パレードが始まる前に
3
港湾都市といってもくくりは広く。
直接の交易作業には縁のない一角、
ちょっと古い目、レンガ造りの建物や
異国情緒を売りにした観光施設がやたらにある繁華街もあれば、
人が生活する居を構える辺りは斜面を徐々に開拓してったせいだろう、
坂道がやたら続き、その途中でひょいと振り返れば海を俯瞰で眺め下ろせて。
桟橋公園がある辺りは、
ただただ平坦でテラコッタ風のレンガを敷いた散歩道もあって
此方も外国情緒あふるるレンガ倉庫なんてのが目玉になっており。
そういったいかにも華やかな施設のある区域とは打って変わって、
港としての機能が健在な区画では、また別な空気がからりとたなびく。
やはり高台から見下ろせば、不揃いのマッチ箱がひしめき合って見えるだろう、
貨物船への荷揚げを待つコンテナ群の待機場は、
その間近まで降りて行っての入りこめば、
意外と丈のあるコンテナにたちまち視野を塞がれ、
迷路のような入り組みように、あっさり翻弄されること間違いない。
そういった待機場は埠頭別にあり、
大きな商社ビルほどもあるような超大型船向けとして待つ荷は
コンピュータ制御された無人カーで効率よく位置を頻繁に移動され、
区画を覆うほどの規模で組まれた
やぐらのような大型のクレーンで順序よく釣り揚げられては
所定の船へ積み込まれてゆく。
そこまでではない規模の船にしても、
荷揚げにはフォークリフトや台車カーが重用され、
船腹近くまで寄せられた木箱の数々を
船端に設置されたクレーンで引き上げている中型船は、
沖合に停泊中の別の船への艀(はしけ)かも。
「おや。昨日の今日なのによく来た。」
低くはないコンテナの1つ、その天井部に腰かけていた男が、
迷路の角からひょこりと姿を現した存在へやや意外そうな顔で声を掛けた。
「中原さん?」
積載作業中とは到底思えぬリラックスぶりだし、
この区画のコンテナは一様に錆びついていての古く、
移動のための作業車も見えない辺り、
放棄されたものばかりを寄せ集めた一角であるらしく。
そんなところに身を置いている彼は、休憩中か若しくは監視でもしていたものか。
黒い外套にやはり丈の短めなジャケットとベストという
フォーマルを思わせるような洒落たいでたちなのは変わらぬが、
今日は昨日はなかった黒い中折れ帽を頭に載せており、
吹き付ける潮風にも飛ばされないのはかぶり方を心得ているからだろう。
それと、手首まではない丈の手套も装備しており、
社の皆から贈られた衣紋一式の中にあった、
指無しのグローブを愛用する自分と同じかもと、ちょっと嬉しかったり。
ざっと見まわした相手のいでたちの中、そんな間違い探しもどきをしておれば、
「もしかして迷子か?
探偵社の仕事、訊き込みか何かで来たのなら、
ここいらは年中無人の区画だ、大したネタは拾えんぞ?」
だからこそ怪しい奴が跳梁している…というのは論外、
彼が居るのだから見落としゃしないというのも含んでいよう
あれこれと先回りしたような言いようをされたというに、
「昨日の今日って…。」
続けざまに来たのへの不審を告げられた敦当人はといえば、
やや遅ればせながらキョトンとして顔を見せる。
それへ、おやおやとくすぐったそうな苦笑をこぼした赤毛の幹部殿、
改めて噛み砕くように補足を続けて曰く、
「殴られて昏倒した不吉な場所へ、日を置かずに来るものか?」
「あ…。」
そんなおっかない目に遭った以上、
特に御用がないのなら 怖やと敬遠するか避けるもの。
成程、怪しい行動と解されてもしょうがない落ち度だと、
言われて気がついたのを素の態度で見せるという迂闊の上塗りをやってのけ。
「もしかせずとも、手前、天然だろう。」
「うう…。」
愉快そうに指摘され、
思い当たりがあるのだろう、少年は細い肩をすぼめて消沈しかかる。
そんな姿がまた、なんとも言えずの愛らしく思えてか、
中原は目許を細めるとにやにやと笑みを濃くして、
何のつもりか敦を指差す。
「?」
自分のどこかに何かくっついてでもいるものかと、
シャツを見下ろし、身の回りを眺めようとした虎の子だったが、
「わっ。」
突然足元が浮き上がり、そのまま体勢を何かに持っていかれかかる。
何だ何だともがきかければ、
「ちょっと間、じっとしてな。」
ちょっとした悪戯を仕掛けるように、
彼だけに楽しそうな、笑いを含んだ声がして、
その間にも敦の体はどんどん上へと浮かびゆく。
コンテナの上へまでという高さになってから、
見下ろした先には中原がいて。
持ち上げた手の人差し指をちょいちょいと
上を向けたままで自分の側へ振れば、
それに合わせて敦の身も彼の傍らへと引き寄せられて。
まるでちょっとした魔法のように、彼の意のままに操られ、
すとんと下ろされたは、目の上より高い位置だったコンテナ上、天井板の上で。
「俺の異能は重力操作だから、このくらいはたやすい。」
「あ…。」
どういう理屈か、触れたものでなくとも対象の重力を思う通りに出来る彼なのだろう。
それはたやすく すぐ傍らまで呼び寄せられた格好になり、
間近になった彼の、ちょっと何か企んでいそうなにんまりとした笑いように、
だが敦は呆気にとられるより憤慨するより、そのまますんなり見惚れてしまう。
切れ長の双眸、青い瞳は丁寧に磨き出した深色の玻璃玉のようで。
そんな目許がちょっぴりたわんで弧を描いている下、
すんなりと通った鼻梁や 骨ばらない頬のすべらかさもあっての
こんなに美人さんなのに、
それをぶち壊しても厭わぬという勢いで、
朗らかにも歯を見せて大笑しているのが何とも “いいなあ…”と思えてしまった。
こちらが見るからに子供だからだろうか、
だとしてもこの気さくさは嬉しいなと、
そんな風に思った取っつきやすさは、
マフィアの上位にあたる人の持つものとは思えなくて。
「どした?」
あんまり見つめすぎたからか、
笑みの名残はそのままに、だが、ひょこりと小首を傾げられ、
「あ、あああ、あのいえ。そ、そうだ。お祭りなんですよね週末。」
慌てて話題を見つけましたというトチリようがまたぞろ中原を笑わせたが、
そこをつついていじめても何だと思うたか、
「ああ。
この時期だから花見と重なるかと思ったが、案外微妙にずれるもんだよな。」
年によって暖かいか寒いかも大きく変わる四月の頭。
パレードや催しに参加する側には集客が気になりもしようが、
見物側にはついでに桜も咲かぬかというのが気になるところで。
「で、でも、ここらへんだと、そう、交通規制とかも掛かるんじゃあ。」
何が “でも”なんだか、文脈がおかしいが、
そんな言いようが出た途端、港のほうを眺めていた中原の視線がちらと敦の上へ戻った。
何の気なしにこっちを向いただけのようにも見えたし、
何でそんなことを訊くのだという指摘のようにも見え、
それを後者だととったものか、
座っていた腿の両側へ着いていた手がそのまま強張り、
あああ何て続けたらいいんだろうと焦り始める。
「あ、あのその、土地に慣れてないと、迷子になっちゃうかなぁって…。」
いやいやあのその、慣れてない人は大変だろうなぁって、と。
言い直した言い回しも何だか脈絡がなく。
他でもない言った本人がその不自然さへますますと焦る。
“何だ、こいつ。本当に訊き込みなんて慣れてねぇんだな。”
さりげなく世間話をしたつもりだろうが、
焦りがついつい出たものか、
こっちにしてみりゃ何を引き出したいのかが既に見えてしまっての苦笑が絶えぬ。
他所から出入りしている不審者がどれほどいるのか、
そしてこの辺りを縄張りにしていよう中原らはそれを察知しているのか。
“そんなところかな。”
あの武装探偵社が単なる交通調査なんてしないだろうから、
港祭りに怪しい輩が集まらぬか、警備の参考にするべく訊き込んでいるというところか。
そして昨日この子が巻き込まれた物騒な騒動や、自分たちの会話なぞを伝えられた誰かさんは、
裏を取ったうえで、此処で何が起きているかに見当を付けたはず。
目的不明な外部からの招かれざる客人たちの、その動向の不審さ
こちらも鋭意捜査中なそこのところ、早くもあたりを付けた太宰なのに違いなく。
相変わらず卒がないのがむかつくが、
目の前の坊やの拙さは、それを薄めて笑い飛ばさせるくすぐったさで。
「ま、確かにこの辺りじゃあ交番も案内所もないから、
人に聞くしかねぇだろな。」
坊主みてえな可愛げのある子ならともかく、
いかつい奴にはそんなスキルもなかろうから、
ガンつけしているみたいな顔のまま、恐持て同士が言いがかりの付け合いになっちまう、と。
ヒントになるのかどうなのか、そんな無難で微妙な言いようをし、
笑みにたわんだままの視線を敦の上へとふんわり下ろす。
「あ、えと。」
今度は間近であっけらかんと笑ったものだから、
ますますと焦る敦だったりし。
探偵社の諸先輩たちも、身ぎれいにした上でそれぞれが端正な風貌の人ばかり。
そんな環境にいて、綺麗なお顔、整ったお顔には結構慣れてたつもりだったのに。
ハハハと笑ったお顔がまた、
近づきがたい美人さんが、なのに何も取り繕ってなんかいませんよと
親しみ込めて接してくれているようで。
「けど、手前は迷子とはあんまり縁がなさそうだな。」
「はい?」
ひょいと組んだ脚の先、肘をついてのその手へ頬づえをついた格好で、
そんな言いようを振って来て。
何だ何でと虎の子くんがやはりキョトンとすれば、
「俺が此処にいるとどうしてか判ってて、
正門からのびてる大路からこっちの筋へ迷いなく踏み込んで来たろう。」
そうと言って目の前のコンテナ群とその間を通る小道を指差す。
昨日正門まで送ってくれた時にも口にしていたように、
こうまでの高みに居れば周囲も先まで見通せるが、
0mレベルに立つと背の高いコンテナの山に視野を塞がれ、
どこをどう進めば目的地につけるか、判っていたって迷うこと必定で。
敦がやって来たのを此処から見下ろしていた中原には、
少年が少しも迷わず歩んでいたのが ちと意外だったようで。
ここに居ると知らぬはずのこの自分を目指していたわけではなかったにしたって、
何かと及び腰になる印象が強いのに。
それともあれこそ演技だったのかなと疑れば、
「ああ、えっと。」
何で迷子には縁がないと思われたか、それで通じたらしい敦は、
あははとやや困ったように笑って頭に手をやり、
「だって、こっちから中原さんのいい匂いがしたんです。」
「匂い?」
今日は結構な風もある。
それに、たしなみのうちのトワレなので、
あんな遠くからでも判るほど、強く感じられるほどにはまとってないはずなんだがと、
納得がいかなんだか、小首を傾げた幹部殿。ただ、
「…もしかして、お前の異能の影響か?」
ややあって思い出したのが、目の前の少年の持つ異能力。
月下獣と名付けられたそれは、
虎の破壊力や馬力と超回復がその身へ降臨するというものであり。
そもそもは全身が大きな白い虎へすっかりと変化(へんげ)してしまう、
何とも手の付けられない代物だったが、
武装探偵社の一員となり、福沢社長の部下と認められたため、
少しずつながら自分で制御できるようになったのだが。
「どうでしょね。意識して嗅いだから気が付けたって順番でしたが。」
ふふと短く笑って肩をすくめる所作やお顔の、
何とも誇らしげで可愛らしいことか。
このヤロ―、髪の毛ぐしゃぐしゃしてやりたいぜと、
ついつい思った中原の手元には、
手提げ型の小さめの紙袋が置かれてあって。
空へと向かって開いたところから、中に詰められた文庫本の表紙が覗く。
それが目に入った途端、敦の表情がわあと明らかに輝いた。
「おや、本が好きなのか?」
「はい。」
孤児院にいたころ、
あまり外へは出してもらえなかったその反動、
職員の読み古しがほとんどだったが、それでも結構な冊数があった本棚の本が、
敦には外の世界への扉のようなものであり。
純文学に紀行文から推理小説、雑学にエッセイに歴史書までと、
様々なジャンルのものを片っ端から読んだ。
「でも、今はあんまり読む機会がなくて。」
忙しくなったというのが一番の理由だが、
まだまだ薄給で生活に余裕がなくて、娯楽にあまりお金を使えないというのもある。
そんな敦には、本を買うというのは結構な冒険で、
買った本が、だがだがあまり趣味が合わなんだ場合の落胆は半端じゃあない。
ちょっぴり消沈する少年へ、じゃあ…と袋へ手を入れ、
1冊取り出すと手套のまま器用にもページをめくって うんうんと確かめ、ほれと差し出す。
「これなんか、結構面白いけどな。」
「え?」
読んでみなということか、
顔の前へと差し出された本は、どうやら時代劇みたいで、
表紙には髷を結った男らが何やら剽軽な顔を見合わせているイラスト。
ほれほれと催促されて、パラリと最初からをめくってみれば、
本体部分は少し色の変わったページの多い、いかにも手ずれした古本で。
だが、角っこを折った後はなく、丁寧に読まれているのが判りもし。
「………、……。あ…。」
活字を追う敦の視線が、所々でぱちりと瞬き、
そのままパチパチと何度も瞬くのは何かしら発見があってのことか。
吸い込まれるように視線が上下し、だが、はっとして顔を上げ、
「面白いです、これ。」
そのまま没頭しかかってはいかんと、無理から引き剥がしたらしい、
ちょっぴり勢い込んだままの熱っぽいお顔を中原へと向ける。
「最初の、夜の暗い中に梅の匂いがして来てそれが何とも華やかっていうところとか、
それから月の光が下りて来て、暗がりを裂いて漆喰塀の足元まで晒したっていうところとか、
気がついたら情景の中に居るような、ぐいぐい引き込まれる文章ですよね。」
作者を見たが敦が知らない人で、
誰かなと小首を傾げれば、
「先に亡くなった人でな。
昔は翻訳とかしてもいて、そりゃあたくさん書いてたんだが、最近は寡作になってて。
そのシリーズも途中でぷっつり終わってるのが残念で。」
中原がそう言い、その本は時代劇だけど同時に推理物でもあって、
展開が奇抜で面白いぞと説明を付け足してくれて。
「その人が書いたものは全部集めた。
推理物とか幻想ものとか、あとSFも書いてたし、
エッセイもコラムも書いてたんで、その1ページだけのために古本街をはしごした。」
少し前のことらしく、懐かしいなという顔をしてから、
「でも、もう新しいのは読めねぇんだよな。
いい本だからって、時々こうやって勧めてるんだが、
その相手はまだ1冊も読んでないわけだから、
これから興奮したりハラハラしたりすんのかと思うと心底うらやましい。」
がくりと肩を落とす正直さよ。
とはいえ、
「あ、でも、こいつが犯人とか要らんことは書いてないから安心して。
明日か明後日、返してくれたらいいから。」
「…えっとぉ。」
何ともはや、どこまでも見た目とのギャップが大きい美人さんであるらしいと、
改めて思った敦くんだったのは言うまでもなかったり。
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