天上の海・掌中の星 “グリーン・ノート” A
 



          




 さてとて。今回の彼らが目的地として向かった先は、その昔“天下の険”と謳われた、東海道の最大の難所にして温泉でも有名な“箱根”だ。新宿発の小田急ロマンスカーにて、朝昼兼帯のご飯にと季節メニューのお弁当を食べつつ、眸にも鮮やかな緑に囲まれながら運ぶこととなる箱根の入口・箱根湯本まで。そこから、季節がもう少し進んでいれば線路沿いに植えられたアジサイたちがそれは見事に咲き乱れる中、斜面をゆるゆるとゆく登山電車で強羅まで登り、ケーブルカーで早雲山へと登り詰め、ロープウェイに乗り換えて桃源台や芦ノ湖まで行くもよし、も少し北上して仙石原湿生花園の初夏の瑞々しい湿原の風景を堪能しに向かうもよしとなるのだが、

  「元箱根までの旧街道を踏破するぞっ!」

 やはり芦ノ湖沿いの有名な名所、箱根神社や杉並木、関所跡などがある“元箱根”までを目指す、ちょっぴりハードなハイキングに挑戦するのが今回のルフィの目的だったらしくって。………って、ちょっぴりどころか、随分とキツいコースじゃないんですか、それって。しかも、湯本から元箱根というと上り坂コースですよ? 若い人でも3時間は軽くかかる、なかなか尋常ではない石畳が続くトレッキングコースって聞いてますが。
「いんだよ。電車とはいえ ずっと座りっ放しだったから良い運動だっ。」
 今 着いたばっかなら尚のことキツかろうに、さすがは怖いもの知らずな坊やであり。それでも荷物をデイバッグにして来た辺り、一応、難路への敬意を表してはいるらしい。
“なんだ、そりゃ。”
 いや、だから。無意識の内に取ってた作戦が、大変な行程に立ち向かうんだってのは覚悟してますよという気持ちの表れだってことで。筆者と保護者がごちゃごちゃやってる間にも、坊やの方はとっとと旧街道とやらの入り口を見つけており、
「お〜い、ゾロ。早く来〜いっvv
 早く来ないと置いてくぞ〜と言わんばかり、冒険だ探検だとワクワクしている様が、周囲に居合わせた他の観光客の方々にまで微笑ましげなという苦笑を招いている次第。地元でもお他所
よそでも、変わりませんね、あの屈託のなさは。
“まったくだ。”
 こちらさんも…男臭い面差しを尚のこと精悍に印象づけてる、それは鋭利に力の籠もった目許を和らげると。口許へ知らず滲んだ苦笑に“くすす”と破顔しながら、小さな王様の傍らへゆったりと歩み寄ってやる、今日は“開店休業中”の破邪精霊であったりした。






            ◇



 どんなに近代化が進んで、頭上の空には飛行機が飛び交い、すぐ傍らにはバスが運行されてる舗装された道が寄り添っていたとしても。新しい季節を迎えた山々を飾るように、一斉にその生気を芽吹かせている木々の緑の見事さ瑞々しさは、恐らくは大昔から少しも変わってはいなかろう原風景。あまりの解放感に本能的な何かを擽られ、歩きながらでも ついつい深呼吸の一つもしたくなる。ルフィが懸念していたような、霊的パワーさえ育んでいそうな濃密な生気も感じられなくはないけれど、こうまで ぱきーっと晴れ渡った青空の下、陽の光も溌剌と弾けて目映い頃合いの“気”は、どう解釈しても健やかで果敢な判りやすい“陽気”でしかなくって。
“何せ、案じてた本人が忘れ切っとるくらいだからな。”
 ふんふんふん♪とデタラメな鼻歌混じり、足元から道の上へと伸びている色濃い陰と本人の爪先とが、着かず離れつをしているスキップを交えつつ、たったか速足で前を行く小さな背中がいかにも楽しそうなので。少し後からそれを眺めつつゆったりとしたペースで歩いているこちらまでが、ほんわかした想いに胸中を擽られて楽しくなる。旧街道には道筋のところどころに名刹旧跡があり、まずは駒形神社に鎖雲寺。それから、発電所前には丸木橋があって、緑の中を縫うような道を辿れば畑宿へと到着。なんと石畳がそのまま歩道橋になってるところがあって、七曲がりと呼ばれるうねうね道を登れば見晴茶屋へ。周囲を覆う新緑の瑞々しさが陽光にきらきらと綺麗な“天然の眼福”を励ましに、休み休みと進んでも、まだまだ登りは続くその上、石畳と言えば聞こえはいいが、瓦を乱雑に敷き詰めたような厳しい坂道が延々と続く道程には、途中で音を上げる人も少なくはない。これでも人が手を入れて“街道”とした道だというのだから、それより昔はさぞかし悪名高き難路であったことだろう。現代の今世に於いては…定期バスの通る公道が所々で交差しているので、リタイアしても まま安心ではあるけれど。

  「大丈夫か? ルフィ。」
  「おお、平気だよん♪」

 ゾロこそ疲れたんか? いやに鈍臭いじゃんか。馬鹿言え、ペース配分ってのがあるんだよ。交わす悪態もどこかご陽気で、逆方向から下って来たのだろう通りすがりの見知らぬ観光客の方々にクスクスと微笑われていたりして。旧街道資料館のある甘酒茶屋に着けばようやっと 2/3を制覇というところか。ここの先からやっとこ坂の勾配もゆるやかになるので、さあ あと一踏ん張りと気合いを入れて出発となったのだが。
「あっ。」
 勾配がいよいよと緩くなり、下り坂になっても来ていて。元箱根の方から来た旅行者たちが、まだまだ元気な足取りでやって来るのにかち会うことで、彼らのゴールが間近いことを教えてくれる。そんな辺りへ差しかかって来た頃だったか。二人の前方をゆっくりと歩いていたグループの中、かくりと不意にしゃがみ込んでしまった子がいて、
「やだ。どしたの、大丈夫?」
「痛った〜い。」
「マメ?」
「違
ちがくてぇ、挫いちゃったみたいぃ〜。」
 左右からお友達が慌てたように寄ってやり、声を掛けて容体を訊いてやっている。進行方向のすぐ前だったこともあったから、おやおやと眸を見張ったゾロの傍らから、ルフィがぱたぱたっと駆け出してったのは。此処まで来たってのはなかなかの健脚だろうに、あとちょっとでそれって気の毒だなと思ったからであるらしく、
「どしたんだ?」
 前に回って同じように屈んで声を掛けてやれば、相手はルフィと同じくらいの年頃の少女たち。見ず知らずの男の子が突然屈託なく話しかけて来たのへは、さすがにビックリしたか“え?と顔を見合わせた彼女らだったが、相手は…大きな眸が印象的な、ちょっぴり稚
いとけない面差しをした男の子。口調が幼かったこともあって警戒はすぐさま薄まり、
「そこの大きめの石につまづいて、足首を捻ったらしいの。」
 足元を押さえてるショートカットの少女が、少し後ろを振り返りながらそんな風に素直に答えた。さっき休んだ甘酒茶屋まで戻ればバス停があるが、
「あと少しなんだから。」
 ルフィがそうと声を掛けたのは、自分を追って来た連れへであり、そう言い出すと思ってましたと言わんばかり、へいへいと苦笑混じりに応じつつ、座り込んでいる少女の前へひょいと屈んで見せたゾロが、無言のまま態度だけで“背中に乗っかれ”と指示を出す。どこから出したんだか、登山用のステッキを手にしており、おずおずと背へ掴まって来た少女の尻の下へそれを差し渡してやって、体に極力触れないようにと心くばりをしてやれば、残りのお嬢さんたちもホッとしたように相好を崩して見せて。あとちょっとの道程を、いきなり増えての5人で進むこととなってしまって。
「良かったねぇ。」
 親切な人に会えたねぇと、無邪気に喜ぶお嬢様たちは、いずれも木綿のサブリナパンツやGパンにスニーカーという軽快ないで立ち。野歩き向きではあったけど、真新しそうな靴や靴下という足元が、どの子もあんまり汚れていなかったのがちょこっと意外で。歩きながら訊いてみれば…何と彼女ら、元箱根の方からやって来たばかり。
「………え?」
「関所跡から歩き始めたの。」
 それだって結構な道程ではあるんですけれどもね。芦ノ湖に突き出した恩賜公園を横手に杉並木を抜けて元箱根まで。そこから甘酒茶屋まで来て、じゃあ引っ返そうかと歩き始めたばかりだったそうであり、まま、それだって単なる観光客のお散歩にしては結構な距離なのだが。

  “………そうか、そういう楽しみ方だって有りなんだ。”

 物凄くセオリーに則った取り組み方しか頭になかったルフィだったから、自分たちと同じだけの難路を頑張っての結果じゃなかったという意外性へ、ただただ呆気に取られてポカンとしてしまい。しかもしかも、
「ねえねえ、お兄さんて凄っごいカッコいいのねvv」
「大学生なの?」
 今時の若者には恥ずかしいことだろうに、颯爽と現れ、お友達を衒
てらいなく背負って助けてくれたお兄さんが、その凛々しさや頼もしさから彼女らの心に…仄かに甘い系の好奇心を芽生えさせもしたらしく。

  “う〜〜〜。”

 いつしか道は、山野の趣きから人里のそれへと移行していて、広々とした芦ノ湖の向こう、富士山までが望める格別の絶景が行く手に見えている。ようやくのこと、目的地へ到着と相成ったのに、さっきまでのお元気はどこへやら、少々複雑そうに頬を膨らませかかっている坊やであり、

  “………おやおや。”

 一応、適当な受け答えは続けているルフィだったので、きゃっきゃとはしゃぐお嬢さんたちは気づかなかったらしいが、そこは何たって思い入れに差があって。応じる声やら歩調やらから、誰かさんがすっかりとトーンダウンしたことくらい、振り向かなくともあっさり拾える。それがどういう“ご機嫌の化学反応”なのかも、あっさりと察しがつきつつ…だがだが、

  “そこまで自惚れちまってもいいのかな?”

 さぁて、どうなんでしょうかね。
(笑) あんまり軽いもんだから、そこに背負ってることさえ忘れかかるお嬢さんがいることで招かれたこの状況へ。ただ困れば良いのか、はたまた、いい切っ掛けを作ってくれたもんだと こっそり微笑ってしまっても良いのかなと。こちらさんは ちと余裕があったりする破邪殿だった。

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