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そこはまるで、どこぞの王家の眷属である御方の住まう別宅のような、見事で高貴なお屋敷だった。頑丈そうな柵に守られた敷地の中には、涼やかな風に揺れる色濃い緑に囲まれた泉水やら小川やらまで設しつらえられた、ちょっとした公園クラスの庭園が広がっており。結構な距離のある玄関までのアプローチ沿いには、柔らかそうな芝草の上、鮮やかに咲き誇る薔薇やトルコキキョウなどが華やかな色彩を競っている茂みが続く。数分ほども歩くと、やっと見えて来たのが屋敷の全景で、これがまた瀟洒にして荘厳。白亜の楼閣を思わせるような風格ある白壁の邸宅は、各階それぞれの天井が高いのだろう、2階建てなのに随分な高さがあり、テラスや窓を飾る装飾の浮き彫りがこれまた見事。
「うわぁ〜〜〜。」
ついのこととて、あんぐりと口を開けて見惚れてしまったナミに、クスクスと悪戯っぽく微笑って見せた夫人は、
「大きいばっかり、古いばっかりなのよ? こんな小さなおばあちゃんの寝起きに、そんなにお部屋が要るでなし。そうねぇ、博物館に間借りしているようなものかしらね。」
可笑しいでしょうと屈託なく笑い、
「そりゃそうだな。」
あっけらかんと続けて笑ったルフィの声に、先導するように前を行く黒服の警備員の男がちらっと視線を投げて来たものの、夫人が微笑みながらゆるゆるとかぶりを振ると、何という反駁も舌打ちもせず、素直に顔を戻してしまう。警護という仕事柄、恰幅の良い、むくつけき外見をしている彼だが、この夫人へは絶大の忠誠を捧げているらしい。数分ほど歩いてやっと辿り着いた玄関から屋敷へと入ると、内部もまた荘厳華麗にして豪奢な作り。床は大理石で、微妙に色違いの石を組み合わせてモザイク装飾をなされており、紋章のような図柄が丸く描かれている。これはやはりそれなりのお家柄の人物であったかと、改めて感じ入っていたナミの傍ら、
「ゴート、セサミに言ってちょうだい。お客様をお連れしました。ケーキを沢山用意して下さいって。」
夫人が楽しそうに男へとそう告げていて、
「おお。ばあちゃん、俺、一杯食うぞ?」
ルフィがそんな念を押す。
"だ〜〜〜っ、こいつはっ!///////"
いつもの調子を発揮して自分へまで恥をかかすなと、ナミが麦ワラ帽子の上から船長さんの真ん丸な頭をぐいぐいと押さえ込んだが、夫人は軽やかな声を立てて笑い出し、
「構いませんよ。食が細くなった私一人のためにだけという調理では、セサミも腕の振るいようがないと思っている筈。思う存分、山ほどのお菓子やケーキを作ってもらいましょうね?」
俗な言い方で、間近に見るコントに笑いのツボを押されでもしたかのように。どうかすると苦しそうに涙を浮かべてまで笑っている奥様へ、
「…カララ様。」
護衛の男、ゴートとかいうおじさんが、呆気に取られたようにキョトンとしてから…ふっと穏やかなお顔になって、恭しく頭を下げ、エントランスホールから奥向きへと足早に去ってゆく。
"…?"
何だか意味深な雰囲気だったと、気がついたのはナミと剣豪さんだけのようだったが、
「伯母様、お帰りでしたか。」
そんな声が不意に頭上から降って来て、それにはルフィも気がついたらしく、
「あん?」
顎から顔を上げてそちらの方へと視線を向けた。まるで映画のワンシーン。ゆるやかな弧を描くように階上へと上ってゆく広い階段のその頂上に、二人ほどの人影がある。双方ともにこざっぱりとしたサマースーツ姿であり、一応はにこやかな表情を浮かべているが、そもそも目上の人へ頭上から声をかける不遜さが、それなりのマナーを心得ているナミには まずカチンと来た連中。
「お待ちしておりましたよ。また"虹の泉"をご覧になりに行かれてらしたのですか?」
すたすたと先に降りて来たのが、頭の側面を見事に刈り上げた若い男で、頂上の台地にだけ黒髪を残しているのが、いっそ何かしらの毛皮を乗っけたみたいに見えもする。もう一つ面白いのが、黒々とした眉が真っ直ぐ一直線につながっていることで、わざとそんな風にトリミングしているのではなかろうかと思えたほどの見事な直線ぶりで、ルフィなどはとうとう、この男を"一本眉毛"と呼び続けたほど。
「あの見晴らし台からは沖合いまで見渡せますからね。心惹かれてお運びになられるお気持ちは、私にも重々判りますとも。」
どこか芝居がかったポーズにて、心痛いかばかりかという表明をわざわざして見せるところが却って鼻につく人物である辺り、
"言ってることと胸の裡うちはまるきり違うと踏んでいい人間だわね。"
解りやすすぎるところが小者だなと、むしろ呆れたナミに対して。チロリと…値踏みするような視線を投げて来た彼は、そのままフンと鼻を鳴らしてそっぽを向き、お前たちとは人種が違うのだよと言わんばかりの顔になる。そんな彼の後から、
「ザッタ坊っちゃまは、奥様のお心をいつもいつも案じておいでなのですよ。」
ああなんて心優しき坊っちゃんだと、ゆっくりとかぶりを振って、しみじみ感慨深げな顔をして見せた連れの男が降りて来た。この若者の専属太鼓持ちかと思っていたら、この男はなんと弁護士なのだそうで、
「このタラル、坊っちゃんには一生ついて行きますぞ。」
こちらさんもまた妙に言動が芝居がかっているものだから、
「なんだ、こいつら。役者か? 旅芝居の芸人か?」
ルフィが遠慮のない声を上げたのへ、やはり棘々しくも眉を上げ、蔑さげすみの視線を振り向ける。確かに上等の身なりで頭の先から足元までを固めてはいるが、
"…洗練されてないったら。"
ちょっとやり過ぎで歯が浮きそうにもなるサンジの美辞麗句の方が まだ、本心からの女性への敬愛を含んでいるだけ罪がないし、何よりも高尚で洗練されている。少なくとも…自分の卑しさしか表せない、こいつらの振る舞いの何百倍もマシだわよと、ナミはやれやれと呆れ返って見せるばかり。直情的にむかっとするのも馬鹿馬鹿しいし、そんなことをしたなら、間に挟まれるこの奥様が一番困るだろうからと黙っていると、
「伯母様、いけませんよ? 外海から来た者を誰でも彼でも招き入れては。」
一本眉が、いかにも憂慮を込めてますという顔つきになってそんな事を言い出して、
「いくら リオスくんの安否を知りたいからと言ってもね。礼儀も知らない不遜なばかりの、得体の知れない輩に安易に接してはなりません。」
真顔の真声。真剣な話ですよと一本眉が言い立てる。
「伯母様の資産を目当てにどんな嘘を並べるか。このグランドラインを航海する他所者にロクな人間はいない。こやつらは見た目以上に強かなんですよ。」
聞こえよがしの良いように、これはさすがにナミが眉を寄せる。自分たちがそんな風に言われるのには慣れもある。海賊なんだから真っ当な人間じゃないって自覚もある。ただ。そんな人間たちを穏やかに笑いつつここへと案内して来たのは夫人の方だ。それを知らないにしたって、そんな圧しかぶせるような言いようは、彼女への罵倒愚弄に外ならず、
"…何よ、こいつら。"
しかも。その"坊っちゃん"よりは年長だろう太鼓持ち野郎も、にやにやと笑うばかりで窘めようともしない。どこか他人事みたいに構えて平然としていられたナミも、ここに及んで遅ればせながらムカムカと腹が立って来たのだが、
「言いたいことはそれだけですか。」
一方的に言われ放題だった奥方が、ぴしゃりと叩きつけるような張りのあるお声で言い返し、
「ザッタ、それにタラスさん。私、あなた方の今日のお越しを伺ってはおりませんでした。あなたの言う"礼儀"に則れば、目上の人を訪ねる時には、前以ての連絡と許可が必要なのではないですか?」
「う…。」
「2日と明けずに運んで下さるのは、私を案じてのことと思っていたのですけれど、未熟な方々からお説教をされるほど、まだまだ私は老いぼれてはおりません。これは無礼と計上しても構いませんわよねぇ。」
――― いつの間にか。
奥方の様子が変わっている。しゃんと胸を張っての弁舌には、さすがはこんな大きな屋敷の当主たる風格…とでもいうのだろうか、威風堂々、人を圧して平伏させるだけの力と存在感があり、ほっそりと小柄だった体躯まで、幾回りも大きく見えたほど。
「…ばあちゃん、凄げぇ〜。」
こそりとルフィが呟いて、それへ応じるかのように、この場へ"ぬうっ"と姿を現した人影が1つ。
「お帰りですよ、ゴート。」
「はい、奥様。」
夫人と彼らとの間に立ち塞がったゴートさんには、こちらもまた、有無をも言わせぬ迫力があり、彼の出現にはタラスとかいう太鼓持ち弁護士が慌てて見せた。力づくになられてはかなわんと、解りやすくも怯んだのだろう。
「…判りましたよ。今日のところは帰りましょう。」
やっとのこと、若者へその旨を伝えたおじさんだったが、こちらはそうはいかなかったか、
「けど、いいですか? 伯母様。虹の泉に虹が架からなくなってもう3カ月。私たちだけじゃあない、町の者たちだって…。」
往生際悪く言葉を連ね続ける若者の背を、恰幅の良さを発揮してゴートさんが押して押して外へと押し出し、
「お茶の用意が出来ました、奥様。」
何事もなかったかのように居住まいを正す彼に、
「ありがとうね。」
カララ夫人がそれは清々しくにっこりと微笑んだ。先程までその小さな体から放たれていた厳然としたムードはあっさりと拭い去られており、
「さあさ、お茶に致しましょう。この匂いは、チーズケーキかしら。」
「んと、そうだぞっ。サンジの得意なアップルパイの匂いもするぞっ!」
こちらも打って変わって、それはわくわくと楽しげに小鼻を動かすルフィの無邪気さに。夫人も、そしてゴートさんも、穏やかそうな表情を向けて微笑ましげに笑って見せたのだった。
◇
庭へと向けて大きく開け放った大窓からそよぎ込む風も爽やかな、それは明るい広間にて、でんぐり返しが出来そうなくらい大きなテーブルに、ホテルの"ケーキ・バイキング"もかくやというほど大量の、ケーキ各種にシュークリームとクッキー。ババロアにスコーン、フルーツサンドにアップルパイと、一体何十人分なんだというほどのスィーツを並べていただき、飲み物は薫り高い紅茶と、涼しげなグラスへ注がれるサワードリンク。バラの花弁が封じ込められたゼリーの華やかさも目に涼しい、とんでもない"お茶"になっている。だがだが、こちらもこのくらいの"敵"に怯むような人物ではなくて、
「おお〜〜〜っ!」
広いお部屋と大きなテーブルを埋め尽くすお菓子の山に、狂喜乱舞しながら真っ先に飛びついたのが船長さんであり、
「…あ〜あ。」
またまた恥をかかすか、こいつはと。頭痛がして来そうな額を手のひらで押さえたナミへ、
「さあさ、あなた方もお食べなさい。そうそう、甘いものが苦手なら、昼間からお酒という訳にもいきませんが。」
そうと言いつつ、それでも…すぐ外のテラスに据えられてあったのは、大きなワインの樽であり、これには剣豪さんが眸を輝かせたから、
"んもう〜〜〜、どいつもこいつもっ!"
ナミさんの頬には隠し切れない羞恥の赤みが差したが、
"………?"
お元気の塊りにして屈託のない、いい食べっぷりと飲みっぷりを披露する男衆たちへ、奥方が何とも言えない和んだ瞳をなさるのに気がついた。飾り気のない、無邪気な食いっぷりを見せるルフィの振る舞いは、先程の胡散臭かった連中の言いようからすれば、礼儀なんて全く知らないし意に介さない、行儀の悪い代物には違いないが、
――― 美味しいものが食べられて幸せvv
そんな感情を余すところなく発散してもいる。最初のうちは眉を顰めた人だって、見ている内に何故だか気分が爽快になる。美味しい美味しい、幸せ幸せと、心からの連呼が聞こえてくるような気がするからだ。だから、マナーには詳しいサンジやナミも、意地汚い食べ方には容赦なく拳骨を飛ばすが、それ以外の弾けっぷりには目を瞑っているほどであり、
「ホント、若い人の食べっぷりは見ていて気持ちが良いわね。」
豪気な言いようをなさる奥方に、ナミも何とかホッとすると、自分の皿へ可愛らしいタルトを摘まんで見せたのだった。
◇
さんざん御馳走になり、さしものルフィがゴムゴムのお腹をパンパンに膨らませ、夕刻も近いし この辺で失礼致しますと、朗らかな笑みを絶やさなかった奥方に辞去のご挨拶を告げて。さあ帰りましょうかと立派な御門へ向かった一行だったが。
「…っ。」
数分かかる門までの道の途中。不意にゾロが皆の前で立ち止まり、腰の刀を構え、親指を持ち上げるようにして鯉口を切る。見えぬどこかからの誰かの気配を察したらしかったが、
「しつじのおっちゃん。」
ルフィが無造作に指さした木陰に、さっきまで玄関で夫人とともに自分たちを見送った筈の、ゴートさんが立っていた。道がゆるやかに曲がっている分、一直線に駆ければ先回りが出来るのだそうで、門の施錠を開けに行く都合でこんな風になっているらしいのだが、彼が先回りしていたのはそれだけが理由ではなかったらしい。こちらの顔触れをおずおずと見回すと、最初の警戒はどこへやら、
「すみません。よろしかったならお時間をいただけないでしょうか?」
大きな体を窮屈そうに折り曲げての、それは丁重な態度物腰で、ルフィたちへそんなお願いを告げたのである。
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*なかなか進まなくてすみません。
ちょっとした仕立てを構えているもんで、
ついつい書き込みすぎる傾向が出ております。
今月中に終わればいいかなとか…。
ががが頑張ります。 |