とある写しの恋煩い

―5話・とある写しの手合わせ事情―



山姥切が鴇環(ときわ)の審神者の本丸に訪れたその日は、
彼の主である火輪の審神者が仕事で不在の日だ。
今日はここで、普段この本丸では行えない打刀同士での対決を含めた、手合わせを行う事となっている。
「ようこそ、山姥切国広様!」
門をくぐってすぐ、彼の目の前にこんのすけが軽やかに飛び出してきた。
遅れて、ここの主人である鴇環も現れる。
巫女袴風スカートと、透けた鴇色のショールが印象的な、紅鳶と白が基調の審神者装束。
すでになじみを覚えるいでたちだ。
「こ、こんにちは……。」
緊張で震えた小さな声で、鴇環はぎこちない愛想笑いを浮かべている。
もっとも、緊張するのは人当たりに自信のない山姥切も同様だ。
「あ、ああ。いい日和だな。
……わざわざ、主自ら出迎える事もないと思うが。」
「あ、えっと……。」
やり過ぎだったかと、鴇環はしどろもどろになる。
「そう恐縮なさらずとも。何分この本丸は、人手がないものでして。
それに、あなた様は大切なお客様ですから。丁重に扱うのも当然ですよ!」
気まずい空気が流れる前に、こんのすけが率先してとりなす。
2人共に、助かったという心境で内心胸をなでおろす。
「そうか……いや、おかしいと思ったわけじゃない。
ただ、物珍しくてな。気遣いはありがたい。」
珍しいというのは、世辞ではなく本音の感想だ。
付喪神にも非常に丁重な依代の審神者ですら、自ら出迎える事は稀だ。
普通は、他の刀剣がそれをさせないためである。
「じゃ、じゃあ、案内しますね。
ええっと……同じタイプだと、大体分かるかもしれませんけど。」
そう言って、鴇環は先に立って歩きはじめた。
そうして間もなく、廊下の半ばでこんのすけが鴇環に声をかける。
「あ、主様。ほら、あれを忘れてますよ。」
「あ……そうだったね。」
「?」
山姥切が何の事かと首をかしげると、鴇環がこちらに振り返る。
「あの……これから、色々お世話になるじゃないですか。
それで、ええっと……呼び方、短くしても、いいですか?」
「構わないが。そうしないと、呼びづらいだろう。」
山姥切は正式名が長い。言われるまでもなく、そうされるのが当たり前だと彼は思っていた。
刀剣達の名前は人間の姓名とは違うが、それでも短く区切って呼ぶ事を変には思わないものだ。
「よ、良かった。
じゃあ、ええっと……国広さんって呼んでも、いいですか?」
「それは――いや、何でもない。あんたが、それで都合がいいなら。」
一瞬、堀川と和泉守が揃うと紛らわしいと指摘しかけて、寸前でやめる。
ここは、脇差も青江一振りだけなのだ。山姥切と同じ堀川派に分類される刀剣は、誰も居ない。
紛らわしいも何もないだろう。
「そ、それと……私は呼び捨てでもいいですよ。別に、ただの審神者ですし……。」
「いいのか?」
「あ、はい。そんなに、こだわりとかないですし……。」
「そうか、分かった。」
気安すぎないかと思ってつい確認すると、図らずも親しい呼びかけを許可された格好となった。
――しまった。勢いでうなずいてしまったが、本当にいいのか……?――
口にしてから疑問に思っても、文字通り後の祭りである。
こうなったら、思わぬ収穫としておくか、相手はそういう性格なのだと割り切るしかない。
「じゃ、じゃあ行きましょうか、国広さん……。」
「ああ……。」
早速使ってみたという風情で名を呼ぶ鴇環に、山姥切は曖昧に答える。
さすがに、この場で呼び捨てにする勇気は出なかった。


加州や青江との手合わせの合間、ちらりと山姥切は道場の隅を見る。
この本丸の主であるというのに、鴇環はずいぶんと小さくなっていた。
入口近くの角に座って、目立たないようにしている。
端末でメモでも取っているのか、脇目も振らない。
声をかけてみたいという思いはあるが、邪魔をするのは本意ではない。
結局、彼は口をつぐむ。主の火輪が居たら、何をやってると怒られそうだが。
そんな折、外から内番着姿の今剣が走ってきた。
「あるじさまー!」
「ひゃぁっ!っと、いまつるちゃん。馬当番、おしまいですか?」
背中に飛びついてきた今剣に驚きながらも、鴇環は表情を和らげて応対する。
「そうですよ!ばっちりです!」
「お疲れさま。待っててね、今お茶とおやつを持ってきますから。」
「はーい。」
主の背中からさっと離れて、今剣は主を席を立って台所に向かう主を見送った。
しばらく待っていると、道場にいる人数分の茶と菓子を盆に乗せて、鴇環が戻ってくる。
「はい、いまつるちゃん。」
「おおっ、もみじまんじゅうですね!あじはなんですか?」
鴇環に手渡された紅葉饅頭を見て、今剣はきらきらと目を輝かせた。
火輪の元に居る今剣もそうだが、この本丸の彼も甘いものには目がないらしい。
「カスタードですよ。好きだったでしょ?」
「はいっ!」
「主ー俺にも〜♪」
休憩中の加州も声を上げた。
それを待ってましたとばかりに、鴇環がさっと紅葉饅頭と茶を手渡しにやってくる。
「ちゃんと清光君のもありますよ。さあ、青江さんもどうぞ。」
「うん、ありがとう。」
加州の横に居た青江にも手渡す。それから、やや遠慮がちながら山姥切にも差し出してくる。
「あ、あの……国広さんも、どうぞ。」
「ああ、すまない。……あんたは食べないのか?」
「え?あ、ああ……食べ過ぎると、太っちゃうんで。
気にしないでください。」
「多少なら、気にする程じゃあないと思うんだけどねえ。」
「もう十分間に合ってますよ……。
たまに食べない日があったって、困んないです。」
そう言って、彼女はまた元居た隅に戻っていった。
(いつもああなのか?)
振る舞いが気になった山姥切は、声を潜めて青江に尋ねる。
(ん?そんな事ないけど。甘いものは大好きだし、いつもならみんなで食べるよ。
まあ、今は集中したいんだろうねえ。)
彼が言うとおり、茶を飲みながら彼女は先程と同じ作業をしている。
何をしているかは不明だが。
「あるじさまー、ほうこくしょですか?」
「あ、これ?ううん。……ちょっと、色々メモしてるの。
今度の出陣はどうしようかなって。」
「そうですか。あんまり、がんばりすぎないでくださいね。」
「うん、ありがとう。」
今剣に礼を言いながら、鴇環が微笑む。
その後はすぐにまた端末に視線を落としたので、ほんの一瞬だ。
それでも恋情を抱える男心とは目ざといもので、山姥切の目はしっかりそれを捉えていた。
傍目から見れば、年頃の娘がただ表情を和らげただけの笑み。
そんな些細な笑みも、彼の目を通せば花がわずかにほころんだような風情に映る。
――あんな風に笑うのか。――
感慨にも似た気持ちで、彼は呆けたように鴇環を見ている。
見初めた日も、先日訪れた時も、彼の目には、鴇環は心細げな風情だという印象が強い。
会って間もなくで、知らない表情の方が多いのは当然だ。
それでも目を奪われたのは、やはり落差だろう。
――鍛刀の件にけりが付けば、もっと笑うようになるだろうか。――
山姥切が知る女審神者達は、彼の主も含めて大抵表情が明るい。
表情が暗いのは、両親の死別後、長年いとこからの暴力に悩まされていた幽霧の審神者くらいだ。
鍛刀の悩みが笑顔を減らしているのなら、何とかしてやりたいと彼は思う。
「ところでさ、山姥切。」
「あ、ああ。何だ?」
「今度、そっちの短刀達も連れてこれる?」
「恐らくな。主なら首を縦に振るだろう。」
物思いにふけりすぎた山姥切は、慌てて意識を加州の声に向ける。
とっさにそう答えれば、加州は機嫌よさそうに笑みを浮かべた。
「オッケー。その方が、上達イメージ掴めると思ってさ。」
「ああ、そうだろうな。……って、主に意向を伺わなくていいのか?」
「ん?平気だけど。結構俺からアイデア出す事あるから。」
「そうか。」
主従の意思統一のやりようも、本丸ごとに様々だ。
鴇環と加州の関係はいたって良好なようなので、山姥切も追求はしない。
「……少し、あんたの主と話してもいいか?」
「主がいいって言えばね。でも、怖がらせたりしないでよ?
うちの主、人見知りなんだから。」
「分かった。」
先日火輪にも言われているので、それは重々承知だ。
「青江ー。俺はちょっと、これから馬小屋の方見てくるから、後よろしく。」
もう時間なんだよねと言って、加州は青江にこの場を任せて道場を出て行く。
それを見送った後、山姥切は鴇環の元に足を向けた。
「なあ、少しいいか?」
「は、はいぃ?!」
びくっと肩を大きく跳ねさせて、鴇環が顔を上げる。
どうやら、すっかり意識が書き物に向いていたらしい。
「……いきなり話しかけて悪かった。それは、出陣の計画書か?」
「あ、はい……。いつも、検非違使に会っちゃうんで……。」
「ああ、奴らにか……。」
出された名前に、山姥切が渋い顔になる。
検非違使は、特定の時代に何度も訪れると発生する、遡行軍とは別の異形集団だ。
彼らは見た目こそ遡行軍に似ているが、平均的な能力はより高いとされている。
歴史に介入する全ての異分子を排除するという主張の表れか、槍の異形を含む編成を好む。
槍は刀装の守りを貫く力が高く、刀剣達に手傷を負わせる確率が非常に高い。
そのため審神者も刀剣も、検非違使と聞くと嫌な顔をするのが常だ。
「今のあんたが向かってる戦場じゃ、検非違使はさぞ厄介だろう。」
「そう、ですね……いつも皆、ぼろぼろになります。
今剣ちゃんとか、短刀の子が特に怪我が酷くなって……。
もちろん、途中で修繕術を使うんですけど、そうすると霊力がすごく消耗するんで……。」
「そうだろうな。あの術は、審神者の負担が大きい。」
下位の修繕術・掛け接ぎという陰陽術は、全ての審神者が扱える。
だが、資源を用いず霊力のみで手入れを行う修繕術は、術者の負担が段違いに重い。
検非違使との交戦で深く傷ついた刀剣達を何名も直せば、かなり消耗するはずだ。
「だから、本陣を見つける前に帰る事がすごく多くて……それで、戦績が上がらないんです。」
「……。」
消沈する鴇環の言葉に、山姥切は渋面でうなずくしかない。
敵本陣は、遡行軍が送り込まれる拠点となる場所である。
ここの制圧が、審神者が指揮する白刃隊の大きな目標だ。よって、戦績にも大きく影響する。
「仕方ないから、演練はいつも全部の回に参加しますし、
えっと、出陣も出来るだけ行ってますけど……。
同じ所にばっかり行くんで……出ちゃうんですよね。」
鴇環が深いため息をつく。
なかなか新たな戦場に進めない鴇環の本丸では、どうしても同じ戦場にばかり出陣する事となる。
それで検非違使に目を付けられる。
しかも打たれ弱い短刀ばかりの部隊では、昼間の戦場で出くわす検非違使はかなりの脅威。
戦って勝利を収めても、本丸に撤退して手入れや壊れた刀装の補充に資源を費やす。
消耗ばかりでジリ貧だ。
「仕方ないから、私も攻撃術の練習を優先してるんですけどね……。」
「無礼を承知で聞くが、あんたは補助術に適性があまりないのか?」
それに対して鴇環が答える前に、ぴょんと主の背中に今剣が飛びついてきた。
「ひゃあっ!」
「ほんとにしつれいですね、やまんばぎり!
あるじさまは、じゅつはとくいなんですよ!」
ぷうっと頬を膨らませて、今剣が山姥切を睨む。
「す、すまない。」
「こうげきじゅつがあると、ぼくたちはらくなんです。
えんごもいいですけど、こうげきはさいだいのぼうぎょですからね!」
「ちなみに、どんな術を使うんだ?」
「風の術と、後は……形代を鳥の形にする奴です、ね。
今は、あー……これを勉強してます。」
鴇環が陰陽術の術書アプリを起動してから、山姥切に携帯端末の画面を見せる。
「図南鵬翼(となんほうよく)……?」
それは、初めて目にする術だった。
術名の横に書かれた習得難易度は、決して低くない。
だがこの術は、鴇環の適性にはあったものなのだろう。
「おおとりは、しってますよね。あれに化けるじゅつです。」
「戦場だと目立ちすぎるんで、ほんとに、取って置き……ですけどね。」
今剣と鴇環がそれぞれ触れた事が、術の解説文にも記されている。
大陸の伝説に謳われる巨鳥・鵬。その巨躯は天を覆うとも言われ、日蝕の原因とする説もあったという。
そんな霊鳥に術者が化けるのがこの術だ。霊力が許す限り、鵬の巨躯と圧倒的な力を行使できる。
成年姿の刀剣男士を一部隊分、悠々と載せて飛べるとも書かれていた。
ただし、その巨躯が人目を引くのが最大の欠点だ。
そのため、文中では遡行軍との戦いにおいての乱用を固く戒めていた。
「……つまり、文字通り審神者を戦力に変えるための術か。」
どう見ても戦いに不向きに見える鴇環。
この術は、そんな手弱女を遡行軍すら圧倒する体躯の鵬に変えてしまう。
文章には、過信こそ禁物だが、遡行軍と肉弾戦を行っても遜色ない膂力を得られるとも書いてあった。
彼女の口ぶりから言って、自軍がぼろぼろになった際、撤退に用いるのだろう。
「それを……そうか。」
他本丸の、それも主である鴇環の意向である。
口を出す権利も義務も、山姥切にはありはしない。
それでも彼は、この術を唱える彼女の姿を見たいとは思わなかった。
――ここの奴らは、どう思ってるんだろうな……。――
刀剣男士にとって、審神者とは守護対象である。
決して快く応援しているわけではないだろう。
何しろこの術は、後方支援とは正反対のものなのだから。
「……あんまり、効かないですかね?」
「いや、俺の主が習得してる術じゃないから、詳しくは分からないな……。」
火輪が習得している攻撃術は、主に火属性の術だ。
そもそも得意とする属性が全く違うので、比較は難しい。
誠実な彼としては、こう答えるしかなかった。
「もう、しんぱいむようですよ。このまえだって、いったじゃないですか!」
「ご、ごめんね。」
「あるじさまは、しんぱいしすぎです。
ちゃんとできてることのほうが、たくさんあるんですからね!」
「わ、分かったから。ね、ご機嫌直してくれない?」
ぷうっと頬を膨らませた今剣を、鴇環が慌ててなだめる。
そうですねと、神妙に彼は眉を寄せた。
「あるじさまが、ぼくのいうことをしんじてくれたら、すねるのやめます。」
「う、うん……。ごめんね、ちゃんと使ってから、効く効かないは考えるね……。」
「そうです。つかってから、ですよ!」
――うまいな、今剣……。――
にぱっと笑って、今剣は主に抱きついた。
この流れに、山姥切は純粋に感心する。
短刀は女心を心得た者や甘え上手が多いが、今剣はその中でもかなりしたたかだ。
狙っているかどうかはその時々の状況次第だが、うまくやったものである。
自分の手札を有効活用して、主に考えを改めさせたのだから。
「まあ、その。攻撃術は……近づく前に敵に打撃を与えられるからな。
それなりに強力なものを扱えれば、属性が何であれ役立つだろう。
政府だって、使い物にならない術を術書に載せたりはしないはずだ。」
「そ、そうですよね。」
緊張で声が上ずっていながらも、少しは気が変わったようだ。
少しは今剣にならえたかと、内心で山姥切はほっとする。
何しろ彼は口下手だ。悪気はないが技量もない。
「話は変わるが。検非違使の相手にしろ、逃げ方にしろ……。
俺達の本丸でも、主が居る時に遭遇することが何度かあった。
参考になるかは分からないが、交戦時の経験なら話せる。」
「ほんとうですか?」
「ああ。」
「じゃ、じゃあ……教えてもらっても、いいですか?
も、もちろん……うちとよそじゃ、色々違います、けど……。」
「……分かってる。だが、別に……全く使えないわけじゃ、ないだろう。
そもそも、隊の編成が違うのは当たり前だからな。」
出来るだけ落ち込ませないように、山姥切は真剣に言葉を選ぶ。
必死になるのは、それだけ彼が彼女に好感を持たれようと意気込んでいるからだが。


やがて、山姥切が本丸に戻る時間がやってきた。
彼は自分の本丸に帰るために、鴇環にゲートの操作を頼んだ。
本丸の出入りに用いる時空ゲートは、他本丸の刀剣では操作が出来ないからだ。
鴇環は移動に必要な情報を入力した後、取っ手つきの紙袋を遠慮がちに山姥切に差し出した。
「あの、これ……もし良かったら、持って帰ってください。」
「これをか?」
脇から顔を出す長ねぎから察するに、各種の野菜が入っているのだろう。
持ち帰れば、料理当番の面々が喜びそうだ。
「はい。今日の、お礼です。えっと、忙しいのに来てもらっちゃったんで。
取れ立てってわけじゃないですけど、お野菜なんで、その……みんなのご飯に使ってください。」
鴇環は気恥ずかしそうに視線をさまよわせて、恐る恐る手渡してくる。
うっかり手に触れて驚かさないように気をつけて、山姥切は紙袋を受け取った。
臆病な性格の少女に、不用意な接触は好ましくない。
「そ、それじゃあ……。今日は、ありがとうございました。」
「ああ……また来る。」
「あ、はい。えっと、待ってますね。」
無論仕事上の意味合いしか含まないはずだが、
どんな理由にせよ、心待ちにされて嬉しくないはずはなかった。
まだ親しくなる入口の時点だ。かすかでも好感があるのなら、こんなに良い事はない。
――うっかり、しまりのない顔にならずに済んだだろうか。――
ゲートに足を踏み入れる際に、ちらりと振り返る。
姿が見えなくなるまでは見送るつもりなのか、鴇環の姿はまだそこにあった。


―前へ―  ―次へ―  ―戻る―

シリーズ5作目。やっと鴇環とまともに口を利く機会がやってきたまんば君。
事情やら何やらの理解が深まっていくのはこれから。