Albatross on the figurehead 〜羊頭の上のアホウドリ


   
其の七 “嵐の晩に…”D


          




 雷雲は遠くへ抜けたみたいで、けれど、その次にやって来たのは、辻のあちこちを目がけてバケツを引っ繰り返したみたいな大雨だった。一応は丈夫なんだけど、それでもやっぱり古い作りの店なだけに、こんな晩は一人きりだったならさぞかし怖かったろう。でも。こんだけ話し相手が居ると元気元気vv しかもどの人も飛びっきりの男前だもんね。時間だって、あっと言う間に過ぎちゃって。
「さ。ご飯も済んだことだし。あとは、さっさと寝ちゃいましょう。二階は結構広いし、お布団も沢山あるよ? あ、お風呂もあるよ。入るんならお湯張るけど。」
 大戸のところでも言ったけど、昔は職人さんが何人かいて、こっちで留守番を兼ねて寝泊まりしてた名残りだ。今でも、今日みたいな大雨や何かがあって帰るのが面倒な時なんか、女将さんと二人でこっちで泊まってるし。とはいえ、
「おうっvv」
 お腹も十分に膨れて…ホントに少しばかり出っ張ってたのは、処分しなきゃと思ってた全部を、それは綺麗に平らげてくれたからだけど。(凄〜い/笑)にこにこと無邪気に喜んでるルフィと違って、サンジさんとゾロさんは相変わらず…どこかしら呆れ返ったような顔になった。
「だから…いいかい? ちゃん。」
 はい? またお説教なの? サンジさん。
「初対面の男ばっか3人も、そうそう気安く泊めるもんじゃないっての。」
「そうなの? でも、皆いい人なんでしょう?」
「海軍からの手配書が回ってんだぜ? 俺ら。」
「そんなの“御上”の勝手じゃない。」
 何だか…もはやこっちが開き直ったって感じかな。
「守ってくれるんでしょ? この大嵐から。」
 にこにこっと笑うあたしに、やれやれって困ってるのが彼らの方だってのが、何だか立場が逆みたいで可笑しい。でも、そんな顔になる辺り、ホントに良い人達なんだな。
「ちょっと待っててね、今ボイラーつけて来るから。」
 問答無用だよんとばかり、丸椅子からガタタって立ち上がって。こっちはもうすっかりと暗くなってる厨房に入り、大戸を閉じてくれたゾロさんが外から入って来たお勝手のドアへと向かう。厨房のとは別口の水道管で、しかも古い給湯式だから、いちいち外に出てボイラーを焚かないとお湯が出ないんだよね、ウチのお風呂。店の横手の路地へと出た途端、暗い中に音が見えそうなほどの“ザァーッ”って降り方してる雨に、体も感覚も包まれる。あ〜あ、これじゃあ明日の仕入れも難しいよな。女将さん、こっちへ戻って来がてらに仕入れもして来てくれるんだろけど…。どう読むんだろ。
「…。」
 そんなこんなを取り留めなく考えながら、トタンの波板で囲われた半畳くらいの小屋へと小走りに向かう。夕方にゾロさんが大戸を引き出してくれた戸袋の、も少し奥まった所にお風呂用のボイラーはあって、大粒の雨がまるでこぼれ落ちる大豆が当たってるような激しい音を立てて小屋の輪郭をぼかしてる。………と、
「え…?」
 ぱしゃんと。後ろから何かの音がした。肩越しに振り向いた雨の中。他のお店の様子は、大戸を降ろしてからは全然分からなかったけれど、今はもう遅いからどの店も閉まってて。表の通りの街灯の明かりも、雨脚のカーテンに遮られて何だか頼りない。その頼りない明かりの滑り込む、路地の入口。木箱や何やで雑然とはしているが、それでも通る邪魔にはならないようにと片付けてあるから、見通しは悪くないその先に………誰かがいる?
「…あの。」
 こんな時間に何だろう。やっぱり道に迷った観光客かな? 港が封鎖されて、どうしたもんかとフラフラしてるとか。暗くてよく分からないながら、路地へ少しばかりは入り込んでるようだから、こっちを向いているのだろうと思い、それでと声をかけてみたところが、


   ――― ひゅんっ…

   「…え?」


 視野の中からそのおぼろだった人影が一瞬で消えて。そうと思ったその途端、ぱちゃばちゃばちゃ…っていう濡れた路地を駆け抜ける足音と一緒に、何かがあたしの真横を擦り抜けてたの。すれ違った何かは…反射的に避けようとして、でも気持ちの1/10も動けてなかったあたしの肩辺りに軽くぶつかってから、向こうへ通り過ぎてた。それが…雨の様子についつい肩を縮めてた、前に回し気味にしてたあたしの二の腕を掴み損ねた、相手の手の感触だって気がついて、

   「な・に…?」

 正直。何が起こったのか、起ころうとしているのか。全っ然、分からないでいたあたしだった。だって、何もこんな天候の時に“通り魔”もないでしょう。それとも、こいつは雨に濡れると無性に誰かの血を見たくなる、水棲魔人の末裔だとか? …なんて、冗談めかしてる余裕は、その時のあたしには欠片ほどもなかった。短い距離だし、少しだけ庇も出っ張ってるから小走りに走ればそんなに濡れない。それで傘を持たずに出て来たあたしのその肩を、隣りの酒屋さんの壁沿いに積まれた木箱から弾ける雨が随分と濡らしていたけれど。それどころじゃあなかった。何だか分からない。でも………何だか、危険。そんな気がして、立ち尽くす。

   ――― …っ。

 宵闇で暗い上に雨で紗
しゃがかかった視界の中、すれ違った少し先で立ち止まってた相手の気配が“じり…”と動いて、雨音の変化で何かを手に構えたのが判る。ナイフや包丁だったらどうしよう。ぱしゃってこっちへ踏み出した気配に、
「きゃあぁっ!」
 こわくて身が竦んでて。それでも何とか放てた悲鳴。だけど、この風の音と雨の音だ。近所はおろか、すぐ傍のウチの店の中にだって聞こえてないだろうなと、当のあたしからして瞬時に気がついたわ。今日は売上だってほとんど無いのに。相手には関係ないんだろうけどさ、でも、そんなのと引き換えに殺されるなんて、凄いイヤだようと。なんだか良く判らない損得を考えちゃったあたしの肩に、がしって、大きな手の感触がいきなりしたもんだから、

   「きゃあああっっっ!」

 こんな風にちゃんと音を書き起こせるような、輪郭のはっきりした声じゃあなかった。もうもう泣き出してたと思う。怖くて怖くて、体は強ばり、思わず眸を瞑ってた。そんなあたしの身体が、これも急に“ふわっ”て。足が浮いて上へと引き上げられたものだから。え? え? あたし、どうしたの? もう、切られるかどうかして死んじゃって、それで魂が体から離れてるとこなの? あまりの早業で切られたんだ。痛いのはこれからやってくるんだわ。せめて最後にお兄ちゃんに会っておきたかったな。お誕生日にはいつもホットケーキ焼いてくれたもんね。海賊狩りになるのは諦めた方が良いよ。ロロノア=ゾロさんて、すごい力持ちだし、それにカッコよくてね。男ぶりでまず負けてるよ?
おいおい …………………………(がくっ)


   「おいっ。っ。しっかりしろっ。」

   …………………………。
   なに? この声。
   とっても響きが良い、男らしい声だわ。
   天使が迎えに来てくれたの?
   あ、でも、あたし、浄土真宗なんだけど。

   「眸ぇ開けな。何ともないから、ほらっ。」

   ………え?


 ゆっくりと。雨の音が戻って来た。すこしむっとする温気とか、瓦に当たる雨脚の音とか。で、あたしはというと、
「…生きてる?」
「当たり前だ。」
 くっ、て。小さく笑った気配がすぐ頭の上からして、頬をくっつけてた壁がかすかに波打つ。壁は…壁じゃなくって、
「…ゾロ、さん?」
 そう。白いシャツ越しのゾロさんの逞しい胸板だ。ひょいっと片腕だけで、身長差のせいでこちらの足が浮くほど懐ろ深くへ抱き込まれてたの。この温みも、この匂いも。昼下がりの雷騒ぎの時にしがみついたばかりだのに。覚えてなかったのか、あたし。………いや、そうじゃなくって。
「あ。あのっ、」
「まだ済んじゃいねぇ。」
 何がどうしたのかと訊きかけたあたしの声を遮って、ゾロさんは…やっぱり深みがあって良いお声でそうと言い、辺りをキロッと鋭く一瞥した。食材屋のダンボール箱や、お酒と醤油の空いた一升瓶の入った木箱。そういった雑然としたものものが雨に叩かれてる路地裏。そういう様々が、だけど激しい雨と夜陰のせいで、良くは見えない筈なのに。鋭いその眸で闇を透かすように睨んでるゾロさんには、あたしよりもくっきりと、色々なものが見えてるみたいだった。
、中に入ってな。」
 すぐ傍らの勝手口へと片腕で簡単にあたしを押し込んで、
「まだ安心するんじゃねぇぞ。表からや向こう側からも何者かが飛び込んで来るだろう。いいな? ルフィとサンジ、どっちかの傍から離れるな。」
 戸口から肩越しに見やったゾロさんは、やはり雨に叩かれながら、でもこんなのただの霧雨ぐらいに感じられるほどの存在感で身構えている。左右の両手に一振りずつの日本刀。それを“ちゃきっ”って手元で回したから、ああ“峰打ち”っていうやつに構え直したんだ。何てんだろ、凄い…綺麗だなって思った。淡緑の短い髪も、逞しい首条や大きな肩も、広い背中も、がっちりと身構えられた両足も。全部がぐっしょりと濡れつつあるのに、そんなこと、何のハンデにもならないし気勢を押さえもしない。水の中でだって燃え盛る豪火みたいな、けどでも、氷みたいに冴えて鋭い、それから分厚くて力強い迫力が、素人のあたしにも分かるくらい、空気を伝わって届くから。こんなの真っ正面から突き付けられたら、あたしだったら…さっきの怖さなんかどころじゃないくらい怯えて、腰抜かしちゃうだろな。
「もたもたしてんな。早く入れっ。」
「あ…はいっ!」
 ゾロさんからの鋭い声に、あたしはハッと我に返って。慌てて厨房の中へと飛び込んだの。その途端、風に煽られてか勝手に閉まったドアの向こうから、
「哈っっ!」
 鋭い気合いの乗ったゾロさんの声がしてすぐに、
「ぐあっ!」「ぎゃっ!」「がはっ。」「ひいぃっ!」「…っ!」
 ………な、何人居たのよ、ちょっとちょっと。ばしゃばしゃばしゃ…って、濡れた上へ倒れ込む音も物凄く賑やかだったけれど、そこへかぶさって走り込む別の手合いらしい足音もしたから。
“…何なのよ、一体。”
 急転直下。何だか凄いことになって来た嵐の夜に、あたしはドキドキしながらも必死で配膳室へ、サンジさんやルフィくんの居る筈な、元の部屋へ急ぐことにした。


「…っ、っ。」
 真っ暗な厨房を、強ばりそうな足を励まして駆け抜けて。白熱灯の明かりに灯された配膳室へと飛び込みかけたあたしの腕を、後ろから伸びて来た誰かの手が掴んだから、
「きゃっ!」
 こっちに気づいてたルフィくんが、後ろざまに引っ張られそうになったのと同時っていう素早い反射で、こちらへ“ひとっ飛び”して来た。凄いジャンプ力がある子なんだなぁ。ひゅんっと風を切るほどの素早さであたしの脇を一瞬で通り抜け、
「がっ!」
 誰かを殴ったらしくって。でも、そいつ、あたしの手首を握ったままだったから、
「あ、やだっ!」
 そいつが倒れ込みかかったのにあたしまで引き摺られかけた。そんなあたしを抱きとめてくれたのが、
「こいつはよっ!」
 もう片方の手で…あ、いや、足で。そいつの手元を蹴飛ばして、こちらの手首から放させてくれたのはサンジさんだったの。
「ゾロが間に合ったみたいだな。良かった。」
 ひょいって片腕だけで、もう殆ど床につきかけるくらい倒れ込みかけてたあたしを、軽々と懐ろまで抱え上げてくれて。
ちゃんが出てってすぐに、あいつ、何人もがこの店を取り囲んでるなんて言いやがる。もっと早く言うもんだよな、そういう大事なことはよ。」
 ちょっとばかり忌ま忌ましげにそう言って、でも、配膳室へ入った途端。あたしの顔を腕の中に見下ろしてから…ちょこっと眉を上げて、スーツの内ポケットからハンカチを取り出した。それでそぉっと目許を擦ってくれるから。…あれ? あたし、
「怖かったね。もう大丈夫だよ。」
 拭ったつもりだった涙がまだ残ってたか、それともさっき新しく零れたらしい。髪やら服やらも雨で濡れてるのに、雨じゃないってちゃんと見分けて、それをやさしく拭ってくれてから、
「…ルフィ、二階に上がりな。」
「へ? なんで?」
 背後を守るようにとあたしたちの後から戻って来たルフィくんへ、サンジさんは不意にそんなことを言う。きょとんとする彼を目顔で呼んで、何やらコショコショと耳打ちすると、
「♪ 判った♪」
 途端ににんまり、嬉しそう…というよりはちょろっと悪戯っぽい笑い方をして、言われた通り上へと上がってくルフィで。で、サンジさんは相変わらず、あたしを腕の中に守ってくれながら、なのに、
ちゃんっ、二階へ上がれ。いくら奴らでも、まだ上にゃあ上がってない。上がって、階段の戸を閉めてろ!」
 良く通る声で、そんな風に聞こえよがしに言ったの。え? でも二階にはルフィが…って、え? なに? 今、ガタンって音がしたよ?
「ゴームゴムのピストルっ!」
「ぐあっ!」
 そんな声がしてどたんばたんと頭上からもすごい物音がして来だした。今にも抜けやしないかって物音が響いてる天井を透かし見やるように見上げて、サンジさんがぼそっと呟く。
「やっぱりな。奴ら、屋根から取り付いて二階にも入り込んでたんだ。」
「ええっ!」
 そんな。さっきまで外に居たけど、瓦の上になんて物音しなかったよ? あ、でもこの雨と、さっきまでの雷じゃあ、たとえあたししかいなくて静かにしていても気がつかなかったかもしんない。そう思うと今更ながらぞっとした。
「しかも。怖がらせて悪いけど、奴らの狙いはちゃんだ。」
「あ、あたし?」
 思わず見上げるとサンジさんはしっかと頷いて見せ、
「今俺は“ちゃんが二階へ昇ってった”ように言ったろ? その途端のあの騒ぎだからな。」
 そうと言い切った。
「ここいらに縁のない、たまたま来合わせてた俺らが目当てじゃあない。もしかしてどっかで俺らの姿を見、賞金を目当てにって追って来た奴らなら、もっときっちり武装してる筈だ。刃物とか拳銃とかでな。ここに入らせてもらってから結構時間も経ってるんだから、色々と準備する余裕は十分にあったろうしな。」
 そ、そうなんですか。凄いなぁ。
「それで、だ。女将さんとちゃんが居る場所だろ? 此処って。どっちが主人だい? どっちが金目のもんとか証書類とかに詳しいね。この店自体への権限、どっちが上だい?」
「あ…。」
 あ、そっか。本来、あたしはそうそう名指しでは狙われない筈なんだ。あたしが上へ行ったなら、そういう指示をした“女将さん”は(今のはサンジさんだったけど)下に居残ってるってことにならない? なのに、賊は二階で待ち受けてたってことは? 片っ端から全員を片付けるためって考え方も出来るけど、じゃあどうして階下には誰も駆け込んで来ないの? サンジさんの説明でそういう理屈が判って、でも…どうして“あたし”なんだろって。心当たりなんてないから、何だか急に怖くなった。そんな様子が届いたのか、
「………。」
 サンジさんは黙ったままながら、そっと背中を撫でてくれる。怖くて怖くて気持ちが萎えちゃいそうになるのを、大丈夫だよって宥めてくれてる。ホントに良かった、この人たちがいてくれて。すり…っと、ざらつくスーツの胸元へ頬を擦りつけると、も少し“きゅっ”てしてくれる。でもって、
「ゾロの野郎は“最初から”気がついてたらしいな。」
「え?」
「ほら、思い出して…、てぁっ!」
 後方から殴り掛かって来た奴を、高々と上げた長い脚で横殴りに蹴り飛ばす辺り、あたしにだけ構けてるんじゃなく周囲へも用心しているところが凄いったら。こういう荒事に慣れてるんだな。自分たちの船での航海って言ってたし、海賊狩りさんとかも同乗してるくらいなんだもの。こんな風な活劇も…あたしなんかはこの一回が一生に一度の代物だろうけれど、この人たちは何度も何度も経験してるんだろうな。………あ、話の途中だったんだ。えとえっと、ゾロさんはもっと早くに気がついてたみたいだって?
「思い出してごらんな。あいつが最初に、ちゃんへ、このお店で雨宿りさせてもらおうって言い出したようなもんだったろ?」
「あ…。」


  『それよりどこか屋根の下へ入った方が良いんじゃねぇのか?
   しばらくはゴロゴロ言ってんぞ、これ。』


 そう言えば、そうだったかも…。
「あのまま、それじゃあなと帰ってっても良かった筈だ。その後も、妙に腰を落ち着けてたろ? 大戸まで自分で降ろしてさ。ありゃあ、この店の周りの空気みたいな。何かしらの気配を最初っから読んでたんだろうさ。」
 そんな前から気配があったなんて。それに気づけたっていうのも凄い…。
「あいつは、いつもならあんな風に人懐っこい方へ構えない。俺たちに関わるとロクなことがないからだ。でも、今回は、ちゃんを放っておけなくて、あんな態度を、取ってたんだろうさっ!」
 サンジさんの言葉が後半で切れ切れになったのは、厨房の方から駆け込んで来た複数の誰かに気づいて、間合いを取りながら蹴り飛ばしたからで、
「…きゃっ!」
 怖くってつい悲鳴が出ちゃうんだけど、胸が苦しいくらい辛いのはそれだけが理由じゃない。あたし、凄い“お荷物”になってるよう。だって、さっき伸した奴。ぶっとい角材持ってたし。いくら刃物とか拳銃の用意まではしてないらしいと言ったって、そんなに乱暴な連中が相手だってことは、ちょっとでも気を抜いたら大怪我する。なのに、サンジさん、あたしをその懐ろから1ミリだって出すまいぞって、両腕封じてきっちり守り切ってるんだ。こんな“お荷物”がいなけりゃ、もっと楽に動ける人なんだろうに。
「あたし…あたし、大丈夫だから…。」
 こうなったら自分から突き放そうと、もがいて腕を突っ張ったら、
「こらこら。」
 くすんと笑ってくれる。
「本末転倒って言葉、知ってるかな?」
 う…、何よ急に。
「知ってる。始めと終わりが逆さまになっちゃうことでしょ?」
 例えば何かしらの行動へ、それを最初に思い立った時の理由や動機とは違う、辿り着きたいとする目的から離れた“結末”になっちゃっては話にならない…とか、そういう時に使う言葉だ。サンジさんは“良く出来ました”という顔になり、
ちゃんを守ることが、俺たちのこの奮闘の目的。なのに、相手を叩きのめすためにって、そのちゃんを放り出して、どうするねっ!」
 顔にかかってた長い金の髪が、裾を散らして振り払われて。ひゅんっと。長い脚が後方へと繰り出されて。胸元に半ば抱えられてたあたしごと、体をグルンと回したサンジさんで。
「ぐあっ!」
 胸元を思い切り蹴り飛ばされたらしい賊が、野太い声を上げながらカウンターを越えてすっ飛んでった。その方向には引き戸があって。がちゃんっ、っていう耳障りな音を立てて床へと崩れ落ちた気配が届く。
「ありゃ。引き戸をやっちまったみたいだな。」
 はめ込まれてたガラスを割ったらしいと、しまったなぁという困りモードの…けどでも、この乱戦の只中にはひどく不似合いな、至って呑気な声を出すサンジさんなものだから。
「…? ちゃん?」
 あたしは堪らず“くくっ”と吹き出してた。
「あ、ううん。何でもないの。ガラスのことは気にしないで。大戸を降ろせなきゃあ、どのみち、風や何やで割れてたんだろし。」
「そうかい? ホントにごめんな。」
 この大騒動の最中に。もしかして…命に関わるような大怪我だってしかねないような、とんでもない急襲に遭ってるっていうのに。選りに選ってそんなことへ気を回すんだもの。外でのゾロさんの迫力ある立ち回りといい、この人たちはこういうことにとっても慣れていて、素人のあたしは何にも心配しないですっかりと頼ってて良いんだなって思ったの。…でもね、

   「ぐあっ!」「だあっ!」「へげっ!」

 二階からもゴトゴトドスンという物音と一緒に、何だか妙な野太い声がしきりと聞こえてて。
「ルフィくん、大丈夫かなぁ。」
 あの子はどうなんだろう。このサンジさんがあたしの身代わりにと二階へ上げて…もう随分になる。この物音と声からして、本人は今のところは無事みたいだけど。
「心配要らないって。」
 胸元から見上げてくるあたしへ、にっかと笑い、
「面白い事を教えてやろう。」
 サンジさんは悪戯っぽい声で言った。
「俺は、何があろうと ちゃんみたいなレイディが優先される、騎士・紳士だけれどね。ゾロの野郎は、何があろうとルフィが優先されるって傾向
フシがある。」
 …あ、やっぱりね。
(笑)
「そういう奴が。そのルフィを置いて、ちゃんを助けにって路地へ出てった。これはね、俺たちにとっては大したことがない相手だから、傍に付いてなくてもルフィなら大丈夫だろうって思ってる何よりの証拠なんだよ。」
 …ということは、
「ルフィくんも強いの?」
「ああ。何たって俺たちの“船長”だからな。」
「え………っ。」
 あの小さくて可愛いルフィくんが? あ、いや。そりゃあ、あたしよりかはずっと背も高かったけど。………と、

   「ゴムゴムのバズーカっ!」

 そのルフィくんの声がして、
「どわわっ!」
 階段から何人かがゴロドタと転がり落ちて来た。それを見やって、
「あいつめ。無茶苦茶してなきゃ良いがな。」
 サンジさんは困ったように眉を下げながら、でも…十分可笑しそうにくつくつと笑ってる。
ちゃん、上のお部屋に壊しちゃ困るものって置いてる?」
「ううん。何にも…。」
 そうと答えかけて、
「あ、でも。」
 はっと思い出した。女将さんのレシピ。あれは、もう見ないで作れる女将さんには要らないものかもしんないけど、あたしには宝物だ。二階の文机に並べてあって、窓が破られているのなら…吹き込む雨にびしょ濡れになってるかも?
「何かあるのかい?」
「あ、えと、でも良いの。」
 そうよね。怪我や命には代えられない。また女将さんに聞けば良い、傍で見てて覚えりゃいいんだし。納得したあたしではあったけど、サンジさんは気になったらしい。
「何かあるのかい? 取って来てあげるよ?」
「良いの。大したものじゃ…っ!」
 サンジさんがこちらに気を取られてたのは、ホントにホントの一瞬だったのに。間が悪かったって事もあったんだろう。
「あっ!」
 突然、薄闇を突っ切って飛んで来たものがあった。棍棒? スパナ? 何だか重みのありそうなもので、体育館ほどもはない狭い店内だったのが仇になって、その気配に気づいた時にはもう遅かった。
「がっっ!」
「サンジさんっ!」
 背後から肩口にモロに当たった。いや、反射的にやっぱりあたしを庇って、自分の身体へと当てたサンジさんだったのかもしれない。我慢強い人だろうに、声を上げたところを見ると相当痛かったのだろう。それで彼の腕の力が緩んだその隙だった。
「え? …あっ。」
 誰かの腕がこれも後ろから伸びて来ていて。あたしの着ていたパーカーシャツの後ろ襟を“ぐっ”て掴んだかと思ったら、そのまま力任せに、サンジさんの懐ろの中から引き摺り離されてしまっていた。
ちゃんっ?!」
 ほんの一瞬。けれど、それが何かしらを大きく分けてしまうというのはよくあること。はっとして伸ばされたサンジさんの腕もぎりぎりで届かず、
っ!」
 二階の賊を片付けて来たらしいルフィも、階段を駆け降りて来かけていたけれど、
「お前たち、抵抗はよしな。このお嬢ちゃんの腕が折れても良いのかい?」
 さっきからのドタバタでゆらゆら揺れてる白熱灯の明かりの中、ぶっとい腕に取り込んだあたしの腕を、
「…痛いっ。」
 軽く捩り上げて見せた賊に、
「くっ!」
 二人とも、手が出せなくて動きを止める。そんな様子を読み取ってだろう、その大男、力はすぐに抜いてくれたけど、羽交い締めはほどいてくれなくて、
「何なのよ、あんたたちっ!」
 身動きが取れないままながら、あたしはキャンキャンと大声を上げて訊く。それへと閉口したのだろうか、
「なに、大したことを要求しようってんじゃねぇんだよ。…頼むから、もちっと普通の声で話してくれねぇかな。」
 ふうっと息をつき、
「こんな手古摺るとは思わなかったぜ。まさか用心棒が3人も居ようとはな。監視してた奴の報告で頭数増やしといて正解だったな。」
 おいおい、違うって。この人たちは言わば“巻き添え”だっての。
「俺らが用があるのはな、お嬢さん、あんたなんだ。」
 サンジさんが読んだ通りみたいだ。でも、
「あたしなんかに何の用よ。言っておくけど、あたしはまだ見習いなんだからね。あと、引き抜こうったって無駄だからね。女将さんとあたしは親戚なんだから。」
「そんなこたぁ知ってる。」
 ………う。じゃあ何なのよ。大体さ、頭の上からってのが腹が立つ。ムカムカしているあたしに向かって、
「今朝、いや、もう昨日か。カクテーキ内務大臣の秘書が来てただろう。隠したって無駄さ。あの大臣がここのおかずを大好物だって公言してるのは誰もが知ってること。時たま秘書をお使いに出して買わせてるって事もな。」
 それは…うん、そうなんだろうなって。それこそ、こっちだって判ってる。で?


   「その秘書さんから預かった重箱の縁やら底やらに、
    ちょちょいっとこいつを塗ってくれれば良いんだよ。
    何なら料理に混ぜてくれても良いんだぜ。隠し味としてな。」

   「な…っ!」


 目の前へプラプラと。揺するようにして見せられたのは、青い色の小瓶だ。何かで聞いたことがある。薬びんってのは、色や形でも内容を区別してるんだって。茶色は光や熱に弱い薬用だから例外だとして、青は………劇薬だった筈。何よ、何よ、それ。まさか…毒薬なのっ?! 大臣様を殺す気なの? あまりの恐ろしい企てに、あたし、顔が強ばってたと思う。なんて卑怯な人なの? ご飯とお風呂と寝てる時ほど、人が無防備なまでの幸せでいることってないのよ? ましてや、そんな…毒ですって? 自分の手は汚さずに、猛烈に苦しんで死なすようなものを使うだなんてっ。しかもその片棒を、このあたしに担がせようだなんてっ! なんて恐ろしいことをっ!
「〜〜〜〜〜っ!」
 怖くてじゃなく怒りに震えて、声さえ出ないあたしだった。言語道断。なんて卑劣なっ! ………でも、この状況じゃあ胸張って断れないかも。何より、皆に対してあたしを盾に取られてるってこの状況が腹立たしい。あたしがうんって言わなくても、あたしの身を案じて、サンジさんもルフィもゾロさんも抵抗を辞めるだろう。そこを捕まったら? 今度はあたしがこいつの言うことを呑まなきゃならなくなる。チェックメイトってやつ? 打つ手はないの? どうしようもないの?! ……………そんな絶望的な緊迫感を打ち破ったのが、

   「…せこいな〜。」

 呆れたようなサンジさんの声だった。
「そんな手が通用するって、本気で思ってんのか? 毒味されたら一発でアウトだろうが。」
 いや、そうなんだろうけれどもさ。あたしは、つい…怒鳴ってた。
「何ですって! ウチのおかずに信用がないって言うの?」
「…ちゃん?」
 ああ、これって微妙に本末転倒?(引用ミスです、−9点) 混乱しまくってるあたしに、
「そういうところからも狙われたんだって。」
 横合いからの声がかかった。…この声は?
「ゾロっ!」
 ルフィの声と同じタイミング、しゃりんっ、がこんっと重々しい音がして。それから、


   「あ…。」


 分厚い大戸と引き戸が一遍に刳り貫かれたから………びっくり。いやほんとに。お芝居の背景で、板に描いただけの“書き割り”っていうのがあるじゃない。あれに最初から切れ目が入ってたみたいな案配で、トンネルみたいな半円形に、すっぱりと刳り貫かれて大穴が空いたの。切り取られた部分が“ぱったん”って外側へと倒れたの。途端に店の中へとすべり込んで来るのは、湿った空気と雨脚の音。
「な…っ。」
 あたしを吊るし上げてた奴もビックリしたらしい。こいつらは大戸に歯が立たず、已なく二階と厨房の窓を破って入って来たらしく、
「外に居た他の奴らは全部縛り上げて来た。それと、こいつが電伝虫でどこやらへ連絡を取ってたが。」
 よっこらせっと、大きな酒樽をぶん回して自分の前へと据え直すような動作で、襟首掴んだ誰かを、店の中の土間へとどんっと“置いた”ゾロさんで。置かれた人っていうのが………。

   「チヂミの大将っ?!」

 意外な人物の登場に、もうもう何が何だか。あたし、訳が判らなくなって来たよう。えっと、覚えてる? 先の章でちょろっと話題に挙げた、高くてまずい、評判の悪いレストランのオーナーのおじさんだよ? 畳み掛けるようなこの展開に、仲間を全員倒されて形勢逆転となった現状へやっと気がついて…進退窮まったらしい人が約一名。あたしを羽交い締めにしていた奴が、
「そ、そこを空けなっ。」
 戸口の真ん中に立ってるゾロさんへと、ややもすると上擦ったような声をかけている。
「このお嬢ちゃんがどうなってもいいのか?」
 往生際悪く、再びあたしをぐいっと引き寄せてみた…んだけれど。


   「………ちょっと。」

   あたし、ほら、放心状態だったし。

   「どこ触ってんのよ、あんた。」

   あんなこんなでかなり混乱し切っていたから…ね?

   「気安くベタベタ触ってんじゃないわよっ!
    したでに出てりゃあ付け上がってっ!
    総菜屋を舐めるんじゃないわよっ?!
    これでも、毎日毎日、
    大型ナベとか大型フライパンとか振り回してんだからねっ!
    空煎りじゃあないよっ、目一杯に食材入ってんのよっ?!
    だから腕力には自信あんだよっ! 判ってるっ?!」


 これだけの大見得台詞を言ったが早いか。がつっとあいての腕をこっちから掴み取り、ぐるっと回って捻り回して、
「あったたったっ!」
 もがきかけて身を屈めたところを、まずは手前に突き出された顎へと右ストレートを一発。
「はがっ!」
 それから膝を思いっきり上へと蹴上げて…●●●への金的一蹴。
「………っ☆」
 声も出せない大男を前に、
「いい気になってんじゃないわよっ! 弱そうな相手に付け込んで、笠に着てばっかいるとねぇ、たまには読みちがえでこういう目にも遭うんだからねっ!」


 あとはもうもう、夢中だったから、あたしも何にも覚えてなくて………。
おいおい




  「…なあ、の兄ちゃんて、ホントにが追い出したんじゃないのか?」
  「さあなぁ。怖くなってってのは、もしかすると考えられるのかもなぁ。」
  「………。(見てない、見てない。)」




 この結構な人数をたった3人で片付けちゃうなんて。さすがだなぁ。海の男ってのはこうなんだなぁ。やっぱ、お兄ちゃんには無理だわ。賞金稼ぎも海賊狩りも。



   …………………え? 何なに? あたしがどうかしたって?
(笑)



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  *書いても書いても終わらないので、
   一旦ここでUP致します。
   いやぁ、彼らの活劇はホント、骨が折れるけど気持ちがいいvv