Albatross on the figurehead 〜羊頭の上のアホウドリ


   
BMP7314.gif 虹色の約束は守られたか? D BMP7314.gif 〜ナミさんBD記念企画
 



          





  ――― 薄暗い密室。もうどのくらいの時間が経っているのだろうか。


 たかだかログ1本逆上るだけの、定期船の航路を辿る航海で。それほど骨を折るような旅ではなかったはずだった。心配症なおばあさまには悪かったが、奥様は過保護なんですようと、船員たちも苦笑していた。目的地につき、商談をまとめ、積み荷を揃えて、さて。故郷の島へと戻るだけ、何とも呆気ない航海は、ほんの半月強で終わる筈だったのに。
『奇襲だっ!』
『海賊船だっ!』
 遭遇しないという保証はない。いや、むしろ穏やかな航路だからこそ、用心せねばならなかった相手。ただ、定期船への護衛に海軍の巡航船がつくような航路でもあったから、そうそう頻繁に出没はしなかろう、これまでにもそんな噂は滅多に聞かないと。昨日まで無事だったんだから今日も大丈夫だろうなんて、船乗りたちは自分の運のよさをひけらかしていたほどだったのに。積み荷の搬入出や操船術という重労働にて鍛え抜かれたクルーたちは、荒海に揉まれて気勢もある程度は逞しかったが、
『おっと。それ以上の抵抗をすれば、この坊ちゃんの頭に風穴が空くぜ。』
『…っ。』
 隠れていろと言われた船倉で見つかってしまった、唯一場違いに肌の白いひ弱な青年は、あっさりと奴らに…この船の雇い主の眷属だろうと知れたらしくて。そんな大切な人物の命を盾にされては抵抗も出来ず、皆して呆気なくも捕らわれてしまった。それから…自分だけがこうして陽の光も望めぬ密室に押し込められた。皆は無事なのだろうか。ああ、おばあさまはさぞかし心配なさっているだろうな。死んでしまったという通知が届いているのかしら。けれど、だったらどうして自分は生かされ続けているのだろうか。粗末なものながら食事も与えられている。光は射さないがどこからか流れ込む潮臭い空気は新鮮で、監視役も今日は晴れているだの何のと簡単な会話を振って来るから、お影様で狂気の縁にまでは追いやられずにいる。隙を見て何度か逃げようと試みもしたが、そこまでの油断はなかったらしく、
『諦めな。
 例えあんただけが逃げ延びられてもな、仲間だったクルーたちはどうなる。』
『…っ!?』
 どうやら皆、命だけは無事であるらしく、だが。自分へこんな言いようをするということは、クルーの皆には相変わらず…勝手な真似をすれば この自分へ危害を加えるとか何とかいう形での脅しを掛けているのかも。とはいえ、
"………。"
 ますます不可解だった。そんな大人数を生かして誘拐するとは、一体何を企む連中なのかと。そんなにも大きな組織だというのだろうか。そういえば、このグランドラインの東方の海には"バロックワークス"とかいう犯罪結社があったという話だ。そこに関係した組織なのだろうか。自由はなくとも時間だけはふんだんに与えられていたからと。あれこれと考え込むうちに、何日目なのだかも判らなくなり。このまま此処で朽ち果てるのだろうかと、先の見えない"無痛の拷問"に気も狂わんばかりになりかけていた、そんな時だった。

  「…っ。」

 不意に外から扉が開いて、

  「よぉ、坊っちゃん。」

 横柄な口利きの若い男が、外の明かりで逆シルエットになって、戸口のところに立っているのが見えた。一体何の用だろうかと、唐突な眩しさに目許を眇めて見せれば、

  「あんたに出て来てもらわにゃならなくなってね。さあ、付いて来てもらおうか。」

 男は落ち着いた口調でそう言って、かつんと靴の底を冷静にも鳴らしつつ、穴倉のような室内へと入ってきたのである。








            ◇



 晴れやかに明けた翌日の朝。お庭のバラを眺めながら、テラスにてお茶を味わっていた丘の上の邸宅の奥様は、屋敷の中から騒がしい気配を感じ取って微かに眉を寄せて見せた。家人たちが制止するのも聞かないで、誰ぞが無理からやって来たらしき気配。腕に覚えのある執事のゴートさえ振り切って、プライベートな居室にまで、ずかずかと恐れなく上がって来た輩たちは、夫人の姿を見つけるとそのままこちらへと足を向け、いかにも場慣れした鷹揚な態度でにんまりと笑って見せた。
「…何事ですか。」
 たとえ近しい者とて無作法は許さないと、昨日きっぱりとした態度でもって言いつけたばかりだ。だというのに、そんなやりとりをもう忘れたか。こちらを見下すようだとも解釈出来るだろう、薄ら笑いをその顔に浮かべ、にやにやしたままこちらを見やってくる。そして、

  「帰って来ないんだってな。リオス坊っちゃん。」
  「…っ!」

 短い一言だったが、何を意味しているのかはすぐさま察しがついた。ハッとして流した視線の先、ゴートもまた、ぐうと言葉を飲んでいる苦々しい顔をしているのが見えて。
「ずっと誤魔化し続けてた。まだ判らない、もしかして連絡の取れない状態にあるのかもしれない。海賊に捕らわれているのなら一日も早く助け出してもらわねばと、海軍に依頼もした。だが、今日の今日まで何も音沙汰はない。それでも…決定的な"帰って来られない身の上になった"って証拠がない以上はと、無理から自分に言い聞かせて、周囲にも有無をも言わせずにそれで通して来た。」
 淡々と言いつのる声に耳を塞ぎたくなる。そうだ、認めたくはなかった、いや、認める訳には行かなかった。その瞬間からそれは"公認の事実"と化してしまいそうな気がしたから。気丈に振る舞っていても限度がある。それこそが心の支えだったことをなし崩しにしてしまっては、もはや頼るものもなく。立ってさえいられなくなるような気がしていた。自分を鞭打つようにして、やっとこうしていられるのだと、半ば自分へ言い聞かせるようにして今日までを過ごして来たのに。
「そんなにも、ここの家督を他人へ譲るのは嫌なのか?」
 声音は静かで穏やかだったが、何の斟酌もないままにぐさぐさと胸の奥へまで突き通る鋭さに息が詰まりそうになる。何とも答えないままでいると、
「気の強いばあさんだ、やっぱり。」
 短く言い捨てて"くくっ"と笑った。やはり荒海に身をおく存在だけあって、昨日の屈託のなさがどこにも見受けられなくて。甘いお菓子に幸せそうな顔をしていた同じ少年だとは思えない。とうとう頭に来たのか、ゴートが表情を歪めて彼につかみ掛かろうと踏み出して来たが、
「おっと。動くんじゃねぇよ。」
 その少年のすぐ後方。まるで影のように付き添っていたもう一人が、あっと言う間にその手の中へ和刀を抜いていて、その切っ先を体格の言い執事の鼻先へと突き付けている。それを肩越しに振り返り、
「そもそもはあんたが聞かせてくれた話だろうが。」
 麦ワラ帽子の少年は、くすんと口の端だけ持ち上げて笑って見せる。ああそうかと奥方にも合点が言った、昨日の逢瀬の場で、そんな話は一切しなかったはず。ザッタやタラス弁護士にも早々に辞去していただいたのに、どうして彼らがそんなことまで知っていたのか。視線を向ければ、ゴートが面目ないという顔になってこちらを見つめており、だが。彼に悪気があったのではなかろうということくらいは奥方にもよくよく判る。きっと自分の代わりに。あの子の消息を尋ねてくれたのだろう。そして、そんな情報を逆手に取られたということか。今回ばかりはあの小生意気なザッタの言い分が通ったのねと、忌ま忌ましいやら情けないやら、重苦しい想いで胸が一杯になる。どんなに愛らしい顔をして見せていても、相手はこのグランドラインでの航海を果たした身なのだから。それがたとえログ1本だけであれ、この大きな海に身をゆだね、行く末を天運に任せるだけの度胸を持ち、英断を下したその結果勝ち残った者。額面どおりと軽々しくも解釈してはいけなかったのだ。

  「それで…。」

 肩から力を抜いて、カララ夫人は目の前の少年に言葉をかけていた。
「あなたは。それを知ってどうしようというの?」
 あのザッタやタラスに何か言い含められたのか、それとも。自分たちなりに、何かしらの目当てでもあるのだろうか。ともすればそのまま萎えそうになる気力を励まし、最後の最後くらい、せめて気丈でありたいと何とか踏み止まって。しゃんとした視線、真っ直ぐに据えて見せれば、

  「どうもしねぇ。」

 少年は。意外な言いようをした。わざわざずかずか上がって来て、しかもああまでのことをずけずけと言い立てて、どうもしない? 一瞬、自分の耳を疑った夫人であり、その視野の中、ゴースも目を剥いて…何か聞き落としでもしたのだろうかという怪訝そうな顔になる。恐らくは自分も同じような顔をしているのだろうなと。夫人がそうと思ったその時だ。

  「もうっ、あんたたちだけで たったかたったか進むんじゃないっ!」

 彼らの後方から別な声が上がり、見やれば、やはり昨日一緒に来た女の子が現れた。こちらの様子に気づくと、まずは、

  「ちょ…ゾロっ! あんた何やってんのよっ!」
  「あだっ!」

 どこにも隙なく、太々しいまでの威容さえ孕んだ態度にて、ゴートに和刀を突き付けていた青年の後頭部へ。彼女は…やはり斟酌なく、拳骨をごつんとお見舞いしており、
「痛ってぇな!」
「でしょうね、痛いように殴ったのよ。」
「お前が待機させとけっつったんだろうがよ。」
「刀かざして脅せとは言ってない!」
 怯みもせぬまま、容赦のない拳骨をもう1つお見舞いしてから、彼女は…こちらを改めて見やると、それはそれは目映いばかりの笑顔でもって…こう言った。


  「お待ち兼ねのリオスくんですよ、奥様。」



   ……………え?







            ◇



  ――― 薄暗い密室。もうどのくらいの時間が経っているのだろうか。


 まったく"蛇の道はへび"とはよく言った。そうか、そこまで踏み込んでの騙しをすりゃあ良かったか。俺も焼きが回ったな。結構"悪徳"で鳴らしていたが、此処しばらくはあの坊ちゃんの太鼓持ちをしていたからねぇ、楽をして美味しい想いをし続けていて勘が鈍ったかな。馴染みの海賊に肩をどやされながら、塒
アジトへと向かう。この連中がその船を襲ったのはたまたまのこと、お宝や資材とそれから、屈強な働き手が必要で、船主との主従関係の絆がひときわ強い、育ちの善さそうなクルーで固められた商船を狙ったとかで。飲泉の精製作業に人手がいるからというのが、何とも今時なことを思いつく連中だ。何立って元手はタダで濡れ手に粟のボロい商売だからな。万が一にも命を落とす心配もない。こんな楽な金儲けはないぜと鼻高々になってやがるのへ、そうは言うが、向こうから転がり込んで来たネタだろうにと茶化してやりつつ辿り着いた作業小屋。

  「…んん?」

 何だか訝
おかしいなと首を傾げる頭目であり、どうしたと訊けば、
「作業工程に全員休みってのはねえんだ。なのに、機械が止まってる。」
 言われて見れば静かなもんで、明かりさえ灯されていない。
「機械ってのは蒸気機関なのか?」
「へっ、そんな上等なもんを導入するかよ。人力だからある意味"永久機関"と同んなじだ。」
 それが止まっているとは成程怪訝だと、中へと入ってみる。外から中を伺いにくいようにと、月夜のその月光さえ入らない構内は、シンと静かで。
「どうした野郎ども。まさか、全員で町ィ繰り出して遊んでんじゃねぇだろな。」
 だとしたなら此処で怒鳴っても聞こえまいに、だったなら許さんと言いたげな口調になった頭目は、空き瓶ががちゃがちゃ転げているところに足を取られそうになりつつも、奥まった方へと進んで行く。作業員たちが怠けているならばと、切り札を引っ張り出してやろうと構えたのかもしれない。流れ作業用のベルトラインが並ぶ広い工房の中の奥向き、不相応なほどがっしり厳重なドアがあり、そこを入ればそこだけはしっかりとした普請にて作られたらしき一隅がある。廊下の先に鉄だろう重々しくも頑丈そうな扉があって、南京錠がかってあり、
「さあさ、坊ちゃん。怠け者の野郎どもに喝を入れてやってくんないよ。」
 ある意味でのスポンサー、表の世界との連絡係である顔なじみの弁護士が一緒だから、いいところを見せたいと少々気が大きくなっているのか、デタラメの鼻歌のような調子をつけて呟きながら錠前を外すと、重々しい扉を力いっぱいに開いて見せる。尚のこと真っ暗な密室は、仄かに汗臭い酸えた匂いが立ち込めていて、
「寝てるのかい? そんならそんでも良いやな。」
 頭目は くくっと低く笑って見せる。
「あんたには恨みはないがな、どうやらこのままじゃあ話が進まないらしい。大奥様に引導を渡すためにも、あんたには死んでもらうことになっちまった。」
 その亡骸を突き出して、

  ――― どうやら海賊に攫われていたらしいです、
      頑として自分の身の上を明かさなかったものだから、
      粘り負けした海賊に腹いせからとうとう殺されてしまったのでしょう。

 そんな風にでも説明つけて目の前に晒してやんな。頭目はいかにも楽しい計画であるかのようにそうと言い、安心しな、あんたの手は汚させねぇさ。但し、それなりの手数料はいただくがなと。ケッケッケッと下卑た笑い方をするところが、いかにも残虐な海賊らしかった……………のだけれども。


  「御託は そんだけか?」


 室内からの声に、二人の男がハッとする。こんな密室に半年近くも幽閉されていた、育ちのいい坊ちゃんの打ちひしがれた声ではなかったからだ。いかにも太々しい、堂に入った、場慣れした、声。
「ったく。手前ぇら、何をぐずぐずしてやがった。今か今かと、こちとら ずぅっと待っててやったんだぜ?」
 はあ、さいで…と。思わず謝ってしまいそうな居丈高ぶりについつい飲まれそうになったものの、
「だ、誰だっ! 貴様っ!」
 ハッと我に返って頭目が怒鳴り、悪事の相棒たる安物弁護士が泡を食いつつ、廊下側へ戻りかける。何だか良く分からないが、情勢が一変したらしいと勘が働いた。だが、
「おっと。どこへ行くのかな? 敏腕弁護士さんよ。」
 品質と仕立てだけは良いらしいスーツの襟元を掠めて ぬうと伸び上がり。この薄暗がりであってもギラリと毒々しいまでに光った金物の切っ先にて、鼻の頭をすりすりと撫で回されて、
「ひ、ひいぃぃいぃっ!」
 情けない金切り声を上げて腰を抜かす始末である。あまりの弱腰に、こりゃあ…こいつは実行班に回ったことはねぇなと鼻の先にて嘲笑した"もう一人"が、
「あんたには特に、要領良く逃げ出されちゃあ困るんでな。」
 行方が掴めなくて苦労したが、仲間内に"鼻と耳"の利くのがいて、ようやっと突き止めたら、この腐れ海賊と一緒にいるとはね。ある意味、手間が省けたぜ。こちらも何だか場慣れした…どこかで見覚えのある男がそんな風に言い放ち、


  「さぁて。
   明日の大芝居の幕が開くまでは、此処で大人しくしていてもらおうかい。」


 室内からは…内側に刃を仕込んであった飾り帯による頭目からの攻撃を難無く躱して蹴り倒したらしき、すらりとした金髪の男が出て来たところ。そんな彼と入れ替わり、幽閉室へと蹴り込まれたタラス弁護士は、何がどうしてこうなっているのか、全く理解出来ないまま、相方の海賊と共に破滅への朝を迎えることとなる。









←BACKTOPNEXT→***


  *一気にばたばたと進んでごめんなさい。
   こういうのは勢いですんで。(おいおい)
   よろしかったなら、エピローグにもお付き合いくださいませネ?