虹の黄昏


―8話・禁忌の代償は咎人の嘆き―



雪煙は次第に薄れ、その中心にゆっくりと身を起こす人影が見える。
人影、いやクレインはこちらを振り返り、しっかりとした声でこう答えた。
「……おれは、無事だよ。目がいかれそうだけど。」
なんと、クレインは奇跡的に無傷だった。
目がいかれそうだという言葉の通り、強烈な光を見てしまったらしい目をさすっている。
それでも無事な姿の彼を見て、だめかと思っていたリイタの目は見る見る潤んで。
「クレイン〜〜!!」
「うわっ!お、おいリイタよせって!」
文字通りリイタに飛びつかれ、クレインもリイタも雪の中に逆戻りだ。
普段なら「そのまま一生雪に埋もれてろ馬鹿ップル」と、
言われてしまうところだが、今回ばかりは誰も咎めなかった。
「おいおいノルン、すげーじゃねえかオメーの魔法!」
「それはありえないのにゃ〜。
リフレクト・マジックには大魔法をはじくほどの威力はないはずなのにゃ。」
デルサスに手放しでほめられたノルンは、少々困惑気味だ。
普段の彼女なら手放しでほめられたら素直に喜ぶはずなのにと、
デルサスもマレッタも拍子抜けだ。
「そうか?だが、現にクレインは……。」
「いや、あの時確かにノルンが張ってくれたバリアーも、
俺がアイテムを遣って張った結界も破れたんだ。」
「じゃあ、なんで?」
「たぶんライフウォーマーのせいだな。
あの時結界を破って襲ってきた魔法の一部を、こいつが一気に吸収したんだ。
で……今、妙に体が熱くなってる。」
「……どういう理屈なんだ、それは。」
比較的博識なアーリンだが、魔法にはくわしくないらしく首をひねっている。
こちらなら、ノルンの方が断然くわしい。
早速、クレインがのライフウォーマーの状態の観察をして、結論を出した。
「たぶん、これは冷気を吸収する力があるのにゃ。
普段は周りの寒さの方を吸収してるけど、あんなに大きい冷気でも吸えちゃうみたいにゃ。」
腕を上げたのは魔術だけではなく、基礎となる知識も同様らしい。
「クレインが妙に暑がっているし、
たぶん冷気を熱に変換する力があるんじゃないのか?」
「それなら、体が冷えない理屈が分かるな。」
まさかここまで強力に冷気を退ける力があるとは、うれしい誤算だった。
これなら、この先強力な冷気を操る魔物が出てきても安心できる。
「でもよ……クレイン。」
「何だよ。」
クレインはよっぽど暑いのか、マントから熱気を追い出そうと、
すそをつかんでバサバサとたたきつけるように振っている。
話を聞いていなかったのか、怪訝そうだ。
「暑いからってそんなマントをバフバフやってっと、
中に冷気が入って余計暑くなるんじゃねーの?」
「……確かに。」
すそを激しく振ったことで冷たい外気が大量に入り込み、
ライフウォーマーがそれをまた熱に変えてしまった。
こうなるともう、熱の悪循環。
どうやら、自然に発散されるまで待つしかないようだ。
しばらくは蒸し風呂に近い状態が続くようなので、
いったんライフウォーマーをはずして道具袋にしまっておく。
外はこの寒さだ。すぐに体もさめるだろう。
「なあ、おれ湯気とか出たりしてないよな?」
まさかとは思うが、出ていたら少々恥ずかしい。
ゆでたてゆで卵の仲間入りである。
「う〜ん、言われてみればちょっと出てるような……。」
「え……ほんとにか?」
リイタに真顔で言われ、クレインは思わずひやりとする。
が、本気で信じたクレインの顔を見て、リイタはぷっと吹き出した。
「うそ。」
「リイタ〜〜!!」
怒ったクレインがリイタに非難の声を浴びせる。
しかしリイタは、悪びれずに腹を抱えて大笑いしていた。
これは一種の束の間の息抜き、である。


漫才と言う名のたわむれも終わり、
クレイン達は再びズィーゲル・ゲベートを目指して奥に進んでいた。
全員の協力で、どうにかその魔物たちを退けることには成功したものの、
だが、消耗した体力を回復させられるような余裕はない。
空から舞い降りる雪は、時間とともに追い立てるように降る量が増していく。
幸いあちらがクレイン以外の5人に手加減してくれていたので、
クレイン以外は傷らしい傷もない。
しかし、空から降る雪と寒波は手加減してはくれない。
レイナンから出発する前に、購入したこの近辺の地図を見る。
地図で見ても森は広く、深い。
行程でいえばもう半分は超えたものの、
あれ以上の障害がまだあるかもしれない。いや、おそらくあるだろう。
禁忌を犯したものに降りかかる代償は、悪夢のように続いていくに違いない。
「ったく……今度は何が来ても驚いていられねーな。」
「それこそ、フランプファイルがまとめて10体位出てくるかもしれないな。」
「アーリン、その冗談は笑えないからやめてくれ……。」
そんなものが出てきたら最後、全員炭も残らないくらい火炎で焼かれてしまうだろう。
2体出てきただけでも全滅しかけるのだ。勘弁してほしい。
「冗談?失礼な……これは予想だ。」
「余計悪いっつーの。」
むしろ恐ろしいことをさらりと言うアーリンの方が恐ろしいが、
場合が場合だけにありそうだ。
素直に否定できたらどんなにいいことか。
「出てきたら今度こそ終わりにゃ〜……。」
ノルンもどことなくびくびくして歩いている。
ついさっきのことだから、警戒するのも無理はない。
警戒しておくに越したことはないので、
辺りを見回しながら慎重に歩いていると、
突然妙な力が作用する気配を感じた。
ほんの5秒ほどのことだが、なんだかやけに気持ち悪い。
「??……・何だコリャ?」
「何か、空気が動いたような……頭がゆすられるような。」
心底気持ち悪そうに眉をひそめる面々。
吐きそうとかそういうのではなく、
めまいや貧血のような、そうでないような気分の悪さ。
一瞬、存在している感覚さえ消えうせた。何なのだろうか。
「すっごくやな感じなのにゃ〜。」
「……これは―――。」
クレインが何かを感じて言葉を続けようとしたその時、
突然ドサッという2つの重い音が響いた。
嫌な予感がして、はじかれたように振り返る。
「リイタ!アーリン!」
4人が、突然雪上に倒れこむようにひざをついた2人に駆け寄る。
今しがた感じた力で、2人の体に何が起きたのか。
一行に戦慄が走る。
「体から……力が……抜けて……く。」
「クレイン、あたし一体……どうなって……?!」
苦しげに胸を抑え、顔を上げたリイタの顔色は真っ白だ。
痙攣でも起こしかけているのか、体が小刻みに震えている。
あまりにも急激に引き起こされた異常に、本人達も戸惑うばかりだ。
「お前ら、体が消えかけてるぞ!」
「なっ……?!」
青ざめたデルサスの指摘とほぼ同時に、
リイタの顔を覗き込もうとかがんだクレインの目が見開かれた。
その指摘でようやく自分の体を見たリイタは、
己の存在が急速に希薄になっていることに気がつく。
「うそ……やだ、なんで?!クレイン、助け―――。」
クレインの肩にしがみつこうとしたその瞬間、リイタの体が消滅する。
体は源素に分解され、そのままどこかに霧散した。
霧のように大気へ消えた肉体は髪一筋も残らず、
後には、彼女が身につけていた服や装備と、賢者の赤水晶だけが残される。
「リイタァァァァァ!!!」
腕の中に残ったリイタの服を握り締め、クレインが絶叫する。
服に残されたぬくもりさえも外気により奪い去られ、
そこには死という覆せない事実のみが残された。
「アーリン!」
いつの間にか現れていたラプラスが、心配そうにアーリンのそばに寄り添う。
アーリンはひざを折って地面にうずくまり、苦しそうに胸を押さえていた。
その体は見る見るうちに淡い光に変わっていく。
「だめだ……俺も、もう……。」
そういい終わったとたん、同じようにアーリンの体も消滅した。
リイタと同じように、身につけていたものとアロママテリアだけが残される。
「な……おい、リイタ、アーリン!!嘘だろ?!」
「そんな……なんでこんなことに?!」
あまりにも急で不自然な死。
悲しみよりも、理不尽さと疑問が怒涛のように心を埋め尽くす。
全員の心に絶望のベールが覆いかぶさりかけたその時、
森に奇妙な声が響いた。
“わぁーい、やったぁ。”
緊迫した場に不釣合いなほど、子供のように無垢な少年の声。
その直後に目の前に舞い降りたのは、赤い炎をまとった華奢な少年。
年は14,5だろうが、その無垢な声と表情が彼を幼く見せる。
だが容姿も雰囲気も、明らかに人ならざるものだった。
「な、何だおめぇ?」
「ふふ。その石二つ、もらっていくよ。」
思わず先程の出来事も忘れかけ、デルサスとマレッタは身構えた。
彼がぺろりと舌なめずりをする様は、まるで獲物を見ているようだ。
それに危険を悟ったクレインがとっさに赤水晶を拾い、ラプラスもアロママテリアを隠そうとする。
だがその瞬間、赤い光とともにバチっという感電音が響き、
2人の手から2つの石が離れてしまった。
そして、ひとりでに宙を飛んで少年の手に収まる。
「やっとみつけたよ、ボクらの大好きなマナの源。
今日はいい日だなあ〜。たくさん源素も食べられたし、
おまけにこんなにいいものまで見つけちゃった。」
やさしく両手で包み込み、少年は手の中の2つの石に頬を寄せる。
なぜ彼の手に大切なそれらがあるのか、理由は分かりきっているのに、
混乱した頭はそれを理解しようとはしない。
「何を言ってるんだ?!それを返せ!」
「やだよ。これはもうボクのもの。キミ達には渡さないよ。
あはは、バイバイ。」
そう言い捨てて逃げる少年の後を追おうとした瞬間、
灼熱の炎の壁が行く手を阻んだ。
「うわっ!」
熱風にあおられ、思わず顔を手でかばい後方に飛び退る。
それは一瞬のことだったが、炎が消えた後にはもう少年の姿はなかった。
「そんな……くそっ!リイタ……リイタ……。」
彼女が肌身離さず首から提げていた夢見るハートを、壊れんばかりに握り締める。
もし素手だったら、手のひらに血がにじんでいただろう。
少年の無邪気で残酷な笑い声が、耳についてはなれなかった。
「クレイン……。」
マレッタが魂の抜けたような顔でつぶやく。
あまりに突然すぎる出来事の連続に、彼女もただ呆然と立ちつくすことしか出来ない。
「にゃー……にゃー……。
リイタもアーリンも……なんで消えちゃったのにゃー……。
さっきまでずっと元気だったのに、死んじゃうなんておかしいのにゃー……。」
か細い子猫のような呟きをノルンがもらす。
なんで、どうして。それは残された4人全員が問いたいことだった。
だが、その問いに答えるものはここには居ない。
いや、答えられるものが居るのかどうかもわからないだろう。
「……行くぜ。」
デルサスが、かすれた声でつぶやく。
「にゃ!?でも、クレインが……。」
ノルンがちらりと見た先には、
焦点が合っていないような目で雪を見つめるクレインの姿があった。
無理もない、恋人が目の前で消えたのだから。
しかし、だからと言って気が済むまでそうさせてやれる状況でもない。
「おい、クレイン。いつまでそうしてる気だ?」
「……!!」
デルサスの予想していた通り、
こちらに振り返ったクレインは、にらみつけるような悲しいような目をしていた。
痛々しいほどの悲しみが伝わってくるが、
デルサスは心を鬼にして続ける。
「オメーの気持ちは分かる。俺も他の2人も、悲しいのは一緒だ。
けど、こんなところでいつまでもつっ立ってるわけにはいかねぇんだよ。」
「……わかってる!けど……。」
デルサスがどんな気持ちで言っているのか、
鈍感なクレインはつかみきれていない。
それでも、何の思いやりもなくそう言っているのでないことだけは分かっている。
だが、立てない。
頭では分かっていても、感情で凍りついたように動けないのだ。
「なぜ、錬金術士ではない2人が犠牲になってしまったのかはわからない。
しかしこの先に住んでいる魔道士なら……もしかしたら、2人を救う方法を知っているかもしれない。」
「そうだ……あきらめたら、終わりだったな。」
いまだ憔悴しきった顔のままではあったが、
クレインは立ち上がり、顔を上げた。
立ち止まっているわけには行かない。
死んだ、いや消滅したというほうが正しい2人を救える保証はない。
むしろ救えない可能性の方が大きいだろう。
しかしそれでも、進まなければならないのだ。
かつて、そうであったように。


静かに降っていた雪はいつの間にか荒れ狂う吹雪となり、
うなる風の音は残酷な事実をたたきつけるかのように無常に響く。
心を手ひどく傷つけられた4人から、
容赦なく体温を奪おうとするだけではない。
涙さえも凍てつかせるその冷たさは、悲しむ間すら許さないかのようだった。



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リイタ&アーリン、いきなりご臨終です。
このまま死んだままなのか、それとも救済措置があるのかは次回以降に。
そして、ライフウォーマーにサーモスタットはついてません(爆
かなり展開が激しく転がったのですが、もう少し転がる予定です。落ち着くのはいつでしょう。
て、いうか自作並にアップ遅い……。
まさかイリス小説に票が多いのってそのせいとか……?
いや、どうなんだか分かりませんけど。