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ルフィ坊やがこの春から通っているのは、市立のV校という公立高校の普通科で。新興住宅地にニュータウンと共に新設されたという学校なので、創立からの歴史はとやらはそうそう長くも古くもないけれど、緑が一杯の敷地の中に元気のいい男子女子が通う共学の高校。先の章でもご紹介したようにスポーツが盛んなせいか、活発で健康的な校風の明るい学校であり、根真面目な生徒が健やかに伸びるためだろう、有名大学への進学率も高い方だし、ほんの一握りほどの就職志望者には、有名企業からも求人が殺到するというから、社会的にも随分と厚い信頼を受けている学校だと言える。盛んだとはいえ、誰も彼もが運動部の子ばかりという訳でもないし、野球やサッカーなら別な高校の方が有名だろうというような、全国レベルから見れば…ごくごく平凡な公立学校なのだが、この夏はインターハイで頑張った柔道部がともかく注目されており。その主役だったのが、
「ルフィ〜〜〜く〜ん。」
あああ"、先を越された。(笑)
「何だよ、気持ち悪いなぁ。」
朝練があったため今朝は一緒に登校しなかったウソップが、教室に戻って来たルフィを見つけて寄って来る。
「気持ち悪いとは何だよ、親友に向かってよ。」
「誰が“親友”だ。」
図々しいぞと言い返したが、それは親しいからこその嘘っこだと、双方でちゃんと判ってる。幼稚園に通ってた頃からの一番の仲良しで、先々のこと、ちゃんと考えてるしっかり者な彼は、ルフィの方からだって“親友”には違いなくって。朝のご挨拶を兼ねた、漫才みたいなやり取りを交わしてから、空いていた前の席へと横座りしたウソップが、
「ほれ、お前の分だ。」
言いながらぱさんと机の上へ置いたA4版の分厚い綴り。それを見て“おっ”とルフィが口元を丸くする。
「へぇ〜、台本出来たんだ。」
「ああ。昨日仕上がったのを突貫で読み合わせも済まして、早速刷って綴じたんだと。」
ウチのクラスの女子はこういうので団結すんの好きだよなと、ウソップが苦笑する。というのが、この夏の高校総体、ルフィが一年生ながら選手として出場するという話を聞きつけて、それじゃあ皆で応援に行きましょうと、金色のポンポンを作ったり応援エールの練習をしたりと、本来の応援団部以上に熱心に取り組んだのもクラスメートの女子たちだったから。そんな彼女らのハートをまんまと鷲掴みにした活躍もあっての、この現状でありこの結果だというのが分かっているのかいないのか。ご当人はといえば、
「俺の役は? 何に決まったんだ?」
開きもしないで聞く辺りが、いかに関心がないかを物語っている“主人公”様。
「渡されてた本は読んだんだろうがよ。」
「う〜〜〜、それがサ。カタカナ名前ばっか出て来るから、話が進んでメインの人間が4、5人も出て来ると、誰が誰やら判んなくなっちってよ。」
あはははは…と笑うが、ということは。あんた、粗筋さえ掴んでないな、もしかしなくとも。筆者と同様なことを、だが、こちらさんはとっくの昔に予測していたらしいウソップが、
「判った。簡単に説明してやるから、それを踏まえてこっちの台本を読みな。」
「文庫本の方は?」
「脚本に書き下ろした時にな、お前があんまり喋んなくても良くなるようにってことで、ちょいとあちこち弄ってあるからよ。」
だから。ややこしくなるからもう読まなくて良いよと言ってやると、途端に“やたっvv”と喜ぶ辺りが分かりやすい。
………さて。
「少しでも読んでたんなら舞台は判るな?」
「おお、何か外国だよな。名前や地名がカタカナだし、王様とか騎士とか出て来るし。」
日本の話なら殿様と侍だもんな。それにケータイとかテレビとか出て来ないから、昔の話なんだろ? ルフィの彼らしい そんな把握の仕方へと苦笑しつつ、ウソップは説明を続ける。
「どこの国のいつと限定はしてないが、まま、中世のヨーロッパの何処か。外国との戦乱も今の世代にはないっていう、割と穏やかな王国が舞台だ。主人公は近衛兵っていって、王族の護衛をする剣士。そいつが、自分がお守りする姫様に想われるんだが、実はその剣士は、若くして亡くなった今の国王の兄貴の子なんだな。だから、その姫から見りゃあ今で言や“従兄弟”ってやつで、時代が古いから“血が近すぎる”ってことを忌まわしいって言われるだろう間柄。その事実は限られた人しか知らないし、知ってる人から見れば…身分が違うから結ばれるこたないって話な筈なんだが。今の王様の融通が利かないからって失脚を狙う悪徳大臣がいたり、剣士の周囲にも、ホントは身分のある方なのにって嘆いてる乳母や乳兄弟なんかがいたりして、そういう人たちの思いがどんどん絡まってって…いろいろと事件が起こったりするシリーズものなんだけどもな。」
な、なんか今流行の韓国の某ドラマみたいな筋立てですのね。(笑) 全体の流れを説明し、此処までは分かったか?と一応訊いてみると、
「ん〜、何となく。」
言ってる割に眉が寄っていて、ややこしい話はごめんだと言いたげで。
「俺の役はその“このえへい”って奴なのか?」
「“このえへい”ってのは名前じゃない。」
あははvv いやはや、お約束でしたでしょうか。(苦笑)
「名前は“サランドル”。表向き、近衛兵士の家系の子ってことになってる。で、俺らがやるのは、一番最初のエピソード、姫の命を狙う刺客が舞踏会に紛れ込んだって話なんだがな。」
舞踏会までの流れの中で、近衛兵の“サランドル”がどういう立場の人間なのか、彼を巡って誰がどんな感情をもっているのか、そして…王宮内の陰謀を、ルフィ以外の出演者が会話や何やで説明してゆく流れ。
「で? 俺の役はもしかして台詞多いんか?」
何だか ややこしそうな話だなぁとますます眉を寄せるルフィへ、
「安心しろ、台詞はあんまりない。」
「良かった〜〜〜。」
「出番は結構あるが。」
「え〜〜〜?」
「演技は ほとんど無い。」
「???」
何だ、そりゃ?と。大きな琥珀の瞳をくりくりとさせ、小首を傾げた坊ちゃんへ、
「だからサ。お前は頻繁に出ては来るけど、あら あそこにいるのはサランドルではありませんか…なんて別な人間が見かけた格好にして話が進むから。」
舞台に立ってはいるが、本人は遠目に見物されてるだけ。そんなパターンばかりにて話が運ぼれてゆく、それは巧妙な台本を仕立てあげたらしく、お嬢さんたちの努力の素晴らしいこと。そんな風に一通りを説明されて、さてさて。
「何だよ、それ。じゃあ俺は突っ立ってるだけか?」
そうまで何にも話さないなんて、なんか馬鹿にされてないかと、少しはカチンと来たか。ちょいと口許を尖らせるルフィだったが、
「あらあらvv 台詞がほしいなら、いっくらでも増やしたげるわよ?」
いきなり割り込んで来たのが、脚本担当の女の子。それは闊達な副委員長さんで、普段からもルフィたちとは気安く会話している少女であり、主人公様のこのお言いように見るからに“ワクワク”っとしているトコからして、
“あんまり迂闊なこと言うと、ますます良いようにされちまうぞ〜〜〜。”
ウソップが微妙なお顔をして見守っていると、
「台詞は要らねぇけどさ。」
ぶうぶうと膨れたまんまの“サランドル”さん、
「何もしないで突っ立ってるだけなら、とっとと引っ込んでいんじゃねぇのか?」
「あら。」
おお、賢い。(こらこら) …そうじゃなくて。
「馬っ鹿だなぁ、ルフィ。」
本来ならば本人が活躍したり、他の演者とのやり取りを披露して“どういう人物か”を表現するところを、周囲の人たちの奮闘だけで満たそうという段取りにわざわざ仕立て直してもらったのに…本末転倒なこのお言いようはなかろうと。ウソップくんが懇々と諭したほど。
「あ、そか。」
ようやっと理屈が呑み込めた困った主人公さんへ、
「でもでも、もっと活躍したいならいつでも言ってねvv」
いっくらでも修整利くからねと、嬉しそうなお顔になって、副委員長さんはお席へと戻って行ったのだった。そして、
“勘弁してくれ〜〜〜。”
ルフィの身の上へ“難しいこと”という負担が増えれば、気を揉まねばならないのはこっちなんだからよと、面倒見の良い親友さんがこっそり冷や汗を拭っていたりする。取っ掛かりの最初からこんな具合に“通訳”が必要だったりする辺り、一体どんな仕上がりになるやら、戦々兢々…もとえ、ワクワクドキドキの寸劇になりそうな気配でございます。
◇
九月の初めはまだ残暑が続くからか、長かった夏休み明けなので慣らし運転が必要だからか、短縮授業が続く。そこでその間に、文化祭の下準備を進めようというクラスは結構多い。
「文化祭って言ってもな。まだ随分と早えーじゃん。」
ルフィが台本をぺらぺらとめくりつつ今更のように言い出したのも…実は無理はなく、
「まずは体育祭があんのにな。」
そう。彼らのV高校の秋の行事は、まず“体育祭”があってから“文化祭”がやって来て…という順番になっており、しかも、
「10月10日っつったら、フツーは体育祭なのにな。」
どういう巡り合わせからか、文化祭は“体育の日”に催される。そして体育祭の方は、九月の第3日曜日、今だと“ハッピーマンデー”に指定されてる“敬老の日”の前日に催されることになっている。というのが、
「そうは言うけどサ。」
ウソップが応じて、
「ウチの体育祭は水泳競技込みだしな。」
うわ〜、それは珍しい。さすがは運動奨励校で。そっか。あんまり秋が深まってしまうと、泳ぐには辛いですからねぇ。
「それはそれとして、だ。ウチは寸劇で、何かと準備するもんが多いからな。」
文科系の生徒が多いクラスだから、尚のこと。ついつい、体育祭より文化祭の方へと力を入れたいクチが頑張りたがっているのだろう。それにしても…文化祭って十一月って印象があるんですが。
“そりゃあ大学の学園祭だろ。”
そうでしたかね?
“それでなくとも。国体が十月の末で、ウチはそこに参加する部が多いからな。”
何から何まで…と言う訳でもなかろうが、それでもね。奨励している、そしていい成績を上げている部活動なのなら、それを優遇しての行事割りにもなろうというもので、
“文化祭なんてのは逆に軽んじられがちなんで、余計にムキになってるんじゃねぇのかな、ウチの女子たちは。”
ははあ。まだ一年生の内からそんなに意気込んでる子が集まっているとは、自主独立精神が強いというか、意志闊達なというか。ますますのこと、頼もしい限りな学校のようですね。とはいえど、
「体育祭の方の準備はどうなってんだ?」
ルフィはというと、同じ“お祭り騒ぎ”ならやはりそちらの方がお好きならしく、段取りとか練習とか、いつ決めるんだろかと大いに乗り気。彼女らの前ではそういう態度はやめとけよと しょっぱそうな顔になりつつ、
「HRとかで随時決めてくんだろサ。今日だって委員長会議があるって放送が入ってたろ?」
そうだった? おややと大きな瞳を見張ったルフィは、教室のすぐ外、窓側の扉から直接出られるコンクリのポーチでしゃがみ込んでるウソップの傍らに同じように屈み込んで、お友達の作業を興味深そうに見学中。彼ら一年生の教室は1階にあり、そのどれもがこうして中庭へ向いたポーチに出られるような作りになっている。避難経路の確保とか風通しとか何とか、色々と理由はあるらしいが、今の時期はどこのクラスのポーチも格好の物置、兼、作業場になっており、ウソップが手掛けているのも資材の整理。そんなに凝ったものにする訳ではないし、舞台装置や道具に衣装、出来るだけ演劇部に借りたりする予定だけれど、それでもね。例えば…窓の向こうに立つ“サランドル”さんとそれを眺めやる姫のお部屋のポーチを、同じ場の上なのに離れて見えるように並べる効果的な工夫とか、そういったものを考えるのが大道具担当のウソップのお仕事なのだそうで。女子の頑張りに出来るだけ応えてあげたいのでと、今から色々研究中なのだとか。
“カヤも観に来るって言ってたしな…。”
ほほぉ…vv(笑)
「なあなあ、こんな小さい仕掛け作ってどうすんだ?」
こつこつとウソップが組み立てているのが“早替わり用”のどんでん返しの扉らしいとは分かるのだが、手のひら大のそれなので、小道具のドールハウスだろうかと小首を傾げるルフィへ、
「これは模型だよ。本チャンでは大きいのを作るけどサ、いかに簡単に、でもガッツリ丈夫なのが作れるかってのを試作してんだ。」
「ふ〜ん。」
こんな風な“もの作り”をじ〜〜〜っと眺めているのが、ルフィは結構好きで。ズボンの膝が抜けるんじゃなかろうかと思うほど、お弁当を食べた後のお昼休みのずっと、同じ格好でウソップの作業を見物し続けている。ウソップの方も慣れているのか、気が散るだの何だのと言い出すでなく、そうかと言って“手伝え”とも言わず。話しかけられればちゃんと答えてやりながら、休みなく手を動かしてもいる器用さで。そんなところへ、
「ルフィ、○○くんが呼んでるよ。」
教室の中から、別の生徒が声をかけて来た。2つほど隣りのクラスにいる、同じ柔道部の子の名前で、
「ああ。」
立ち上がったと同時、
「数学の教科書、貸してくれって。」
用向きを先に聞いてたらしいのを言われて、分かったと頷くと教室に入ってまずは自分の机へと向かう。お昼前に使った教科書を手探りで探した彼だったが………、
「………っ!」
ガタンッと、唐突に机を突き飛ばした物音が案外と大きく響いて。周囲にいた他の生徒たちが何事かと注目する中、
「…キャッ!」
「ルフィくんっ!」
女子が悲鳴を上げたのは、左手で押さえた右手の先から、ポタポタと血が滴っていたからだ。雑然とざわめきつつもあっけらかんとしていた教室に、いきなり降って湧いたような血の匂いには、誰しもがついのこととて身を竦ませる。そんな子たちを押しのけ、窓から飛び込んで来たウソップが真っ先に駆けつけて、
「どしたっ。」
あっと言う間に傍らまで辿り着いている。色々と世話を焼いてるお友達だからか、こういう時の反射も格別鋭いものと化しているらしい。そんなお友達へ、だが、
「判んね。」
きつく眉を寄せているルフィも、何が何やらという表情。足元には刃の開いた工作用のハサミが落ちており、無造作に突っ込んだ手でこれを思い切り掠めたのだろう。
“何でこんなもんが…。”
明らかにルフィのものではない。小学生じゃあるまいに、こんなものを日頃から剥き身で机に入れてる奴なんてのも珍しい。美術や手芸などの部活で使うというなら、カッターやコンパスなどの他の道具と一緒にそれ用のペンケースにでも入れてるもんだろう。
“それはともかく。”
早く保健室に連れてかないとと、自分のポケットをまさぐったが…あいにくとハンカチは持ち合わせていなかったらしい。こういう手当てのために“貸せ”とも言えないかと困ったように眉を寄せたウソップの鼻先へ、
「はい。使ってよ。」
綺麗なプリント柄のを差し出した者がいる。
「…えと。」
「急いで連れてかなきゃ。保健医のアルビダ先生、さっき外から戻ってらしたから、もう居るわよ?」
大人びた面差しの、だが、ぱっちりした目許を細め、にこりと笑ったのは…見覚えのない女生徒で、どうしたもんかと一瞬凍りかかったウソップだったが、はっと我に返るとそれを手にする。
「済まないな。後で洗って…。」
返されても気持ち悪いかなと思い、語尾を濁らせつつ曖昧な会釈をし、ルフィの手へそれを当て、肩を支えるようにして校舎内廊下の方へと二人して出て行く。
「…びっくりした。」
「ホントよね。」
「大丈夫かな、ルフィくん。」
少しばかり遠巻きになっていた女子たちが囁き合い、その場に集まりかかってた男の子たちは床に落ちた血痕をどうしたもんかと顔を見合わせていたが、
「………。」
ウソップにハンカチを貸した少女が、そのまますっと屈み込み、制服の箱ひだスカートのポケットからティッシュを取り出すと念入りに拭ってしまったから…これにはちょっと引いた者もいて。彼女は傍らに落ちていたハサミを手に取ると立ち上がり、
「私も保健室へ行って来るわ。」
これを届けに…と言いたげな口調だったから。誰も不審には思わなくって。
「でも、あの子って何組の子?」
「…さあ?」
*何だか怪しい動きがちらり。
お待たせした野にお話があまり動いてなくて済みませんです。
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