8− 言語について

 日本では言葉の乱れが問題になって久しい.若者の「ら抜き言葉」や不必要な外来語の多様など,今では珍しくもなくなってしまった.
 一方,フランスでは政府が正しいフランス語の保存に力を入れているために,フランス革命当時からフランス語はほとんど変化していない・・・と書いてある本があったら大嘘である.リエゾンの省略や「ne抜き言葉」,法律で禁止されているはずのフラングレ(英語の単語をそのままフランス語で使うこと)の多用,さらにはパリを中心とした汚い発音・・・と考えると,日本で習う美しいフランス語が懐かしくなるくらいである.もっとも日本で売っているフランス語会話に本には時折「喫煙しても宜しゅうござりまするか」という感じの古めかしい表現が載っているので要注意であるが.
 こう考えると,言語というものは決して絶対的なものではなく,非常に不安定なものであることがわかる.
 それはともあれ,我々は何かを伝えようとする時には言語を使わざるを得ない.日常のコミュニケーションに我々が日本語を使うように,人はそれぞれ自分の国の言葉を使うと考えがちであるが,ヨーロッパではそうとばかりも言えないことがある.
 ある夜のこと,筆者は自分が住んでいるパリ16区のL通りx番地に美しい女性を連れて帰ってきた.彼女はロンドンに留学中の7ヶ国語を話す才媛であった.とは言っても,彼女をアパートへ連れて帰ったのではなく,最近アパートの入り口に開店したイタリア料理店へ連れて来たのである.
 この店はイタリア人の家族がやっている店であるが,この夜は本当に言語というものがわからなくなってしまった.注文する時には彼女は英語かフランス語,筆者はイタリア語とフランス語のごちゃ混ぜ,二人の会話は日本語のはずだが,オペラの話など始めるとドイツ語が出てくる.店の人はといえば,英仏伊に片言の日本語まで話し出す始末.これでもとりあえず必要な情報は交換できているのであるが,およそ複雑な話はできそうにない.
 こういうのはヨーロッパでは珍しくもない話であるが,聖書のバベルの塔の話を思い出してみれば,言語の違いがEUの統合を妨げる主原因ではないかとさえ思われてくるのである.いっそのこと,ラテン語を共通語にしようなどという時代錯誤なアイデアまであるようである.そうなればみんな自国語訛りのラテン語で話し始めるから,こちらもいい加減なラテン語で話せばよいのであるが・・・.
 日本で生活していると,国際的なコミュニケーションは何でも英語ですむと思いがちであるが,これは単に東アジア,東南アジアの国々がアメリカ一辺倒であるからに過ぎないのであり,ヨーロッパやアフリカへ行けば英語だけですむとは限らないのである.
 話は変わって,論文を書く際にドイツ語で書く人はもういないだろうから,日本語か英語で書くことになる.学会発表も国内では日本語,国際学会では英語で話す.超一流の研究はNatureScienceなどに,一流の研究は米国の有名雑誌に,普通の研究はBBBで農化誌に出るのは・・・と考えていらっしゃる方も少なくないと思う.
 しかし少々待っていただきたい.日本の農芸化学者全員が,ノーベル賞級の大宇宙の真理に迫るような研究を目指しているわけではないはずである.実用的な研究をすればするほど,それを知らせたい人の範囲は限られてくる.日本の食品会社の技師たちに,あるいは農業関係者に読んでもらいたい,そのために敢えて日本語で書く,そういう考え方もあってよいのではないか.日本語の雑誌はそういう観点から活用されるべきである.幸いにして,我等が「化学と生物」には(この欄を除いて)立派な原稿ばかりが集まってきて貴重な情報源となっているのは御同慶の至りである.
 筆者が修士課程の学生の時のこと,ちょっとおかしなことを発見し,ある学会で発表しようと考えた.当時の教授がノリの良い人で,「これはおもしろい,Natureに投稿しよう!」と言いだした.こちらも冗談のつもりで,早速翌日にNatureに投稿できるように英語で論文を書いて教授室に持って行った.教授の困った顔を思い出しながら,すぐに日本語の論文を書き上げたことは言うまでもない.

   
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9− 総説の限界

 その夜,筆者はこちらで会社を経営している少し年上の美しい女性と二人で,パリのとある高級レストランで食事をすることになった.
 前菜には仲良くフォアグラなどの入ったテリーヌを注文し,メインには彼女は仔羊,筆者は牛肉の料理を頼んだ.どちらも濃厚なソースのかかった料理で,よいボルドーの赤を1本注文しようと考えた.しばしワインリストを眺め,選んだワインはシャトー・ラ・ラギューンの1978年.今までこのシャトーを飲んでがっかりしたことはなかったし,78年産の高級ボルドーワインで裏切られたこともなかったから.そして,財布にも優しいワインだったから(勘定はなぜか筆者持ち).
 さて,例によってソムリエなる人が筆者のグラスにワインを少し注いで味見をさせることになる.まずグラスをそっと鼻に近づけ,香りを嗅ぐ.実に若々しい香りがあり,樫樽由来の香りも強い.しかし,微かにある種の悪い香りを感じた.グラスを回してからもう一度香りを嗅ぐ.華やかな香り.しかし,その不快臭は消えなかった.次に口に含む.清酒のきき酒と違い,ワインの場合はたっぷりと口に含み,口の中全体で味わうのである.この時も先程の香りが気になった.しかし,この種の香りが古いボルドーワインにある場合,往々にして抜栓して数十分後にはすっかり消え去り,後に素晴らしい熟成香が現れるものである.ワインを口に入れたまま頷いた.
 やがて運ばれてきたテリーヌを食べながらワインを味わってみる.もうさっきの不快臭は気にならない.そして樽の香が快い.
 「実に若々しいですね.これを突然出されて88年,いや,90年だと言われても信じてしまいそうです.」
 女社長も頷いた.
 しかし,やはりこのワイン,徐々に変わっていき,肉料理を食べる頃にはすっかり違う香りになっていたのである.若々しい香り,樽の香りは消え,後にバランス良く熟成したワイン特有の繊細で素晴らしい香りが現れてきた.この変化には,ワインに関しては素人である女社長もさすがに驚いていた.
 「厚化粧の年増女の素顔を見てみたら,意外にも素敵な御姉様だった,という感じですね.」
と,女社長の横顔を見ながら言った.
 ところで,敢えて名は伏すが,有名なワイン評論家がボルドー中の高級ワインを解説し,それぞれ数十年分を味見して評価した本がある.この本でこのワインを調べてみると,非常に若々しく,熟成感は見られないと書いてある.彼のような人は毎日何十種類ものワインを味見せざるをえず,誰かがグラスに注いでおいてくれたワインを各々1分くらいの間に評価しなければならない.1本ずつ自分で栓を抜き,じっくりと飲み切ってから評価していては,こんな本を書く前に肝硬変どころか急性アルコール中毒で死んでしまうからである.
 ここでふと,元科学者の筆者は総説なるものに思いを致した.自分の専門分野に関係する昔の論文を片っ端から引用して解説するあれである.自分の論文の前書き代わりに小総説を書く人も多い.これを書く時に,すべての論文の実験を追試してみる人などいない.そんなことをしていたら,書き上げる前に定年になってしまうからである.しかし,先程のワインの話と考え合わせると,自分の研究にとって非常に重要な文献を追試はおろか,ろくに読みもしないで総説から孫引きするのは恐ろしいことである.もっとも筆者は若い頃,引用文献の引用文献の引用文献・・・を集めてきて,机の上が19世紀のドイツ語の文献だらけになって笑われたものだが.
 さて,場面をレストランに戻そう.このワインを飲み干して,デザートを平らげ,コーヒーを注文した時にはすでに4時間が過ぎていた.化粧室に立った彼女が戻って来た時には,綺麗に口紅を塗り直していた.
 その後,筆者が女社長の素顔を見ることになったかどうかは読者の御想像にお任せすることにする.

   
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10− マークシート

 ある日,パリの市バスに乗り込むと,突然2人の“試験官”が現われて,問題用紙,マークシート,鉛筆を配り始めた.これはもちろん抜き打ちテストではなく,交通局の行うバスの利用調査である.問題用紙のどこを見ても「辞書持込み可」と書いていないので,ポケットから辞書を取り出すのをためらいつつ,何とか回答した.
 もし日本でこういう調査をやるとしたら,鉛筆には「○○市営バス」とか書いてあって,回答後は記念にもらえそうなものであるが,パリでそんなサービスがあるはずはないので,鉛筆は“答案”と一緒に返すことにした.
 日本でマークシートというと,どうしても大学入試を思い出す読者が多いに違いない.また入試に限らず,若い読者の皆さんが受けそうなところで,公務員試験の一次,運転免許,危険物取扱者など,国や地方自治体が行う試験もマークシートが全盛である.大量の答案を瞬時に処理できるというのは試験をする側から見れば非常に効率の良いことであり,いかにも生産性を重んじる日本国らしい現象である.また,試験の公正さという点からも評価せざるをえない.
 さて,筆者がなぜか住み着いているフランス共和国ではどうであろうか.何せここは半共産主義国家で,国営自動車会社の社長か何かが,「もし我が社が日本企業並みに生産性を上げれば,それだけ労働力の需要が減って失業者が増えてしまう」と本気で発言するような国である.その上,とにかく何をやらせても効率も手際も悪い国民性である.もし学校の試験にマークシートなんか導入したら,教師の需要が減って高学歴者の失業が増え,社会問題化すること請け合いである(ちなみに,フランスではコンピューターの普及が失業を増やしたという議論が真面目になされることがある.産業革命当時の発想のままである).
 しかし,学校の試験に限って言えば,効率など無視してちゃんと筆記試験をやったほうがいいに決まっている.フランスには基本的に大学入試の制度はないが,小学校から大学まで,筆記試験は実に徹底していて,たとえば「○○を△△に用いる場合の長所と短所を述べよ」出題されると,まず○○と△△の特徴を説明し,そこから論理的に長所と短所を導き出して論述する答案が要求されるのである.また面接試験も一般的である.面接といっても,趣味は何ですかなどというのではなく,学科の内容について教師と議論しながら理解度を試されるのである.
 一方,日本では共通一次試験導入以来,試験といえば与えられた選択肢から正解を選び出すのに躍起になってばかりで,随分とおかしなことになっているような気がする.共通一次はその後センター試験と名を変え,現在は何というのか知らないが,科目が減っただけで変わり映えのしないものであるには違いなかろう.
 共通一次導入当時の出題内容と形式が,それ以前のT大学の一次試験と酷似していたことは意外と知られていない.T大学では入試も学期末試験も徹底した記述式であるが,入試を限られた期間内に公正に採点するため,人数制限を行う必要があって,一次試験を実施していた.いわゆる足切りの前身である.ところがこの一次試験を全国に拡大した時に,一体全体どういうわけか,多くの大学が一次重視という愚挙に出たのである.これは自前の試験を手抜きしたとの非難を免れ得ぬものであると筆者はかねがね考えている.それ以降,「T大で予選落ちしないための学力」を測る試験で「不必要に高い得点」を取る能力のある学生だけが他の有名国立大学に入学できることになったのである.しかし,筆者が大学の教職に就くことは恐らくもうないであろうから,大学教育がどうなっても対岸の火事である.
 ところで,共通一次ではHの鉛筆を使うように指示されていたと記憶している.ところが,近年導入された日本中央競馬会(JRA)の馬券申し込み用紙のマークシートはペンでも赤鉛筆でも,そして恐らく毛筆でも(?)読み取れるのである.前者を管理教育の現れとみるのか,あるいは後者をJRAの財力プラス技術力とみるのかは遠い異国にいる筆者には判断できない.ちなみに,ロンシャン競馬場でマークシートを導入したという話はまだ聞いていない.

   
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11− 博士号

 筆者が博士課程の大学院生であった時のことである.ある日の夕方,内線電話のダイヤルを回すのももどかしく,○○学研究室に電話を掛けた.
 「もしもし,F先生いらっしゃいますか」
 電話に出た若い学生からF先生は6号館で実験中だと聞き,すぐにそこに電話する.これは他の学科と共同で使っている実験棟である.若い女性が電話に出る.聞いたことのない声である.
 「もしもし,そちらに○○学のF先生いらっしゃいますか」
 「少々お待ち下さい」
 しばらくして「F先生」が電話に出てくると,
 「土壌学の本多だけど,一人足りないんだ.6時半頃どう?」
 何のことはない,同級生で助手になっていたFを麻雀に誘う電話だったのである.彼は他学科の見知らぬ女学生から突然F先生ですかと言われて面食らったと言っていたが,概して先生と呼ばれる時にはろくなことはないものである.幸い筆者のことを先生と呼ぶ人は最近すっかりいなくなった.ただ「化学と生物」の編集部の,筆者よりも年配でずっと立派な方が筆者のことを先生と呼ぶのは,原稿料の支払いが滞っているために違いない.
 さて,博士課程になると,同級生の何人かは大学院を中退して「文部教官助手」なんていういかめしい肩書きを持つようになる(さすがに今は従6位勲5等だとかいうのはつかないが・・・).一方,こちらは一介の学生の身分のままである.しかし,我々が彼らに対して大きな劣等感を抱かずに済む理由の一つは,我々はすぐに博士号が取れるが,彼らは数年遅れるということであろう.もっとも特別研究員なんて制度があって,これがころころ変わるものだから,一体全体どちらが偉いのかわからなくなったりもする.研究員の旅費の規定が助手よりも上になっているのはけしからんと,Fが麻雀をしながらぼやいていたと記憶している.しかし,自分が研究員だった時の給料を考えると,やはり助手のほうが遥かに偉いに違いない.
 さて,その博士号であるが,企業に入るとその会社によって全然扱いが違ってくる.筆者の同級生にちゃっかり者がいて,「30歳以上で博士号を持つものは管理職にする」とかいう規定のある会社を見つけてきて,入社後しばらくして課長になってしまった.それ以前にも,かなり優遇されているはずである.一方,筆者がいるようなワイン会社では,流行のバイテクをやっている一部の人を除いて,そもそも博士号の何たるかをだれも知らないので,そんなものを持っていても何の特典もない.一応研究部門らしき組織はいくつかあるが,そこの偉い人が博士号を持っていなかったり,逆に博士号を持っている人が研究所を見限って,あるいは研究所に見限られて(?),様々な職種に就いていたりするのである,もっとも,流通を管理する部門の責任者が農学博士であったりするのは実にカッコイイ.
 そういう訳で,筆者は好きでワインの仕事を始めたので構わないが,就職を考えているドクターコースの院生諸君は,事前によく考えられることをお薦めする.
 さて,筆者のように島流し(海外駐在)になった場合はどうであろうか.ドイツやイタリアの取引先と連絡を取る時にはDr.と名前に付けているとハクがついて実に良い.これらの国では博士の社会的地位が確立しているし,研究者に限らず重要な職に就いている人が博士号を持っていることが多いのである.ところが,フランス国内でうっかりDocteurなどと名乗ると,お医者さんと間違えられること請け合いである.英語圏では呼びかける時にMr.の代わりにDr.を付けるが,フランスでは博士号をまったく問題にしないからである.
 いつぞや子会社の役員に出向している大先輩がフランスにやって来て,なぜかある病院の研究医に会いに行く御供をすることになった.その研究医はもちろん医師であり,博士である.一方,筆者は博士ではあるが,医師ではない.さて,その大先輩も博士ではあるが,医師ではない.しかし,彼の名刺を見ると,何と獣医師の資格を持っていた.

   
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12− 夏時間

 ヨーロッパでは今年も3月の最終日曜日から夏時間になる。土曜日の晩、床に就く前に時計を1時間進め、日曜の朝寝坊はいつもより1時間早く切り上げる。あるいはいつもどおり寝坊していると、月曜の朝に眠い思いをすることになる。しかし金曜日に仕事を終えたときには既に暗かったのに、月曜日に帰宅するときにはまだ明るく、世の中が一気に明るくなったような気がする。日本は4月から新年度であるが、フランスも違った意味で新年度のような感じがするのである。(もっともシラク政権はなぜか来年からフランスだけ勝手に夏時間を廃止すると言い出して他のEU諸国の顰蹙を買っているのであるが…。)
 パリの夏は夜10時過ぎでも明るいが、朝は早起きするとまだそれほど日が昇っていない。冬は真っ暗なうちに起き出し、仕事を始める頃夜が明けるが、緯度が高いために日没の時刻は日本と大差ない。
 ところで東京の1日を思い浮かべてみよう。夏、朝起きたときには既に日が高い。早いときには夜明けは午前4時過ぎであろうか。夕方、7時頃には暗くなり、仕事を終えた人たちがビヤホールに繰り出す。冬、早起きの人でも大抵薄明るい頃になってから起き出す。夕方5時頃に日が暮れる。
 ここで筆者が言いたいのは、夏時間の導入の是非云々ではなく、そもそも日本人は国を挙げて物凄い朝寝坊をしているということである。
 試しに夏の一日、時計を3時間進めてみたらどうなるかを考えてみよう。朝7時(日本時間4時)に起きる。外はまだ薄暗いが、涼しくて気持ちがよい。明るくなったころ仕事に向かう。正午(同9時)に昼食。まだ涼しいので食欲が進む。午後5時(同午後2時)に仕事を終えるころが最も暑いが、スポーツでもして汗を流してから一風呂浴びよう。少し涼しくなった午後8時(同5時)すぎに夕食。ワインでも飲みながらゆっくりと食べているうちに日が暮れてくる。12時(同9時)頃床に就けば、きっと安らかに眠れるに違いない。
 冬は2時間だけ進めてみよう。朝起きたときには暗いが、仕事を始めるころには明るくなっている。夜は7時頃まで明るいので、パリのように陰鬱な気分になることはない。
 ここで筆者は提案する。省エネを考えて夏時間の議論をするのなら、まず日本中の時計を2時間進めよう。その上で夏期にもう1時間進めるか否かを議論すべきなのである。
 そんな無茶苦茶なと思われる読者が多いことと思う。しかし、ヨーロッパで暮らしたことのある人なら賛同してもらえると思う。またロシアでは、北方領土でまさにこの時間を採用しているのである。ビザなしで国後島へ行って、日本の主権を主張するために日本時間で生活してみる。すると、人々が一生懸命仕事をしているころになってようやく、我々はのそのそと起き出すことになるのである。
 どうして日本と西洋でこんなに時差があるのかは、冷静に計算してみればすぐにわかることである。パリの経度はロンドンとそれほど違わない。しかし、グリニッジ標準時よりも1時間早いのであるから、本来の時間よりも1時間早寝早起きなのである。一方、日本時間は明石が標準であるが、東京は本来明石よりも30分近く早いはずである。国後島へ行けば1時間くらい早くなる。それを明石時間で生活すれば本来よりも1時間遅くなる。したがって北海道東部の人々はパリの人々よりも2時間も朝寝坊だという議論が成立することがおわかりいただけよう。
 本紙の読者の多くは大学院生などの若い研究者であろう。あるいは最近は企業の研究所でもフレックスタイムのところが増えてきた。皆さんは比較的自由に時間が使えるのである。新年度から気分を変えて、思い切って夏時間の1時間を含めて、3時間早く生活してみようではないか。早朝の電車は空いていて座れるし、車で通勤・通学しても道はガラガラである。早朝の実験室では実験機器やパソコンも使い放題。そして明るいうちに実験を終えればスポーツのひとつもしてみたくなるし、実に健康的でよろしい。
 ちなみに筆者が大学院生のころには大抵昼ごろに大学へ出て来て、酒・麻雀を終えて帰るときには終電を愛用していたことは言うまでもない。

   
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13− パソコン

 最近は猫も杓子もインターネット、インターネットと喧しいが、ここ数年のパソコンの進歩と通信機能の普及による変化には凄まじいものがある。パソコンはつい10年ほど前にはワープロやゲームしか出来ない高価な玩具であり、その少し前には自分でプログラムを組む機械であった。また、数年前まではパソコン通信は一部のマニアのためのものであり、自作のプログラムを流したりする場でもあった。
 さて、そのインターネット、実はフランスでの普及率は非常に低い。これは『ミニテル』というフランス・テレコム(電話会社)のサービスが以前から普及しており、これが一般の人々にとっては十分にインターネットの機能を持っているからである。
 ミニテルは本来電話番号案内から始まった。名前と都市名を入力すると該当する人や法人の名前と住所、電話番号が表示される機械が一般家庭に普及しているのである。この番号案内は3分まで無料で、この他に各企業や機関のさまざまなサービス(インターネットのホームページに相当)があり、利用料は通信料のみ、あるいは実費程度のものから、日本のダイヤルQ2よりも高いものまで色々である。
 いくつか例を挙げてみよう。国鉄や航空会社のサービスでは列車や飛行機の時刻やその他の情報を調べるだけでなく、予約することもできる。また、劇場の予約をするときに自分のクレジットカードの番号を入力しておいて、当日は予約番号を言って領収書を受け取るだけで済むようになっているのもある。商品の宣伝のサービスでは利用者がメッセージを送ることができるのもあるし、クイズがあったりもする。自己紹介と電話番号を入れておくと希望するタイプの異性から電話が掛かってくるかも知れないサービスとか、以前は表示される女性の似顔絵を番号で選んで住所を指定すると、実際にその女性がやって来るサービスまであったという話である。
 官公庁も種々のサービスを用意しており、貿易統計、会社の登記内容等の情報を即座に引き出すこともできるので、フランス人はいちいち霞ヶ関まで調べに行かなくともよい。
 ではこのサービスが近い将来インターネットとつながるようになるかというと、恐らくならないであろう。通信方法が違うし、画面の情報量が少ないなどの技術的な問題もあるが、何よりも文化的な問題が大きいのである。
 インターネットは言うまでもなくアメリカが中心になっている。今やアメリカが唯一の超大国となり、世界中に英語が氾濫しているが、これをフランス人は常々不愉快に思っているのであるから、われらが自慢のミニテルがインターネットに吸収されてしまうようなことを認めるはずがない。それにフランスのパソコンの高いのを買うと、ファクシミリ、ミニテル、電子メールがすべて1台で使えるようになっていて、これらは全部Windows上で動いているから、ミニテルがインターネットとつながらなくても別段不便は感じないのである。
 ところで最近のパソコンは驚くほど高速化された。BASICでプログラムを組んでいたころに比べると何桁も早いに違いない。読者の中にパソコンマニアも多いだろうが、FORTRANやBASICを使える人は少ないであろう。これらが使える人は、今となっては漢文や古文の読み書きができるようなものである。もしCOBOLを使える人がいたら、その人は梵語ができるような貴重な人物である。
 筆者はBASICなら何でも組めると豪語していたことがある。筆者の正体を知っている人は、筆者の学会発表のスライドが昭和の終わりごろから簡単なコンピューターグラフィックスで出来ていたことを覚えているだろう。
 BASICの欠点は処理速度が遅いことであったが、実はこれ自身が基本ソフトでもあり、本来これはコンピューターの機能をすべて引き出すことができるものである。もし現代のコンピューターにBASICを搭載すれば、処理速度の遅さなんか気にならない。5年前にはC言語で作らなければならなかったような複雑なものをBASICで作っても十分動くはずである。こんなプログラムがあったら面白いだろうなと思うものを次々と自分で作ったらさぞかし楽しいだろうと想像していたら、腕がむずむずしてきた。

   
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14− ペットと家畜と実験動物

 パリの街を歩くときは下をよく見よう。なぜならそこかしこに犬の糞が落ちているから―――というのはどのガイドブックにも書いてあるから皆さん御存知であろう。これは飼主のマナーというよりは習慣が日本とは異なるからであるが、一方でそれだけ犬を連れて散歩する人が多いということでもある。東京の、例えば銀座や新宿の裏通りで犬の散歩をしている人がどれほどいるかを考えれば、パリに如何に犬が多いかが分かるであろう。犬が多い理由は大抵のアパートで犬が飼えることや、商店、レストラン、ホテル等に犬を連れて入れることもあるが、何よりも人口のドーナツ化が進んでいないことが大きい。パリの中心部でも家族で犬を飼って暮らせるのである。
 一方、道を歩いていて猫を見ることはほとんどない。テレビを見ていると猫用の缶詰のCMを頻繁にやっているから猫を飼っている人は少なくないはずであるが、パリでは猫を放し飼いにする習慣がないのである。猫に紐を付けて散歩している人はあまり見掛けないから、パリの猫は相当に運動不足に違いない。猫を外に出さないのは車が多くて危険だということもあるが、猫は犬ほどに従順ではないから、公衆の中にみだりに持ち込まないということでもあろう。筆者の友人のある美しい女性が、以前小猫を抱いて街を歩いていたらみんなから注目されたと話していたが、これは恐らく飼主が注目されたのではなく、猫を連れて散歩するのが珍しかったからであろう。
 猫はともかくとして、犬は非常に躾が良い。道を散歩していて他の犬に会っても滅多に吠えたりしないし、レストランのテーブルの下で飼主の食事が終わるまで静かに座って待っているのである。筆者の行き付けのレストランはタンクタンクロー印のガイドブックが星印を付けていたこともある店であるが、大きなラブラドルを飼っている。この犬は実に感心で、客がメインを食べ終わる頃まではじっと店の隅に座っていて、デザートになるとシェフの代わりにテーブルをひとつずつ回って挨拶するのである。もっとも気心の知れた常連客の場合は少々話が違って、食後に手荒い歓待を受けることがある。筆者は時折犬と相撲を取ってマダムに叱られるが、最近は馴染み客が多く、段々御行儀が悪くなって来た。
 地方へ行くと庭付きの一軒家でいろいろなペットを飼っている人がいる。しかし、ペットが犬または猫の場合以外は要注意である。ある老夫婦の家で飼っていたウサギを孫が来るたびに可愛がっていたのだが、ある時孫が遊びに来るとウサギ小屋は空っぽで、その夜孫はお婆さんの手料理を泣きながら食べることになったなんて話を聞いたことがある。またある時テレビを見ていたら、若い女の子が抱いたウサギを撫でながら「この子、今晩のディナーよ」なんて言っている。冗談だろうと思ったらその女の子、ウサギを芝生の上に置き、棒で一発、二発。動かなくなったウサギを木に吊るすと、ポケットからナイフを取り出して慣れた手つきで皮を剥いでしまったのである。
 ちょっと話は違うが、ある雑誌の表紙に白い服を着た男が雄鶏を抱いて撫でている写真が載っていた。よく見るとブレス鶏を持ったジョルジュ・ブランであった。
(1)
 日本人なら放牧されている家畜を見て可愛いと思うことがあるだろう。ところがフランス人は違う。若い女の子が子羊を見て「美味しそう」と言うのが当たり前の国なのである。
 筆者が大学院生の時、3軒隣の研究室に心優しい若者がいた。彼は抗体を作るために飼っていたウサギを全採血で殺すことが出来ず、実験に最低限必要な量だけ採血してからウサギを家へ連れて帰り、ペットにしていたのである。読者の中にも血を採るためだけにウサギを殺すのが忍びない人がいるだろう。しかし、ウサギを家で飼うのも大変である。せめてウサギが成仏出来るように肉を全部食べてあげたらいかがであろうか。ウサギの料理法はスペースの関係で省略するが、各自フランス料理の本を参照されたい。

1)ブレス鶏はフランスで最高の地鶏、Georges Blancはこの地方の有名なレストランのオーナーシェフで、フランスで最高の料理人の一人である。筆者はここでBlanc de Volailleの料理とNuits Saint Georgesのワインを注文したが、ボーイさんはこの洒落を理解してくれなかった。

  
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