本多忠親のパリ通信


 1.ヨーロッパの文化   化学と生物, 34(4), 254 (1996)

 2.島流し   化学と生物, 34(5), 348 (1996)

 3.イタリア米   化学と生物, 34(6), 386 (1996)

 4.女性総合職   化学と生物, 34(7), 480 (1996)

 5.ワインの飲み方と労働観   化学と生物, 34(8), 546 (1996)

 6.フランス料理(1)   化学と生物, 34(9), 616 (1996)

 7.フランス料理(2)   化学と生物, 34(10), 694 (1996)

 8.言語について   化学と生物, 34(11), 760 (1996)

 9.総説の限界   化学と生物, 34(12), 799 (1996)

 10.マークシート   化学と生物, 35(1), 52 (1997)

 11.博士号   化学と生物, 35(2), 131 (1997)

 12.夏時間   化学と生物, 35(4), (1997)

 13.パソコン   化学と生物, 35(5), 371 (1997)

 14.ペットと家畜と実験動物   化学と生物, 35(6), 421 (1997)

 15.復員記(前篇)   化学と生物, 35(7), 517 (1997)

 16.復員記(後篇)   化学と生物, 35(8), 589 (1997)

 17.常識を再検討しよう   化学と生物, 35(9), 649 (1997)

 18.現場の情報   化学と生物, 35(10), 713 (1997)

 19.借り物   化学と生物, 35(11), 798 (1997)

 20.古典と創造   化学と生物, 35(12), 870 (1997)

 番外.ノートパソコン   化学と生物, 36(3), 200 (1998)



1− ヨーロッパの文化

 1年ほど前まで,
ラグタイムという欄で,ワイン会社に勤める元農芸化学の研究者が日頃思いついたこをとエッセイ風に書かせていただいていた.その続きとして,以下のような文章を準備していたのだが・・・.
 「日本の科学技術は今や欧米先進国に追いつき,追い越して世界一になった」と言われるようになったのも,もう一昔も前のことであろうか.ここに至るには先人達の並々ならぬ努力があった.ウサギ小屋に住む働き中毒と揶揄されながら,ろくに休みもとらず,家庭をも顧みずに頑張り続けた結果が今日の繁栄を築き上げたのである.最近は,時短々々と人馬は進む御時勢になって若干状況が変わってきたが,いまだにゴールデンウィークの谷間の月・金曜日に出社するのが日本人なのである.この世には,飛石連休の谷間の平日が自動的に休みになる国が存在することを知る日本人は少なかろう.
 このようにして欧米の科学技術を吸収し,高めることにおいては素晴らしい才能を発揮した日本も,芸術や文化の点では後進国である.国や自治体の予算支出の少なさもあって,芸術に親しむ機会が少ない上に非常に高くつく.思うに日本人はきわめて唯物的であり,はっきりと目に見える形で結果が表れるものは得意であるが,そうでないものは丸で駄目なのではなかろうか.
 ところで,日本人は新しいものをどんどんと取り入れ,また創造していくことが得意であり,それが今日の繁栄をもたらしたといえよう.これは逆に非常に飽きっぽく移り気であるとも言える.たとえば,自動車のモデルチェンジの頻繁さと,消費者が車を買ってから買い替えるまでの期間の短さは諸外国に例がない.そして,そのおかげで自動車産業がかくも発展を遂げたのである.また,しばらく前のビール戦争なども起こるべくして起こったのである.日本人のこのような性格も上述の文化軽視,いや,文化不信につながっていると考えてよかろう.
 私見であるが,日本人のこのような移り気な性格は日本の高温多湿な気候と日本古来の木造家屋のせいではあるまいか.日本の気候は様々な廃物を迅速に分解し,また頻繁にかつ多量に降る雨が廃物を洗い流してくれる.そして木造家屋はこの気候の中では遠からず朽ち果てていき,ほとんどのものは数十年を経ずして建て替えられる運命にある.そのため,古来日本人は諸行無常,万物は疾く移ろいゆくものであると考えてきたのである.ところが,ヨーロッパでは廃物の分解は遅く,また石造りの建物は二千年を経てなお確固たる姿をとどめている.大都市の普通のアパートが築後200年などというのはごく当たり前のことである.ゲーテのファウストの最終場面を引用するまでもなく,西洋では移ろいゆくものはみな真実ではないと考えられているのである.
 このように考えると,日本でヨーロッパの伝統的な文化・芸術を極めようとすることが無謀に思われてくる.筆者はワイン屋である.ワインはある意味において工業製品かもしれないが,その背景にヨーロッパの伝統文化が控えていることは疑う余地もない.筆者は最上のワインはフランス料理と同様に「芸術に最も近いもの(1)」あるいは芸術そのものであってもよいとさえ思う.それを日本の地で作ることや如何・・・.
 ワイン醸造学に限らず,農芸化学というものは自然科学の中でも最も文化的・芸術的要素を持ち得るものであろう.しかし,そのような要素を日本の農芸化学者が追求することは無駄なのであろうか?
1)辻 静雄:司厨士,17(8), 26 (1971).
 ちなみに,飛石連休の谷間が自動的に休みになる国というのはフランスのことである.
 滅多なことを書くものではない.この原稿が本誌に掲載される前に,筆者は突然パリへ転勤になってしまった.そして,前任者が用意しておいてくれた仮住居は築後300年になろうかという石造りの建物の一室だったのである.そういうわけで,この新コーナー「本多忠親のパリ通信」の誕生と相成った次第.引き続きの御愛読を乞う.

   
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2− 島流し

 前回お話したように,分不相応に大袈裟なテーマでヨーロッパの文化を論じたら,西洋の神様のバチが当たったのか,パリに転勤になってしまった.
 パリとその周辺の地域はイル・ド・フランス地方と呼ばれているが,これは「フランスの島」という意味である.赴任当時,これをもじって島流しになったと言っていたら,ある人が真顔で「ここへ飛ばされるのは本当に島流しだ」と言うので,自らを省みてなるほどと納得してしまった次第である.ところがこの人,昇進した上にボーナスも増えて満足顔だったので,新米をからかっていたのに違いない,と信じることにしよう.
 企業の海外駐在員なんていう商売が世の中にあることは知っていたが,まさか自分がなるとは思っても見なかった.筆者のように農芸化学界を離れてしまった者が,研究に忙しい読者諸氏にヨーロッパでの雑談などをお聞かせして,果たしてよいものだろうかとも考えたのであるが,たまには面白い話が載っていてもよいのではないかという編集部のお話を真に受けて,これからもいろいろと書かせていただくことにしたのである.
 さて,筆者がフランスに流されて来て,まず最初にワインの話をしたのでは実に当たり前過ぎて面白くないので,食物の話から始めることにしよう.フランスの,あるいはEUの農業について,食品衛生基準について,加工食品の特徴について・・・と真面目に書けばネタは(勉強すれば)いくらでもあるが,このページはそういう欄ではない(と勝手に決めている)ので,日常の食生活の四方山話から入ることにしよう.
 筆者は若い頃研究に励み過ぎて(こう書き始めた途端に嘘だと叫ぶ級友の顔がいくつも浮かんできた)結婚しなかったので,一人で暮らす羽目になっている.海外駐在員の給料は日本の3倍という神話があるが,それは家族手当や教育費補助などを含めての話である.安月給の独り者としては,こちらの食材を使って自分で料理することと相成るが,御多分に漏れず,温めるだけで食べられるようなものが多くなるのは止むを得まい.
 幸い筆者は和食がなくてもまったく平気なので,別段不自由はしていない.もっとも,パリには日本人が不法滞在も含めると数万人住んでいるとかで,日本人向けの店が各種あり,味噌でも醤油でも味醂でも,海苔でも梅干しでも何でも手に入る.面白いのは,マヨネーズは本来フランスが本場のはずなのに,日本の代表的な銘柄2種を売っていることである.これらはもちろん日本からの輸入品で,かなり割高であるが,筆者には関係のない世界である.
 とは言うものの,時折日本風の食物が欲しくなる時もある.夏ならスイカを買ってきて食べればそれで満足.意外なことにスイカはどこでも売っているが,皮に縞模様がないものが多く,これがスイカであることに気がつくのに若干の時間を要した.冬ならみかんを剥いて食べたいところであるが,幸いヨーロッパではクレマンチーヌという小型のオレンジがあって,これの安いのを買うとオレンジ特有の香りが弱く,日本のみかんに近い風味がするのである.
 果物だけでは物足りない.日本でも最近流行っているクレープは本来ソバ粉で作るものであるので,ソバ粉はどこでも手に入る.これでソバを打ったら美味しくなかったと言っている人がいたが,彼はきっと日本でも美味しいソバを打つ技術がないだろうということで,一度自分で試してみようと考えている.
 いったい米の飯はどうなったのかという読者の声が聞こえて来そうであるが,米の話は紙面の関係で次回に譲ることにしよう.日本から電動餅つき機を持参している人もいるというくらいで,米は色々な種類のものが入手できるようである.
 もちで思い出したが,正月に突然栗きんとんが食べたくなった.それらしいものがないかと探してみると,栗のペーストに加糖した缶詰があった.バニラ風味であるが「入仏従其俗」,これがこの国の栗きんとんであると思って美味しくいただくことにした.

   
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3− イタリア米

 前回お約束した通り,パリに島流しになった男やもめがどんな米の飯を食べているのかというお話.
 日本で突然米が足りなくなって緊急輸入し,タイ米だブレンド米だと大騒ぎになったことは記憶に新しいが,現在は様々な選択肢ができたというふうに皆さん考えていらっしゃるのであろうか.筆者は幸か不幸か,日本ではほとんど輸入米を食べる機会がなかったが,こちらでは必然的に“非日本産米”を食べることになった.
 西洋料理でも結構米は使う.日本のフランス料理店でほとんど米料理を見掛けないのは,外国らしさを売り物にしているからである.また,フランスには中華料理店などもたくさんあり,米を食べる機会は少なくない.したがって,色々な種類の米が結構簡単に手に入るのである.
 しかしながら,こちらの料理では大抵米を芋や豆と同様に考えて料理するので,米本来の味はわかりにくい.やはり,米の特徴が一番よくわかるのは日本式に炊いた白い飯である.実は筆者はまったくの洋食党で,放っておけば何ヵ月でも和食なしで過ごしかねないが,それを知らずに気を利かして海苔や鰹節などをお土産に持ってきて下さる人がいる.材料が一式揃ったところで,米を買って来て握り飯を作ることにした.
 日本食店に行けば,カリフォルニア米や,ヨーロッパで栽培した日本の品種の米が手に入る.しかし,日本で買うよりは安いかもしれないが,普通の米の数倍はする.高い金を出して重いものを遠くから運んで来るのは億劫である.アパートの向かいのスーパーで売っている“丸い米”を買うことにした.
 このイタリア産の米,丸いからジャポニカ米には違いないが,よく見ると丸すぎる.日本の米はもう少し細長い.それに,日本の基準でいくと,明らかにクズ米である.しかし,1kgがたったの120円の米に文句を言っても始まらない.どうせ1人前,2合も炊けば余るのだから,悪い粒は1つずつ取り除くことにした.
 米飯の美味しさは,米の研ぎ方と炊き方で決まる.極上のコシヒカリでも,家事をほとんど手伝ったことのない女の子に炊かせたら恐らく食べられたものではない.逆に,昔の標準価格米でもうまく炊けばなかなか美味しいものであった.酒造りの洗米,浸漬,蒸米の過程は詳細に研究されているが,以下の炊き方をお読みいただくと炊飯も同じ発想で理解できることがわかる.
 さて,米を研ぐ時は水をたっぷりと使い,始めのうちはあまりかき回していないで,すぐに水を捨てる.これをいい加減にやって,外米はぬか臭いなんて言ったら外米がかわいそうである.しかしクズ米の悲しさ,研ぎ汁が完全に澄むところまで研ぐと,米粒がばらばらに砕けてしまいそうなので,適当に切り上げることにした.こちらの水はミネラルが多過ぎるので,火山灰土壌から湧くミネラルウォーターを入れて炊くことにする.水加減は普通に,すぐに炊いてはいけない.米が水を十分に吸うまで待つこと.そして厚手の鍋で初めちょろちょろ中ぱっぱ,と炊く自信はあるが,前任者に貰った炊飯器が埃を被っていたので,これを使うことにする.
 炊飯器がカチンといっても,すぐに蓋を開けてはいけない.15分ほど待って蓋を開け,すぐにしゃもじで切り返す.ご飯の中に空気を入れるつもりで.
 さあ,ご飯の出来上がり.まずは一口食べてみる.もちろん臭みなんかないし,なかなか良い歯応えである.
 さて,手にニガリの効いた海塩をつけ,握る.中身は梅干しとおかか.温かいうちに海苔を巻いていただく.実に美味しい.1合20円足らずのクズ米も捨てたものではない.それ以来,月に1度は炊飯器を使っている.
 ある日,気紛れで握り飯を梅干しの空き箱に詰めて会社へ持って行った.ところが,冷めたイタリア米はパサパサして,どうにもいただけない.日本で聞いた話の通りである.アミロースとアミロペクチンの含有量を調べようなどという真面目な考えはないが,そのうち餅米を混ぜて炊いてみようと考えている.一方,このイタリア米,酒造りに向いていそうな気もするが,如何であろうか.

   
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4− 女性総合職

 女子学生の就職難が話題になって久しいが,これは何も男尊女卑の伝統のある日本に限ったことではない.フランスでは女性の社会進出が進んでいるようであるが,実際には男女格差が激しく,これは戦後もしばらくの間法律で家父長の強大な権限を認めていたことと無縁ではなかろう.フランスが人権の国というのは誤解にすぎない.
 ところで,日本ではつい数年前を思い出せば,均等法にバブルが重なり,どこの会社も女性総合職を山のように採用した.就職活動に血眼になっている女子学生諸君の参考になるかは定かではないが,少し離れたところから日本の女子社員たちを観察してみよう.筆者はワインが好きで自分の会社をワイン会社と呼んでいるが,実際には様々なものを作っており,色々な人がいることを初めにお断りしておく.
 男性と対等に仕事をこなし,出張も残業も厭わない.同僚に飲みに誘われたら快くつき合う.若造りで愛らしいが,実は結婚している.夫婦別姓主義者で旧姓で仕事をしているが,実に夫婦円満である.妊娠して産休を取ったらしいが,きっと育児休暇は夫と交代で取るに違いない.−−−こんな女性総合職の理想を絵に描いたような人も確かに存在する.
 あるいは自分が企画した新製品の宣伝費が足りなくなり,自分でイメージガールになってしまった人がいる.一回出たら病みつきになったのか,先日も日本から送られてきた新聞で別の新製品を持って微笑んでいた.昔のウーマンリブ運動とは反対に,自らが美しい女性であることを最大限活用する姿勢には脱帽せざるをえない.
 まだ女性で島流し(海外駐在)になった人はいないが,留学や研修で海外を闊歩している女性も何人かいて,彼女らの行動力には圧倒される.
 とは言うものの,こういう人たちはごく一部で,やはり入社後5年を経ずして結婚,退職していく女性が少なくない.採用する側から見れば,女性はリスクが大きいということは,残念ながら事実なのである.
 ところで,筆者が島流しになった理由の一つは英語が少しできるということであるが,もっと英語ができる女性はいくらでもいる.重要な文書を英語で書く時には生き字引みたいな部長に見てもらうのだが,日常英文を書くのは一部の女子社員の仕事である.筆者の英語,特に書くほうは若い女子社員たちに教わったようなものである.
 商業通信文というのは独特の言い回しはあるが,あとは業界用語と中学程度の文法で事足りる点は,学術論文と大差ない.慣れていないとなかなか書けないのも同じで,みんな言いたいことを書いて女の子に渡して訳してもらうことになるのである.
 筆者と同じ部にいた女の子は典型的な関西美人であるが全然訛りがなく,天性の語学の才能を感じさせた.その彼女,流通管理部門の経験もあり,リストラに伴う重要な職務も持っていて多忙であった.閑職の筆者が毎々彼女に仕事を頼むのも憚られるので,タイプライターの腕に覚えがあるのを幸いに,簡単なものから自分で書くようにした.彼女の英文のファイルを引っ繰り返して真似をするのである.
 実は彼女は総合職ではない.筆者の会社は小さいので,コピーやお茶汲みが仕事のOLを雇う余裕はない.しかし,日本語のメモを英語でタイプするのが一般事務職の仕事とすれば,総合職は男女とも存在意義を問われかねないのであるが・・・.
 さて,技術系で優秀な女性を探してみよう.探すまでもなく,この人に決まっている.彼女は自分の部の製品の成分や特徴を実によく記憶していて,営業所から問い合わせの電話があると,即座に何でも答えてしまう.筆者は成分保証書のようなものを作成する仕事をしたことがあるが,彼女が依頼してきた時には大抵依頼者本人に教わりながら書くことになる.そして生半可な知識でいい加減なことを言おうものなら,叱られて詳しく説明してもらう羽目になってしまうのである.彼女は入社後10年近くになるらしい.大学は農芸化学に違いない.修士くらいは出てるだろう.ロングヘアーに眼鏡の似合う長身の美女で,一見すると20台に見える.まだ独身である.
 彼女の恐るべき真実を知ったのはパリへ来る少し前のことである.彼女は商業高校卒の一般事務職であった.

   
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5− ワインの飲み方と労働観

 つい最近まで日本のワイン消費量は年間1人当たり1本程度であったが,安価なワインの普及で昨年は2本くらいになったようである.一方,フランスでは以前は1人150本以上飲んでいたのが現在は80本程度になっている.そして来世紀前半にはさらに半減するだろうといわれているが,日本の消費量がその間に倍増したところで,なお10倍の開きがある.そういう状況であるから,日本の農芸化学者の多くがエノロジーという言葉さえ知らない
(1)のも無理のないことであろう.
 このような消費量の違いは,単にワインが元来ヨーロッパのものであるというだけでは説明できないことは,ビールや様々な食品のことを考えてみれば納得していただけることと思う.やはりワインというものに対する考え方が根本的に違っているのである.
 Oscar Wild の戯曲,"Salome" の一説をご覧いただこう.
Herod: Salome, come drink wine with me, this is exquisite wine. Wine that Caesar sent me himself. Pray, dip into it thy little red lips. Ah! such little bright red lips. Then I will drain the cup.
Salome: I am not thirsty, Tetrarch.
 男性読者諸氏は女の子にワインを飲もうと声を掛けて,「喉は渇いてません」と断られたら驚くに違いない.しかし,渇きを癒すためにワインを飲むという感覚はヨーロッパに何日か滞在すればわかるはずである.食事をする時には何か飲まないと喉が渇く.その何かが水やお茶ではなくワインなのである.あるいは町を散歩していて喉が渇いた時,カフェに入って普通はビールでも飲むのだろうが,ワインを1杯頼んでもおかしくない.もっとも若者がコーラを飲むのはどこの国も同じであるが.
 また,ヨーロッパと日本で労働に対する考え方が根本的に異なることもワイン消費に影響していると思われる.確かキリスト教の考え方では,アダムとイブが犯した原罪のために人間は労働をしなければならないことになっている.極言すれば労働とは必要悪であり,最小限にとどめるべきものなのである.一方,日本では勤勉こそが美徳である.「欲しがりません,勝つ迄は」と言っていたら戦争に敗けてしまったが,その後の経済戦争に圧勝し,大東亜共栄圏の完成はおろか,世界征服をしかねないほどの経済力をもってなお,禁欲的に労働にいそしむのが日本人なのである.
 日本で夏時間の再導入(昔「サンマータイム」があったことを知る読者も少なかろうが)の議論をすると,必ず「残業が増えてよくないから反対」という意見が出てくる.ヨーロッパの一般労働者は仮に残業手当を倍にしても残業なんかしない.今でもちゃんと生活できているのにこれ以上働いてどうする.それよりも明るいうちに家族や友人とスポーツや散歩をするほうがいいに決まっている.そして,遅い夕食を家族揃ってワインとともに楽しんで眠りに就くのである.
 日本の昼休みは長くて1時間,午後もしっかり働くための腹ごしらえと若干の休息の時間である.一方,ヨーロッパでは伝統的に2時間は休む.帰宅して家族と食事したり,帰宅しないまでも同僚や友人とゆっくりと語り合いながらワイングラスを傾けるのである.先日スペインに用があって午後3時半頃電話したら,4時まで昼休みだといって怒られてしまった.
 ヨーロッパに住んでいると,突拍子もないことを考えつくことがある.現在の貯金が何万円,毎年何万円貯金して,今後の平均金利を年3%として,あと何年働いたら仕事をやめても一生暮らしていけるだろうかと.もっとも,ヨーロッパの人たちは働かなくても食えるから,貯金しようなどとは考えないのであるが.
 折しもバカンスの季節.みんな1ヶ月前後休みをとって出掛ける.彼らの本当の人生はバカンスであって,仕事はそのための必要悪なのである.
 日本企業に勤める筆者が今年何日休みが取れるのかは,キリストにもエホバにもわからない.
1) 本多忠親:化学と生物,31,430 (1993)

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6− フランス料理(1)

 昨年後半からテロ,核実験,ストライキと続いて,フランスを訪れる日本人はかなり少なくなったようである.しかしヨーロッパへ遊びに行くとなると,やはりロンドンかパリということになる.ロンドンでもIRAのテロがあるのは同じであるから,結局相変わらずパリには日本人観光客の姿が絶えることはない.
 凱旋門やエッフェル塔は何回も見たら飽きる.買い物は日本のディスカウントのほうが安い.となると,美術音痴の人はやはり食べることに時間と金を注ぎ込むのが正解のようである.フランスくんだりまで来て日本料理や中華料理ばかり食っている人も見掛けるが,折角だからフランス料理を食べよう.
 ところが,このフランス料理というものは日本ではかなり誤解されている.日本でしかフランス料理を食べたことのない人,フランスではパックツアーに組み込まれたレストランにしか行ったことのない人などは,本当のフランス料理を知らない.
 曰く,フランス料理はマナーが難しい,曰く,フランス料理は多数の料理が少量ずつ運ばれてくる,曰く,食卓にはナイフ,フォーク,スプーンが多数並んでいて,使う順番を間違えないように気をつけるべし−−−みんな嘘だと思ってよい.
 フランス料理のマナーとは? 簡単である.「他の人に迷惑の掛からないようにする」あるいは「とにかく楽しく食べる」この程度でよい.
 たとえば,椅子に座る時は左からなんて本に書いてあるかも知れないが,自分で椅子を引いて座ると,当然右手で引くから左から座ることになる.大人数で一斉に座る時に逆の人がいると隣の人とぶつかるから気をつけなさいということであるが,皆さんは宮廷晩餐会に出席するわけではない.友人数人とレストランに行って,どっちから座ろうが自由にしてよいのである.
 あなたのパンは左側のです.飲み物は右側のを飲んで下さい.そんな事は一々言われなくっても,見ればわかるはずである.もっとも,初めてレストランに行った時に多人数で円卓に座ったら問題ではあるが.
 ステーキを食べる時は,フォークを左側に突き刺し,ナイフで一口ずつ切って食べる.これは最初に全部切ってしまうと肉が冷めやすいし,中の肉汁がにじみ出てしまうからであるが,これはマナーなどではなく,おいしく食べるための知恵に過ぎない.
 スープ皿をどちらに傾けようが構わないし,フォークを右手に持ってもよい.日本ではナイフで掻き集めた野菜などをフォークの背にのせて食べる軽業師のような人をよく見かけるが,こんなのはフォークをスプーンのように持ってすくって食べたほうがいいに決まっている.特に魚用のフォークは平べったくて,すくって食べるのに便利である.昔の学校給食の先割れスプーンの親類と思えば恐るるに足らず.最近は,平べったいソース用スプーンが添えられることも多いが,これさえあれば何でもすくって食べられる.
 近年は高級レストランでも料理は通常2皿しか注文しない.最初にスープかオードブルなど簡単な料理を1つ,次にメインの肉か魚の料理を頼む.1皿の量は多く,日本人には1皿でも十分なくらいである.後はデザートであるが,胃袋に余裕のある人はその前にチーズを食べる.最後はコーヒー,2口飲んだら終わりのエスプレッソ.高級店では最初に簡単なオードブル,コーヒーの時にお菓子がサービスされるが,これは無料である.ナイフやフォークはそれぞれの料理を運んでくる前に必要なものを並べてくれるのを使うだけである.最初から全部並べておくのは,日本の結婚式場のように大人数で同じものを食べる場合の作法であって,フランスのレストランで数人が食事する場合には無縁のものである.
 さて,そのフランス料理の中身であるが,作り方を勉強してみるとなかなか面白い.もちろん食品学的,栄養学的に真面目に論ずるつもりはないが,紙数も尽きたので,次回に少し詳しくお話することにしよう.
 フランス料理を楽しむには,あまり人数が多くないほうがよい.4人くらいがいいが,2人いれば一応楽しめる.1人では間が持てないし,ワインの注文一つにしても困ってしまう.というわけで,パリへ一人旅に出る女性読者は編集部を通じてご連絡を.

   
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7− フランス料理(2)

 筆者は料理は化学だと考えている.化学を知らなくても料理はできるが,化学的な知識の裏付けがあれば失敗が少なく,美味しいものができる可能性が高くなると考えるのである.若い頃,栄養士を養成する女子大の食品学の非常勤講師をさせてもらったことがあるが,彼女たちの料理の腕はなかなかのものであった.
 と,これだけ言い訳をしておけば,「化学と生物」にフランス料理の作り方を書いても叱られないだろう.
 日本料理は刺し身に代表されるように素材そのものの良さを味わうことが基本である.魚の塩焼きや天婦羅なども手を加えるのは必要最小限に止め,何よりも素材本来の味を活かした料理であるといえよう.一方,古典的なフランス料理は材料の旨みをとことん引き出し,徹底的に寄せ集め掻き集め,濃縮する料理である.
 まずステーキを焼いてみよう.フライパンにバターとサラダ油を入れ,強火で煙が出るくらいまで加熱して,肉を入れる.しばらくは手を触れない.やがてフライパンを軽く動かして肉が動くようになったら,引っ繰り返して裏も同様に焼く.レアーならこれでおしまい.ミディアムなら火を弱めてもう少し焼けばよい.最初から弱火で焼くと,中の肉汁がどんどんしみ出してしまうから,かならず強火で焼くこと.
 ブランデーがあれば肉に振りかけて火をつける.この肉を皿に移し,そのままあるいはバターを載せて食べる.それも悪くはない.え,赤ワインバターが欲しい? お客さんよくご存じですね.これはエシャロットを炒め,赤ワインを入れて煮詰めたものをバターに練り合わせたものである.
 しかし,筆者ならこういう食べ方はしない.肉を取り出した後のフライパンをよく見てみよう.肉からしみ出した汁が煮詰まってこびり付いている.油は捨てて,ここにマデラワインを入れてかき回す.マデラがなければシェリーでも普通のワインでも,好みによっては日本酒か老酒でもよい.これで肉からしみ出した旨味ペプチドその他が回収された.これを少し煮詰め,固形スープを加える.本式にはフォンをいれる.フォンとはフランスの出し汁のことで,この場合,牛や仔牛などの骨や固い肉を炒めて,炒めた野菜やスパイスと一緒に煮込んだものを使う.昔はフォンにさらに色々加えて煮込んだ濃厚なソース・エスパニョールというものを入れたが,今はそこまで手をかける人はいなくなってしまった.何れにせよ,これでフライパンにこびり付いた旨味のほかに,牛の骨やスジ肉の旨味も一緒に酒の中に溶け込んだのである.塩・コショーをし,バターをたっぷり溶かし込んで,肉にかける.これが高級レストランのステーキソースの定番となっているソース・マデール(マデラソース)である.
 日本の上司から赤ワインバターの改良型を教えてもらった.肉を取り出した後のフライパンでエシャロット(なければタマネギ)を炒め,赤ワインを加えて煮詰める.そこにバターを溶かし込んで肉にかける.これならフライパンにこびり付いた肉の旨味がちゃんと赤ワインの中に回収されているのである.
 骨やクズ肉の旨味を回収するのは魚の場合も同じで,骨やアラを野菜などと一緒に白ワインで煮て出し汁を作る.これをフュメと呼び,魚料理のほとんどのソースに使われている.
 海老の殻も捨ててはいけない.殻を叩き潰して油で炒める.ブランデーをかけて火をつけよう.これに色々な野菜を加えて炒め,白ワインを加えて煮る.さらにトマト,フュメ,フォン,香草を加えて煮込む.最後に海老の味噌まで入れる.これが名高いソース・アメリケーヌである.この中で海老の身を煮て食べれば,海老もきっと成仏してくれるに違いない.
 このように,素材の持つ旨味成分を絶対に無駄にしないのが伝統的なフランス料理の考え方である.またフランス料理のコンクールでは,参加者が材料を無駄なく使い切っているかどうかも重要な評価ポイントになる.環境問題に関心が高まっている昨今,食品業界にとって古典的なフランス料理の考え方が参考になるのではなかろうか.
 なお,フランス古典料理は栄養学的には材料の一覧表を見ただけで栄養士が顔をそむけてしまうようなものであることを付け加えておく.

   
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