になっているのなら、そんな羞恥心など感じない筈なのだから。
 そうして、ひどく気恥ずかしい思いにとらわれたのは智恵美の方も同様だった。雅美が眠っているからこそ、ベビーパウダーのパフで悪戯してみたり、雅美の母親に言われるまま雅美のおむつを取り替えてみたりできたのだ。雅美の意識があるうちなら、とてもではないがそんなことできなかっただろう。
 けれど、智恵美は目をそらしてばかりもいられなかった。智恵美の視線から逃れようとして雅美が体を動かしたせいで、ようやくのこと雅美の体重を支えていた母親が雅美の体を床に落としそうになったからだ。智恵美は慌てて立ち上がると、母親の手をすり抜けて落ちそうになっている雅美の体を両手で受け止めた。それも、無意識のうちに、左腕の肘で首筋を支え、右腕をお尻から背中に絡ませる、まるで赤ん坊を抱きかかえるような格好で雅美の体を受け止めていた。
 一瞬顔色を失った母親だが、すぐに微笑みが戻ってきた。
「よかったわね、雅美ちゃん。大好きな智恵美おねえちゃまに抱っこしてもらえて」
 もういちど微笑みを浮かべた母親が雅美の体を智恵美の胸に押しつけて、さっと自分の腕を退いてしまった。そうなると、智恵美としては、いっそうしっかり雅美の体を抱きかかえなければならなくなる。
「お、おば様ったら……」
 突然のことにどうしていいのかわからず、雅美を胸元に抱いたまま再び床にへたりこんでしまう智恵美。実は雅美をベビーベッドに戻すことも一瞬は考えたのだが、どういうわけかそうする気にはなれなかった。
 床に腰をおろして、智恵美は僅かに頭を下げた。その視線の先に、床に落ちそうになったために怯えきった表情になって今にも泣きだしそうにしている雅美の顔があった。
「もう大丈夫よ、雅美ちゃん。ちょっと怖かったけど、もう大丈夫なのよ。ちゃんと私が抱っこしていてあげるから」
 雅美を落ち着かせようとして言った言葉は、知らず知らずにうちに幼児をあやすような口調になっていた。自分が胸に抱いているのが本当は高校二年生の女の子なんだとわかっていても、髪をツインテールにくくって、丈の短いベビードレスふうのパジャマの裾から淡いピンクのおむつカバーを覗かせてオシャブリを咥えている雅美の姿を目の当たりにすると、ついつい、そんな言葉遣いになってしまう。
 智恵美がそんなふうに言い聞かせ、あやすみたいに軽く体を揺すってやると、ようやく雅美も落ち着いてきたのか、今までの怯えきった表情が次第にやわらいでくる。けれど、それと同時に、智恵美と初めて目を会わせた時と同じ羞恥の色が再び顔に浮かんできた。
 そんな雅美の様子を目にして、智恵美の方もあらためて羞恥の念を強くしてしまう。
 けれど、雅美の体から立ちのぼってくる甘い香り――赤ん坊特有の『乳臭い』とも表現されるミルクの甘い香りを嗅いだ途端、この部屋に初めて足を踏み入れてベビーベッドの中を覗き込んだ時のことを思い出した。あの時、その子がまさか雅美だとは思いもせず、智恵美はただ「なんて可愛い赤ちゃんなんだろう」と見とれるばかりだった。ミルクの香りを嗅いだ途端、その時の「なんて可愛い赤ちゃんなんだろう」という思いが鮮やかによみがえったかと思うと、ずっとずっと胸の中に抱え込んでいた雅美への想いとがないまぜになって頭の中をぐるぐる駆けめぐり始めた。
「なんて可愛い赤ちゃんなの。なんて、なんて可愛い雅美ちゃんなの」
 気がつくと、智恵美は雅美の頬に自分の頬を触れあわせていた。
 と、雅美の顔からも羞恥と戸惑いの色が消え始めた。雅美は、まさか、同級生の智恵美が来ているだなんて思ってもいなかった。それが突然母親からそのことを告げられて、赤ん坊そのままの格好をして母親に抱かれている姿を正面から見られたものだからひどい羞恥と戸惑いを覚えたのだけれど、「赤ちゃんになりたい、赤ちゃんになった自分を楽しみたい」という思いで胸がいっぱいの雅美は、その羞恥に却って奇妙な悦びを覚えてもいた。「こんな赤ちゃんみたいな格好は嫌」と涙を流しながらおむつを取り替えられていた病院で見た少女。いつしかその光景を夢想しながらの自慰に耽るようになった雅美。そんな雅美にとって、同級生に恥ずかしい姿を目撃された羞恥は、被虐的な悦びをもらたしてくれる甘美な感覚でもあった。智恵美の胸に抱かれて頬ずりされているうちに、その羞恥は、下腹部のじんじんした疼きに姿を変えていた。
 そんな二人の様子を見て、母親は
「ミルクの用意をしてくるから、智恵美ちゃん、雅美のことはお願いね」
と言って部屋をあとにした。
 雅美の母親が部屋を出て行ったことに気がついているのか気がつかないのか、さかんに頬ずりを繰り返す智恵美。そうして、智恵美にそうされることに満更でもなさそうな表情を浮かべる雅美。
 そして、ふとした弾みで、互いの唇が触れ合ってしまう。途端に二人ははっとして互いに顔を見合わせ、どこか気恥ずかしげな顔つきになって、はにかむような表情を浮かべた。一度は消え去った筈の羞恥の色が二人の顔に色濃く浮かんでくる。



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