虹の黄昏

―5話・未知なる土地へ―



―ビオラの魔法屋―
シャランシャランと、ドアに取り付けられたベルが涼しげな音を立てる。
暗いというほどではないが、外の光が入らない店内は相変わらず不思議な雰囲気だ。
ベルの音が鳴ったので、客の波が一旦途絶えている間の一休みにと、
せんべいをつまんでいたビオラが顔を上げた。
「やっほービオラ、来たよ〜♪」
「あ、クレイン君にリイタ。来てくれたんだ。
もしかして、何か買っていくの?」
ビオラはクレイン達の顔を見るとうれしそうに笑って、
食べかけのせんべいをそそくさとカウンターの中にしまいこむ。
接客時にせんべいを食べることは、もう卒業したらしい。
その小さな変化に気がついて、やっぱり2年って長いなあとリイタは思う。
「ああ。明日辺り、北エスビオール地方に出発するからな。」
「え、そんな遠いところに?」
ビオラが驚いて目を丸くする。彼女が驚いた顔をするなんてめったにないことだ。
北エスビオール地方と聞いて驚くのは、別にノーマンに限ったことではないらしい。
隣の地方でありながら、それだけなじみが薄いのだ。
もちろん、行き来が極端に不便なためである。
「うん、変な事件の解決のためにね。あ、ところでこれ何?新製品?」
期間限定商品と書かれた紙の横にある、
一見何の変哲もない1ホール丸ごとのケーキ。
ベイクドチーズケーキのように見えるが、匂いがまるで違う。
ほんのりとネクタルに似た香りがするのだ。
「それ?それはアルファルの糧食。
幻獣の里のモフマーさんの新作お菓子なんだけど、
人間向けに売れるかどうか、試しにおいて様子を見てるの。
すごく長持ちするしおいしいから、ガルガゼットにも大人気だよ。」
『え、モフマー?!』
モフマーと魔法屋。
予想もしなかった取り合わせに驚いて、クレインとリイタの声がダブった。
「うん。私は時々、幻獣の里のトトポポのお店に材料の買い付けに行くんだけど、
その時にたまたまモフマーのところにもお邪魔したの。
そこでこれを見せてくれてね。人間に食べさせてみたいって言ってたから、
それなら試しに私の店に置いてみようってことになったの。」
「そうなのか。それにしても、モフマーもよくわからないな……。」
久しぶりに人間と交流でもしたいのか、こっそり事業拡大を図っているのか。
あるいは長く生きていて暇だから、たまには刺激も欲しいのかもしれない。
幻獣の感覚は人間とずれているところがあるので、あくまで推測に過ぎないが。
「そう?私は結構好きだけどな、幻獣さんたちのこと。」
「あ、あたしも好きだよ〜。かわいいしね〜♪」
すっかり女の子同士で盛り上がっている様子を横目で見ながら、
クレインは必要なものを選んでいく。
女の子は本当にかわいいものとおしゃべりが好きだなと、しみじみ思いながら。
幻獣の外見のかわいさは、男のクレインも認めているが。
「あれ?珍しく気が合うね。で、それは買うの?」
「買うに決まってるでしょー!新しいお菓子のチェックは欠かさないんだから!
ねぇクレイン、これも買っていこうよ!」
キラキラと目を輝かせておねだりするリイタに、
クレインはしょうがないなあと思いながらもこう言った。
「いいけど……2ホールまでにしてくれよ。」
ケーキ類は袋の中で潰れやすいので、正直言うとあまり多く携帯したいものではない。
何よりあまりたくさん買われると、他の必要な物がもてなくなってしまう。
「ちょっと、あたしを何だと思ってるのよ?!
いくら甘いものが好きだって、そんなに山ほど買わないもん!」
荷物の都合もそうだが、山ほど買ってまたビオラにからかわれるのはごめんだ。
彼女にも一応、乙女の見栄というものがあるのだから。
鈍いクレインには、彼女のそんなささやかな乙女心があることを察知できないが。
「じゃあ、後は究極のロールパンを9個と、ピコクラフトを3個買うよ。」
けっこう痛い出費だが、未知の土地に行く準備は万端に整えておかなければいけない。
旅の安全を考えれば、これで丁度いいくらいだ。
「全部8380コールだね。
あ、でもちょっとおまけして7542コールにしとくよ。」
「気前いいじゃない、ありがと♪」
なんとも気前のいい一割引価格は、残金が気になる財布にはありがたい。
そういえば昔も、親しくなってからはこうやっておまけしてくれたものだ。
「ま、昔のよしみってことにしといて。はい、これおつり。
北に行くときは、気をつけてね。」
商品を紙袋に詰めるときに、こっそりフェムトクラフトが入った小さな袋を忍ばせてから渡す。
1つ3300コールのとても太っ腹な、彼女からのせんべつだ。
そうとは知らないクレインは、包装された商品をそのまま受け取った。
「ああ、それじゃ。」
「またね〜!」
買い物を終えた2人は、こうして魔法屋を後にした。
後は、デルサスとマレッタの準備が終わればひとまず準備は完了となるはずだ。


―翌日―
魔法屋で買ったアイテムと、デルサスがデランネリ村で調達した防寒具を持って、
クレイン達は裏通りにあるピルケの家を訪ねに出向いていた。
裏通りというと柄の悪い人間ばかりが居る荒れた場所を想像しがちだが、
カボックの場合はかなり治安がいい。
もちろん、アルカヴァーナ騎士団が目を光らせているためだ。
だからカボックの裏通りというところは、ちょっと胡散臭い店があるだけで、
基本的には金がなくて表通りに住めないガルガゼットの住まいが並ぶエリアである。
その中でも特に貸家が集中する場所に、ピルケの家はあった。
建てられてからけっこう経っているらしく、やや年季が入った小さな家だ。
「おじゃましまーす。」
立て付けの悪い木製の扉を開けると、
待ってましたとばかりにピルケとノルンが出迎える。
「やあやあ、いらっしゃい。もうこっちの準備は完璧さ。」
「ちゃんと縫い終わったのにゃー!ほら、こっちにゃ。」
ノルンとピルケに案内された部屋の中央には、
きちんと縫い合わせた1枚の大きなフェーリング陣があった。
一日で4枚を縫い合わせたにしては、きれいに縫ってある。
「お、いい感じじゃねえか。」
「それじゃ、この上に乗ればいいのか?」
すでに床にしかれているので、こちらの準備は万端だろう。
大体用途の予想もつくが、間違いがあってはいけないので一応クレインはピルケにたずねた。
「うん。乗ったら、行きたいところを強く念じておくれよ。
一度に1人ずつしか乗れないから、慌てないで順番にね。
あ、でもレイナンに行くんだから、乗る前に防寒具着といた方がいいよ。」
「わかった。じゃあ、おれから行くよ。」
クレインはデルサスから受け取った毛皮のマントを羽織ると、
少し緊張しながらフェーリング陣の上に立つ。
行きたいところは北エスビオール地方、スレイフ王国の首都・レイナン。
その名前を強く念じると、ふわっと浮き上がるような感覚を覚えた後にワープした。
「あ、消えたのにゃ!うまくつけたかにゃー?」
「それは、あたし達もやってみなきゃわかんないわよ。
じゃ、次はあたしね〜。」
リイタも毛皮のマントを羽織ってフェーリング陣に立つ。
もちろん、イメージする行き先はレイナンだ。
そうやって全員が北エスビオールにワープしたことを見届けると、
ピルケはふうっとため息をついた。
「ほんとは、一度行ったところじゃないとつける保証なかったんだけどねぇ〜。」
まぁ、デルサス達なら何とかなるだろうと根拠のない確信を抱いて、
ピルケはフェーリング陣をたたんで後片付けを始めた。
「無事に帰ってきておくれよ、相棒。」
北エスビオール地方から無事に帰ってくるまでには、
ただ帰るだけでも長い時間がかかる。
最近の変な事件の解決の手がかりを探す時間も考えれば、
帰りがいつになるかはわからない。
ともかくあの元気な馬鹿面をさっさと拝ませておくれよと、ピルケは祈った。


ふわっという不思議な感覚を覚えてから、白い光の中をしばらく飛んでいた5人。
やがて周囲の光が消えうせたとき、そこは見知らぬ雪原の丘だった。
丘の上からは、すぐ近くにある大きな都市が見える。
「あの町は……。」
「そう。あそこが、レイナンだ。」
一度レイナンを訪れたことがあるマレッタが、クレインの問いに自信を持ってそう答える。
こうしてクレイン達は、無事に北エスビオール地方にたどり着くことが出来た。

―レイナン―
北エスビオール地方全域を治めるスレイフ王国。
ここはデランネリ村よりさらに北にあるため、不毛で貧しい土地の国と思われがちだ。
しかし、実際はとても豊かな国である。
近海には豊かな漁場があり、平地では耐寒性に優れた作物を育ててさらには遊牧も行う。
また山では良質の金属や宝石も多数産出しているので、
冶金や金属加工、宝石の加工もトップクラスだ。
ちなみに最高級のステンド草やティンクルベリーなども育ち、工芸品などと共に重要な産物になっている。
ここ、首都レイナンは国中の人や商品が集まり、
カボックやアコースの2倍以上の規模を持つ大都市として栄えている。
「さ、さむ〜〜〜い……。」
「凍え死にそうにゃぁぁ〜……。」
そよ風程度に吹く風の、身を切るような寒さにリイタとノルンががたがた震える。
デランネリ村の風よりもさらに冷たいのではないだろうか。
デルサスが調達してきた毛皮のマントを着ていても寒いらしい。
「カボックに戻ってくるまで、ずっとあったかい所に居たからな……。
これを着てても寒いのか?」
「フードの隙間から風が吹き込んでくるから……超寒い。」
歯の根も合わないほど震えながら、クレインの問いにリイタが答えた。
体の本体は、毛皮のおかげでそんなに寒くはないのだが、
フードの構造上、どうしても隙間から風が入ってきて首元が寒くなる。
「たしかに、それは私もちょっとこたえるな。
いきなり寒さにさらされたから、体が慣れていないせいだと思うが。」
「やれやれ、平気なのは俺くらいかよ。」
デルサスが大げさに肩をすくめる。どうやらこのくらいの寒さは慣れっこらしい。
よく見れば、フードもかぶっていなかった。
「とにかく宿を取らないと。あの、すいません。宿はどっちに……。」
来たばかりで、しかもこんなに広い町とあっては、
道を聞かないことには宿屋にたどり着けそうもない。
クレインは、近くに立っていた毛皮のマント姿の男性に声をかけた。
「宿ならそこの角を右に……って、誰かと思えばクレインか。」
クレインに話しかけられた男性の口から、
聞きなれた懐かしい声が返ってくる。クレイン達は耳を疑った。
「あ、アーリン!うそ〜、あたしぜんぜん気がつかなかった!」
返事と共に振り返った男性は、紛れもなく2年前に共に旅をした青年だった。
フードからのぞく薄い緑の髪も赤い瞳も、間違えようがない。
しかしまさかこんなところで会うとは思わず、
クレイン達は再会の喜びよりも運命のいたずらに驚かされる。
「ノルンも気がつかなかったにゃ〜。」
「お互いこんな格好だからな。普通、声をかけるまでは気がつかないだろう。」
確かに、頭から足首まですっぽりと毛皮で覆われていては人の判別がつかない。
特にアーリンのようにフードをかぶられてしまうと、
後ろから見たときはせいぜい体格から男女の別を推定できるだけになる。
「いやー、しっかしお前もかわんねーな。
ホムンクルスって年は食わねぇのか?」
デルサスが言うとおりに、2年前に旅していた時と全くと言っていい位外見に変化がない。
しかし受ける印象が少し違うのは、2年という時間で少し雰囲気が変わったせいだろうか。
「年はどうでもいいだろう。」
「いやー、見た目が若いままでいいな〜っと。」
「デルサス、お前はまた何か不埒なことを……?」
ぴきっとマレッタのこめかみに青筋が浮かぶ。
デルサスのろくでもない考えを察知することにかけては、マレッタはもはや天才的だった。
大方、見た目が若いままならいつまでも若い女性と遊べるなどと思っているに違いない。
「短命でいいなら、体を交換してやってもいいぞ。」
「いや……それは遠慮します。」
アーリンにあっさりとそう返されて、デルサスは素直に引き下がった。
忘れてはいけない。ホムンクルスは動物並み、下手すればそれ以上に短命なのだ。
いくら見た目が老けないとしても、寿命が数年から10数年というのはゴメンである。
デルサスはじじいになって最低でも80歳ぐらいまでは生きる予定なので、
たとえ絶世の美形の体が手に入ったとしてもはかなく散るつもりは毛頭ない。
「ていうか、入れ替わったらあたしホントに泣くかも……。」
「気持ち悪いからやめてくれよ……。」
体を取り替えたところを想像したクレインとリイタが、口々にそう言った。
確かにそれは気持ち悪いと、ノルンもしみじみとうなずく。
「おめーら……喧嘩売ってんのか?」
散々言われて頭にきたデルサスが、声を低くして凄み気味にぼやく。
ここまで言われて受け流せるほど彼の心は広くない。
「だって、見た目がアーリンで中身がデルサスなんて最悪じゃない!
この顔から下ネタなんて言われたらもうそれだけで死ねるわよ!」
きっぱりすっぱりとリイタに言い渡され、そこまで言うかとさすがのデルサスも落ち込んだ。
旗から見てもはっきりわかる位にいじけて、俺なんてどうせやられ役だよ。などとぶつぶつぼやき始めた。
が、見事に無視されている。
「……そうなのか?」
そのやり取りがいまいち腑に落ちないという顔で、アーリンがマレッタに話を振った。
話を振られたマレッタは苦笑いするしかない。
「いや、私に聞かれても困るんだが。
まぁ……そういうものだと思ってくれ。」
リイタの理屈がわからないわけではないが、
マレッタはあえてアーリンにそれをくわしく教えることはしなかった。
それを言うとデルサスの傷口に塩をすり込む結果になるのは、言うまでもない。


それから早めに宿をとった後、クレイン達は街中の散策を始めていた。
情報収集のためということはもちろん、純粋に初めての土地に対する興味もある。
歩きながら町の中央にそびえるスレイフ城の頂きに目を向けると、
煌々と燃え上がる大きな灯火が見えた。
その火の色は、不思議なことに白色をしている。
幻想的にゆらめくその炎に、クレイン達は目を奪われた。
「あれは一体何なんだ?」
「久遠の炎というらしい。
この町の明かりは、元々はみなあそこから取ったものだと聞いた。」
先ほどから軽く雪もちらつき始め、昼間ながらやや薄暗い空に向かって燃える炎。
今クレインたちがうろついている辺りは城に近いほうだが、
それを差し引いても離れた場所からはっきり見える以上、かなり大きいのだろう。
「久遠の炎か……なんか神秘的だね。」
「そういえば聞いたことがあるぜ。
スレイフ城の久遠の炎っていうのは水でも絶対消えない、
燃料なしで大昔からずっと燃えてる火だってな。
で、あそこから取った火は町中の店や家の明かりになってるって寸法だ。」
久遠の炎はデルサスが言うとおり、
水をかけられようが蓋をされようが絶対に消えることがない炎だ。
スレイフ王国が建国される遥か昔から、今の国王一族が神の炎として崇め守っていたという。
現在ではレイナンの各住宅や店などのあらゆる建物に最低一つは配られ、
実はこれの有無で戸籍の管理までもかねているという優れものだ。
もちろん消えることがないという特性は、
明かりに燃料がいらないという恩恵を持ち主に与えてくれる。
「へ〜……あ、それでこの町の明かりは炎が変わった色なんだね。」
「私も見たことがあるぞ。
ちょうどセレモニーの最中で、バルコニーに飾られていた。」
「じゃあ、もっと近くで見れたのかにゃ?」
目をきらきらと輝かせて、ノルンがマレッタに聞いた。
好奇心でいっぱいになっている顔だ。
「ああ。きれいだったぞ。
神の炎としてここでは崇められているそうだが、それも当然だと思う。」
マレッタが珍しくやや興奮気味に話している様子を見るだけでも、
近くで見た時に受けたその印象の強さが想像できる。
「でも、あんなに燃えてるのにどうして火事にならないのかにゃ?」
「あっはっは、そんな心配はいらないんだよお嬢ちゃん。」
突然話しかけられて振り返ると、恰幅のいいおばさんが笑いながら立っている。
どうやら土地の人らしく、着ている防寒具に使われている毛皮は見慣れない色と柄をしていた。
「にゃ?!ビックリしたのにゃ、どこのどちら様かにゃ?」
「ああゴメンゴメン、よその人を見るとつい話しかけたくなっちゃってね。
ところで、何で火事にならないのか知りたくないかい?」
「……知りたいのにゃ。」
一拍おいてからノルンがそう返事すると、
おばさんはそう来なくっちゃとばかりに口を開く。
「あの炎は、王様が管理している白炎のたいまつじゃないと火を移せないんだよ。
燃えてはいるけど、他の物に燃え移らないのはそういうわけさ。
もちろん、じかに触ったら熱いけどね。」
おばさんが教えてくれた、久遠の炎のもう1つの特性。
それは、国で管理されている白炎のたいまつというアイテムがなければ火を移せないことだ。
裏を返せば、おばさんの言葉通り他の物には燃え移らないというわけである。
「そうなのか。ん……あれ、あの馬車は?」
クレインがふと目線を横にはずすと、仰々しい馬車とそれを護衛する歩兵の一団が見えた。
今まで色々な土地を回ってきたが、こういう集団を見ることは珍しい。
一体どんな目的があるのだろうか。
「ああ、あれかい?あれはこの前、陛下のご命令で出かけて行った使者の方々だよ。
大賢者様の元に行ってきたはずさ。」
「大賢者様?」
リイタが聞き返す。
するとおばさんは、少し離れたところにある大きな店を指差した。
「詳しく知りたかったら、あたしに聞くよりあそこの酒場のだんなに聞くといいよ。
あそこのだんなの店は、レイナンで一番情報が早いからね。」
情報収集の定番といえば、やはり酒場。
古今東西どこでもそれは変わらない事実だ。
おばさんと別れたクレイン達は、早速その店に入っていった。

―酒場・「雪明り」―
久遠の炎から分けられた、久遠のともし火が灯されている大きな酒場。
店の規模はカボックのワイルドモスの2倍近い。
レイナンができた時に開店した、町の酒場ギルドでも中心となっている店である。
「うっわ〜……すごい人。」
ガヤガヤというざわめきの中では、自分の声もかき消されそうだ。
客は冒険者や旅行者はもちろんだが、一般人もかなり多い。
誰に話を聞こうか迷ってしまいそうである。
だが確実な情報なら店の主人に聞くことが一番なので、まずはカウンターの方に向かう。
「よおマスター。」
「ん、見ない顔だな。あんたら旅人かい?」
デルサスがカウンターの中にいるマスターに声をかける。
見たところ30代くらいの店主が、グラスを磨きながらこちらの方を向いた。
いかにも情報通でしたたかそうな雰囲気だ。
「ま、そんなところだ。ところで外で聞いたんだが、
大賢者様のところに言った使者が帰ってきたんだってな。何を聞きにいったんだ?」
「ああ、この地方で起きている奇妙で恐ろしい事件の解決のためさ。
陛下は今回の事件にはほとほと手を焼いておられてな、
このままじゃ死人と被害が増えるばかりで埒が明かないから、
大賢者様の知恵をお借りしたいと言うわけだ。
他の地方に名前が知れているかどうかはわからないが、大賢者様は偉大な方だからな。」
店主の言葉からすると、どうやらカボックの情報は確かだったようだ。
こちらもまだ手がかりは無いようで、それでは確かに国王も手を焼くに違いない。
「偉大な方っていうけど、一体どんな人なの?」
しかし国王も知恵を借りるほどの大賢者とは、一体どんな人物なのだろうか。
偉大と一口に言われても、知らない人間にはどう偉大なのかわからない。
「そりゃもうありとあらゆる魔法に長けていて、知識も深いお方だ。
それに数百年前から生きておられていて、
建国記念日のセレモニーの時にだけレイナンにいらっしゃるんだ。」
「す、数百年?!ちょっと、それってほんとなの?」
数百年前といったら、恐らくアバンベリーが都市として機能していた頃ではないのか。
いくら大賢者様だ偉大な方だといっても、にわかには信じがたい。
「はっはっは、本当だとも!もっとも、さすがに生身の体ではないようだがね。
その方は昔からずっと、魔道士の里・ズィーゲル・ゲベートの長も務めておられる。
だから歴代のスレイフ王は困ったことがあると、
大賢者様の元に使者を送って知恵を借りていたと言うわけだ。」
「なるほど……それで、ズィーゲル・ゲベートという里はどこに?」
さすがにあらゆる魔法を駆使したとしても、
やはり生身の体を数百年も持たせるのは不可能なようだ。
本人曰くデルサスの5倍生きているゼルダリアの様子を見れば分かるが、
数百年なんてとても持ちそうに無い。
それならば、完全にではないが一応納得がいく。
「ここから東に5日歩いていったところに、封魔の森という森がある。
その森のずっと奥の方に伸びる道を通っていけば、簡単にたどり着ける。
結構人も行くから、森に行くまでも迷わないだろう。」
「それなら大丈夫そうだね。」
どうやらこの程度なら金は取らないらしく、マスターはすぐに教えてくれた。
比較的行き来も楽そうなので、クレイン達はほっとする。
と、なぜか店主が思案顔になってあごに手を当てた。
「あ、でもお前ら……錬金術士は混ざってないだろうな?」
「え?なにかいけないことがあるのかにゃ?」
突然錬金術士の事を話に出されたので、ノルンは戸惑って声を上げた。
するとマスターは、磨いていたグラスを置いて腕を組んだ。
少々言いにくそうな顔をしている。
「いけないというか……その里の人間は、錬金術も錬金術士も大嫌いなんでな。
そいつらを追い払うために、森には結界があるとかいう噂だ。
もっとも、ここ100年近くそこに行った錬金術士は居ないけどな。
ま、もし行ってばれたら袋にされてさらし者にされるって話もあるくらいだし、
いまさら行く馬鹿もいないだろう。」
クレインは思わずどきりとさせられた。
何しろ彼は、まさしくその里で嫌われているという錬金術士、
マスターに言わせれば行こうとする馬鹿そのものなのだ。
しかしここで勘ぐられてはいけないと必死に自分に言い聞かせ、
ぎりぎりで表情だけは平静を保つ。
「へー、それじゃ俺らには関係ねぇな。
で、そっちの方は手ごわい魔物は出るのか?」
「ここの感覚で言えば、たいしたことは無いさ。
まぁ、よそ者はみんなここら辺の魔物でも結構手ごわいってこぼしてるけどな。
だがあんたらは見たところ凄腕のようだし、敵になるのは寒さだけだろ。」
クレインたちの実力を見抜くとは、なかなか鋭い観察眼の持ち主のようだ。
マレッタは感心した面持ちであごに手を当てた。
これだけ人を見る仕事をしていれば、人を見る目が違うものらしい。
「マスター、色々と情報をありがとう。
ついでにここで食べていくよ。」
「お、そう来ると教えた甲斐もあるな。
レイナンの食い物はどれもうまいぞ、注文は何にする?
メニューはそこと壁にあるからな。」
マスターにメニューの場所を教えられたクレインは、
ちょうど手元近くにあったメニューを手に取った。
種類は豊富で、雪ヤマウシのステーキや白ヤマブタのスープなど、
寒いこの土地ならではの品物が多い。
「あ、甘い物ある??」
「ティンクルベリーのタルトなんかがあるぞ。」
ボソッと、リイタの横でアーリンがつぶやく。
しかし、甘い物の名前にも敏感なリイタは騒がしい店内でもそれを聞き逃さなかった。
ついでにノルンの耳もピクリと動く。
「え、ほんとに?じゃ、あたしはまずそれね〜♪」
「ノルンも食べるにゃ〜♪」
どうやら早くも2人のデザートは決まったようだ。
しかし、クレインは素朴な疑問がわいた。
「アーリン……なんで知ってるんだ?」
まさか食べたのかと、ちょっと信じられないという顔でアーリンを見る。
すると、彼はやや不機嫌そうに眉をひそめた。
「1週間前にこの町に来た時、他の店で見かけたからな。」
俺を何だと思っている、と言いたそうにクレインを一瞥する。
軽くにらまれたクレインは、ごめんと小声で謝るしかなかった。
「おーい、クレインお前は決めたか?女はみんな決めちまったぞ。」
いつの間にと思ったが、
彼女たちはいつもメニューを決めるのが早いので気にしないことにする。
メニューをざっと眺めて、クレインは何を頼むか少々考える。
「んー……俺は白ヤマブタのスープにしようかな。」
慣れない極寒の地ですっかり冷えた体は、温かい物が恋しくなるものだ。
肉も入ったこのスープなら、体力もばっちり回復しそうである。
そんなこんなで全員が注文するメニューが決まり、
雪と氷の国での最初の食事をとった。
先はまだ長くなりそうだが、
おいしい料理でスタミナをつけてさっさと片付けたいところである。
もちろん、そう簡単に行くはずがないことも知っているが。



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投稿小説なのに、自作長編並みに時間がかかった痛い代物です。
自作の亀の歩みは自分自身あきらめてますが、投稿小説で間が空くのって痛いんですよね。
前の回が古いページに流れるので……。
アーリンが加わった後は、いよいよ北エスビオール地方をうろつくことになります。
クレイン達も、そろそろのんきにしていられなくなるかもしれませんね。