天上の海・掌中の星 “序章” D
 



          



 学校という何処よりも安全であるべき場所にて、思わぬ怪我を拾って帰って来た坊や。怪我の状態自体はさして重いものではなかったにも関わらず、それへと顔色を変えるほど、火急の対処が必要だと言わんばかりの大仰そうな態度を示したゾロであったのだが、

  『俺だってな、闇雲に過保護な訳じゃあない。』

 翡翠の眸を持つ破邪の男は、お仲間の聖封さんがどういう勘違いをしているのかにも、きっちりと察しがついていたらしく。再び夕餉の下ごしらえに掛かりながら、憮然とした表情でそうと言い、何やら まがまがしい気配を感じたからこそ、あんな風に“いち早く”ってノリで出迎えに出ちまったんだと、つまりはそうと言いたかったらしい。
“邪気の匂い、か。”
 気がつかんかったお前の方こそ、錆びついちゃあいないかと、目許を凶悪なまでにぎゅぎゅうと眇めて言って下さったのへは…究めて率直に“むかっ”と来たサンジだったが、
“ま・気がつかなかったのは事実だもんな。”
 いつものお相手である“負の陰体”そのものの気配ではなく、人為的な“呪
まじない”の匂いだったとなると、微妙に管轄外の相手ではあるのだけれど。実をいえば…本日の自身の降臨にも関係のある気配だっただけに、
“こんな間近でそれに当たろうとはね。”
 意外な地雷にぶち当たったことへ気勢を削がれてしまったような思いがしたサンジでもあり。………とは言いつつも、その話題はそこまでということで、お互いに一旦矛先を収めた天聖界のお二方だったりする。

  「炒りどり、美味ぁ〜いvv

 早い目に帰って来た坊やだったのでと、夕飯の支度も前倒しに早まって。おやつを食べてから、お二階で宿題と台本読みという“課題”をルフィが消化させている間に、二人掛かりで進めた夕餉の支度もたかたかと捗
はかどり、いつもより30分ほど早い目の晩ご飯と相成った。ルフィの好みに合わせて大きめにした鷄肉に、ゴボウにゆでタケノコ、ニンジン、レンコン、大根に千切りコンニャク、仕上げの彩りにキヌサヤを散らして、素材の風味や歯ごたえを生かして煮つけた、実はルフィの大好物である“炒り鷄”を、スピーディに仕上げつつ、白身魚のサゴシは皮はカリッと中はふんわりした塩焼きにし。こちらは聖封様特製、舌触りもなめらかな茶わん蒸しと、付け合わせはヌタと白コンニャクの酢味噌和えで締めと、本日は和風で揃えてみましたというメニューを並べ、
「ほら、赤児握りはいいとして、せめて落ち着いて食わんか。」
「う〜〜〜、だってよぉ。」
 利き手に負った怪我だけにお箸は無理だというのは承知の上。フォークやスプーンでの食事となってしまったのは仕方がないとして、その切っ先からニンジンやレンコンをつるつると跳ね飛ばしては逃がしているのへ苦笑をし、そぉっと刺せば良かろうにと、破邪殿、横手からの箸でのフォローに忙しい。それを微笑ましく眺めつつ、それとなくにではありながらも、ついつい…坊やが庇っている右手の指先をそれとなく窺っていたサンジである。


   “まさか…この坊主が狙われてのことだっていうのかねぇ。”







            ◇



 今回は何物かの気配を感じて天聖界から降りて来たサンジではなく、この家へ立ち寄ったのも一種の“伝令”というお役目のため。それというのが、

  「人為的な召喚の気配がある。」
  「召喚って…? 魔物のか?」
  「天使でも大問題だがな。」

 茶化すような言い方をしつつ、宝石のような青い虹彩を浮かべた瞳をきりきりと尖らせ、殊更に忌ま忌ましいというお顔になっている彼なのも道理で。せっかく陰陽のバランスが安定した世界というものを、自分たちが骨身を削って補完しているというのに、選りにも選って…最も力も知恵もなく、感応力もずんと劣っている“人間”が、そんな大それたことを企んでくれちゃってようとばかり、不機嫌なご様子でおいでになる、封咒一族の御曹司でもあるサンジ坊っちゃんであるらしく。
「昔っからそういう馬鹿者は絶えないが、大概はただの呪
まじない止まり。稀なこととして、よほどに恨みが深かったりしてか…飛び抜けて念が強かったあまり、何かしらに憑いたり憑かれたりしたって例もない訳ではないが、それと引き換えに術者は我を見失ってしまうからな。最終的には知恵を持たない単なる暴れ者の暴走でしかなくなり、ねじ伏せるにも大した世話は焼かさねぇんだが。」
 ソファーに腰掛け、高々と組んだ自分の脚の膝頭をとんとんと指先で突々きつつ、
「今回の野郎は妙に余裕があるというのか、悪慣れしてやがるというのか。追跡を躱し果
おおせては、破邪や封じの使いが結構手を焼かされてるらしいんだ。」
 勿論、それだけのお役目ではないけれど。人世界の混乱はそのまま、上位世界の混沌まで招きかねないからという“ちょっかい”なのではあるけれど、それでも。自分たちが一体誰のために、誰の安泰を真っ先に確保せんと奔走してんだというのが、行動の中での大義の、分かりやすい“真っ先”に来ることなせいだろう。そのための疲弊や怪我だって負うお勤めなのにと思えば、尚のことに腹も立つ彼であるようで。そして、

  「…ちょっと待て。同じ奴が何度も“召喚”を成功させてるってのか?」

 サンジの言いようへ、ゾロが不審げに眉を寄せて見せた。人がその手で陰体を招いた例がないではないが、そういう手合いは大概…サンジ自身が仄めかしたように“呪
まじない”止まりが限界で。そもそもの有り様が異なるがゆえ、その気力でもってまずは自分の肉体を制御せねばならない人間の“精神力”では、陰世界の住人との接触には無理がある。一世一代の念で何かを招くことが出来たら奇跡という代物で、それにしたって、精神的な生気を使い果たすのがオチであり。暴走するだけの存在“邪霊”や“鬼”と化したそれらを“陰体”と見なし、自分たちが出動して封印成敗して終しまい…という、いつも通りの運びになるのが定石なのだが、
「召喚したものを制御し切れているということか?」
「思い通りになのかどうかは知らんがな。少なくとも、術者が召喚した魔物に同化したり、あるいは引き摺り込まれたって報告はない。ただ…。」
 単体で暴れているのを封じたり滅殺してみれば、いつもその周囲に何者かの気配が残っている。恐らくは召喚した術者のものだと思われるのだが、その場で呼び出したその時の…咒の力を放った瞬間の気配だけなので、何処からやって来たか、その後は何処へ消えたのかといった行方を追尾することは不可能。

  「しかも…どれもこれも同じ存在だ。」
  「そんな話があり得るのかよ。」

 さてねと。肩をすくめたサンジが、実は一番に振り回されているらしく。と言うことは、彼でなければ緊急至急の対処が出来ないほど大きなものばかりが、さんざ呼ばれて暴れているということでもあって。こうやってゾロへと伝達に降りて来たのも、自分たちの感応力では察知しにくい手合いだということを通達しに来たのだろう。
「能力が高いのか、術に長けているのか。そんなところも一切不明。」
 逮捕されたことがない“犯人”である場合、指紋が山ほど残されてあったって身元は闇の中に変わりなく。それに続く同種の犯行から同じ指紋が見つかって、同じ奴の仕業だと確認出来るのみであり。そこから先への探索を進めるための鍵というより、故意に残してこっちを嘲笑っている、そんな腹立たしい足跡のようにさえ思えてくるというもので。
「ただな、これだけは言えるのが。」
 サンジが言い置いたのが、
「自分の私利私欲からやってる訳じゃないのと同時、誰かからの依頼でも無さそうだってことだ。事件に一貫性がないし、関係者の心理にそれらしい動揺や陰りは一切ない。」
 ゾロにでも備わっている、ルフィを取り巻くお友達の雰囲気を拾える能力以上に
(おいおい)、下手なポリグラフよりも正確な読心術をこなせるサンジだから言い切れることで、余程修養を積んで心を自在に鎧える相手ででもない限り、心の動揺があれば手に取るように分かるのだが、
「純粋な驚愕や恐怖しか拾えなくてな。単なる突発事故ばっか。」
「突発って…。じゃあ、」
「ああ。」
 皆まで言わせず、ゾロが言いかけた語尾を引ったくり、

 「まるで“愉快犯”みたいに、いや…それより性分
たち悪く、
  意味もなく陰体を召喚しては騒ぎを起こし、
  結果をロクに見届けもせぬまま、野に放ってる奴がいるってこった。」

 いい迷惑だぞ、まったくよと。うんざり顔で大きな溜息をついたサンジだった。






            ◇



 少し早めの食事の後は、時間が随分と余ったのでと…ルフィも遊びに行けるようになった天聖界でのよもやま話をサンジが語って聞かせたり、簡単なボードゲームをやってみたり。坊やを挟んで初秋の夕べを過ごした彼らであり。それから…いつもの如く、十時を回ると共に欠伸が出始めた坊やを、保護者殿が“ひょい”とその腕にゆったりと抱え、寝かしつけにと二階へ上がってゆく。いくら小柄だとはいえ、高校生になったルフィだというのに相変わらずのこの扱いであり、とはいえ…抱えられている王子様はいつだってまんざらではないご様子で。

  「なあ、ゾロ。」
  「ん?」

 ベッドへと寝かしつけられ、まだ暑いからと夏掛け布団をふわんと胸元まで掛けてもらいつつ、坊やがゾロへと小さな声をかける。どうした?と問えば、右手を顔近くまで挙げて見せて、

  「これ、早く治せないのか?」
  「出来んことではないがな。お前、傷がある振りが出来るか?」
  「??」
  「完治に2、3日はかかる傷だ。それがあっと言う間に治ってたら怪しまれないか?」

 あ・そっかと、ひどく感心したような顔になり、
「ん〜〜〜、そりゃ無理だな。」
「じゃあ、我慢しな。」
 にべもない言い方をされ、ぷうと膨れたルフィだったが、
「不自然なことはしないに限るんだよ。」
 改めてそうと言われ、枕の上で何か言いたげなお顔になった。気配に気づいたゾロが、何だ?というお顔をして見せると、
「俺、随分“フツー”じゃないことして来たぞ。」
「…まあ、そうだな。」
 それらは全部、一番最初に“そういう星の下に生まれたのだ”という、尋常ではない事情があってのこと。ルフィの意志なぞお構いなしという勢いにて、無理から“巻き込まれた”あれやこれやばかりだったのだけれども、と。そんな風に言ってやれない口下手の不器用な精霊さんが、ううと困ったように言葉を濁していると、

  「でも、ゾロがダメだって言うんなら気ィつける。///////

 どこか嬉しそうににっぱり笑って言った坊やだったのは、それが…大好きな人からの言いつけだから。大好きなお兄ちゃんからの言いつけだったら、それを守って良い子でいることもまた“嬉しい”につながるから不思議vv

  「………そか。」

 ふかふかな頬をほんのりと染めて、嬉しいを目一杯に頬張って。可愛らしいことを言ってくれる愛しい坊やに、天下の破邪様、思わず胸がきゅんと疼いてしまったらしく。 大きな手のひらで坊やの丸ぁるいおでこを撫でてやりつつ、そぉっとそぉっとお顔を近づけると…。

  「………。」

 おやすみなさいのキッスは、時々ほっぺやおでこ以外の場所にも降ることがあるらしいですvv







 子供部屋のある2階から降りてリビングへ戻って来た、上背のあるお仲間さんへ、ブランディを垂らした紅茶を味わっていた聖封さんが声をかける。

  「お前はどう思うね。」
  「何がだ。」
  「惚けてんじゃねぇよ。」

 皆まで言わないサンジだが、そんな彼が言わんとしていることはさすがに通じて。

  「………。」

 ルフィが受けた傷にまとわりついていた“故意”の気配に、何かしらの“呪
まじない”の匂いがしたと…サンジよりも早く見抜いたゾロであり。
「俺より先に過敏にも気づいた気配だってのは、あの坊主にいかに危険なもんが向いてたかを感じ取ったればのことだろうがよ。」
「…ああ。」
 ローテーブルに並べられた茶器からカップだけを大きな手で掴み上げて、サンジが持ち込んだらしき凝ったデザインのボトルから、天聖界のブランディをとぽとぽと そそぎ入れる。

  「昼にお前が言ってた輩かも知れん。」

 自分たちにその存在を感知させないという、人としては まずはあり得ないレベルの、力なり技術なりを持つ召喚師。
「自惚れて言うんじゃなく、専門外の俺でも気づいたほどの濃さのそれを滲ませてたってのがな。」
 本来は嗅ぐ力の低い自分が感じ取れたほどの気配だったから、それによる“呪
まじない”の気配ではないかと見たらしい。だが、

  「自惚れていいぜ。」

 サンジはソファーにゆったりと凭れさせていた背を起こし、自嘲気味に笑って見せる。
「人の手になる召喚や呪いは、俺らには却って察知しにくい代物なんでな。」
 言い訳めいて聞こえるかも知れんがと、苦笑の色を尚のこと深めてから、

  「それで正常なんだっていう“快適さ”や“健全さ”、
   当たり前のことへは、どうしたって警戒が薄くなるだろう?」

 勿論、聖なる力もまた眸には見えぬものなのだから、それへの感知も特別な能力であり、彼にも備わっている筈なのだが…それとも違って。清浄な空気、可憐な花々、愛らしい仔犬。爽やかな風、からりと晴れ渡った上天気。凛と冴えた気配の満ちた道場や、敬虔な祈りの残響が籠もった聖堂の中。そういった存在や場所には、微笑ましいな癒されるなと感じる程度で、いちいち わざわざの意識を差し向けはしない。そこまで“清いもの”でなくとも、
「陽世界にあるべき“陽の存在”が起こす行為には、陰体を惹き寄せそうな邪心がからんででもいない限り、俺たちの感知のアンテナはなかなか働かん。」
 ひょいと肩をすくめたサンジであり、
「恨みや妬み、欲望などという“邪心”がからまない、至って冷静な術式であった場合、祈祷と同じものと感知される場合が多いから…。」
 だから気がつかなかったのだと。そこまで言ってしまうのは、何だかあまりにも情けないと思ったか。言葉を濁して、ふいと横を向く。冷たく冴えた横顔をこちらに晒した、そんな彼へ…同情したというよりも、
「お前ほどの奴がそんな風に思うってことは、相手は“召喚”なんていう代物に余程のこと手慣れた手合いだってことなんだろうな。」
 大物の召喚にさして気張らず感情も込めぬままに手をつけていて、しかも…何度もこなしておきながら今まで無事に生きながらえている。そんな手合い、まずはありえない筈なのに。
「まあな。ビジネスライクに祈祷だの拝みだの“そういうこと”をやってる人間が全く居ないとは言わん。魔性を封じると言いつつ、実のところは ちょっとした運気を操作できる程度の小者を召喚して、相殺させるって方法を取るのが大半だっていうしな。」
 一応の人世界事情はさすがに調べてもいらっしゃる聖封様で、
「そういうのは、しっかりと手順を踏んだ上での方術で呼び招く手合いで、たまさか後始末を怠った奴が徘徊してる例もあるけれど、あまりの小ささだから、陽界に満ちている生気の中では大して保たず、自然消滅するのがオチでな。」
 そうと説明し、
「…で。大きかったのか? 強いものだったか? その気配。」
 改めて訊かれて、ゾロが眉を顰めた。
「どうなんだろうな。俺にも初めて見えた気配だったし、触れた途端に消えちまったからな。」
 召喚術自体はサンジもたまに使うから、自分には縁がないながら…感触や色合いのようなものはよくよく知っているゾロであり。
「その術でもって仕掛けた罠じゃあなかったんだろうさ。」
 日頃から術を使う人間の手が触れたから、先の残滓のようなものがくっついていただけ。そういう微かな代物だったのだろうと言いはしたゾロだが、

  「…捨て置く訳にはいかんよな。」

 そんな輩が坊やの至近にいる。そして、そのための直接の術を施しまではしなかったとはいえ、彼を害するような行為を取ったには違いなく。普通の少年を標的にしての企みでも警戒するべき事態であるし、ルフィには“普通”という範疇内へ並べておけない事情があるので尚のこと、厳重に警戒するに しくはなく。

  “問題は、どこまで何を知っているのか、だがな。”

 ルフィの身の上にまつわるあれこれというのは、あくまでも…人の理解を越えるだろう“別次元世界”でのすったもんだに関わる事象。霊力や感応力が強いだの、惹き寄せやすい体質だのという程度のことを察知されただけであろうか。巨大な陰に関わったほどの存在だとまでは、普通一般の“人間”には理解も把握も出来ぬ筈なのだが…。
“だよな。あの黒鳳凰が先の謀略に人間を利用しようとして、その手先へと利用した術師に何か言い含めたとかいうような運びにしていりゃあ、話も多少は漏れようが。”
 そんなまで手の込んだ小細工はなかったから、それはない。
“半端な目論みからの手出しだと、却ってややこしいことに成りかねねぇんだが…。”
 剣呑なことにならなきゃいいがと、眉を顰めた聖封さんである。









  〜Fine〜 04.9.03.〜9.21.


 *何だかややこしい事態が持ち上がってる様子です。
  坊やには知らせぬままに見守る態勢を取るお兄さんたちな模様ですが。
  さて………?

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