15− 復員記(前篇)

 筆者はワイン会社の駐在員という触れ込みであるが、昨年7月号にも書いたようにワイン以外にも色々やっている会社である。ワインは途中から始めたもので、そもそも違う目的で設立された会社であるし、ワインで収益を上げて来た訳でもない。筆者自身日本ではワインに直接関係ない仕事もして来たのである。
 ところがここ数年のワインブームである。過去にも何度かワインブームと呼ばれる現象はあったが、いずれも長い目で見れば消費量が若干増加する程度に過ぎなかった。しかしどうやら今度こそは本物のようで、いきなり消費量が倍増し、その後も増え続けているのである。今まで何となくカッコ良さそうでワインを扱っていたのが、本当に商売として成り立つようになって来たのである。
 良きに付け悪しきに付け、利権のあるところに野心のある人間が集まるのは世の常であり、人間社会の活力はすべてここから生まれているといっても過言ではあるまい。このことは大学だって研究所だって大差ないことは、若い読者諸氏も社会に出ればすぐに分かるであろう。というわけで、担当役員の変更やら何やらがあってごたごたしていたのであるが、有能なセールスマンだった人が突然パリに赴任して来て丁度良い遊び相手ができたと喜んでいたら、今度はワイン醸造の専門家も来るというのである。うちの職場としては著しい戦力アップになるが、これで本社の窓際から廊下側経由で島流しになって来た筆者の居場所が完全になくなってしまった。
 お決まりのコースで出向先を探していたところ、ある子会社に拾ってもらえることになった。ここの社長は筆者が本社にいる時に尊敬していた部長だった人であるし、ここには筆者が若い頃一緒にワインの勉強をした仲間もいる。捨てる神あれば拾う神有りである。早速社長に電話して見たら、いかにも筆者がやりたがりそうな仕事を2つ用意していてくれたので、喜び勇んで帰り支度を始めたのである。
 そういう訳で、このパリ通信も今回が最終回――とはならず、今回と次回で帰国前後の話をし、その後日本からパリを回想した話を何回か書くことになっている。今までの連載を読み返すとまだまだ書くことはいくらでもあるが、読者の反応と編集部の都合もあるから、現在のところいつまで続くのかは未定である。
 帰国の日程はこの原稿を書いている時点でまだ確定していないが、恐らく7月号が発売される前に筆者は横浜港に上陸、ではなくて成田空港に降り立っていることであろう。
 帰り支度、身辺整理といっても、独り者のことゆえ至って簡単である。赴任した時には旅行鞄(スーツケースではない)1つと別送の段ボール箱3つだけだったが、帰る時もせいぜい箱が一つ増える程度であろう。その気になれば全部自分で持って帰れなくもない量である。家具は会社の所有であり、大道具の運搬用には小型トラックを頼むとして、自分の車がハッチバックなので大抵のものは自分で同僚の家まで運んでしまえる。先日大きな食器棚を運んで行ったら奥さんが呆れていた。その車も会社の登録なのでそのまま置いてゆけばよいのである。
 人間関係の整理も簡単である。取引先へは挨拶の文書を作ってファックスでばらまけばおしまい。友人とは別れを惜しんで(ということにして)一緒に食事すればよい。フランスではとにかく食べることである。なお、愛別離苦を嘆くほどの仲の女性は残念ながら存在しない。
 ところで昨年の9月号でフランス料理を1人で食べるのはおかしいからパリへ1人で来る女性読者は連絡するようにと書いたが、残念ながらこの夏に旅行される女性読者を食事に招待することは出来なくなってしまった。2〜3月の卒業旅行シーズンには何人来るかと楽しみにしていたのだが、結局1人も来てくれなかったので、今回の事態を漠然と予想していた筆者はフランス各地の最高級レストランを1人で回るはめになってしまった。
 女性の愛読者なんか数えるほどもいないだろうって? それはごもっともである。ちなみにこの欄の女性読者からファンレターらしきものをもらったことは1回しかない。大学の同窓生の奥さんからであった。

   
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16− 復員記(後篇)

 まずは前回読んでいない人のために前回までのあらすじを。元農芸化学の変わり種研究者、現在ワイン(も扱っている)会社のパリ駐在員の筆者は、ある日突然会社に居場所がなくなり、日本にある小さな子会社に出向することになった。そして帰国の準備を始めたが、所詮独り者で気楽なものであった・・・・・・。
 さて、帰国3日前にアパートを引き払い、普通の駐在員なら出発までパリ市内のホテルに滞在するところであるが、筆者は祝日があるのをいいことに、旅行鞄を車に積み込んでロアール河畔へと向かった。ここまで来れば、パリのホテルの素泊まりの料金で高級レストラン付きホテルに泊まり、地元のワインを楽しみながら夕食を食べてもお釣りが来るのである。
 2泊して金曜日の昼前にパリに舞い戻った。アパートの退出確認がまだなのである。これは基本的に日本と同じであるが、日本よりは丹念にチェックするようである。その後会社の事務所に寄り、アパートの確認の書類、車、そしていらないものを置き、地下鉄で市内の一見安宿、実は高級レストランが付いている一番安いホテルへと向かった。金曜日の夜、独りきりの夕食も侘びしいと思っていたら、友人が2人も押し掛けて来て、実に賑やかな最後の晩餐となってしまった。1人は大学に出入りしていた業者の営業をやっていたが、なぜかフランスに住み着いてしまった人、もう1人は元モデル、現在グルメ関係のライターをしている美しい女性であった。
 土曜の朝は早めに空港に到着し、昼過ぎの飛行機に乗る。月曜日には出社する予定なので、翌朝日本に到着するロシアの飛行機にした。1等席の正規の料金がよその飛行機会社のエコノミー並の値段であったので、面白半分に乗ってみたのである。
 フランス料理の本来の食べ方は着席バイキングで、一皿ずつサービスするのはロシア式サービスがフランスに導入されたものである、なんていうことは色々な本に書いてあるから、皆さんもご存じかも知れない。しかし今回ばかりは、このロシア式サービスに驚かされてしまった。
 昼食では前菜からコーヒーの時のケーキまで5回サービスされた(その時の料理とワインのレベルについてはとてもお話しすることはできないが)。夕食にはさらにキャビアが最初に加わって、合計6回もサービスされるのである。まさか朝食はそんなことはないだろうと思ったら、スチュワーデスが4回も回って来て、すっかり満腹になり、その日の昼は何も食べなくて済んでしまったのである。
 食べる話もここでおしまい、後は日本の粗食が待っているのである。昼食にワインを飲むなんてことも当分はなかろう。
 空港から列車で都心へ向かう。水田、猥雑な町並み、明るい日差し、窓の外の風景は明らかにアジアのもので、故国へ帰って来たというよりは、異国を旅している気分である。
 電車の中の広告はパリの地下鉄にもあるが、これだけ賑やかな広告は見かけない。ちなみに雑誌の広告で水着姿の女性の写真が大写しになっているのは日本人のモラルが問われると目くじらを立てられる方もいらっしゃるが、パリでは町中にトップレスの女性の写真があってもだれも気にしないので、これはきっとアメリカナイズされた自称国際人の方々のご意見に違いない。
 電車を乗り継いで社宅に辿り着く。パリでは1人暮らし用の部屋にも狭いようなところに4人家族が住んでいたりするのが日本の住宅事情である。独身寮など、やはりどう見てもウサギ小屋であろう。
 筆者は元来生活が不規則になりやすいので、時差は大抵問題ない。その夜は普通に就寝した。20年以上使っているベッドに、使い慣れた枕である。
 翌朝、その慣れたベッドから転げ落ちそうになった。フランスのベッドは1人用でも自由に寝返りが打てるが、日本のベッドは位置を変えないように体を回して寝返りを打たなければならない大きさだったのである。
 そして、あまりの明るさにはっと目が覚め、寝坊したと思って慌てて時計を見ると、まだ5時であった。そう、4月号を読んでいる人はおわかりであろう。日本人はフランス人に比べて3時間寝坊する国民なのである。

   
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17− 常識を再検討しよう

 日本は今日では欧米先進各国と対等あるいはそれ以上の位置を占める国家かも知れないが、地理的に隔絶されていて、文化的にもその根源が異なる国である。したがって日本で常識と思っていることが欧米人には全く通用しなかったり、逆に欧米では当たり前のことが日本人には奇異に感じられることも少なくない。最近話題になったいくつかの大企業の商法違反事件なども日本ならではの出来事であろう。
 そういうわけで、我々が常識だと思っていることでも意外と普遍的でないことがあるものである。逆に、常識に関して無知であったり、非常識であったがために大発見に結びついた例もある。皆さんも一度、今まで当たり前だと思っていたことを見直してみると、画期的な研究成果が上がるかも知れないのである。ということで、ややこじつけがましいが、今回は日本人の常識では考えにくいフランスの常識についてお話ししよう。
1)車は右側通行
 車は左ハンドルで右側通行、これはご存じの通り。しかし、もっと大きな違いがある。例えば信号のない交差点で片方の道に一時停止の標識があることは少ない。右側が優先と決まっているから、右を確認して進めば良いのである。また、狭い道でも必ず一段高い歩道が両側にあるし、縦列駐車用のスペースがあることも多いので、車が時速50kmで走り抜けても安全である。歩道があるため縦列駐車は縁石から数センチに寄せて停めるが、この際、前後の車のバンパーにぶつかってから止まればよい。国道は時速90km制限、高速道路は130km 制限であるが、大抵の人は国道で110km、高速道路で150km以上で走る。地方なら 350km先の町へ2時間で行くことも不可能ではない。
 車は馬力で課税されるので、日本みたいに意味もなく高排気量の車に乗ることはない。それで時速200km 近くで走るのだから、大抵は車の性能ぎりぎりで走っていることになる。
 タクシーに自動ドアはなく、乗客がドアの開け閉めをする。
2)集改札がない
 地下鉄などの入り口には自動改札があるが、均一料金の区間では出口には何もない。長距離列車のホームには改札などは一切なく、誰でも自由に出入りできる。そのかわり列車の中で検札が行われる。ちなみに空港の国際線ターミナルもパスポートを見せる以外はほとんどフリーパスである。
3)階級社会・学歴社会
 上流階級の人は一流大学を出ていきなり大会社の部長か何かになる。中産階級の人は一般の大学を出て一生中間管理職を勤める。一般労働者はいくら頑張っても管理職になることはない。上流階級の人は高級車に乗り、列車はいつも1等車、高級レストランで食事する機会も多いが、庶民は仮に懐に余裕があっても決してこれらのものに見向きはしない。サラリーマンが死亡した場合、死亡診断書には上級管理職、中間管理職、一般労働者の区別が表示される。昔の日本の華族、士族、平民と同じようなものである。
 日本では社長から平社員まで背広にネクタイ、工場では工場長から臨時雇いの職工まで同じ作業服で働くが、フランスでは管理職はスーツにネクタイ、一般労働者はジーンズなどを着用し、制服は少ない。
4)税金・社会保障
 付加価値税(日本の消費税とほぼ同じもの)は20.6%が標準で、食品(酒類、チョコレートなどを除く)は 5.5%、医薬品と新聞は 2.1%である。通常の商店ではすべて内税表示である。ちなみにレストランでもサービス料等をすべて含めた金額を表示してあるから、客は値札や値段表に書いてあるとおりの金額を用意すればよい。
 サラリーマンであっても所得税や住民税は天引きされず、申告して税務署に直接支払う。一方社会保障費はしっかりと天引きされる。
 日本では個人経営の中小企業で利益が出そうなときには家族を社員として雇って給与を支払い、利益を減らして法人税を節税出来るが、フランスでは人を雇うと税金と社会保障費の莫大な負担を強いられ、逆に国に払う金額が大きくなってしまう。これでは失業率が高いのは当たり前である。

 以上、芥川の『河童』よりは現実味のある話だったと思うがいかが?

   
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18− 現場の情報

 前回は自分の周りでは常識だと思っていることでも他所では全く通用しないことがあるという教訓と称して日本ではあまり知られていないフランスの事情をお話しした。今回はちょっと趣向を変えた二番煎じをしてみよう:
 読者の皆さんの中には農業や食品工業等の現場に即した研究をしていらっしゃる方も少なくなかろう。ところでその皆さん、あなたの研究対象の現場の実際をどれほどご存じであろうか。そこの水稲の研究しているあなた、田んぼをもらったら米が作れますか? そこの清酒を研究しているあなた、杜氏の代わりに酒を造れますか? そこのチーズの研究をしているあなた、牛乳からチーズを作れますか? こう書くと色々な分野で不安になってきた読者が少なくないはずである。
 さて、今回は日本で西洋の文物を売り物にしている人々がいかに現地の実状を知らずに仕事をしているかというお話である。現場は西洋料理のレストラン。日本でも最近は本格的なレストランが多く、ヨーロッパで修行したシェフは当たり前、ソムリエまで現地で修行した人がいる。ところが日本とフランスのレストランで以下のような違いがあることを知る人は少なかろう。
 まずはテーブル。バブル末期の12月24日、東京の某高級レストラン、有名なシェフの小さな店であるが、ここで異様な光景が見られた。窓を背にした席にずらりと若い女性が並び、手前の通路側の席には男性ばかりが並んで食事していたのである。これは2人用の四角いテーブルを1列に並べてあるからであるが、フランスの高級店でこのような配置をすることは稀である。フランスで四角いテーブルだけを並べるのは大衆食堂で、高級店では丸テーブルが中心である。角テーブルを使う場合にも壁に近い側だけで、中央には丸テーブルを用いる。そして男女が2人で食事する場合、丸テーブルに並んで着席するか、角テーブルでも大きめのテーブルを用い、通路側には椅子を置かず、2人並んで着席させることが多い。向かい合っていては目が合ってお互い緊張するし、また食事の合間に接吻することもできないからである。
 ところで大衆食堂でも必ずテーブルクロスとナプキンがセットされているが、日本の安い店では全くないことがある。西欧人は異様に感ずるであろうし、やはり不便である。日本のレストランはこのような基本的なことを見落としたまま営業しているのである。
 さて、テーブルが決まったら次に食前酒であるが、フランスではまずシャンパーニュ。シャンパンあるいはシャンペンと言ったほうが馴染みがあるかも知れないが、これをみなさんはどんな状況で飲むだろうか。クリスマスイヴや祝宴の乾杯、あるいはデザートの時 ・・・。ところがフランスでは食前酒で普通にシャンパーニュを飲むことを皆さんご存じであろうか。
 フランスの高級レストランではワインのストックの3割くらいがシャンパーニュであると言われているが、これは食前に飲むことが一般化しているからである。日本ではグラスで出さない店も多いが、フランスの高級店でグラスで出さない店は考えられない。グラス・シャンパンのことをフランスではクップ・ド・シャンパーニュcoupe de champagneと呼ぶが、単にクップと言ってもシャンパーニュが出てくる。また、キールロワイヤルのようなカクテルと区別する意味でクップ・ナチュールcoupe natureと言ったりもする。皆さんも日本のフランス料理店でアペリチフを聞かれたら「クップ・ナチュールお願いします」と注文してみよう。十中八九通じないはずである。それはともかく、シャンパーニュのような高いものをボトルでしか出さなければ一般に普及しないのは当然である。
 食前酒を注文するところで早くも紙数が尽きてしまったが、日本のレストラン関係者はここに書いたことに限らず様々な点に関してフランスの実状を知らない。日本には日本のやり方があってもよいが、大抵はフランスのほうが合理的である。多くの人がフランスで修行していながらこのようなことが起こるのは、供するものの中身だけを勉強して、サービスのノウハウを吸収しようとする姿勢に欠けているからである。昨年9月号でも日本にフランス料理が正しく伝わっていない現状をお話ししたが、店の側の問題意識がこの程度なのだから当然であろう。

   
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19− 借り物

 読者の中には生まれてから今まで一度も引っ越しをしたことがない人もいるだろう。親の持ち家で生まれ、小学校から大学まで自宅から通学しているとすれば、自分の部屋の中にあるものはすべて自分のものに違いないし、その家そのものでさえも、いずれは自分のものになるかも知れない。
 しかし筆者のように家を持たず、十回以上も転居し、様々な仕事・活動を経験していると、世の中のものは何もかもが借り物のような気がしてくるのである。例えば今住んでいる部屋、これは明らかに借り物である。その部屋の中にある机、本棚、ベッド、これらは筆者の所有物には違いないが、この世の終わりまで持ち続けることはできず、いずれは手放すものであるから、そういう意味では借り物と言えよう。名前。本多忠親の名前は借り物であるが、本名とて絶対的なものではない。結婚して姓が変わるかも知れないし、事情があって改名するかも知れない。そしていずれは戒名が付けられることになろう。あるいは無縁仏となれば、我が名は永遠に忘れ去られる運命にある。そして肩書や地位。これらこそ借り物の最たるものである。
 皆さんの研究テーマだって借り物である。筆者が大学の研究室に入ったとき、1年上の先輩が卒論をやりっぱなしにして別の研究所の大学院へ行ってしまった後を引き継いだのであるが、学位を取って大学を去るとき、そのテーマはそっくり研究室に返してきた。その後誰もそれを使っていないのは筆者の知ったことではない。もっとも読者の中には自分でテーマを見つけ、研究を築き上げてきたと自負される方もあろう。しかし多くの場合その研究はやがて顧みられなくなるであろう。あるいはそれが後世にも残る偉大な研究であるならば、その業績は人々に共有され、あなた一人のものではなくなってしまうのである。
 研究者というものは自分の仕事に誇りも責任も人一倍強く感じている人種であるが、普通の人間にとっての仕事などというものは、まったくの借り物に過ぎないことは言うまでもなかろう。
 さて、我々のこの肉体すらも実は借り物である。肉体は皆さんよくご存じの有機物・無機物から生じ、やがては灰に帰す。その肉体に宿る精神とてまた借り物に過ぎない。我が肉体は無より生じ無に帰す。世に神仏などなく、此岸の他に地獄も極楽もなし。肉体が滅すれば即ち精神もまた消え失するものにあらずや。
 突然こんなことを書く気になったのは、フランスと日本との生活の落差に打ちのめされているからである。言葉が違い仕事が違うのは当然としても、温度・湿度が違う。明るさが違う。食べ物が違う。飲み物が違う。生活習慣の違いなど書き出したら「パリ通信」をあと数百回は続けなければならないし、人々の行動様式、思考様式についても無限に書くことがある。とにかく筆者はつい先日までの生活とはまったく異なる環境に突然投げ出されてしまったのである。
 フランスの生活、日本の生活、果たしてどちらが真実なのか? どちらも夢ではなく現実である。そしてどちらも筆者にとっては借り物だったのである。しかし、今パリでの生活を思い出すと夢であったとしか思われないし、逆にパリでは日本の生活を悪夢ではなかったかと疑ったことがある。こう書くと南華の斉物論を思い出された読者も少なくなかろう。
  
  離れ行けば都のはなもむばたまの夢の胡蝶のごとくなりけり

 パリで知り合ったある美しい女性が無性に恋しくなり、手紙にこの歌を添えた。ほぼ同じ頃、彼女も筆者に手紙をしたためていた。封を開くと、最後に二人で休日を過ごした界隈を描いたカードが出てきた。筆者にとってはこの風景もまた借り物に過ぎなかった。二人でシャトー・マルゴーのグラスを傾けた森の中のレストラン、二人で旅したシャンパーニュ地方のシャトー・ホテル、セーヌ川に浮かぶ小船の上で二人で聴いたリサイタルなどの思い出もまた借り物であった。そして彼女自身さえも。あの長い髪、柔らかい手の温もりもすべて借り物であった。
 えっ、女性を借り物だなどと言うのは怪しからんって? でも彼女は人妻だったのだから・・・。

   
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20− 古典と創造

 人間の考えることというのは高が知れている。どんなに工夫しても物事の組み合わせは有限であり、その中で良いものはごく僅かなのだから仕方がない。大容量ハードディスク搭載のパソコンにどんな素晴らしいプログラムとデータを組み込んでも、それは2の数兆乗通りの組み合わせのどれかであると考えれば、人間世界が無限でないことはご了解いただけるものと思う。
 人生に必要な教訓など大昔の中国の本を見れば大抵書いてあるし、恋愛の微妙な心理も古今和歌集の恋歌5巻で半分以上は事足りる。古典は古いから意義があるのではなく、有限の組み合わせの中で良いものが古典として残ったのである。モーツァルトの音楽は平均すると後世のどんな音楽家の作品よりも美しいと思うが、自分で5線紙に音符を並べてみると、彼が既に美しい音の組み合わせを殆ど使ってしまったのではないかと思うことすらある。
 組み合わせが有限である以上、古典の中にも似たものが出てくる。ブラームスが20年掛けて書き上げた第1交響曲の最終楽章の旋律をベートーベンの第9交響曲のそれと似ていると指摘されたとき、「そんなことはロバにも分かる」と開き直った話は有名である。リストのファウスト交響曲の冒頭とそっくりのメロディーがワーグナーのニーベルンクの指環に出てくるが、これがもし偶然の一致なら、親友であり義理の親子でもある二人はお互いさぞかし驚いたに違いない。ウェーバーの魔弾の射手の序曲および第2幕のアリアとヴェルディのリゴレット第3幕(4幕版)の終わりの2重唱も似ている……きりがないから止めておこう。
 芸術に関して言えば、20世紀は19世紀に出尽くした古典の前に新しくて良いものを作り出すことが出来ずに苦悩した時代であると言える。ピカソの絵は素晴らしいかも知れない。武満の音楽は素晴らしいかも知れない。しかし古典派や印象派やロマン派ほど万人に受け入れられるものでないことは論ずるまでもないのである。
 フランス料理の世界でも同じことが起こっている。今世紀初頭にフランス料理技術の集大成ともいうべき大著
(1)が出版されたが、この通りに作ると金が掛かる、料理が重過ぎるといって、最近はあまり顧みられなくなった。今日のフランス料理は美味を犠牲にして軽く作った料理を素材の質で補っているのが実状である。Escoffierの時代にはパリで新鮮な海の幸は手に入らなかったが、今ではトラックがいくらでも運んでくる。この新鮮な魚を使えば味付けを工夫しなくても美味しいのは当たり前なのである。例えば新鮮な舌平目をバターで炒めれば、以前紹介したソース・アメリケーヌ(2) などかけなくても美味しいのである。しかし今日のフランス料理は何か物足りない。クラシック音楽は面倒だから最近の流行音楽で済ませている感じである。
 余談であるが、6月号で紹介した犬が襲ってくるレストランのシェフは時折Escoffierが書いた通りに料理を作って涼しい顔をしている好々爺である。この最高の美味のレストランは滅多なことでは人に教えられない。
 一方、20世紀の科学の世界では幸か不幸か大発見・新理論が相次いで発表され、飛躍的な発展を遂げた。相対性理論や量子力学、遺伝子操作技術、コンピューターの飛躍的な進歩などが果たして良かったのか悪かったのかは後世の判断に任せるとしても、少なくとも古典の組み合わせに終始する閉塞感に苛まれることはなかったのである。
 冒頭でコンピューターの有限性について触れたが、DNAの組み合わせも同様に有限であり、遠からず皆さんの研究も行き詰まる。ここらでひとつ、全く新しい発想の世界を開拓する人が出て来て欲しいものである。
 我々が知っている生物は水を基本にした生化学反応で成立している。例えば液体アンモニアを基本にした低温での有機化学反応を研究し、液安中で生育する人工的な生物を作ってみるのは無理としても、地球よりも低温の天体にそういう生物がいる可能性を研究してみるというのは如何であろうか。低温だから反応が遅く、まだ生物まで進化していないかもしれないが…。
 こんな無責任な事を書けるのは研究者をやめた者の特権である。 (完)
1) A. Escoffier:"Le Guide Culinaire", Flammarion, 1921
2) 本多忠親:化学と生物, 34, 694 (1996)


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番外− ノートパソコン

 2028年のある日の昼下がり、筆者は東京郊外の住宅地の小さな公園を杖を片手に散歩していた。いくつになっても相変わらずで、若い長髪の美女がベンチに座っていたので、歩き疲れたふりをして隣に腰掛けることにした。懐から文庫本の『金色夜叉』を取り出して読むふりをしながら、横目で彼女に見とれていた。最近また流行し始めたミニスカートの裾に筆者の視線を感じたのか、彼女は傍らに携えていたパソコンを膝の上に載せて使い始めた。最近発売された4キロビット、70 GHzの最新鋭機である。パソコンの上の短いアンテナを伸ばし、内蔵の電話でインターネットに接続したようである。
「お爺さんの若い頃のマイコンは8ビットの2MHzだったんだよ」と心の中でつぶやき、なぜかふと空しくなって池の水鳥に視線を移した。
 暫くして彼女がくすくす笑っているのに気付きパソコンに目をやると、何と彼女は「化学と生物」に連載中の『本多忠親の隠居日記』を読んでいるではないか。「化学と生物」に限らず多くの雑誌が紙に印刷されなくなって久しい。インターネットで年間購読を申し込んでおけば、毎月自動的に雑誌が電子メールで送られて来るのである。勿論学会出版センターのホームページの広告欄を見ていて面白いと思ったらその号だけ買うこともできる。支払いは言うまでもなく電子決済である。今では本文と図表だけでなく3次元動画や8chステレオ音声を入れる人も多いが、筆者は頑固に文章だけで通している。
「お嬢さん、それを書いたのは僕ですよ、ボク。」と、相変わらず筆者は心の中でつぶやくばかりである。
 やがて彼女は大学の実験施設に接続した。どうやら彼女は筆者の大学の後輩で、博士課程の1年生のようである。筆者が若い頃はガラス器具で培地を作り、無菌室で植菌、培養室へ持って行って……ということをやったものであるが、今ではありきたりの培地・菌株・分析の場合には全部自動化されているので、自分のパソコンで操作するだけである。NMRやMSの驚異的な進歩などもあり、今や大抵の細菌で殆どの遺伝子と蛋白質の高次構造が即座に分かるようになってしまった。一昨年筆者が冗談のつもりで、「生きたマウスをNMRに掛け、次にそのままMSにぶち込んでどれだけの情報が得られるかやって見たら面白い」と無責任なことを『隠居日記』に書いたら、これを本当にやってみた人がいて、意外と多くの情報が得られたのには呆れてしまったものである。その人は先日もこのデータを元に「マウスの枝毛の発生機構」という論文を書いていた。
 さて、彼女は自分の菌の遺伝子マップを眺めてあちこちクリックしている。そのたびにその部分の遺伝子の詳しい情報と、過去に報告されている遺伝子との相同性等の情報が表示される。ある遺伝子のところで右隅のアイコンをクリックすると、蛋白質の立体構造が美しい3次元コンピューター・グラフィックスで表示された。NMRとMS、そして他の酵素等の情報を総合的に解析し、糖鎖等による修飾まで完全に表示しているようである。彼女は50GBほどのデータをダウンロードすると回線を切り、意を決したように論文を書き始めた。頼もしき哉。
 筆者は再び池の水鳥を眺めることにした。思えば恐ろしい時代になったものである。大抵のことはパソコンで用が済み、わざわざ出掛ける必要などなくなってしまったのである。筆者はその昔フランスで仕事をしたことがあるが、当時は日本からパリまで買い物に来る人も多かった。今ではフランスへ行くのは美術館や観光地を自分の目で見てフランス料理を食べようという人だけである。
 突然彼女のパソコンが鳴り出したので画面を見ると、右下に電話機の絵が点滅していて、下に発信者の電話番号が表示されている。彼女はたちまち嬉しそうな表情になり、そこをクリックすると画面に男の顔が現れた。
「ねえ、○○ちゃん。今どう?」
「うん、いいよ。」
「じゃあ5時頃109の前でいい?」
 彼女はパソコンをたたむと、いそいそと駅へ向かって歩き出した。
「男女の逢ふ瀬許りは文明の利器にては代用出来ぬものぢや。」
 筆者は『金色夜叉』を懐に入れると再び杖を突いて歩き始めた。

   
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